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テトラ・ワールド  作者: シンG
第1章 建国~砂漠の国~
66/96

第66話 ミリティアの追憶と西門事変

西門に後方支援部隊の面々と待機していたマイアーは、ふと肌に刺すような悪寒を感じ、勢いよく上空を見上げた。


西門は開放状態となってはいるものの、今は門の内側にいるため、外の様子は見えない。

視覚で何かを捉えたわけではないが、西門から流れ込んでくる風の流れに違和感を感じ、マイアーは後方支援部隊として集まった王城で働く者たちに留まるよう指示をしてから、西門をくぐって外へと駈け出して行った。


門の外に出るだけでは、外壁の影に隠れて砂漠側を見通すことができないため、マイアーは素早い動きで目の前に広がる緩い傾斜の山岳地帯を登っていく。

その途中で再び大きな振動が地上を襲い、マイアーは「っとと」と転ばないように慌てて態勢を立てなおした。


そして振り返った先に見たモノは――外壁の奥から上空へと吹き上がる大量の砂だった。


「・・・始まったのさねぇ」


予め作戦については頭に入っている。

前線部隊がサンドワームに攻撃を仕掛け、気を惹かせて砂漠側に誘導する作戦。

出来ればマイアーもそちらに参戦したかったのだが、機動力はあっても巨大な相手にはほぼ傷を負わせることができないマイアーの武器と戦法ではいざという時に何もできない、という事情もあり、渋々後方支援の方を担当することとなった。


余程の事態にならない限り、後方支援の出番は来ないだろう。

人が抗うにはあまりにも大きな相手だが、倒すことを目的にしなければ早々敗北を喫するほど脆弱な面子でもないはず。

しかし――何故だろうか。

言い表せない不安感も常に付き纏ってくる、この感覚。


不服そうに口を尖らせながら、マイアーはいつ指示が来ても大丈夫なように、持ち場に戻ることにした。


器用に岩場の頭を足場に山岳地帯を跳躍し、西門の前まで戻る。


「・・・・・・む?」


長い髪を靡かせながら、彼女は違和感を感じ、眉を潜めた。

開放された西門。

その正面が丁度こちらから見えるわけだが、本来いるはずの後方支援部隊の人たちの姿がそこに見えなかった。

口の開いた門から見える場所にたまたまいない可能性もあるが、つい数分前に自分が西門を出る際にはその場所に少なくとも数人の人はいたはずなのだ。


西門から山岳への道のりに魔獣の気配は感じなかった、はず。


胸につっかえるような嫌な予感を感じ、マイアーは頬に汗を一筋流しながらも西門の陰まで移動し、注意深く様子を探った。

サンドワームが暴れたせいか、砂が混ざり合った風が吹き込んでくるため、普段通りの感覚を研ぎ澄まされないのが非常にもどかしかった。


目に砂が入りこまないように腕でガードしつつ、西門の中を覗きこんだ。


「・・・・・・」


誰もいない。

少なくとも視界には人影一つ見当たらない。


パチパチ、と体中に音を立てて当たる砂に苛立ちを覚えつつもマイアーは思い切って踏み込むことにした。


西門付近の家屋脇にある角材の陰に身を潜めるため、健脚をバネのように伸ばし、西門を潜り抜ける。

角材の場所に辿り着く前に周囲の状況を確認することを怠らないようにする。


「――な」


本来であればこのまま通り抜け、目的の場所に滑り込む予定だったのだが、彼女は思わずその道程の途中で足を止めてしまった。


そして慌てて周囲を見回す。


誰もいない。

数十人いたはずの後方支援部隊の面々は誰一人の姿も確認できなかった。

用意していた武器や物資はそのまま場所を変えずに残っている。人間だけは姿を消しているのだ。


――いや。


マイアーは肌に伝わる気配を感じ取り、上空を見上げた。


「こ、れは――!?」


そこには宙に浮いた――いや、風によって上空に巻き上げられた大量の人間がいた。

全て後方支援部隊に徴集兵として集っていた者たちだ。

誰もがこちらに向かって何かを叫んでいる。が、口は動いているものの、声は音となってマイアーまで届いていなかった。

注視すると、自分が立っている位置より数メートル上空で吹き溜まりの中を吹く風のように、彼らを持ち上げている強烈な風が猛威を振るっている。どうやらこの風が音を遮断しているようだ。


気配を感じ取り辛かったのも、この風が原因なのかもしれない。


「・・・自然現象とは思えないねぇ」


試しに腰のククリを一本手に取り、上空に向かって投げる。

途中まで線をなぞる様な軌道で飛んでいったククリは、一定の高さまで上がると、複雑に吹き荒れる風の絡めとられるかのように軌道を変え、当初の投げつけた目標地点とは大きくズレた外壁の側面に突き刺さる結果となった。


内心、誰かに刺さるんじゃないかと焦ったが、幸い誰にも当たることなく壁に刺さったククリを見て、小さく息を吐いた。


「おや、誰かと思えば・・・第三部隊の副隊長さんじゃないか」


突然、耳元で発せられた言葉に全身の毛穴が開くような悍ましい寒気が走った。

反射的にその場を離れようとしたが、腕ごと何者かに背後から抱きかかえられ、マイアーは身動きが取れなくなってしまった。


(しまった!?)


拘束を解こうとするが、自身を上回る圧力を払い除けることができず、忌々しく舌打ちをした。


まったく気配を感じ取れなかった。

まるで突然背後に出現したかのような印象だ。


「・・・いきなり淑女を抱きかかえるだなんて、失礼だとは思わないかねぇ?」


声から相手が男だと判断し、マイアーは平常心を意識して言葉を投げかけた。


「ヒヒ、強がっているのかな? 可愛いねぇ・・・」


耳元で彼女の鼓膜をなぶるように囁き、あろうことか頬を伝った汗を舐めとってきた。

頬に残る舌の不快感に、全身から神経に至るまで怖気がのたうち回る。


「・・・っ、と、りあえず・・・アンタがこれをやっているなら今すぐ止めてもらいたいねぇ」


怒声を上げたくなるのを堪え、まずは上空で風に弄ばれている後方支援部隊の連中を助ける方向に話を持っていく。自分の身は後回しだ。この現状は、この場を任されている立場として失態もいいところだ。何とかして誰一人犠牲を出さないように手を打たなくてはならない。


「ヒヒヒ、俺はねぇ・・・実は君にも期待していたんだよ。俺が知っている中で・・・この国で間違いなく断トツで美しい君は・・・どんな潤いを俺にもたらしてくれるのか」


「そ、そう・・・褒めてくれるのは嬉しいけど、こんな真昼間の外で言われても雰囲気もへったくりも無いねぇ。どうかな、上の皆はさっさと降ろして、ゆっくり二人になれる場所に行かないかな?」


「別にいーけど、今魔法を解くと上の連中・・・みーんな潰れたトマトみたいに地面に墜ちるぜ」


「そこでゆっくり降ろしてあげるっていう優しさは見せてくれないのかねぇ」


「ヒハハッ! んな優しさがあったら、元々こんなことしてねぇさ!」


「・・・ごもっとも」


下衆げすめ、と心の中で毒づく。

何とかして腰のククリに指を伸ばそうとするが、筋肉の動きが相手にも伝わり、さらに強い力で締めあげられてしまった。


「ぁぐ――」


腕から肋骨にかけてミシミシと嫌な音が上がる。

思わず苦悶の表情を浮かべたが、それが更に敵のモチベーションを上げてしまう結果となってしまった。


「ああ、あぁ――いいねぇ、その顔! そそるよ、本当に」


「・・・、・・・そ、そうかい」


状況は最悪だ。

自分は身動きが取れない。他の者は人質のように上空に囚われている。

打開するためには何が必要か。何が出来るのか。脳をフル回転して手段とその末の未来を予測する。


「おっと」


背後で男がそう言うと、何かが砕ける音がした。

おそらく魔法陣だろう。

徐々に高度が下がってきた部隊の皆を、新しい風の嵐が再び上空へと戻していく。


(・・・これだけの魔法を簡単に扱うこの男。只者ではないことは確かだけど・・・一体何が目的なのか)


相手が何を求めて、このような凶行に手を染めたのか全く想像がつかない。

こんなことをして何が得られるのか。


「しかし残念だなぁ・・・」


「な、何が・・・かな?」


「君だよ、君。正直に言うとだね、君の顔や体・・・その全てが非常に好みでね。いやもう本当に・・・滅茶苦茶にしたいぐらい、俺の本能を掻きたててくれるんだ」


このまま鳥に生まれ変われるんじゃないかと思うほど、鳥肌が立った。


「――じゃ、じゃあ・・・そうさね、イイことしてあげるから、それで手を打たないかい? お望みなら・・・アンタがしたいこと何でもする、よ」


(あー死にたい、今すぐ死にたい)


こんな事態を招いた数分前の自分の脳天にククリを投げつけたいほどの屈辱に肩を震わせながら、マイアーは何とか交渉に持ち込もうと我を抑え込む。


「望み? ヒヒヒ、望みかぁ・・・そう、それだよ。それが残念なんだ・・・君は俺の望みをかなえられない。どう足掻いても、ね」


「・・・どういう」


「本当に残念だよ・・・君が魔法を使えていれば、君の強さは眩いほどの美しさを放っていただろう。だけど、君は魔法を使えなかった・・・いかに鍛錬を重ねようとも限界の壁は常人と変わらないのだよ」


「・・・」


魔法が使えない=強さに限界がある。

確かに限界値に差は出てくるだろう。どんなに筋力をつけようと、どんなに瞬発力をつけようと、どんなに頭脳とつけようと、どんなに経験を積もうと・・・魔法と言う手段を持たない人間は、自身の力の届く範囲内で足掻くしかない。それは正論だが、彼女にとって納得のできる理論ではなかった。


「大した・・・侮辱だねぇ」


「侮辱ではないさ・・・正当な評価だよ。君には限界がある。君という個を最大限まで引き立てる大事な要素が欠けていたんだ。それでは俺の心を満足させられない――だから、次の芽の成長を待つことにしたんだ」


(――次の芽?)


それが何を指しているかは分からないが、どちらにせよこの危険思想の男の毒牙にかかる次の被害者の目処が立っていることは間違いなさそうだ。


「・・・さて、あまりお喋りに時間をかけていると、予定が狂ってしまうのでね。そろそろ終わりにしようかと思うんだが・・・いいかな?」


「それを私に聞くってことは、・・・拒否権を貰えてる、って思ってもいいのかな?」


「ん、ないよ? ヒヒ、単なる気分で聞いただけさ」


予想はしていたが、本当に人を苛立たせる男だと思った。


「けど、そうだなぁ・・・君は特別に贈り物をしようと思うんだ」


言うや否や、男は何かを取り出そうとしたのか、片手を拘束から解いた。


「っ――!」


同時にマイアーは上半身を大きく揺らして敵の残った右手の拘束を解き、全力でその場を離れた。

振り返ると同時にククリを一本取り出し、振り向き様に投げつける。


鋭い軌道を描いたククリだが、敵の発動させた風魔法の壁の前に失速していき、音を立てて地面に落ちて行った。


「チッ!」


魔法には使用回数がある。

上空に渦巻く風魔法。これだけの魔法を随時使用していれば相当、魔法を消費しているはず。となれば勝機は魔法回数の限界にあるとマイアーは考える。相手が魔法を使わざるを得ない攻撃を繰り返し、魔法を過度に使用させ、魔法を放てなくなった時にこのククリで首を斬る。それがどの程度まで繰り返せばたどり着けるのか、不透明な部分も多い上に、上空に飛ばされている後方支援部隊の皆を無事救出しなくてはならない。まさに前途多難だが、このまま手をこまねいていれば全滅は必至。勝率が低かろうが「やるしかない」とマイアーは踵を浮かせ、敵と思われる外套を深く被った男へとククリを構えた。


「・・・――?」


良く見ると男は左手に何かを持っていた。

おそらくそれを取り出すために手を離したのだろうが、武器の類ではないようだ。

目を細めるが、掌に収まる程度の大きさのため、何なのかは確かめることができなかった。


「ふぅ、一瞬の隙すらも見逃してくれないとは・・・流石というべきかね」


「むしろそんな大きな隙を見逃す程度の女だと思われたことに傷つきそうだよ」


「ヒヒヒ、では俺がその傷を慰めてあげようかな」


「・・・その脳天にこいつを受け入れてくれれば、私の溜飲も下がるさねぇ」


マイアーはヒョイと右手に持つククリを見せつけた。

刃に日光が反射する様子を見て、男は肩を竦めた。


「おぉ、怖い怖い・・・君がどんな表情で苦しみ、泣き、許しを請おうと跪き、儚く散っていくのか見物だったのだけど・・・そう戦闘態勢を取られると難しいか」


男は左手に持つ物体を懐に戻し、口の端を上げて笑う。


「口惜しいけど、見逃すわけにはいかなくてね。ここで死んでもらうとしよう・・・ヒヒヒ!」


「いい加減、その笑い方――耳障りなのさ。私を大層不快にした罰としてアンタが死にな!」


強く地面を蹴り、男から見て左へとマイアーは駆け出した。

姿勢を低くし、相手から死角になる位置でククリを帯刀袋から三本抜き、足・胴・頭の三点に狙いをつけて投擲とうてきする。


言うまでもなく風魔法の障壁に阻まれ、ククリは男に届く前に弾かれる結果となった。

その間もマイアーは足を止めず、相手を中心に円を描くように地を駆けまわった。


魔法師相手に馬鹿正直に真っ向から立ち向かうのは自殺行為だ。

何故なら魔法とは想像の産物。魔法師がイメージした偶像を魔素という媒介を通して顕現するもので、魔法師の想像がより鮮明になってこそ威力を発揮するものである。そのため、正面から向かってくる相手に向かって魔法をイメージするのは容易く、逆に視界から外れようと不規則な動きをする相手に対しては魔法を顕現しづらい傾向があるのだ。


もっとも魔法の想像力など、まさに人の数だけのふり幅がある話だ。


必ず「こうすれば」魔法の威力を弱めたり、発動を遅らせたりできるというルールは存在しない。

だがやらないよりはマシ、とマイアーは判断し、出来る限り相手の視界に収まらないことを意識して立ち回りを続けた。


そんな様子に男は外套の陰でも分かるほど、口元に三日月型に歪めた。

慌てる素振りも、ましてや常に移動を続ける彼女の姿を目で追おうとすらしない。あからさまに相手を格下に見下ろした態度だ。


(・・・随分と侮ってくれてるものさ。――その油断、墓の中まで持っていくといいよっ!)


男の死角、外套のフードでこちらの姿を視認できない角度から頭部めがけて二本のククリを飛ばす――が、やはり先と同様に見えない壁に弾かれて、ククリは二本とも地面に転がっていった。


(よほど魔法回数に自信がある、ということかねぇ・・・常に風による防護を展開しているから、こっちを見る必要すらない、ってことか)


贅沢な魔法の使い方に軽く舌打ちで抗議しつつ、試しに接近して直接攻撃を仕掛けてみることにした。


男の背後に回ったタイミングで方向を切り替え、その脊髄に刃を突き立てるようにしてククリを刺突した。


「・・・っ!」


ククリの切っ先から伝わる風の渦に手首ごと捻りそうになる。

阻まれるのは予想はしていたが、想像以上に強い風によって彼は護られているようだ。

靭帯が捻じられる前にマイアーはククリの柄から手を放し、再び距離を取るようにバックステップで後方へと離れていった。


「・・・」


男を中心として、おおよそ半径2メートル。

今の攻撃で掴んだ、風の防護壁の範囲だ。

防護壁が球体を成しているかは想像の範囲だが、過去の二回の攻撃で弾かれたククリの位置を思い返せば、ほぼ間違いないと踏んでいる。

男の身長が180前後として、ちょうど奴を覆える大きさのドーム状の壁と見て良いだろう。


また投擲によるククリが強く弾かれたこと、そしてたった今、直に攻撃した際の風による圧力から、相当強い風が男の周囲を囲うように吹き荒れているようだ。

押し返す風ではなく、弾き飛ばす横の風。実に厄介だ。


男がゆっくりとこちらを向いてくる。

そこでハッとした。

自分の足が今、完全に止まっていることに。


「――っ!」


「遅い」


思考に没頭しすぎて立ち止まっていた迂闊さに腹が立つ。

急いで地を蹴って移動しようとしたマイアーだが、目に見えない風の塊を全身で受け、そのまま後方の塀に背中を強く打ち付けてしまった。


「がっ――ぁ!」


肺の中の空気が一気に口外へ押し出され、呼吸困難に陥る。

立ち上がろうとするものの、両足は言うことを聞いてくれず、そのまま塀に背中を預けた状態で崩れ落ちてしまった。


「ごほっ・・・くっ――・・・!」


ただの一撃。

それだけでこれほどまでに戦況が決してしまうのか。

認めたくはないが、その力を持つのが魔法であり、魔法師なのだ。

こちらの攻撃は一切届かず、相手の攻撃は好き放題喰らってしまう。実に理不尽な話だ。


地面に額を付け、急いで呼吸を整える。

そんな彼女を嘲笑うかのように、男は無防備に近づいてくる。


「あっけないなぁ・・・ま、これが魔法を持つ者と持たざる者の違い、ってことだね」


髪の毛を鷲掴みにされ、無理やり顔を上げさせられる。

その際に何本か髪の毛が引き抜かれ、その痛みと呼吸苦に顔を歪めた。


「それが魔法を使えない、君の限界だ・・・ヒヒッ」


引き攣ったような笑い声に苛立ちを見せるように、マイアーは歯軋りをした。


「純粋に武器を取って戦えば君の方が強かっただろうねぇ。けど、魔法っていうのはそんな戦力差など無かったかのように埋めることができる強力な『力』なのさ。だから君がいかに強靭な肉体を持ち、女性の身でありながら類稀な強さを持っていようと・・・魔法を使えない時点で落第なんだよ。ヒヒ・・・いやぁ残念だ・・・残念だけど、その苦悶に満ちた顔を見れただけでも良しとしようか、ねぇ?」


良く耳障りな声で喋る男だ。

マイアーは徐々に肺に酸素が巡り、体中の血液が正常に循環を開始したことを指先の動きで確認し、わざとらしく笑みを浮かべた。


「・・・私が、いつ・・・魔法を使えないって言ったのさね」


「また強がりかな? ヒヒ・・・」


「ふん、どうかな?」


ふと男はマイアーの目を見て疑問に思った。

圧倒的に有利な位置にいる自分に対し、この女は何故ここまで自信に満ちた目をしているのか、と。

先ほどまで痛みで喘いでいた表情とは真逆といってもいい顔だ。

ハッタリと早々に切り捨てたが、もしや本当に魔法が――。


「・・・、さっさと離せっ!」


男が思い耽っていた隙に、マイアーがいつの間にか腰から抜いたククリを無造作に二人の間を絶つように振り上げた。

呼吸が落ち着いたとはいえ、全身を打ち付けたダメージは抜けきっていなかったのだろう。

魔法を使って防御や回避をするまでもない、遅い速度で振り上げられた攻撃は、いとも簡単に仰け反って躱すことができた。


一瞬、刃に魔法を付与したのかとも警戒したが、結局攻撃の一連に魔法が用いられた形跡はなく、男は拍子抜けしたようにため息をついた。

マイアーは大きくバランスを崩し、大袈裟にも思える動きで尻餅をつく格好となった。

その無様な様子に男は口の端を上げ、見上げる彼女を見下す。


「ヒヒ、それで・・・魔法はどっ――」


ドスドス、と全身に鈍い振動が走る。


「・・・・・・・・・、・・・ハァ?」


男は言葉を中断して、代わりに疑問を口にした。

体に何かが埋め込まれる感触と同時に、ジワリと痛みが背中から広がってきた。


意図しない謎の痛みに、男は一歩二歩と後ずさりし、恐る恐る背後に視線を送った。

そこにはマイアーのククリが6本、深々と突き刺さっていた。


「な、なに・・・ぃっ!?」


男から余裕が消え、演技ではない素の驚きが声となって響く。


「どうだい、私の魔法は・・・いい味しているだろ?」


「な、ぐ・・・ば、馬鹿なっ!?」


痛みのあまり、男の膝が不自然なほどに震える。

神経のどこかを負傷したのか、足に力が入らないのだ。


「――ハッ!?」


全身が言う事を聞かず、周囲への警戒が疎かになった瞬間、マイアーは勝機と見て大きく男へ向かって駆けだした。万全の時より遅いものの、ククリによるダメージで冷静さを失った男からしてみれば、彼女がとんでもない速度でこちらに迫ってきたかのように見えただろう。

ギョッと目を見開き、右手を前に突き出して魔法を発動させようとする――が、腕を突き出す動作にすら痛みが付きまとい、魔法陣は形成される前に砕け散り、ただの魔素となって宙に消えていった。


「やっとその捻くれた笑いが消えたねぇ! それじゃ、お次は・・・その腐った命を絶たせてもらうよ!」


「こ、のっ――!」


眼前に迫ったマイアーは体を捻って逆手に持ったククリを男の頸動脈めがけて突き刺そうとする。

男は必死に回避行動に移ろうとするが、やはり傷を負った体は思い通りに動いてくれなかった。

無傷で彼女の攻撃を防ぐには魔法しかない。

だがこのタイミングで魔法を発動させるには、あまりにも彼女を近づけさせ過ぎた。

魔法はもう間に合わない。

男は残りうる選択肢の中で取捨択一し、最も自身が「軽傷」で済むだろう選択肢を選ぶことにした。


マイアーのククリの軌道上に右掌を割り込ませ、彼女の攻撃を掌で受け止める。


「ぐぅぅぅっぅぅ!」


「チッ・・・! ハァッ!」


更に刃を押し込もうと前傾姿勢のまま力を入れるマイアーだが、そうはさせまいと、右手を生贄にして稼いだ時間を使って男がマイアーの胸元の前に魔法陣を展開する。

魔法陣の存在に気付いたマイアーは、攻撃に集中しすぎていたために避けきれないことを悟り、次に来る衝撃を耐える事だけ考え、歯を食いしばった。


砕けた魔法陣から強烈な空気弾がマイアーを後方へと押しのけ、再び、背後の塀に全身を強く打ち付ける形となった。今度は前の魔法よりも強力で、塀を粉々に砕いてなお、マイアーを吹きとばす威力だ。全身の骨や筋肉が悲鳴を上げ、折れた肋骨が内臓に突き刺さる感覚が襲い掛かる。


塀を破壊し、数十メートル以上吹き飛ばされたマイアーは広い道の真ん中に倒れ込む形となった。

口から赤黒い血がとめどなく流れ出てくる。

痛みに強い方だと思っていたが、もはやこれは人が我慢できるレベルの損傷を遥かに上回る怪我だった。

マイアーは目尻に涙を浮かべ、全身に響き渡る死の警鐘を抑え込みながらも、何とかして立ち上がろうとする。


「・・・ぁ、・・・っぅ・・・っ! あ・・・、ぅ、ゴホッ――」


何とかして呼吸をしようとするが、その度に吐き出した血液が逆流し、咳こんでしまう。

そして再び呼吸困難と酸素不足に囚われる最悪な循環だった。


その様子を忌々しく、程度は違えど痛みに耐える表情の男が見つめた。


「ヒ、ヒヒ・・・く、そぅ、何が『魔法』だっ・・・!」


右手に突き刺さったククリを左手で抜き取り、その柄の尻に指を這わした。

指にはうっすらと一本の極細の鋼糸こうしが引っかかった。


「ぐ、・・・こ、鋼糸、か・・・! 今まで投げつけたククリに全て結んでいた、ということかぃ・・・。さっきの大げさな転び方は・・・糸を強く引き付ける際の動作を、隠すための演技、ってとこかな・・・ヒヒ、こ、こいつぁ一本、取られたよ」


鋼糸はマイアーの腰の帯刀袋の辺りに繋がっているようだが、どうやら先ほどの魔法の一撃に巻き込まれて、全て切断されたようだ。でなければあの距離までマイアーが吹き飛ぶこともないだろう。


「ぐっ・・・ぬ、ぅ」


一本ずつククリを体から抜いていき、軽い金属音と共に地面に落としていく。

刃についた血液が飛び散り、地面に積もった砂を固めていく。


「・・・しかし、なるほど・・・あの女に向けて放った、魔法と同じ威力だったのに君は原型を留めて、一命をとりとめているってことは・・・肉体を鍛える、というのも無駄ではなかったということだね・・・」


先ほど魔法で吹き飛ばした金髪の女性の姿を思い浮かべながら、男は痛みに少しだけ順応し始めたのか、徐々に言葉が明瞭になっていった。


「ま、勝敗という意味では、結局のところ・・・同じだけどね」


足元に転がったククリを忌々しい想いで蹴り飛ばしたが、その反動で痛みが襲ってきたため、自分の行為に後悔した。感情で動くと本当にロクなことがない。だが感情無くして「人」にはなり得ない。人を美しく昇華させるのは、やはり相互の感情の持ち方であり、生き様と散り様なのだから。それがこの男の歪んだ思想であった。男は後悔はするものの反省はせずに口元に笑みを浮かべた。


「ふぅ・・・、い、痛いねぇ、ああ、本当に・・・ヒヒ、実に痛い、が・・・刺激としては中々に面白い結果だった、とも言えるのかなぁ。ヒヒヒ、そういう意味では君は・・・『できる限りで』最善を尽くした、と言えるのかもしれないねぇ。ああ、俺の渇きを満たすための・・・俺視点での話だがね」


一歩、二歩。

男はゆっくり前へ、未だ痙攣しながら倒れ込むマイアーの方へと歩き始めた。


「――おっと」


ふと背後に向かって男が新たな風魔法を放つ。

魔法が切れかかっていた関係から遮断していた音が漏れ始めていたため、新たな魔法に持ちあげられる衝撃に上空から悲鳴が上がっていたが、再び、風による音遮断も張られ元の鞘に戻されていった。


「・・・君たちが生きていては何かと問題が生じるかもしれないと思って、ワームへの餌として景気よく放り込もうと思ってたけど、・・・ふぅ、どうにも俺もそんな余裕はなくなってきたみたいだ」


マイアーの悲惨な姿を一部始終見ていた部隊のメンバーは悲痛な表情をする者、涙を流す者、泣き叫ぶ者と十人十色となっていた。無音の世界でただただ悲哀の光景だけが埋め尽くしていた。

そんな彼らの心境を舐めるように見渡し、男は口の端を上げて「ヒヒヒ」と嗤った。


「ま、潰れたトマトは掃除が大変だけど・・・見世物としちゃ見れなくもない、かな」


その姿をマイアーは虚ろな瞳で見る。

焦点が合わず、もはや男の声も耳に届いてこないが、彼が何をしようとしているのか、それだけは肌で感じ取っていた。


――やめろ。


思いっきり叫んだはずの言葉は、ヒューという空気となって誰にも届かなかった。

両手両足は既に活動を停止している。

失血による意識障害と、内臓損傷。全身骨折に加え、気管に血液が逆流して呼吸不全と炎症が起こっていた。

そんな状態でも彼女は肩を動かし、何とかして前に進もうと努力する。

しかし全力で動かしているつもりの肩も実際には小さく震えているだけで、彼女はその位置から少しも移動することができなかった。


「・・・・・・」


視界が不鮮明なのは、意識が薄れているのか、それとも目から流れ出る涙のせいなのか。

マイアーは一度大きく咳き込んで、血塊を吐き出した。


男は一度、咳の音で振り返ったが、こちらの様子に笑みを浮かべてから前に向き直った。


「さて――」


男は右手を掲げ、


「存分に潰れてくれたまえ」


と合図を口にし、後方支援として集った王城の者たちにかけていた風魔法を解き、自由落下の過程を嬉しそうに眺めた。


「や、めぇ――っ、ぁ・・・っ」


マイアーが全身全霊をかけて何とか絞り出した声も、落下する人々の悲鳴で掻き消された。


終わった。

同時に酷い虚無感が全身を襲う。

ああ、自分は死ぬのだと――、死を予感し、死を覚悟した。


敗北自体は仕方ないと思う。

力が及ばなかったのは自身の鍛錬と才能が足りなかったためであり、それを補うための経験も無かった。可能なら出直して、再戦を申し込みたいのが本音だが、敗北の代償が「死」だというのなら、それも一つの終わり方だと諦めもつく。兵としての道を歩もうと思った時から、その覚悟はできていた。


ただ、その敗北に自分以外の人間を巻き込むことだけは耐えられなかった。

彼らを逃がす時間を稼ぐどころか、その機会すら作れなかった憫然びんぜんたる姿。

仮にも彼らの命を預かる身でありながら、何もできずに無残な最期を迎えることだけは耐え難い苦痛であった。


しかしマイアーの意志とは反比例して、肉体は徐々に冷たくなり、指先すらも動かせなくなっていった。


「・・・」


せめて――限りなくゼロに近い確率だろうが、せめて彼らの命だけでも救ってほしい、とマイアーは薄れゆく意識の中で、初めて形のない誰かに願った。



「少し――手荒いやり方だが、悪く思わないでくれ」



そんな声が鼓膜に届いた。

それは誰の声なのか。

聞いたことのない声にも思えたが、この際どうでもいい。

マイアーはただ願った。


――誰でもいいから、彼らを助けて。


そこでマイアーの意識は切れてしまった。



*************************************



正直、深刻に考えずに足を運んだことを後悔した。

サンドワームが珍しく、地表に近い場所で顔を出した。

そいつを適当に追い払えれば解決するだろう・・・という気軽なノリでアイリ王国に足を踏み入れたのだが、思いのほか状況は複雑な展開へと動いているように思えた。


セーレンス川から山岳地帯へ足を向け、遠目にサンドワームの姿を確認し、念のため国の大通りを通って地震による影響で問題がないかを見つつ、サンドワームの挙動を様子見するつもりだった。

しかしサンドワームの様子は何処かおかしいし、開きっぱなしの西門をくぐってみれば、外套を頭から被った男の魔法で誰かが吹き飛ばされるという只事ではない事態を目の当たりにすることになった。


しまいには男が魔法を解除したのか、頭上から2、30人ほどの人間は振ってくるという「最悪なおまけ」つき。


悩んだり考えたりしている暇は無かった。

まずは空から落下してくる人たちの救出だ。遠くで倒れている女性の安否も気になるところだが、こちらの方が圧倒的に危険な状況と判断した。


「少し――手荒いやり方だが、悪く思わないでくれ」


人数が多すぎるため、方法を選ぶ余裕はない。

落下してくる人間にそれぞれ誤差があることが唯一、幸いとも言える事項だった。

全員が同時に落ちて来ていたらさすがにヒザキも全員を救おうとは思わなかっただろう。


ヒザキは蹴りや、大剣の腹を上手く使って地面に激突する寸前の人から優先して、その体を外壁の隅に積もっている砂山に突き飛ばしていく。

出来うる限り加減はするつもりだし、砂がクッションになって致命傷は避けられるとは思うが、如何せん落下の運動エネルギーまでは消すことができない。

突き飛ばされた後方支援部隊の人間は、命はあるものの、体の何処かに負傷を訴えてか、誰もが苦悶の表情を浮かべていた。


「なっ――」


その様子を男は唖然として見送っていた。

突然の闖入者ちんにゅうしゃは、人間離れした動きと判断力で、死の運命が確定していた人間たちに命の灯を残していく。

男はあまりに予想外な展開に言葉を失い、茫然とその光景を見ていることしかできなかった。


やがて最後の人が落ちてくる。

ヒザキは大剣を地面に突き刺し、最後は右手で衝撃を和らげるように意識しつつ受け止めた。


「あ、ぁぁ・・・あり、がとう、ございます」


「気にするな」


壮齢の男性は混乱している中でも、震える声でヒザキに礼を言った。

ヒザキは顔色一つ変えずに男性に「奥に離れてくれ」と伝え、最後の背中を見送って息をついた。


「随分とあくどいことをするものだな」


「・・・・・・・・・ハッ」


ヒザキに声をかけられて、ようやく男は自分が見惚れていたことに気づき、慌てて意識を現実に引き戻した。


「ヒ、ヒヒ・・・ま、まさか魔法を使わずして、あれだけの人数を助けるなんてね・・・アンタ、本当に人間なのかな?」


「初対面にしては失礼な質問だな」


特に憤慨した様子もなく、淡々とヒザキは肩を竦めた。


「・・・おかしいねぇ、ここに来るまでは面白いほど順調だったっていうのに、どうしてこうなるのかなぁ」


男は肩を震わせて引き攣った笑い声を漏らす。

全く事態は掴めないが、まごうことなく彼がこの状況を作りだした張本人だということは確信した。


「・・・向こうで倒れている女性」


「うん? ああ・・・マイアーのことかい?」


「マイアーという名前なのか。彼女の容体を確認したいんだが、通ってもいいか?」


「ヒ、ヒヒッ・・・不気味だなぁ、アンタ。どうも普通の人間とは思考回路がズレてる気がするよ」


「・・・不本意だが、良く言われるよ」


ヒザキ的には「下手な真似をすれば痛い目に合うぞ」というニュアンスを含めて言ったつもりだったのだが、どうやらただの変人の発言と受け取られてしまったようだ。非常に遺憾である。


言いたいことはあるが、今は彼女の安否を確認するのが先だろう。

知人でもないし、この国に義理があるわけでもない。放っておいても咎められる立場ではないが、目の前でその存在を認識してしまった以上、無視をするのは良心が痛む。だから出来る限りのことはしてやろう、とヒザキは考え、マイアーの方に一歩踏み出した。


「――」


しかしすぐに数歩分、後方に飛び退いた。

先ほど自分がいた場所に見えない斬撃が通ったかのように、地面に細い亀裂が走った。


「風魔法、か。まあ予想はしていたが・・・」


「俺も予想はしていたよ・・・ま、余裕で躱されるだろうってね」


「だったら無駄なことはしないでもらえると助かるんだが」


「無駄? ヒヒ、無駄ではないさ・・・こうやって徐々に相手の実力を検証していって、限界を見定めたところで確実な死を与えられる魔法を放つ。アンタはどうも危険な感じがしてやまないからね。俺も真面目に戦わないとって思うわけさ・・・」


「そうか」


「今の魔法は余裕で躱される。であればもっと速い攻撃を。アンタが躱しきれない速度を見極めたら、今度は威力を上げていく・・・一方的に状況を積んでいくってわけだね。ヒヒヒ、まさに俺の掌で転がされるわけさ」


「・・・何故、一方的になるのか分からんのだが」


素で首を傾げるヒザキに、男は腹を押さえて笑いだした。同時にククリによる傷口から血が噴き出したため、痛みに堪えるように両手で体を抱え、体を丸めた。


「っ・・・ふ、ヒ、ほんと、とんだ余計な傷を負ったものだよ」


男は掌についた己の血を舐めとり、顔を上げてこちらを見た。


「ああ、因みに聞き忘れてたんだけど――アンタ、誰だい?」


「ヒザキだ」


「・・・聞いたこともないし、呼びにくい名前だね。一抹の興味をアンタに覚えないわけではないけど・・・今は目先の興味を優先させてもらうとするかな」


「同感だ。俺も目先のことを優先させてもらおう」


男は金髪の少女を、ヒザキは血だらけで倒れている女性を。

それぞれの「目先」を優先するために、一歩互いに前に出た。


風の魔法陣が男の前に展開され、砕け散った魔法陣の欠片は凶悪な風の渦となってヒザキに襲い掛かった。


「やれやれ、徐々に速くしていくんじゃなかったのか」


明らかに速度は先の攻撃よりも遅い。

その分威力の乗った風の渦はヒザキ、そしてその背後に蹲っている後方支援部隊の連中を巻き込む勢いで迫ってきた。間違いなく、速度ではなく心理的に回避できない攻撃を仕掛けてきたのだろう。


ヒザキは無造作に大剣を袈裟斬りし、まるで何事も無かったかのように風の渦を両断する。


「・・・・・・・・・・・・・・・はぁ?」


二手に断たれた風は渦という形を失い、行き場所を失って周囲の砂を巻き上げて消えていった。

その間、呆けて立っている時間がもったいないので、大剣を地面に突き刺してから、ヒザキは早々に男の懐まで驚異の瞬発力で近づいていった。

男はギョッとしたが、すぐに口の端を吊り上げ、ヒザキが繰り出した右手のパンチを受け入れた。


「む」


ヒザキの右拳は男には届かず、その寸前で何かに阻まれるように止められていた。

風の防護壁。

マイアーのククリを全て弾いた鉄壁の防御だ。


しかもこの壁は巻き取るように横回転の風で構成されている。

防護壁にめり込んだヒザキの右腕を裂くようにして、風の刃が肉を切り裂いていく。

鮮血が周囲を回るようにして舞っていく様を、実に愉快そうに男は見ていた。


「なるほど、厄介な魔法だ」


右手を引き抜いたヒザキは、その傷の状態を確かめるように手を開閉した。

大分表皮を削られたようで、抉られた傷口から大量の血液が漏れていた。


「・・・へぇ、大体の人間なら大声上げて泣き叫ぶ怪我だと思うんだけど・・・アンタ、やっぱり興味あるなぁ」


「そうか、残念だが俺は興味ないな」


何を思ったのか、ヒザキ大きく右足を振り上げ、思いっきり地面を踏み込んだ。


「何を――」


言葉は最後まで続かず、男はヒザキに踏み抜かれて大きく陥没した地面に足を取られる。


(こ、こいつ――、どんな脚力、をぉぉぉおおおお!?)


陥没と同時に数多の地面の破片が飛び散る。

それは防護壁の外だけでなく、中もだった。


防護壁は触れるもの全てを巻き取り、弾き飛ばす万能な魔法だが、ほぼ自動で動いているため、その動作を使い手が操作することはできない。

そのため、外部から巻き込んだ欠片は外に弾き返すが、男の足元――内部で生じた障害物は「内部」に弾かれる結果となった。


「う、ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」


両腕で顔面を守り、防護壁の中で荒れ狂う土片の嵐に叫び声を上げる。

男すらも想定していなかった自身の魔法の欠陥。

それをアッサリと見切ってきたヒザキという男に戦慄を抱かざるを得なかった。


「――チィ!」


仕方なく防護壁を解除し、風魔法によるブースターでこの場を逃れようとする。

だがそれを許すヒザキではなかった。


彼の足元に浮かび上がる魔法陣が形成される前に、ヒザキは踏みつぶして魔法陣を破壊した。


確信した。

この男は戦い慣れている。

それも恐ろしいほどの戦闘経験を積み上げ、幾人もの強者を地べたに這わせてきたのだろう。

でなくては、ここまで戦いの幅を持てるはずがない。

何の動揺も迷いもなく、相手を倒すための行動をなぞれるわけがない。


魔法形成に失敗し、中途半端な姿勢のまま男はヒザキを見据えた。


「ヒヒ、・・・こりゃ参ったね」


その言葉を最後に男の鳩尾にヒザキの右拳がめり込んだ。

体験したことのない衝撃。

全身を構成する筋肉、血液、骨、細胞に至るまで、その全てが粉々に吹き飛んでいったような錯覚を覚えるほどの威力に感じた。

背中のククリによる傷跡から血液が吹き出し、男は先ほどのマイアーと同じように後方に吹き飛ばされ、背後の家屋に窓からつっ込んでいった。


その圧倒的な攻勢に、背後にいた後方支援部隊が各々、歓声を上げた。

よほどの恐怖に支配されていたのだろう。

恐怖の対象がなすすべもなく、倒されたことに痛みすら忘れて全員が喜びを露わにした。


ヒザキは家屋の中に飛んでいった男には見向きもせず、未だ血だらけで倒れたままの女性のもとへ走って行った。

マイアーのすぐ前で膝を折り、脈を計る。


「・・・僅かに、生きているのか」


怪我は創傷によるものではなく、内臓破壊から来ている部分が大きい。

内出血で体は青黒く膨れており、口内から漏れている赤黒い血は内臓に傷がついている証拠だ。

医学に通じているわけではないが、間違いなくこの女性は死ぬ、とヒザキは思った。


「・・・」


腰にある小さな巾着を外し、足元に置く。

巾着の口を広げると、そこには釣り用のテグス代わりの糸と、幾つかの小物が入っていた。

ヒザキはそこから小型の折り畳み式ナイフを取り出す。外装は年季の入った物だが、肝心の刃部分は手入れが行き届いており、太陽の光を眩く反射するほど綺麗な状態だった。


自分の右手を見下ろす。

気付けば、ヒザキの右腕には傷跡こそあるものの、風魔法で刻まれた時の酷い裂傷は塞がっていた。

ヒザキはナイフを口にくわえ、自分の人差し指に一筋の傷を斬り込んだ。

すぐに人差し指をマイアーの口に押し込み、そのまま様子を見た。

女性に対して非常に乱暴な行為に見えるが、今は非常事態。見逃してくれ、とヒザキは心の中で謝った。


「・・・生き延びたいなら飲め。血が逆流して呼吸もままならないだろうが、それでも生きたいなら――無理を圧してでも飲むんだ」


「――」


既に意識は朦朧とし、半分開いた目も虚ろで何処を見ているか分からない。

間違いなくヒザキの言葉は彼女に届いていないだろう。

だからヒザキも過度な期待はしていなかった。健常な人間なら意識することなく行うことができるだろうが、この「飲み込む」という行為は思いのほか力を要するのだ。即死してもおかしくない程の損傷を受けたこの肉体では、まず不可能と言っても過言ではない。


そのはずなのだが、僅かに――マイアーの喉が鳴った気がした。


「・・・」


指を引き抜こうと思ったヒザキだが、喉の動きを見て、もうしばらくそのままでいることにした。

気付けば二人を囲むようにして、ヒザキに助けられた人たちが今にも泣きそうな面持ちでその姿を見つめていた。

何をしているのか、などとヒザキに尋ねる者はいない。

何故なら彼らはもう縋るしかないからだ。どうしようもなく避けられない運命、それを打破する方法を彼らは知らない。だからヒザキが「理解できない行為」をしていようとも、彼らは黙って事の顛末を見守ることしかできないのだ。


「マイアーちゃん・・・」


一人の男性が女性の名を呼ぶ。

知り合いだったのだろうか。彼女の父親ぐらいの年齢と言ってもいい壮齢の男性は涙を流し、ただただ祈り続けていた。


『・・・』


悲しみを押し殺すような空気がヒザキの背中に圧し掛かる。

気が散るから離れてくれないか、と声をかけようと思った瞬間だった。


「ご、っ、・・・ぅ、ごほぉっ!」


大量の吐血と共に、マイアーが反応を示した。

マイアーの血で赤く染まった右手を彼女の口腔から抜き取り、ヒザキはゆっくりと立ち上がった。


「ぁ、ぅ! ・・・、ぃあ・・・ぁ、アツ、ぃ・・・! ぅぁぁ・・・」


体を小刻みに震わせ、何かを訴えるようにマイアーは両目を閉じて咽頭に詰まった血液の塊を吐き出し続けた。その様子はとても「助かった」とは思えない、死に瀕した姿に見えた。


だがヒザキは峠は去ったと言わんばかりに、折り畳みナイフを仕舞った巾着を腰に戻し、先ほどのマイアーと知り合いと思われる男性に向き直った。


「彼女は一命をとりとめたようだ」


「えっ?」


「しばらく体中を蝕む痛みに耐える状態が続くだろうが、彼女の生命力を信じて見守ってあげてくれ」


「で、ですが・・・し、しかし!?」


どう考えても「一命をとりとめた」とは思えない症状に、男性は狼狽えながらも「出来ることは終わった」と言わんばかりのヒザキの肩を掴んだ。

しかしそんな彼を止めたのは、同じく周囲で見守っていた仲間たちだった。

横にいた女性は彼の腕を掴んで首を振る。


「・・・私も胸が張り裂けそうな想いです。でも、私たちが出来るのは・・・きっと、もう信じて祈ることだけなのだと思うんです」


「ああ、現に反応が無かったこの子が、今は痛みを感じている・・・生きてるってことなんだ! 祈ろう・・・彼女が痛みを乗り越えてくれることを・・・!」


「そ、そうだな・・・」


「で、でも・・・手当ぐらいはしたほうがいいんじゃ・・・? 少しでも痛みを和らげてあげたいよ・・・」


「そ、そうね・・・こんなに苦しそうだもの。せめて先生を呼んで治療ぐらいは・・・」


一人が口を開くと連鎖反応のように全員が思いのたけを漏らし始めた。

ヒザキは治療について「待ってくれ」と止めた。


「治療の必要はない。まあ信じられないだろうが、信じてくれとしか言いようがない」


ざわざわとヒザキの言葉に対して、動揺が人垣の中をめぐる。

「どうする?」「どうするって言われても・・・」「他にどうしようもないし・・・」と困惑が言葉になって答えの無い相談が飛び交う。


「とりあえず俺はもう先に行く。そこの家に突っ込んだ男も捕獲しないといけないだろうしな」


『!?』


風魔法を扱う男の存在を口にすると、分かりやすいほど全員が体を強張らせた。

ヒザキが大きな穴の開いた家に一歩踏み出すと、人垣が呼応するように割れる。


「何か縄みたいなものは無いか?」


近くの者に尋ねると「あ、さ、探してきます!」と脇腹を抑えながら、衛兵の詰所らしき小さな建物の方へと向かっていった。歩きづらそうになっている原因の脇腹の怪我は、おそらくヒザキの蹴りによるものだろう。やはりそれなりのダメージとして残っているようだ。


助けた代償として我慢してもらおう――と、勝手に結論を出して、ヒザキは特にその様子に触れずに家屋に近づいていく。

最悪、縄が見つかるまではここに留まらないといけないかもな、などと考えながら男が突っ込んだ際に出来た大穴を跨り、中に足を踏み入れた。


そして、ヒザキは彼にしては珍しく目を見開いた。


「・・・馬鹿な」


気配は感じなかった。

マイアーの傍で「彼なりの治療」を行っている時も、周囲に多くの人が集まっている時も、つい今に至る時も――常に広範囲に気は張っていたのだ。

だから少なくともこの家の周辺で、何かしらの動きがあれば気づかないわけが無かった。


「――奴め、何処へ消えた」


そこには、衝撃で倒れた棚や破損した椅子・机が散らばっていたが、男の姿は何処にも見当たらなかった。

残っているのは、夥しいほどの血痕のみ。



狂人が奏でる狂った物語は、まだ筆を置くことは無く、静かに――ゆっくりと死の歯車を回し始めたのだった。


まさかの「東」と「西」を誤って書いていたという・・・(涙)

すみません13日に「東門」→「西門」へと修正しましたm( _ _ )m

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