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テトラ・ワールド  作者: シンG
第1章 建国~砂漠の国~
65/96

第65話 ミリティアの追憶と狂気の始まり

「おいおい、マジかよ・・・」


リカルドがそう呟くのも無理はない。

ギリシアは掌に浮き出る汗を握り潰し、山岳の岩場から目標を視界にとらえた。


――巨大。


まるで巨大な山が砂漠に出現したかのようだ。


一般兵の大半が前線部隊として配置され、砂漠の端を囲うように走っている山岳地帯を縫うように移動し、今は震源地のすぐ横までたどり着いていた。


指揮をとるギリシアは目標を見たことにより、判断に迷いを持つ自分に気が付いた。

理由は明白。

魔法師がほとんどいない一般兵において、質量を持つ敵というのは天敵と言っても過言ではないからだ。範囲攻撃のできない剣や弓による物理攻撃は、どうあがいても巨大な相手には効力を発揮しにくい。


これではツルハシを持った鉱夫が、地道に山の表面を削るような事態にしかならない。

相手が動かない山ならまだしも――アレは凶悪な魔獣なのだ。

ちまちま削っている間に何人の犠牲を払うことになるか、想像もしたくない話だ。


「で、でけぇ・・・」


「あ、あれが・・・サンドワーム・・・」


「あんなの・・・どうやって倒せばいいんだよ・・・」


耳に聞こえるのは動揺と悲観ばかり。

士気が下がってきているのは間違いない。かと言って彼らに何と声をかけるべきか。頭ごなしに命令するのは論外としても、それ以外に発破をかける言葉が思いつかなかった。


(なんて、情けないことを言ってる場合じゃないよねぇ)


とはいえテキトーなことをいう訳にもいかないので、何かしら発奮材料となるものがないかとギリシアは髭を撫でながら目標を観察した。


サンドワームは砂上に全身の九割を出している状態で横たわっていた。

そもそもどこが上で下なのか分からないので、横たわっている、というのはあくまでも主観の話になってしまうわけだが、そう感じた理由というのは見た目だけの話ではなさそうだ。


「リカルド、気づいたかい?」


「はぁ? あんなデカブツ、見逃す馬鹿なんていねーだろうが。爺さん、ついに老眼になっちまったか?」


「・・・一応言っておくけど、老眼は遠視の類だからね? 遠くの対象はしっかりと見えるんだよ。まあそもそも老眼でも何でもないんだけどねぇ。と、そんなどうでもいいことではなく、あのサンドワーム、やけに辛そうに見えないかい、って意味だよ」


「なんだって?」


言われてリカルドは岩場の影からサンドワームを眺める。


「・・・いやいや、辛そうって何だよ。あんな芋虫の感情なんざ見ても分かんねーぞ・・・」


「辛いってのは虫には無さそうな感情だからねぇ。言いかえると、動きづらそうって感じかな? 自分の体を上手く動かせずにもがいている・・・そういう風に見える、ってことさ」


「・・・」


ギリシアの言葉を受け、リカルドは注意深く砂漠の上に転がるようにしているサンドワームを見た。

ゴムのような質感の表皮が脈動をうつように震えており、時折、体内から水泡のような膨張が起こり、それが破裂して体液をまき散らしていた。刃すら受け付けない柔軟性と堅さを誇るサンドワームの表皮も、内部からの破裂には耐えられないのか、簡単に傷を増やしていっていた。

患部から漏れ出す体液が砂を染めていく、その光景は実に痛々しいものだった。


「アァン? ワームの生態なんざ知らねえが・・・確かにおかしいな」


「ふむ・・・元々、国から引き離すための陽動が目的だったけど・・・ちょっと考え直した方がいいかもねぇ」


「なんでだよ。弱ってんなら叩いて損はねぇだろ?」


リカルドの疑問に手を振って否定を返す。


「逆だよ。手負いだからこそ、奴の次の行動が読めないってことさ。下手に突いて刺激を与えることで国に突っ込まれちゃ堪ったもんじゃないよ」


「・・・ま、まあ、そうだな」


「それに――何故奴があんな状態にあるのか。それが最大の疑問であり、疑念だよ」


「――他に敵がいる、ってことか?」


「今度は察しがいいねぇ」


「余計なひと言だよ、くそっ・・・」


フッと笑みを浮かべるギリシアだが、すぐに真顔に戻る。


「それに――毒物が起因していたら、なお厄介だ。近づくことすら危ぶまれるね」


「毒・・・」


確かにサンドワームの内部から膨れては破裂する、あの水泡のような現象。

あれが毒によるものと言われても、不思議に感じさせない光景だ。


「毒物に詳しい奴ぁいんのか?」


「・・・詳しいかどうかは分からないけど、医師職の二人ぐらいじゃないだろうか」


「あのヤブ共かよ・・・」


頼りにならねぇと言わんばかりにリカルドは目を細めた。


「総隊長・・・我々はどうしたら・・・」


背後から第二部隊の兵士が尋ねてきた。

ギリシアは「そうだねぇ」と思案する。


「何層かに隊を分けようか」


「分ける、ですか?」


「ああ、ここでジッと傍観していても始まらないし、手遅れな事態になることは避けたいからねぇ」


「ハ、ハッ・・・して、どのようにしたら良いのでしょうか」


ギリシアはサンドワームがこちらを認識していないことを確信して、立ち上がり、ここまで帯同してきた一般兵全員の顔が見える位置に立った。


「まず最前線。これは俺とリカルド・・・後はベティとで行くとしよう。いいかい、リカルド?」


「ああ、構わねえよ」


「畏まりました」


リカルドは軽く頷き、今まで黙って話を聞いていたベティと呼ばれた女性――一般兵第三部隊長は静かに返事をした。

この場にいる隊長格は三人だけで、残りの第一・第四部隊の隊長は王城に残している。

全戦力をここに注ぎ込むことも考えたが、どう戦況が変化していくか読めない以上、戦力の一極化はリスクが高いため、今回のように分散した経緯があった。


「よし、最前線の役割は当初の予定通り、サンドワームの陽動で行くよ。ただし攻撃は最小限に留めて相手の出方を伺う。奴がもしこちらの攻撃に乗ってくるようであれば、そのまま予定通り、国とは逆方向におびき寄せるよう尽力しよう。だが万が一、陽動にも乗らず、想定外な動きをするようであれば――」


「四方から総攻撃ってわけだな」


「いやだから、真っ向から戦ってもプチって潰されるだけだって。こう、プチっとね」


人差し指と親指で何かを潰すような仕草をリカルドに見せる。

サンドワームを人間に置き換えてみれば、二本の指で「簡単」に潰せる戦力差だということをギリシアはリカルドに再確認の意味を込めて明示した。

その凄惨な未来を想像したのか、兵の誰もが息を飲んだ。


「想定外な動きをした場合もやることは同じだよ。ただ、サンドワームの気を出来るだけ陽動側に向かせるために、陽動に割く人員をその時点で増やす。と同時に、ただちに西門に待機している後方支援部隊に状況を伝え、避難の判断を宰相に仰ぐ。そんなとこかねぇ・・・最悪、後方支援部隊と共に俺たちの部隊の大半も含めて、王や国民の避難経路の確立と誘導を行おう」


「・・・」


半目で何か言いたそうにするリカルドはあえて無視し、ギリシアは話を続けた。


「というわけで、陽動の第一陣は俺たち三人、第二陣は魔法師を優先的に連れていく。第二陣の面々は即参戦できる位置に待機すること。他は状況を踏まえて西門に戻れるよう常に気を張っていてくれ。合図はそうだなぁ・・・」


顎鬚を一度撫でたあと、ギリシアは人差し指を空に燦々と輝く太陽に突き立て、


「太陽に向かって、火の魔法を二度打つ――その場合は第二陣の参戦。もし三度の場合はサンドワームが手におえないケースだと思ってくれ。その時は迷わず西門に向かう事・・・第二陣も参戦前であれば共に西門に向かうんだ」


『ハ、ハッ!』


ギリシアの言葉に全員が肯定の意を示す。


「ああ、あと――陽動が成功、かつ西門への撤退の必要が無い場合は、この場に留まり、後方支援部隊との中継を担ってくれ。万が一、怪我人が出た際の救出班としての役目に従事してほしい」


『了解!』


「最後に各部隊の指揮についてだけど、第二陣はテッド。君が指揮してくれ」


「ハッ」


第二陣の指揮官に氏名されたテッドはその拝命を謹んで受けた。


「待機組はヨザ。君に任せよう」


「確かに――承りました」


第四部隊から唯一こちらの部隊に参加しているヨザ=グリムは、長身を折り曲げて一礼した。


「さて――各合流後についてだが、第一陣と第二陣が陽動として合流した際は俺の指揮下に入ってもらう。また西門で合流した場合は、西門に待機しているマイアーとヨザ、二人で指揮を取ってくれ」


「・・・お言葉ですが、あの小娘に指揮権をお与えになるのですか?」


マイアーの名を出した瞬間、ヨザがいち早く反応を示した。

その態度にマイアーの師でもあるベティが視線を彼に移す。その表情からはどのような感情を抱いているかは計れないが、


「ご不満かな?」


「――いえ、出過ぎた真似を。申し訳ありませんでした」


視線を上げたギリシアと目があったヨザは、その視線から彼の考えていることを読み取り、慌てて発言を撤回する。要は「この緊急時にうだうだ言わないの」という念が込められていた、ということだ。


「ま、分かってくれればそれでいいよ」


ギリシアはそれ以上追及はせず、砂漠へと踏み出すタイミングを計るため、再び岩陰から巨大な図体を横たわらせる芋虫へと視線を移した。


「・・・・・・」


視線を外していた時間は数分と無かったはずなのに、視界にいれたサンドワームの体は、視線を外す前と比較して更に傷口を増やしている状態だった。あふれ出る体液は留まる事を知らないように、とめどなく破裂した表皮の中から漏れている。正直、魔獣とはいえ目を覆いたくなる景色だ。


あの魔獣の体に何が起こっているのか。


サンドワームの姿を視認してから、どうにも不可解なピースが多すぎるように感じる。


(・・・そもそも、奴はどこから出てきた? 付近に地中から這い出てきた跡が一切見られない・・・。仮に奴の通り道は既に地上の砂が流れ込んで埋まってしまったとしても――あまりにも周囲の地形が『自然』すぎる気がするねぇ)


サンドワームの周辺をサラッと180度見渡す。

サンドワームが暴れた痕跡こそあれど、それを差し引けば――例えば地中から地上へ出てくる際に空くであろう穴らしき跡は一切見られなかった。もしかしたらサンドワームの図体の下敷きになっている可能性も考慮したが、奴から漏れ出した体液が地下に流れ込まず、直下の砂場に染み込んでいる状態からして、下に穴があるとも考えづらい。


無論、断定はできない。

ギリシアは地質学者でもなんでもない、戦うだけしか能のない存在なのだから。

見落としや、知識が欠落しているがために理解できない現象もあるだろう。

だから「決めつけ」はできない。――が、無策に「考えすぎ」と切り捨てるには不審な点が多すぎるのも事実。


(宰相と話した時は・・・地盤が近いことから砂中を移動できずに地上に顔を出したことによる地揺れ――ってことで結論は出ていたけど、本当にそうなのかな? もしかして奴は――元々地中にはいなかった? ・・・それも馬鹿げた話か。あの巨体が突如、地上に現れるなど・・・それこそ手段が思いつかないねぇ)


サンドワームの全身に絶えず膨れ上がる水泡のような傷。

それが何と相関があるか、考えるだけ答えの出ない不毛な議題ではあるが・・・「ただの偶然」という可能性だけは真っ向否定して良さそうだ。


あれは「異常」だ。


慎重に動く必要がある。

自身の判断一つで尊い人命が失われる可能性があるのだから。


「ギリシア様」


ベティが名を呼んでくる。

こちらに視線を向ける彼女は小さく頷いてきた。

サンドワームが小康状態になっていることを鑑み、そろそろ仕掛けるべきと促しているのだろう。

冷静沈着な彼女にしては珍しい行為だが、そうさせてしまうほどギリシアは考え込んでいたらしい。


「そうだねぇ、ここで手をこまねいていても仕方がない。リカルド、ベティ、準備はいいかい?」


「準備なんざ武器を手にした時から出来てるっつぅーの」


「ええ、問題ありません」


二人の性格が如実に表れた返事を受け、ギリシアは「よし」と開戦の火ぶたを切る決心をつけた。



「行く――」



しかし、ギリシアが宣戦を示す言葉を言い切る前に、事態は一変することになる。



『コォォォォォォォォォォォォォォォォ――!』



大気を震わせる重低音が響き渡る。

先ほどまでの地震とは別の、まるで超音波が放射線状に走っているような感覚。

その音の発生源は言うまでもなく、サンドワームであった。


円状の巨大な口を開き、口腔内から体液をまき散らしながらも「叫び声」のような音を吐き出し続ける。


それは何を意味するのか。

苦しみ、痛み、悲しみ、憎しみ、怒り。

サンドワームの心情など分かりたくもないが、その音にはそんな負の感情が溶け合っているように感じた。

姿かたちのない音だというのに、まるで肌に纏わりついてくるような嫌悪に近い感情を湧き立たせてくる。



『ォォォォ――・・・』



音に耐えるように身を屈めていると、次第にサンドワームの声が小さくなっていくのを感じた。


何だったのか、思わず立ち上がってサンドワームの状態を確認しようとして――。


サンドワームの巨体が半月状にしなったかと思うと、体を戻す反動で地上を蹴り上げ――数十メートルほどの高さまでその巨体を跳ね上げさせた。


宙に浮いたサンドワームの滞空時間はやけに長く感じた。

全身を激しく動かした反動で、至る所から体液が宙にまき散らされる。


その動きをコマ割りを見送るかのように茫然と見上げ、やがて意識を現実に引き戻す巨大な地震がアイリ王国を襲った。

サンドワームが砂の上に全身を叩きつけた衝撃が波打って周囲に反響していく。


「総員、身を屈めろ!」


ギリシアの声に全員が反応し、外套のフードを被り、その場でうつ伏せになった。

数秒後、衝撃で吹き飛んだ砂の嵐が全身を打ち付ける。


『・・・・・・っ!』


全員がフードの端を掴み、砂が目や口に入らないように防御する。

背中に砂がつもり、徐々に体積が重みとなって圧力をかけてくるのを感じた。


ギリシアを先頭とする前線部隊が身動きが取れない中、その姿を嘲笑うかのように――いや、そんなことを気に掛ける余裕も無い、狂ったような音を出しながらサンドワームはついにその巨体をうねらせて動き始めた。



*************************************



「え、私が・・・ですか?」


サンドワームが暴れ始めた瞬間から時間はやや遡り、場所は母カミラと別れた王城エントランスに戻る。


母と別れた後、ルケニアを探そうと思ったミリティアだが、如何せん全国民が集まりつつある現状だ。この人でごった返している中では満足に歩くこともできない。

最初は人をかき分けて進もうと試みたが、足は踏まれるわ、頭頂部にひじ打ちを喰らうわで、ロクな目に合わなかったので、ミリティアは仕方なくエントランスの壁際で膝を抱えて母の帰りを待つことにした。


そんな折に、一人の青年が話しかけてきたのだ。

最初は見知らぬ人に話しかけられたことで全身を堅くしたが、身分を明かされてミリティアはとりあえず一定の安心感を持って話を聞いていた。


「ああ、実は後方支援部隊が人手不足でね・・・今は猫の手も借りたいぐらいなんだ」


「あ、あの・・・それですと、私より大人の人の方が・・・」


周囲を見渡すと、明らかに自分よりも筋力があるだろう男性が何人か目に入る。

前線部隊を後ろでフォローする役目なら、普通に考えれば、女子供よりも成人男性をターゲットにするのが妥当だ。そんな純粋な質問を返すと、青年は困ったように頭を掻き、少し考え込むように腕を組んだ。


「いや・・・実はなんだけど」


と青年は身を屈めて声を小さくした。

思わずミリティアも身を乗り出して、彼の声が届きそうな位置まで体を伸ばす。

耳元、とまで行かずとも近い距離で青年は小さく喋った。


「――君がデュア・マギアスだということを聞いているんだ」


「っ!?」


思わずミリティアは後ずさった。

しかし元々壁際に背を預けていたため、気持ち的には後ろに下がったものの、体はそのままの位置で固定されてしまった。


「あ、あのっ・・・そ、それは・・・」


モグワイから「他人に知られては駄目」と言われていたため、何処で情報が漏れてしまったのかと激しい動揺にミリティアは襲われてしまった。


「ああ、違う違う。実は君のお母さんから聞いたんだよ」


そんなミリティアを宥めるように、青年は優しく言葉を投げかけた。


「え・・・・・・お、お母さんが?」


「そう、君の秘める力のことをね。正直なことを言うと・・・ただの力自慢が揃ったところで役不足な状況なんだ。大きな瓦礫を大人一人で持ち上げるのは難しい事だろう? 今、国を支えるに足る力は『魔法』の力なんだ」


「魔法・・・」


「本当は兵関係者以外は口外厳禁なんだけど・・・、君は未来に国を背負うだろう人間だから、俺の責任下で現状を伝えさせてもらうよ」


周囲を気にしながら青年は小声で現状を話そうとする。


「サンド、ワーム・・・」


「――なに?」


「あっ、い、いえ・・・すみません」


しかし青年が言い始める前に、ミリティアの脳裏に浮かんだ名前を口に出してしまった。

その単語に青年は眉を潜めてミリティアを見つめた。


「いや・・・どこでその情報を?」


「あの・・・本で、図書館の本で、昔、今日みたいな地震があった時のことが書かれてて・・・」


正直に話すと、青年はポカンと呆けた顔を浮かべ、すぐに「そっかそっか」と笑みを浮かべた。


「君は博識な子なんだね。それに天性の才能を持っている。才能だけに溺れず、貪欲に知識を欲し、渇きを超えて突き進もうと努力する。実に素晴らしいね・・・君はやはりこの国の未来を担う逸材だ」


「は、はぁ・・・」


やや興奮気味に話す青年に圧され気味になるものの、褒められていることは理解できるので、何処か嬉しい気持ちもあった。


「そんな君だからこそ、天は『デュア・マギアス』という才を与えたのだろうね」


「あ、あのっ・・・そ、それで私はどうすれば・・・?」


彼の褒め文句はミリティアにとって慣れないタイプだった。

両親やモグワイと異なり、どうにも綺麗な言葉を並べたような――すんなり心に染み込んでこない言葉に感じるのだ。無論、褒めてくれる相手に対し、それは失礼な想いなのでミリティアは心中で首を振ってそんな考えを打ち消す。

とりあえず話を戻して、この感覚を取り払うことにした。


「ああ、すまない。どうも勤勉な子を見ると嬉しくなってしまってね」


苦笑する彼にミリティアも「いえ、ありがとうございます」と笑みを向けた。

もしかしたら「学者」のような人なのかもしれない。図書館で読んだ小難しい本を書くような人物、と考えると意外と彼の言動も違和感を感じないものに思える。


「本題に戻るけど、君の言う通り・・・今、この国はサンドワームに襲われかけているんだ。後方支援部隊も西門に待機して、いつでも物資の支給や怪我人の搬送に手を尽くせるよう待機しているけど――如何せん魔法を扱える者が一人もいない状況でね」


「はい」


「生身で対サンドワームの戦線に、しかも戦闘経験はあれど今や王城で働く一般人の集まりが足を踏み入れるのは・・・かなり危険なことだということは分かるね?」


「――はいっ」


「一般兵も数に限りがあるから、サンドワームのいる前線、国民が集まる王城の二か所に兵を配置せざるを得ない状況で、その隙間を埋めるべく配置された後方支援部隊は・・・まさに貧乏くじを引いたと言ったところかな。彼らの部隊が最も戦力が薄く、危険な立ち位置にいるのは間違いないんだ」


「・・・」


父の姿を思い浮かべ、ミリティアは心配で胸が裂けそうになる。


「あ、す、すまない・・・不安にさせるつもりは無かったんだ」


そんなミリティアの心情を察したのか、青年が慌ててフォローを入れる。


「い、いえ・・・こちらこそすみません」


話を続けてください、と目で促すと、青年にも伝わったのか、彼は一つ頷いて話を続けた。


「まあそういう背景もあって、魔法師が入用になった・・・というのが現状なんだよ。そこで丁度、君のお母さんが来ていてね。君の話が上がったってわけさ」


「お母さんが・・・」


何処か、チクリと違和感を感じた。

何だろう。

それが何なのか、落ち着いて紐解いていくにはあまりに「現在いま」は慌ただしかった。

ミリティアは違和感の正体を探る前に、青年に両肩を掴まれ、思考を中断させられた。


「君の力が必要なんだ・・・! 是非、力を貸してくれないかっ? 君のお母さんも最初は反対していた・・・。だけど、戦況と国が置かれた立場を考慮された結果、君の力を借りることを彼女も賛同してくれたんだ」


「えっ?」


あの母が賛同した。

また違和感が膨れ上がってくる。

果たしてカミラ=アークライトという女性は、まだ幼い我が子を危険な場所へ送り出すことを善しとする人間だっただろうか。

もしその選択肢が出たのであれば、率先して自身が代わりを務めようとする女性ではないのか。

不規則に響く心臓の鼓動が、徐々にミリティアに不安を募らせていった。


「・・・ああ、勘違いしないで欲しいんだ」


「――」


「君のお母さんは決して、君を戦地に喜んで送りだそうとは思っていないし、言っていなかったよ」


「ぁ・・・」


まさに疑惑となって胸中に渦巻いていた内容を言葉にされ、ミリティアは驚いたように目を開いた。


「俺たち、国の人間が頭を下げて彼女にお願いしたんだ・・・君の力を貸してほしい、と。済まない・・・と思っている。同時に恥ずべき行為だとも。我々は国のためにまだ幼い君を戦場に近い場所に駆り立てようとしているのだから・・・。力不足の我々を・・・・・・どうか許してほしい」


そう言って青年は深く頭を下げる。


「そ、そんなっ! あ、頭を上げてください!」


ミリティアは想定外な彼の行動に驚き、慌てて青年の顔を上げさせた。


「私・・・私がお役に立てるのでしたら、何でもします! それが国の為・・・国民のため・・・お父さん、お母さん、大切な皆を笑顔にできるなら――」


「・・・そう、か。ありがとう・・・本当に、ありがとう」


青年は頭を下げ、肩を震わせた。

ミリティアからは彼がどのような表情を浮かべているかは伺えなかったが、きっと彼は国の為にあらゆる責を担い、それにさい悩まされながらも苦心して自分に頼ったのだろう。その過程で溜まった負の重石を少しでも取り除くことができたなら、ミリティアとしては本望だった。


だって彼女は――誰かに幸せになってもらいたくて、素敵な笑顔を浮かべて欲しくて「強さ」を求めたのだから。


それを使う機会を早々に与えてくれたのであれば、それは悲しむのではなく喜ぶべきことなのだ。


「いえ――あの、私、頑張ります! そして皆が無事に、いつもの生活に戻れるよう・・・力の限りを尽くしますっ!」


「ああ――、ありがとう――――、――」


「・・・?」


何か――、彼の礼の後に聞こえた気がしたが、それが何なのかまでは拾いきれなかった。

微かに・・・卑屈な笑い声のようにも思えたが「そんなわけない」とミリティアは頭からその感覚を振り払って、この後のことを考えることにした。



*************************************



「ここだよ」


青年に案内されたのは東門でも西門でもなく、砂漠側に面した外壁の一画だった。


「えっ、っと・・・?」


ここだ、と言われても眼前にそびえたつのは外壁のみ。

周囲を見渡すが、何処にも人の影は見えない。

後方支援部隊は何処にいるのだろうか。


困ったように青年を見上げるミリティア。


「ああ、すまない、説明不足だったね。実は今、後方支援部隊は戦況に合わせて移動中で、ちょうどこの壁の向こう側に陣取っているところなんだ」


「この壁の向こう、ですか?」


「うん、本来は西門のところを待機場所にしていたんだけど、ワームの攻撃で何人か怪我人が出てしまったんだ」


「えっ!?」


怪我人、というワードにミリティアは過剰に反応する。


「あ、大丈夫大丈夫! みんな軽い怪我程度だから命に別状はないよ」


「そ、そうですか・・・」


分かりやすい程、狼狽と安堵を切り替えるミリティアの様子に、青年は少しだけ笑った。


「君は風と雷の魔法を使えるんだよね」


「あ、はい!」


「そうか・・・実は俺も風魔法の使い手なんだ」


「あ、そうなんですねっ」


仲間意識からかミリティアはパァッと笑顔を浮かべるが、現状の深刻さを思い出し、慌てて真面目な表情に切り替えようとした。


「君は風魔法を使っての飛空はできるかい?」


「ひくう、ですか?」


「その様子だと、まだ出来てはいないみたいだね」


苦笑する青年に、意味が分からずミリティアは首を傾げることしかできなかった。


「そうだね、風魔法を発動させ、風を足の裏に集めるイメージをしてごらん。優しく、雲のような柔らかさを持つ風を想像するんだ」


「は、はい」


突然の魔法講義に狼狽えるも、言われた通りに風の魔法を発現させた。

想像するは風の雲。そこに自分が乗っかるイメージだろうか。

風に乗る、というのはイマイチ理解できない感覚だが、想像できない領域でもない。


ミリティアの足元に小さな魔法陣が浮かび上がり、陣を形成した後に砕け散る。


「――っ、あわっ!?」


同時に思わずバランスを崩して倒れそうになってしまった。

原因は明白。

自分の体が風に持ちあげられるように浮いたからだ。

困惑したことにより、魔法の維持ができずに解かれてしまったのか、ミリティアはそのまま地面に尻餅をつく形になった。


「なるほど、やっぱり突き抜けた才能を持っているみたいだね」


頭上から降りてくる声に、その方向を追うように見上げた。

そしてミリティアは唖然となった。


何故ならそこには宙に浮いた青年がいたからだ。

空を飛んでいる。

信じられない光景だった。


と、彼の魔法も切れたのか、急に重力に引き寄せられるように地面へと落下していった。

結構な高さだったため、ミリティアは「危ない!」と思わず声を上げてしまったが、落下すると同時に彼の足もとに発現された風魔法が緩衝剤の役目を果たし、彼は何事もなく着地する格好となった。


「・・・す、すごい」


「なに、イメージだけで最初から浮くことができた君だ。感覚さえつかめればすぐに制御することができるはずだよ」


そう言われ、思わず自分の足元を見下ろした。

イマイチ自信が湧いてこない。


「さて、何でこんな話をしたかと言うと・・・君にはこの壁を乗り越えて、最短距離で後方支援部隊に合流してほしいんだ」


「え、ええっ!?」


まさかの作戦にミリティアは心底驚きの声を上げた。


「すまない・・・西門から向かっては手遅れになる可能性があるんだ。歩きにくい砂漠の地も手伝って、この壁の向こうに行くには数十分以上かかってしまう。君が最速で彼らの元に行くにはこれしか方法がないんだ」


「で、でも・・・」


青年は腰に掛けたショートソードを鞘ごと外し、それをミリティアに差し出す。


「真剣だよ。ショートソードの中でも最も軽量な武器を選んでおいた。使わないことに越したことはないけど、万が一の時はこの剣を使うといい」


言い返す間も無く、手元に乗せられる本物の剣。

重い。

数か月の訓練で使用していた模擬剣とは比べ物にならない質量だ。


「あ、あの・・・! その、貴方は一緒に来てはくれないのでしょうかっ?」


「そうしたいのも山々なんだけど・・・俺は俺で前線に向かわないといけないんだ。サンドワームは俺たちが引き寄せる・・・だから、壁の外で傷ついている人を助けるために――その力を貸してはくれないかな・・・」


「ぅ・・・その・・・」


鞘に収まったショートソードを力いっぱい胸に抱え込む。

正直、怖い。吐きそうなぐらい恐怖に押しつぶされそうな自分がいる。

でも――もし、外にいる怪我人が父だったら? 母だったら?

ダビとカミラが助けを求めているなら、たとえ火の中であろうと助けに行きたい。またあの笑顔を見せて、頭を撫でてもらいたい。


ミリティアは震える両手を何とかして抑え込もうと、ギュッと目を閉じた。

不意に目の前が暗くなった気がした。

恐る恐る目を開けると、いつの間にか青年が目の前まで来ていた。


「ごめんな・・・不甲斐ない大人で本当に・・・申し訳ない」


そう言って、ミリティアの頭を小さく撫でる。


「ぁ――」


その手は小さく震えていた。

恐怖か、自責の念からか。

何であろうと、ミリティアからしてみれば、怖いのは自分だけでなかった――という連類の情を感じ、不思議と自身の震えが収まってくるのが分かった。


「――です」


「え?」


「大丈夫、です・・・私、やれます!」


「ほ、本当かい?」


「はいっ、だから、あの・・・誰も傷つかないように・・・頑張ります」


「・・・」


「頑張りますから・・・貴方も、絶対に戻ってきてください・・・」


ガチャ、と鞘に附属した金具が音を鳴らす。

ミリティアがさらに強く鞘を抱きしめたからだろう。


ミリティアの目に――迷いは無かった。

不安や恐怖は残っているだろう。だがそれらを踏み越えて、その先に行くための勇気という名の切符は手にしたようだ。


青年は何処かホッとしたように息を吐いた。


「そうか・・・そうか、ありがとう・・・」


何度目かになる礼の言葉に、ミリティアも「私もです」と笑顔で返した。


「最後に一つだけ、無理だけは――しないように。できれば、君とはまた話したいからね」


「はい、貴方もご無事で」


透き通るような、しっかりとした口調で返事をする。

お辞儀をしてから、間髪置かずにミリティアは足元に魔法陣を形成する。

イメージする。

自身は風を足場に空を駆ける者だと。


「――」


魔法陣が砕け散り、彼女の足元に収束していく風のうねりを目の当たりにし、青年はその目を驚きに見開いた。


ミリティアは足元に渦巻く風に押し出されるようにして、外壁と平行に天へと駆けて行った。

とても今まで風魔法で飛空した経験が無い人間とは思えない。

ましてやそれが――12になる子供だとは。


「・・・ああ、まごう事無き天才、か」


青年の呟きを置き去りにして、少女は魔法を重ね掛けして宙を跳躍するように高度を上げていった。

正直、下を見ると心が折れそうな気がするので、なるべく上だけを見ることにした。


徐々に外壁の頂上が見えてくる。


(い、いける――っ!)


父と母の姿を思い浮かべ、それを燃料に風の推進力を強化し、さらに速度を上げる。


(あと、もう少し――)


そして、ついに。

ミリティアは――外壁の高度を超え、広大に広がる外界をその視界に納めた。



「やっ――」



た、と。

そう繋げようとした歓びの声は、陽の光を遮る巨大な影によって掻き消されてしまった。



「ぇ――」



ミリティアの眼前には――サンドワームが飛び跳ねるようにして空を覆っている姿だけが映し出された。



*************************************



「――ま、天才だろうが何だろうが、子供は子供。感情に流され、理性で状況を計れないのはいつの時代も変わらないものだね」


青年は外套のフードを深く被り、表情を影の中に隠す。


「だから感情の赴くままに抗うといいよ。その試練を生き延びた時、君は最高の輝きを放つことだろう――。ヒヒッ、ああ、ああ! そう、そうだ・・・まだまだ熟していない固い果実なんだよ、君は! デュア・マギアス・・・、稀有な才能を持つ君がこの俺の渇きをどう埋めてくれるのかァァあァ、アヒ、ヒヒヒッ、是非とも生き延びて証明してくれェ!」


叫ぶように喉奥から絞り出す言葉は、もはや狂っているの一言だけが似合っていた。

青年は口元から涎を流し、天を仰ぐ。


やがて、


外壁の向こうで巨大な振動が巻き起こり、その衝撃が足元を波紋のように伝っていく。


外壁の上、空に砂煙が風に乗って舞っていく。


「フヒ、ああ、いいタイミングだ」


口を三日月のように歪め、狂気は外套に身を隠しながら次の目的地へと移動を開始した。

大地を揺るがす振動など、風魔法を駆使する男には無害といってもいい現象だ。

空を滑空する青年は遠くに見える西門を見据えて、吐き気を催す狂気に塗れた笑いを垂れ流しながら、外壁に沿って空を駆けて行った。




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