表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テトラ・ワールド  作者: シンG
第2章 アーリア事変
84/96

第8話 ヒョドリーの悪癖

かなり遅くなりましたが、今年も一年宜しくお願いします!

皆さま、よいお年をお過ごしくださいm( _ _ )m

ドドドドド、と掘削機で地面を延々と抉っているのではないかと錯覚してしまうほどの轟音が耳をつんざく。

音の正体は言うまでもなく、大雨によって増水したセーレンス川の激流と、木々や地表に叩きつけるように降っている雨音が織りなすものだ。


増水によって複雑に幾重にも水流が織り込まれた今のセーレンス川は、一度足を踏み入れれば、すぐに足をすくわれて水流の渦に飲み込まれ、流れが落ち着くまで二度と地上へは戻れないだろう。それほどまでに荒れ狂っていた。穏やかな清流として有名なセーレンス川からは想像もできない状態だ。


加えてまだ日も昇らない深夜帯だ。

明かり無しでは、四方八方、何処に何があるか分からないほどの暗闇だ。

雨雲の影響で、月は雲の上に隠れてしまい、人工的なもの以外で光源となるものは何も無かった。


常識で考えれば、こんな夜の世界を進んで闊歩しようだのと考える者はいないだろう。


ヒザキは、ヒョドリーが幻想種スライムによって破損された瓦礫などを使って錬金術で作り上げた――小型のランプの中に入れた蝋燭の火を光源に、険しい木々の合間を抜けて、目的となるセーレンス川の傍までようやくたどり着いた。

後ろをぴったりついてきたヒョドリーは「ヒッヒ、こら足を滑らせたら終わりだのぅ」と楽しそうに舌を滑らせる。


道中、広角から攻めてくる水の圧が鬱陶しいことこの上なかったが、ようやく目的地に着いたことに小さく息をついた。


そして小さな蝋燭が中で燃えるランプを前方へかざし、荒れ狂う激流を視界に映し出させた。


「・・・」


小さな明かりでは分かりにくいが、想像以上の惨状だった。

水圧によって削られた木々や岩の欠片が、水流の合間から顔を出しては飲まれて消えていく。

どうやらヒザキがサファイアを助けた時間から今に至るまで、休むことなく振り続けていた大雨は、セーレンス川を暴れ馬に仕立てていたようだ。


「さて、ヒザキよ。どうやってここからタイラントを探しあてるつもりじゃ?」


「・・・・・・何か網目のような道具を作れないか?」


「ヒッヒ、作ること自体は可能じゃが、この激流ぞ? 仮に鉄製の網を用意してたとしても流れてくる土砂物に破壊されるのがオチじゃと思うがのぅ」


確かに。

正直なところ、サファイアに対して「痛みを引かせる」ことが目的であり、その手段がヒョドリーから提示されたことで目先がそちらばかりに向いていたせいか、この大雨の中でしかも上流に住み着くタイラントが偶然流されてきたところを捕獲することがいかに確率の低い話かをしっかりと失念していた。

その失念は、こうして現状を目の当たりにすることでようやく思い当たった、というところだ。

実に間の抜けた話だ、とさすがに自嘲せざるを得ない。


振り向くと、いつの間にかヒョドリーは近くの巨木を土魔法——錬金術で変異させ、簡易的な小規模のログハウスを構築し、その中の木製の椅子に腰かけていた。ちょうどヒザキと向かい合う壁一面だけがくりぬかれている状態のため、よくそのくつろぎ具合が見て取れた。

何とも豪勢な傘替わりなことだ。


「ほれ、考えている暇があるんだったら、こっちの燭台にも火を灯してくれんかの」


「む・・・」


ヒョドリーの腰かける椅子の両端にご丁寧に木製の燭台と、予備に持ってきたであろう蝋燭がセットされていた。


確かにランプに片手を取られるのは、特に隻腕であるヒザキには煩わしいものだったため、こうして固定された光源を設置してくれるのは助かるが、どうにも掌で踊らされている感が否めない。


(まあ、色々と失念していたのは俺だから何も言えないのだが・・・)


ため息も頭上からの雨に流されていく中、ヒザキはランプを足元に置き、指先をヒョドリーの横の蝋燭に向ける。やがて浮かび上がる魔方陣が砕け散ると同時に、音を立てて二つの燭台に火が灯った。


「ヒッヒ、おっと風が横なぎになってきたのぅ」


雨の向きが変わり、吹き抜けになっていた空間から雨がヒョドリーの足元まで侵入してくる。

それを見て、ヒョドリーは素早く魔方陣を紡ぎ、足元に掌をかざした。

ギギギ、と軋む音を立てながら、ログハウスはさらに変形していき、ついにはヒザキと対面にあった空間にも壁が出来上がってしまった。

まさに出入口のない密室の出来上がりだ。

隙間が無くなったことで、せっかく灯した燭台の明かりも消え、足元のランプの光だけがヒザキを寂しく照らしていた。


「・・・・・・あいつ、このまま中に籠ってやり過ごすつもりか?」


とりあえず、このまま数分待って姿を現さなかったら、ログハウスごと燃やそうと決心しつつ、雨風に吹き飛ばされる前にランプを再び右手に持った。


「・・・この状況で、上流から来るかどうかも分からない魚を捕まえる、か」


試しに数歩進んで右足だけ川に踏み込むが、激しい水圧に全身を持っていかれそうになる。

すぐに右足を引き抜き、元の場所まで後退した。

明らかにヒザキが地下水脈から流れ着いたときより、数倍も水流が強くなっていた。ランプの明かりだけといえど見れば想像もつくし、雨の状態と川の音を聞けば理解もできるわけだが、こうして改めて実感すると思わずため息が出てしまうものだ。


「まったく・・・なぜ、出発前に思い至らなかったのか、自分でも不思議だな」


これが彼女ではなく、リーテシアやミリティア、グライファンダムに新しく居を構えた者たちなら分かる。短い付き合いとはいえ、ヒザキの中では彼女たちは軽くあしらうことのできない、大きな存在となってしまった。だから彼女たちに何かあれば焦るし、正常な思考もいくらか抜け落ちることもあるだろう。


だがやど宿の二階で寝込んでいる女性は、鎧の紋章からどこの国の出身かある程度は察しがついているが、それでも完璧な他人と言っても差し支えないほど、関係は浅い。

故に特に人間性の欠けたヒザキにとって彼女に対して、何かしらの動揺を受けることは無いと思うのだが・・・、と考えていたところで、ふと可能性を思いついた。


(よく考えれば・・・今こうして、この場にいること自体、リーテシアたちに迷惑をかけている状態、と言えるな)


自分の中では区切りを一つつけて、現状の打破に意識を割いていたつもりだったが、どうにも自身で認識している以上にグライファンダムという存在が胸の内を占めているようだ。

冷静に行動を起こしているつもりで、無意識に早くグライファンダムに戻ろうと逸る自分が常にいたということだ。


(感情が・・・制御できていない、のか)


薄々、アイリ王国での自分の行動や心情から感じていたことではあったが、いよいよ間違いなさそうだ。


(これは・・・少々マズイな)


チリ、と深層の奥深くで何かが燻る感覚。

これを呼び起こしてはいけない。

ヒザキはランプを握る右手を、僅かに開閉して精神を落ち着かせた。


「なんにせよ・・・今はタイラントとやらを捕まえるのが先決か」


タイラントどころか、良く見かけるヤマメなどの川魚すら捕まえられる気がしない川の状態だが、一度交わした約束だ。ダメ元でも可能な限りの行動はすべきだろう。


(だが悠長にも構えていられないな・・・)


彼女は全身に耐えきれないほどの痛みを抱えながらも何かを訴えていた。

その何かとは、どの程度急き立てられることなのか。聞いてみないことには分からないが、いざ、長時間経った後に尋ねて「全て手遅れでした」なんて結果になれば、さすがに他人事とはいえ居心地が悪い。


ヒザキは静かにランプを持つ右手を掲げ、手の甲あたりに魔法陣を展開する。

無論、火の魔法陣だ。

魔法陣はヒザキの意を受け、拡張するように大きく広がった。


「さて、頼んでいる身としては横暴かもしれんが、のんびりと遊んでいる場合でもないんでな」


背後のログハウスに向けての言葉だったが、この雨音にかき消されて、その言葉は届いていないかもしれない。が、その気配は察したのか、背後の木家からおどけたような仕草をした老人がいつの間にか姿を現していた。


「ヒッヒッヒ、融通も冗談も効かん男は伴侶と末永くやっていけんぞ」


「生憎だが、伴侶と呼べる女性には縁が無くてな」


「ま、それもそうかのぅ。同じときを歩む者など、この時代におらんのは必然じゃからの」


「・・・」


ヒザキはログハウスの影に佇む老人と向き直り、右手を払って発動前の魔法陣を消し去った。


「何にせよ、森林を焼き払うことにならずに済んで何よりだ」


「・・・冗談なのか本気なのか分かりづらい男もモテんぞ?」


「・・・放っておけ」


ログハウスを燃やすつもりだったのは勿論本気だったが、さすがにヒョドリーを家から出すために森林を焼き払うつもりはない。つまり半分は冗談のつもりの言葉だったのだが、ヒョドリーが比較的呆れたように言ってきたため、ヒザキもそれ以上言い返せなくなってしまった。


ログハウスを改めて見てみれば、いつの間にか壁にドアが出現していた。

こうしてみると、土魔法の極地、錬金術とは誠に汎用性と利便性溢れた魔法なのだと実感させられる。おそらく人類の文明、生活においてこれほど有用な魔法は存在しないだろう。

もっとも中世に近しい文明レベルと化した現世に、錬金術という万能術が浸透していないところから、いかにこのレベルの土魔法師が存在しないかを物語っていた。


「で、手法は決まったのかの? ワシとしちゃ燃やすか破壊するかしか能がないお主がどうやって活路を拓くのか見物だったのじゃがのぅ」


「悔しい話だが、まさにその通りだ。何か良い案はあるか、錬金術師殿」


「ヒッヒ、やれやれ・・・そう素直に返されるのが一番やり辛いわい」


「ああ」


だからそうしているのだ。

人の感情の機微を突っつき、悪戯心に煽ってくる性格が玉に傷なヒョドリーだが、結局素直に願いを伝えれば可能な範囲で手を貸してくれる一面があることも良く知っている。

結果に至るまでの工程に時間がかかるのは勘弁願いたいところでもあるが、それを差し引いても彼の助力は大きい場合が多い。今回の貸しを機に、また後日以降に色々とからかってくる未来が目に見えているが、それは我慢しよう。


「ま、仕方ないのう」


頭を掻きながら、ヒョドリーは雨に濡れながらヒザキの横まで歩いてきた。


「悪いな」


「いいってことよのぅ。それより、この荒れ狂ったセーレンス川からタイラントを捕獲する方法じゃったな」


「ああ、確率が悪くても構わない。可能性がゼロではないやり方を教えてくれ。あと出来ればタイラントの外見も教えてくれると助かるんだが・・・」


「ヒヒ、覚えている範囲はどの程度じゃ?」


「記憶にあるのは、そいつの腹の中に植物の残骸があった、という光景だけだ。さほど大きな魚ではなかったことは覚えているが、似たような川魚はごまんといるからな・・・」


「なるほどのぅ。となれば、こんな野晒しの中で語るものでもないじゃろ。即興小屋で一つ、その辺りを教えるというのはどうじゃ?」


「・・・まあ、それはそうだな」


やはり気持ちが逸っているのだろうか。

行動に移るでもなく、川沿いに豪雨の中、突っ立っていた自分に思わず首を傾げてしまいそうだ。

ヒョドリーがそこまで考えた上でのログハウス錬金だとすれば、少し己が恥ずかしくなる結果だったと言えよう。


二人はずぶ濡れのまま、ログハウスの扉をくぐり、全身の雨雫を玄関先でふるい落とし、これまたいつの間にかもう一対増殖していた木製の長椅子にそれぞれ腰かけた。


「ほれ、薪を用意したぞ。火をつけてくれんかの」


「む」


先ほどまで無かったはずの焚き火台なるものが、二人が座る長椅子の間に存在していた。

というか、長椅子の距離もいつの間にか伸びている気がする。


(・・・リーテシアの地下空洞での土魔法も十分に常人離れしていたはずだが・・・やはり、錬金術師のレベルともなれば、技量が違いすぎるな。錯覚すら覚える間もなく、環境が変化しているというのは・・・どうにも慣れないものだな)


そんなことを思いつつ、ヒザキは最小の火炎魔法を発動させ、ヒョドリーが錬成したであろう焚き火台の中にある薪に火を灯した。


「・・・それで本題だが」


「まあまあ、焦るでない。物事を成功したくば順序というものを正確になぞる必要があるじゃろ」


「アンタにはその順序が既に出来上がっているのか?」


「当然じゃ。そもそもこの提案をしたのはワシじゃろうて。勝算無くして話を持ち掛けるなんぞ論外じゃ」


「ああ、そうだな」


「ヒッヒ、素直でよろしい。それじゃまずは『おさらい』みたいなものじゃが、お主はワシの七十三層重箱アースド・ポケットを覚えておるかの?」


七十三層重箱アースド・ポケット

その名はヒザキの知識にしかと残っている。


「アンタが得意とする固有魔法、だったか? 詳しいギミックは知らんが、六十層程度のパーツで構成された箱みたいなものが地中のいたるところに配置している、という話だったか?」


「七十三層、じゃ。まあ大体は覚えておるようじゃが・・・ワシの力を知る数少ない奴なんじゃから、もう少し真剣に覚えておいてほしいものじゃな」


「そういえば、それに関してはアンタも納得の出来だの何だのと騒いでいた記憶があるな」


「ヒッヒ、そうとも! これこそワシの土魔法の最高傑作! 七十三層に重なった正方形の箱型をそれぞれ決まった方向に合わせなければ、中心部にある中身を開けることは叶わない――いわばワシ以外には絶対に開けられぬ金庫のようなものじゃ」


「・・・そもそも層ごとに重なっている箱の向きをどうやって変えるんだ?」


「まあ力業では不可能よの。無論、土魔法で層を操作して開錠していく仕組みじゃよ。ま、口にしても理解できんように作っておるから、構造上で疑問が生じるのは当然のことじゃな」


「そうか。・・・熱く語ってくれているところ申し訳ないが、その七十三層重箱アースド・ポケットがどう関係してくるんだ?」


「・・・せっかちじゃのう。あと10時間は語りたいところじゃが、今は目先を優先するとするかのう・・・」


話を打ち切ろうとするヒザキに対して口を尖らせるあたり、七十三層重箱アースド・ポケットに対しての熱意が伺える。

だが彼も言った通り、今はタイラントの捕獲が優先だ。


七十三層重箱アースド・ポケットはの、ワシの魔力が行き届く範囲――おおよそ最大にして半径三キロ程度かの。その範囲内にあれば、地中を通じて手元に呼び寄せることが可能なのじゃ。どうじゃ! 便利じゃろ!?」


「わかったわかった。便利なのは認めるよ」


「ヒッヒッヒ、七十三層重箱アースド・ポケットは各地にワシが埋め込んでおる。中には旅路で必要なものや、先々で手にした貴重品なども収納しておってな。こうして旅先で足りんものが生じた際に取り寄せることが出来るのじゃ。まあ・・・三キロ以内にある七十三層重箱アースド・ポケットに入っているもの限定ではあるがのぅ」


「それで?」


「ヒヒ、刮目せよ? こいつがワシ自慢の宝箱じゃよ」


笑いながらヒョドリーは土の魔法陣を展開し、ログハウスの床に掌を合わせた。

魔法陣は砕け散り、粒子となった魔素がログハウスの床――そのさらに下の地中へと浸透していった。

やがて数秒後、軽い地響きの後にログハウスの床を突き抜けるように巨大な銀の箱が顔を出してきた。

一辺五メートルはあるだろうか、巨大な箱だ。

即席のログハウスには収まりきらず、一部だけが床から突き抜け、二人の前に出現したような状況だ。

焚き火台は吹き飛ばなかったものの、一つの燭台は巻き添えを食い、破壊されてしまったため、若干周囲が暗くなった気がした。


続いてヒョドリーは七十三層重箱アースド・ポケットと思われる銀箱に手を当て、再び魔法陣を展開する。

すると、ガコガコ、と機械音を発しながら銀箱が小刻みに揺れ動く。

どうやらこれが――七十三層とやらを組み替えている過程のようだ。


時間にして20秒程度。

本当に七十三層もの箱を組み替えているのであれば、この時間は早すぎる。彼の脳内には考えずとも自然に解けてしまうほど、このギミックの構造を熟知している、ということだろうか。

また不思議なのが、幾つもの層があるというわりに、箱の容積が変化しないということだ。マトリョーシカのように、重なった箱が幾層にもあるのであれば、最後の七十三層目の箱はかなりの小ささになっているのが道理だが・・・全くもって奇妙な箱だと認識させられる。


「ヒッヒ、開いたぞ」


やがて銀箱は鍵が開く音と同時に、上部の蓋が開き、ゆっくりと箱の中身を外部へと晒していった。


「中を見ても?」


「おっと、いかにお主との仲といえど、それは遠慮願いたいのぅ」


「わかった」


気にならないと言えば嘘になるが、この箱の中身は完全に彼のプライベート空間だ。

土足でそこに踏み込むほど、道理を踏み外すつもりはないため、ヒザキはすぐに手を引いた。


「ヒッヒ、聞き訳が良くて助かるのぅ。さてさて、こっからが本題じゃ」


ヒョドリーの言葉にヒザキは小さく頷いた。

ヒョドリーは箱から取り出したものをヒザキに手渡した。

大きさにして直径50センチメートルほどの長方形型の何かだ。


「これは・・・」


手にしてヒザキは目を丸くした。


「そうじゃ、一時期ワシも釣りにハマっていた時期があってのぅ。ハマると今度は釣果を形に残しておきたくなっての。その際に釣った魚を結晶の中に閉じ込めて腐敗しないままの形で保存することにしたのじゃよ」


長方形型の物体。それは透き通った石英か何かの結晶だった。おそらく錬金術で生成したものだろうが、その結晶の中に確かに30センチ程度の魚が当時の姿のまま残っていた。


「まさか、これが?」


「そう、タイラントじゃ。あ、壊すでないぞ? 剥製のように当時の姿を維持しているものの、冷凍保存コールドスリープしているわけではないからの。あくまでも結晶に閉じ込める際に空気を抜いて防腐効果を高めているにすぎんのじゃ。つまりタイラントの内部で濃縮された毒素は既に抜け落ちている状態ということじゃな」


「・・・そういうものなのか?」


「過去に興味本位で実験をしておったからな。経験上、そうなると見て良いじゃろ。学術的な説明を求めるなよ? あくまでも釣りという趣味の延長線上で測っただけのものじゃからの」


「そうか・・・」


目的のものが目の前にあるというのに、それが使い物にならないという。

何とももどかしい気持ちになるものだ。


「ともかく、タイラントの外見については百聞は一見に如かず、ということじゃ」


「そうだな、とりあえずどういう魚に絞ればいいかは分かった。助かるよ」


「ヒッヒ、どういたしましてじゃ」


ひょいとヒザキの手からタイラント入りの結晶を取り、七十三層重箱アースド・ポケットに戻した。

ヒョドリーは「さて次じゃが・・・」と箱の中を探り、何度か中の物を押しのけた後に「おお、やはりあったか」と呟いて目標の物を取り出した。


今度は瓶だ。

瓶の底には黄土色の粉末状のものが溜まっていた。


「それは?」


「うむ、これがフセン――いわゆる藍六花あいりっかを数日乾燥させ、ワシ特製の精油を混ぜた後に粉末状にしたものじゃな」


「ほう」


「こうした工程を踏まえてできたコイツが薬になる、というわけじゃな。タイラントの腹に収まった毒素っちゅうのは消化液や体内の酵素と結合して、ちょいと錬金術でももとに戻すのが億劫な状態ではあるが、不可能ではない、といったところじゃ」


「つまり、アンタならタイラントから抽出できる毒素から、この粉まで錬成することができる・・・ということか」


「ヒッヒ、そんなことができるのは、おそらく世界見渡してもワシぐらいじゃろうてな」


「・・・そうだろうな」


外聞からくる話では、錬金術とは「物を変化」させることに特化した力であり、彼のようにすでに別物と化した化合物を分解し、元の状態に戻すなどと馬鹿げたことを出来る魔法師はいない。少なくともヒザキの人生の中では聞いたことがない。


お世辞でもなんでもなく、目の前にいる老人は世界最高の土魔法師、錬金術師といえるだろう。


(リーテシアも彼に師事を仰げば、中々の使い手になりそうな気がするが・・・)


ヒザキはさり気に悪戯好きの老人を流し見した。


(・・・・・・純粋な彼女にとっては、ある意味『毒』になるかもしれん。せめて成人して世間というものをある程度身に沁みませるまでは止めておいた方がいいかもな)


フセンと同様に、人間も毒ともなれば薬にもなる。

ヒョドリーに関して言えば、子供大人にかかわらず遠慮なく自分の関心の赴くまま接していく部分があるため、まだ子供であるリーテシアには刺激が強するぎる、という意味で「毒」だと判断した。無論、彼の知識や魔法に関する能力は紛れもなく屈指のものだ。そういう部分だけ吸収できれば、最高の良薬になるのだが・・・そう上手くいかないのが人間社会というものだ。


「さて、標的も把握したであろうし、後顧の憂いなくタイラントの捕獲に向かってくるといいぞ。タモぐらいは作ってやろうかの? ヒッヒッヒ」


「ああ、それは助かるんだが、幾つか疑問がある」


「ん、なんじゃ?」


白々しく痩せ細った顎をさする老人を目の前に、焚き火の火がパチッと弾ける。


「俺たちは何のためにここに来たんだ?」


「ふむ? 何をいまさら・・・タイラントの捕獲じゃろうて」


「それは手段であって目的ではない。俺の目的は宿の二階で寝込んでいる彼女の痛み止めを手に入れることだったはずなんだが?」


「ほぅ、そうじゃったそうじゃった。年を取ると物忘れが酷くて嫌になるわい、ヒッヒッヒ」


「・・・・・・・・・念のため確認するが、七十三層重箱アースド・ポケットの中身は覚えていたのか?」


「ヒッヒッヒ、何を馬鹿なことを! 覚えておらねば、わざわざ此処に寄せることもなかろうて」


確信犯か。

ヒザキはスッと目を細めて、ヒョドリーを睨んだ。


「で? 『薬』は手元にあるのに、わざわざ遠回りをさせる気か?」


「ヒヒ、なんじゃつまらん。さすがに実物を見ても気づかんほど焦ってはおらなかったかのぅ」


「・・・」


つまり。

最初から、痛み止めの話をもちかけたあの瞬間から、彼の悪戯は始まっていた、ということだ。

タイラントの話は事実と言えば事実なのだろうが、それもヒザキに真実味を持たせるための材料。今の口ぶりからして、要はヒザキがどれだけ内心で焦りを感じ、冷静な行動ができないかを観察して愉しんでいた、ということだろう。


全く以って悪趣味この上ないが、これがヒョドリーの性質であり、分かっていたはずのヒザキが今更気づかされている時点で、やはり相当に冷静さを欠いていた証明でもあった。


「まあ待て、待つのじゃ。この七十三層重箱アースド・ポケットを呼び寄せるには、この辺りまで来る必要があったのは確かじゃぞ。つまりフセンの粉末を手に入れるには必要な行動だったのじゃ」


「なるほど。だがそうなると、タイラントのくだりは不要だし、アンタが一緒に来るのを渋る素振りを見せたり、俺に捕獲を続けさせようとするのはおかしな話だと思わないか?」


「・・・」


「・・・」


しばし視線を合わせた後、ヒョドリーは額に拳をコツンと当てて、舌を出した。



「いやぁ、お主らしからぬ浅はかさの連続と、大雨にずぶ濡れになりつつも立ち尽くす姿は、傍から見ていて中々滑稽じゃ――」



ったぞ、と言い終える前に、ここ二日間で何度目かにある、大雨の中の火柱が立ち、ヒョドリーが錬成した小屋ごと全て焼失していったというのは、二人だけが知るこの夜の出来事だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ