第16話 終戦・・・?
深い、深い闇の底。
足は地に着かず、海の中でも、宙に放り出されたわけでもない。
延々と続く無形の世界。形を為す者は己のみ。しかし存在する者が己のみかと問われれば、それは否と答えるべきだろうか。
『・・・・・・』
感じるは、器から零れた思念。
元は肉体という器に収まっていた何かが、この空間には幾つも漂っている。
目視では確認できない、その何かは絶えず語り掛けてくる。それは隣人に話しかける鷹揚としたものでもなく、友人とするような気軽さでもない。母が子に優しく言葉をかけるわけでも、父が厳しく道を示すようなものでもない。
混沌とした何か。
これらを模るとしたら、無数の手、という表現が正しいだろうか。
決して光に照らされた存在ではなく、負の感情に染め上げられた地獄の窯より浮かび上がった無数の手。
そういう形が相応しい。
『・・・・・・』
ゴッ、と石が割れたような鈍く硬い音が鼓膜に届く。
それは空気の振動から伝わった音ではなく、体の内部から伝導してきた音なのだろう。
故に音と共に、自身の体に何が起こったのかも理解できた。
ああ、右腕が持って行かれたのか、と。
右腕、上腕部がまるで石細工のようにひび割れて、その先が消失していた。
おそらくこの闇に潜むいくつかの思念に連れていかれたのだろう。
闇の中に埋もれていった右腕は、きっともう何処にも存在しないのだろう。
『・・・・・・』
痛みはない。
だがここは優しい世界などではない。痛みがないからこそ、我が身に起こった欠損の重大さが薄く感じられ、その事実が恐怖心を駆り立てる。
気付けば、徐々に全身が表皮から筋肉、血管から体組織、骨へと順々に削り取られていくのだ。最後には内臓まで到達し、余すことなくこの身は闇に潜む何かに持って行かれることだろう。その未来に怖気が立つものの、何ら抵抗も取れない。
全身が蝋で固められたかのように、一切の動きが取れないのだ。
その様子を良しとするかのように、無形の手は何とも気軽にこの肉体を弄んでくる。
『・・・・・・』
ミシミシ・・・ベキッ。
ゴリッ、ゴリ・・・ゴッ。
ギリギリギリ、ギッ――ギギッ。
様々な音色をたてながら好き勝手に破壊され、一つ一つ漆黒の闇沼の中へと溶け込んでいく。
既に両の腕はなく、足に関しては指から脛にかけて小刻みに分解されている状態だ。
脇腹も抉られたように右側が消失しており、視界がどうにも悪いと思ったら左目もいつのまにか刳り貫かれていたようだ。
鏡を通して自身を刮目すれば、それはそれは卒倒してしまいそうな状態であることだろう。
『・・・・・・、っ』
そろそろいい加減にしろ、と声を出そうとした瞬間。
口を開く瞬間を待ってましたと言わんばかりに、舌を引っこ抜かれた。
舌が根本から分離していく感覚は、痛覚がないせいで不気味なものであった。食道から胃まで、口腔を通してせり上がってくるような違和感に、鳥肌が立つ。しかし実際に胃まで口から引き抜かれるわけではなく、舌の根元が他の体と同様に、乾いた地のようにひび割れ、そこから先を持って行かれただけのようだ。
残った右目に映ったのは、そんな断面をした舌が闇の中に消えていく姿であった。
なるほど、喋ることすら許されないのか。
そんなことを自嘲気味に考えていると、不意に無形の世界に何かが奔るのが見えた。
それは生物ではなく、嵐に地上を焼く雷流のように見えた。
紫雷。
そんな言葉が自然と浮かんでくる。
菫色の雷はまるでこの闇を払うかのように、不規則に奔っていく。
見覚えがある。
アレは・・・何だったか。
思い出そうと自身の邪魔をするかのように、ひときわ大きい不快な破壊音が鼓膜の裏側に鳴り響いた。
今度は盛大にやってくれたらしい。胴から下が虚空に吸い込まれていった。
『・・・・・・』
諦観の波が襲い掛かる。
今更何を足掻こうと言うのか。
もう歩むべき未来は決定され、落ちるべき結末は見えているというのに。
『・・・・・・ご、ぐふっ・・・』
あまりにも自身が滑稽に思え、笑おうとしたら、予想以上に変な音が漏れた。
そういえば舌を抜かれていたのだった。
砕けた石膏のような断面からは血液など出ていない。故に傷口から血液が喉に流れてくることはないはずなのだが、どこか溺れたかのように呼吸がままならなかった。
痛みはないが、息苦しさは感じる。本当にボタンを一つ違えたかのようなチグハグさに嫌気がさす。
不意に。
瞬きの間に世界が眩く、光輝いた。
それが遠目に見えていた紫雷が目前に迫っていたのだと理解するには、あまりにも時間が足りなかった。
『・・・――っ!?』
視界に広がる色が反転し、白く、そして懐かしいと思わせる感情が沸き上がった。
――、・・・ろよっ!
――・・・られるよぉ・・・。
――これは・・・ん・・・・・・。
どこか遠くで声が聞こえた。
聞き覚えのある声だ。しかし誰のものだったかは明確に思い出せない。
ああ、だが何故だろうか。
心中に後悔と悲しみが滲み出るが、それを上回った喜びという感情が欠けた体に充満する。
懐かしい。ただ偏に懐かしいのだ。
この懐かしさを何故、喜びと表現するのか。郷愁の類ではない。これは――二度と戻らないと理解しているからこそ、愛おしいと思える「懐かしさ」なのだ。
『・・・・・・ぁぁ・・・』
そうか、と息を吐いた。
自分たちは誤ったのだと今更ながら気づいた。いや、思い出した。
もう後戻りはできない。一度踏み込んでしまったこの世の理は、決意して歩んだ道を引き返すことを許さない。
だから突き進むのだろう。
自身も、この無形の世界に混濁した思念も。自身の犯した罪に気付かず、存在するために足りないものを互いにつぎ足し、不安定かつ無価値な存在として稼働し続けるのだ。そこに目的も矜持もない。ただただ多くの思念が必死に存在するために混ぜ合わせた「人格」のもと、「自分はここに存在しているのだ」と主張をするのだろう。仮に表面上は目的を取りつくっていようとも、それはガラス細工よりも脆い偽物だ。これには何の目的もない。ただ目的がないと存在意義が見いだせないから、混ざり合った思念からそれぞれ欠片を吸出し、それをくっつけて、それらしいものを作り上げているだけに過ぎない。
何とも無様で醜い存在なのだろうか。
そして消失する寸前までいって、ようやく思い出した自分も何と情けないことか。
(俺は、僕は、私は、・・・ふっ、呼称すらも何が真の自分のものであったかすら思い出せない、か)
世界を覆う紫雷。
これに身を触れれば、人という種は自我を保つことは不可能に近いだろう。
一つの個体が相対すれば、即座にその存在は飲み込まれ、数多の塵の一つとして消え失せるか、それとも全く別の何かに生まれ変わるか、だ。
しかし、人は独りでは惰弱な生き物だが、複数いれば相応に意志が強くなる傾向がある。
もし仮に・・・一人では耐えきれないこの紫雷に複数の人間、それも互いに顔を知っている人間が相対したらどうなるだろうか。
(・・・つまらない、興味本位だったのだ。ああ、超えてはいけないと先人が定めた線を・・・軽い探求心などで跨ってはならなかったのだ)
何者かの姦計であったとしても、それは理由にはならない。情状酌量は感じるかもしれないが、免罪符にはなり得ないのだ。
世界の理に触れた罰は、人の世のそれとは次元を画す。それに巻き込まれた人間からは天災のように感じるほどの理不尽となって、その罰は具現化されることだろう。
(あと、どの程度残っているかは分からないが・・・)
ボロボロ、と残った体が崩れ去っていく。
この自壊を止めることはもう誰にも叶わぬこと。甘んじて受けるつもりだが、せめて祈りぐらいはさせてほしい。祈りを受け取る神はいないだろうが、自分勝手なエゴとして、人間らしく偽善を示したいのだ。今、こうして最後の時を迎えている自分が何者なのかは分からない。そもそも数多の思念の一部を粘土のように捏ね合わせた存在など、もはや人間はおろか生物としてのカテゴリから逸脱したものだろう。そんな存在が何者だなんて論議は無駄にもほどがある。それでも・・・それでも基は人間であった身であるため、最後ぐらい人間らしいことをして消えたいのだ。
(どうか・・・この私たちを構成する全ての魂を、使い切ってくれ・・・複製することもできないほど、・・・削り切れば、きっと・・・)
頭部の半分が水分が抜けきった土のように崩れ、世界を包む紫雷の中へと溶けていった。
もう考えることはできない。
誰にも知られることなく、それは音もなく、消失していった。
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「大公へ伝達を」
群青の鎧に身を包んだレイシャは、近くの騎士に視線を向け、言葉をかけた。
「地を脅かす俗物はこの手で摘み取った、と」
「ハッ!」
「ベリアルらカースト騎士団についても、すぐの帰国を促したほうが良いだろう。・・・まだ例の水魔法の主も分からぬ状態だからね。早急に体制を組み直す必要がある」
「そのように」
「ああ、あと・・・私は二日ほど、様子を見てから戻る様にする。水魔法の者について事態が動く際はここに使者を送ってくれ。それ以外は日に三度、定期的に食料を運んでほしい。その時に私からの報告も渡すこととしよう」
「は、はあ・・・二日、ですか?」
レイシャの指示に順当に返事を返していた騎士だが、最後の二日居残る話については首を傾げざるを得なかった。
「魔獣の中には討ち取ったと思っても、仮死状態で死を擬態し、数日後に活動を始める変わり種もいるからね。念には念を・・・と考えている。徒労に終わる可能性が高いけど」
「ですが、擬態など不要な状態まで焼き払ってしまえば良いのではないでしょうか・・・?」
「無論そうするつもりよ。だが・・・どうにも気持ちがざわつくのよ」
鎧に包まれた彼女の表情はうかがえない。
だが口調から、彼女らしからぬ迷いのようなものが滲んでいるのは騎士にもくみ取れた。
何がそうさせるのかまでは理解できない。おそらく勘のような不確定なものなのだろうが、それを否定するほどの言葉を持ち合わせていないため、騎士はそれ以上言葉を交わすことはせず、自身らを今まで支え続けていたレイシャを信じ、「了解しました」と短く答えるのみとした。
「この報告を聞いて大公がすぐに戻るよう仰られるのであれば、それに従うことにするよ」
部下の心情を察して、レイシャは少しだけ声を明るくしてそう言った。
さすがに確信も何もない、ただの勘だけで大公から騎士団にかけての指示系統を混乱に招くつもりはない。大公が命令ではなく「可能なら戻ってきなさい」といったこちらの意志を汲んだ言葉であっても、レイシャは城へ戻るつもりだ。逆を返せば、彼女にとってもここに残るという判断は、本当に僅かなしこりを感じる程度の勘でしかない、ということを表している。
「では行ってまいります」
「ええ」
小さく頭を垂れた後、伝令を任された騎士は踵を返し、城の方角へと去っていった。
その後ろ姿を見送り、レイシャは他の騎士たちにも支持を出す。
「近くの集落に向かい、野営用の道具一式を借りてきなさい。人員は三人いれば十分でしょう」
「ハッ」
「そこの貴方は同じく集落から臨戦用に備蓄している矢を取ってきなさい。今回の戦いで消費した分・・・おおよそ100本程度で構わないわ」
「かしこまりました」
「残った面々は私とコイツの後処理を行うわ」
「了解です」
レイシャは集落に向かう面子を送り出してから、背後の大木にもたれかかるようにして動かなくなった巨体を見下ろした。
数か所、背中から槍が貫かれており、硬化された土の杭は今も胴体にめり込んでいる。腕を中心に矢が刺さった状態で、何より中心の頭部を長斧で唐竹割りにされた損傷が酷い。頭部は真っ二つに裂かれ、それでもなお威力が衰えなかった長斧の刃は心臓にまで到達していた。なまじ人の姿に近いため、この惨状を目にした者は思わず嘔吐してしまうほどの惨状である。現に魔獣との戦いを経験している騎士たちですら、直視を避けようとする仕草をしていた。
「・・・さっきの問答ではどちらとも言えないけど、あの水魔法を繰り出した者とコイツとの接点。私としては結びつきはない、と考える」
戦闘の合間で、水魔法の使い手をウールモールに仕立て上げて、あたかもアーリア公国側の仕業だとハッタリをかけた。その反応は、レイシャも言った通り、正直どちらとも言えないところだ。会話中、三顔が笑い出したこともあったため、関与を疑いもしたが、騎士として――そして戦士として彼の表情はどちらかというと「強い相手に自分の力を見せつける喜び」のように見受けられたのだ。
しかし、これはあくまでも直感であり、何ら根拠もない空想だ。この考えを元に行動をするのは危険だろう。彼女はそう判断し、あくまでも自分のいち意見として胸中に留めておくことにした。
「さて」
レイシャは長斧の柄を握り、魔力を込める。実際にはレイシャからすれば「魔法を流す」所作のつもりだが、実際は彼女の体内に蓄積された魔力が長斧の柄から刀身にかけて刻まれた回路に流れていく、というのが正しい現象であった。
彼女の魔力に呼応し、回路である溝に淡い光が奔っていく。最終的に刀身の溝の隅々まで光が帯びていき、分厚い刀身の根元に仕込まれていた「ヘンリクス」が起動する。
魔道機械。
それが彼女の長斧に隠された機構であり、彼女の細腕でも異様な力を生み出す秘密でもあった。
「ふっ――!」
思いっきり長斧を後方に抜き出し、彼女は血まみれになった刀身を何度か軽く振るい、付着した血を払えるだけ払った。
本来であれば、あれほど深く突き刺さった長斧を抜き取るのは大の男でも厳しい。それすらも可能とする魔道機械の秘密、それは微細動と重心移動であった。
魔力が流されたヘンリクスから送られるギミックは、刀身の微細動。高周波振動とまでは行かずとも、人では作り出せない高速振動を起こすことで、切れ味を増し、今のように物体に刃が食い込んだ状態でも簡単に引き抜くことが可能となる。三顔の腕を容易く切り裂いたのも、このギミックがあったからだ。
また、この長斧はもう一つ、重心移動という機構も組み込まれている。
刀身を構成する鉄と鋼の比重を操作し、刃の重心を変えるのだ。要はレイシャが振りかぶると同時にこの機構を発動させれば、より遠心力を強くすることができ、レイシャ自身も素早い攻撃動作に移れるとうわけだ。あくまでも刀身に構成されている質量しか操作できないため、劇的に重心が変化するわけではないし、比重を変化させたまま攻撃すると、刀身の耐久値も低下した部分もあることから、武器を痛める危険性もある。攻撃動作中にしか使えない機構のため、中々に使い手を選ぶ武器だと言えよう。
そんな技能を要する長斧を軽々と扱えるレイシャは、やはり国内でも随一の騎士と呼べるのだろう。
レイシャは動かなくなった三顔を見下し、小さく舌打ちを鳴らした。
「何故・・・この程度の輩にお姉さまが・・・」
中心の頭部、主体格の頭をたたき割った時点で他の頭部も反応を示さなくなった。
主体格の頭部と連動して死に絶えたのか、それとも死んだフリなのか。
彼女にとって、そんな些事はどうでも良かった。
重要なのは、いかな再生能力を持ち合わせていようと、再生できないレベルまで死に追いやること。
「これより完全なトドメを刺す。死体斬りが苦手な者は目を瞑っていろ」
その言葉は部下を気遣う彼女の優しさであったが、騎士たちは小さな握りこぶしを作りながらも、首を横に振って騎士長が行う職務を最後まで目に焼き付けようと顔を上げた。その様子に彼女は甲冑の中で小さく苦笑した。
そして、長斧を横に構え、再びヘンリクスに魔力を流し込む。
あとは何てことはない、ただの作業のように彼女は何度も何度も、斧を振るった。
縦横無尽に、三顔の三つの頭部を胴から切り離し、屈強な肉体を細切れにしていく。
正直、レイシャにとっても吐き気を催す苦行だ。
何ら抵抗もない生物であった存在を、今もこうして無常に切り刻んでいるのだ。まっとうな人間なら精神に深い傷を残しかねない行為だ。それでも為さねばならない。この国に脅威となる存在、さらには「再生能力」を持っている可能性が高い存在だ。どんなに避けたい行為であっても、それが国のためになるのであれば彼女は迷わず手を下す。
それが国の一角を任される騎士長の責務なのだと。
「・・・・・・っ、はぁ・・・」
十分に満たない時間が経った。
レイシャはもはや原形すらも残さないほど細かく分離した肉塊を見下ろし、小さく息を吐いた。
それが終了の合図となり、周囲の騎士たちも緊張と忌避から張りつめていた肩の力を徐々に抜いていった。
「・・・ウールモールのところから火の魔法師を連れて来て」
「は、ハッ!」
思えば先に呼びつけておくべきだった、と彼女は自省した。
足元はおろか、自身の後方にまで飛び散った血痕を見下ろし、思いのほか神経が尖っていたことを自覚する。
それは敬愛するサファイアが消息を絶ったためか、それとも・・・。
「レイシャ様・・・少しお休みください」
顔は見えないはずだが、長年、隊を共にすると感情が透けて見えてしまうのかもしれない。
そんなことを思いつつ、レイシャは礼を述べてから、騎士の一人が木陰に用意してくれた簡易椅子に腰を下ろした。きちんと惨状が死角になる位置に椅子を配置してくれたことに内心で礼を重ねて、レイシャは目を閉じた。
(・・・なんだ、何が引っかかる? 三顔は始末した。残る問題はあの異様な滝を生み出せるほどの大魔法師の存在だけだ・・・。だというのに、私はまだあの三顔を警戒している。お姉さまが姿を消してしまった元凶だから? いや、私とて騎士長の一人。公私ぐらいは弁えて物を考えているつもりだ・・・この感覚は、私怨とは別の何か・・・けど、それが何なのかがあまりも朧気で分からない)
こういう時にサファイアがいれば、とレイシャは唇を噛んだ。
確かに魔力や総合力で言えばレイシャが彼女より一歩も二歩も先にいるのかもしれない。しかしレイシャにとってサファイアの存在は騎士という国の象徴に身を置いてから、何よりも心の拠り所であった。幾たびも悩みを聞いてくれ、前方で戦う自分の欠点や改善点などを後方から客観的に見て、様々なアドバイスもくれた。
そう、今回のように――何か嫌な予感を感じるときも、サファイアがいれば何かしら前に進めるための意見をくれたかもしれない。
目の前の敵を圧倒するのは得意だが、自分を含め、広い視点で俯瞰して状況を判断するのは、どちらかというとレイシャは苦手な方だった。そのことを自覚しているが故に、こうして何もしない時間を過ごすと、より「何か見落としているのではないか」という不安が溜まっていく。
「・・・」
空を見上げると、澄んだ青空が広がっていた。
数日前まで平穏だった世界と何ら変わらない、いつもと同じ空だ。
本当になんでこんな事態になってしまったのか。色々なものを失うにはあまりにも刹那的な出来事のように思える。
レイシャは顔を覆うヘルメットの金具を指で外し、それを外す。
締めきっていた空間から解放されたことにより、思わず彼女はほぅと肺に溜まった空気を吐き出した。
銀色の髪が風になびき、端正な顔が外気に晒される。
(二日間。この二日間で何も起きなければ・・・気のせいだったと切り替えよう)
そう判断したところで、遠目から集落に向かった騎士たちが帰ってくるのが見えた。
荷台を牽いてきているところを見ると、無事、野営用の道具を借り入れられたのだろうと分かった。
レイシャはゆっくりと椅子から腰を上げ、未だ靄のかかった気持ちの悪い感覚を押し殺して、部下たちを出迎えた。




