第17話 グライファンダムでの奮闘 その1
彼方の地、アーリア地方で三顔が同領国土内に姿を現し、暴れ始めたのが7日前。
ヒザキが迂闊にもオアシス――地底湖の調査で遠いセーレンス川の中流へと流されたのが4日前。
サファイアを川で拾い、旅人の宿でヨルンやヒョドリーらとヒザキが出会ったのが3日前。
レイシャと三顔が衝突し、陽動を任されたはずの彼女が三顔を倒したのが2日前。
そして現在、リーテシアらグライファンダムに身を置くものたちは、幾つもの危機的状況に追い込まれていた。
ヒザキが姿を消して4日が経過し、気を取り直したはずのリーテシアは既に心配を隠せないほど意識が散漫な日々を過ごし、さすがのミリティアやベルモンドたち大人組も言葉にせずとも何かしらの手をうつべきかどうかを勘案していた。
ラミーやサジは変わらず、魚を食って腹を満たせば、湖の中心にある岩場に向かって石を投げ続けている。
一見、自分たちのことばかり優先して動いているラミーたちに見えるが、この「何もない」空間で何かしらの目標を持って自発的に動くことはリーテシアから見て何よりも羨ましいことだった。
「ヒザキさん・・・」
ヒザキが姿を消す前に取り決めた役割として、リーテシアは建築関連を指定されていた。
自動魔法付与に加え、複数属性魔法師であるリーテシアは、自身の魔力を完全に掌握し、使いこなすことが急務であり、それが出来ない状態で無暗に魔法を使えば、正直何が起こるか分からない。特にグライファンダムの空間を構成する土地は、何故だか彼女の魔法に強く干渉を受ける。そのためリーテシアが軽い気持ちで魔法を放ったとしても、何倍にも増幅されて結果が返される危険性があるのだ。その結果が彼女の想像を超え、それを見て動揺すれば、当初のイメージは動揺というフィルターに上塗りされ、どういう変化に繋がるか予想もできない。故に彼女はヒザキと共に魔法の練習をしつつ、その力を以って居住区を整備していく予定だったのだが・・・肝心のヒザキがいない今、リーテシアは手持無沙汰な日々を送ることになっていた。
国有旗を立ててから昨日に至るまで、タイル状の堅い地べたで寝泊まりしていたわけだが、布を敷いているとはいえ、全員が体に不調を訴え始めていた。合わせて、四六時中、全方向から光が放たれているこの空間は時間に関係なく変わらない光度を保っている。それが人間の体内リズムを狂わせ、目を閉じても瞼の隙間から光が入ってくる夜を過ごすのは、かなり精神的に負荷をかける環境だったのだ。次々と体調不良を訴える話がリーテシアの耳に届いてきた。
リーテシアはそれを受け、ミリティアに協力をお願いし、ヒザキが不在でも魔法を使い、家状のものを作成することにした。
ベルモンドから居住区とそこに建てる家、設備などを何枚かの紙に細かく書いてもらい、さっそくミリティアに監督してもらう中で土魔法を使用した。
想像するは、ベルモンドの記載した区画に造る予定の箱状の四階建て建造物。
階ごとに寝所と幾つかの空の部屋を設けた、シンプルな造りだ。問題は建物の内部に、この空間のような光源を調整できるかどうか。寝所は暗く、それ以外の空間は明るくしたい。本来なら小さな物を対象に錬金を繰り返し研究し、訓練と想像を我が物にしてからすべきことなのだが、既に問題として浮き上がっている以上、のんびりは構えていられない。
念のため、国民たる孤児院の子供らやベルモンドたちには離れた場所に待機してもらい、リーテシアは気合を入れて床に両手をつき、土魔法を発動させた。
床に描かれた魔法陣が砕け、床と同化していくように溶け込んでいく。そして同時に、彼女が頭の中で思い描く建造物をなぞらえるように、床を構成していた光る土が盛り上がっていき、次々と壁や床を形成していくのが目の前で行われていった。しかし、地面から一メートルもしないところで徐々に勢いが削がれ、土魔法による変化は動きを停めてしまった。
首を傾げたリーテシアだが、数日前、建国したての時に国有旗を刺した場所の周囲を「孤児院を想像した」箱家を構築しようとして、中途半端な形で終わってしまっていたことを思い出す。
リーテシアはすぐにミリティアにそのことを相談した。
内容は無論、国有旗に触れながらの土魔法を発動させることだ。
ミリティアはその相談にかなり難色を示した。ヒザキがその手段を禁止した経緯もさることながら、この「空間」を作り出したのが、国有旗に魔力を注ぎ込んだ時のリーテシアの魔法だからだ。
つまり、下手を打てば同規模の何かが起きる可能性があり、人智から外れた事故に繋がる危険性がある。もちろんリーテシアもその危険性は理解しているし、国有旗のある天井の空いた箱の中に連れて行ってくれれば、皆には内部よりも少なくとも安全な外で待機してもらえれば・・・とお願いしたが、ミリティア含め全員が首を振った。
「リーテシアさんだけを置いて避難するだなんて論外です」
ミリティアは強くそう言った。
しかし住民の生活水準が悪化しているのも事実。それは同じ住民であるミリティアも感じていた。既に現状は腹に背は変えられない状況。悠長にヒザキの帰りを待ち、リーテシアの特訓を経て――という段取りを待っていられる問題でもないのだ。
ミリティアはリスクとメリットを天秤にかけ、苦渋の末、リーテシアの策に乗ることにした。
彼女はリーテシアのすぐ傍で待機し、何かあればすぐに抱えて脱出できるよう体制を取ることにした。
二人は湖畔側に近い、この空間の中心にある国有旗。それを囲む箱の前に移動した。
この箱は窓がないため、中に入ると外の様子が分からない。ミリティアはリーテシアに付き添う必要があるため、離れていたベルモンドを呼んで、箱の外側で待機してもらい、二人の目になってもらうことにした。
「おっし、任せておけ。しっかし、この位置だと建物を作る予定だった区画から大分離れちまうけど、お嬢ちゃん、大丈夫なのか?」
ベルモンドの疑問は当然で、今までリーテシアが扱ってきた土魔法による操作は全て可視範囲でのものだ。目に見えた範囲で、その変化を確認しながら魔法を扱ってきた彼女にとって、窓のない箱の中で、しかも遠く離れた場所に、今までで一番複雑な建造物を構築できるかと問われれば、全く以って自信が無かった。
優れた空間把握能力と、想像力を絶対的に必要とする作業になることだろう。それだけならまだしも、遠隔地まで魔法の影響を伸ばす場合の、魔力操作も彼女は理解していないのだ。もしヒザキがこの場にいれば「無茶だ」と止めることだろう。
目となってもらうためにベルモンドを呼んだものの、そもそも自身の魔法で遠距離かつ不可視の場所に正確な建造物を構築できるかまでは考えが至ってなかった。落ち着いて考えれば、すぐに思い当たりそうなものだが、予想以上に国主としてのプレッシャーがリーテシアにはあったのかもしれない。
「ぅ・・・」
リーテシアはその問いに根拠ある回答を返せず、困ったようにミリティアとベルモンドを見上げた。
ベルモンドは顎の髭を指で遊びながら「そうだなぁ」と周囲を見回した。
「お嬢ちゃんの魔法を使えば、造った建物も別の形に作り直せるんだろ?」
「た、多分・・・大丈夫だと思います」
ここで造る建造物は、この空間を構成している特殊な土を再構築して造られる。
つまり更に再々構築することだって理論上は可能なはずだ。そう思い、リーテシアはコクリと小さな頭を縦に振った。
「だったらあっちの区画で造る予定だったもんを、近場でつくりゃいい。どうせきちんとした街づくりは、かなり下準備が必要だからな。それまでの『つなぎ』として考えりゃいいさ。それだったらいけそうか?」
「は、はいっ、外が見えないのは不安ですけど、多分・・・いけるんじゃないかと思います」
「外が見えない? ・・・ああ」
リーテシアの不安に眉をひそめたベルモンドだが、すぐに目の前の箱型を見上げて思い当たる。
硬い壁を指でコンコンと鳴らし、ベルモンドは「こいつに小窓みたいのは作れないのかい?」と尋ねた。つい先ほど再々構築の話をしたというのに、その可能性に思い当たらなかったリーテシアはハッとし、すぐに「やってみますっ」と意気込んで、壁に手を触れて魔法陣を発動させた。
一瞬、ミリティアが「もっと慎重に・・・」と言いたげに手を伸ばしかけたが、リーテシアがあまりにも早く動いたため、困ったように眉を下げつつ、その手を下げることになった。
放った土魔法はすぐに効果を出した。
切り取った、というよりは一部分が伸縮して小窓となる空間を作った、という表現が正しいだろうか。
ここ一帯の土の質量はどうなっているのか不可解だが、何はともあれリーテシアの想像通りに壁に四角形の覗き穴が構築された。
「で、できましたっ」
「おおー」
「ほっ・・・」
成功に顔を綻ばせるリーテシア。
ベルモンドは素直に称賛し、ミリティアは胸元に手を当てて安堵の息を漏らした。
「リーテシアさん、魔法を使用する際は私に一声おかけください。何が出来るわけでもないかもしれませんが・・・それでも心構えがあるのとないのでは、一瞬の隙が生じるかどうかの違いを生むことがあります」
「ご、ごめんなさい・・・」
「いえ、貴女がここに住む者のために早く手をうちたいという想いは強く伝わっております。私もその一助を全力で努めさせていただきますので、どうか焦らず・・・共に手を取って一歩ずつ進みましょう」
「は、はいっ!」
ミリティアが暗に「私たちもいるのですから、あまり焦らず頼ってください」と言っていることを受け、リーテシアは自分を理解し、手を差し出してくれる人がいるということを再認識し、照れたように微笑んだ。つられてミリティアも優しく微笑み返してくれた。
「一応小窓が出来たからといって、全容が見えるほどの大きさでもないからな。予定通り俺はここで様子を見ておくぜ」
「ありがとうございます」
「宜しくお願いいたします」
ベルモンドの言葉に女性二人が礼を返し、彼は照れたように「任せておけっ」と力こぶを作って笑った。
「それでは中に入りますね」
「はい、ありがとうございます」
ミリティアはリーテシアを抱え、二メートルと少しある壁の側面を一度蹴り上げ、容易に乗り越えて国有旗のある箱の中に降り立った。このやり取りも数回目だ。国有旗は二日ほどで内包した魔力が抜け、その役割が停止してしまうため、定期的に土魔法を流す必要がある。
かれこれ四度経験していることから、ミリティアに抱えられてここに入る流れは二人とも慣れてきており、手慣れた動きでミリティアは壁際に待機、リーテシアは少し歩いて国有旗へと近づいて行った。
箱の中に鎮座する国有旗は、内部に流れた魔力に連動してヘンリクスが起動しており、表面に刻まれた溝から淡い青白い光が漏れ出ていた。周囲が影になっているせいか、その光は幻想的に見える。これで天井も閉じ、完全な暗闇にすれば、もっと綺麗に映ることだろう。
「そういえば・・・よくよく考えれば、ここは内部が光ってないんですね」
「そうですね。リーテシアさんの想像、箱の家というイメージがそういった構造を生み出したのかもしれませんね」
「はいっ」
となれば、グライファンダムの内壁と同じ材質であっても、その光源を調整することは可能だということだ。
リーテシアは一つの難題に答えを得たと感じ、ふんっ、と鼻息を漏らして再び気合を注入する。
「それじゃ・・・やってみます」
「はい。少しでも異常があれば、貴女を抱えてここからだ脱出しますので、多少手荒な形になりますことを予めご了承ください」
どこまでも生真面目なミリティアに苦笑しつつ、リーテシアは正面に国有旗、そして先ほど造った小窓を見据え、ゆっくりと国有旗に振れた。
設計図は頭の中にある。
後はそのイメージをブレさず、忠実に土魔法で再現すること。
一つ深呼吸。
そして彼女は目を見開いて土魔法を発動させた。
一気に国有旗の内部へと魔力が吸い取られていく感覚。建国後、何度も経験した感覚だ。
しかし今回は国有旗の稼働のための魔法ではなく、国有旗の機能――突き刺さっている地表との接点から、地下へと波紋状に広がっていく力を応用する。国有旗を介して通した魔法は増幅され、その威力を信じられないほどまで底上げしてくれる。
この特性は戦場においても優位性を持ちそうなものだが、元々製法は秘匿され、現存する国有旗は各国が保持する分と、過去アイリ王国が手放した砂漠の領土分が何処かに散らばっている程度だ。軍事利用する分は正直残されていないのだろう。また、あくまでも国有旗は一国の領土を示すために使用されることが連国連盟によって定められているため、それ以外の用途で使用した際は、連盟の敵と認定され、各国から指名手配されるという最悪の刑罰もあるため、未だ戦闘で用いられたという話は出てこなかった。
足元に魔力の波動を感じる。
その流れを自分の意の通りに捻じ曲げ、リーテシアは頭の中のイメージを小窓の先、開いた土地に思い描いた。
ゴゴゴゴゴ、と地揺れと共に勢いよく、地表を構成する土がせり上がり、建物を成していく。
「おおっ、いいぞお嬢ちゃん!」
ベルモンドから肯定的な言葉が届き、安堵する。
というのも、せっかく作った小窓だが、けっこう近くに建物を造ろうとしてしまったため、小窓の前に壁が出来上がり、早速意味を成さなくなってしまったからだ。
しかし、ここを囲う箱の高さは二メートルを超える程度。
すぐにその高さを超えた質量が頭上に姿を現し、リーテシアとミリティアはその存在を見上げた。
想像した通りの窓と壁が視界に入り、自分の魔法が順調に進んでいることを理解した。
これはいける! とリーテシアは過程を見上げて息を巻いた。
それがいけなかったのか、順調に粘土を引き延ばしては固められていった建造物が突如、妙な形に変形してしまった。口では形容しがたい、一部は楕円系のような形にゆがみ、一部は円錐状へ。ウニの棘のように、何本かの棒状に変化した土が、天井まで伸びていき、最終的には天井と接触して同化するなど、ミリティアが慌ててリーテシアを抱え上げて、地面との接触を断つまで、その変化はリーテシアの意志とは反した形で続いて行った。
「あ、あれ?」
結果、出来上がったのは何とも奇抜な建造物であり、それを見上げた皆は何かを言葉にしようとするが、適切な言葉が思い浮かばず、ただただ呆然とするのみであった。
「リーテシアさんっ!」
そしてリーテシアは急激に体内の魔力を使い果たしたため、魔力切れを起こしてそのままミリティアの胸のなかで意識を失うこととなった。ミリティアは急いで国有旗から彼女の手を離させ、お嬢様抱っこのように抱え込み、二度壁を蹴ってその場から撤退した。
それが昨日の出来事である。
前衛的かつ奇抜で、全く利便性の欠片も持ち合わせていない建物だが、幸いにも二階までは通常の家と呼んでも差し支えない状態で保存されていた。三階からはもはや内部も歪みすぎていて、人が立ち入ることすらできない状態だったため、ベルモンドの指示のもと封印指定された。
さらに嬉しいことに、国有旗の箱の内部を見てリーテシアが強く「意識」と「認知」をしていたためか、建物の内部は光を帯びておらず、窓として開けた穴から差し込んでくる光以外は、影が出来上がっていた。
それだけでも大成功だ、とベルモンドたちは喜び、この建物は二階までを全て「寝所」として扱うことが決定した。
二階は子供たちとレジン、一階はリーテシアとミリティア、ベルモンドらが使用することになった。
広さは正直、この人数でギリギリなのだが、別の区画や三階より上を再構築するのは危険と判断し、これ以上の建築は行わないことにする、と満場一致で可決された。
だが困ったことに防音どころか、音を反響しやすい物質として生成されたようで、昨日の夜、ベルモンドの凶悪なイビキが不協和音のように壁から壁へと反響し、大音量となったことから、ベルモンドだけはこの家に足を踏み入れることが今朝、決定した。
ベルモンドは一人、勝てない戦いを挑む勇者のように抗議をしたが、彼以外の全ての人間の総意の前にその抗議は踏み倒されることとなった。
「そ、その・・・ヒザキさんが帰ってきて、色々と練習したらベルモンドさんの家も建てますのでっ! それまで我慢を強いることになって申し訳ないです・・・」
と今朝、魔力切れから復活したリーテシアがフォローに入るが、最後に小声で「ちょっと遠い位置になるかもですけど・・・」と目を逸らしながら呟いたところから、彼女自身、ベルモンドのイビキには耐えきれなかったことが伺える。しかも魔力切れで十分に体が動かせず、耳を塞ぐことすら叶わなかった彼女には、相当な試練となったのかもしれない。端っこ孤児院は個室とはいえ、子供部屋までイビキが届かなかったところから、遮音性には優れていた建物だったのだと今更ながら彼女は思った。
「くっそー、ヒザキめ。これで何の手土産もなく、帰ってきたら馬車馬のように不在分のツケを払ってもらうからなぁー!」
ベルモンドはそんなことを言いながら不承不承、現実を受け入れた。
寝所については一部の不満を除いて、とりあえずは解決したと言えよう。
しかしこれは一部の問題の一時しのぎであって、他の問題は次々と顔を出してきた。
火急の問題は、やはり初日から数日の間でも話題になった、トイレである。
というかついにベルモンドたちが元から持っていた紙が切れそうなのである。
リーテシアは寝所の件が終わるや否や、そのことを告げられ、早々に対応策を求められることとなった。




