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テトラ・ワールド  作者: シンG
第2章 アーリア事変
83/96

第7話 一夜はまだ終わらず

更新が遅くなって申し訳ありません、、、m( _ _ )m

仕事の関係で12月から今年度が終わるまで、少し更新の頻度が下がるかもしれないです(;-;)

パチ、と目が覚める。

長時間、冷水に包まれて固まっていた肢体にようやく温もりが戻り、全身に血流が巡っていくのが分かる。


―—生きていることを実感できる。


「・・・・・・・・・?」


ここは何処だろうか。

顔を傾けようとすると、頸部に神経痛を感じ、思わず片目を瞑ってしまう。

寝違いに近い感覚だが、その痛みの度合いは比べ物にならないほど重い。


「・・・・・・・・・ぅ」


顔を動かすのは諦めて、焦点が定まってきた眼球を忙しく動かすことにした。


―—やはり見知らぬ場所だ。

木造の小屋、隅までの距離感からさほど大きな部屋ではなさそうだが、それだけではこの場所の全容は測れなかった。


胸元から爪先にかけて、毛布が二重にかけられている。

毛布の保温効果も勿論だが、室内にこもった熱がジワジワと体の芯から温めてくれるようで、どこか表現しようのない安心感を与えてくれる。

思わず毛布の中に身を丸くしようとしたが、同時に全身の筋肉や骨が例えようのない程の悲鳴を上げたため、涙目になりつつもゆっくりと元の態勢――仰向けの状態に戻った。

どうやら首だけでなく、全身の至る部位に損傷を負っているようだ。寝ているうちに自然と痛みが少ない姿勢を取っていたのか、目覚めたときの手足を伸ばした仰向けの姿勢でいると負担が少ないようだ。


浅く、小刻みに呼吸を繰り返す。


毛布がかけられ、明らかに人の手が入った建造物の中にいる、ということは・・・どうやら自分は誰かに救われたらしい。魔獣に見つかっていれば骨も残さず腹の中に納まっているだろうし、人間であってもならず者に見つかっていれば奴隷の首輪あかしでもつけられて今頃は売り手がいる場所に向かう道中だったことだろう。


(助かった・・・ということかしら)


情けない話だが、自分は命を繋いだことに想像以上の安寧を感じていることに気づいた。

記憶ははっきりしている。

責務を果たせず、部下を死なせ、挙句の果てに醜く足掻いた結果の姿が――これだ。


心が納得しない。やり遂げた感など微塵もなく、一瞬、全身を包んだせいへの安らぎは反転し、怒涛の虚無感へと変貌していった。

後悔の波が押し寄せ、今にもこの心の臓を引き抜いてやりたいぐらいだ。

だが・・・責務は果たせずとも、役目はまだ終えてはいない。

生き残った者の役目。

祖国の傍で悪意ある存在が出現したのだ。国を守るためにすべきことは掃いて捨てるほどある。


「・・・っ」


呼吸をするだけで、肺や横隔膜が軋み、押し上げられた肋骨から神経を押しつぶされたような痛みを感じる。これでは立ち上がるどころか、満足に起き上がることすら困難だろう。

短いスパンで呼吸を繰り返しているのも、大きく肺を膨らませると各所に激痛が走るからだ。


「ぁ、・・・ぐ!」


だが彼女は歯を食いしばって態勢を横向きにし、右手を床に添えて何とか起き上がろうとする。


「~・・・、っ・・・!」


動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け――!

脳から全身に強く指令を送り、激痛と意地の狭間で彼女は歯を食いしばる。


息を荒くし、横這いのまま何度も何度も上体を起こそうと挑戦するも、その意思空しく、どうしても肘が折れ、敷布団の上に頬を落としてその場で蹲る形になってしまう。


「・・・ぐっ・・・」


これが数日前まで、一国の防衛を担うはずであった騎士長の姿とは――何とも滑稽な話だ。

歯ぎしりの音が外から響く雨音よりも大きく鼓膜に響き、その音の大きさの分だけ悔しさが増していく。


「目が覚めたのか」


不意に頭上から降ってきた言葉に、ハッと目を見開く。

全く人の気配に気づけなかった。

いや、気づけるほどの余力が無かったことに今更ながら驚いた。

精神的にも肉体的にも極限まで疲弊した人間が、これほどまでに普段できていたことができなくなるとは・・・まさに身を以って理解した、といったところか。とはいえ「いい勉強になった」だのと殊勝なことを言っている場合ではない。


何でもいい。

言葉を返すことがこの場では必要だと感じ、彼女は口を開いたが、出てきたのは肺から漏れる空気音と、唇を震わせるだけの動きだった。


「・・・、・・・っ」


何かしようとすればするほど、情けなさが募っていく感覚に彼女は生まれてこの方、感じたことのない屈辱感に包まれていく。いや、屈辱はあの怪物とやりあっている最中からあったが、そこから何か成そうとするごとに屈辱度合いの記録が塗り替えられていく、という感覚だろうか。

誰かに思いっきり殴られてスッキリしたいほどの鬱屈が自身に向けて沈殿していた。


「ああ、あの状態じゃ喋るのも難しいだろう。楽な姿勢でいてくれ」


そう言って、話しかけてきた男の声の主は、女性の肩に手を置き、ゆっくりと敷布団の上に当初の姿勢――仰向けの状態に戻していった。

結局振り出しに戻ってしまった虚無感と、痛みに塗れた姿勢から解放された安堵感が胸に広がり、もう考えがまとまらなくなってくる。


(ああ、もう・・・私は何なんだ、くそっ――・・・)


様々な感情の奔流が理性と本能を弄ぶように揺さぶってくる。

正直、一度すべてを忘れて寝てしまいたい気分だが、そうも言っていられない。


「・・・・・・」


多くのことをしようとしても、おそらく今の自分では効率よく円滑に事を運ぶことは不可能だ、と判断する。

故にまずは目先のことから情報処理していこう。

彼女は気持ちを入れ替え、まずは自分に話かけてきたであろう男――青年を見上げた。


第一印象は――炎だった。

静かな炎。

外気に揺れ動くこともなく、ただただ燃え盛る不変の炎。

比喩でもなんでもなく、そう表現できる不可思議な炎が青年と重なって見えた。


(・・・・・・?)


思わず瞬きを数回して、もう一度青年の顔を見直す。

不意に目の端をおぼろげな光の粒子が飛んでいったように見えたが、目で追おうと思った時には消えていた。

そして今度はきちんと人の姿が視界に映っていた。


(い、今のは・・・?)


幻覚?

人と炎が重なって見えるだなんて、おかしな話だ。

それに「燃えている」ではなく「重なっている」と無意識に捉えてしまった自分の感性にも疑問を覚える。

もしかしたら視界がぼやけて、そういう風に見えてしまっただけなのかもしれないが、何処となく心に残る奇妙な光景だった。


気を取り直そう。


女性は再びテンポの速い呼吸で躁鬱になりがちな精神を落ち着けた。

青年は彼女の左側のスペースに腰を落とし、彼女が首を動かさなくても良いように少しだけ前傾の姿勢をとった。

互いに視線を交わし、対話の準備が整ったことを相互に理解する。


(彼は・・・『あの状態じゃ』と言っていた。つまり私が気を失っていた時の状態を知っている人、ということになる。となれば・・・彼が私を助け出してくれた方、ということかしら・・・)


身動きも、ろくに話すこともできない状態だが、頭の中は鮮明だ。

心中ではスラスラと言葉を並べられるというのに、いざ口にしようと思うと、そのうちの一文字すら形にならないというのは実にもどかしいものだ。まあ思考すらもまともに回らないよりは断然マシなのだが、つくづく健常体であるということは恵まれているものだ、と深く感じた。


「俺の名はヒザキという。君の名は後で尋ねるとして・・・」


思わず頷こうとして、頸部から脊椎を通って走る激痛に目をきつく閉じる。

前言撤回。

思考は明瞭だ、などと言ったが、ここまで満身創痍になった経験がないせいか、どう行動すれば痛みに繋がるかを計算できるほど、頭の中は冷静でないようだ。


言葉にならない声を漏らす彼女の様子に、ヒザキは小さくため息をついて「現状を端的に話す。無理に返事はしなくていいぞ」と言った。


思わずその言葉にも頷きかけそうになったが、ギリギリのところで脳がブレーキをかけることに成功した。


「アンタは昨日、セーレンス川に漂流していた。鎧を装備した状態でな。・・・ああ、武具に関しては下にまとめて置いてあるから安心していい」


言われるまで気づかなかったが、確かに川に落ちるまで装備していた鎧や武器は、今は身に着けてないし、先ほど見渡した限りでは近くにも無いようだった。

体を満足に動かせないため、自分の目で確認することはできないが、少なくとも裸ではないようだ。

元々鎧の下に着こんでいたインナーか、もしくは別の乾いた衣類に着替えさせてくれたのか。そんなことを考えてしまうあたり、自分は騎士である以前に女なのだなとサファイア=ヘルナンデスは思った。


「本来なら鎧なんぞ着こんで水中に入れば、一時間と持たずに土左衛門どざえもんになっていてもおかしくないんだがな。そこはアンタが風の魔素に好かれていた、という幸運に感謝するといい」


「——?」


その言葉にサファイアは内心で首を傾げた。

どざえもん、という単語は彼女には理解できないものだったが、何かの例えだというのは文脈から理解できた。おそらく「水死体」あたりの意味合いだと判断する。

ヒザキの台詞から感じた違和感は、そのあと――風の魔素に好かれていた、という部分だった。


(・・・どういうこと? 確かに私は風魔法を得意とするけど・・・それをなぜ第三者である彼が知りえるというの・・・? それが私が助かった理由、というのも分からないわ・・・)


ジェスチャーはせずとも彼女の意図を読んだのか、ヒザキは「そうだな・・・」と説明を付け加えた。


「簡単に言ってしまえば、アンタの体内に蓄積された魔素が生命の危機に応じて体外へ放出され、それが微弱な風の防護壁となって、水流に巻き込まれても大量の水を飲まずにいられた・・・といったところだろう。あくまでも憶測に過ぎんが、アンタを拾ったときに微量の魔素が守るように周囲に浮遊していたから、中らずといえども遠からず、ではないかと思うぞ」


「・・・???」


ヒザキは簡単に言ったつもりなのだろうが、サファイアからすれば全く理解できなかった。

いや、言いたいことは分かるのだが、その理屈が理解できない、というのが正解だろう。

体内に蓄積された魔素?

風の防護壁?

何がどうなってそうなるのか・・・彼女が持つ知識の中に、その答えはなかった。

むしろそんな憶測が平然と出てくるヒザキに、底知れない懐疑の目を向けたくなってしまう。


「・・・」


「・・・」


数秒、そうして視線を交わしていると、ヒザキは「まあ・・・」と口ごもり、


「要するにアンタ自身の魔法のおかげで一命をとりとめた、と思ってくれ」


と詳細な説明を放棄した。

ヒザキは「いらん説明を挟まなければよかった」と言わんばかりに、後頭部を掻く。


(か、確認したいことは山ほどあるけど・・・とりあえずは彼が悪人でないことだけは確か、かしら? ちょっと底が見えない人だけど・・・彼と気絶していた私が遭遇しなければ、私は死んでいた。それは間違いのない事実・・・きちんと謝礼をしないといけないわね)


試しに「ありがとう」と短い感謝を口に出そうとしたが、実際に出てきたのは「・・・ぁ・・・」という掠れた声だけだった。思い通りの言葉すら出せない現状が本当にもどかしい。


「・・・今は休め。最低限、喋られるようになってから事情は聞こう」


そう言うとヒザキは腰を浮かせようとした。

その様子を見て、サファイアは慌てて彼を止めようとする。


(だ、駄目だ・・・! 悠長に回復なんて待っていられないんだ!)


再び全身に走るだろう激痛を覚悟して、彼女は大きく身を捩ってヒザキのズボンの裾を掴もうとする。


「・・・っ、ぁっ・・・!」


思わず苦悶の表情を浮かべてしまうが、それよりも今は彼をこの場に留めることが先決だ。

ここで話が終わったら、次に彼が来るまで何も出来なくなってしまう。

先ほどヒザキが「武具は下に置いてある」と言ったことから、ここが少なくとも二階より上の階層にあることが分かる。

今の体調で彼を這いずりながら追いかけるには、階段を挟むというのは中々心もとないところだ。故に可能な限り、事情を伝えるまで彼にはここにいてもらわなくてはならないのだ。


身勝手な話だ。

彼はサファイアの事情に関係のない立場だし、彼には彼のやることがあるだろう。

それを圧してでも自分の都合を押し付けようとしている。

でも――そうしなくては、破壊の手が着々と祖国に対して侵害していってしまう。無駄な時間は費やせないのだ。いかに無様で人道に背いていても、サファイア=ヘルナンデスにとって何よりも優先する事項は「国を守ること」なのだ。


「おいっ」


「・・・・・・、・・・ま、・・・って」


「・・・安静にしろと言っただろう」


ヒザキが彼女の肩に手を置いて、先ほどと同様に態勢を戻させようとするが、サファイアは歯を食いしばって首を振った。

その頑なな姿勢にヒザキはどうしたものかと思案する。


「素人の所見ではあるが、おそらく川の激流に飲まれた際に後頭部を強く打ち付けている。後頭部にコブがあったからな。それがアンタが気を失った直接の原因だと思うが、その後、風の加護を受けていたとはいえ、防ぎきれなかった打撲が全身にあったように見受けた。もしかしたら骨にヒビが入っている個所もあるかもしれん。鍛えた人間であれど、無理をしていい状態ではないぞ?」


「・・・・・・」


わざわざ分かる範囲で彼女の状態を伝えるも、その目からは一切の揺らぎは感じられなかった。

今こうしているだけでも嗚咽をこぼしたくなるほどの痛みがあるだろうに、それでも彼女はヒザキと視線を逸らさずに見上げていた。


(・・・どうにも、最近出会う年頃の女性は気が強いタイプばかりのようだ)


脳裏にミリティアやマイアーの顔を思い浮かべ、ヒザキは静かに息を吐いた。


「分かった。痛み止めになりそうな薬草を探してくるから、少し待て」


「——!」


それはヒザキが「対話をする」ことを暗に示す言葉だった。

サファイアは最初の――決して逃してはいけない関門をクリアしたためか、僅かに口元を緩ませた。

同時に力を入れすぎて硬直していた体も弛緩し、その隙にヒザキは彼女を元の姿勢へと戻して、掛布団をそっと上に戻した。


(・・・頼ることしかできないのが歯がゆい。けど、今は彼の温情に縋るしかない・・・それしか私に選ぶ道はない。このご恩は必ず返すことを誓います・・・ありがとう、ヒザキさん)


言葉にはできないが、精一杯、視線で謝礼を返す。

それが伝わったかどうかは分からないが、この痛みが引き、通常の会話がなせるようになれば、改めて礼を尽くそうとサファイアは思った。


ヒザキはスッと立ち上がり、そのまま彼女に背を向けて階下へと降りていく。

サファイアはその背中に一縷の希望を向け、最小限でも回復に努めようと静かに目を閉じた。



*************************************



階段を踏み鳴らす音を耳に、ヒザキは二階から一階へと降りていく。

階下は静まり返っていた。

数時間前、なぜか上機嫌だったヨルンたちと夜食を終え、彼らは満腹になるや否や思い思いの場所を寝床にしてしまった。階下から聞こえるイビキの合唱を耳にすると、ベルモンドのそれを思い出すというのだから、彼のイビキによる騒音被害は相当なものだなと改めて感じさせる。


さて、痛み止めとなる薬草、と勢いで言ったものの、薬草の知識など持ち合わせていない。

実に困ったものだ。

しかも外は大雨。雨に晒された植物たちは必要以上の水を吸い込んで弱体化しているものもあるだろうし、最悪、増水した川に土石ごと流されていてもおかしくない。


水辺に薬草が咲きやすい、などという傾向がないことを祈るばかりだ。


「というわけだ。お前なら知っているだろう?」


「どういうわけか分からんが、あまり口から出まかせを言うものではないのぅ・・・ヒッヒ」


一階に下りたヒザキは真っ先にヒョドリーに相談を持ち掛けた。

彼を頼ったのは、今まで他者との接点を絶って独りで生きてきたヒザキより、他者に強い興味を持って様々な国を闊歩してきたこの老人の方が圧倒的に知識は多い、と踏んだからだ。


「ちょいと昔のお主なら、にべもなく真実を叩きつけて相手を怒らせるのが定石じゃったのに、随分と丸くなったものじゃ」


「・・・俺の昔話はいいだろ」


「ヒッヒッヒ。というかあの娘には我々の薬を塗ったのではなかったか? ま、その様子じゃ効き目は然程無かったようじゃがのぅ」


ヒョドリーが言うように、ヨルン隊の荷物には兵糧や最低限の小道具以外にも、怪我をした際の救急用の薬や包帯がつぎ込まれていた。その一部をもらい、彼女の手当てに使用したのがつい数時間前。

不要に物資を使用することにヨルンは若干の渋りを見せたが、その悩みも数分、人の命には代えられないという結論に至り、救護班の経験を持つディランに頼んで簡易治療をしてもらったのだ。


ヒザキはヨルンたちがいる場所を眺める。

ヨルンたちは血抜きの済んだ猪肉を豪勢に食らい、今は一階の居間――暖炉前で寝ていた。二階に上がる前はもっと広範囲で寝っ転がっていたはずだが、寒かったのか、いつの間にか暖炉前に集結していたようだ。


少し離れた位置から見ても分かるが、寝ているとはいえ隙は少ないように見える。

一見、深い眠りについているように見受けるが、全神経の一部はセンサーのように警戒を怠っていないようだ。

おそらく殺気の一つでも向ければ、すぐに起きて、剣を手にするであろうレベルの兵士たちであることはヒザキに理解できた。


ヒザキは肩をすくめてヒョドリーと向き直る。


「ご推察の通りだ。あれより効果が高い薬はないのか?」


「ふむ、言うてもあの小童・・・ライル帝国でも腕利きの方での。それなりに良い薬を支給されておるのじゃ。つまり・・・あれ以上の薬、となれば薬草の知識に長けたものが調薬するほか無いじゃろうて」


「・・・その言いぐさだと、もっと強い効能を持つ薬を作るアテはあるようだな」


「ヒッヒ、鋭いことじゃのう」


「どうやって作る?」


「・・・なんじゃ、あの娘が痛みで寝られんゆうなら、ワシが寝かしつけるのを手伝っても良いのじゃぞ?」


そう言ってヒョドリーは、笑いながら手刀をヒョイヒョイと数度振る仕草をする。

要するに気絶させて眠らそうか、ということを言っているのだろうが、それでは彼女の希望を無下にすることになる。ヒザキは「そういうわけではない」と首を振った。


「――ヒヒ、どうやら面倒事になりそうなようじゃのぅ?」


「彼女が回復できればこの場で別れ、回復できない重症であればこの場でしばらく休ませるつもりだったが・・・、どうも浅からぬ事情があるように思えた」


「捨て置く、という選択肢もあるぞ?」


「・・・分かってて聞くのはお前の悪いところだな、ヒョドリー。相手の反応を見て愉しむのを止めろ、とは言わないが、せめて相手を選ぶんだな」


「鉄面皮のお主を相手にしても意味がないと? ヒヒ、ちょいと昔のお主ならそうじゃっただろうが、どうにも今は――それなりに充実しておるようでのぅ。ほれ、少し突っつくと存外に反応が返ってくるようじゃぞ」


「・・・」


「ヒッヒッヒ」


しまった。

思わず無言になってしまったが、その態度がヒョドリーを喜ばせる結果となってしまった。

実に面白くない展開だが、この話を悪戯に伸ばしたところで生産性のある話にはならないだろう。

ヒザキは肩をすくめて話を戻すことにした。


「それで、どうやって作るんだ?」


「鎮痛薬、とくればモルヒネあたりが代表的じゃが・・・今の世界では製法はおろか、原材料となるケシも姿を消してしまったからのぅ。現在、流通しとる鎮痛薬は『カバシ』という毒草から採取できる成分を基に作られとるが、正直なところモルヒネの数百分の一も効果は出ておらん」


「・・・つまり、さっき彼女に打った薬は意味がなかったわけだ。良い薬、というのは冗談か何かか?」


「意味がないわけでもないし、実際に良薬じゃぞ? そこらの学者は気づいておらんようじゃが、カバシから生合成される化合物は魔素に強く影響されておるものでの。そいつには怪我人の体内に入った後、体内に残っている魔素と結合して、全身の細胞活性と治癒能力を高める作用があるのじゃよ。体内の魔素が足りなければ十分に効果を発揮できんし、そもそも魔素が少ない魔法師以外の人間には微塵も期待できん薬じゃ。じゃが作用と用法を理解しておれば中々に有用な薬でもある。医師や学者の連中は、患者の回復度合いに差異があることは気づいておるが、その原因は突き止めておらんようで『まあ、そういうこともあるでしょう』などと言っておる始末じゃ。ヒッヒ、文明とは環境に合わせてこうも変化するものだと目の当たりにして、実に愉しませてもらっておるわい」


さりげなく、医療の場に対する大発見にも等しい発言をしたように思えたが、深くは突っ込まないことにする。突っ込んだところで、ヒョドリーにその気がなければ、彼はその頭に詰め込んだ膨大な知識を公表することはないだろう。仮にヒザキが大剣を首元に突き付けて、その知識を世界のために役立てろ、などと言ったところで結果は変わらない。彼はそういう男なのだ。だからヒザキも何も言及はしなかった。


「・・・彼女の体内にある魔素なんぞ、俺にはどうしようもないぞ」


「どうしようもはあるじゃろ?」


「・・・」


またしてもやられた。

ヒョドリーは右手首に対して左の手刀を斬る素振りを見せた。

その動作は――右手首を斬る、という意味を成しており、大量の血液を出す行為でもある。

つまり、ヒザキの「血液」に対して、ヒョドリーは「どうしようもある」と言ったのだ。

その言葉に対してヒザキはまたしても黙ってしまった。

だから「やられた」のだ。


「ヒッヒッヒ、言葉に詰まるあたり、最近何か思い当たることでもあったのかのぅ」


「・・・」


脳裏にマイアーの顔が浮かぶ。


(・・・全く、面倒な爺だ)


悪態を心中でつき、ため息をつくことで「いいから答えを言え」と促す。


「そう怒るでない。お主と喧嘩して特になることはないのじゃからのぅ」


「だったら、そうならないように振る舞え」


「ヒッヒ、性分なんじゃ。知っておるじゃろ?」


「知っているのと、許容できるのとは同義ではない。俺一人の問題ならどうでもいいが、今は他人が絡んだ話でもある。悪ふざけはそろそろ終わりにすべきじゃないか?」


「・・・ふん、正論は格式張っておるからつまらんのぅ。まあよい」


ヒョドリーは椅子から立ち上がり、腰を思いっきり伸ばした。先刻まで固まったかのようにずっと丸まっていた背中が嘘のようにピンっと伸びていた。


「老人のフリはもういいのか?」


「老人は老人じゃろ。ただ背中が曲がったか弱い老人のフリを止めただけじゃよ」


二ッと笑みを浮かべ、ヒョドリーは窓の外に目を向けた。


「彼女にあの鎮痛薬が効かなかった、とすると・・・別の鎮痛薬を用意する必要がある」


「ああ」


ようやく振り出しまで会話が戻り、ヒザキも一息ついた。


「原材料となるのは『フセン』と呼ばれる藍色の花じゃ。別名『藍六花あいりっか』と呼ばれ、その名の通り――雪の結晶のような形をしておる。渓流の岩場に咲く花でのぅ、セーレンス川で言えば上流に咲いておる」


「上流・・・」


サスラ砂漠、アイリ王国側はセーレンス川から見て下流に位置し、そこから地下洞穴を通って複雑な水流の先に繋がっていたこの場所は中流に位置するはずだ。

つまり、上流はまだまだ北部にあるということだ。とてもじゃないが「ちょっと行ってきます」レベルの距離ではない。


「距離がある上に、時刻は深夜帯。加えてこの雨じゃ。間違いなく目視で採取するのは無理じゃのぅ」


「雨や夜の闇程度なら俺の魔法で・・・」


「お主は辺り一帯を霧で埋め尽くす気かのぅ、ヒッヒ」


「む」


確かに。

黒蛇と戦った時も、火炎魔法による雨の蒸発に乗じて場を抜けたのだから、当然、あの時と同じ結果になるのは目に見えている。スライムの時も同様だ。

そんなことすら頭から抜け落ちるほど、彼女を心配しているということだろうか?

まだ名前も知らない、見ず知らずの人間を?

意識はしていないが、他者にそこまで意識を向けることの無かったヒザキの中で、何かが少しずつ変わり始めている・・・そんな気がした。


「ではどうする?」


「無論、諦める」


「・・・」


「というのは嘘で、方法は一つあるぞ」


「なんだ?」


正解を先延ばし先延ばしにされ、ヒザキは思わず目を薄くして声を低くした。


「フセンの花を好物とする魚がおる」


「花を? そんな魚、聞いたことが――」


と言いかけて、過去の釣りの光景を思い返し、ふと思い当たる節があったことに気付いた。


「・・・そういえば、釣った後に塩焼きにした魚が想像以上に不味かったことがあったな。身は不味いだけのものだったが、内臓の苦みが半端でなくてな・・・試しに腹を掻っ捌いてみたら中を見てみたことがあるんだが、その時は大量の植物の残骸が出てきた、なんてことがあったな」


「ヒッヒ、そいつを喰ったのか? 相変わらず丈夫な体をしておるのぅ。フセンはカバシの数倍にも及ぶ猛毒の花じゃ。そのフセンを好んで食す『タイラント』と呼ばれるマスのような魚は、体内でフセンの毒素を食す度に濃縮しておるのじゃよ。つまり、ただでさえ毒素の強いフセンじゃが、さらに濃縮された毒素を含んだタイラントは、常人が一度体内に入れれば死に至るほどの毒魚じゃ」


「・・・まあ、道理で不味いわけだな」


(・・・リーテシアたちに『食えるが不味い魚』と紹介する前で助かったな)


自分が平気だからと言って、リーテシアたちに薦められるわけではない。

このことは今後、十二分に戒めておかなくてはならないな、とヒザキは内省した。


「で、その毒魚をどうしろと? まさかその毒が薬になるのか?」


「毒と薬は表裏一体じゃからのぅ。無論、薬にすることも可能じゃ。しかし・・・フセンの毒を調薬する方法は人間社会には存在しない」


「なに?」


「ヒッヒ・・・つまり、ワシのように長く生きた偏屈者だからこそ成せる調薬――いや、錬金というわけじゃの」


ヒョドリーは先ほどまで腰かけていた椅子に手を置き、素早く魔方陣を展開させる。

すると、椅子は砕けた魔方陣の魔素を吸い込み、見る見るうちに姿を変えていき、気づけばヒョドリーの背丈にあった杖になっていた。

質量法則も驚きの変化だ。

錬金術と呼ばれる土魔法の最高峰の御業。その力を以ってして木造の椅子は、圧縮に圧縮を重ね、杖という面積の少ない物質へと変貌してしまったのだ。


ヒョドリーは杖をつくのではなく、肩の上でポンポンと叩いて遊ばせながらヒザキに言った。



「ワシが偶然居合わせていて良かったのぅ」



どういう運命の巡りあわせか。

運が良かったのはヒザキではなく――二階にいる彼女だろう。

彼女は助かるべくして助かった。そう思いたくなるほど、彼女の背中を後押しするかのようにヒザキとヒョドリーは彼女と出会ってしまったわけだ。


何とも奇妙な感覚だが、その答えはヒザキやヒョドリーであっても辿り着けない曖昧模糊なものだ。

考えても仕方がないなら、出来ることをしよう。


「雨の中でまさか夜釣りをする羽目になるとはな」


「何を言っておる。フセンを好物にしておると言ったじゃろ。疑似餌や虫などで釣れる魚ではないぞ。熊のように手ですくって獲ってみせい」


「・・・途方もないな」


「しかも上流から中流に流れてくることも少ない魚じゃからのぅ。今回提案したのは、雨で増水した関係から、水流に飲まれて降りてくる可能性が高いからじゃ。簡単に獲れるなどと安易に考えぬことじゃな、ヒッヒッヒ!」


「・・・・・・・・・途方もないな」


急にやる気がしぼんできたが、さすがにそれでは自分の言葉に責任を持たなさすぎる。

小さく肩を揺らして、ヒザキは気を取り直し、暖炉傍で乾かしていた自身のマントを羽織った。


「先に聞いておくが、・・・獲るの手伝うよな?」


「・・・本音は嫌じゃが、断るとお主、意外と本気で怒りそうじゃから手伝ってやろう。魚の外観もどうせ覚えておらぬじゃろうしな」


「安心した」


「ヒッヒ、ま、たまには肉体労働も乙なものかのぅ」



二人は手練れの兵士ですら一人では絶対に歩かない、魔獣がどこに潜んでいるかも分からない深夜の大雨の外へと、まるで散歩でも行くかのような気軽さで足を運んでいくのであった。




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