第74話 門出の朝
結論から言うと、アイリ王国から新国家へ移住希望する人間として、端っこ孤児院の全メンバーが手を挙げていた。
ヒザキがミリティアと決闘を行って勝利をおさめ、彼女の容体を心配して王城にずっと滞在していた裏側で、リーテシアはベルモンドたちに、これから立ち上げていく国の重要なポストについてもらうために自分の想いを伝えていた。
ベルゴーが約定の話を持ちかけてくる数時間前のことである。
予めヒザキから国有旗を以って国を建てた話を聞いていた彼は驚きこそ少なかったものの、その話を一緒に聞いていたレジンやセルフィ、ヴェインは思わず大声を出すほど驚いた。当然な話だが「ある日、ひょっこり国を建ててみました」なんて軽いトーンで済ませられることじゃないのだ。
まずはリーテシアの夢と想い。
アイリ王国の現状を憂いていることと、打開するための勇気ある行動を話した。
その上で、正直に自分たちだけでは圧倒的に人手が足りない話をして、力を貸してほしいと懇願したのだ。
人に頼らず、大抵のことは自分で何とかしてしまおうとする彼女からは想像できない姿だ。
深く頭を下げる小さな体に真っ先に反応したのは、以外にもラミーとサジだった。
「おぅ、黒髪! なんだったら俺がたいちょーって奴になってやってもいいぜ! つぇーんだろ、たいちょーって奴は!」
「あ、てめ、抜け駆けすんな! リーテ、なーに俺が全部ちょちょいとやってやるぜ! なにをやんのか全然わかんないけど!」
山岳での一件依頼、妙に大人しくなったと思われていたワンパク小僧二名は競い合うように我先にとアピールする。
唖然と顔を上げるリーテシアと賑やかな少年二人を見て、セルフィは「あらあら」と口元に手を当てて微笑んだ。
レジンは腕を組んで、いつしかの夜にヒザキと話した会話を思い出し「ふっ・・・まさかこんな展開になるとはねぇ」と笑みを溢していた。
セルフィとヴェインは「ベルモンドについていく」と意志表明し、シーフェは「リーちゃんのために何か出来るなら言って~」と息巻いた。
想像以上に全員が協力的な姿勢を見せてくれたことに、リーテシアは泣きだしてしまいそうになったが、グッと堪えて皆に「ありがとう」と伝えた。
リーテシア的にはあの空洞に戻るのは、まだ少し先になると考えていたのだが、ベルゴーが訪れ、ベルモンドと約定文書を取り交わし、ヒザキとミリティアの決闘が行われてから、彼女らを取り囲む状況は信じられないスピードで姿を変わっていくことになった。
と言うのも、今回の約定は二つの国を代表する者が署名した正式な国家間文書である。
つまり正式にリーテシアが治める新国家がアイリ王国と一つの条約を結んだ、という事実が出来上がってしまったのだ。一つの国家として文書を残したからには、連国連盟が事実確認をしようがしまいが、「国有旗により何らかの国が出来た」などと曖昧なものから、より明確な形へと確立されたことになる。
この時点で、リーテシアは「アイリ王国に来ている他国の人間」という扱いに変わったも同然となった。
そういった背景も考慮して、ベルモンドは「なるべく早く戻って、国としての体制を最低限でもいいので構築した方がいい」と助言し、その結果、荷造りを急遽始めた格好となっていた。
ヒザキとミリティアが孤児院に帰った時に、荷が詰まった麻袋などが大量にあったのはそのためだ。
ベルモンドがいてくれて助かったと思えるのは、約定の取り交わしだけでなく、ベルゴーと立ち合い、その際に様々な展開を予測し、予め手を打ってくれていたことだった。
約定が成功した際に、アイリ王国側から見れば「他国の客人」という立場になる移住組。別に移住を宣告する義務はないので、黙っていれば誰が移住を目論んでいるのかアイリ王国側には分からないものだが、そんなあやふやな考えで出だしを歩き始めるのは一国として失礼と言うものだ。
移住をするのであれば、きちんと移住先の人間として振る舞うべき、とベルモンドは判断し、ベルゴーが来る前に端っこ孤児院の面々が全員移住を希望したことを踏まえ、彼はベルゴーに自分たちが「新しい国」に戻る際の手続きについて確認していた。
ベルモンドはベルゴーから以下のように承認を得た。
約定が新国家側の文面で成立すること、そして端っこ孤児院に住まう全員が移住するという前提で、その内容を箇条書きにするとこんな感じだ。
・国を出る際に特別な手続きは不要。これは常時の話ではなく、今回ベルゴーが状況を直接把握したための結論であり、今後の移住に関しては手続き等含め、両国立ち合いの元で協議していきたい。
・大型の家具は残しておくこと。今後も孤児は増える見込みなため、可能な限りそのまま再利用できるようにしておきたい。
・衣類や布団、現存する食料は持って行って構わない。
・荷物を運ぶ上で必要となるであろう、配給日用の荷車は特別に譲渡する。
・端っこ孤児院に住まう者以外で移住を希望する者がいる場合は、必ず移動する前に連絡すること。ただしミリティア=アークライトは例外とする。
そして最後にベルゴーは、
「可能であれば一か月後、再び我が国に足を運んでほしいのです。今は多くのことが枷となって落ち着いて話が出来ませんが、一か月後に一度話し合いの場を設け、今後のことや両国の間でより強固な親交を結んでおきたいと考えております。如何でしょうか?」
と展望を伝えた。
その時には既に横に国主たるリーテシアも同席していたため、二つ返事で「是非、お願いします」とベルゴーに返した。
一か月、という期間は、おそらくベルゴーが設けた準備期間だろう。
足りるか足らないかは誰も分からないところだが、新国家の立ち上げをするにあたって区切りとなる期間が出来たことは、スケジュリングを立てる上で有り難い。とりあえずは一か月後を目指して、生活基盤を整えていく、という目標を掲げるのが妥当だろう。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
そんな裏でのやり取りがあって、今日。
何とも忙しない数日だったが、リーテシアを筆頭に新国家に属する面子は荷物を荷車に乗せ、端っこ孤児院の前に集まっていた。
昨日の夜は夕食後、興奮気味に空洞のことを話すリーテシアに、子供たちは目を輝かせていた。
特に興味を引いたのは、オアシスと砂蟹についてだろう。
瑞々しい食べ物を味わったことがない子供たちにとって、噛めば弾けるような水分と弾力を誇る砂蟹は想像もできない食材だっただろう。リーテシアがあまりにも美味しかったことを強調して言うものだから、なおさら期待を煽る結果となり、興奮で眠れない子たちも多くいたぐらいだ。
おかげで目の前に辛うじて立っている子供たちは、誰もが眠たい目を擦っている状態だった。
かくいう大人たちも子供たちほど寝不足を露わにしていないが、新天地への期待は各自持っていたらしく、何処か落ち着かない様子でソワソワしていた。
唯一、平常心なのはヒザキぐらいだろうか。
空洞やオアシスを実際に見た、リーテシアやミリティアですら新たな国の門出という意識が強すぎて、笑顔が変な感じになっている。もはや引き攣っている。
こんな状態で本当に砂漠を渡れるのか心配になってきたが、レジンが最後の荷物を音を立てて二台の上に置いたことで、全員の意識が「出発」に向いた。
ちょうどリーテシアを中心にヒザキ、ミリティア、ベルモンドが並び、彼らの前に他の者が適当に待機している状態だ。自然と「国主」のリーテシアに全員の視線が集中していく。
「な、なにか言った方がいいんでしょうか・・・?」
小声でリーテシアが助けを求めてくる。
「そうだな。気軽な遠足気分で砂漠は渡れないからな・・・何か気合の入る様な言葉でもかけてやるといい」
「あぅ・・・よ、余計に緊張してきました」
顔を上げたり、下げたり。
緊張が邪魔をして、中々出だしの言葉が出てこない様子だった。
「で、でも・・・しっかり、しないと!」
両手を握り、リーテシアは「うんっ」と気合を入れて、前を見た。
シーフェが小さく「頑張れ~」と応援してくれている。
ラミーは後ろ頭に手を当てて、挑戦的な視線を送ってくる。
サジは面白そうに笑い、ネイクはどこか心配そうに、年少組の子供たちも不安や期待を全て込めたような眼差しでこちらを見上げている。
おそらく子供たちの大半が、自分たちの置かれている状況を理解していないのだろうが、それでもリーテシアが真剣に何かを伝えようと言う気持ちだけは、間違いなく伝わっていた。
そんな子供たちの後ろには孤児院の壁に背を預けた恩師であり、育ての親であるレジンが、リーテシアの目を見て一つ頷いた。
そうだ。
あまりに早いスピードで物事が通り過ぎていくため意識が向いていなかったが、この目の前にいる皆が自分を支えてくれる、国民であり仲間なのだ。
小さな小さなコミュニティ。
けどきっと――今この瞬間で、これ以上無い心強さを持つ仲間だ。
リーテシアはこれから、彼らの人生を背負わなければならない。
命を守らなくてはならない。
笑って、楽しく、健やかに、誰もが元気に暮らしていける生活を保障しなくてはならない。
それが自分の選んだ道なのだ。
重い責任だ。
だが、現状を変えたいのであれば――それを抱えて、障害を乗り越えていかなくてはならない。
そう考えると、この場で門出を合図する言葉など、大したことではなかった。
「えと・・・」
姿勢を正して、彼女は正面を見た。
視界に一緒についてきてくれる皆が映るように。
「まずは、ありがとうございます」
一礼。
「こんな無茶な話に・・・考える時間も無かったのに、皆は私を信じて、新しい道についてきてくれると言ってくれました。こんなに嬉しいと思ったことはありません」
しっかりとした言葉遣いに、セルフィやヴェインが「おお」と感心した。
「これから向かう国は、家も無いし、道も無いし、椅子も机もトイレも何もない場所です。そこに私たちは自分たちの居場所を作らないといけないのです。想像もつかないぐらい大変だと思います・・・。私自身もどうしたらいいか、具体的なことは何も考え尽きません」
少しネガティブな内容になってきて、ミリティアが心配そうにリーテシアに視線を送るが、彼女の横顔を見てフッと笑みを浮かべて「何の心配もいらなかった」と言わんばかりに元の姿勢に戻った。
「でも――、その苦労を超えた先に輝かしい未来があると私は確信してます! ううん、確信させてみせます! だから・・・どうか皆の力をこれからも貸してくださいっ!」
リーテシアの握る小さな手に力が入る。
「私は・・・この国が色んな国を支える『柱』になれればいいと思ってます」
(柱、か)
ヒザキは横目でリーテシアを見る。
色んな国、と言ったことから、リーテシアはアイリ王国だけでなく、困っている様々な国の助力になりたいと思っているのかもしれない。それはこの過酷な環境下に敷かれたアイリ王国という場所で育ったためか、彼女自身に別に思う何かがあるのか。それは分からないが、あまりに漠然とした指針にも感じる。
世界には助けを求める国もあれば、拒む国もある。喜怒哀楽、野望、欲望、希望、葛藤・・・上げればキリがない人間の感情が、人の数の分だけ集まったのが国であり、そこに何かしらの干渉を行うことは並大抵なことではない。
下手をすればこちらが感情の奔流に飲み込まれ、粉々にされてしまう危険性だってあるだろう。
リーテシアはそこまで深くは考えていないだろうが、例えば今後、連国連盟に加盟したとして、アイリ王国でなくともどこかの国が助けを求めるような展開になれば、本気でどうにかできないかと思うだろう。
それ自体が悪いことではないが、あまりに純粋な想いは時に奸計の格好の獲物になることもある。
(・・・そこは俺たちの出番、か)
リーテシアは遠くない未来に挫折を味わうかもしれない。
理想と現実は乖離してしかるべき存在。
理想を掲げて前進する姿は眩しい光に見えるだろうが、その光は簡単に闇に飲み込まれる脆弱な存在でもある。誰かに裏切られることもあれば、意味も分からず罵倒されることもあるだろう。知らないところで恨みを買って命を狙われることもあるかもしれない。そういった複雑に人の感情が絡んだ闇は、一瞬でリーテシアという光を飲み込んでいくことだろう。
この小さな光を、護らなくてはならない。
(ふっ・・・何とも人間らしい考え方、じゃないか)
自嘲気味にヒザキは心中で笑った。
(面白い。この世界にどの程度、影響を及ぼせるのか――見届けさせてもらおうか)
その間は全力を以って彼女を守り通す。
ヒザキはそう静かに誓いを立て、リーテシアの言葉に再び耳を傾けた。
「私はその想いを込めて、この国の名を希望の柱――『グライファンダム』と名付けたいと思います」
グライファンダム。
確か何かのお伽噺で登場した、架空の塔の名前だった記憶がある。
リーテシアが「希望の柱」と言ったとおり、物語上でそういう意味が込められた名前なのだろう。
国名がまさか、このタイミングで発表されると思っていなかったため、ミリティアやベルモンドたちも目を丸くしていた。
「グライファンダム、ね。いいんじゃないかな」
「ふふ、何だか格好いい名前ですね~」
ヴェインとセルフィがそんなことを話している。
「皆さん、まだまだ未熟者ですが・・・宜しくお願いしますっ!」
手を前で組んで、深々とお辞儀。
『・・・・・・・・・』
数秒、空白。
リーテシア自身もお辞儀したはいいものの、どのタイミングで顔を上げて、どういう顔をしたらいいかまで考えていなかったため、何の反応も返ってこないことに姿勢を固めてしまった。
ベルモンドがアイコンタクトで「何か言ってやれよー」と合図を送ってくる。
ヒザキは「仕方ないな」と口を開こうと思ったが、視線の奥、孤児院の壁際にいたレジンと目が合って、その行動は中断されることになった。
どうやら――ここは親代わりとして子供たちを支えてきたレジンの出番のようだった。
「・・・ま、難しいことはこの子らにはまだ分からないさ」
静寂を破るように子供たちには聞きなれた声が場に流れた。
子供たちにとって誰よりも安心を感じさせる声だろう。
レジンは満足そうに口の端を上げ、彼女の声に思わず顔を上げたリーテシアを見た。
「お前たち、リーテシアのお姉ちゃんはこれから新しい場所に引っ越すって言ってるんだよ」
声を張り上げ、レジンの前に並んでいた子供たちに投げかける。
まだ年少組の孤児たちはレジンの方を振り返り、思い思いに声を上げた。
「リーテお姉ちゃん、どっか行っちゃうの・・・?」
「えー、やだよぅ・・・」
「一緒にいたいっ!」
「離れたくないよぅ・・・」
先ほどまでリーテシアの言葉にキョトンとしていた子らが、レジンの言葉に次々に反応し始めた。
中にはリーテシアとの別れを想像してしまったのか、泣きだしている子もいた。
「お姉ちゃんと一緒にいたいかい?」
「へっ、別に俺はんなつもりはねーぞ! 俺は自分で決めてだなっ――」
「ラミー、アンタはつまんない茶々入れるんじゃないの!」
「ぅぬっ・・・」
リーテシアの言葉の意味も、今自分たちを包み込んでいる状況の変化もまだ理解できない小さい子供たちに対して、レジンが投げかけた言葉に空気を読まず、入り込んでくるラミーを叱咤し、気を取り直してレジンは膝を折って子供たちを見た。
距離が近くなったことで子供たちは次々とレジンの袖やら裾やらを掴んで集まってきた。
「離れたくないー・・・」
「やだぁ」
「まだ一緒に遊ぶのっ!」
「ひっく・・・」
よしよしと小さな頭を撫でながら、レジンは優しく微笑む。
「よし、それじゃ・・・お姉ちゃんと一緒に行くかい?」
そう尋ねると、涙がらに全員が次々と頷いていった。
レジンは「そうかい」と目を瞑って立ち上がり、もう一度リーテシアを見た。
「この子たちにはこのぐらいでいいのさ。リーテについていきたいかどうか、リーテと離れたくないかどうか。今はその程度の気持ちで十分さ。難しいことはいらない・・・アンタが下の子供たちにどれだけ慕われているか、もう分かっただろうからね」
「い、院長先生・・・」
「船頭は大人たちに任せておきな。リーテ、アンタは今のこの子らのように――誰かに求められるような、そんな人間でいられればいいんだよ。それが『象徴』ってもんさ」
「は、はいっ・・・」
誰かに求められるような存在。
言うのは容易いが、俗世とは必ず相容れない存在が同伴するものだ。
対立する二つの存在からも支持を受ける等、早々できることではない。それに加え、二つならまだしも、国家規模となればその数は数万、数十万と膨れ上がってくる。
レジンがリーテシアに投げかけた理想図は決して容易ではなく、逆に実現が難しいものと言ってもいいだろう。レジンもそんなことは分かっているはずだ。それでも「そう在ってほしい」と願い、その言葉をまだ小さな女の子の手に預けた。
それは期待なのか、それとも――。
ヒザキはあれよあれよという間に、年少組の子らに囲まれたリーテシアを見下ろす。
この押せば崩れてしまいそうな双肩に、随分とまた大きな荷物が乗ったものだ。
彼女はまだその存在を認識も理解もできないだろう。
これから何年も経験を重ね、その荷物の正体を理解した時、彼女はどのように乗り越えていくのか。
楽しみでもあり、不安でもある。
「よっしゃ! んじゃおめーら、俺についてこい!」
溢れる冒険心を抑えきれないのか、ラミーが先頭を切って歩き始める。
サジも一緒になって歩き始め、その辺に転がっていた朽ち果てそうな木の枝を武器に、大股で進んでいく。
が、レジンがその首根っこを掴み、二人を配給用の荷車に投げ込んだ。
「馬鹿かい、アンタらは! 子供が徒歩で砂漠を渡れるわけがないだろうに。アンタらは荷台の上だよ。この麻布を被って、外に顔出さないようにしてな!」
レジンは荷台をすっぽり覆えるほどの大きな麻布を広げ、荷台に被せるように置いた。
「この荷台、子供たち全員の体重に耐えきれるのか?」
ヒザキの率直な疑問にレジンは巨大な車輪を手の甲で叩いた。
「ま、元々は水牽き用に使用されていた荷車だからね。それなりの重量には耐えきれるはずだよ。ただ・・・魔獣の攻撃に耐えきれるほどでもないからね。平地と違って地中からも攻撃の手が来る砂漠さ・・・慎重に移動する必要はあるだろうね」
「破壊されたら終わりだからな。さすがに予備の荷車は・・・もらえないか」
「ハハ、こんな寂れた荷車でも、この国には貴重な物資なのさ。悪いが・・・そうおいそれと持っていけるほど、豊かじゃないのは見ての通り、ってことだね」
「分かった、十分に注意して進もう。本来であれば安全な道を確保してから子供たちを連れていくのが妥当なんだろうが・・・」
「この約定の内容をあの王がちゃんと目を通して理解した後だと、移住を希望する人間は平気で国外に放り出しかねないからね。どちらにせよ危険な橋渡りだけど・・・どっちを取るかと言われれば、アンタたちを信じる方を選ぶよ」
ベルゴーの入れ知恵か、それともレジン自身の判断か。
それは分からないが、間違いないのはフスの息子、ケルヴィンは途方もなく信頼されていない、ということだった。
さて、信じると言われれば、それを無碍にしたくないというのが人心というものだ。
ヒザキは背中に携える大剣の柄をポンポンと叩き「ああ」と答えた。
レジンは「よし!」と満面の笑みを浮かべて、子供たちを次々に荷台の上に誘導し始めた。
その頃には小さな子供たちに囲まれたリーテシアも解放されていたわけだが、どうにも彼女は妙な動きをしていた。
「・・・何をしているんだ?」
「え、ええっと・・・」
ここ数日で見慣れた麻袋の中に片足を入れている状態のリーテシアを捕まえ、その真意を問いただす。
まあ聞かずとも彼女の真意は読み取れるが、あえて聞いてみる。
「そ、その・・・だ、駄目でしょうか?」
「・・・」
上目遣いで甘えたような声だが、それに左右されるほどヒザキはぬるくなかった。
別に面倒だとか、何となくで断ろうと思っているわけではない。
ちゃんと理由はあった。
「・・・前回の遠征では俺は大剣を背負っていなかったからな。鞘に入っているとはいえ、君の入った麻袋を担いでいると、歩くたびにおのずと鞘とぶつかることになるだろう。歩調に合わせて鞘に叩かれるのは御免だろう?」
「ぁぅ・・・」
即効で否定しないあたり、重量感のある大剣に小刻みにぶつかるのは痛そうだと認識しているようだ。
「なんだよー、ヒザキ。女の子が勇気振り絞って一緒にいたいって言ってんのに、不愛想に拒否すんなって」
「ぇ、ち、ちがっ!」
唐突に会話に入ってきたベルモンドの言葉に、リーテシアは分かりやすいほど顔を真っ赤にした。
少し離れた位置でヴェインが「うっわー、本人の目の前でそーいうこというかね」と軽い侮蔑の視線でベルモンドの背中を突き刺していたが、彼には届かないようだ。
「剣が邪魔だっていうなら、一緒に荷台に乗せておいたらいーだろ?」
「それもそうだが・・・危なくないか?」
ベルモンドが加工した軟鉄を応用した鞘の構造もあり、剣を引かずとも横にスライドするだけで抜くことができる。無論、抜き方にはコツがあるため、無暗に横に動かしたところで簡単には抜けない仕組みになっているのだが、万が一力加減が上手く行って剣が抜けてしまっては、荷台にいる子供たちに怪我を負わせてしまう危険性がある。
ヒザキが危惧しているのは其処だった。
無論、キツく剣には触らないことを告げておけば問題がないのかもしれないが・・・荷台には好奇心旺盛なラミーやサジも同乗していることから、可能性はむしろ低くないと見積もったほうがいいだろう。
「まあ危ないかそうでないか聞かれりゃ、・・・危ねーかもな。しょーがねぇ、剣は俺が持ってやるよ・・・って言ってやりてぇところだけど、その剣の重さは知ってるからなぁ。それ背負って砂漠横断とかはさすがに無理だな・・・」
「・・・」
返事代わりに肩を竦めてやると、そのやり取りを見ていたリーテシアはしゅんとして「すいません、我儘を言いました・・・」と、それ以上は言わずに麻袋から足を出した。
(そんなに残念そうにすることか・・・?)
麻袋の中など狭くて暗い上に外の様子も見れない、劣悪な環境だと思うのだが、リーテシアぐらいの子供には逆に過ごしやすいのだろうか。
(――いや、それは言い訳だな)
彼女の様子を見ていれば、心情は察せられる。
これは彼女なりのスキンシップの一環なのだろう。
それが憧れなのか、それとも別の感情から来ているものなのか。そんな無粋なことは考えるべきではない。
今は歩み寄ってくる彼女なりの好意を出来るだけ汲み取ってあげることを考えてあげるべきだろう。
「ベルモンド」
「ん?」
「ほれ」
ヒザキは大剣を鞘ごとベルモンドに放り投げる。
「お、おわっ!? っとと・・・ヒ、ヒザキ? いったい何を・・・」
落とさないように両手で大剣を抱え、ベルモンドは嫌な予感を感じつつも尋ねた。
「絶対に落とすなよ」
「ヒ、ヒザキさ~ん・・・ご、ご冗談でしょ?」
大剣の重量に早くも手が震え始めた男を無視して、ヒザキはリーテシアに視線を移した。
「あ、あの・・・」
「もう子供たちは皆、荷台に乗り込んだようだ。君も早く支度をしろ」
「で、でもっ」
ベルモンドに気を遣ってか、彼とヒザキを交互に見るリーテシアだが、こちらの様子を遠目に見ていたセルフィとヴェインが近づいてきて、
「いいって、いいって。細かいこと気にしないの、リーテシアちゃん。力仕事は昔から男の仕事ってね」
「ふふ、子供は変な気遣いしないものですよ。存分に甘えちゃってください」
とリーテシアの背中を押していった。
ベルモンドは納得いかない顔をしているものの、意外にもそれ以上は何も言わなかった。
どうやら彼もリーテシアのことを尊重する気持ちはそれなりに強いようだ。
「・・・あ、ありがとうございます」
数日前なら「それでも・・・」と遠慮を優先していたかもしれない。
それなりにレジン以外の成人と付き合いを持って、リーテシアは人間同士における「距離感」というものを学んだのか、彼女は素直にお礼を言った。
好意、というものは貪欲に受け取っても、遠慮しすぎて跳ね返しても、どちらも度が過ぎれば失礼に値するものだ。その距離感を彼女なりに計ったのだろう。
その答えに全員が頷いた。
おずおずと袋に入るリーテシアを見送り、ヒザキは彼女を袋ごと背負った。
視界の端には「ぐぬぬっ」と踏ん張って大剣を背負う男の姿が映ったが、冷やかすのも可哀想なほど気張っていたため、ここは静かにスルーすることにした。
「こっちは準備いいよ!」
レジンからの合図を受け、徒歩組であるヒザキ、ミリティア、ベルモンド、セルフィ、ヴェインが頭を縦に振る。
さて、この旅路の果てに何が待っているのか。
背中に感じる、軽くも重い――未来を担う一つの想い。
その「可能性」が、終焉に徐々に近づいているこの世界に何をもたらすのか。
小さく揺れる蝋燭の炎のように、ヒザキは僅かに熱を持つその感情を胸に、旅路を共にする仲間と一緒に、その一歩を踏み出していった。
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――アイリ王国から数キロ離れた山中。
そこに一つの影が立っていた。
「・・・アイリ王国。掃き溜めみてぇな国だと思ってたが、いやはや・・・これはこれで色々と楽しめたもんだぜ」
男は――いや、これは男なのだろうか。
そもそも人間であるかどうかも疑わしい。
その存在を喩えるなら「細い」の一言だろう。
人間から肉という肉をそぎ落とし、骨と皮だけになれば、ちょうど彼のような姿に落ち着くのかもしれない。言うまでもなく、そんな状態で生命を維持できる人間はいるはずもないのだが。
「8年、かぁー・・・爺さんの言い付けじゃ『10年間、人の世界を経験しろ』って話だったけど、さっすがに警戒されちまった国にのこのこと舞い戻る気はしねぇーよなぁ」
笑っているのか、悲しんでいるのか。
頬の筋肉すら無い、その枯れた存在に外見から表情を読み取ることはできなかった。
まるで老木のように萎れた肌を、枝のような指で掻く。
彼は大きな石の上に腰をおろし、膝に肘を置いて一息つく。
足元には掘り起こした後のような土の小山が出来ていた。だがその周囲には何処にも掘った穴は見当たらない。となれば、不自然にも積もったこの余剰な土は何処から来たのか。
「・・・いてぇ」
頭部、と思われる細長い部分を指でなぞると、そこには血液と思われる赤い液体が付着していた。
彼は指の腹でその液体を伸ばし、まじまじと見つめる。
「人工皮脂じゃあ鎧代わりにはならねぇからなぁ・・・まったく毎度毎度、アイツはどんだけ俺に傷跡を残してくれるんだか・・・。ま、そこがそそる部分でもあるんだが」
ミシミシと、頭部に裂け目が浮かび上がる。
何かと思えば、どうやら口のようだ。良く見れば、皴のような細かい割れ目の隙間には眼球のようなものもあった。
「あぁ痒い痒い・・・乾く、乾く、乾く」
ガリガリと樹木を鉈で削っているかのような音が周囲に響く。
木漏れ日の中、その一点だけが異質な空気を放っている。
激しく掻き毟れば人であれ動物であれ、表皮は抉れ、毛細血管は裂かれ、痛々しく血を滲ませるものだが――
老木のような痩せ細った身からは一滴の血も出てこなかった。ただただ、表面を削る音だけが虚しく響く。
乾いている。
そう、それはただひたすら、その存在の芯から乾ききっているのだ。
「・・・・・・」
ふと、自身以外の存在を感じ取って、それは顔と思わしき部分を上げた。
「――改めて見ると、実に浅ましい姿だな。生に執着する愚者、潤いを求める枯れ木、悦楽を追い求める化物。お前の姿を言い表す言葉は多く在れど、浅ましさを正確に指し示す言葉が思いつかないのが歯がゆいところだな。・・・いや私に限っては、歯がゆいと思っている自身を演じている、と言ったところか」
すぐ傍の大樹。
樹齢数百年はあるであろう巨木の上、その太い枝を足場に一人の人間が立っていた。
声の主であろう大きな笠を深く被ったその男は、一風吹けば消えてしまいそうなほど希薄な存在に見えた。
「・・・助けてくれたことは感謝してるけどよぉ、見てたんならもっと早く助けてくれても良かったんじゃねぇかな!?」
頭部をコンコンと指で叩き、上空の存在に不満をぶちまける。
「お前の不手際など知ったことではない。私が手を差し伸べてやるのは『お前が出来ないこと』だけだ。それ以外はお前自身の責任であり、その過程で野垂れ死ぬのであればそれまでということだ」
「・・・つっめてぇーの」
「冷たい? おかしなことを言う。私に温度など存在しない・・・この肉体も、感情もな」
「・・・ケッ、ま、あの場から引っ張り上げてくれたことは感謝するぜ」
「不要だ。お前が感謝しようが恨みつらみを重ねようが、この私に何の影響もない」
「人間らしいだろ? 偽善、自己満足・・・何かで自分を偽ってねぇと人間ってのは生きてけねぇんだよ。自分で道を決められねぇ――仲良く手を繋いで、本流に身を任せているだけの、ちっぽけな存在にはお似合いの皮ってわけだな」
「では、そのちっぽけな人間の皮を被っていたお前は何なのだろうな?」
その問いにそれは小刻みに震えた。
笑っている。
否、嗤っている。
「人間、だよ。俺も人間だ・・・ヒヒッ」
人は欲の塊だ。
だが欲とは形を成さないもので、種類も数多く存在する。
欲が結実し表面化する時に初めて人は欲に忠実に行動するわけだが、もし・・・その欲自体が姿を現すとすれば、この目下に存在する異形のような姿になるのかもしれない。
さて、この異形は何の欲を内包しているのか。
飢えている。
乾いている。
それは――渇望している。
自身の姿を憂うほど人間らしいセンチメンタリズムは持ち合わせていないが、それでも彼は狂おしいほど求めるのだ。
人間を。
そして、その先にいる人を超越した存在を。
枝の集合体のような掌に二つの卵があった。
卵を弄ぶように転がしながら、彼はくつくつと嗤う。
「ひとまずは去るとしよう。だけど永遠の別れじゃない・・・ヒヒ、また会う日まで、もっと熟した食べごろの果実になっていることを期待しているよ」
「・・・」
笠の男は既に会話に付き合うつもりがないらしく、彼に返事をすることは無かった。
気持ちの良い風が山中を通り過ぎる中、人が生み出した膿とも言える異形は、いつまでもいつまでも――嗤い続けていた。




