第12話 天より瀑布、地より結界
魔人――空想上の生物と言っても誰も疑問に思わない、伝説の存在。
目撃証言はもちろん、その存在を証明する手立ては確立されていない。というより実物がいないのだから確立も何も、どうしようもない話だ。
一部の人間からは、実在が確認されている溶人があまりにも不完全で不安定な存在であるがゆえに、誰かが完璧な理想像を求めて架空に作り上げた、願望が具現されたものではないか、とまで言われている。
御伽噺の一節では、生物の究極形であり、その逆鱗に触れれば一国すらも一夜で滅ぼす、などと謳われているが、なるほどとベリアルは心中で呟いた。
これは確かに化け物だ。化け物、という名を冠するに相応しい規格外さだと言えよう。
外見がただの非力な娘にしか見えないからこそのギャップがより一層の不気味さを引き立てている。果てしない深淵のような暗い、昏い力の根源がすっぽり隠れてしまうほどに。
騎士として長年国に仕えていれば、魔獣や野生の獣以外にも人間と対峙することは多々出てくる。
腕の立つ者であれば相手を一刀両断することも可能であるし、魔法師であれば強力な魔方陣を錬成する隙さえあれば一撃に伏すこともできるだろう。
だが、とベリアルは周囲に散らばるマリエだった痕跡を見下ろして思う。
ほんの一瞬、一呼吸にも満たない時間で、人をここまで「破壊」できる者がいるだろうか。
いない、と断言しても良いだろう。
もしそんな存在がいるとすれば、間違いなく一定の安全性を担保できる確信が用意できるまでは連国連盟の監視下に置かれるからだ。過去、偉功を残してきた者、禍根を残してきた者、何かしら世界に多大な影響を及ぼしてきた者、そのいずれもが世界各国を束ねる連盟の元、監視対象となっていた歴史を耳にしたことがある。
では目の前にいるアリシアという娘は、連盟が手放しに「安全」と言い切った存在か?
答えは誰に問うまでもなく、否、だ。
となればこのような存在が野放しになっている理由は、ただ一つである。
――連国連盟が把握していない存在か、手に負えない存在か。はたまたその両方か。
「ふぅん、やっぱこーなっちゃうか」
マリエを木っ端微塵に吹き飛ばし、扇状に飛び散った血痕を眺め、全く変わらぬ様子だ。
魔人というフィルターを一度取り付けて見てみれば、逆に取り乱される方が不気味に思えるほど、今の彼女の様はしっくりくるものだった。
「わたしは忠告したよ、したよね?」
「・・・・・・」
人間、希望があるから足掻こうとする。
未来への道が続いているからこそ、必死に生きようとするのだ。
しかし今はどうだ?
まるで漆黒の緞帳が勢いよく降りてきて「貴方の人生はこれで終わりますよ」とでも告げられている気分だ。それを告げる死神然とした魔人は、おそらく幕を降ろしたことにすら気づいていないだろう。そう、役者や観客などの関係ではなく、次元そのものが異なる関係。同じ目線で物事を捉えようとしたところで、一向にその二つが交わることはない。それが人間と魔人の根本たる違いなのだ。
アリシアは腰まで伸びる髪を払い、その動きに合わせて奇妙な髪の色も波打つ。
「で、どうすんの?」
「・・・」
緊張と絶望がブレンドされた感覚に全身が麻痺する。
そんな状態にもかかわらず、思考を止めなかったのは――まだ生きる望みを模索している、ということだろうか。ベリアルは慄き恐れている騎士団の中で唯一、頭を必死に回転させていた。
今、最も優先すべきは公国の大事だ。
ナダル大公、そして公国を支える民さえ残れば復興は望めよう。三顔の悪魔の暴挙により人的被害は経過時間に比例して増えつつも、壊滅とは程遠い被害だ。人をあまり数字で数えたくはないものだが、未曽有の危機とはいえ、手の施しようのない絶望とまではいかないだろう。
であれば、成すべきは目的は不明だが、あからさまに公国と敵対行為を露わにしている三顔の悪魔を討伐することだ。それがこの事件を鎮める唯一の手段。
決して――魔人との戦いを選択肢に入れる必要はない。回避できるものならそうすべきだと判断する。
(だが・・・どう考えても、奴が無関係だとは思えない・・・)
明らかに現状を理解した上で、こちらの動きを妨害しているように見えるのは勘違いではないだろう。
おかげで最良と思われた連国連盟への救援依頼という手段が封じられた。
三顔に対して、国が持つ戦力だけでは被害が拡大すると見ての措置だったのだが、これで選択肢は国力のみで戦うの一択だけになってしまったわけだ。
(げぇむ、遊び、駒・・・、意図は測れずとも、奴に差し迫った様子は感じられない。言葉通り、お遊びの範疇で行動している、可能性が高いと見るか・・・。ふざけた話だが、光明はそこにあるはずだ・・・!)
アリシアの目を盗んで、再び国外への移動を試みるという選択肢もあるが、それは直感ではあるが悪手であると思われる。たった一人、それも魔獣のような巨躯を持つわけでもない存在だというのに、この広大な森林や山地を彼女に見つからずに進める気がしない・・・と思ってしまうのは、彼女が魔人であるからなのだろうか。底知れぬ実力が、そう思わせるのかもしれない。
以上を踏まえると、アーリア公国は自力で三顔を討伐せざるを得ないことは、もはや確定事項だろう。
その上でベリアルがこの場で尽力しなくてはならない事項は――情報の持ち帰りである。
もしアリシアと無謀にも戦いを挑み、全滅したとあれば、ここで得た情報や犠牲は誰の手にも渡らずに宙に浮き、ナダル大公は再び明確な対策も講じられないまま、手探りで命を下さなくてはならない。
つまり、同じことの焼き回しが行われるということだ。
「はぁ、はぁっ・・・・・・」
気付けば荒くなった呼吸音が鼓膜に届く。
思考に没頭するあまり、置いてけぼりにされた体が対面するアリシアの圧力に緊張していたのだろう。
「・・・、はっ、フゥー・・・」
肺への空気の循環を正常に戻すように、深く息を吐いた。
そしてベリアルは一歩前に歩み出る。
周囲の騎士たちはその姿に驚き、対峙するアリシアは腕を組んで片眉をひそめた。
「・・・んー、まーだ懲りない感じ?」
「いや――」
地面に転がるマリエの短剣が目に入る。
刀身は腐食し、痩せ細っていた。思いっきり踏めば、粉々に砕けるであろうほど剣の耐久値はゼロに近いものになっているだろう。
彼女の短剣と、騎士たちに与えられる剣は素材も同じ、製法・鍛錬法も同じものだ。異なる点は重さや刀身の長さ程度のものだろう。つまり、ベリアルたちにアリシアを打倒する武器がないことがここに示されている。
それ故か、アリシアはいまだ無防備とも言える立ち振る舞いで、立っていた。
おそらく魔法を駆使しても到底足元にも及ばない戦力差があることを彼女は確信しているのだ。
そしてそれは間違いでも、目測誤りでもなく、事実なのだろう。
ベリアルは少しだけ高台に位置する彼女を見上げ、固唾を飲んで口を開いた。
「・・・対話を希望する」
『――っ!?』
「! ・・・へぇ」
部下である騎士たちはギョッとしたようで、動揺が広がっていくのが気配で分かる。
対するアリシアは真逆に笑みを浮かべた。
ベリアルはヘルムの留め具を外し、ゆっくりと頭部から外して脇に抱えた。
戦闘中ではありえない行為だが、戦意がない旨を伝えるには十分に有効だろう。
そしてこれから口にする言葉は、何が起こったかも理解できずにあの世に先立たれたマリエを蔑ろにするものだ。それだけで全身に力が入り、思わず自分自身に殺意が芽生えそうになる。だが――これは局面を切り抜けるに必要なことだと――、自分だけの命を抱えているわけではないと言い聞かせ、ベリアルは何度か下で唇を濡らした後、小さく口を開いた。
「先ほどの・・・『非礼』を詫びよう。願わくば・・・この場で其方に聞きたいことが何点かあるのだが、構わないだろうか?」
「騎士長! 正気ですかっ!?」
「それは――果敢にも立ち向かったマリエ殿への侮辱ですぞ!」
「このような化け物と対話など――貴方は、命欲しさに騎士としての誇りを忘れてしまったのですか!?」
次々と騎士たちから非難の声があがる。
魔人と相対する恐怖に騎士としての誇りが打ち克ち、声を上げることができるようになったのは喜ぶべきところなのかもしれないが、ベリアルは手を挙げてそれらの声を宥めた。
当然納得のいかない騎士たちは、それでも何かを口にしようとしたが、その行為はアリシアが先に口を開いたことによって阻止されることとなる。打ち克ったと思った彼らの意思は、やはり根底にある魔人への畏怖には勝てなかったようだ。
「ええっと・・・騎士長さんってことは、オジサンはこの国の騎士で一番偉い人ってことかな?」
暢気な口調に眩暈を覚えつつも、ベリアルは答える。
「・・・明確に言えば――騎士団の一角を担うカースト騎士団の騎士長だ。私と同等の役職を負う者は他に三名いる」
言葉を間違えれば、即殺される可能性も考慮した場の空気に、喉奥がカラカラになる。
相手の真の目的が見えてこない以上、深く入り込んだ問答は危険と判断し、差し障りのない相手からの質問に愚直に答える方向でベリアルは言葉を選んだ。
「ふふーん、オジサンは話が通じそうで何よりだよ。どうにもねぇ・・・過度に体裁を気にして突っかかってくる奴ばっかで困ってたんだけど、こうして広く状況を見通せる人と会えたのは僥倖だったね」
アリシアは、先のマリエに対して一瞬だけ見せた激情はとうに消え失せたのか、機嫌を良くして大樹の太い根に腰を下ろした。
裾の短いタイトスカートで正面に座られれば、普段であれば目のやり場に困るところだが、この緊迫した状況の中、お花畑を頭に咲かせるほど余裕のある人間はいなかった。
「そう、か・・・それは良かった。して、君との対話は可能なのかね?」
「うん、っていうか、手を出してきたのはそっちだし、わたしは元々戦うつもりは無かったよ」
「・・・」
それだけの力を持ち合わせて、戦う気が無かったのであれば――、マリエやバウンドドックの面々を殺すのではなく、いなすことはできなかったのか。
先ほど生死の概念に執着を見せたが、であれば何故容易に殺めてしまうのか。
その答えは目の前のあっけらかんとした表情の彼女を見れば言わずもがな、といったところだろう。
生死における拘りは持っていても、過去には頓着しない性格なのだろうか、既にマリエに瞬間的に感じていた憤りはおろか、彼女の存在すらも気に留めていない様子だ。おそらく「終わったこと」に対してすぐに思考を切り離す性格なのだろう。
(・・・・・・くっ、マリエの死など、まるで気にした風もない・・・! 化け物め・・・なまじ人の形をしている分、吐き気が込み上げてきそうだ・・・!)
逆流してくる胃液を喉を鳴らして飲み込む。
「っ・・・さて、教えてくれるなら君と、あの化け物の目的を教えてほしいものなのだが・・・」
「わたしの目的は――あーァア~・・・、まあ内緒?」
「・・・つい先刻に『遊び』などと言っていた気がしたのだが?」
「あー、うん。でも今思うと、それ言っちゃうと面白みが欠けちゃうかな~って。ほら、大事じゃん? モチベって」
(・・・意味の分からんことをつらつらと! くっ・・・結局のところ、まともな対話など無理だということか・・・いや、マリエの死を踏み台にしてでも私にはこの場を凌ぎ、情報を持ち帰る責任がある・・・。本音を言えば心のままに斬りかかりたいところだが――!)
ベリアルは激情に駆られそうになる感覚を必死に理性で律し、奥歯を噛みしめる音だけを密かに響かせた。
情報。
そう、情報だ。
国外に出ようとしたバウンドドック部隊は間違いなく、この目の前の魔人と自称する女に殺された。
この事実は漏れなくその全てをナダル大公に伝達すべき事項である。愚直な策を繰り返すほど愚かな主でないことは良く知っているが、それでも次の策を練らなくてはならないという無駄な時間は、現状において死活問題につながりかねない。それを防ぐためには、策を構築するに有益な情報が必須なのだ。
つまりカースト騎士団の誰かひとりでも城に戻り、大公に状況を伝える必要がある。
そしてもう一つ確認せねばならない、半ば確信はあるものの、言質は取っておきたいことがある。
「――・・・この件は何度尋ねても無駄かな?」
「ふっふーん、やっぱ物分かりがいい人と話すって楽だね! そーそ、何度聞かれても私は答えないよっ」
ころころと嬉しそうに笑うアリシア。
ああ、本当に人間味の溢れた姿だ。話せば話すほど「本当に魔人なのか?」と疑いたくなるが、マリエの死に様、バウンドドックの首を思い返せば、それは儚い願望だと、すぐに現実に引き戻される。
「そうか・・・では話を変えよう」
「うん?」
「君は・・・あの突如現れた化け物と共に・・・、アーリア公国を滅ぼそうとしているのか?」
『・・・!?』
ザワッと騎士団の面々が動揺した。
当然だ。仲間のために、国の危機のために命を糧に剣を振るう覚悟はこの場の誰もが持っているだろう。騎士の教えとは「誇り高く、猛き心を以って、祖国を護る剣となれ」という言葉と共に在る。故に敵わぬ相手と知っても立ち向かうことは出来よう。
しかし、――しかしだ。全く想像できないのだ。
この眼前に腰を落ち着かせる女性に、国力全てを注いだところで勝てる結末というものが全くといっていいほど想像できない。
伝承では魔人は一国を一夜で落とし、百の魔獣ですらも灰に帰することが可能とまで言われている最強の存在である。そんなものが相手となれば、まさに国ではなく世界が相手取らなくてはならない敵だ。
つまり、一線を交えれば――それはアーリア公国だけでなく世界を巻き込んだ戦いになる。
一度勇み足を止められて僅かな冷静さを取り戻した騎士たちにも、それが脳裏に浮かんだのだろう。
だからこそ固唾を飲んで、ベリアルとアリシアのやり取りを今は眺める事しかできなくなっていた。
魔人の実在を証明する手立てはないものの、その名を自ら冠し、それに見合った力を垣間見せた事実は、アーリア公国だけでなく、連国連盟に報告しなくてはならない。
敵意の有無を確認するのは、もちろんこの場を脱する確率を上げるためでもあるが、連国連盟の対応策の方向性もそれによって変わってくることが予測されるからだ。
戦意、目的、魔人の性格、傾向。
僅かでもいい。
とにかく一つでも多くの情報を手にしなくてはならない。
それがベリアルの騎士長としての最優先事項だった。
「・・・」
頬を流れる汗の感覚がやけに鋭く感じて、実に鬱陶しい。
ベリアルは緊張を多分に含んだ表情でアリシアを見て、その視線を受けたアリシアは「んー」と首を傾げて、何でもないように淡々と答えた。
「別に? わたしはオジサンの国をどうこうしようとは思ってないよ。ていうか、この国が『アーリア』だっていうのも初めて知ったぐらいだし」
「そ、うか・・・」
少しでもホッとした自分が憎たらしい。
いかに敵意が無かろうと、仲間を無残に殺した者であることに変わりはないのだ。
戦いを免れた安心するなど、許しがたい行為だ。ベリアルは即座に自分にそう言い聞かせ、口元を厳しく結んだ。
「では・・・最初の質問でもあるが、あの化け物の目的とは何なのだ?」
「さあ?」
「・・・」
知っているはずだろう、と視線を強くすると、アリシアは肩を竦めて困ったように笑った。
「目的っていうか、アイツが何考えて暴れてんのかまでは本当に知らない。けど、アイツがここで暴れるように仕向けたのは、・・・あー駄目駄目! ストップ! なんかこれ以上は色々と喋りすぎちゃいそう!」
両腕を交差させて「✕」の字を作り、アリシアは口のチャックを締めた。
(目的、ではなく・・・確かに「何を考えているか」を強調してコイツは言ったな・・・。無関係ではないのはほぼ確定的だが、一体何を考えている・・・?)
短い問答だったが、思いのほか有益に繋がりそうな小さなカケラはありそうだ。
「・・・そういわずに聞かせてはくれないか?」
「いーっだ! これ以上は公平じゃなくなるからダメだってば!」
「――公平?」
「・・・あ」
「そういえば・・・先ほど君は『アイツ』と称する人物のことを口にしていたな。攻城げぇむ、とやらが何だとか」
「・・・記憶力がいいこって」
アリシアは「あっちゃー」といったような顔で指でこめかみを抑え込んでいた。
この反応。
あまり聞きたくない話だが、確認しない選択肢はない。
ベリアルは震える手の抑えが利かなくなる前に、乾いた口を開いて続けた。
「・・・・・・・・・君の仲間が、この地にまだいるのかね?」
「・・・・・・・・・」
場が静まり返る。
アリシアは静かに顔を下に向け、前髪の中に表情を隠していった。
数秒、誰も動けなかった。
先ほどまで朗かな表情を見せていた者の顔が見えないだけで、ここまで恐怖を覚えるものなのか。
騎士団全員は金縛りにでもあったかのように、誰もがアリシアの次の行動を待つほか無かった。
ユラ、と陽炎のようにアリシアの全身が青白く揺らめく。
まるで彼女の全身に波紋が広がっていくように。
「――っ!」
その現象に反応し、硬直から解放されたのは騎士長たるベリアルだけだった。
瞬時に腰の剣を抜き、己の直感を信じて左後方に向けて全力で薙ぎ払う。
同時に反転したベリアルの目の前にアリシアがいた。
「へぇ、やっぱりここで殺すのは惜しい、かな?」
「・・・ば、っ、馬鹿な!?」
マリエの時と同じだ。
薙ぎ払った直剣は、いつの間にか正面から背後に移動していたアリシアの胴体を通過していた。
しかし彼女の体はおろか、珍妙な服すらも傷がつかず、逆に彼女を通過した直剣の刀身は強い酸でも浴びたかのように黒く腐食していた。
少しでも顔を近づければキスができそうな距離にアリシアはおり、その端正な顔は満足げに笑みを浮かべていた。これが何も知らない間柄なら、身持ちの硬いベリアルですらも心が跳ねるシチュエーションなのだろうが、残念ながら相手が魔人だと分かった今となっては、この距離は恐怖以外の何物でもない。
いつでも殺される距離、だということだ。
「ま、待て・・・剣を向けた私を殺すのはいい! だが・・・騎士団の者らは帰してやってほしい・・・!」
「どうして?」
目を細めて首を傾げるアリシア。
その口元が悪戯っぽく微笑んでいるところから、間違いなく遊んでいるようだ。
だからといって余裕が出るわけでもなく、ベリアルは冷たい汗を全身から流しながらも気丈に言葉を並べた。
「それを・・・君は望まない、はずだっ!」
「なんでぇ? 何故そう思うのかなぁ?」
わざと甘ったるい声を出し、アリシアは細い指先でベリアルのプレートアーマーの胸部をなぞる。
同時に触れた部分から煙が発生し、ベリアルはギョッと自身の鎧を見下ろした。
――溶けている。
高温による溶解ではない。アリシアの指先を中心として赤黒く変異していく様は、やはり直剣と同様に、腐食していると見るのが妥当か。
「ぐっ・・・!」
「き、騎士長!」
背後から剣を抜く音が耳に届く。
ベリアルは慌てて「逸るな!」と声を張り上げ、その動きを止めた。
「し、しかしっ!」
「・・・見誤るな、何が最善かを見極めろ・・・」
「騎士長・・・!」
どうやら部下たちの頭も正常に回り始めてきたのか、ようやくベリアルの意図するところに気づき始めてきていたようだった。
証拠に今はベリアルの言葉をしっかりと聞き届け、理解した上で、理性で行動しているからだ。
マリエの死の際はさすがに全員が理性の歯止めが吹っ飛んでしまったが、この短時間で我に帰るあたり優秀な部下に恵まれたといったところか。
「・・・さて、・・・殺される前に是非とも教えてほしいことがあるのだが・・・いい、かね?」
「おっどろいた、まだ情報を引き出そうとするんだ」
「さすがに、気づいていたか・・・」
「そりゃまーねぇ・・・わたしって結構誰かと話すの好きだからさ。いっつも調子に乗って喋り過ぎちゃうのが玉に傷だけど、いっちおーオジサンの何十倍もの時間を過ごしてきたからねー。馬鹿ってわけじゃないのよ」
「ふ、ふふ・・・そう、か。では無駄な足掻きは止めて、名誉の戦死でも・・・遂げようではないか」
ベリアルは赤黒く錆びた直剣の柄を強く握り、持ちうる全ての剣技を叩きこもうと意気込む。
しかしその決死の覚悟は、いとも容易くアリシアの前に打ち砕かれることとなった。
気づけば――胸部プレートを腐食させたアリシアの指先から魔法陣が形成されていた。
(これは――・・・水魔法!?)
正体に気付いた時は既に遅く。
砕けた魔法陣はやがて、ベリアルを取り囲むように無数の泡へと姿を変え、宙に舞う。
それらは急速にベリアルを中心点として収束し、一瞬にしてベリアルを筒込みこむ水球へと変貌した。
「が、がぼっ!?」
予想だにしない攻撃にベリアルは思いっきり水を食道、肺に流し込み、苦悶の表情を浮かべた。
浮力によって体を水球の中で浮き、重心が定まらない状態では満足に力を入れることができなかった。それでも闇雲に直剣を振るうが、水球の中を滑らせるだけの無意味な行為と終わってしまう。
「えいっ」
このまま放っておけば溺死は間違いなしだというのに、アリシアは何を思ったのか、水球を「物理的に」持ち上げ、そのまま騎士団のど真ん中へと放り投げた。
『なっ!?』
今にも斬りかかろうと前傾姿勢だった騎士団も、再び足を止めざるを得なかった。
水球は地面と接触すると風船のように破裂し、周辺に水をまき散らしながら地中や木々を濡らしていった。
「っ、ご、ごほっ――、っ、ぐっ・・・!」
「き、騎士長!」
「ご、ご無事で!?」
水を吐き出しながら地に両手足をつくベリアルに、近くの騎士たちが肩を貸す。
その様子を面白そうにしゃがんで見るアリシア。
「ごっめんねぇー、ちょいとだけ口封じ、なんてことも考えちゃったけど・・・やっぱヤーメタ。今の反応を見た感じ、オジサン結構場数くぐってそうだし、あの暴れ馬と戦う上でやっぱ必要な戦力かなって思ったよ」
「ゲホッ・・・! っ、それはどういう――」
「ちゃーんとお家に帰してあげるってこと」
アリシアは軽快に立ち上がり、両手を横に広げた。
そして左右に展開される巨大な魔法陣に、騎士団は動揺する。
「な、二つの魔法を同時に・・・だと!?」
「馬鹿な・・・、そんなこと、が・・・」
「これが、ま、魔人・・・なのか!」
別に品評会を開きたいわけでもないのに、次々と畏敬の言葉ばかりが口をついて出てくる。
それも仕方がない話だ。
眼前で行われている行為とは、それだけに値する大事なのだから。
展開されるは水の魔法陣。
呼応するかのようにアリシアの髪もより濃く蒼くなり、波打つように躍動する。
ただでさえ使い手が少ないと言われている、水魔法。その上、二つの魔法を同時に発動させる魔法師など聞いたことがない。加えて魔法陣の巨大さは・・・もはや敵であることも忘れ、賛辞を送りたくなるほどの光景であった。
「最後に道を示してあげる。ま、わたしたちが勝手に敷いたルールなわけだけど・・・オジサンたちにとっては何よりも有益な情報でっしょ?」
「なに、を・・・」
魔法陣は光度を増し、眩い薄花色の光が騎士団や周辺の世界を埋め尽くす。
まるで広大な海の中にいるかのような錯覚を覚えるほどの違和感。
錯覚に支配され、思わず溺れてしまったかのように呼吸が上手く行かなくなる。
「オジサンたちが進む道は一つ。あの頭が増殖しちゃったキンモイ奴を倒すこと。それが、それだけが生き残る唯一の道。他の人の手を借りちゃダメだよー。自分たちの力だけで頑張ってね」
「・・・!」
それは頭の中では覚悟していたことだが、改めて口で言われることで太鼓判を押された気分になる。
「あと、わたしたちは戦闘には一切参加しないから、気にせず存分にやっちゃって。もう分かっているとは思うけど、国の敷地内だけが戦闘地域で、そこから抜けることは禁止ねー」
魔人は参戦しない。
長い目で見れば、魔人の存在こそ世界を揺るがす話だが、今この場だけで考えればこれ以上ありがたい話はない。
無論、それで完結できるものではないので、三顔を討伐した後は、魔人について連盟を通じて各国と協議、対応策等を練っていかねばならない。だが――一時でも、予断ならぬ三顔との戦いにおいて、彼女たちへの対処を保留にできることは、かなり戦況を楽に運ぶ要素である。もっとも彼女の言葉が真実なのであれば、だが。
「んで、これが最後の情報ね。あと数日ぐらいかな・・・『乱入者』がここに来ると思う。十中八九、オジサンたちにとって面倒な相手になると思うけど・・・演出だと思って楽しんでくれると嬉しいなっ」
なにが「楽しんでくれると嬉しいなっ」だ! と声を張り上げたくなるが、急激にアリシアを中心とした周辺の湿度が上昇していることを肌で感じ、思わず辺りを見回す。
何かを視認できるわけではないが、明らかに様子が変化していることは理解できた。
ベリアルはヘルムを脱いでいたため、髪が徐々に湿っていることが分かり、より如実に周辺の変化を実感することができた。全身を包むプレートアーマーの表面をいつの間にか無数の水滴が流れ落ちていた。
「――もう一つ、演出としてオジサン側の種も蒔いておいたけど・・・そっちは咲くかどうか、あの子次第だから・・・運が良ければお望みの支援とかも来るんじゃない?」
「なっ、それはどういう――」
「これ以上はナシっ! 必要な情報は渡したつもりだよ。後はオジサンたちで上手く立ち回って、是非ともわたしのために勝利を収めてねっ」
それもどういう意味だ、とは言えなかった。
魔法陣は砕け散り、氾濫した川にも等しい膨大な水量が目の前ではじけ飛んだ。
太陽の光が水面を乱反射し、眩いほどの光が一帯を照らす。
「水上ならぬ、アリシア式水状ジェットでご一行様、お城までご案内~!」
まったく以って最後まで暢気な声が耳に届いたかと思うと、騎士団全員を湖も何もない森林という地では発生し得ないほどの水流が飲み込んだ。
あっという間に足元から重力が奪われ、ベリアルたちは青ざめた表情でなすすべもなく、アリシアが発生させた津波と同等の水圧に押し出されていった。
全身甲冑に身を包んでいる騎士団の面々は、武器や自重を含め、一人あたり百キロを超える重量となる。重装備、とまでは行かずとも、そんな装備で水の中に沈んでしまえば当然溺死する。
全員が装備を慌てて外そうとするものの、アリシアの放った水圧が四肢の動きを封じてきたため、どうすることもできない。誰もが迫りくる死に愕然としたものだが――いつまで経っても呼吸苦は襲い掛かってこなかった。
「な、に・・・?」
ベリアルは信じられない、といった表情で自分や騎士団の現状を視認した。
アリシアの魔法によって生成された大量の水は慣性に沿って森林の中を流れ、下方にあるナダル大公のいる城に向かっている――のだと思ったのだが、どうもこの水、ただの水ではないようだ。
まるで抱えあげられているかのように、全員が水の上から顔を出している状態だった。
全身の自由が利かないのは、この水の集合体に「掴まれている」からだろうか、何とも奇妙な感覚だった。
ともあれ、以下に山の傾斜を下がろうと、水流が波打つこともなく、ただただ平坦に滑り落ちていくばかりだった。
幻想種に捕まって山でも下ると、こんな風になるのかもしれない。そんな経験はないし、したくもないので体験することは未来永劫ないだろうが・・・。
加えて――、
「っ・・・!」
唐突にベリアルは少しだけ横に体を移動させられる。他の騎士たちも同様だ。
直後、すぐ横脇を何本かの木々が通り過ぎていった。あのまま直進していれば何人かは背中を木に強打し、呼吸が止まる思いをしていたことだろう。
狭い森林の間を縫うように、騎士たちの呼吸も奪わず、しまいには樹木との衝突も自動回避してくるサービス付き。
思わず笑ってしまうそうだ。
(なんだ・・・この異次元とも言える魔法は・・・)
信じられない。
ただでさえ操るのが難しい水という存在を、無から生成し、ここまで完璧に制御する。作り話の登場人物にいれば、読み手の心を躍らせる、さぞ素晴らしい夢を見させてくれるだろう。だが現実に目の当たりにすると、正直、様々な感情が吹っ飛んでしまうほど真っ白になってしまうものだと、ベリアルは初めて感じる心情に戸惑いを感じた。
やがて森林を抜け、岩場を抜け、水圧でこじ開けられた外壁の門すらも超え、気づけばカースト騎士団は城壁の正門の前まで運ばれていた。
同時に役目は果たしたと言わんばかりに、水流は力を失い、大量の「ただの水」としてベリアルたちを中心に広がっていった。
門前にいた騎士は「何事かっ!?」と慌てて場に近寄り、ベリアルたちの姿を認めてさらに困惑した様子を見せた。
それに応対する余裕もなく、尻餅をついた状態のベリアルは虹がかかった天を見上げ、小さくつぶやいた。
「・・・ここまで、遠い存在、なのか・・・」
常識では測れない存在との邂逅。
それは自分たち人間や、国内で暴れている三顔の悪魔すらもちっぽけな存在のように映す大空のように、遥かに遠い星のような存在だと――ベリアルは痛感し、同時に果たして人類に太刀打ちできる相手なのかと――絶望した。
*************************************
「随分と気に入ったみたいだな」
「んー?」
背後から声をかけられ、アリシアは気のない返事をする。
元から勘付いていたのか、彼女は特段驚いた素振りも見せなかった。
「なーに、覗き見ぃ? やぁー、悪趣味ー」
「お前らのやり取りに茶々を入れないための俺の配慮だ。どうだ、中々に紳士だろ?」
アリシアの前にどことなく姿を現した大男。
2メートルはゆうに超える巨体、白い無地のタンクトップとハーフパンツといった簡素な格好だが、袖を通すその肉体は引き締まっており、筋骨隆々とまでは行かなくとも、かなりの筋力を有しているように見える。
髪型は短く整えられたもので、彼を構築する全てから「運動、大好きです」というオーラが伝わってくる。
親指を立てる彼に、アリシアは呆れたようにため息をついて「紳士がそんな筋肉馬鹿丸出しの格好するわけないでしょ」とつぶやいた。
「おいおい、ここでいう『紳士』たぁ心構えのことを言うんだぜ?」
「はいはい、あんたのそのパッツンタンクトップに蝶ネクタイでも付けたら『変態紳士』って呼んであげるわよ」
「ほぅ」
「え、なに、その『ほぅ』って。どういう意味の『ほぅ』よ・・・」
「いやなに、不変の人生に良いスパイスになるんじゃないかって思ってな」
「ちょっと止めてよ!? ホントにやったらマジで絶好だからねっ? アンタのガタイで蝶ネクタイとか、仮にタキシードで着飾ってても似合わないから!」
「なに、人間とは慣れる生き物だぞ。数日も一緒にいりゃそれが当たり前のように感じるさ」
「いや無理だし、わたし人間でもないから!」
「元人間、だろ? 昔の習慣ぐらい残ってんだろ。現に魔人としての生活にも慣れてんだからな」
「・・・慣れ、ねぇ。いくら泥水啜って意地汚く生きてきたわたしでも、人間だった頃だったらこんなに人の生死に冷めてないわよ」
「ん、さっき殺した嬢ちゃんのことを言ってるのか?」
「アンタ・・・ホントに何時から覗いてたのよ、ったく」
ふん、と鼻を鳴らし、アリシアは先の自身の魔法で流されてしまったであろうバウンドドックの亡骸を思い返した。
「人を殺したところで、蟻を踏み潰した程度の感慨しか沸かない。これが慣れだって言うなら、人間ってのはどいつもこいつも元から化け物みたいなモンだったってことね」
「蟻、ねぇ・・・前から思ってたことだけど、それだと矛盾してねーか?」
「なにがよー」
土から顔を出した巨木の根っこに腰を落とし、膝を抱えるアリシアに大男の影がかぶさる。
「だってよ、お前・・・他人の生死に関するスタンスってのに結構拘るだろ。百年ぐれぇ前に潜り込んだ国じゃ『俺、もう生きる気力がないんだわー』的に愚痴って卑屈な嗤いを浮かべてる男を鬼気迫る表情で殺したかと思えば、スラム街みてーな場所で畑の土喰ってでも生きようとしてる子供に手持ちの金、全部あげちまってただろ? さっきだってんな感じだったよな。だってのに、殺しても何も感じないときたもんだ。そら矛盾してるって言われてもおかしくねーだろ?」
「・・・べっつに矛盾なんかしてないわよ。わたしは生きてる連中にはそれなりに思うところはあっても、死んだ奴には何の興味もないの。だって死人に何を言ったって、壁と話してるのと同じでしょ?」
「まあ・・・そういうもん?」
「そーいうもんなの。もーいーでしょ、わたしのことなんかー」
「んー、ま、いっか」
駄々をこねるように足をばたつかれ始めたアリシアを見て、頭を掻きながら男はこの話を終わらせた。
「それより、何でこっちに来たのよ。アンタは『あっち側』の陣営でしょ」
「そら――」
「まさか、わたしが自営の肩入ればっかしてるって文句言いに来たとかっ?」
「お、言われてみればさっきのは超肩入れしてたな」
「違うんかい! じゃ何しに来たのよ・・・」
墓穴を掘ったアリシアはいーっと歯を剥くが、大男は「はいはい」とそれをいなす。
大男は片膝をつき、アリシアの魔法の痕跡で水浸しになった地面を手で触れた。
と、接点が淡く光り、かすかな魔素が小さな光球となって宙に浮いていった。
それを見た男は同じ姿勢のまま、今度は魔法陣を展開。土魔法と思われる何かを大地に流し込んでいった。彼が発動させた魔法は大地を淡く光らせただけで、特段目立った変化は起こさなかった。だがその魔法が何を意味しているのかを知っているアリシアは「うっ・・・」と何かを察したように身を引いた。
「とまあ、こんな風に『誰かさん』が暴れまわったがために壊れちまった結界の修復に来たわけだな。もうちょい穏便に国を出ようとする連中を追い払ってくれると助かるんだけど、毎度こう・・・ドッカンバッコンと容赦なく結界ごと破壊されると、なぁ?」
「え、えぇ~っと・・・テヘ?」
「というわけで、お前に結界を超えようとする奴らがいるってことを報せた後、こうして駆け付けたってわけだな。オッケー?」
「お、オッケーオッケー、今度から静か~に頑張るよっ」
「本当かぁ~? ま、期待はしておくとしよう」
「うむ! 任せたまえよ、ドミオン君!」
ハッハッハと信用できない高笑いをするアリシアに、ドミオンと呼ばれた男はフッと笑った。
「ま、今回お代は貰ったからな。次は大目に見てやっても構わないぜ」
「・・・・・・お代?」
首を傾げるアリシア。
ドミオンは自慢げに顎を指で擦りながら胸を張った。胸筋に押し出されるようにタンクトップの皺がピンっと伸びる様子に、アリシアが「うわぁ・・・」と引くあたり、彼女の好みとはかけ離れた体系だというのが良く分かる。
「この国全土を囲うように張ったこの結界、この境界に足を踏み入れた奴の気配を俺は遠くでも感知できるわけだが・・・実はもう一つ、特徴があってな」
「うん」
足元にも広がっているだろう、ドミオンの土魔法によって敷かれた楕円状の結界。
アリシアは足をぶらつかせながら、地面を見下ろした。
「この結界の中にいる俺を感知させない、という効果もあるんだ」
「ん? 現にわたし、アンタの存在をめっちゃ感知してますけど・・・」
一気に疑い深い目でドミオンを見るアリシア。
その様子にオーバーリアクションで彼は肩をすくめた。
「チッチッチ、結界の上じゃなく、中な。よぉし、実演してやろうじゃないか!」
言うや否や、ドミオンは足元に魔方陣を展開し、これまた同様に土魔法を発動させた。
同時に、もぐら叩きのモグラが地中に潜る様のように、スススッとドミオンが地中に吸い込まれていった。
「うっわ、キモッ!?」
あまりにシュールな様子に、アリシアは割と本気で引いた。
頭部だけ残して全身を地中に埋めたドミオンはドヤ顔でアリシアを見上げた。
「どうだ? 少しは俺の存在感が気薄に感じるんじゃないか?」
「え? あー・・・言われてみれば確かに・・・。目を逸らすと、確かにアンタの気配を感じ取りにくい気はするわね」
最初は本気で目を逸らしていたが、その後は何度か彼の気配の有無に集中して、アリシアはドミオンから目を離しては見るを繰り返した。
「で・・・それが何で『お代』に繋がるのよ」
「そうだな・・・さっき変態紳士なる称号も貰ったことだしな。ネタ晴らしと行こうではないか!」
(あれ・・・あげたんだっけ・・・)
もう深くはツッコむまいとアリシアはグッと言葉を抑えた。
「はいはい、早くそのネタとやらを教えなさいよ」
蒼髪を手で払い、地中から顔だけ出す奇人を促した。
「よし、見ていろ!」
ズッと小さな音を立ててドミオンは唯一外気に晒していた頭部すらも地中に埋めてしまった。
(あら・・・全身埋まると、本当に気配を感じないわね)
目の前で隠れた姿まで視認していたというのに、アリシアには既にドミオンが地中の何処にいるのか知覚することができないでいた。これには流石に感心したようで、アリシアは「おぉー」と声を漏らす。
しかし、これが一体何の「お代」になるというのか。
内心首をひねるが、その答えはすぐに聞くこととなる。
「うむ、絶景かな」
「え?」
根に腰かけるアリシアのすぐ足元から声が聞こえ、彼女は嫌な予感と共にそっと足元を見下ろした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・なに、やってんの?」
スーツスカートの合間から見える大地には、思わず悲鳴を上げたくなりそうな光景――そう、ドミオンが顔だけを出している姿があった。
アリシアの口元が引きつるのが良く分かる。
「なに、って・・・日頃の疲れをだな、潤すためのベストアイデアを今日思いついて実践したんだが・・・いやはやこれが見事にハマってな。すごいだろ」
「ええ・・・本当に凄いわね」
スッとアリシアは立ち上がり、肩を震わせながら腰をかけたいてた根から数歩後ろに下がる。
「甘いっ!」
「!?」
音もなく、気配も気を抜けば見失ってしまうほどの隠密性で、ドミオンは素早く地中を移動し、アリシアの両足の間に顔を出した。
「うむ、何度も拝見したが、今日のお前の気分は『白』なんだな」
「・・・・・・っ!」
慌てて両太腿をピタッと合わせ、下から下着が見えないように配慮するが、もう何もかもが遅かったようだ。
アリシアは顔を赤くして歯をギリギリと鳴らし、直後に胸元に魔法陣を展開し、自身を包むスーツに何かしらの魔法を打ち込む。
蒼い光が彼女を包んだかと思うと、スーツは徐々に溶けていくように光と同化し、その形状を変化させていった。その光が収まる頃には、不思議なことに彼女は別の服を着ていた。
群青色のハーフパンツに、灰色のパーカー。どちらも飾りっけのない無地なのは彼女の好みなのか。大き目のフードですっぽり頭部を隠しており、その陰からドミオンを恨めしそうに睨みつけた。
先ほどまでのスーツ姿であったときは、あどけなさが残る容姿のアリシアであってもそれなりに「大人の女性」に見えていたが、今の格好では正直、未成年の少女にしか見えなかった。
「ほぅ、英断だな」
ズドンッ!
そのしたり顔を潰れたトマトに仕立て上げるために、アリシアは全力で地中から覗かせるドミオンの顔面を踏み抜いた。常人ならぬ力で圧砕された地面は、土や小石、その下に張っていた根すらも砕け散って、周囲に散らばっていった。
結構な範囲に衝撃がいったはずなのだが、打ち取った気配がないことにアリシアはチッと舌打ちした。
その姿を嘲笑うかのように、離れた位置からヒョコッと顔を出したドミオンを逃さず、彼女は彼を再び睨みつけた。
「ふっふっふ・・・ファーハッハッハ! 素晴らしいぞ、俺はどうやら・・・魔人すらも弄ぶ至高の技を見出してしまったようだな!」
「ド~ミ~オ~ン~!」
フードの奥から殺気に満ちた瞳をぎらつかせながら、アリシアは獲物を仕留めるためにゆっくりとドミオンとの間合いを詰めていく。
「待て待て、そもそも何でそこまで恥ずかしがるんだ」
「ハァッ!? 本気で言ってんの、アンタ! パンツ覗かれて恥ずかしくない女がいるかっての!」
「いやはや・・・そうは言うがな? お前・・・パンツ以前にもっと恥ずかしい状態でそこら中を闊歩してるだろ」
「えっ!?」
アリシアは慌てて衣類に欠損がないか、首元、胸、腹、腰、腕、足と確認していき、最後に手で背部を触り、問題なく服が「構成」されていることを確認した。
「なによ、何も問題ない・・・よね?」
まだ少し自信なさげに聞いてくるアリシア。
「何言ってんだ、お前のその服――自分の魔法で構築してる疑似服だろ。つまり素っ裸にボディペイントしてるよーなもんだろ?」
「なっ・・・なっなっ・・・!」
慌てて体を抱き寄せるように手を回す彼女に、地中から顔を出した変態はニヤリと笑みを浮かべた。
「そんな痴女に今更パンツがどうとか言われてもなぁ・・・おお、そうだ。俺が変態紳士なら、アリシアは変態痴女だな! なぁに、最初は恥ずかしいかもしれんが、さっきも言った通りすぐに慣れるさ!」
「・・・」
「つか、よくそんな常に水の中にいるよーな格好でいられるよなぁ。俺だったら気になって仕方ねーわ」
「そう・・・わたしも土ん中からアホ面出すことに、なんで抵抗がないのか甚だ疑問だわ・・・。早く土の栄養となって分解されてくれないかしら・・・」
「お、やんのか、おっ? ふっふっふ、今の俺を捉えることができるのかな?」
シュッシュッと土の上をドミオンの顔面だけが反復平行移動する様子を見下ろして、アリシアの血管は切れた。
「ふ、ふふっ・・・ふふふ・・・! このゲーム、負けた方が勝った方のゆーことを聞くってルールだったよねぇ?」
「おう」
「オッケーオッケー、超オッケー。あんたが勝ったら、今回のセクハラ、覗きは見逃してあげるわぁ・・・けど、わたしが勝ったら覚悟しておくことねぇ!」
「――ふっ、やる気だな、アリシア」
フードの中で牙を剥くアリシアを見て、ゆっくりとドミオンは地中から体を出し、ようやく全身を見せた。
そしてゆっくりと近づき、アリシアに向かって手を差し出す。
「よぉし、やっぱ勝負はガチでやらんとつまんないからな! ドンと来いっ!」
「ドミオン・・・」
ふっと笑みをこぼし、アリシアは差し出された手を握り返した。
そして彼女の背後に、直径三メートルは超えよう巨大な魔法陣が展開されていく。急激に収束されていく膨大な魔素に影響され、周囲の木々が悲鳴を上げるようにざわつき始める。
「・・・あれ、アリシアさん? この流れ、勝負はゲームでつけるから今日は許してあげるわ、的な奴じゃありませんでしたっけ・・・?」
後ろに後ずさろうとするドミオンの手をギュッと握り、逃げられないようにアリシアは力を込めた。
「いやだわ、ドミオンさん。せっかくジメジメした鬱陶しい地中から出てきてくれたのですから、おもてなしを差し上げたいと思うわたしの配慮を無碍になさるのかしら?」
くす、と小さくほほ笑む彼女から漏れだす、どす黒い殺意に、彼女をおちょくっていたドミオンも流石に口の端を引くつかせた。
「ちょっと待て! ここでんなデカい魔法使われると・・・広範囲の結界をまた張り直さんといかん!」
「おお、張り直せ、張り直せ! そのクソったれな結界もろとも、その煩悩をわたしが綺麗さっぱり流してあげるわっ!」
「くっ!」
本気で手を引こうとするドミオンの力に、思わず手を離されそうになるが、アリシアはもう一方の手も加えてドミオンを掴み、逃げられないように拘束する。
そして――、
「死ねぇぇぇぇぇっーーー!」
と、全力の咆哮と共に、背部の魔法陣は砕け散り、遥か上空に瞬時に舞い上がった魔素は魔法として存在を確立され、やがてアリシアが命じた姿となって顕現する。
――天より墜落する大瀑布。
アリシアが対軍戦などで持ちうる、広域魔法の一つ。
天より流れ落ちる規格外な水の群れは、やがて重力に乗って滝のように地へと墜落していく。
滝は地上に降り立った後、川となり、その激流は何かを言おうとしたドミオンごと飲み込んで麓に向かって流れていった。
いつの間にかドミオンの手を離していたアリシアは、まるで水の抵抗を受けていないように平然と激流の中、流されるドミオンに対して舌を出して見送った。
アーリア公国とは逆の方角に流れるよう調整されていたとはいえ、その天から降り注ぐ瀑布の様子は当然ながら、アーリア公国の者たち、そして三顔の者の視界に映していた。環境すらも変えてしまう大魔法。水源はアリシアが魔法で強引に作った分しかないため、時間が経てばやがては大地に消えていくのだろうが、一時的にでも川を造り上げてしまったことになる。
後にベリアルの報告で「おそらくあれは魔人の仕業です」とあったことが原因で、一層、この日の出来事は人々に恐怖として刻まれることとなった。




