前
初めてあいつを見たのは、あいつが産まれて一週間後だった。同じ村の隣に住む夫婦に、娘が産まれた。それがあいつだ。
俺達兄弟は、隣夫婦が大好きだった。いつも優しいおじさんと優しいおばさんは中々子宝に恵まれず、俺達を自分たちの子供の様にもしくは弟のように可愛がってくれていた。
そのお隣夫婦に赤ちゃんが授かった時、俺達の両親はもちろんの事、俺達も嬉しかった。まだ四歳ぐらいだったと思うが、それこそ自分たちの弟か妹が出来るかの様に楽しみで嬉しかったのを覚えてる。
そして初めて対面した時、俺は純粋に可愛いと思った。そしてその小さな手が俺の指を掴んで離さなかった時、俺はこの子を守ってあげるんだ。そう幼いながらに誓ったのを今でも覚えている。
「ロリア、可愛いね」
「そうだね」
「ふわふわ柔らかい。ほっぺもぷにぷにだ」
「そうだね」
双子の兄があいつの頬を撫でたり押したりしているのを見ながら、俺はいつも怖くて触れなかった。あまりに小さくてふにゃふにゃとしていて、触ったら壊れてしまうのではないかと言う恐怖が強くて、俺はいつもただ見ていた。
それが、丁度俺が一人しか側にいない時に泣き出して、俺はとにかくどうにかしなくてはいけないと思いあいつの胸をポンポンと撫でたんだ。
するとあいつはその俺の手を押さえて、指をきゅっと握って、泣き止んで……笑った。その姿が、本当に可愛くて仕方なかった。
いつもお隣夫婦があやして笑っている顔より、ブレイが構って笑わせている顔より、どんな顔よりも可愛くて……その時から俺の心の中にロリアはずっといる。
それが、いつからか俺は苦しくて仕方がない。
◆ ◆ ◆
「ブレイ、駄目だよ。ちゃんとロリアにやらせないと」
「なんで? 可愛そうじゃん。こんなに泣いてるのに、小さなロリアには無理だよ」
「うわーん、できないよー」
「ほらね、仕方ないよ。よしよし大丈夫だよ、ロリア」
大きな声で蹲って泣くロリアを、ブレイはいつも慰める。悪い事をしても、ロリアはいつも庇われて、ブレイが謝る。
でもそれじゃ駄目なんだ。ちゃんと、小さくてもロリアにやらせないと。
今だって一緒にボール遊びをしていて、上手く行かなくてロリアが癇癪を起こした。
ブレイはいつもズルをしてロリアを勝たせてあげるけど、僕はそんな事しないからロリアは怒るんだ。それで僕のボールをロリアは池に投げ捨てた。
悪いのはロリアだ。小さくてもちゃんとルールを守らなければゲームは出来ない。そんなの当たり前だ。それなのにズルをして勝てないと泣く。
そして僕が悪いと怒るんだ。そんなのおかしい。でも、ブレイがいつもロリアをそうやって甘やかすから、ロリアはちゃんと謝ってくれない。
僕のボールは池に浮かんだまま、二人は家に帰ってしまった。あのボールは、母さんに貰ったボールだってブレイも知っているのに、僕が大事にしているボールだって知っているのに……プカプカと悲しく浮いている。
ここの池はいざと言う時の為に溜めてある池らしい。僕は良く知らないけど、大事な水だって大人は言ってた。だから、ボールが浮かんでるのはきっといけない。
でもどうやって取ったらいいのか分からない。大人を呼んできて、助けてもらえばいいのかも知れないけど……僕は色々な事を説明するのが苦手だ。
ブレイみたいに大人と上手には話せない。そして、ロリアみたいに大人に甘えるのもへたっぴだ。
僕は周りを見渡して、長い木の枝を探す。見つけた枝は少し重かったけど、これならボールに届きそうだ。
プカプカと悲しく浮いているボールに枝を伸ばしてこちらへ引き寄せる。でも届かない。後もうちょっと……! 頑張って伸びたら、枝が重くてバランスを崩して池へ落ちてしまった。
そんなに深くないから大丈夫。僕はちゃんと泳げるから大丈夫。そう思ったのに、全然泳げない。自分の体が重くて重くてどんどん沈んでいく。
苦しい……死んじゃう!! そう思った瞬間、僕の足元が凍っていた。池の中で立っている。でも、水中だから呼吸は出来ない、どうしよう、そう思ったら目の前の一部分だけ凍った。
夢中でその氷に足をかけると、少しだけ上に上がった。また目の前の一部分だけ凍って、僕は階段を上がるようにどんどん水中を進んでいく。そしてすぐに表面へ戻る事が出来た。
ついでに横に浮いていたボールを持って、凍った池を岸まで歩いた。
その時は何がなんだか分からなかった。だけど、その後からたまに自分の周りで色々な物が凍る事があって、気付いた。もしかして、僕が凍らしているんじゃないかと言う事に。
◆ ◆ ◆
「火事だ!! 何か燃えてる!!」
「えー? ブレイ何?」
「火事だよ!! 村が火事だ!!」
「え!?」
村から少し離れた丘で、ロリアが花摘みをしたいと言うから三人で遊びに来ていた。俺は二人から少し離れた木の下で昼寝をしていて、そんな時ブレイが叫んだ。
慌てて飛び起きてブレイの隣に並ぶと、確かに村の方で煙が上がっている。
「本当だ、煙が上がってる。でも一箇所じゃないね」
「そうだね、何があったんだろう」
「なに? なに? 火事? どうすればいいの? どこが火事なの? パパは? ママは?」
「分からない、でもきっと大丈夫だよ」
「なんで大丈夫って言えるんだよ。そんなの分からないだろ。俺見てくるから、ブレイとロリアはここにいて」
「レイス! そんなの駄目だよ。僕たちがここにいるのは知ってるんだから、ここで待ってようよ」
「もし父さん達に何かあったらどうするんだよ! ここで待ってても何もならないだろ!?」
「でも危ないよ!」
「そんなの行って見ないと分からないよ!」
「うえーん、やだぁー、喧嘩しないでー」
二人で言い争っていると、ロリアが泣き出してしまった。それをブレイは慌てて慰める。
「ごめんね、ロリア。喧嘩してないよ、大丈夫仲良しだよ! ホラね!」
そう言って肩を組もうとするブレイから逃げると、僕は村の方へ走り出した。
「俺は見に行くから! 二人はそこにいて!!」
「レイス!! 駄目だよ!!」
「レイスー!! やだぁーーーー」
怒って叫ぶブレイと泣いて駄々をこねるロリアの声を聞きながら、それでも俺は止まらなかった。
村に戻った結果から言えば、ブレイの言う通り、あそこにいるべきだったかも知れない。だが、今でも後悔はしていない。自分の行動を、悔やみたくない。
村は悲惨な有様だった。至る所から火が出ていて、悲鳴が飛び交っていた。それでも俺は何が起きているのか分からなくて、とにかく夢中で自分の家へ向かった。
俺達の家は、辛うじて家として残っていたが、その隣に立っているはずのロリアの家は跡形もなかった。
地震で崩れた訳じゃない。何かが突っ込んで壊れた訳じゃない。瓦礫さえ残っていないその場所は、魔法で壊されてしまったのが顕著だった。
「どうして……一体誰が……おじさんとおばさんは? 父さん? 母さん?」
俺はひとり言をつぶやきながら、自分の家の周りを探した。だが当然そこには誰もいない。
この時の俺は、とにかく冷静ではなかったのだろう。どう言う状況か分かっていなのに、むやみに動いてしまった。
俺は十歳で、そんな子供がこの状況で冷静になれるはずなどなかった。誰かに話を聞こうと、賑やかなほうへ行けばいいだろうと短絡的思考で悲鳴が飛び交う方向へ向かった。
そして、産まれて初めて俺は出会う。この先もずっと天敵となる……異生に。
初めて見た時の恐怖は、今でも思い出す事が出来る。自分とは明らかに違う生物。それが異種生物だ。
俺が初めて会った異生は魔法に特化した異生だったのだろう。全長が小さくて、背骨のようなものが凄く曲がっていたのが印象に残っている。
そして、人とは違い横に伸びた瞳孔が、俺を見ていた。その青い瞳が、何故だが凄く綺麗に見えて、目が離せなかった。
そして、その瞳が瞬きした瞬間、足元が燃えた。
「うわぁぁぁぁぁーーーー!!」
熱くて熱くてたまらなかった。自分の足が燃えている。痛くて怖くてどうしたらいいのか分からなくて、側で震えていた大人に助けを求めたが、大人はそのまま走って逃げていった。だがその逃げた大人の背中が燃え出して、そのまま倒れた。
あの異生はもう側にいなかった。きっとああやって人に火を付けながら徘徊しているのだろう。どう言った動機か分からなかったが、それに気付いた時、自分の頭が凍ったかのように冷静になれた。
誰かに助けを求めても無駄だ。自分でどうにかしなければ、俺はあの大人のように死ぬ。
気が付いた時には自分の足を凍らせていた。火は消え、俺の足は痺れる。火傷の痛みなのか、氷の冷たさなのか、とにかく痺れていた。痛いのかさえ分からない程感覚がなかった。立ち上がれる様な力は出ない。
そんな時、ロリアを背負ったブレイが俺を見つけて走り寄って来た。
「レイス! だ、大丈夫? 何があったの!?」
「レイス! その足は何!?」
パニックになった二人は俺の側に座り込むと泣き出す。ここに来るまでに村の悲惨な状況を見てきたのだろう。泣き過ぎてロリアの顔は真っ赤だったが、ブレイの顔は真っ青だった。
「お、お父さん達は……」
「……分からない」
「どうしたら……」
「……異生を見た。ここにいたら俺たちも危ない」
「い、異生だって!?」
ガクガクと震える二人。俺はブレイの頬を叩いた。
「レイス!!」
ロリアが非難の声を上げたが、俺はブレイを見る。
「ブレイ、良く聞いて。このままロリアを連れて逃げるんだ。さっきの丘を越えて隣町まで頑張るんだ」
「そ、そんな! 隣町って、あんなに離れてるのに……!」
「でもここにいたら俺達も死んじゃう。だから、早く逃げて! ホラッ!」
「レイス、レイスはどうするの!? レイスを置いて行けないよ」
「俺は大丈夫だから……。ブレイ、ロリアを守って、お願いだよ」
「レイスーブレイーやだぁーーーー」
俺にしがみ付いて泣くロリアを引き離すと、ブレイの背に負わせる。
「後ろを振り返らないで走って!! 俺がどうにかするから!! 走って!!」
俺が叫ぶとブレイは弾かれたように、ロリアを負ぶったまま走り出した。ロリアの泣き叫ぶ声を聞きながら、俺はどうにか立ち上がる。
足の感覚がなかった。だが、動く。左足は力が入らなかったが、右足はどうにかなった。左足を引き摺りながら歩く。
俺が、どうにかしなくちゃ……。
「凍って」
口に出したら、すぐ横で燃えていた建物を凍らせる事が出来た。意識しないで氷を操ることが出来る。倒れている人の背中を凍らせる。
蠢く炎を次々凍らせながら、進んでいく。
人の叫び声が聞こえる方を目指して歩く。あんな生き物に二度と会いたくないと思っていた。だが、その恐怖よりもこの状態をどうにかしなくちゃと言う気持ちばかりが先走っていたと思う。
その結果、二度と会いたくないと思っていた異生と、再びまみえる事になる。
「う、あ……」
怖かった。怖くて仕方なかった。だが、死にたくない。どうにかしなくちゃいけない。俺はひたすら氷を異生にぶつけた。
周りに火をつけていた異生は、俺に攻撃されると、的を俺に絞った。青い瞳が、憎しみを込めて俺を見つめる。右手が燃えた。痛みを感じるより早く凍らせる。今度は左手が燃えた。
怖い。痛い。苦しい。辛い。でも、こいつをやっつけたい。もっと氷をぶつけるんだ。ただぶつけるだけじゃ駄目だ。もっとやっつける為にちゃんとしないと。
無意識に作り出す氷を尖らせる。ただ石の様に丸かった氷の粒をツララのように尖らせぶつける。
「ぎゃっ」
繰り出した氷の粒が異生の右肩に刺さった。初めてダメージの様なものを食らわせた。俺はもっと粒を作り出すと連続で力の限りぶつけていく。
だが、怒りに燃えた異生は、それでも冷静さを失っていなかったのか、氷の粒が異生へたどり着く前に燃やされていく。
「……駄目だ……力が足りない……」
俺の作り出す氷では、炎の壁を越えられない。すぐ目の前まで異生が近付いて来るのを呆然と眺め、じわじわと絶望が襲って来る。
青色の瞳が俺を捉え、俺は衝撃を想像し目を瞑った。その瞬間、誰かの声が響いた。
「諦めたらそこで終わりですよ」
「……えっ?」
慌てて目を開けると、目の前の異生が塵となって消えていく。青色の瞳の片方だけがキラキラと輝き、そのままポトッと落ちた。それはまるで宝石のようで、目が奪われただ眺める。
「なかなか素敵な魔石ですね」
茫然自失の俺の横から手が伸びて、落ちたその宝石を男が拾う。赤い髪の、若い男だった。優しく整った顔が微笑み、俺の手を取って立たせる。
「おや、怪我をしていますね。これは痛そうだ。手当てして差し上げますので、一緒に来てください」
「あ、あなたは……?」
「紹介が遅くなりました。私は、アストールと申します。異生を倒すハンターをしています」
「ハンター……」
「はい」
そう言って男はにっこりと笑った。ティバーのリサーチャー、アストール。これが、俺たちの運命を変えた男との出会いだった。




