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テトラ・ワールド  作者: シンG
第2章 アーリア事変
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第9話 錬金術師の妙薬

タイラントなんて魚はそもそもいなかったんだ・・・と言わんばかりの速度で旅人の宿に戻った二人はさっそく、鎮痛剤の精製に取り掛かることにした。

といっても、調薬においてはヒザキは全く力になれないため、主にヒョドリー一人に任せる形となる。


そのヒョドリーもさすがに深夜に大発火を食らって大人しくなったのか、今度は余計なチャチャを入れずに製薬に取り掛かってくれるようで、自身の革袋から試験管などの道具や他の薬剤が入った袋などを取り出し、近くの机の前の椅子に腰かけた。


しかし文句はあるようで、調薬を開始してもやたらと話しかけてくる。


「まったくお主は冗談というものを理解しておらぬな。ワシがフセンを七十三層重箱アースド・ポケットに素早く入れておかねば、折角の材料も消し炭と化しておったぞ?」


「少し前にも言ったはずだが、物事には限度がある、ということをアンタが理解すべきだろう。それに魔法を放つ前に数秒間を置いたのは、アンタが薬を箱に仕舞う時間を用意するためさ。さすがに目的を自分で壊すほど怒ってはいない」


そう言うヒザキに、ヒョドリーは「ふん」と鼻を鳴らした。


「この年になって雨の中、真っ裸になるとは思わんだな。適当な木材から服を錬成したものの、ゴワゴワして着慣れんのぅ・・・」


「自業自得が身に染みているようで安心したよ」


「ちょっとした年寄りの楽しみだというのに、最近の若いのは手厳しいのぅ・・・」


「アンタに年齢にかかる話を振られても違和感しかない」


「ヒッヒ、それはお互い様じゃな。しかしヒザキよ」


「・・・なんだ?」


ヒョドリーはフセンの粉末と、七十三層重箱アースド・ポケットから一緒に持ってきた名も分からぬ粉末を目分量で試験管に混ざ合わせながら続けた。


「これは数々の手法で数え切れぬほどの老若男女を怒らせてきたワシの経験からくるものじゃが・・・」


全然誇れない自慢から始まったことにヒザキは軽くため息をつく。


「やはりのぅ、女子おなごから好かれる男というのは、ある程度、会話のスキンシップ能力がある方に偏っているとワシは見ておるのじゃよ」


「・・・何の話だ」


「ヒッヒ、ほれ・・・お前さんがいつも気にしている女子の話じゃよ」


「・・・・・・彼女はまだ子供だぞ」


「ほぅ! 綿毛のように宙を彷徨うばかりのお主が見つけた止まり木は、なんと幼女じゃったか! ヒッヒ、それは何とも痛快じゃの!」


どうやらまた誘導されていたみたいだ。

まんまとヒザキの懸念事項=幼女リーテシアという方程式をヒョドリーに植え付けてしまったようだ。事実はどうあれ、しばらくネタにされそうな気配に思わずゲンナリする。

ちなみに彼女リーテシアは12歳のため、幼女という代名詞を使うのは間違っている気がするが、そこも否定すれば無駄に話が間延びしそうなので、口から出かけたが思いとどまった。


「・・・まだ焼かれ足りないようだな。さっきの炎はそんなにぬるかったか?」


「ヒョッ!? こ、これ! いくらワシといえど、お主の魔法は欠伸半分でいなせるような代物じゃないのだぞ! すぐにそういう返しをするところが固いと言っておるのじゃ、まったく・・・」


「固くて結構。戻るや否や、すぐに調薬に手をつけたから多少は骨身に沁みたと感心していたが、全くの勘違いだったようだな」


「そうとも限らんさ。ほれ」


ヒョドリーは、手元の試験管を数度横に振り、ヒザキの目の前に差し出した。


「む」


「む、じゃない。ワシ特製の鎮痛剤じゃ」


右手で試験管を受け取り、まじまじと中の粉末を見る。


「早かったな。正直、もっと時間がかかるものだと思っていたぞ」


「モノは揃っておったからの。分量や配合する薬剤の種類など、全てワシの頭に入っとる。つまり、決まったものを決まった分だけ混ぜるだけの簡単な作業じゃよ」


「そうか、助かる」


「ヒヒ、素直に礼を言える固さは美徳の一つじゃの」


「・・・上に行ってくる」


ヒザキはヒョドリーたちが持ち込んでいた水筒を拝借し、これ以上ヒョドリーに余計なことを言われる前にさっさと二階へと上がっていった。



*************************************



「起きていたのか」


二階へ上がると、身を丸めつつも意識をしっかりと持ったままの女性がいた。

痛み止めを持ってくると言ってから一時間程度経っている。その間、いつヒザキが帰ってきてもいいように起きていたのだろうが、その姿勢は体力を無駄に消費するだけであまり宜しくない。しかし、やはりそれほどまでに気を張りつめる何かがあるということなのか。


「動かすぞ。痛みは我慢してくれ」


ヒザキはサファイアの横で膝を折り、水筒を床に置き、鎮痛剤が試験管からこぼれない様に口で咥えた後、彼女の背部に右手を回すとゆっくりと上体を起こさせた。

所作の最中に彼女が表情を歪めていることは気づいていたが、ここで変な気を回しても互いに宜しくない。そう判断してヒザキは何も言葉をかけずに彼女の力だけで上体を維持できることを確認して、背中から手を離した。


「先に水を含んでから薬を入れるぞ」


服用の手順を伝え、ヒザキは空いた右手で水筒を掴み、おもむろに口で蓋を外した。


「口を開けてくれ」


サファイアは額に汗を流しながらも、口を僅かに開いた。


「気管に入らないよう気をつけるんだ」


頷くだけでも一苦労だろうから、答えは待たずにヒザキは舌の上に乗る程度の水を彼女の口に含ませ、次に試験管に入った粉末状の鎮痛剤を口腔内に流し込んだ。


「ゆっくりでいい。慌てずに水と一緒に薬を飲みこめ」


「・・・」


彼女が嚥下していく様子に息を吐きながらヒザキは思う。


(ろくな信頼関係もない状態で、素性も分からない男が持ってきた薬を迷いなく飲み込んだか。一連の様子から危機意識に疎いわけでもなさそうだが・・・それだけなりふり構っていられないということか)


彼女の追いこまれ具合から見て、相当な事態が背景にありそうなことは分かっているが、こうして無防備に得体の知れないものを体内に取り入れる様子を見ていると、さすがに心配になってくる。


(可能であればヨルンやヒョドリーたちと共に、すぐにグライファンダムに戻ることが望ましい。彼女の抱える問題が大した話でないことに越したことは無いんだが・・・あまり期待すべきではないか)


グライファンダム、およびリーテシアたちに影響が及ぼすような大事でなければ、申し訳ない話だが、できるだけ断る心積もりではある。

話だけは聞くが、それを全て肩代わりするほどヒザキにも余裕はないからだ。

グライファンダムですべきことは、それこそ山積みだ。ベルモンドという知識人がいるため、ヒザキがいなくとも出来ることから始めてくれてはいると思うが、それでも可能なかぎり早く戻りたい。

自分の浅慮が発端という負い目もあるが、あの純粋な子の精神状態も気がかりだからだ。

ミリティアたちがフォローしてくれていることを祈っているものの、「身近な人」の枠組みに入っているであろうヒザキが何日も姿を消していれば、想像するまでもなく心配に心を痛めているだろう。


誰かを思う気持ち。

リーテシアが抱えるであろう感情を客観的に理解できるということは、自分の根っこの部分に同じ根源となる感情が残っているということだ。

そんなものはとうの昔に何処かに置いてきたものとばかり思っていたが、いざ掘り起こすと存外に出てくるものだなと内心、苦笑してしまう。


「ゴホッ、ゴホッ・・・!」


喉に鎮痛剤が残ったのか、彼女は大きく咳き込んだ。

同時に全身の骨身に響いたのか「~~~~~~~っ!」と背中を丸めて痛みに堪える仕草を見せた。


「無理はするなよ。いかな万能薬であっても、効果が出るには時間が必要だ。急ぎたい事情があるのは察するが、せめて咳き込んでも痛みが出ない程度まで効いてから話を聞こう」


「・・・・・・、ぃ、え・・・!」


「・・・」


すぐにでも話し始めようとする女性の額にヒザキは人差し指を当て、軽く押し込む。

腰や背筋に全く力が通っていないのだろう。

彼女は驚いた表情と共に、上体を再び敷布団の上へと埋める結果となった。


「・・・ぁ」


「まだ口を開こうとするというのなら、このまま指で抑え続けるぞ」


「い、いえっ・・・、そ、そうではなくてっ・・・!」


「・・・ん?」


「ええと、ですね・・・私も信じられない気持ちなのですが・・・」


思わず目を細めて彼女の状態を観察する。

つい数秒前まで苦悶に歪めていた陰りは一切見られない。

それどころか、キョトンと目を丸くする彼女の様子は健常体そのものと言ってもいいほど、怪我人という印象が拭い去られていた。


「・・・どういうことだ?」


「と、言われましても・・・戴いた薬が凄い、としか・・・」


(あの錬金術師、いったい薬に何を混ぜ込んだんだ・・・?)


おそらく受けた傷は治っていないだろう。

文字通りの「鎮痛」。

薬の力で痛覚を麻痺させて、一時的に体を動かせる状態に持って行っているだけだと思う。

だが、それでもこの即効性は異常の一言だ。

こんなものが仮に軍部や騎士隊などに普及すれば、戦場は大きく変化するだろう。

戦力増強というメリットと、身体酷使による死亡率増加というデメリット。どこで折り合いをつけるかは国々の道徳に左右されるだろうが、間違いなくその二点の針は大きく揺れ動くだろう。


―—これは危険な薬だ。


(——・・・なるほどな。ヒョドリーは『フセンの毒を調薬する方法は人間社会には存在しない』と言った。いくらでも売り込む機会はあるし、薬の錬成はアイツの技能なくして実現できない。つまりこの鎮痛剤を流通させるだけでアイツは世界を揺り動かせる存在になれたはずだ。それをしなかったのは、そんな展開に興味が無かったのか、この薬がどういう影響を人間社会に及ぼすのかを予期していたか、か。まあ・・・両方だろうな)


この鎮痛剤の普及は、混乱と破滅を招くだろうことはある程度、軍事事情を知っていれば簡単に予想がつく。当然、そんなつまらないことで社会構成を破綻させることはしないだろうし、そもそもこれを使って何かをする、という点において興味がない、ということなのだろう。


だが特筆すべきは、錬金術師という肩書を手にした土系統の魔法師。

そのさらに極地に足を踏み込んだ者は「それが出来る」ということだ。

ヒョドリーに関しては彼の性格が幸いして、そういった未来には進まなかったが、もし我欲に塗れた者が「技術」を手にしたら?


「・・・」


ヒザキはふと、クラシスという男を思い浮かべた。

何故、と問われれば、明確に回答できる言葉は無い。彼は風の魔法師であり、土魔法とは無縁であったはずだ。短い彼とのやり取りの中や、他者の報告を聞いても、彼が土魔法を使おうとした素振りは一切なかった。生死にかかわる場面であっても、だ。


(だが、何処か・・・引っかかるな)


まるで手にいつの間にか絡まっていた一本の蜘蛛の糸のように。

それはヒザキの中で極小の違和感として残った。


「ヒザキさ――いえ、ヒザキ殿」


名を呼ばれ、意識が現実に引き戻される。


「ああ」


「この度は・・・見ず知らずである私をお救いいただき、ありがとうございました。御身に戴いた懇情こんじょう、深く感謝申し上げます」


今までロクに体を動かせなかった鬱憤もあったのか、彼女はやや大袈裟な仕草で態勢を整えてこうべを垂れた。


「私の名は――アーリア公国、ナダル大公の西方を守護するマーゼル騎士団の騎士長を務めさせていただいております、サファイア=ヘルナンデスと申します」


「まあ、鎧の紋章からアーリアの出だとは思っていたが・・・まさか騎士団の、それも騎士長様とは思わなんだな」


「その割にはあまり驚かれないのですね?」


「元々感情の起伏が乏しくてな。十二分に驚いているさ」


「ふふ、そうですか」


口元に指先を当てて微笑む姿は、貴族にも通じる上品さを感じさせるものだった。

公国は貴族主導の国。

実力もさることながら、国を守護する騎士団のメンバーということは、貴族に名を置く一人なのかもしれない。


「失礼ながら、先ほどの神薬しんやくはヒザキ殿が?」


「いや俺じゃない。下に薬師もこなす爺さんがいるから、礼はそいつに言ってやってくれ。そいつがさっき作った薬なんだ」


神薬、という表現がスルッと出てくるあたり、何かしらの信仰を持っているのかもしれない。などと考えながらヒザキは階下を指さした。


「なんと・・・このような人智を超えた効果を発揮する薬を造り出せる御仁が・・・」


「あー、感動しているところに横槍入れるようで、すまないんだが――」


「はい」


「この薬については秘密にしておいてほしい。アンタも騎士団を束ねる身であれば想像はつくだろ?」


「・・・!」


ヒザキの言葉に思い立ったように、サファイアは顔を上げた。

今は体を自由に動かせることにばかり意識が傾いていたため、鎮痛剤のことまで頭が回っていなかっただろうが、こうして話題を向ければすぐに理解するあたり、頭の回転は速いようだ。


「そう、ですね・・・。かしこまりました、マーゼル騎士団の名にかけて此度賜った薬については私が墓の中まで持っていくことを約束いたします」


口頭による約束など本来であれば全く信頼できない無意味なものだが、騎士が騎士団の名を口にして告げた約束だ。全幅とまで行かずとも、彼女なりの誠意としては受け取れる。


(仮に約束が反故ほごされ、口伝で情報が漏れたとしても、製法はヒョドリーが握っている以上、世間に広がることはないだろう。可能性を他者が手にするというリスクはあるものの、そこまで枷をつける必要はないか)


「ああ、宜しく頼む」


「はい、恩人の頼みを無碍にするような無礼は働きません」


「・・・」


真っすぐな瞳だ。

何処となくミリティアを彷彿とさせる。

これは自分の生きる道に矜持を持ち、何ら疑いなく邁進する者の目だ。

結局のところ、ミリティアは自分の弱さや迷いを隠すために被った仮面だったわけだが、彼女サファイアはどうだろうか。


ヒョドリー特製の鎮痛剤の話はこのぐらいで切り上げて、ヒザキは本題に入ることにした。


「で、何をそんなに急いでいたんだ?」


「あ、・・・」


彼女がしがみつこうとしてでも成そうとしていたこと。

彼女はそれを口にしようとしたが、言葉は喉奥から出ず、僅かに拳を握りしめた。


「——いえ、お救いいただいた身でありながら恐縮ですが、これは私共の国の問題。ヒザキ殿に不安を煽るような内容になるかもしれぬ故、恐れながら伏せさせていただければ幸いです」


「ん?」


てっきり何かしらの相談事へと発展するかと思っていたが、ヒザキの予想に反して、サファイアはその内容を口にしなかった。

火急の話でありながら秘匿性の高い内容なのか、それとも彼女の言う「不安を煽る」ものという点から気を使ってのものなのか。


「ヒザキ殿は旅のお方なのですか?」


「いや、事情があって・・・ここにいるが、一応普段は国に居を構えている」


馬鹿正直に「地下水脈を探索していたら水源となる川の中流まで流れ着いてしまった」などと話す必要もないと思い、若干ぼかした言い方で説明をした。


「そうでしたか。もし宜しければ・・・後日、お助けいただきました謝礼にお伺いしたく存じますので、お住まいの国名をお教えいただけますでしょうか?」


「国名を?」


さて安易に答えるべきかどうか。


誕生したての不安定なグライファンダムの名を口にすることで、メリットはあると思われる。

相手は遠国とはいえアーリア公国の上役ともいえる騎士団の騎士長だ。関係を持つことは決して無駄ではないだろうし、今回の恩を外交関係へと繋げる足掛かりにもなるかもしれない。

となればここで「グライファンダム」の名を口にすることは得策にも思える。


だが逆に相手国の情勢も調査せず、互いの求める利点等から得られる未来図すらも描かずに、無策に話をするのも危険な行為である。交渉する材料も分からず、下手をすれば気づかずに相手に有利になる情報だけを迂闊に漏らす可能性だって出てくる。

アーリア公国は「この世界」で最西の国。ヒザキも遠方の山林に囲まれた国にわざわざ目的も持たずに訪れることもなかったので、正直、あまりこの国の内情は知らない。せいぜい国紋を知っている程度の浅い知識でしかないのだ。


「・・・」


ヨルンに対しては、あちらの目的地がグライファンダムだと言うこととヒョドリーの存在が前提にあるため、隠さずに国の表面上のことだけ話をしたが、サファイアの場合はあまりにも判断材料が少なすぎる。

どうしたものかと思案していると、サファイアがおずおずと口を開いた。


「・・・申し訳ありません、ヒザキ殿。厚かましくも過ぎたことを聞いてしまったようですね」


「ん、ああ・・・いや。こちらこそ返事に窮してすまなかった。俺がアンタを助けられたのも全て偶然の出来事だ。わざわざ謝礼に伺うほど気を遣う必要もない」


「そう、ですか・・・」


思わず突き放すような言葉になってしまい、サファイアは肩を落としてしまった。

恩義には礼を尽くす。

彼女の一挙手一動を見ていると、そういう性格なのだろうと思える。

今回は素性を明かさずに終えるかもしれないが、もし今後、グライファンダムとしてアーリア公国と何かしらの関係を持つ機会が訪れるのであれば、その際はもう少し彼女に歩み寄るのも良いのかもしれない。


サファイアは軽く首を振り、気を取り直して再び顔を上げた。


「ヒザキ殿。私は此度の恩を忘れません。もし・・・次にお会いすることがありましたら、必ずや貴方のために力になりますことを誓いましょう」


「大袈裟だな」


「性分なのです」


ヒザキの言葉に、少し表情を砕けさせながら彼女は言った。


ただ彼女のこの言葉は有難い。

アーリア公国関連との繋がりが発生した場合は遠慮なく頼らせてもらうかもしれない。


「・・・ヒザキ殿。失礼ですが、この場所はどのあたりなのでしょうか? 先ほど私はセーレンス川に漂流していたと仰られておりましたが・・・」


「ああ・・・俺も流れつ――実はあまり場所を把握してなくてな。その点に関しては下にいる連中に聞くのが手っ取り早いだろう」


「下、といいますと・・・あの神薬をお作りになった?」


「まあそうだな」


ライル帝国とアーリア公国が何かしらの外交問題を抱えている話は聞かないが、実際に国の重役にしか伝わらない話もあることだろう。階下にいるヨルンたちがライル帝国の人間として素性を明かすかどうかは、本人たちの判断に委ねるのが正解だろう。

ヒザキは余計なことは言わずに「下に降りるか?」とサファイアに尋ね、彼女は「宜しくお願いいたします」と深く頭を下げた。


サファイアは布団から体を出し、丁寧に掛布団を折りたたんで立ち上がった。

女性用の替えが無かったため、彼女は鎧の下に来ていた白地の簡素なインナーの格好だったが、ヨルンたちが焚いた暖炉の温もりが旅人の宿全体に行き渡っていたため、彼女は特に寒がる様子は見せなかった。

運び込んだ当初は全身が雨に濡れていたため、風邪をひく心配もあったが、今の彼女の様子を見ている限り、大丈夫そうだ。


「大丈夫か?」


立った瞬間、サファイアが体をグラつかせたため、声をかける。


「はい、少し・・・手足の感覚が遠のいていたようですが心配には及びません。ありがとうございます」


「ああ」


何度か足元の確認をし、大腿部や脹脛ふくらはぎの状態を指先で触診し、サファイアは「お待たせしました」と小さく頭を下げた。


「そういえば・・・」


「はい」


「騎士団長、とのことだが・・・身分は貴族、ということでいいのか?」


「ええ、お恥ずかしながら貴族としての席も持っております」


「そうか・・・ではヘルナンデス卿、と呼んだ方がいいかな?」


その確認にサファイアはキョトンと目を丸くした後、小さく笑った。


「ふふ、気軽にサファイア・・・とお呼びいただいて構いません」


貴族、と言えば世襲制で生まれながらに地位というものを持ち、その家名に誇りを持っている者が多い。中世から変わらず・・・というより、中世時代の資料を基に今の体制が作られた経緯もあるので、逆に中世でいう「貴族」というものを模倣したのが現時代の貴族と呼べるのかもしれない。


(さて・・・不可解な点がいくつかあるが、どうなることやら・・・だな)


横目で背後をついてくるサファイアの気配をとらえ、ヒザキは幾つか点在する疑問点を胸の内に抑え、彼女と共に階下へと降りていった。


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