#21
異生と言う生き物は、人型だが、人とはまるで違う。
皮膚とは呼べない全身を覆う堅い皮は多種多様な色をしており、口から伸びた牙は顎まで届く事が多く、また伸びすぎた牙が自身に刺さっているような固体もいる。
額には一本二本、あるいは十本と言った様々な角が生え、顔の形は人間のように丸くなくぼこぼこと瘤が生えたりして歪だ。
胴は特筆すべきものはなく、手足も人間と同じような関節を持っているが、個体によってその違いが顕著に現れるのは手足だ。指先から長い爪を生やしているものもいれば、肘から爪を生やしていたりするものもいる。足は人間のような関節を持つものや、四速歩行の獣のような関節をもつ物もいる。
だが、ここに現れたその生き物は、今まで見てきたどの異生とも、違う。あえて、似た生き物をあげるとすれば、それは……私達人間だ。
整った形の顔、角はなく、牙は唇から少し除く程度。爪はしばらく切り忘れただけかと言えるような長さしかない。
手も足も胴体も、人間よりはゴツゴツと堅そうではあるが服を着ていて違和感もない。そして、何よりも、異生には絶対にないはずだった、髪が……伸びている。
「……異生……ですよね」
「私に聞くな」
レイスも聞かされていなかったのか、少し動揺しているようだ。当然私だって驚いている。だが、妙に冷静だ。
それは、その異生の顔が……彼女の面影を残していたからかも知れない。
「カーナか……」
「ロ、ロ、ロ……」
人と同じ様な口をしていても、言語を紡ぐのは難しいのか、その生き物は苦しそうに顔を歪ませながら一生懸命口を開いている。
辛うじて聞こえてくるその言葉は、きっと私を表すもので、涙が浮かんでくる。
「カーナ、カーナ! 私だ、ロリアだ、分かるのか?」
「……ロ、リ……」
両手で顔を覆い、辛そうにしているカーナを見ていられなくて、側に駆け寄ろうとしたのだが、レイスに腕を掴まれた。
「レイス!!」
非難の声を上げたが、レイスは渋い顔でカーナを凝視している。
「駄目です。ウィンの言葉を忘れたのですか? 相手は異生。話しかけても反応はなく、攻撃してくると言っていたはずです」
「だが!! だがどうみてもカーナじゃないか! それに攻撃してこない、私の事が分かってるんだ!」
「そうだとしても……見てください」
「何を……!」
言われて再びカーナの方を向く。
「っ!!」
顔を覆っていた両手の指から、少しだけ伸びていた爪がぐんぐんとありえないスピードで伸び出していた。
留まる事を知らず鋭いナイフの様に全ての指の爪が伸びていく。
「……異生、ですよ」
両手をだらりと降ろし、俯いている。口から少し除いて牙までもが、伸びていく。その他の変化はないが、それでもその姿はもう……人とは呼べなかった。
「……どうして!! どうしてっ!!」
カーナだったはずだ。確かにカーナだった。私を見て、ロリアと呼ぼうとしていた。それなのに、それなのにそのカーナはあっという間に消えてしまった。
私を睨み付けるその瞳は、とても人の物ではなく、獣のように瞳孔が垂直に伸び、獰猛な色を放っている。
「やらないと、やられます。ロリア様、私に魔力を」
「……いや、私がやる」
「ロリア様!? 何を!?」
臨戦態勢に入ったレイスを押しのけると、カーナに向かう。
「ロリア!!」
腕を掴むレイスの手を振り払い、カーナへ集中した。
「いいから見てろ」
自分の過剰適合魔法が、吸収と発散と分かってから、魔力の流れを汲むのが容易くなっていた。
見えてしまう魔力の流れが少し怖くて、意識しないようにしていたが、今は集中してカーナを見つめる。するとカーナ本人の魔力の流れが見える。
カーナの、人としての心臓のすぐ横に、青く光り輝く魔力の結晶が見える。そこから魔力が溢れ、カーナの全身へと行き渡っている。きっとそれが埋め込まれたと言う魔石なのだろう。
心臓から溢れている魔力は、その魔石から流れる魔力に監視されているかの様に、小さく心臓の周りにしかない。
もし、この魔石から溢れている魔力を、私が吸収することが出来れば……カーナは助かるのだろうか。
カーナの体に残る魔力が魔石だけならもうカーナではない。だが、カーナの魔力も残っている。私の知っている、カーナの優しい魔力が、苦しそうにしているのが見える。
だから、今すぐ、私がカーナを苦しめるその嫌な魔力を吸い取れば、カーナは助かるのではないだろうか。
そんな期待が生まれて、私は集中力を高めていく。
「その、汚らしい魔力を、私が全部吸い取ってやる。今すぐ、カーナから出て行け!!」
循環している魔力の一番多いところを探して吸い込むイメージを膨らませる。細い所か取るのではだめだ。一気に吸い込まないときっと意味がない。
人間で言う所の、大動脈に当たるのか、魔石のすぐ近くに太いパイプがある。そこの流れている魔力に噛み付いて吸い込む。
すると自分の中へ一気に汚らしい魔力が大量に流れ込んできた。その瞬間、カーナは胸を押さえ苦しみ出した。
「キィヤァァァァーーーーー」
口から唾液を撒き散らし、頭を振ってのた打ち回る。
このまま全部吸い込んでしまえ! より意識を強め、吸い込みも強くする。だが、最初の勢いは何処へ行ったのか、中々吸い込めなくなってきた。
一生懸命続けようと思うのだが、息が続かないかのように苦しくなっていく。一度吐き出さないと、これ以上吸えないかも知れない。吸い過ぎた為か、気持ち悪くなってきた。
酸欠のように、眩暈がして足がふら付いた。
「ロリア様!!」
すぐ隣にいたレイスに咄嗟に受け止められ、どうにか転倒は免れたが、立っているのも限界だ。
気持ちが悪い。
「キィ、キィ、キィィィィ!!」
もがき苦しんでいたカーナが、動きを止めた。魔力の流れを汲むと、先程よりも青い色が薄くなっている気がする。だが、それでも我が物顔でカーナの全身に張り巡らされている。
とても、全てを吸う事が出来なかった。それでもカーナにとって痛手になったのか、呼吸を整えながら憎悪に血塗られた瞳を、私へと向けてきた。
その殺気に、全身が粟立つ。
「……火に、油を注いだだけだったかも知れないな」
「いえ、随分と力が落ちています。これなら私一人でも倒せるでしょう」
「っ!!」
「それに、怒りによって冷静さも欠いているようです。ロリア様、結界を張れますか?」
「……自分を守るだけなら、どうにか」
自分の中にある気持ち悪い魔力が邪魔をして、上手く集中できないが、結界ならどうにか出来そうだ。
だが……。
「倒しますよ」
心を見透かされたのか、レイスは宣言した。カーナを見つめていた視線を移動すると、無表情のレイスがいた。
「もっと、私が吸い込めば、もしかしたら。魔石の魔力を枯渇させれば、もしかしたら……」
「今、それを実行する事は出来ません。それはロリア様が一番分かっているはずです」
「……レイス、私を連れて逃げてくれないか」
「それはきっと許してはくれないでしょう……来ますよ!」
カーナが跳んだ。長い爪を、私に向け放ってくる。目の前で氷の壁が出来上がり、爪を取り込む。
「お前の相手は、私です……!」
氷に爪を取られ動きの止まったカーナを、レイスは横から蹴り飛ばした。爪が折れカーナが吹き飛び木へ叩きつけられる。
レイスは間髪入れず駆けると、倒れたカーナへ尖らした氷の礫を飛ばした。
「キャウッ!」
短い悲鳴を浴びてカーナは自身を庇ったが、腕や足に何本か突き刺さっている。そのまますぐにレイスはうずくまっているカーナを蹴り上げる。
その一方的な攻撃を観察しながら、念のため自分の結界を張る。流れる魔力を、自分の周りに配置する。厚めに廻らせ、他者からの攻撃を吸収するような魔力の壁。その方が簡単だ。魔力で相手の魔力を弾くより、吸収した方がきっとリスクが少ない。
自分の過剰適合魔法をちゃんと理解したら、こんなにも扱いやすくなるとは思わなかった。確かに昔はこうやって扱っていたはずだ。懐かしい感覚に一気に自分の能力が解放されるのを感じる。
だが、もしかしたら今は発散した方がいいのだろうか。自分の状態がいまいち把握できない。
気持ち悪い異生の魔力が靄の様に邪魔をして、自分の魔力を上手く掴む事が出来ない。さっきは吸い込みすぎて限界が来てしまったのだから、多少発散しないと拙い筈だ。だが、上手く発散する事が出来ない。
私の身体に巻き付くかのように異生の魔力が漂っていて、出て行ってくれない。どうすればいいのか……。
「キィィィイイ!!」
憎しみに満ちた絶叫が響き渡る。防御一身で逃げているカーナが、私の方へ向かってきた。
「ロリア様!」
レイスが後ろから氷の攻撃を仕掛けているが、カーナの足は止まらない。逃げなくては。だが、足が動かない。
カーナであったはずのその生き物は、体中から赤い血を滴らせ、ギラギラとした瞳を私に向けている。
「カーナ……私が憎い……?」
同じように育って、同じように討伐戦に参加して、同じはずなのに、唯一生き残った私。同じはずなのに、カーナは異生となって堕ち、私はハンターとして仮初の自由を手に入れている。
どうして、こうなってしまったのだろう。どうして、私とカーナは、ここまで道を違えてしまったのだろう。
一歩間違えば、ああなっていたのは私だったのかも知れない。
「……憎いのなら、構わない。私を殺したいなら殺せばいい。それで、カーナ、お前の気がすむのなら。だが、私を殺したいと思っているのが異生の意志ならば、容赦はしない。私は、貴様を倒してカーナを救う!!」
足は動かなかった、だが逃げる必要はない。
「ロリア様!!」
レイスの悲痛な叫び声を聞きながら、私の結界が衝撃を受ける。魔力の篭った右手が、どうにか私を突き刺そうと何度も伸びては弾かれる。
その度に、自分の中に気持ち悪い魔力が入り込んでいく。吸収だ。異生が死に物狂いで魔力を放っている為、溢れた魔力を、私の意志関係なく吸収していく。
「くっ」
熱い。気持ちが悪い。吐き出したい。だが、こいつの魔力を吸い続ければきっと……!
「レイスやめろ!!」
追いついたレイスが氷の剣をカーナに突き刺そうとするのを、気力で叫ぶ。
「邪魔をするな!!」
こいつは、私が、絶対に消滅させてやる。絶対にカーナを助けるんだ!
段々と、弱くなってくる攻撃を結界で受けながら、まだ倒れるわけにはいかない。徐々に徐々にカーナの動きが遅くなっていく。
膝を付き、ゆるゆると震える指先が私を捕まえようと伸びてくる。そして、ついにその指先も力を失った。
スローモーションのように、ゆっくりと倒れるカーナを見つめながら、自分の視界も暗くなっていく。
私をしっかりと抱える温もりに身を委ね、私は意識を手放した。
そして、目が覚めた時、そこに、レイスはいなかった――。




