第20話 グライファンダムでの奮闘 その4
申し訳ありません、、、ちょっとここ最近仕事が忙しくなってきて、投稿期間がいつもより増し増しで空いてしまうかもです。。。(言い訳)
何卒ご容赦くださいm( _ _ ;)m
人間が生活する上で消費する物は、植物のように水を上げれば増えていくわけでも、都合よくその辺を探索すれば見つかるわけでもない。湧いて出るなら、それほど楽なことはないが、当然、呆然と待っていたところで、何も手元には入ってこない。
まずは生産と供給。
生産に関しては、一応、地底湖という資源がある。豊富な水に加え、そこを生息地とする生物も存在する。砂蟹はヒザキが先に口にしていた通り、水中から引き揚げて数時間であっという間に劣化する性質から、外への輸出は難しいだろう。当時のアイリ王国が砂蟹を「特産物」と持ち上げる割に、外国へと輸出しなかったのはそれが大きな要因だろう。故に「観光」と称して、客を自国に呼び込み、現地で新鮮な砂蟹や他の水産物を振る舞っていたわけだ。
そのため一旦、砂蟹については「生産」としては保留扱いになるが、「供給」としては最高品質である。外へは出せずとも、内へは最高の食材として出せる。幸いヒザキがいなくとも、発火可能な道具はベルモンドが持っているし、燃料替わりの木材は地底湖の底に生えている海藻を代用しているから、料理法は確保できていた。海藻、というと全く燃えないイメージが強いが、水中から出してまる一日干すと、これがまた意外と強い年少作用を持つ素材へと変化した。もし燃料の補給がままならなかった場合、この砂漠において代用となる資源はないため、最も近い森林まで足を運ばなくてはならなかった。それを考えると、この点は本当に僥倖というべき幸運だろう。
何にせよ調理が可能な環境は何とか確保できるため、茹でるだけでも頬がとろけるような旨味を持つ砂蟹は何よりのご馳走となっていた。水分を多分に含む食材を今まで口にしなかったアイリ王国の面々は、お陰様でお腹が緩くなり、トイレの回数も大幅に多くなったという副産物があったが、それも嬉しい悲鳴と呼べるだろう。
課題があるとすれば、砂蟹や海藻を含めた地底湖に住まう生物の生命サイクルだろうか。
生まれて死ぬまでの時間。
食物連鎖の代名詞とも呼べる生態ピラミッドを見れば分かる通り、喰うもの喰われるものが存在し、上位消費者になるにつれて個体数は少なく、消費数は多くなる。この公式が崩れると生物というのは絶滅へのカウントダウンが始まってしまうのだ。要は上位消費者が多くなれば、当然比例して消費量も多くなる。その消費量に対して下位消費者の生産が間に合わなければ、下位消費者は食い尽くされ、食うものが無くなった上位消費者はゆったりと絶滅する。
その縮図が過去のアイリ王国でも行われたわけだ。
無限に続くと勘違いしていた水源を欲望のまま扱い、そこに住む生物を枯渇させるだけでなく、環境であるオアシスの水すらも使いつくした。環境を破壊したことで、養殖等による環境再生すらも行えず、ずるずると資源だけが消えていくのを指を咥えて見ていくしかなく、その末路は国有旗を回収し、国土縮小を余儀なくされたわけだ。
せっかく目の前に反面教師がいるのに、それと同じ道をたどる必要はない。
とはいえ、今のグライファンダムに地底湖の中の生態系を調査したり、全容を把握することはできない。水流のない地底湖でヒザキが行方をくらましたことで、ベルモンドはこの地底湖から別の水源へと道が繋がっていると推測を立てているが、だからといって無限に資源が舞い込んでくるとは過信できない。
そのため、当分の間は「生活に困らない程度」に砂蟹や魚を獲り、食すこととルールづけることになった。随分と曖昧なルールではあるが、無いよりはマシだろうとはベルモンドの言だ。
総論として「食料面の供給」は当面、見通し――というよりアテは立った。
後は外部との交渉に使うための「生産」となる資源と、食料以外の「供給」が問題となる。
はっきり言って「生産」面に関しては、このグライファンダムはかなり厳しい。
まず働ける人員が圧倒的に足りていない。その上、過半数が今までろくに栄養も接種していなかった孤児たちなのだ。無理をすれば大人が倒れ、大人が動けなくなれば子供たちは徐々に衰弱していくのは目に見えている。その未来を考慮すれば、あまり大きな事業は行えず、今のように最低限の衣食住を繰り返すだけの暮らしになってしまうわけだ。つまりジリ貧である。
次に資源だが、これも厳しい。
主な資源が賞味期限のあるものばかりで、日持ちするものが何一つ無いのだ。
唯一、可能性があるのは、リーテシアの魔法に呼応するかのように変動する、この空間を構成する鉱物だろうか。鉱物なのか土なのか砂なのかも怪しい、謎の性質を持ったこの空洞だが、魔力制御も未熟なリーテシアにですら、これほどの鋭角な空洞を構築できる素材が周囲にあるのであれば、それは金のなる木といっても過言ではない。実用性もあり、研究材料としても多用できるだろう。
ただあまりにも謎が多すぎるため、考え無しに壁の一部を手に持ち、他国に交渉を持ちかけたところで、相手に興味を持たせる説明ができないのが難点である。その上、リーテシア以外に土魔法を扱える人間がいないことから、彼女以外の魔法できちんと作用するのかの検証もできない。そもそも切り離しても、この地と同じ作用をするのかどうかも不明だ。
サリー・ウィーパとの戦いの最中で、ヒザキはこの場所を「魔素に強く影響を受けている」と言っていたが、それはこの地特有の話なのか、この地に含まれる何かがそういった現象を引き起こすのかによって、話が変わってくる。
その辺りを一つ一つ、皮切りに調査していかなくては、結局のところ宝を上手く扱えずに、逆に搾取されるような下手を打つ危険性もあるだろう。
となれば必然、この件は保留案件となり、それ以外に恒久的に売り出しできる資源はほぼ無いと言えた。残るは水ぐらいだが、ただの水を与えて喜ぶのは枯れた老木のようなアイリ王国ぐらいだ。
人を呼び込むような名所も・・・ない、とは言い切れず、この特殊な空洞は研究者たちの食指を誘うかもしれないが、宿泊場所も接待もできない上に、自衛手段がないまま国内に他国の者を招き入れるわけにもいかないため、やはり観光案も却下になるだろう。
資源に関しては、アイリ王国よりも酷いかもしれない。
グライファンダムは環境こそ、アイリ王国よりも数段上かもしれないが、他国の人間を惹きつけ、交渉材料に使えるものが皆無という――非常に人間社会では難しい問題が恒久的に残ることになった。
残るは食料以外の「供給」についてだが、これについては昨日リーテシアが試した奇形の家もそうだし、トイレの問題もそうだ。そして連動するように紙や布団などの生活品が必要になってくる。優先度が低くても、娯楽や勉学における面も考えていかなくてはならない。
本当に何もかもが足りない。
ゼロからのスタートだ。
だが自発的に動かなくては、この状況は好転せず、やはりジリジリと衰退への一歩を進めることになる。
そうなればリーテシアが想う、この国の在るべき姿からは遠のき、最終的にはアイリ王国ともども地図上から消えることだろう。
「というわけで、俺はちょいと国に戻ることにしたよ」
ベルモンドは現状をリーテシアと共有した上で、そう言った。
課題は山積み、未来は暗雲で日の光すら見えず。
そこに光明を指す一手が、ベルモンドの行動であった。
「国、ですか?」
「ああ、レディナスって国は知ってるかい?」
「えっと・・・確か、傭兵国家って呼ばれてる国、でしたでしょうか?」
「そうそう。あと色んな客層が集まる国だから、商売も盛んなんだよ」
「へぇ~」
興味深そうにリーテシアは目を瞬かせた。
「一応、実家には俺の財産が残ってるからな。そんな中から使えるものを幾つか取ってくる。それと資金だな。ついでに宣伝に使えそうな根でも生えてりゃ万々歳なんだが・・・」
その言葉を聞いて、リーテシアはぴくりと肩を震わせた。
根が生える、という表現は耳にしたことはないが、ベルモンドが商人として貯めてきた資産を崩そうとしていることは理解できたのだ。
「ま、まさか・・・ベルモンドさん、ご自身のお金をここのために使おうとはしてない、ですよね・・・?」
すでに彼にはかなり良くしてもらっている。
その上、彼の個人資産まで切り崩してもらっては、立つ瀬がない。まさにおんぶにだっこ状態だ。
因みに数日前まではリーテシアはベルモンドたちもグライファンダムの一員なのだと思い込んでいた。
それも仕方ないだろう。
彼女はベルモンドとベルゴーが結んだ約定は目にしていないし、その時に知っているのはアイリ王国からグライファンダムへと移住を希望する人は移住してよい、という結果だけだ。
だから一緒についてきたベルモンドたちも、てっきり一緒に住む国民として思っていた。
そのことに気付いたベルモンドが、数日前に勘違いを正してくれたわけだ。
移住に関しては、あくまでもアイリ王国との国家間契約に過ぎず、そもそもアイリ王国民ではないベルモンドたちには適応されないのだ。彼らの籍はあくまでもレディナスにあり、勝手に国を変えるわけにはいかない。連国連盟が設けた祖国終生令が妨げになるのだ。移住したければ、国に莫大な上納金を納めなくてはならない。通例では「その国の平均収入の50倍の額」とされているが、傭兵だの商人だの雑多に平民が出入りし、それなりに貴族が高街に住んでいるレディナスの平均収入はもはや統計不能なレベルで複雑だ。つまり正確な数値は国も把握していない、という状況なのだ。ということは、上納金も正確ではなく、どちらかというと国の懐事情に左右される、という不純なものとなる。そしていつの日も国の懐事情とは貴族らの浪費のため、カラッカラなのだ。言わずとも上納金が破格な値になるのは想像がついた。
だからベルモンドは移住できず、しかし未だ連盟に加盟していないグライファンダムに対して、接触の制限は設けられていないため、こうして一緒にいるのであった。
もっともリーテシアにとってはベルモンドがこの地に商機を見出しているとは知らず、親切心でいてくれているのだと思っている。いつかは恩を何かしらの形で返したいと思っているが、今は貴重な知識人として頼るほかないため、甘えさせてもらっている。
そういう認識だからこそ、これ以上は甘えられないという思考があり、ベルモンドが資産を崩すという発言に対して強く反応したのだった。
しかしベルモンドはゆっくりと首を横に振った。
「いいや? 商人にとって金と商品は命の次に大事なモンだからな。自分のために使うことはあっても、他人のために意味もなく使うことはないぞ?」
「そ、そうですか・・・?」
安心したような、少し寂しいような。
眉を下げて、リーテシアは曖昧にほほ笑んだ。
「そ、あくまでも自分のためさ。芽が出そうな上客を汚れが付く前に囲うのは、商人の手法の一つだからな」
くっくっく、とベルモンドはわざと悪い笑みを浮かべるが、聡いリーテシアも商売に関しては知識――というより経験値もほぼ皆無のため、よくわからないという顔をしていた。
「あっ、でも・・・お金じゃなくて、物とかも一緒ですよ! ベルモンドさんの物をタダでいただくわけにはいかないですっ」
「ん? そうは言うが・・・既に存分とタダで使われている気がするぞ」
「え・・・」
言われて思い返す。
議題に上がっている「紙」もそうだが、孤児院から持ち出してきた食器類や毛布等こそベルモンドとは無縁の物だが、それ以外の生活用品はほぼ彼から提供されたものだ。
火を起こすための着火道具もそうだし、何気に数日同じ食材である砂蟹や魚にアクセントをつける香料も彼からのものだ。
「・・・・・・」
何というか、あまりにも普通にくれるものだから麻痺していたが、改めて思い返すと、かなり図々しいほどにベルモンドから物を貰っていたことに気付いた。
サァーっとリーテシアの顔が真っ青になる。
(な、なんで・・・こんな簡単なことに気付かなかったんだろう)
頭が全くそっち方面に向いていなかった。
グライファンダムをどう改善していくかばかりに視線を向いて、足元の細かい気遣いに思考が回らなかったのだ。
「けどま、こっちもタダ飯食わせてもらってるからな。本来だったら入国料も支払わないといけないし、ここ数日の宿泊料もある。それらと俺の商品を等価交換したって思ってくれれば助かるな。つまり・・・持ちつ持たれつ、ってやつだよ」
数値上の話をすれば、間違いなくベルモンドは損をしている。
今はこの土地にも明確な価値はないし、宿泊場所は劣悪と言ってもいい。入国料は連盟国でない時点で払う義務もないし、砂蟹などの新鮮な水産物はかなり美味いが、ベルモンドが消費した商品の値と比較すればまだ安いと判断できる。これで宿泊場所がマシになり、調理方法を広げて砂蟹などを更に美味い料理として出せばその限りでもないのだが、現時点ではそういう結論になるのだ。
そのことを口にすれば間違いなくリーテシアは気に病み、何とかして払おうとするだろうが、彼女には今はそんな些事に構ってもらいたくはない。
この判断は商人としてはあるまじき判断である。
しかしベルモンドはこれを「先行投資」と考え、損とは思わない。
確かに現時点の物資や待遇だけを見れば損となるが、彼にとってこの国と密接なパイプを持つこと――それが大きな得になると踏んでいる。だからヒザキと結託し、リーテシアたちの助力にいそしんでいるのだ。
先行投資はまだ続くだろうな、と思う。
今回のレディナスへの帰宅もその一環だ。
どこか歯に物が挟まったかのように納得できていないリーテシアに、ベルモンドは笑った。
「ま、気にすんな」
「気にしますよ!」
言いたいことを要約して伝えたが、リーテシアは即座に切り返した。
まあこういう性格なのだから仕方がない。きっと彼女には駆け引きや、誰かを蹴落としてまで利を求めるような判断はできないのだろう、とベルモンドは困ったように笑った。まだ12の子なのだから、むしろその純粋さを喜ぶべきだが、国主となった以上、無垢は免罪符にはならない。むしろ足枷となるだろう。今はそれでもいいが、いつの日か、彼女自身も頼る頼らないの正確な線引きを見極めることができるようになれるよう、祈るばかりである。
「いーや、気にすんな。いいか、嬢ちゃん。これも勉強だ。国を構えた以上、何が有益で何が損益となるかを見極めなくちゃいけない」
「は、はい・・・だから、ベルモンドさんの損になっちゃうんじゃないかって――」
「それはこの国の益じゃなく、俺一人だけの損得だろ?」
「え、・・・えっと」
「いいかい? グライファンダムにいる人間の中で、中立かつ経済に関して秀でてるのは俺だ。自分で言うとかなり恥ずかしいが・・・まあ、商人である俺が最もそのあたりに詳しいし、判断も適切だと言い切れる」
「は、はい・・・」
それはリーテシアも理解している。
だからこうして、問題が生じた際に一緒に話し合い、方針を決めているのだ。
本来であればヒザキも加わってほしいリーテシアだが、彼がいたところで、この分野に関してはベルモンドの意見を聞くほかないだろう。違う点と言えば、こうしてすぐに情に流されて優柔不断に陥るリーテシアの代わりにヒザキが決定してくれることぐらいだろうか。
「んで、こうして現実に色んな問題が降りかかった際に指針を出すのは俺になるわけだ。んで、嬢ちゃんもその判断に違和感もなければ、疑いもないだろ?」
こくこく、とリーテシアが頷く。
「・・・なんか俺って凄いだろ、って自慢してる感じがしてむず痒くなってきたな」
こくこ・・・と頷きそうになったリーテシアは何とか動きを止めた。
危うく、ベルモンドがまるで自尊心の塊かのような肯定をしてしまうところだった。
ジッと見ると、居たたまれなくなった正面の女の子はリーテシアはそっと視線を逸らした。そして膝の上を領土としていたカナはいつの間にか寝込んでいた。道理で途中から静かだと思ったわけだ。すぴーすぴーと幸せそうに寝息を立てる傍ら、涎を盛大に服に流し込んでいるさまは見なかったことにする。
「ごほん、つまり俺が今やってることってのは、嬢ちゃんが大きくなって国政ってのを本格的に背負わないといけない時期になった時のための勉強だと思ってほしいわけだ」
「はい」
そのつもりです、と口をきゅっと結ぶ彼女だが、分かっていない。
厳密に言うと、分かってはいるが、学ぶべき範囲を理解していない。
「言っとくけど、俺が『勉強』って言ってんのは、なにも目に見えることだけじゃないからな?」
「・・・は、はい」
少し悩む素振りを見せたあたり、彼女が学んでいると意識している範囲が「そう」なのか判断に迷ったからだろう。明確に疑問をぶつけてこないところを見るに、最終的にリーテシアの中で「間違ってはいない」という結論に落ち着いたのだろう。
「ほほう、例えば?」
「え゛」
生じた迷いを突っつくと、何とも彼女らしからぬ濁った声が漏れた。声というより、音か。
すぐに思考を巡らせるあたり、やはり聡い子ではあるが、やはり純粋培養なのか真っすぐな視点しか持ち合わせてないのだろう。ぶつぶつと漏れる言葉はどれも「ベルモンドが見せた」ものばかりで、裏や物事の背景を読もうという意識は微塵も感じられなかった。
そして薄々だが、リーテシアも感じているのだろう。
答えではなく、ベルモンドがこういう切り返しをしたことから読み取ったのだろう。これかな、という例えが思いついた表情を浮かべるが、それは言葉に現れず、自信なさげな顔でこちらを見上げるだけで留まったことからも伺える。
そして何度か逡巡した結果、
「すみません・・・分かって、なかったかもしれないです」
と素直な気持ちを吐いた。
テキトーな答えは思いついただろう。
しかしそれを口にせずに、そう答えたリーテシアは成長の伸びしろがかなりある、とベルモンドに思わせるものだった。
内心、笑いながらベルモンドは一つ息を吐く。
「そーだな。分かってたら、きっと嬢ちゃんは俺の資産について口を挟まなかっただろうからな」
「えっ」
とはいえ、さすがにそこに繋がるとは思っていなかったのか、ぽかんと口を開けるリーテシア。
一体何が関係あるのか、と分かりやすい表情だ。
「あーだこーだ言ったけどよ、まああれだ。俺がこれから持ち帰ってくるモンは確かにグライファンダムの肥やしになるだろうし、この国のために消費するものばかりだ」
「や、やっぱり・・・」
「それが目に見える部分、だ」
「!?」
ギョッとリーテシアは目を開いた。
「んじゃ、なんで俺はそんなことをする? 単なる情か? 慈善活動? んなわきゃーない。全く無いとは言わんが、俺は商人だ。目先の人間関係だけで突っ走るような真似はしない。俺だけの問題で終わんないしな」
俺だけの問題ではない、というのはセルフィやヴェインのことを指しているのだろう。
もしかしたら出会ってないだけで、もっと多くの人間にも影響がある話なのかもしれない。
「俺の立場、俺の目的――そういったもんをひっくるめて、俺はレディナスに帰る、って判断したわけだな。となれば――?」
「ベルモンドさんにとって、損じゃない・・・ってことですか?」
「ご明察。ま、何でそうなるのかまでは、嬢ちゃんにはまだ分かんないだろーけどな」
「うぅ、そうですね・・・」
悔しそうに唇を尖らせるリーテシア。純粋培養な彼女の心情は実に分かりやすい。
「とまあ、こんな感じでだ。一見、損してそーな奴でも、頭ん中でソロバン叩いて打算を巡らすやつなんて腐るほどいるっていう勉強だ。俺が今回、帰るにあたって金を請求・・・もしくは出世払いみたいに貸しを作ろうとしたなら、嬢ちゃんも言う通り、俺にとって損が大きいわけだ。けど今回、俺はそんなことを言おうともしなかった・・・だろ?」
食い気味にリーテシアが困ってしまったため、本当にベルモンドが金銭について言及しなかったかどうかなんてことは彼以外には分からない話だが、その辺りは説明する必要もないと省いた。
現にリーテシアは何も疑問に思わず、頷いた。
「そこで嬢ちゃんは学ばなくちゃいけない。何で俺は『何も求めないのか』をだ」
「・・・・・・はい」
「因みに誤解しちゃいけないのは、俺は嬢ちゃんに教える気持ちで接してるから、その行動を信じてもらいたいわけであって、世の中、人を陥れようとする奴ばっかりだからな。俺以外と接したときに、額面通り、何も請求されなかったから何も払わなくていい、なんて容易な考え方にはならんようにな? んなウマい話はそうそう転がってないし、特に商人なんて連中は金にがめつい。足元をすくえそうだなんて思ったら、どこまでもすくってくるような奴らだ」
「む、難しいですね・・・」
「ああ、難しい。だから目に見えない部分ってのを探り、警戒しないといけない。相手が何を考え、何を求めているのかを見極める。そして自分たちの価値を客観的に見定めて、どっちが重いのかを見据えるんだ。そうすれば自ずとどうやって動けばいいか、そのうち分かってくるさ」
正直、12歳の子供に話すような内容ではないが、彼女はただの子供ではないから仕方がない。
特に人が少ない現在、どんな予想外の出来事が起こるか分からないのだ。もしかしたら彼女が単身で誰かと交渉事をする羽目になるかもしれない。そうなった時に少しでも選択肢があるように、少しずつだが教育していく。育ってもらわないと困るのだ。
むぅ、と眉間に皺を寄せるリーテシアを見ながら、ベルモンドは話題を変えることにした。
「ま、そっちの方はおいおいな。これも誤解を生まないように言っておくけど、目に見えない部分を読むことも大事だが、だからと言って目先のことを蔑ろにはできない。目に見える部分も大事だからな。というわけで、誰の目にも見える問題。トイレと紙についてだが――」
その後、十分程度、二人はトイレについて話し合った。
トイレに関しては、しばらくリーテシアが土魔法で作成した土鍋のような器を活用することで、紙の代用としてはどうか、という意見が出た。
要は器に水を入れ、用を足した後に手で局所を濯ぐ――という方法だ。
水は言うまでもなく、地底湖から運ぶことになる。
地上までの階段は非常に長く、水を入れた土製の器もそれなりに重量がかさむだろう。大人であっても重労働とまで行かずとも、それなりに大変な往復になる。加えて力仕事が可能なヒザキは不在、ベルモンドも物資の補給を目的に外に出るため、しばらくは女性二人がかりで運ぶことになるだろう、とリーテシアとベルモンドは言葉を交わした。
「でも途中で足を踏み外したと想像すると、ちょっと怖いですね・・・」
土器を両手に砂蟹のように横歩きで階段を上っていく。
となれば、当然足元は疎かになるわけで――やや急こう配な階段も考慮すると、いつかは誰か足を踏み外して大怪我に繋がりそうだとリーテシアは肩を震わせた。
「そうだなぁ・・・ま、しばらくはミリティアの嬢ちゃんの世話になればいいんじゃないか?」
「あー、・・・風魔法は運搬にも便利そうですもんね」
ミリティアには貴重な魔法回数――いわば魔力を浪費させるようで悪いが、ここは頼らざるを得ないことになりそうだ。頼めばミリティアは迷わず首を縦に振るだろう。それも「任せてください」と言わんばかりの笑顔で。その恭順っぷりにリーテシアは申し訳なさで心を痛めるわけなのだが、かといって代案やこれ以上の安全策はないため、頼るしかない。
いつしか勢いよく積み重なる恩を返せる日が来ればいいのだけど、とリーテシアは無力を噛みしめつつ、両手の指を絡めた。
そこで、ふとリーテシアは「あれ?」と頭に引っかかる何かを感じた。
「えと、ベルモンドさんはレディナスに戻られるんですよね?」
「ああ、足が無いから何日かかるか分からないけどな。ヒザキがいない間に席を外すのは、ちと心苦しいけど、帰りはアイリ王国まで馬を調達して、何とかして早めに戻ってくるつもり、・・・だ?」
そこまで言ってベルモンドも首を傾げる。
はて。
果たして、その道中は安全なものなのだろうか?
そもそも、この過酷な砂漠を戦闘力が欠如したオッサンが一人、生きて抜けられるのだろうか。
「・・・」
「・・・」
二人の疑問は同じらしい。
「ミ、ミリティアさんが同行するしかなさそうですね・・・」
ヒザキを除けば唯一の戦闘要員だ。
そんじょそこらの傭兵よりも圧倒的な強さを持つミリティアなら、たった一人だとしても護衛として十分に役目を果たすだろう。
しかし、そうなると・・・。
「待て待て、そうなるとトイレの件はどうする? ミリティアの嬢ちゃん無しで水を地上まで運ぶのはキッツイだろ」
「で、ですけど・・・砂漠から移動する上でミリティアさんは必須だと思います」
「ま、まあ・・・そりゃそうだけど」
「となると・・・俺がレディナスに行くのを諦めるか、トイレについて代案を考えるか、だな。そもそも嬢ちゃんをここに残して俺の護衛につくのも問題だし、仮に一緒に行くなら最低でも三人で行動する必要があるかもな」
三人、というのはベルモンド、ミリティア、リーテシアのことだろう。
ミリティアはリーテシアを護る役割を担っている。リーテシアを置いて単独行動、というのは誰よりも彼女が許さないだろう。
しかしミリティアがいても、やはり外は危険だ。サンドワームなんかが襲い掛かってきたら、さすがのミリティアも撃退は難しいだろう。その際に果たして、リーテシアに加えてベルモンドをも抱えて撤退できるのか。可能としても、その負担が大きいのは間違いない。
「あ、駄目か・・・そもそもここの扉を開けるには嬢ちゃんの魔法が必要だし、国有旗がある以上、嬢ちゃんがここを離れるわけにはいかないもんな・・・」
土魔法を使える魔法師はリーテシアだけだ。
つまり、地上に出るためには階段に続く扉を開くのも、国有旗に魔法を流すのもリーテシアにしかできない仕事だ。つまりリーテシアが同行するのは、どう足掻いても却下なわけだ。
ともなれば、絶対安全地帯ともいえる、グライファンダムの地下空洞にやはりリーテシアが残る案の方が無難だ。だが、その場合も問題がある。たったいま話題にあったトイレだ。水を運ぶ件に関しては頑張るとして、それを除いても外に出る必要がある。その際に魔獣から身を護る手段は――ミリティアを除いてないと言える。
二人は顔を見合わせ、がくりと肩を落とした。
そしてこの場にヒザキがいれば、ベルモンドの護衛につけるという解決を打てるというのに、肝心の彼は何処へ行ってしまったというのか。
気付けばグライファンダムには「ヒザキにやってもらいたいことリスト」なる不穏な要望書が、軽快に住民の間で出回ることになるのは、すぐ後の話だった。
――また、余談ではあるが、ここ砂に塗れたサスラ砂漠の地。
その地下に広がるグライファンダム。
中から外に出る分には階段先に溜まった砂をミリティアが押し出すため、戻る位置も把握できるが、砂が出口を埋めた状態でどうやってグライファンダムへの道を見つけ出すのか。その手段が全く無いという事実と、それ故にヒザキがサスラ砂漠に戻ったとしてもここまで辿り着きようがない事実が彼らの中で結びつくのは、もう少し後の話であった。




