#20
「カーナァー! カーーナーーー!」
声の限り叫んだ。喉がつぶれたって関係ない、そのぐらいの気持ちで叫んだ。
この私の叫びを聞いたからって、カーナが現れるかどうかなんて分からなかったが、それでも力いっぱい叫んだ。
「……ロリア様」
レイスの馬鹿にしたような視線を無視してまた叫ぶ。
「カァーナァー!」
「……この辺に良く出没するらしいと言う報告を受けているだけで、本当にここが巣かどうかは分かりません。それに叫んだら警戒して出てくるものも出てこないと思いますが」
「そんなのどうでもいい。私はただカーナに会いに来たんだ」
「もうカーナではありません」
私の頑な態度を非難するような強い口調にレイスを見る。
「……レイス、まだその態度か? 思い出したんだしもうやめろ」
「ロリア様こそやめたらどうです? その口調」
レイスはふんと鼻で笑って私を馬鹿にした。
「第一全然似てません。ビアンカはそんな中途半端じゃなくもっと高潔な女性ですよ」
「……そんな事知ってる、私だって本当は……大好きだったんだ」
「そうですね」
「……ビアンカは元気か?」
「どうですかね、私は知りません」
「……やっぱりさっきから喧嘩売ってるのか?」
「そうですね、そうかも知れません」
堂々と言い放ったレイスを睨み付けると、逆にもっと冷たい視線を飛ばされる。
そのあまりの鋭さに、私は負けて目を逸らす。そして近くにあった大きい石に腰掛けた。
「……リンダに聞いたぞ」
「なにをですか」
「ティバーに戻るのか?」
立ったまま私を見ているレイスに視線を戻せば、今度はレイスの瞳が逃げている。
リンダが私に話すと思っていなかったのだろうか。
「もう、私の面倒を見る必要は、ないか」
「……そうですね、これからはウィンが側にいます」
自虐気味に聞けば肯定されて、また目をそらす。縋った手を振り払われたような感覚に陥る。
「……そう、か」
その続きが出てこなくて押し黙る。なんて言えばいいのだろう?
私は、お前に側にいて欲しい……と素直に言えばいいだけかも知れないが、過去を思い出した今そんな言葉は出てこない。
私は男としてレイスが好きだ。でも、それは、本当にレイスを好きなのだろうか?
もし、アス先生を模したレイスが好きなのならば、それは……。
その先を考えたくなくて首を振る。
過去を、思い出したくなかった。思い出さなければ私はレイスに強くいられたのに。今までのように傲慢でいられたのに……。
この間までの関係が、あまりに遠くなってしまった。
「……私は戻らなくていいのか?」
「戻る必要はありません。ロリア様はこのままでいて下さい」
さっきまでのきつい口調とはうって変わって、その台詞に温もりを感じてレイスを見ると、そこには悲しそうに微笑んでいるレイスがいた。なぜだか胸がきゅうっとしめつけられる。
やっぱり、私はレイスと一緒にいたい。
「お前も、このままでは駄目なのか? 私はお前に側に……」
「駄目です」
「なんでっ!」
「このまま側にいれば、過去を思い出したあなたを私は追い詰めてしまう。だから……駄目です」
歪めていた顔から一転、無表情で真っ直ぐに私を見ながら言ったその言葉が、心に突き刺さった。
昔の私とレイスの関係は、決して円滑ではなかった。それどころか、私はレイスに嫌われていて、レイスはいつも私の事を忌々しそうに蔑んだ視線を送って来るのが日常だった。
そんな態度を取られれば、当然私もレイスが嫌で、優しいブレイにばっかり甘えていたのを思い出す。
同じ村出身の幼馴染とは言え、その関係は良いものではなかったのだ。
知ってた。分かってた。思い出したのだから、当然理解していた。でも、今の自分達の関係は違うかも知れないなんて思ってしまった。でも、やはり過去は変えられなくて、私達は偽りの時間を過ごしていただけだったんだ。
浮かんできた涙を誤魔化すように私は勢い良く立ち上がると、レイスに背を向け目尻を拭う。言葉では表せない感情が心の中を渦巻いている。
私達は、恋愛に発展するような関係ではない。昔の私なら、レイスの事が好きになるなんて絶対に有り得なかったはずだ。
なら、この感情はなんなんだろう? このレイスに触れたいと思うこの衝動はなんなんだろう?
側にいて欲しいと思う気持ち、今までのように抱きしめて貰いたいと思ってしまう気持ちは……どう消化すればいいのだろう……。
「いませんね。……そう簡単にほいほい現れてくれるような異生だったならティバーも苦労もしないのですが」
「……カァーナァァァァーーーー!」
私は森に向かって再び叫び始めた。今ここで、自分のぐちゃぐちゃな気持ちを考えたって仕方ない。どうせ考えた所で答えは出ないだろう。
なら今は考える時ではないのだ。今までと同じように逃げている訳じゃなくて……今は、他にやる事があるはずだ。
自分で自分を納得させながら、再び叫ぶ。
呆れ顔のレイスを無視しながら、何度目か分からない声掛けをしようと開きかけた口を強引に押さえられる。
「カぁぐふっっ」
後ろからガッチリと抱え込まれ、右の掌で口を覆われる。逆の左手は、私のお腹に回されていて、その近すぎる距離にぞくぞくっと鳥肌がたった。
「レ、レイス」
「しっ! 黙ってください」
耳元で囁かれ、肩に力が入る。
触れたいとは思っていたが、この距離感は心臓に悪い。
お姫様抱っこされたり、自分からしがみついたりと言うことはあっても、こんな風に後ろから拘束されるのは初めてだ。
「……震えていますね……俺が、怖いですか?」
「なん、でっ」
「細い首ですね……」
私の口を塞いでいた手が下がり、今度は喉仏をなぶる。
「簡単に、折れてしまいそうだ」
「レイ、ス……」
耳元で囁いていた唇が、私の耳たぶをかすめ、首筋をなぞる。
「レイ、ス……」
恐怖とは違う震えが身体中を支配する。お腹を押さえられたレイスの左手が、嫌に熱い。氷の男のはずなのに、私の背中に触れている身体も、熱く脈打っている。
「この首を、今すぐへし折ってしまえば……苦しみから、解放されるかも知れない……」
「…………」
「……なんて、阿呆な事です」
「……レイス」
「先ほど、怪しい気配を感じたかと思ったのですが、気のせいだったようです。変なことを申し訳ございません」
今までの拘束がなかったかのようにパッと私から両手を離すと、レイスは歩き始めた。
「レイス! どこに行くんだ!?」
「ここでこのままいても意味はないでしょう。皆の所に戻りましょう」
少し急ぎ足で私から離れ、皆がいる小屋の方へ向かう。私はそんなレイスを後ろから抱きしめ身体で止める。
「……ロリア様」
固まったレイスによりしがみ付き、私はレイスの背に頬を寄せる。
「……すまん」
「……なぜ謝るのですか?」
「分からない。でも、謝りたくなったんだ」
「謝るのは私の方のはずです」
「なんだ、酷い事をしてる自覚はあったのか?」
「そこまで冷血ではないつもりですよ」
レイスはしがみ付いていた私の腕をそっと解くと、振り返った。辛そうな表情をしたレイスが、私を見つめる。
「……少し、頭を冷やしたいのです」
「なぜ?」
「最近の自分は、自分の意志とは関係なく乱れている気がします」
「……うん」
「ですから、今の状態でロリア様をお守りする事が困難です。すぐに戻ります。少しだけ、お傍を離れる事をお許し下さい」
そう言って苦笑したレイスの顔を見て、嘘だと直感的に思う。きっと少しだけじゃなく、レイスはもう二度と私の前に現れるつもりがないだろう。
それでも、私は責める事が出来なかった。平気で嘘を付いているレイスを見て、私は無言で頷いた。
レイスが嘘を付いてまで私の傍から離れたいと思うなら、私はそれを笑って受け止めてやるべかも知れない。
そうか、分かった。仕方のないやつだな……と笑って、納得してやるべきだ。それが、契約者としての、矜持ではないのか。
「そうか。分かった」
頷くと、レイスは驚いた顔をした。なんだその顔は。お前が言ったくせに、私が納得したらそんな変な顔するな。
やっぱり今のはやめたと言いたくなるだろう? だから、お前は飄々と、私の前から姿を消せ。
「……ロリア様……」
レイスが何かを言おうとした瞬間――
『キィィィィィィィィーーーーー』
獣の甲高い叫び声と同時に、木々に止まっていた鳥達が一斉に飛び立つ。静かだった森が一瞬で激しい音に包まれる。
あちらこちらで獣や鳥の声が乱れ、禍々しい気配が近づいて来る。
「来たのか……」
「そのようですね」
バキバキバキと木々が折れる音がする。すぐ近くで飛び立とうとした鳥が、何かに捕まれ「ギィッ」と鳴いた。骨の砕ける音がその空間でやけに響く。
そして、先程までの騒がしさから一転、なぜか辺りは静寂に包まれた。
影に覆われた木の隙間から、手と思われる何かが伸び、足と思われる何かが伸びてくる。そして、ゆっくりとその生き物はその全貌を現した。




