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テトラ・ワールド  作者: シンG
第1章 建国~砂漠の国~
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第70話 脱出

風魔法が与えたダメージに耐え切れなくなってきた兵舎が、徐々に崩れ始めていた。

マイアーは無言でひれ伏したままのクラシスを眺め、深く息をついた。


「・・・ぐ、かはっ――」


息と共に口腔内から漏れ出すのは、白煙。

まるで体内に火でも放たれたかのように、マイアーは体を「く」の字に折り曲げ、全身に焼けるように広がっていく痛みに耐えた。この神経を焼くような痛みを経験するのはこれで二度目だが、依然として慣れるものではない。覚悟していたとはいえ、実際に襲い掛かってきたとあれば、やはり精神的にキツイものはキツイ。

前回は八年前を境に体内に居座るようになった篝火の存在を知り、その力を知るために試験的に力を開放した時だったが、あの時は本当に死ぬかと思うほどもがき苦しんだ記憶がある。当時に比べれば覚悟していた分、耐えられているものの、壁に体重を預けていないとすぐに蹲ってしまいそうだ。


「ハァ・・・ハァ・・・きっついさねぇ・・・」


赤みがかった長髪は元の茶髪へと戻っていき、真紅の両目はいつの間にか色を失っていた。

口の端から漏れ出る煙を視界の端で捉えながら、マイアーはおぼろげにクラシスを見下ろす。


確実に仕留めた。投擲によるトドメとはいえ、その命を刈り取った感触は確かにあった。

ククリの刃が見えなくなるほど、頭部に刀身が深々と刺さったのだ。

絶命は免れまい。

だが・・・どこか安心しきれない不安感を拭いきることはできなかった。


と、天井から落ちてくる破片が彼女の頬に当たる。

周囲に視線を配ると、明らかに壁や天井に走るひび割れが範囲を広げている最中だった。


「・・・ま、マズイさねぇ」


此処もじきに崩れ落ちることは間違いない。

しかし今のマイアーは自力でこの悪路を抜け出せる状態ではない。

クラシスを倒すことばかり優先した結果がこれだ。これではパリアーや隊員たちに、隊長として合わせる顔がない。生き残ることを第一に口を酸っぱくしていた自分自身、生き残るすべを切り捨ててまで敵を討とうとしたのだ。


マイアーは苦笑して、大切な隊員たちの姿を思い浮かべた。

気付けば膝は折れ、壁に背を預けたまま座り込んでいた。


「あーあ、せめて死ぬ時は寝間着姿以外が良かったさねぇ・・・」


色気も何もないやや子供っぽい寝間着が最後の装備だなんて、兵士としては恥ずかしい限りだ。

すぐ近くの天井が崩れ落ち、二階床部分の瓦礫が雪崩のように階下に落下してきた。


あれに押し潰されるのは痛そうだ。

そんなことを考えていると、唐突に鼓膜に自分を呼ぶ声が聞こえた。


「マイアー君!」


普段は聞きなれない、総隊長の張り上げた声だ。

落ちそうになった瞼を無理やり持ち上げ、こちらの姿に気づいて近づいてくるギリシアに、マイアーは力なく笑って、手を上げた。


「やぁ・・・遅かった、じゃないですか」


「すまない・・・! すぐに階下に降りて参戦したかったのだが・・・例の魔獣が懲りずに暴れまわっていてな・・・奴の対処と、寝起きで事態を掴めていない兵たちの保護に時間がかかってしまった。クラシスとの戦いに君だけを残してしまい・・・申し訳ない」


「やだなぁ・・・一応、私これでも、隊長ですんでねぇ・・・」


「そうか、この場ではお礼を言うべきだったね。・・・失礼するよ」


「わっ」


ギリシアはグラディウスを鞘に納め、小柄なマイアーを抱え上げる。年齢的には彼女の二倍の歳月を歩んでいる老兵だが、武装一つないマイアーを抱えることなど造作もないようだ。

そして二人は動かなくなったクラシスの亡骸を見下ろす。


「これが貴様の最後か・・・クラシス。貴様が何を残し、何を訴えたかったのか・・・その動機はもはや分からないものとなってしまったが、これだけは言える。――誰かを犠牲にして為す成果など、いかに高尚な志を持とうが・・・下法げほうに違いないのだとな」


「・・・」


ギリシアはそれだけを残し、クラシスから視線を逸らし、自分が辿ってきた脱出経路を戻ろうとした。

だが、その行動は眼前で大きく崩れ落ちた瓦礫に視界を遮られたことで停止せざるを得なかった。

轟音と共にわずかに漏れていた燭台の灯りも消え、一寸先も見えない暗闇の空間に二人は閉じ込められることとなってしまった。


「・・・これ、マズくない、・・・ですかねぇ」


「・・・ふむ、夜目は利く方だと自負していたんだけどねぇ。さすがにここまで密閉されると何も見えないもんだね」


「総隊長の・・・魔法で、何とか、できたりは・・・?」


「そうしたいのも山々なんだけど、実は俺の魔法回数もギリギリなラインでねぇ。さすがにこの場面で動けなくなるのは避けたいから・・・ちょっと取れない方法かな」


「そう、ですか・・・」


せめて自分が満足に動ければ、退路をギリシアが開き、ギリシアを根性で担いで逃げ切る選択肢もあったのだろうが、それができない原因を作ってしまったマイアーは後悔の念を抱いた。


「ま、部下を護るのが総隊長の役目でもあるからねぇ・・・君は安心して休んでいたまえ」


「・・・困りました、ねぇ。そんな格好いいこと、言われますと・・・安心して、寝ちゃいそう、です・・・」


「はっはっは・・・それはまた嬉しいことを言うものだ」


無理に明るいフリをしているのは分かっているが、それでもギリシアの言葉は何処か安心感を与えてくれる力強さを感じさせてくれる。おかげで体を焼き尽くす痛みすらも何処か遠い出来事のように感じることができた。


(さて・・・虚勢を張ったものの、どうしたものかねぇ)


ギリシアはいつもの癖で顎鬚を擦ろうとしたが、マイアーを抱えていることを思い出し、慌ててその動作を中断した。


このまま手をこまねいていても、崩落に巻き込まれて圧死するのが目に見えている。

その未来に抗うのは当然のことだが、数ある選択肢の中でも可能な限り生存確率を上げる手法を取りたい。

ではそれは何なのか、という話になるのだが――やはり魔法を使うのが最も可能性が高いという結論に至る。


(俺の魔法はどうにも燃費が悪いからねぇ・・・調子の良し悪しによるけど、最悪三発でダウンすることが過去にあったことを考えると――次の一発がどう転ぶか、が鍵になるかねぇ)


既にクラシスとウィンフィルから産まれてしまった魔獣相手に二発使っている。

次の三発目。

ギリシアの体内にめぐる魔素の動きが鈍ければ、おそらく三発目で魔法回数、すなわち体内の魔素を全て吐き出してしまい、全身から力が抜け落ちる状態になってしまうだろう。そうなれば最後、二人とも為す術もなく上から落ちてくる質量の下敷きになる運命が確定する。


(参ったなぁ・・・俺、賭け事は弱い方なんだよねぇ)


リカルドらに誘われて、軽い賭け事はやったことがあるが、いずれも勝負所でハズレを引き、負けるケースが多かったことを思い出し、苦笑を浮かべた。


――。


不意に一陣の風がギリシアの頬を掠めるように通り過ぎていった。


「っ!?」


一瞬、クラシスによる風魔法かと疑ったが、彼が倒れ込んでいた方向から人の気配は感じ取れない。

もっとも視界を封じられたこの空間で、音と空気の流れだけで感じ取る気配を絶対視することはできない。ギリシアは足を擦るようにして周囲の足元の瓦礫の位置を把握し、この狭い場所で自身がマイアーを抱えながらどういった立ち回りが可能かを脳内でシミュレートしながら警戒心を強めていった。


遠くで何かが崩れる音がする。

何か――と問わずとも、兵舎の一部が崩落した音なのだろうが、意識を集中している時にこの騒音は、存外に集中力を乱してくれるものだ。可能なら脱出するまで静かにしてもらいたいものだ、と自然現象に無茶なクレームを告げるが、そんなものは当然聞き入れられず――再び崩落音が鳴り、足元が左右に揺れ動く。


しかし妙だ。

この崩落音。徐々にこちらに近づいている気がする。それに自然に崩落していった割には、規則正しく音が響いているように思えた。つまり人為的に崩落が起きている、という可能性だ。否、そもそも崩落ではなく「瓦礫を取り除いている音」なのかもしれない。


「・・・まさか」


ギリシアはマイアーを片手だけで支え、いつでも魔法を放てる態勢を取った。


「マイアー君、もしかしたら・・・救助の手が近づいてきているのかもしれない」


「・・・!」


「もし・・・救助が来る前にこの場が崩落に巻き込まれるようであれば、上空に向かって俺の魔法を放つつもりだけど・・・さすがに一発で頭上全ての瓦礫を吹き飛ばせるとは思えないのでね。これは最後の手段としてギリギリまで温存しておきたいのだが、それで構わないかな?」


無論、三発以上魔法を撃てるのであれば、連続して火柱を放つことで瓦礫を吹き飛ばすことは可能かもしれない。だが死と隣り合わせの現状では常に最悪のケースを想定して動き、一か八かの手は最後の最後に切るのが常識である。

もし救助が間にあうのであれば、それを静かに待つ。下手に魔法を撃ったり、剣を振り回して周囲に振動を与えようものなら、返って救助の邪魔になる場合もあるからだ。

逆に救助が間にあわず、崩落が先に来るのであれば、迷わず魔法を撃つ。ギリシアの火炎魔法により新たな二次災害が巻き起こる可能性は大いにあるが、それでも自分たちの位置を救助隊に知らせる意味と、崩落までの時間稼ぎの意味、二重の意味を載せて魔法を放つのだ。新たな崩落に巻き込まれるか、その前に救助されるか・・・これもまた賭けの一つになるだろう。


出来る事なら、前者の未来へと繋がってほしいものだが、過度な期待はいざという時に動きを鈍らせるものだ。故にギリシアは常に崩落と魔法の準備、その二点だけに意識を集中してその時を待った。


「・・・ええ、もちろん異論なんて、ありません・・・」


マイアーの言葉に、ギリシアは一度頷く。

地面を揺らす振動、崩落音は時間が経つにつれて、緩やかに――そして小さくなっていくのが分かった。

そこで得心が行く。

やはり救助の主軸にいるのは、風を操るミリティアのようだ。

最初こそ瓦礫を退かす上での風の操作に手間取っていたようだが、慣れて来てからは余計な崩落が生じないように、慎重に衝撃を最小限に処理しているのが安易に想像できた。

音や振動が静かになっていったのは、救助が遠ざかったのではなく、彼女の魔法処理が効率的になったことに対する副産物のようだ。


(大した子だな・・・)


やがて付近の瓦礫の隙間が大きくなっていき、その隙間から入り込むように外気が流れ込んできた。


「ギリシア様っ! マイアーっ!」


自分たちを探す必死な声が、外からの空気と共に流れ込んできた。


「ミリティア嬢、ここだ!」


「――っ!」


彼女と繋がっているだろう瓦礫の裂け目に向かって、ギリシアは目一杯に声を送り込んだ。

呼びかけの声が止まり、向こう側で彼女が何かを探る様子が姿を見ずとも伝わってくる。


「ギリシア様・・・そこですか?」


瓦礫のすぐ向こう側から、凛とした声が届いた。

その声にふっと息を吐き、ギリシアは自分が思っている以上に安堵していたことに少し驚いた。


「ああ・・・世話をかけてすまんね」


「いえ、とんでもありません。あの・・・まだマイアーが兵舎内に取り残されていると聞いて・・・」


「大丈夫だ、彼女も此処にいる」


「そ、そうでしたかっ! よ、良かった・・・」


心から安心した声音。

それだけで彼女がどれだけ必死に彼らを探して、救助しようとしていたかが痛いほど理解できた。


「今、そこから助け出しますのでっ!」


ミリティアの風魔法により、彼らの退路を塞いでいた瓦礫はいとも簡単に外側へと押しやられ、中に入ってきたミリティアが持ってきた燭台の灯りがギリシアとマイアーを照らした。


「や、やぁ・・・」


「マ、マイアー・・・? 何処か深手を負ったのですか!?」


ぐったりと脱力している彼女にミリティアは焦りを浮かべたが、マイアーは力なく手を上げて「大丈夫」と遮った。どう見ても大丈夫ではない様子に、ミリティアはギリシアに視線を送った。


「彼女がどういった状態になっているかは俺にも分からないが・・・早く医師の元に送り届ける必要はありそうだ。退路の確保をお願いしてもいいかな、ミリティア嬢」


そう言ってギリシアはマイアーを抱えて立ち上がり、その言葉にミリティアは深く頷いた。


「少し退路を広げます」


ミリティアは抱えられたマイアーが余裕を持って通り抜けられるよう、彼女が入ってきた瓦礫の隙間を風魔法で押し広げようとした。



そこで予期せぬ事態が起こった。



「あ、れ・・・?」


緊迫した空気に相応しくない、呆けた声にギリシアは目を丸くした。

突如、風魔法が発動した直後にミリティアは態勢を崩して後ろに倒れ込んできたのだ。

慌ててマイアーを片手に持ち替え、ミリティアが後頭部を強打しないように支えた。


ミリティアはグルグルと目を回して、「あれぇ・・・」と状況を把握できていない顔だった。

思わずギリシアとマイアーは、頬に汗を流しながら目を合わせた。


全身が弛緩し、思うように体を動かせないこの状況は――、


「ま、まさか、魔法を使い切ったのか・・・?」


あの近衛兵隊長において、まさかの事態にギリシアとマイアーは信じられないと目を細めた。


「ほひゃ、・・・はひゃふ・・・」


呂律が回らないミリティアにマイアーが呆れたように「この子、こんな馬鹿だったかしらねぇ・・・」と呟いた。とはいえ、魔法回数のことすら頭から消え失せるほどギリシアたちを探していたことは分かっているため、マイアーが思わず浮かべた苦笑も柔らかいものだった。


「と、とりあえず・・・彼女が通ってきた道を辿って脱出するとしよう」


先にすべき行動を示唆し、ギリシアが両手で女性二人を抱え上げた時だった。

目の前に巨大な壁が落下し、その衝撃でミリティアが持ってきた燭台も吹き飛び、再び漆黒の世界へと舞い戻る羽目となってしまった。


『・・・・・・・・・』


流れるような不幸の導きに唖然とする二人と昏睡状態一人。

しかも今の衝撃で頭上の壁も崩れ落ちそうな気配を感じる。


「・・・迷っていられない、ねぇ」


ギリシアは女性二人を壁際に預け、間髪入れずに右手に魔法陣を展開する。

巨大な魔法陣が徐々に形成され、欠けた六芒星が炎の印を結んだ時、ギリシアの火柱魔法が顕現した。


「さて――賭けに勝てるかどうか」


膨大な熱量を含んだ火柱が天井を砕き、残骸を飲み込んで焼き尽くしていく。

だが足りない。

破壊はできても、全てを消滅させるほどの威力がないのだ。特に耐熱性が高い石製の素材は大体が焼け残ってしまうのが目に見えている。

対生物に対しては高火力を発揮するものの、純粋に物を破壊したり除去したりすることを目的にする場合は、圧倒的に風や土魔法の方が優秀と言えるだろう。


ゆっくりと火炎の流れが弱くなっていき、焼け残った瓦礫の雨がギリシアたちの足元に音を立てて転がっていく。


(く、やはり一発程度では駄目か、――ねぇ・・・っ!?)


魔法を放ち終えた瞬間、膝から力が抜け、ギリシアはその場で倒れ込んでしまう。


(・・・・・・や、やはり賭けに出るのは・・・向いてないみたいだねぇ)


最悪の目だ。

彼の中で最も不調時と言える、最小の魔法回数。

それがこの日この時だったとは、不運もここまでくると笑うしかない。


せめてマイアーとミリティアの盾になるべく、彼女たちの元に移動したかったが、脳からの指令に全身の筋肉は一切、耳を貸さない。


「・・・」


「・・・」


倒れ込む二人の魔法師に、マイアーも何か出来ないかと身動みじろぎするが、痙攣する両手足はその願いを拒否するように言うことを聞いてくれなかった。


ふと天を見上げれば、ちょうど三人を押し潰せる質量の石塊が崩れてきているのが見えた。

見える、ということはギリシアの魔法によって大部分が外と繋がったということだろう。月の青白い光を後光のように遮りながら、その塊はこちらに向かって落ちてきた。


ああ、終わりか。


唯一、意識だけはしっかりと握っていたマイアーは、せめて楽に逝けることを願って目を瞑った。



「まったく・・・ミイラ取りがミイラになってどうするんだ」



何処かで聞いた声。

パッと目を見開いたマイアーの両目に、月明かりに薄く照らされた一つの影がいた。

声の主はいつの間にか眼前に立っており、手に持つ大剣を力強く地面に突き刺した。


「ひゅ、ひゅみまへん・・・」


無意識なのか、意識的なのか不明だが、ミリティアが横で謝罪のような言葉を口にした。


「ふっ!」


軽く息を吐き、隻腕の男は大剣を使わずに落ちてくる瓦礫を力任せに腕で払いのけ、三人に降りかからない位置へと吹き飛ばしていく。


「・・・・・・は、へ?」


まるで活劇の一幕を見ているような現実離れした光景に、マイアーは口を大きく開けてその成り行きを見守った。綿毛のように降り注ぐ巨大な瓦礫を簡単に振り払ってから、隻腕の男――ヒザキは大剣を鞘に戻し、ミリティアを肩に担いで、移動中ずり落ちないように器用に片手だけで鞘の帯を彼女の鎧の金具に引っかけた。一番重いであろうギリシアは右手脇に抱えこむ。


「悪いが、左腕が無い身でな。装備もないアンタが一番軽そうだから、咥えて連れていくことになりそうだ。乱暴な扱いになるが、我慢してくれ」


「ぇ、・・・えっと、・・・わ、分かったのさ・・・」


とりあえず返事はしたものの、あっさりと窮地が終わったことに思考がついてこない。

彼が何を乱暴な扱いと称したのか、それすらも整理できないまま、ヒザキはマイアーに近づいていった。


「ん・・・君は――」


そしてヒザキがマイアーの顔が見える距離まで詰め寄ったところで、彼は眉を潜めた。

考え込む様子に見えるのだが、ほぼ無表情のため、本当に思考を巡らせているのかどうか分かりにくい。


「・・・・・・やれやれ、残り火を使ったのか。せっかく拾った命をもっと大事に扱う気はないのか?」


「・・・えっ?」


既視感。

つい最近、その台詞と似たような言葉を耳にした。正確には――自分の深層心理の中で耳にした、と言うべきか。思えば声質も口調も・・・同じものに思えた。


「ア、アンタは・・・」


「おっと、これ以上話に時間は割けられないな。行くぞ」


「ちょ、まっ――」


マイアーの返事は待たず、ヒザキは彼女の寝間着の後ろ襟を強靭な歯で噛み、顎と首の力だけでマイアーを持ち上げた。


「く、くるしっ・・・!?」


「む」


当然後ろ襟を引っ張られれば、マイアーの喉元が締められるわけで、呼吸苦の叫びが漏れたところでヒザキは「しまった」という顔で襟を離した。


「はあ、はぁ・・・し、死ぬかと・・・思ったさ」


「すまん」


首を抑えていた手を見ろおし、マイアーは何度か掌を開閉した。


「ふぅ・・・どうやら、手足の感覚も戻ってきたみたいさ。痛みも慣れれば我慢できないことはないし・・・ね。だから私は別行動でここを抜け出すとするよ。どうか二人を宜しく頼むさね」


かなりの痩せ我慢の上だが、噓でも無い。

ゆっくりと立ち上がれば、しっかりと地に足がつく感覚がある。

未だ血管の中を炎が暴れまわっている痛みは治らないが、少なくともギリシアやミリティアよりは動けると彼女は判断した。

しかしヒザキは首を横に振り、彼女の別行動を許さなかった。


「無理はしない方がいい。この場の誰よりも、君が深手を負っていることは明白だ」


「・・・っ!」


外傷はないというのに、マイアーの内部に起こっている現象を見抜いたヒザキに、彼女は驚きを隠せなかった。


「・・・そうだな、それじゃミリティアの上に被さる形で・・・」


「い、いや・・・さすがにそれは、ミリティアに悪いかな」


彼の肩の上に、ミリティアと自分が重なって乗っかる図をイメージして、マイアーは苦笑いを浮かべて断った。


「・・・」


「・・・」


顔色変えずに考え込むヒザキと、ただただ苦笑するマイアー。

ふとマイアーは、自分が自然体でいることに気づいた。

状況は彼が来て一変したものの、まだ気を許してはいけないはずだ。そんなことは身に染みるほど経験しているはずなのに・・・何故だか彼を前にすると、絶対的な安心感を抱いてしまったのだ。

兵士の一人として、あるまじき感情だと言うのに・・・悪い気はしなかった。


(・・・何だか、納得いかないねぇ)


足を交差させて、マイアーは口を尖らせた。

が、すぐに子供っぽい仕草をしていることに気づき、慌てて姿勢を元に戻す。


「腕力はある程度戻ってきたのか?」


「・・・え? あ、ええ・・・そうさね」


両腕を回して、それなりに力が肩から指先まで通っていることを確認した。


「では、俺の適当な部分を掴んで、しがみついてくれ」


「・・・」


「無理をするなと言った手前、悪いな」


「いーや・・・助けに来てくれた恩人に、そんなことは言わないさ」


(それも――二度も、ね)


マイアーは全身の痛みすら忘れて、朗かに笑い、飛び乗るようにしてヒザキの胸元にしがみついた。


「そこにしがみつくなら、鞘帯の間に挟まるようにしたらいい」


言われるがままに大剣の鞘帯の間に体を滑り込ませ、彼のコートの裾を強く掴んだ。

見上げると、すぐ近くにヒザキの顔があって少し驚くが、すぐに飄々としたいつものマイアーの表情で悪戯っぽく尋ねた。


「ふふふ、こーんなピッチピチの女の子に囲まれて、役得かい?」


「・・・・・・一人、ガリガリのご老人がいるんだが」


「・・・ヒザキ君、忘れてはいないと思うが、全身が動かないとはいえ――意識はあるからね?」


「魔素を使い切ったというのに、もう喋れるとは・・・恐れ入った」


まさかのギリシアからツッコミが入り、マイアーがくすくすと楽しそうに笑う。肩からは「ほにゃ、はりはれぇ」と謎の言語が降りかかってきたが、そっちは意味不明なので無視することとした。


「やれやれ・・・さっさと脱出するぞ」


日常の一シーンのように和やかになりつつある雰囲気に、ヒザキは肩を竦めてから身を屈めた。

そして常人離れした跳躍力で、兵舎の残骸を足場に屋上へと昇っていく。抱えられた三人も単独行動なら可能な動きではあるが、人四人を抱えてとなれば彼のような動きをトレースすることは不可能だろう。

ギリシアの放った魔法が破壊した跡を辿り、二階部分の足場に上り詰めると、二階の残った床を渡り、その先にある外に通じる穴からヒザキは飛び降りた。


外の風が涼しい。

新鮮な空気が喉を癒してくれるようだった。



尊いものを失い、妥当すべきものを倒し、過去の軌跡の一辺を垣間見た一夜は、地平の奥から覗かせる太陽の光を以って「一旦」終わる事となった。




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