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テトラ・ワールド  作者: シンG
第2章 アーリア事変
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第3話 川の中の拾いモノ

――意識が濁流に飲み込まれる感覚。

いや、実際にこれは――濁流に飲み込まれている?


手足の感覚は無いというのに全身を覆う氷のような冷たさは不思議と感じ取れ、一寸先すらも黒く染め上げる漆黒の闇の中を彷徨っていることを自覚した。


呼吸をしようとすると、空気は肺に送り込まれず、逆に水が食道に流れ込んでくる。

そうか。

ここは水の中、なのか。


現状を把握したところで、五体を満足に動かせない今、絶望感を増すだけの情報でしかない。


水死は死ぬ間際まで苦しみが襲うと聞く。

呼吸をしたくても出来ない環境で、徐々に窒息していく感覚。意識を失わずにじわじわと死への階段を下りていく恐怖を受け止めなくてはならないのだ。


――苦しい。


水中では流す涙も形を成さずに融け込んでいく。

気管から肺へと水が浸入するたびに、胸部への圧迫感と鈍痛が脳へと伝播し、自身が刻一刻とどうにもならない状況へと沈み込んでいくことを理解させられる。


――苦しい。


何故こんなことになったのか。

澱んだ記憶を叩き起こし、彼女は水に沈む少し前の光景を思い出した。


「・・・、っごぽっ!」


肺に溜まっていた空気が水に押し出され、口外へと流れ出ていく。

その気泡を僅かに開いた目で追いかけながら、奴の声が耳元で木霊したように思えた。



『――国を代表する騎士が・・・この程度とはな』



屈辱的な言葉。

侮蔑に満ちた口調。

忌々しい声。


フラッシュバックのように記憶が呼び起され、彼女はカッと目を見開いた。


広がるは炎上した世界。

元々、奴の手で倒壊させられていた一つの村が、さらに蹂躙され、多くの命が炎に飲み込まれ、火の粉となって空へと散っていった。



『想定外ダ。弱すぎル』



機械的な声が、冷たい刃のように心臓を突き刺した。

破壊も、殺戮も、勝利も――何もかも関心がないような無機質。

あれは人間のものではない。魔獣でもない。ただただ欠損した「何か」だ。


手を伸ばせど何も掴めず。

自身の武器であった弓は破壊され、残った矢だけではどうにもならず、接近専用の短剣では奴らの堅い皮膚に傷をつけることはできなかった。

形勢が圧倒的に劣勢に陥り、彼女を慕っていた部下たちが身を挺して奴の攻撃をその身に受けた。

ああ、手を伸ばせど、その指先から全てが零れ落ちていく。

伸ばした手は行方を失い、空虚だけが心に積もっていった。



『オイオイオイオイオイ、こりゃアレだな・・・。俺らだけでこの国、制圧できんじゃね?』



人の感情を逆撫でする声。

強者だけに許された、桁違いの暴力。

その前に平伏した全てを嘲笑し、足蹴にして、その様を再び嗤う。


存在は一つだけだというのに、奴は三つの人格を有していた。

だが――それがなんだというのか。

胴体が一つなら、むしろ攻めやすいというもの。

村を潰し、村民を無残にも殺害した奴らに正義の鉄槌を――。

そんな皮算用にも等しい勝算を掲げて、突撃命令を下し、次々と宙を舞っていく部下たちを見殺しにし――・・・・・・。


(ぁ・・・ぁ、あっ、ああああああああああああああああっ!)


心臓が苦しい。

これは水による窒息ではない。

精神が、魂が悲鳴を上げているのだ。


苦しい。

苦しい苦しい。

苦しい苦しい苦しい――!


(わたしは・・・な、ぜ・・・まだ、生きて・・・?)


早く楽になりたい。

部下たちと同じ場所に行き、軽率な行動だったとあの場を任された身として詫びたい。

たとえ許されなくとも、自己満足だったとしても、彼らに心より謝罪をしたい。


(な、ぜ・・・)


次々と思い出していく記憶の渦の中、最後に何故自分が濁流の中にいるのかを思い出した。



――騎士長、どうか・・・国を頼みます。



(――――――――――――ぁ)


最後に見たのは常に彼女と共に国を見守ってきた、幼馴染の姿だった。

気丈にも笑顔を浮かべ、彼女を川の中へと逃がすその姿が網膜に映し出される。

プライベート時には名前で呼び合う仲だったが、その日、彼は最期まで騎士の一人として、彼女のことを「騎士長」と呼んだ。

それが何を意味しているのか。

彼女は分かっていたはずだ。

国を背負う騎士の一人として――担うべき責務がまだ、残っていると。


(ヒューベルト・・・、みんなっ・・・!)


そうだった。

死ねない。

まだ死ぬわけにはいかないのだ。

今死ねば、それこそあの世で幾度と詫びたところで彼らは許してくれないだろう。

国を護る責務を棄てて何をしているのか、と。そう叱咤されるに違いない。


もがく。

忘れかけていた使命を思い出し、彼女は酸素が脳に届かず、朦朧としてきた意識の中で、それでも何か奇跡が起こらないかと全身を動かそうとした。


(そ、うか・・・もう魔法を使い果たし、て・・・)


こうも体が動かないのか、もどかしい感情が溢れだしていたが、その原因を思い出し、彼女は絶望に表情を曇らせた。

川に落ちる前に彼女は魔法を酷使しすぎた。

故に全身の魔力が枯渇し、体が思うように動かなくなったのだ。


(・・・お、ねがい、うご・・・いて・・・)


気合でどうにかなる問題でないことは理解している。

しかしどうにかしなくてはならない事態なのだ。


「ご、ぅ・・・っ!」


視神経が焼けるように痛い。

眼球が膨張し始めたのか、いよいよもって幕を閉じるときが近づいてきたようだ。


(・・・ご、めん・・・なさ、い・・・・・・)


暗幕が降りるように意識が暗闇へと沈み込んでいく。



アーリア公国、マーゼル騎士団の騎士長サファイア=ヘルナンデスは、心半ばに倒れる現状に慟哭しながら気を失った。



************************************



「・・・・・・・・・」


妙な拾い物をしたものだ。

ヒザキは大雨の中、右腕に担いだ存在を見下ろして、小さくため息をついた。


ベルモンドからグライファンダムのオアシス――その水源はどこにあるのかを確認したいとの相談が上がり、ついでに砂蟹や淡水魚以外にどんな食用生物がいるのかを確認しようと思い、その話に乗って水中の旅を延々としていたのだが、道中の空洞で息継ぎをしつつ辿り着いたのは、広大な川のど真ん中だった。


ある程度予想はしていた。

サスラ砂漠付近の水源と言えばセーレンス川であり、この世界を横断する巨大な川の付近は土壌が豊かで、多くの新鮮な魚類が住み着いている。

ここが水源であればこそ、あのオアシスがあるのだろう。

オアシスから長い空洞を泳いで分かったが、幾つか水の濾過の役割を担っている岩場や地形があることが見て取れた。無論、強力な夜目を持ち合わせているわけではないので、道中、息継ぎが可能な空洞の際に炎の魔法で辺りを照らして気づいた点でしかないため、全容ではないのだろうが・・・その一端が見えたというわけだ。


何度も狭い岩場を経ることで、ゴミや不純物が取り除かれ、最終的には透き通るような綺麗な水質のものだけがあのオアシスに辿り着いていたというわけだ。

当然、綺麗な水でしか生息できない砂蟹も住み着くわけだ。


「・・・・・・・・・・・・」


という発見をベルモンドに早速聞かせてやりたいところなのだが、如何せん、一度洞窟などを探検すれば、終着点を見たいというのが人間心というもの。

ヒザキはオアシスの先がどこに行き着いているのか、この目で確認したくて、一心腐乱に長時間の遊泳・潜水を続けてきた結果が、この大雨の中、セーレンス川に下半身を浸からせている状況だった。たまたま足場になる岩場が水中にあったため、現状は下半身だけで済んでいるが、少し横にずれれば、水深は軽くヒザキを飲み込むほどの深さだ。


正直、やりすぎた。

どのくらいの距離があるか分からないが、少なくとも同じ時間がかかるとして考えれば、グライファンダムに帰れるのは夜になる、といったところだ。


ヒザキはオアシスに潜る前に、不安そうに見送りにきたリーテシアを思い出した。


間違いなく、帰りが遅いと心配するだろう。

ヒザキの主観では大したことではなくとも、一般人からすれば死と隣り合わせといっても過言ではない旅路でもある。

言い出しっぺのベルモンドも半分冗談だったようで、まさか本当に潜って先を見てくると言われるとは思ってなく、「深そうだったらすぐに戻って来いよ!」と真顔で忠告をしてきたぐらいだ。リーテシアに限らず、多くの者に帰りが遅い事で心労をかけることになってしまう。

これが終わった後に、リーテシアとはトイレなどの設備の具体的な相談もする予定だっただけに、かなり申し訳ない気分になる。


ヒザキを探しに出て二次災害、というのが最悪な事態だ。


ミリティアがいるので、判断を誤ることはないとは思うが・・・さすがにこの長時間の冒険は軽率だったと反省すべきだろう。


そして何より――。


「おい」


揺さぶってみる。

反応なし。


水脈洞窟を超え、セーレンス川に出た時に拾ったモノ――というか人間だ。


性別は女性。

体格はミリティアに似ているだろうか。

薄緑色の髪に、中量級の騎士鎧。剣などの武装がないことに疑問を抱いたが、それよりもこんな川のど真ん中で溺死寸前の事態の方が大きな疑問だ。


甲冑に刻まれた紋様はヒザキにも見覚えのあるものだった。


(・・・面倒事の予感だ)


見なかったことにしようかとも一瞬考えが過ったが、この女性、まだ息があるようだ。

溺死寸前ではあるが、水死ではない。

大分肺に水が入っているようで、危険な状態ではあるが、運が良ければ息を吹き返すことだろう。長時間、脳に血液が通らなければ全身の何処かに麻痺などの後遺症が残ることもあるため、早目の救急措置が必要になるだろう。


さすがに生きている者を見過ごすことはできない。


ヒザキは大雨という天候に舌打ちをしながら、彼女を抱えて激流を裂きながら川を横断。

水を大量に含んだ一張羅を引きずりながら、川から乗り出していった。


この大雨で増水し、流れが異常に強くなっている。

こんな中に鎧なんざ着込んで川に入れば、溺れるのも当然だ。

彼女がもし、そんなドジを踏んでの状態だったら何とも自業自得で終わる話なのだが――もし、やむを得ず川に入ったのだとしたら話は別だ。

つまり――川を「退路」として使用しなくてはならない事態が発生した、ということ。


「・・・」


先ほど帰れるのは夜、と言ったが・・・どうやら日を跨ぐ結果になりそうだ。


幸い川の両サイドは背の高い木々が立ち並んでいる。

雨宿りできそうな巨大な葉を多くつけた巨樹の麓まで移動し、ヒザキは女性を根本に横たわらせた。


「さて」


一張羅を脱ぎ、思いっきり絞ってから彼女の頭上にある太い枝に屋根を張るように引っかけた。

すぐに水を含んで雨水が垂れてくるだろうが、無いよりはマシだろう。


乾燥した木がないため、焚火を起こそうにも無理そうだ。

ヒザキは問題ないとしても、彼女が意識を覚ました時に間違いなく風邪を引く状況だ。

何とかしてやりたい気持ちも山々だが、最悪、風邪は引いてもらうしかない。今は何よりも肺に入った水を吐き出させることが先決だろう。


「・・・」


うっすらと記憶にある、溺れた人間の救助方法。

ヒザキはうろ覚えながらも「失敗しても恨むなよ」と呟いて彼女を地面に平行になるように横にし、ゆっくりとその口に、自身の口を近づけていった。





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