#09
真っ暗な道は嫌だ。なぜだかとても怖くなる。
宿の中や、屋敷の中での暗さは特に恐怖心を煽られることはないのに、路上を歩く時は言い様のない寒気が襲ってくる。
特に、木々の間をすり抜けるのが……たまらなく怖い。
「ロリア様」
「分かってる」
村長の家へ向かう途中、山へ向かう道の奥から異生の気配を感じる。
「依頼のあった異生でしょう」
「……だろうな」
言われていた場所とも一致するし、この異生が問題の相手だ。
異生は夜行性だと思われている。生態が解明されているわけではないが、激しい行動を起こすのがいつも夜だからそう言われていた。
「討伐しますか」
「しないわけにいかないだろう」
私は気配の方向を睨み付けたまま、それでも動けなかった。分かってる、進んで討伐しないといけない事は。でも、動けない。
この道は似ている……。……何に? 何に似てるというのだ?
私のこの恐怖心は、何から沸きあがってくるものなのだ? 私は自分の中の不可解な気持ちを振り払うかの様に首を振った。だが恐怖心は消えてはくれなかった。
「……失礼します」
レイスがそう言ってまた私を抱き上げる。
「……レイス……」
いつもと違って、私はレイスを殴る気力が起きなかった。それどころか抱えあげてくれたレイスにホッとする。
草木をかき分けるレイスにしがみ付きながら、私は目を瞑った。
この村は嫌だ。自分がティバーにいた時の事を深く思い出させる。忘れたいのに、忘れさせてくれない思い出。メアリーの事も出来れば忘れてしまいたい。
ティバーにいて、楽しかった事なんて……。ティバーにいて、嬉しかった事なんて……。ティバーにいて、幸せだった事なんて……一度もない。
そう、一度もないんだ。だから私は逃げ出したのに。あそこには苦痛しかない、ひどい所だったから……私は逃げ出したのに。
同僚と笑い転げて、メアリーと一緒に過ごして、好きな人の話をした……なんてそんな事、なかった。
そんな事なかったなずなんだ……。
◆ ◆ ◆
異生の討伐はあっという間だった。私が何かをする必要もなく、一瞬の内に勝敗はついた。
「対した実力はありませんでした。だからこそ大した被害もなかったのでしょう」
手にした魔石を見ながらレイスがそんな事を言う。
「そうだな」
異生が発生したのに、負傷者がいるだけで死者がいないのがいい証拠だ。
「報告にもなりますし、村長の家に急ぎましょう」
そう言って再び私を抱きかかえるレイスに無言のまま体を預ける。特に私は何もしていないのに、魔力を激しく消費した時の様に体に力が入らない……。
「……ロリア様……」
レイスに呼ばれて顔を上げると、スッと顔が近づいて来る。止める間もなくレイスの唇が私のそれと重なり、温かい魔力が流れてくる。
「レ、レイスっ!」
しつこく唇を重ねてくるレイスの肩を押すがびくともしない。がっしりと抱きしめられ、強く唇を合わされる。流れてくる魔力から、この行為が魔力供給の応急処置だと言う事はすぐ気付く。魔力が著しく低下した相手に、応急的に自身の魔力を移動させる行為だ。
魔力を持っている人間なら誰でも出来る事だ。そして誰でも知っている事……だけど……。
「やめろ!」
私にはどうしてもその人情的行為に思えなくて、激しく抵抗する。
「……暴れないで下さい。すぐ終わりますから」
手を突っぱね抵抗する私を、片手で抱きしめたままもう一方の手で頭を固定され、噛み付くかのように再び深く口付けされる。
「んっ」
深い、深い口付けにより多くの魔力が入り込んでくる。息を流し込む様に入り込んでくる魔力が温かくて、体中が波打つ。
冷たいヤツのくせにその魔力がとても温かくて、体中が熱を帯び、目じりに涙が溜まっていく。
「……もう、いい」
たっぷりとレイスの魔力を吸い込み、のぼせたかの様になってしまった私は力を抜くと再びレイスに体を預けた。
「……大丈夫ですか? 随分魔力を消耗してましたね」
そう言いながらレイスは汗ばみ額に張り付いた私の前髪をそっと払って整える。
「…………」
その行為に対してなんの罪悪感も感じてないレイスを殴ってやりたいと思ったが、魔力を消耗していたのは事実だ。
そしてこうやって強制的にでも補充させてくれなかったら、私は倒れていたかもしれない。実際レイスに魔力を供給されて身体のだるさが消えた。だとしたら当然な行為なのだが……なんかむかつく。
そんな私の気持ちなど知った事かと言う様に、レイスは優しく私の髪を撫で付ける。
「大丈夫ですか? 行きますよ」
レイスはそう言うと木々を抜け、村長への家へ歩を進めた。
◆ ◆ ◆
「これが発生していたと思われる異生の魔石です」
そう言ってレイスは村長へ魔石を見せる。
「おぉ、素晴らしい。もう退治してくださるとは……ありがたい限りです」
生気をなくした、疲れきった老人の様になってしまった村長がそう言って頭を下げるのを見て、メアリーの事が気になった。
「メアリーはどこだ? 私と一緒に来た赤毛の子を見なかったか?」
私がそう言うと村長は首を横に振る。
「分かりません。申し訳ございませんが……私は何も分からないのです」
「……村長だろう?」
「……名前だけです……」
そう言って頭を下げた村長は――本当は何か話したそうにしている様に見えて、私はそのまま無言で村長を凝視する。
村長は私とは目を合わさず俯いていたのが、強い視線を感じているはずだ。ポタッと汗が村長から落ちる。
しばらくお互い無言でいたが、村長は心を決めたのか深く息を吐いた後、語り出した。
「この村は、ティバーの不興を買いました。それから、ティバーの庇護はありません」
「……いつの話だ?」
「2年程前の話です。……組織が変わってしまったかの様なティバーに……私はついて行く事をやめたのです。ですが、村人は誰一人として分かってはくれなかった。確かに、ティバーの庇護なくこの村は存在していく事は難しいかも知れません。それでも……それでも私は、それで良かったと思っています」
そう言って顔を覆う村長に私は近づくと、とても小さくなってしまったような彼の肩にそっと手を乗せる。
「一体何がティバーに?」
ティバーをドロップアウトした人間が聞くべきではないとは分かっていたが、それでも聞かずにはいられなかった。
だが、村長は首を横に振る。
「お知りにならない方が宜しいでしょう。……ロリア様、あなたはそのままで。そのまま、契約の姫魔女として、生きてください」
そう言って真摯な瞳で村長は私を見ると、肩に乗せていた私の右手をそっと両手で包み込む。
「村外れの青い家にメアリーはきっといます。……どうぞ……向かってください」
村長は両手で包んでいた私の右手を額にそっと当てると、「あなた様にリーヴァの加護があらん事を……」そう言って神に祈りを捧げた。
そんな村長に何かを言える訳はなく、私達はそのまま家を後にした。
メアリー……何があったんだ? 二年前、ティバーはどうしたんだ?
状況はおぼろげながら掴めているのに、思考がついていかない。何が起こっているのか分かっているのに……感情が邪魔をする。
信じたくない。残酷な現実を受け入れるのはいつだって辛い。
「……捨てていきますか」
また冷たくそんな事言われて、今度は一笑した。
「そんなこと、出来るわけないだろう?」
ここにリンダとリートを連れて来てしまったのは私。楽しくて優しくて幸せな思い出のあるここに……目を瞑ってしまったのは私だ。
ティバーであった私に優しかったここに、ティバーでなくなった私にも変わらずの優しさを求めてしまった私が……馬鹿だったんだ。
◆ ◆ ◆
村の家並みから伸びた坂道を上りきると、その青い家はポツンと一軒だけ建っていた。ひっそりと佇むその家は、言い表し様のない程哀愁に満ちている気がした。
私の感傷がそう思わせるだけか……手入れが行き届いてないその家がただ寂しく思えるだけか……分からないけれど、悲しくてたまらない。
「少人数の気配しかありませんね」
「……ああ」
暗闇からそっと中を様子見るが、戸は全て固く閉められていて窺うことは出来ない。
「どうしますか?」
「……うん……」
きっと捕らわれたリンダとリート、数人の村人、それにメアリー。そのぐらいしか家の中にいないのだろう。
「強行突破しても問題ないと思いますが」
「……うん……」
いまだに躊躇してしまう自分は救いようのない馬鹿だと思う。それでも、現状を信じきれない心が踏み込む事を躊躇させる。
いつまでも答えを出さない私に、レイスは無言で付き合ってくれている。判断できない自分は、どうしようもない程情けない。
戦っている状況では躊躇うことなど命取りだ。だから呼吸するかのように次の行動を判断することが出来るのに、この場ではゆっくり時間をかけているのにも関わらず決めることが出来ない。
切羽詰った状況でないと判断を下せないなど……笑えるな。
「ロリア様、こちらへ」
思考の渦に飲み込まれていた私は、レイスに腕を引かれ木の蔭へと誘導される。
「動きがあります」
そう言って家に注目するレイスに倣い、私も家を見る。
玄関戸が開き、二人の男が出てきた。
「……本当に成功すると思うか?」
「でも、これしかないだろう?」
耳を集中して、村の方へ向かう二人が歩きながら話している言葉を拾う。
「それに、すごい事じゃないか」
「……そうだが……正直俺は不安だよ」
「……情けない事を言うな」
「……わかってるけど……」
「……大丈夫だよ、これでティバーはきっと助けてくれる」
「……そうだな、結局俺達はティバーなしでは…………」
離れていく二人の声が聞こえなくなった所で私は詰めていた息を吐いた。
「会話からして、やはりティバーに売るのではないですかね」
「……そうだな」
都合よくしっかりと私達の知りたかった情報を話しながら消えてくれた村人を褒めてやりたいぐらいだ。
褒めてやりたいが……遣る瀬無さが募って行く。
「……伝達方法はなんだと思う?」
「はっきりとは分かりませんが、確か昔はこの村からティバーまで特定使い魔があったと思います。それがまだ使える状態なら、まずいですね」
……特定使い魔か。確かにそれはまずい。
特定使い魔とは、その名の通り特定な使い方をする使い魔の事だ。魔法で作り上げた飛べる動物を主に使用する事が多い。
懇意にしている関係の間で文章のやり取りする際に使用される通信手段だ。行き先はその両者間のみで、その速度が早く尚且つ正確な為重宝されている。
遠話具とは違って盗聴される心配がない為、機密内容の伝達に使用される事が多い。
「メアリーがその役目を負っていたと思います」
声のトーンを下げ、少しだけ目を伏せたレイスに胸がいやに震える。
「……恋人、同士だったのか?」
少し気になっていた事を、この際はっきり聞いておく事にした。
レイスを見上げると、レイスの方から目をそらした。
「……過去の話です」
意外な答えに私は慌ててレイスから視線をそらしうつむく。てっきり否定するだろうと思っていたのに、肯定の返事が戻ってきて、自分でも想像していなかったほどの激しい衝撃を受ける。
「……そう、か……」
かろうじてそう答えると、自分で聞いたくせにその先をどうしたらいいのか分からなくなってしまった。
だって否定すると、思っていた。きっと「何を言ってるんです?」そんな返事が返ってくると思っていた。
なのに……実際に出た言葉は過去の事、か……。過去の事だけど、事実なんだな……。昔聞いた噂は、事実だったと言う訳か……。
私は居た堪れなくなって、唇を噛み締めたままうつむいた。あの時、触れたレイスの唇を思い出してなぜだか涙が出そうになった。
魔力供給とは違う、恋人同士のキスか……。そんなの、私は経験したことはない。でも、きっとレイスは違うんだ。
そう思うとなぜだかすごく泣きたい気分になった。息を止められた様に呼吸が苦しくて、うまく言葉が出ない。
胸が痛い。この感情は……いったいなんだろう?
「捕・氷網」
レイスがそう唱え手を伸ばすと氷の網が手から放たれる。そしてそのまま何かを捕らえ手繰り寄せた。
「レイス!?」
私は手に閉じ込められた鳥を見て驚く。たった今話していた特定使い魔だ。
キラキラと光る目が自然の動物ではなく、魔力で作られたものだと言う事を証明している。
「出立した所でした。やはりまだ使用できたようです」
「……ああ……」
危なかった。レイスが気付いて止めてくれなかったら、あっという間に空を翔けティバーに報告に行っていただろう。
そうなれば瞬く間に擁護隊が来て二人を保護されてしまう。
「ロリア様、長引かせても不利です。二人ほど消えたことですし、ここは強行しても宜しいかと」
「…………」
強い口調で述べるレイスに、つい無言で頷いたが、本当にそれでいいのだろうか。
レイス、元は、恋人だったのだろう? その相手と争うことになったとしても……いいのか?
そう聞きたかったが、聞けなかった。もしまた私の思う事と違う言葉が返って来たら……そう思うと恐ろしさに身が竦む。
恋人との再会に、やっぱりメアリーの方がいいと私の手を離されたら……そう思うと体中の力が抜けそうだ。
「突入しますよ」
「……ああ」
気持ちをうまく切り替えられないまま私はレイスに頷くと、ドアを蹴破り突入したレイスの後を追った。




