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テトラ・ワールド  作者: シンG
第1章 建国~砂漠の国~
69/96

第69話 炎と共に歩む者

ご評価いただき、ありがとうございます!^^

これからも面白いものを書けるよう頑張りたいと思いますので、よろしくお願いしますm( _ _ )m

遠くで何かが崩れる音が聞こえた。


「――っ!」


ミリティアとルケニアは遠くで聞こえた異音に、揃って顔を上げた。

ミリティアは異変を警戒するように、ルケニアは「なんか変な音聞こえた?」程度の軽い感じで顔を見合わせる。


「ねえ、今のって――」


「シッ――」


ミリティアにいつもの口調で尋ねようとしたルケニアに、彼女は口元に人差し指を当てて静かにするように指示をする。彼女の目つきが先ほどと違うことからルケニアも状況を察し、息を飲んで頷いた。


「・・・」


ミリティアは目を閉じて、遠くに響く音の正体を見極めようと意識を集中する。

だが、音源まで幾つもの壁などの障害物があり、上手く聞き取れなかった。


(駄目・・・遠すぎる)


音の正体までは把握できなさそうだが、少なくとも日常的に起こる音でない自信はあった。

ミリティアはベッドから軽やかに降り、屈んで床に手を当てる。

僅かな振動――これは人が歩いて生じる類ではなく、8年前のような対外的要因で起こるもの、と判断した。

勘違いであれば大したことには発展しないだろうが、王城の一部が倒壊したなど最悪な事態を想定して動いた方が良さそうだ。


「ルケニア、私の鎧は?」


「え? あ、えと・・・ベッド脇にテキトーに置いちゃってたけど・・・」


言われて、ミリティアが降り立った逆側のベッド脇に移動すると、乱雑に捨てられたミリティアの軽鎧が転がっていた。


「も、もう少し丁重に扱ってくれると助かるのですが・・・」


「だってー・・・、鎧の扱いなんてこち、わかんないもん」


それにアンタを休ませようと必死だったし、とはルケニアは続けなかった。先ほど互いに子供時代の仲に戻ったこともあり、そういう台詞はどこか変な気恥ずかしさを感じるため、上手く口から出てくることは無かった。


「そ、それはそうですが・・・仕方ないですね」


ミリティアもそれ以上は言わずに、鎧を拾い上げ、一つ一つのパーツを装着していく。

最期に胸当て部分の金具を止めて、窓際に立てかけられていたエストックを手に取る。


「あー・・・聞くまでもないことだと思うけど、やっぱりさっきの音は『そういう系』な感じ?」


「確信はありませんが、万全を期して悪いことはありませんので・・・」


「てか、何故に敬語!?」


「えっ? そ、それは・・・やっぱり冷静になると、この口調になってしまう、と言いますか・・・」


そう言って困ったように髪を軽く払う姿は、窓から差し込んでくる月の淡い光も相まってか、妖精のような美しさを放っていた。


おかしい。

確かに元々美人と美少女を足して割らないというズルい容姿の持ち主だったが、心持ち一つでこうも変わるものだろうか。仕草の一つ一つに女らしさが加わり、もはや手の付けられない程の絶世の美女がそこにはいた。


真似して肩にかかった髪を右手でパサッと払ってみる。


「どうしたの、ルケニア。髪にゴミでもついてたのですか?」


「・・・!」


純粋な眼差しが、鋭利な刃となってルケニアの胸に突き刺さる。

どうやらルケニアがミリティアの真似をして同じ行動をしても、彼女のように誰かに感銘を与えることはできないらしい。ゴミを取ろうと親切心で近づいてきたミリティアに「えぇぇぇぇい、近寄るなぁぁぁぁぁ!」と涙目で理不尽な怒りをぶちまけ、困惑する彼女を他所に大きく項垂れた。


(くっ・・・もう勝ってる場所が胸しかない! でも何故だろう・・・完成度で圧倒的に敗北を喫している気がするのは・・・! 確かにこちの方が胸は大きいけど、大きいけど・・・どう考えても全体のバランス的にあの子の方が間違いなく美しい上に可愛くも見える・・・くぅぅ、神様、不公平!)


「ルケニア、大丈夫?」


「むぅ・・・」


心配して小顔を傾げる仕草も可愛く見える。

例えるならば、人には一切寄り付かない誇り高い血統書付のスレンダーな大型犬が、自分にだけ懐いてくれたその瞬間のような――そんな愛らしさだ。もっともルケニアにそんな経験はないので、過去に読んだ書籍から連想した夢物語の感覚でしかないのだが、彼女的にはその例えがしっくり来ているようだった。

おそらくミリティアが今まで被っていた「隊長」としての殻と、今の彼女とのギャップが大きい分、付き合が長いルケニアですら、一層女性らしさを感じてしまうのだろう。


これは実に厄介な話である。

不器用+天然の上、隊長格の責務という箱に入り込んでいた時代は、誰もが迂闊に声をかけられない対象の頂点にいたはずなのに、今となってはその面影はない。

むしろ気軽に声をかけられそうだし、かけられても笑顔で対応しそうな勢いだ。

そうなれば、当然と言うべきか――放っておく男はいないだろう。


「・・・・・・・・・・・・」


いかんいかん、とルケニアは首を横に振る。

女性格差を考え始めると、どんどん横道の迷宮にはまり込んでしまう。

本筋はそんな方向ではなく、謎の音についてだ。ルケニアは脱線した思考を無理やり元に戻し、ミリティアを見た。


「ごめんごめん、ちょっと色々と頭がこんがらがっちゃったの。もー整理ついたから大丈夫。いきなり怒鳴ってごめんね」


「そう? 良かった・・・」


ミリティアはホッとしたように胸を撫で下ろす。その様子がまた何とも女性らしい仕草である。


(くっそー、有名画家が描いた高級絵画のように見えるっ!)


眩しいモノと直面したかのように目を逸らしてしまう。

何だか自分がどんどん汚れた存在になっていくような錯覚を覚えたので、ルケニアはさっさと部屋の外に出ることにした。


「あ、ルケニア! ルケニアは念のため此処で待っていてください」


扉のノブに手をかけたところで、ミリティアが慌てて制止を呼びかけた。


「大丈夫だって、こちの部屋に戻るだけだから。アンタは・・・もう大丈夫、でしょ?」


微笑みかけると、ミリティアもつられて微笑み「はい、ありがとう」と礼を言った。

ルケニアはミリティアが「みんな幸福であってほしい」という願いに執着する理由が、今少しだけ垣間見えた気がした。


(ま、こちは皆じゃなく――この両手が届く範囲だけ、かもしれないけど)


それでも手が届く範囲の人、その全てが今のミリティアのように微笑んでくれれば、それはどれだけ喜ばしいことか。そんなことを考えていると「これじゃミリーみたいだ」と思わず吹き出し、その様子に首を傾げるミリティアを尻目に扉を開いた。


そして廊下に出たところでルケニアは大きな声を上げた。


「わっ!?」


「ルケニアっ!?」


驚きの声にミリティアがエストックの柄に手をかけながら、素早く彼女の前方に出る。

そして、その視線の先――ミリティアの部屋の扉脇の壁に背中を預けていた存在を視界に入れ、ミリティアも目を丸くした。


「ヒ、ヒザキ様?」


「ああ」


ミリティアの呼びかけにヒザキは短く答える。


「何故ここに?」


「いや、それは――」


言いかけてヒザキは、後ろに隠れているルケニアに視線を送った。

その視線を追うように、ミリティアも振り返った。

ルケニアは何処か罰の悪そうな顔で、両手の人差し指をちょんちょんと突いている。

その両目は既に大海原を駆け巡る魚のように、盛大に泳いでいた。


「・・・い、いやぁ、あはは」


とりあえず何かしらの反応を返そうと笑ってみるも、ヒザキの無表情が厳しく突き刺さり、肩を落として「ごめんなさいぃ・・・」と素直に謝った。


「え? ええっと・・・何があったのでしょうか?」


状況がつかめず、ミリティアはヒザキとルケニアを交互に見て、最終的にはヒザキに尋ねた。


「ま、端的に言うと俺も君の容態を気にかけてきた、といったところだ」


「そ、そうなのですか?」


自身の身を案じて来てくれたことにミリティアは少し胸が躍る感情を覚えた。それは久しく忘れていた、まだ両親がいた頃に良く感じていた感情と似ている。はてそれが何だったのか、彼女はすぐには思い出せなかったが、何にせよこの暖かい気持ちが悪いものではないことは間違いないため、ミリティアはそっと抱え込むようにその感覚を大事に受け止めた。


そんな彼女と裏腹に、やや薄眼でヒザキは後ろのルケニアを見て、


「――おおよそ10時間前にな」


と付け加えた。


「じゅっ――」


ミリティアは驚きの声と共に、背後のルケニアをもう一度見る。

ルケニアは素早く視線を逸らし「え~っと・・・」と汗を流しながら頬を掻いた。


ヒザキは静かにため息をついて話を続けた。


「あの決闘の後、少し時間を置いて夕方ごろだったか。君の容態に問題がないか確認しに王城に訪れたところ、ルケニアに会ってな。彼女の目的も同じだったから、一緒に君の部屋に向かったんだ」


それが10時間前のお話らしい。


「えっと・・・ちょーど夕方にね、藪医者たちの診断が終わって・・・『異常なし』って聞いたから、様子を見にいこうと思って行ったんだけど・・・」


ルケニアの補足に「うん」とミリティアが頷く。


「一応、女性の部屋だからな。俺が勝手に入り込むのもどうかという話になってな・・・彼女に様子を見てもらってから判断する話になったんだ」


別に遠慮なく入ってきてもいいのに・・・とミリティアは言いそうになったが、彼とルケニアは一般的な配慮の話をしていることも理解しているので、無駄に話を曲げないよう、その言葉は静かに飲み込んだ。

代わりに素直な疑問を口にする。


「でも何故・・・それで10時間も部屋の外で?」


自然とヒザキとルケニアの視線が合い、反応に困ったルケニアが舌を出して「テヘッ」と誤魔化す。


「彼女が先に部屋に入って君の状態を確認してな、まだ眠っているみたいだから『起きたら呼ぶね』と言ったんだ」


「や、約束は破ってない、気がする!」


確かに「起きたら呼ぶ」という約束はあながち破ってはいないのだが、その間に10時間もの空白の間があるのは聊か人情的に配慮が欠落していると言っても過言ではない。

ルケニアの弁明にヒザキは一瞥で返す。


「途中で眠くなって、一緒に寝てしまったみたいだがな」


「ぅ・・・ご、ごめんなさい」


この辺りで意地を張り続けずに、すぐに謝るところがルケニアらしい。


「で、でも・・・それでずっと待っていたんですか?」


正直、ルケニアの言葉があったとしても、それで10時間も待つ理由としては薄い気がする。

10、と言わず1時間放置されただけでも、勝手に帰る理由としては十分だと思う。

もしくは確認のためにミリティアの部屋に思い切って入る選択肢だってあるはずだが、そこは彼の矜持が許さなかったのかもしれない。


「・・・」


少し言いにくそうに口を紡ぐヒザキ。

その様子にミリティアは首を傾げた。


「ま・・・君が意識を失ったのは俺のせいだからな」


「え?」


「なに、純粋に心配だったのだ。君が今のように元通りの姿を見せるまでは、帰るわけにはいかないと――そう判断したまでだ」


「・・・」


数秒、ヒザキとミリティアの視線が交わり、停止する。

つまり彼は「ミリティアの無事」を確認するためだけに、10時間もの間、ずっとここに居たことになる。

部屋に入る前にルケニアと合流したということは、医師の「異常なし」という診断結果も耳にしているだろう。それでも顔を見るまでは帰らない、という想いを抱くほど――心配してくれていたということになる。


「・・・」


何故だろうか、顔が熱い。視線を合わせられずに彼女は思わず俯いてしまった。

ルケニアは彼女の変化に気づいたものの、小さく優しい笑みを浮かべるだけで何も言わなかった。

対するヒザキは何か変なことを言っただろうか、と顎に指をあてて思案顔だ。


「さて――長話もここまでにしよう。本題は先ほどの崩落音だろう」


ハッと女性二人が我に返る。

非戦闘員のルケニアはともかく、ミリティアがそのことを失念して他ごとに気が向いてしまったことは意外だったが、ヒザキは特に言及せずに続けた。


「俺も耳にしたが、おそらく王城内の何かが崩落した音だろう」


窓の外を見て「砂嵐の形跡はない」と繋げ、


「十中八九、人為的な破壊――と判断するのが妥当だ」


と告げた。


「・・・・・・!」


ミリティアは静かに深呼吸をし、背筋を伸ばしてヒザキを見上げた。


「ヒザキ様・・・申し訳ありませんが、手を貸していただけませんか?」


「無論だ」


ヒザキは彼女の言葉に即答し、壁に立てかけてあった大剣を手に取る。

抜身ではなく鞘に収まった状態の大剣だ。改めて間近で目にすると、本当に巨大な剣だ。


「・・・それじゃ、こちは部屋に戻るね」


二人の戦士の意識が日常から戦場へとシフトしていったことを感じ、おずおずとルケニアはそう言った。


「ええ、部屋に戻ったら必ず鍵をかけてください。事態の整理が終わりましたら、私が迎えに行きますので、それまでは絶対に部屋を出ないでください」


「わ、わかってるわよ」


子供扱いのような言葉に頬を膨らませるルケニアだが、ふっと笑みをこぼして、彼女はヒザキを見上げた。


「ヒザキ君」


「ん、なんだ?」


「ミリーのこと、よろしくね」


「・・・」


おそらく――この「よろしく」には幾つかの意味が込められているのだろう。

ヒザキもその意図をしっかりと受け止め、力強く頷いた。


「えへへ、よしっ!」


満足そうに笑顔を浮かべたルケニアは、手を振ってその場を後にした。

その背中が廊下の角を曲がるまで見送った後、二人は崩落音のあったと思われる方向へと足を向ける。


「行きましょう」


「ああ・・・・・・あ、あとだな」


「はい?」


駆けようとした足を緩めて、ミリティアは背後のヒザキへと向き直った。


「様はつけなくていい。どうにも落ち着かないからな」


一瞬、意味が分からず返答に窮したが、彼の言いたいことを徐々に理解して、ミリティアは少し迷った後に小さく笑った。



「――はい、それでは行きましょう、ヒザキさん」


「ああ」



言葉を交わし、後は目的地に向かうのみ。

二人は燭台に灯された蝋燭の火に照らされる薄暗い廊下を高速で駆け抜け、この国に再び起ころうとしている異変へと足を運ぶのであった。



*************************************



ああ、またこの展開かと毒づきたくなる。


クラシスは喉を引き裂こうと迫るククリの刃を右手で受け、手の甲に染み渡る激痛に耐えながらもククリを更に深く貫かせ、そのままククリを持つマイアーの手をつかみ取る。

神経をまとめて断裂されたせいか力が思うように入らないが、とりあえずは喉を切り裂かれて死ぬという末路は回避できたことを喜ぶとしよう。


「あの日の再現みたいな展開だねぇ」


痛みに顔を歪めるクラシスを見上げ、マイアーは同情の余地すら見せずに笑った。


「ぐっ・・・き、君とお近づきになれる、のは嬉しい事だけど・・・ちょいと熱烈すぎる、かなぁ?」


「・・・今更、いつものクラシスのフリをして誤魔化せると思った?」


クラシスの右手に突き刺さったククリを無理やり捻じる。

冷たい刃に巻き込まれて抉れる右手の神経、筋肉、骨が軋みを上げて熱くなる。


「ぅお――! ぐ、・・・」


「痛いかい?」


「ぐ、愚問だねぇ・・・痛くないように・・・っ、見えるかい?」


「ふふっ、いやなに、ちょっとした確認だよ。こうまで平然とした姿で目の前を闊歩されると――本当に痛みがあるかすら疑わしいからねぇ。いや――そもそも『この一撃』すらも有効な攻撃かどうかも怪しいのかな?」


「――」


マイアーの言葉にクラシスは一切答えず、代わりに彼女の胸元に魔法陣を顕現させた。


「ヒヒ、それは――こっちの台詞だよ。あれだけ全身を損壊させたというのに、こうまで平然とした姿を見せられると――まるで魔人の類ではないかと疑ってしまうよ。一体どういう『魔法』を使ったのか、興味深いねぇ」


「っ!」


またしてもゼロ距離の風の球を打ち込むつもりなのだろう。

八年前と同じだ。

そして99%の疑念は100%の確信へと変わる。

この男はやはり――八年前に一戦交えた、あのローブの男だと。


「やれやれ、先ほどまで争っていた男の存在を忘れてしまうとは、随分と女道楽に没頭してしまうさがなのだな」


「・・・っ!」


あの日の再現をしようとするクラシスの耳に殺気に満ち溢れた老兵の声が間近で響く。

クラシスは体を捻り、左手に顕現した魔法をマイアーではなく、背後のギリシアに放つ。


しかし老兵も先読みしていたのか、巨大な風の球は彼の回避行動の前に不発し、倒壊した屋根の縁部分を削り取って城壁へと激突していった。


風の球の行方を呆けて見送っている場合ではない。


二つの殺気にはさまれ、クラシスは大きく舌打ちをする。


既に二つの影は次の動きへと移っている。

ギリシアはクラシス右側で右手のグラディウスを横に振りかぶり、マイアーは左手で次のククリを腰から抜き取り、今度こそクラシスの頸動脈を切断しようと攻撃の初動に入っている。


マイアーのククリのせいで回避はほぼ不可能だ。

マイアーを振りほどいている間にギリシアに殺されるのが確実と言えるだろう。


では魔法による障壁を作って、防御に回るべきか。

それも不可能だ。

魔法陣を生成するタイムロスの間に、マイアーのククリがクラシスの首を両断することだろう。

そもそも自身から半径1~2メートルほどの距離を置いて作成する風のドームの内側にマイアーを入れてしまったことで、この策は既に使えない。近距離の限られた狭い空間でマイアーに勝てる自信がなければ、自分の逃げ道を塞いでしまうだけの悪手にしかならないからだ。


だが何もせずに死ぬのは御免だ。


(ヒヒ・・・まったく、本当にまったく、だよ! どうも俺には奸計の才能が悉く無いらしい・・・ヒヒ、仕方ない。暇つぶしのつもりが・・・それで命を落としちゃあまりにも虚しすぎるからなっ)


小さくていい。

今は速さが大事だ。


クラシスは小さな風の球を再生成し、自分の足元を打ち抜いた。

先ほどの暴風で耐久度がかなり下がった屋根は、いとも簡単に崩壊し、クラシスとマイアーはその場で落下することになった。ギリシアは剣を振るうべく踏み込もうとしていた最後の一歩を、この行動の前に止めざるを得なかった。


「なっ!?」


「魔法を使えない君には想像できない戦略だったかな?」


一瞬、宙に浮いた感覚の後の落下に、マイアーは思わず体のバランスを取る方向へと動きを変えた。

それが大きな隙にもつながる。

クラシスは思い切ってマイアーの右手を振りほどいた。ククリが抜き取れる間際に何本か神経も持っていかれたのを感じたが、今は彼女と近距離にいる方が痛手だ。この程度の傷は仕方ないと言えるだろう。


「クラシスっ!」


屋上から一般兵舎の最上階である三階に落下するまで、ものの一秒。

三階に足をつけるまでの時間に、マイアーを倒さなくてはならない。


クラシスはすぐに魔法陣を展開し、その右手をマイアーに向かって差し出す。

ククリで貫かれた穴が痛々しいが、クラシスは「所詮、君がつけられる傷はこの程度さ」という挑発の意味も込めて右手で魔法を使う。


「ヒヒ、今度はもっと強めに行こうかな? 君が痛みにもがき苦しみ、許しを請う姿も見てみたいけど・・・この展開でそんな悠長にしている時間はないからね。惜しいけど、即死してもらうよ」


「・・・舐めないでもらいたいねぇ」


マイアーは挑発に全く乗らず、手に持つ二本のククリを投げ捨て、代わりのククリを三本、右手に持ち替えた。それらを間髪置かずに近くの壁に投擲し、壁に突き刺さったククリの柄先から伸びている糸を強く握った。


「――ああ、覚えてるよ。その戦術には、痛みを伴ってしっかりと覚えている」


「えっ・・・」


ククリから伸びた糸を引っ張って、風の魔法から回避しようと思ったマイアーだが、引っ張った糸から何の感触も伝わってこないことに目を見開いた。


糸が・・・切られている。

気づけば糸とマイアーの間の延長線上にある壁に小さな亀裂が刻まれていた。

あの一瞬で風の刃を打ち込まれていたのだろう。マイアーの策を読んでいなければ、この僅かしかないタイミングで魔法を放つことは不可能だろう。完璧にしてやられた形だ。

彼の右手には未だ大きめの魔法陣が展開されたままだ。どうやら最初の魔法の権限から発動までの間に、別の魔法を発動させたのだろう。全く以って魔法師としての実力が計り知れない男だ、と感服するほかない。


しかしそのおかげで、マイアーとクラシスは三階部分に着地する時間が――、



「ヒヒヒッ!」



短い嗤いによって消された。

右手に展開した魔法陣、その魔法の矛先をマイアーから三階の床部分に変更し、そのまま風の球を打ち込んだ。


狙いを察して、マイアーの表情から余裕の色が消え失せる。


強力な風の球は、三階だけにとどまらず、一般兵舎の階下全てを破壊しつくし、真下にあった一階の床を大きく抉っていった。


当然、マイアーとクラシスが地につけるべき物は・・・一階の地上までの間、何もない事になる。


「悲しいねぇ・・・いかに力をつけようと、技術をつけようと、これが魔法を持たぬ者の限界、ということさ」


宙に舞う破片から顔をかばいつつ、マイアーは下卑た笑みを浮かべる男を睨む。


「だが幸運なことでもある。全盛期である君が無様に散りゆく姿を、国を出る前に拝むことができるんだからね。年老いて、その美貌が崩れた後に見ても何の意味もない――今だからこそ可能な結末だ。フヒヒ、せいを懇願する姿まで見れなかったのは残念だけど、それはまたの機会を待つことにするよ」


「・・・」


マイアーは静かにククリを一本、滞刀帯から抜き取り空中で構えた。

その姿をクラシスは鼻で笑った。


「生に執着する・・・人間の悪い癖だ。どうせなら勝者に晴れやかな余韻を残すよう、敗者らしく勝者の望む態度で死を受け入れるべきだと俺は思うんだがね」


「アンタが勝者だっていうなら、考えてもいいさねぇ」


「ん? おかしなことを言うものだ。っと時間稼ぎもここまでかな・・・上から怖いオジサンも降りてくるだろうし、さっさと終わらせてもらうよ」


三階を通過し、二階部分も通り過ぎようとしたところでクラシスは魔法陣を展開し、今度こそマイアーに向けて右手を差し向けた。


その油断に満ちた顔を見て、マイアーは彼に劣らずの笑みを浮かべた。


「ふっ、その勝ち誇った顔、どうにも私には勝者には見えないのさ」


「・・・」


もう言葉を交わすつもりはないのか、クラシスは無言で見下した視線の元、風の球体を顕現させた。

八年前、マイアーの全身を破壊した、忌々しい風の魔法だ。

同時に、同じくして八年前に手にしたものがある。



内心を覗き込むようイメージを頭に、マイアーは目を閉じた。



目を閉じた先・・・暗い暗い漆黒の世界に、一本だけ燭台に立った蝋燭がある。

――火だ。

八年前、命を落としかけて、奇跡的に一命をとりとめた時からずっとこの場所に立っている、小さな火。

これが何なのかはマイアーには分からない。

分かることと言えば――この火から伝わってくる慟哭の叫び。そしてその叫びが集まり、やがて形を成したのが「憤怒」となり、その一部がここに残っている。


誰に怒りを抱いているのか。

静かに、ゆらゆらと淡い灯りを照らす火はそこまでは教えてくれない。

だけどマイアーはこの火が嫌いにはなれなかった。

怒りに荒れ狂う感情の本流を感じるが、その根底にあるものは憎しみや怨嗟によるものではない。

もっと別の――人が人想う、その愛情が見え隠れしている気がした。


「・・・小さな炎さん。すまないねぇ・・・ちょっとだけ私に力を貸してくれないかな」


マイアーは小さく微笑み、蝋燭の火の語り掛ける。

無風状態だというのに、火が僅かに揺れ動いた気がした。


「悔しいけど・・・私だけの力ではアイツに敵わないのさ。どんなに強い思いを以って戦っても・・・それを上回る力の前には手も足もでない。情けない話さね・・・」


火は何も言わない。

ただただ手元を照らす程度の光を放ち続けるだけだ。


「君が・・・私を助けてくれたことは何となく分かるのさ。なんでまだ・・・私の中に残ってくれているのかは分からないけど・・・良かったら、また力を貸してくれると、助かるかな」


錯覚かと思うほどの小さな揺れを感じる。

火はマイアーの言葉に耳を傾けるかのように静かで、時折頷くかのように小さく揺れ動く。

まるで意志を持っているかのような、そんな錯覚をしてしまう。


マイアーはそっと蝋燭の上に手を掲げた。


掌に火が当たるか当たらないかの位置だが、不思議と熱は感じない。

あるのはマイアーの体を気遣うような暖かさだけだった。


「大丈夫、私はきっと君と適合してみせるのさ。だから――」


言い終える前に、火は炎へと肥大化し、マイアーの左手を包み込んでしまう。


「っ!?」


通常なら左手は炭化して、組織ごと崩れ落ちて行ってもおかしくない火力だが、それでも熱は感じなかった。

最初は驚いたマイアーだが、この炎に敵対する意思はないと判断し、炎の成すがままに左手を焼かせた。


『まったく・・・せっかく拾った命を無駄にはしてもらいたくないものだな』


どこかで男の声がした。

この声――どこかで聞き覚えがあるような・・・。


「・・・ありがとう」


何にせよ、言葉にせずとも理解できた。

左手を覆いつくす炎は、この時、この瞬間だけ力を貸してくれるということに。

炎は左手に吸い込まれるようにして徐々に消えていき、最後には蝋燭に小さな火だけを残して消えていった。


「・・・まだ残ってくれるのさね」


てっきり蝋燭の火も消えてしまうのかと思ったが、そうではないらしい。ただ先ほど見た時より、少しだけ火は小さくなっている気がした。

「いってらっしゃい」と言っているかのように、小さく揺れた火にマイアーは笑みを浮かべ、背中を向けた。



意識を現実に戻した瞬間、全身に異様な圧力を感じた。

目を開けば、目前に死を誘う風の球体が迫ってきていたのだ。

あと一歩、目を開けるのが遅ければ、球体に全身を砕かれ、今度こそ確実な死を体験していたことだろう。


構えたククリの刀身がジリジリと赤黒く発光する。

その様子を見て、安堵したようにマイアーは一息つき、全力で球体を真一文字に切り裂くようにククリを振るった。


本来、斬撃には向いていないククリ。

そんな武器で人一人を粉砕できる風圧の塊を両断できるものか。

常識で考えれば不可能と言わざるを得ない。

だが、そんな常識の話はこの場では不要なものだ。常識か非常識かの議論はこの窮地を脱して、生き延びてから存分にすればいい。この場で必要なものは――この状況を打開することができるという「事実」だけ。

そして自身の身の中に宿っている「炎の力」は、その「事実」を「現実」に具現する力を持っている。

今はその原理は考えずに、信じればいいのだ。

信じて、クラシスに打ち勝った後でゆっくりと考えればいい。


マイアーは一縷の迷いすら浮かべずに、赤黒く熱を伴ったククリで――風の球体を真っ二つに切り裂いた。同時に手に持っていたククリは高熱に耐えられずにひしゃげるように曲がり、最後は溶けて崩れ落ちていった。


「・・・はぁっ!?」


驚愕に溢れた声が正面から聞こえる。

本当に呆れた男だ。

あれほど八年前に油断は禁物だと、その身に味合わせてやったというのに、何の反省もしていない。


両断された球体がマイアーを避けるようにして背後に突き進み、兵舎の内部をまたしても粉々に粉砕していった。



「【我は炎と共に歩む者なり《イグニ・アラトリヤ》】」



呪文のような言葉を告げた瞬間、マイアーの両目に熱い力を感じた。

誰に教わったわけでもない、自身の中に沸いて浮き上がった謎の言葉。それが彼女の深淵でポツンと灯りを放つ炎に接続するための鍵であった。


ふと気づけば両者ともに、兵舎の階下へと着地して、互いに間合いを取っている状態だった。

自分がどうやって着地したかすら覚えていないほど、マイアーは感情が昂っていた。

対するクラシスは対照的に、こちらの様子に唖然としているようだった。

まるで未知の何かと対面したかのように、阿呆面をこちらに向けている。


「マイアー・・・君は」


彼の視線は主に彼女の顔に向けられていた。

マイアーはその視線の先を確かめるように、新しいククリを抜き取り、その刀身を鏡代わりにして顔を覗き込んだ。


そこには眼球の奥底で燃えがあがる炎が見えた。

その炎が双眸を赤く変色させていたのだ。

暗闇で見れば、魔獣のような赤い目が浮かび上がることだろう。

よく見れば若干ではあるが、長い彼女の髪も赤く変色し、その毛先から僅かな火の粉が舞っているような気がした。


なるほど、彼が驚くのも無理はない。


これは魔法ではない。

もはや人知を超えた、形容すべき言葉もない、何かなのだ。


だが不思議とマイアーに恐怖は無かった。

在るのは遥か頭上にいたはずのクラシスと対等に戦える力を持ったことによる、抑えきれない高揚感だけだ。


「ふふふ、ちょっとだけアンタの気持ちが分かった気がするさねぇ」


「な、なに・・・?」


ちょっとまずいかも、と心の端で思ったが、熱でうなされたこの感情はもう止まらない。


「確かに、人を圧倒する力っていうのは・・・こうも誰かに試してみたくなるもの、なのかねぇ」


「・・・、ヒヒ、ああ・・・そりゃ人間らしい発想だ」


マイアーの不敵な笑みに、クラシスも歪んだ笑みで返す。


「さて、これでようやく・・・アンタの喉元をコイツで突き立てることができるさ」


「いや、それは無理かな」


「そう思うかい?」


クラシスの台詞を虚勢と受け取り、マイアーが低い体勢でククリを構えるが、そんな彼女に手を振って彼は否定した。


「ああ、違うんだ。君の実力を甘く見ての言葉じゃない。ただ単純に時間切れ、って話さ」


「・・・このまま見逃すとでも?」


「見逃すんじゃない、逃げられるんだよ。君が主体ではなく、俺が主体の話さ。その力は実に興味がそそられるし、これで君も俺の研究対象となった。けど、研究に没頭するのは今じゃないのさ。クヒ、ヒヒヒ・・・暇つぶしに来たわりには、退屈させない充実した日々だったよ、この国は」


「・・・逃がすつもりは無いんだけどねぇ」


「だ・か・ら、それはあくまで君の主眼による事象であり、現実とは異なるわけさ。現実では・・・君は俺を捕らえることができずに終わるんだ」


「何だか上手く言っているつもりなんだろうけど、何でアンタ主体の話が現実になるのかしらねぇ・・・まさかまだ思い通りに事が運ぶと思っているの?」


構えたククリの刀身に熱が伝わっていき、徐々にマイアーの周囲が高温に炙られたように熱されていく。

どうやら彼女自身が高熱原体の役割を担っているようだ。


「ククク・・・」


籠った笑いを漏らしながら、クラシスはポケットから何かを取り出す。

掌の上に乗るそれは、脈動する肉塊のような気味の悪い物体だった。


「思い通りになるとは思ってないさ。いや・・・考えを改め直された、といったところかな? 10年、人の国を経験しろと放浪の旅に出されてたどり着いたこの国だけど、自分から行動して上手くいったことはあまり無かったからねぇ。かと言って・・・黙ってジッとしているのは、渇きが溜まる一方で耐えきれない。だから潤いを求めて行動するけど、やっぱり今のように上手くいかない。その繰り返しを俺は学んだよ」


10年の放浪、渇き、潤い・・・彼の言葉の中に、彼自身の歴史を物語るパーツが幾つか見られたが、それがどう繋がり、今へと至るのかはマイアーには想像できない。


「学んだわりには成長していないみたいだけど?」


「そうだな・・・ヒヒ、確かに渇きに耐えきれず、阿鼻叫喚を求めて行動した際は、大体が最後の段階で転ぶ羽目になったわけだけど・・・そんな中でも一つだけ、今までに失敗していないものがあるんだ」


「・・・」


「それは――逃げることさ。俺の魔法は、攻撃・防御に万能的に使えるものだが、何より逃げの一手に強いのさ。その手法は想像に任せるけどね」


「ふん、尻尾巻いて逃げる段取りを誇らしげに言われても、何の見栄にもならないさ」


「フヒヒヒ・・・」


肩を震わせて嗤う狂人の姿に、吐き気を催す気分になる。


「八年前――」


「なに?」


「八年前、サンドワームが突如、この国に現れたのは偶然だと思うかな?」


「・・・・・・偶然じゃない、とでも?」


「ヒヒ、あれは俺の処女作にして、失敗作でもあったよ。不完全な急激成長に対し、体組織が耐えきれずに成長しては破裂するの繰り返しだった。無論、収穫も多々あったし、先駆けとしては十分な成果だったと言えるわけだけど」


「クラシス、何、を・・・!?」


血まみれになった右手で顔を覆い、くつくつと不気味な笑いを漏らし続ける男は、一層不穏な気配を増していった。


「素材が不足していてね・・・今日びに至るまで退屈な日常を過ごす羽目になったわけだけど、この前、ようやく補充が間に合ってね。早速、実験に移ったわけだけど、やはり不完全なものしか生まれなかった・・・実に不愉快な思いを抱いたものだよ」


「・・・」


八年前のサンドワーム、そして近日に起こった事件と言えば、サリー・ウィーパの件か、地下の浄水跡地で起こった未確認の魔獣の件となる。

マイアーはギリっと歯を噛みしめ、クラシスに鋭い眼光を浴びせた。


「だが・・・ふと考え方を変えてみると、だ。こうは思わないかい?」


「・・・なに、かしら?」


「不完全なものほど醜悪なものはなく、そしてその醜悪さこそが・・・最も美しい光景へと昇華するのだと」


「・・・微塵も理解できないねぇ。そろそろ、その耳障りな声を聴くのも耐えられなくなってきたさ・・・」


「せっかちなことだ。クヒヒ・・・ま、君らしいけどね」


そう言いながら、クラシスは手に持った肉塊をマイアーに見せるような位置に掲げる。

どうやら肉塊は二つ用意されていたようだ。


「この卵は夫婦でね・・・実に仲睦まじい卵なんだ。今は二つに分かれているけど、近くで孵化させたらどういう姿になるんだろうね? ククク・・・本当は、こいつをあの子の前で見せるつもりだったんだけど、ここまで追い詰められたら仕方ないね。こいつを囮に俺は逃げさせてもらうことにするよ・・・」


指で二つの塊を弄びながら喋るクラシスの顔は、昏く恍惚としたものだった。

自分が手掛けた実験成果がどのようなものへと変貌するのか、今から楽しみで仕方がないといった表情に見える。


「そう――」


マイアーは短く答え、一歩踏み出した。

そして蝋燭の火が消えたかのように、彼女の姿はクラシスの眼前から消え――いつの間にか彼の真横に移動していた。


「っ、なに!?」


予想をはるかに超える速度に目を剥くクラシス。

そんな彼にお構いなく、彼女は目に負えない速度でククリを走らせ――卵と称される肉塊を持つ左手を腕の当たりから切断、いや・・・焼き切った。


「ぐ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


切断面が燃えあがり、噴き出すはずの血液は全て沸騰して血煙と化した。

マイアーは刀身が焼けて溶けてしまったククリを放り投げ、新たなククリをその手に持つ。


「何をするつもりか分からないけど、それなら・・・何かをする前にアンタを殺せばいい。そうは思わないかい?」


「ぐ、ぁぁぁ、くそ、お、お前・・・、お、俺の腕をっ!?」


「首の方が良かったかな?」


無情にククリを振りかぶる彼女の姿を苦痛に覆われる視界の中で確認し、クラシスは激痛で乱れる思考の中で何とか風のイメージを脳裏に浮かべ、魔法陣を発動させた。


クラシスとマイアーの間に風が吹き荒れる。

崩れた瓦礫などが視界を塞ぐ形となり、マイアーは舌打ちをして眼前の風をククリで焼き払った。


当然と言えば当然だが、その隙にクラシスは距離を取って離れた場所に移動していたようだ。

風を上手く使ったのか、切断された左腕も彼の足元に転がっていた。卵はさすがに左手の中にはなく、その辺りに転がっていってしまったようだ。


「ハァ、・・・ハァッ・・・! ぐ、い、いてぇなぁ・・・畜生め」


「これが・・・今の私の力さ。先に言っとくけど、アンタが威力の強い魔法を打とうとすれば、魔法陣を形成するその時間に近づいてアンタを殺せるからね。精々アンタが打てる魔法はさっきのそよ風程度のものしかないってこと。そろそろ観念して、大人しく死んだらどうだい?」


火の粉を全身から浮かび上がらせる彼女は、まるで火の妖精のように美しかった。


「・・・ま、参ったねぇ・・・つぅ、今の速さはあの子ほどじゃないにしろ、・・・ぐ、常人の眼では負いきれない、速度だったよ・・・ハァ・・・」


その台詞でマイアーの脳裏に一つ繋がりが浮かんだ。


「あの子ほど、じゃない? ・・・アンタがさっきから言ってる『あの子』って、もしかしてミリティアのことかい?」


「ハァ・・・ハァ、クヒヒ・・・ハァ・・・っ」


クラシスは明確に答えずに、左腕を抱え込んでその場でうずくまった。


「・・・もういい、アンタは色々と隠してることがありそうだけど、情報を聞き出すよりアンタを長く生かす方が危険な気がするからねぇ」


「・・・」


「さようなら、クラシス=ストライク」


マイアーは別れを告げ、近づかずに遠距離からククリを投擲した。

この距離と、今のマイアーの投擲速度なら、彼が風の障壁を作る時間よりも早く、その身にククリは突き刺さるだろう。

念のため、次弾となるククリも手に取り、その軌跡の行方を見守った。



「ヒヒ――」



どんな断末魔を上げるかと思えば、最後もやはり、この男が口にするのは――引き攣った不気味な笑いだけだった。


マイアーが投げたククリは深々とクラシスの頭部に突き刺さり、その衝撃に何度か全身を痙攣させた後、彼は左腕を抱えた態勢のまま、ゆっくりと体を地面へと沈めていった。


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