#15
夜も更け、寝ようとした所でドアをノックする音が響いた。
「ロリア様……起きてらっしゃいますか?」
その後控えめに聞いてきたのはレイスだ。私は返事するよりも先に扉を開ける。
「なんだ? どうした? 入るか?」
急に開いた扉に驚いたのか、レイスは変な顔をして固まっていた。
「……なんて格好をしてらっしゃるのですか、何か羽織ってください」
石化から解けたレイスは慌てて部屋に入り扉を閉めると、睨みつけられる。
そして椅子にかけてあったシャツを取ると乱暴に頭から被された。
「そんなおかしな格好をしているか?」
確かに今から寝る所だったからキャミソール一枚だったが……。
「もう少し恥じらいをお持ちください」
「ちゃんと持ってるぞ? ただレイス相手だとどうしてもな」
脱力しているレイスに言い訳すると、レイスは悲しそうに笑った。
「レイス?」
「はい」
「…………」
「…………」
立ったまま無言の状態が居心地悪くて、私はベッドへ座った。
「座っても宜しいですか?」
珍しく聞いてくるレイスに頷くと、なぜかレイスは椅子へ座った。いつも許可を得ないで隣に座ってくるのに、なんで今日は椅子なのだろう?
その、あまり見た事のない雰囲気に不安を覚える。
「……何か話があったから来たんじゃないのか?」
「……はい」
返事をしたくせに、俯いたまま口を開かないレイスをじっと見る。
微動せずじっと俯くその姿は、どう見ても良くない話を言いよどんでいて、話の催促をするのが怖い。
少し伸びた前髪が、レイスの表情を隠している。どんな顔をしているのか分からなくて、その表情を見たくて、手を伸ばしかけたら、レイスがゆっくりと顔を上げた。
緑の瞳が、不思議そうな私を写している。
「明日ですが、ウィンドルフとも契約して頂きます」
「はぁ?」
「状況が変化しました。このままの状態を続けることが困難と判断しましたので、ウィンドルフを受け入れる事にしました」
感情を移さない緑眼の中の私が、とても驚いた顔をしている。それ程近くにいながら、私は今、レイスの気持ちが全く分からない。
「なぁ、レイス。私は、変わろうと思うんだ」
「はい」
「今までと状況が変わったってのが、どう変わったのかわからないがそれはいい方に変わったのか?」
「いいえ」
「そうか。でもな、私は今、変化を求めてるんだ」
「はい」
「それが自分にとっていい変化か悪い変化かなんて、何も知らない私はわかりようがないが、それでもこれからは流されたくない」
「…………」
「今までは、わからなくてもいいって思ってたんだ。でも、それを私は止めたいんだ。色々な事を、知りたい。理解したい。……お前の事も、もっと分かりたいんだ」
私はレイスを見つめる。その緑の瞳は相変わらず私を映している。
じっくりと瞳の中を覗き込むように見つめたのは……もしかしたら初めてかもしれない。
いつもは深く視線が合わさるとすぐにそらしていた。レイスの気持ちを知りたくて、レイスの顔を凝視する事はあったが、いざ目が合うと怖かったんだ。
お互いの気持ちを分かり合おうとするのが怖かったんだ。だって、そうしたら私の気持ちがレイスにばれてしまうかも知れないから。
私はそっと右手をレイスの頬へ差し伸べる。レイスは私にされるがままだ。
見た目より硬くて私のとは全然違うその感触になぜか可笑しくなって笑みがこぼれた。
そして唐突に理解する。私は、レイスが好きだ。ずっと側で守ってくれているレイスが、好きだったんだ。
「……レイス……」
なんて言えばいいのか分からなくて、でもこの気持ちを今はちゃんと伝えたくてじっと緑の瞳を見つめる。
私の手が添えられたままのその整った顔の眉間に皺が寄る。唇を噛み締める仕草が何か辛い事を堪えている様に見えて、私はレイスに抱きついた。
「レイス、教えてくれ。私の事を。お前の事を。ティバーの事を。……私の契約の事を」
「……なぜ、変化を求めたのですか?」
抱きつく私をそっと優しくレイスは包み込むと、椅子に座る自分の膝の上へ私を座らせる。
「ずっと、知らないままじゃいけなかったんですか? このまま私達と一緒にハンターとして活動していたくなかったのですか?」
「違う! 私だって本当は悪い変化なんて望んでない! でも、でも……」
「私が言う通り、疑問など持たずに過ごし続ける事は出来なかったのですか?」
「そんなの出来るわけ! っ、出来るわけないだろう」
「確かに、ロリア様のせいではなかった。あのままずっと過ごして行けるとは私も思っていませんでした。誤魔化していた事がただゆっくりと剥がれて行ってしまっただけですね。ロリア様を騙していた事がばれて来てしまっただけですね……」
「騙してなんて! 騙してたなんて言うな。私は、レイスに感謝してるんだぞ?」
「……何を隠しているのか知らないから、そんな事が言えるんです。本当の事を知れば、あなたはきっと私達を恨む」
「レイス……」
搾り出す声が、震えていて、泣いている様に思えて、レイスの顔が見たい。俯くレイスの顔を強引に上向かせると、そこには、いつか見た事のある不安そうなレイスがいた。
あのヘドベルトの事件の時、異生に変化した男を倒した後もこんな顔をしていた。見捨てられた子供みたいな顔。
どうしてだ? どうしてそんな顔をしている? 今、見捨てられそうなのは私じゃないのか?
「本当ならあなたを……今すぐこのままどこかへ連れ去りたい。でも……でもそれは出来ない……! 俺は……無力だ」
そう言って私の胸に顔をうずめ、きつく、強く抱きつくレイスの頭を抱える。腕の中にいるレイスが愛おしくて、自分の感情が溢れてくる。押さえが利かなくて……私はレイスを求めてしまう。
「レイス。私はお前が……」
好きだ、そう続けようとした言葉はレイスの口の中へ飲み込まれた。顔を上げたレイスが私の頭の後ろをがっしりと掴み――唇が重なっている。
動かずに交わされる口づけが羞恥心を沸きたて、慌てて目を瞑る。
軽く啄ばみ、すぐに離れてしまった温もりが寂しくて、追いかけようと瞳を開けると落ち着きのない緑の瞳が私を見ていた。
「忘れてください。今、ここで起きたこと全て」
「レイス!」
膝の上から私を乱暴に下ろすとレイスは立ち上がり扉へと急ぐ。その余裕のない行為に私は慌ててレイスの腕を掴む。が、その私の手は力尽くで振り払われた。
「っ! ……申し訳ございません。明日も早いですし、もう寝てください。お休みになられようとしていた所押しかけ、ご迷惑をおかけしました」
「レイス!」
逃げようとするレイスをもう一度掴もうかと手を伸ばしたが、その手はレイスの腕を掴むことが出来なかった。
目の前で閉められた扉が無機質に音を立てる。伸ばした手が虚しく、私はその手を握り締める。
向き合えるかと、思った……。だが、その思いは一方通行だったのか?
触れた唇が苦しくて、私はベットへ潜り込むと膝を抱えてうずくまった。
◆ ◆ ◆
「来たね。じゃぁ早速始めようかねー」
次の日、屋敷へ着いた私達を出迎えたウィンドルフはそう言うとさっさと部屋へと先導する。
今日は執事の衣装でも煌びやかな衣装でもなく、以前チラッと見たことがあるハンターの格好だ。ちょっと小汚い気もするが、それは汚れているからではなく使い込んだ衣装だからのようだ。
「お嬢は契約の仕方覚えてんの?」
「覚えてません」
「そう、進行してんね。……お前も原因の一つじゃないの?」
廊下を進むウィンドルフはレイスの方を見てそう言うと溜息を付いた。
「重症だね。意外だよ」
「分かってます」
「心配してるよ?」
「当然ですね」
理解できない会話をどうにか解きほぐそうと耳を澄ますが、どうしても理解できない。ただ分かるのは、やっぱり二人が親しい仲だと言う事だけだ。
「お二人はお知り合いですか? ドア=リーベント様はまさかハンターですか?」
二人の会話にリートが不思議そうな顔をする。
「俺の事はウィンドルフって呼んでねー。きみがリート君か。素直そうでいい子だねー。ブレイムが褒めてたよ~! 今時珍しいぐらい純粋で、熱い子だって」
「ブレイムさんってどなたですか?」
「君が炎の騎士と憧れる相手だよ」
「え! お知り合いなんですか!?」
「そう。戦友、かな?」
ウィンドルフは立ち止まると嬉しそうな顔のリートを乱暴に撫で、レイスを一瞥した。
その視線には反応せず知らん顔のレイスを見て、その戦友の中にレイスも含まれているのかも知れないと思った。
ティバーでの、同期? 氷のレイス……炎のブレイム……風のウィンドルフ……。
『本当、お嬢ちゃんは可愛いね~。さすが――のお姫様だからなー』
『もう! 馬鹿にしないでよね! ウィン兄のいじわる!』
「あっ!」
頭の中によく分からない光景が飛び込んでくる。
一瞬浮かび上がったそれは、何か会話をしていて……怒って見上げた相手の顔は、目の前にいるウィンドルフだった。
私の声に驚いた皆が私を見ている。前にいたレイスとウィンドルフが振り返っていて、そのウィンドルフの顔を凝視する。
確かに、この相手に私は何かを怒っていた。
馬鹿にされて、悔しくて、でも嫌な気分じゃなくて、ただ拗ねていた。
そしてそんな私の相手をこの人はいつも楽しそうにからかっていて……笑ってた。
「ウィン、兄?」
「っ! 思い出したのですか!?」
レイスにがしっと両肩を掴まれるが首を横に振る。
「わ、わからない」
痛いぐらいに乱暴に私を掴むレイスがすごく怖くて、何度も首を振った。
「レイス落ち着け」
掴むレイスの手をウィンドルフはゆっくりと外すと私へ向き合う。
「何で俺の事ウィン兄って?」
「わ、わからない。ただ……ただ、一瞬だけ見えたんだ。髪の短いお前の顔が」
そう、一瞬頭に浮かんだウィンドルフは、確かに目の前にいるウィンドルフなんだが決定的に違う所があった。
私に鋭い視線を送ってくるウィンドルフは、髪が長い。色素の薄い栗色の髪は、長髪という程ではないが前髪は目に掛かり、後ろの髪は肩まで届かないものの耳を完全に隠し外へ向かって跳ねている。
だが、先ほどの笑顔のウィンドルフは耳が出ていた。同じような髪色をしているのに、その長さが違った。
「そのお前の事を、私はウィン兄と呼んだんだ」
「……そうか。うん、お嬢ちゃんは、ちゃんと覚えてるんだね」
さっきリートを撫でたようにウィンドルフは私の頭をガシガシと乱暴に撫でると、また歩き出した。
「ま、待て! どう言う事だ? 私達は知り合いなのか!?」
慌てて追いかけた詰問したが、ウィンドルフは笑いながら肩を竦めただけで答えてくれなかった。
◆ ◆ ◆
「さて、この部屋でこれから契約の儀を行なうんだけど、大丈夫かな?」
大きな部屋に通された私達をぐるりと見回すと、ウィンドルフは私を手招きする。
素直に近くへ行くのは癪だが、ここで駄々を捏ねてもきっとウィンドルフは私の満足のいく答えをくれないだろう。
「じゃぁ、リート君の前に俺と契約しちゃおうか。俺とは前に契約してたし簡単でしょ。リート君はしっかり見ててねー」
「……昔契約してたのか?」
「そうだよ、ティバー時代にね。覚えてないんでしょ?」
私は無言で頷くと、ぎゅっと目を瞑る。覚えてない。
ティバーにいた事は覚えている。でもティバーで何をしていたかは記憶が曖昧で思い出せない。
レイスはいた。一緒の討伐班ではなかったが、確かよく一緒に食事をしていた気がする。
「あぁ……、三人、いたか?」
うろ覚えに浮かび上がる輪郭をどうにか掴もうとすると、なんとなく三人の顔が思い出せる。
「いたよ。俺と、レイスと……ブレイムだ」
「……ブレイム……」
「そう」
先程の会話を思い出す。そう、ウィンドルフが戦友といっていた相手は炎の過剰適合者。氷のレイス……炎のブレイム……風のウィンドルフ……。駄目だ、思い出せない。
首を横に振るとウィンドルフは笑った。なんだか悲しそうに笑うから、私は見ていられなくて顔をそらす。
「ま、無理に思い出さなくてもいいから。直に……思い出すでしょ」
ウィンドルフは肩を竦めると一枚の羊皮紙を取り出した。
中心に円が重なり合った魔法陣が見える。レイスの胸に浮き出ていたものと同じものだろう。
「ちょっと書くよ。リート君見てて」
ウィンドルフはそう言うと一つのペンを取り出した。
「それは、精霊具のペンか?」
「そうだよ、俺たちみたいな過剰適合者用。書いた文字が魔力を帯びるってヤツだね。契約をする際は魔力を込めてサインするけど、俺たちはそんな事も出来ないでしょ? だからその為のヤツ。こうやって、手に集中しながらサインすると……ほら」
インクの出ないそのペンで羊皮紙の魔法陣に何か書くと、ほわっと薄く光文字が浮かび上がってくる。そしてそれは吸い込まれるように魔法陣へ収集された。
「何て書いた?」
「俺の名前。契約の内容はすでに魔法陣に組み込まれているから、後は契約する人物の名前を書くだけね」
「そうか」
そうだ。リンダの時もそうだった。
レイスに適当に説明されるまま「わかった」と言ってサインしたんだ。そして契約した。
「じゃぁ、お嬢ちゃんも記入してよ」
「……内容も説明せずにか?」
私は正面からウィンドルフを睨み付ける。
流されるのは止めた。例え理解できない事だとしても、向き合うと決めた。
理解できないのなら、わかるまで諦めない。
「困ったね」
ウィンドルフはそんな台詞を吐きならが、すごく嬉しそうな顔をしている。
「どうしようねー?」
よく出来ましたと今にも誉め出しそうな誇らしげな顔をしながら頭を撫でられた。
「もう守れれるだけのお姫様は卒業だねー」
本当に嬉しそうに言うから、試されたんだと気付き頭に置かれたままの手を振り払う。
「馬鹿にしてるのか!?」
「いんや、全然。今は馬鹿にしてないよ。この間までは馬鹿にしてたけどね。ちゃんと説明するよ」
私が何も言えずにいると、ずっと傍観していたレイスが近づいてきた。それに倣いリンダも近づく。
「俺が上手に話してあげるよ」
ウィンドルフはレイスに意味有り気な視線を送ると壁に追いやられていた椅子をガタガタと集め出す。
リンダが一緒になって椅子を集め、私達は一息入れる事にした。




