#31
私には娘がいました。丁度ロリアと同じくらいで、とても可愛くて……。妻を早くに亡くした為、娘が全てでした。大事で大切で……目に入れても痛くない程可愛がっていました。
ロリア、そんな顔をしないで下さい、今はロリアが一番大切ですよ、可愛い私のロリア。
それで……そうそう娘はね、それ以上成長する事は出来ませんでした。その前に死んでしまったからです。買い物へ行った帰り道でした。いつもの、通い慣れた帰り道、そこで異生に襲われたのです。そして死んでしまった。
私はすぐにその異生を見つけ出し討伐しました。するとその異生はそれはそれは綺麗な魔石を落としたのです。まるであの子の瞳の様な琥珀色の宝石、それを異生は落としました。
その時私は思いました、これはあの子の心に違いないと、あの子の瞳、あの子の意志が残った魔石、それが私の手元に戻ってきたのだと。
ああ、ロリア、なぜそんな顔をするのですか? 大丈夫です、変なことではありません。この魔石は特別なのですよ? 歪んだ魔力など所持していません、あの子の魔力が宿っているだけですから。
私はいつかこの魔石からあの子を取り出して見せます。あの子を、あの子の意志を、あの子を蘇らせる……それが私の望みです。ですから、それがティバーにいる理由ですよ。
◆ ◆ ◆
「ロリア様、今よろしいですか」
「ああ」
椅子に座りぼんやりと外を見ていた私は、声をかけられ反射的に答える。テーブルを挟んで正面の椅子に座ったレイスは、座ったものの無言だ。そして正面にいるくせに私を見ない。
「用があったんじゃないのか?」
俯いたままのレイスの頭を見ながら、合わない視線をもどかしく思う。あの時、アストール先生と対峙した時、抱きしめられた感覚でレイスの気持ちは分かった気がする。私を、差し伸べた私の手を、しっかりと痛いぐらい押さえつけたその行動は、二人でティバーを飛び出した後側にいてくれていたレイスと同じものだった。
凄く……嬉しかった。築いてきた時間が決して偽りではなかったと、レイスが示してくれた気がしたからだ。
「アストール先生の行き先は分かったのか?」
「……いいえ、魔力の痕跡を追っていますが……隠れ方が上手くて探しきれません」
「そうだろうな、先生は器用だから」
私の方を見ないレイスにいい加減痺れを切らしてテーブル下から脛を蹴飛ばすと、レイスは恨みがましい視線を向けた。
「やっと私を見たな」
「……だからって蹴るとは酷いですね」
「お前が悪いんだろ、そんな態度取るから」
「…………」
レイスは無言で立ち上がると、今度はなぜか隣の席に座る。そして不思議に思いレイスを見つめる私を強引に自身の膝の上に横抱きにした。
「レ、レイスっ! 何するんだっ」
その久々の行動に動揺する。先ほどまでとは代わり、今度は私がうろたえ落ち着きがなくなってしまう。以前はこんな行為を容認していた覚えはあるが、今は駄目だ。心拍数が一気に上がり顔から火が出そうだ。私は火の過剰適合者じゃないと言うのに。
「……ロリア様……」
吐息と共にゆっくりと名前を呼ばれる。肩に顔を埋められ背中が痺れた。そして私と言う存在を確かめるようにゆっくりと肩を腰を撫でられ、くすぐったさについその手を止める。
「……とめないで下さい」
「いや、それは、その、くすぐったい……」
「ロリア様を感じているのです。……今度こそ本当に……いなくなってしまうかと思いました……」
顔を埋めたまま話されて不自然に体が動いてしまう。普通に話したいのだが……とても降ろしてはくれなそうだ。
「アストールに自ら付いて行ったと聞きました……絶望しました……」
「何だそれは」
「恐れていた事が起きてしまった……と思ったのです」
「恐れていた事?」
ようやく顔を上げ、私を見つめるその緑の瞳が揺れている。苦痛を堪えているような表情は、レイスらしくないと思ってしまう。眉間の皺に指を伸ばすと、笑った。
「変な顔してますか?」
「すごくな」
「……アストールに会ったのに、ロリア様変わりませんね」
「そうだな、変わってないな。たまに言葉が変な感じになるが、この言葉に慣れてしまったせいか先生と話していると逆に違和感があったな」
丁寧な言葉で話していた自分を思い出し、滑稽に思う。以前は常にあんな口調だったのに、いや、それよりももっと甘えた話し方だったが……今はもう無理だな、そんな言葉遣い出来る気がしない。ブレイムには悪いがもう直せないだろう。
「凄く、ホッとしました……」
「安心したって事か? 私が変わらなくて」
「はい……。ロリア様はアストールに会ったら絶対に戻ってしまうと思っていたので……。私の様な模倣ではなく、本当の本人に会ってしまったら……」
「馬鹿だな」
自信なく項垂れるレイスの頭を小突くと、自分から首に抱きついた。
「本当、大馬鹿だな、私もお前も」
「そうですね」
しっかりと抱き返され、お互いの温もりを感じ入る。
私と同じ不安をレイスも感じていたのだろうか……。偽りの関係が余りに心地好くてそれを手放すのが怖かった。
過去を忘れた私がレイスを慕うのは、ずっと心を占めていたアストール先生を模し騙しているからだと言う思いがあったのだろうか。だからそんな私の差し出した手を、掴む事にレイスは躊躇したのかも知れない。
私は私で過去とは違い私を甘やかすレイスが、ただの役割だと思い苦しかった。だから私を拒絶するのは仕方ないと、本当は私の事を嫌っているのだと諦め逃げてしまった。
お互い気持ちを騙し過ぎて分からなくなってしまっていたのかも知れない。
それが今、しっかりと分かり合えた気がする。勘違いじゃなく、偽りじゃなく、築いてきた物がちゃんとあって、それが同じ物だったと……。
ゆっくりと近付いて来た緑の瞳を、もっとずっと見つめていたくて凝視していると、嬉しそうに顔をほころばせた。
「ロリア様、こう言う時は目を閉じるべきですよ」
言われてその行為の意味に気付き顔が熱くなる。今更目を閉じる事など当然出来るわけもなく、顔をそむける。
「氷の男のくせして人を暑くさせるなっ」
「この程度で熱くなど……この先もっと溶ける位に熱くさせて差し上げますよ」
「なんかっ! それいやらしいのだがっ」
「男ですからね」
そう言いながら首筋に落ちた口付けに肩を竦めると、次は額に、瞼に、唇に、熱い吐息が漏れた。何度も飽きることなく繰り返される行為。重なる唇と唇が心地好くて、頭が痺れてくる。
雨の様に降り注いだ口付けが嬉しくて幸せで、私たちは尽きることなく口付けを送りあう。
行為が落ち着きいい加減レイスの膝上から逃げると、レイスは私を見つめながら問いかけた。
「アストールが恋しくなった訳ではないなら、なぜ自ら付いていったのですか?」
「そ、それは……」
怖かったからだ……。皆に会って秘密がばれてしまうのが……爆弾を抱えているだろう自分が、皆の側にいる事が怖かったから。だから秘密を知っている先生の所へ逃げた。
それなのにアストール先生には渡さないと手を伸ばしてくれたレイスが嬉しくて、つい何も考えずにしがみ付いてしまった。アストール先生との約束も……果たす事が出来ていない。今更果たしたいとは思わないが、それでも心が苦しくなる。
「……アストール先生と、約束してたんだ」
「何をです」
「私が、先生の希望を叶えてあげると……あの時、失望したと言った先生を引き止めたくて」
あの日、カーラが暴走した日、先生は私にこう言った。
『君には失望しました。カーラに何をしたのですか? それにボリスもです。君が干渉した事によって正確なデータが取れませんでした。なぜ余計な事をしたのです』
『アス先生? 余計な事って……データって、どう言う事ですか……?』
『そのままの意味ですよ、私の実験の第一号と第二号であった二人は、魔石の力に逆らえず暴走する所でした。ですが君が干渉をしたせいで症状が一旦抑えられてしまった。一体何故その様な事が?』
『わ、分かりません。それに、なんで……暴走したら……皆しんじゃうのに……』
『実験に多少の損失は仕方ありません、それに利用価値のある魔法の人間はいませんでしたからね』
『わ、私も……死ぬ所だったんですよ……?』
私のその言葉に、無表情で目を細めた先生は私の知っている先生ではなかった。急に今までの先生が遠く思えて、先生が側からいなくなってしまうと反射的に悟った私は、どうにか引き止めたくて……。
『わ、私は! 利用価値がありますっ! 先生を失望させたりしません、先生の為ならなんだって……!』
『……そうですか、でしたら……私の可愛いロリア、手伝ってくれますか?』
にっこりと笑っていつもの様に『可愛いロリア』と言ってくれたから……だから私は、先生の為に、先生の希望を叶える研究に役に立つからと、魔石を。
「ロリア様!」
急に息苦しくなりその場にうずくまる。胸が痛い。傷口が疼いて手足に力が入らない……。倒れそうになる私を支えレイスは私の背中をさする。
「ロリア様! 駄目です、落ち着いてください。私の魔力をゆっくりと吸収してください。大丈夫です、いつもの様にすれば大丈夫ですから」
「……レイスの魔力を……?」
苦しくて何も考えられない。ただレイスに言われた様に、使い慣れた感覚でレイスから溢れている魔力を吸い取っていく。レイスの鎖骨に浮かぶ魔方陣が、色濃く変化していく。まだ契約履行されていたんだな……そんな事をぼんやりと考えていると、段々と思考が戻って来た。
温度なんて感じないはずだが、なぜか少しだけ冷やりと感じる魔力が心地良い。息苦しかった呼吸を通り易くしてくれる様な清涼感を感じ、自然と胸の痛みが治まり、手足の感覚が戻ってくる。
「……なんで……」
「ロリア様は今魔力の消費が普通より激しくなっています。不安や負の感情と言った良くない物に引っ張られて魔力を吸い取られてしまうのです」
「それはつまり……」
私の胸に埋め込まれた魔石のせいで……?
「っ! レイスお前!」
「知っています、知っているんですよ。皆、ロリア様の胸に傷がある理由を」
「そんなっ」
知られていた! レイスだけじゃなくて皆に! 私の体の中に魔石があることを……!
支えられていた手を振りほどくと、レイスから離れる為立ち上がる。だがすぐにレイスの腕の中に閉じ込められていた。逃げられないように苦しいほど抱きしめられ、喘ぐ。
「レイスっ」
「ロリア様! 大丈夫、大丈夫ですから……」
「大丈夫じゃない! 大丈夫じゃないだろうっ! 私は自分から魔石を埋めたんだっ! その行為がどう言った結果を及ぼすのか分かっていたのに!! ただ先生に嫌われたくない一身で魔石を……!」
「やはり、自分から埋めたのですね……」
「…………」
何も言い訳できなかった。あの時は必死だった。どうにかして先生に好かれようと、役に立つ相手になりたいと、実験の被験者になった。
「あの時、私達は後悔しました……。取り返しの付かない後悔を……」
「……レイス……?」
「カーラが暴走した時、ポメラに痛めつけられ泣き崩れてはいましたが、ロリア様はロリア様でした。ですが怪我の為しばらく面会謝絶になり、再びお会いした時は……」
「すでに魔石を埋め込んでいた……?」
「……そうです」
その時の皆の気持ちを思うと涙が溢れて来る。
「ボリスとカーラの事があり、アストールの実験が明るみに出ました。それなのに私達はアストールをそのまま野放しにしてしまった。それどころかロリア様と接触しても排除できなかった……。上層部に説得され染み付いた従順な精神が……邪魔をした」
苦しそうに顔を歪めるレイスにしがみ付く。私はなんて愚かな事をしたのか……。
ちゃんと周りを見回せば、皆私を大切に思っていてくれたのに……。心配してくれていたのに、必要だと思ってくれていたのに……私はアストール先生の事しか見えていなかった。
「……魔石を埋め込んだ私に、先生はまた『失望した』と言ったんだ。それは私の過剰魔法の性質のせいなのか、魔石の魔力は暴走する所か逆に私に吸い込まれてしまっていたからだ」
魔石を埋め込んだ私を、先生の希望をかなえる為に必要なはずの私を、先生はまた突き放した。……絶望しかなかった。もうどうにでもなってしまえば良いと……本気で思っていた。
「最初の内は魔石の力を抑える事が出来ていたのですが、抜け殻になったようなロリア様は日に日に衰弱していきました。それはやはり魔石の力に抗えなくなって行った為だと思われました」
「……死にたかったんだ。何の、役にも立たないなら。アス先生の願いを叶える為に自分の命を捨てたのに……結局役立たずで……」
……消えてしまいたかった。
緩んでいた手が再びきつく締め付ける。哀願するように名前を呼ばれ、同じ様にレイスの名を口にする。私を繋ぎとめようとするかのような口付けを何度も受け、その重なった唇から冷やりとした魔力が流れ込んでくる。段々と熱を持って行くその行為に、顔を逸らした。
「……レイス、もう大丈夫だから……」
私は一体どれだけこうやってレイスに魔力を提供されていたのだろう。いつだってそうだ。魔力切れを起こし体調の悪くなる私に、レイスは自分の魔力を分け与えてきた。
「……衰弱したロリア様に、魔力を送ると落ち着くと気付いたのは偶然でした。ですが強制的にでもこうやって魔力を送ると、ロリア様の顔色が戻るので……」
何度も送ったのだろう。
「それは、レイスが……?」
寝ている姿に抵抗なく口付けされている事を想像してそんな状況ではないと分かっていても悶える。
気になって聞くと、レイスは私から視線を外しそっぽを向いた。拗ねた表情を浮かべたその態度で理解する。レイスだけじゃないな、やはり……ブレイムも?
「人工呼吸ですから。人命救助のためですから。あんなものカウントに含まれません」
憮然として言い切ったレイスを笑ってしまう。吹き出すと恨みがましい視線を投げてきた。
「落ち着きましたか……?」
「ああ、大丈夫だ」
頷いてレイスの手から離れると、椅子に座らされた。隣に座ったレイスにしっかりと両手を捕まれる。
「私の中にある魔石は今、どうなっているのだろうか……」
「分かりません。アストールとその様な話しは?」
「してない。が、やっぱり私に変化がないのでつまらなそうにしていたな。……アストール先生は望みを叶える目処が付いたと言っていた。本当なのだろうか……?」
「それですが……アストールの望みをロリア様はご存知ですか?」
問うたレイスにしっかりと頷くと、レイスも頷いた。
「今まであった事を、全てお話します」
偶然発見された介抱手段……衰弱したロリアを目の前に誰かさんが我慢できずにおいたをしたに違いない




