第58話 砂の国の決闘
結論から言えば約定は締結された。
ケルヴィン国王陛下の署名と王印、無名の国主リーテシアの署名。その二つが記された国家間を結ぶ正式文書がベルゴーの対応により完成され、それの基、決闘の場が設けられた。
書面では契約主の欄にケルヴィンの名が刻まれており、この話がアイリ王国側から持ちかけられたことが明確に分かるようになっていた。
内容は簡潔なもので――簡単に言ってしまえば「それぞれ欲しい物を列挙するから、決闘で買った方にそれを譲渡することを認めよ」といったものだった。
両国代表が署名したことで、互いに内容に同意したものと見做される。
両国が提示した大まかな内容は次の通りだった。
アイリ王国側は、
一.貴国が所有する全ての領土 及び 国有旗の所有権の譲渡
二.貴国が保持するサスラ砂漠の情報の開示
三.貴国に属する民の人権委譲
リーテシアの無名の国側は、
一.貴国との恒久的平和条約 及び 優先同盟の締結
二.貴国との外交権の取得
三.貴国から移住を希望される民の移住許可
両国代表、ミリティア=アークライトおよびヒザキの決闘により、条件の決定を行う。
とあり、ケルヴィンはその書面をベルゴーから受け取った際、流すように見て即断で「国として契約した」ことを示す王印と署名を紙面に残した。他にも多くの誓約が書かれていたが、それは主に「この約定が国家間で取り決められた正式なもの」を確定付けるための補足である。
本来であれば両者が顔を合わせ、内容に虚偽や疑問が無いかをすり合わせた上で行うべき儀でもあるが、そのあたりの経験と経営学の知識が乏しいリーテシアと、あまり物事を深く考えないケルヴィンの両者であるがために、本当に国家間同士の契約なのか不安になるほどすんなり取り交わしが終わってしまった。
ベルゴーは当然、両者の条件に「抜け道」や「逃げ道」が多分に含まれていることを理解していたが、今回に限っては「それが最善」に繋がると踏んで、見て見ぬフリをした。
後に問題に発展した際、ベルゴーは宰相としての任を解かれる危険性も理解していたが、それでも――今回の件が国を良い方向に導くのではないかという僅かな希望を持って踏み切っていたのだ。
また約定の条件について話し合うためにリーテシアに会いに東奥の孤児院に向かったのだが、その際に会ったベルモンドという商人が相手側の主軸となって話し合いが進められた。
さすがは商人というべきか、理論的な物の考え方とメリット・デメリットを明確に線引きした上で、公平およびやや不利益をこうむりそうな条件に見えて、その実、得をするように動いていた。
ベルゴーとしても同種に近い彼の特性を見て、久しぶりに「外交」というものを行ったという気分になったものだ。
ベルゴーとベルモンド。
この二人が軸となって話し合いをしたからには、不明瞭な文書が出来上がるはずがない。
だというのに、曖昧な文言を並べた不完全な公的文書が出来上がったのは彼らなりの考えがあってこそだった。
ベルゴーは国の未来と、ミリティアの愛人の件。
ベルモンドは自身の未来への投資と、リーテシアやヒザキとの関係の強化。
その思惑は言葉で語り、共有したわけではないが、議論の中の言葉の端々で互いに感じることができた。
故に事前に打ち合わせをしたわけでもないのに、互いの思惑を載せた書面が出来上がったわけだ。
そうするためには、あえて内容に穴を開ける必要があった。
正直、リーテシア側については工面の必要はそれほど無い。
元々ミリティアの話通り、彼女の行動は国を想う気持ちから発したものだからだ。その行動が突拍子も無かったり、考え無しだったことは否めないが、それでも強い想いの基に突き動かされた出来事というのは善悪関係なしに強固なものだ。
だからこそリーテシア側は方針が揺れることもないし、国のための行動であるがために条件もアイリ王国に有利な情報でしかない。
問題はアイリ王国側だ。
条件というより、ケルヴィンが納得した上で署名をするかどうか――という点がもっとも気がかりだった。
先に「穴を開ける必要がある」と述べたのは、ここが原因である。
ケルヴィンが少しでも内容に疑問を持ち、署名を走らせる手が止まらせてはならない。彼に書面の内容について「話し合う」という感情を持たせてはならないのだ。そうなってしまうと、おそらく彼は次々に欲のままに都合のよい内容を注ぎ足していくことになり、収集のつかない事態に発展する危険性があるからだ。
そういう面では非常にうまく行ったと言っていいだろう。
自国の主を噓は言わずとも騙すことにはなるので、非常に負い目は感じるが・・・それで大事になるのであれば責任を伴って国を去る覚悟はベルゴーも持っている。
これでまずは一段階目の壁を乗り越えたと言える。
だがベルゴーにとって、ミリティアとヒザキの戦いはあまりにも不透明な壁であった。
自身の策略を以って覆すことのできない、ということもあるが、何よりヒザキの実力が未知数なのだ。
この壁を乗り越えられなければ、そもそも約定も何も無駄なことになってしまう。
ミリティアの実力は折り紙付きだ。
連国連盟の議会に参加するために国外へ出た際の、彼女の護衛としての能力は想像をはるかに超えた別次元のものだった。
噂に勝るデュア・マギアスの魔導剣技。
多勢に無勢ならまだしも、白兵戦において彼女に勝てる人間はおろか、触れることができる者すらいないだろう。
また先日の地下浄水跡地では、彼女が苦手とする一対多の戦闘ですらも圧倒したという。
そんな彼女が得意な一対一の決闘で地に膝を落とす姿など、想像することも出来なかったのだが――。
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閃光のような剣戟が宙を奔る。
瞬きを許さない光の筋が、通る道全てのものを分断せしめんと縦横無尽に軌跡を残す。
しかしその全てが甲高い金属音によって中断される結果になろうとは誰が思っただろうか。
細く鋭い一線の重なりは、その悉くを巨大な質量が弾いていた。
「――っ!」
すれ違い様、胴を薙ぐようにエストックを滑らせたが、間に入る大剣の陰に阻まれ、鈍い衝撃と共に剣先がズレる。
絶え間ない剣戟の響きだけが廃れた庭園に奏でられていた。
(っ、通らない――!?)
初撃となる、最初の連撃は3本ほど彼の防御の間を縫って潜りこむことができた。
しかし今はどうだ。
風魔法のブーストによる移動速度の強化をした攻撃が、まるで「良く視えている」かのように簡単にいなされる。いや――「かのように」ではなく間違いなく視認された上で攻撃が捌かれているのだ。
「ふっ――!」
小さく息を吐き、丹田に力を込めて剣を刺す。
攻撃力の高い「面での攻撃」は弾かれるため、威力は低くても躱しにくい「点での攻撃」。つまり刺突による連撃を見舞わせた。刺剣と言えばレイピアが代表的な武器となるが、このエストックも刺剣と呼ばれる種の武器である。長く細い刀身は硬度は低いが、その分軽量化され、刺突に適した形状となっている。
レイピアよりも重めだが、その分強度は上なため、刺突以外の攻撃も得意とするミリティアにとっては最適な武器であった。
今までは斬撃による攻撃を主体にしていたが、ここで刺突を混ざることで相手の防御姿勢を崩せると踏んでいた。だがその攻勢もまるで鉄壁のような大剣の腹で受け流されてしまう。
(・・・、信じられない! 風で強化した私の動きを全て目で追われているっ!?)
考えている最中も足は止めない。
足を止めれば、あの巨大な大剣で薙ぎ払われるからだ。
相手に攻撃の糸口を与えれば、形勢は一気に反転し、敗北につながるだろう。
徐々に減りつつある魔法回数――もとい魔力残量にも気を配りつつ、ミリティアは再び斬撃を繰り広げる。
が、ヒザキは大剣を振り回すのではなく、剣先を支点に最小限の動きで降りかかる斬撃の軌道を逸らした。
彼の視線が常にミリティアを捉えつづける。
全身の肌で感じ取る。
自分は完全に捕捉されている、と。
小回りの利かない大剣に対し、速度と手数を主軸とする自身の戦闘スタイルは大きく有利に傾くはず――と考えていた自分が恥ずかしくなった。
(凄い・・・! これが・・・っ)
人と剣を交えることは少なかったが、それでも「勝てるイメージが沸かない」相手と戦うのは初めてだった。魔獣との戦闘時にだってそんな感覚は持たない。
いつだって勝利への道はその双眸に映っていたはずなのだ。
それが今は、まるで真っ暗な闇の中で相手も見えずに剣を振るっているような、何の手応えもない暗中に足を踏み入れた――戦慄に近い感覚を持っている。
額に汗が浮かび、彼女の速度に置いて行かれるように宙に舞っていく。
ミリティアは更に魔法を発動させ、加速する。
風魔法による加速はまだ伸びしろがあるものの、ミリティアが知覚できる速度――つまり彼女が戦闘を可能とするギリギリの速さはここが限界だろう。
これ以上速く動いたところで、逆に相手への攻撃もタイミングが合わず、下手をすれば目測を誤って手痛い反撃を貰うかもしれない。
この速度についてきた者は、経験上いない。
過去、スピードと柔軟性で攻撃を躱す猿のような魔獣と相対したことがあるが、奴でさえもミリティアの最高速度にはついていけず、その心臓を串刺しにされていた。
彼女が戦った中ではその猿の魔獣が最も速度に優れていた。
もしヒザキがそれ以上の知覚速度を持っていたとしたら――。
不意に。
ヒザキの唇が動いたのが見えた。
本当に何故そこに視線が行ったのかは分からないが、彼は何か言葉を口にしているようだった。
風圧を制御しているため、音はミリティアには届かない。
読唇術を会得しているわけでもないのだが、彼女は不思議と彼が何を口にしたのか理解した。
――そろそろ攻撃に移るぞ。
「――っ!!」
無意識に攻撃から防御へ。
エストックを体の前に立て、来たるべき一撃を防がんとする。
前傾に流れていた風を逆噴射し、急ブレーキをかけた。
ミリティアの風魔法ごと切り裂くように、何かが横薙ぎに彼女の胴に向かって振るわれた。否、彼女がエストックを構えている場所に「敢えて」振るわれたのだ。
「ぐっ!?」
その衝撃の後、景色が目まぐるしく回転する。
青い空。
決闘を見ている観客。
砂塗れの地面。
そして背中に衝撃を受け、背後の階段に体躯をめり込ませ、階段を瓦礫の山へと化したところで慣性が止まった。
最期に目に入ったのは、大剣を振るった態勢のヒザキであった。
「か、はっ――・・・!」
背中への衝撃で息が詰まる。
エストックを握っていた右手に感覚がない。おそらく強い衝撃に痺れているのだろう。
視線を下すと右手にはしっかりとエストックが握られていたため、武器を失っていないことには安堵する。
長いこと外に砂と風に晒されて風化していたとはいえ、人が座っても原型を保つ程度の強度はある階段が見事に粉々になっていた。
幸い頭や頸部は打ち付けていないため、意識が途切れることはなかった。
(なんて・・・っ、重いの!?)
膝をつきながらエストックを地面に突き刺し、ミリティアは金色の髪を垂らしながら息を整えた。
遅れて痛みが背中に広がっていく。
いつぶりの痛みだっただろうか。
懐かしい感覚に苦笑しつつ、前方で剣先を降ろす青年を見上げた。
「・・・はぁ、はぁ・・・!」
何か言おうとしたはずなのに、口から出たのは空気が出る音だけだった。
どうやら予想以上にダメージがあるようだ。
「・・・ここで止めておくか?」
「っ――、・・・はぁ、お、お戯れを・・・言わないで、ください・・・はぁっ」
エストックを支えに震える膝に喝を入れ、ミリティアはゆっくりと立ち上がった。
深呼吸をすると、肩胛骨と腰部に鈍い痛みが走る。
骨折はないが、筋肉は幾つか痛めたようだ。
「・・・、ふぅ・・・」
徐々に痛みに慣れ、自身の体の状態を理性で把握できるようになってきた。
呼吸を整え、まだ戦えることを確信し、彼女は強がるように笑みを浮かべた。
「・・・これは、国家間の約定の元、執り行われている・・・決闘の儀です。意識があり、剣を握れるのであれば――戦うことを止めるのはあまりに国に失礼というものです」
「そうか」
表情は変わらず、大剣を構え直すヒザキ。
どうやら最初の斬撃の幾つかが彼に傷を負わせたことで、ミリティアも勝機を見出したつもりだったが、実際は違ったようだ。最初のダメージはあくまでも「ヒザキがミリティアの速度を見誤った」だけであり、ミリティアの速度に対して彼の認識のレベルを上げれば、ついてこれない速度ではないということのようだ。そして彼の速度に対する知覚は、彼女の最速にも簡単についてきた。
(・・・スピードで撹乱するのは無理、そうですね)
撹乱はおろか、ヒザキの攻撃を躱せるかどうかも怪しい。
前の一撃は意識して防御したわけではなく、直感で防御しただけに過ぎない。
それもヒザキが手心を加えた形で、エストックに向かって振るわれた一撃だ。
これが心の底から敵対したヒザキとの勝負なら、ミリティアは容易にその命を落としていたことだろう。
「ん?」
ヒザキが何事かと眉をひそめた。
「あ・・・」
いつの間にか、ミリティアが左手をヒザキの方に伸ばしていたのだ。
遠い、遠い背中。
かつて彼女が憧れた、夢の向こうの存在。
そこに追い縋ろうとする想いが、手を伸ばすという無意識の行動を起こしていたようだ。
ミリティアは静かに左手を戻し、その掌を見つめる。
(この手は・・・貴方に届くことができるのでしょうか)
風が吹く。
彼女の綺麗な髪が風に靡き、風は優しく撫でるように頬を伝る汗を拭い取った。
ヒザキはその「どこにでもありそうな光景」に少しだけ目を細め、風を追うように視線を空へと移した。
(いえ、届くかどうかで自問しているようでは――何も進めません。それは言い訳に過ぎない・・・)
この戦いの勝敗に関わらず、自分はケルヴィンの元に跪くことになるだろう。
様々な想いが彼女の中で渦巻いてはいるが、それでも自分を育ててくれた国を裏切ることはできない。
ヒザキが勝てば、おそらくアイリ王国とリーテシアの国で交易が行われ、資源を枯渇させないよう調整・管理した上で、互いの国を発展する動きが広がる――そんな時代が来るのだろう。
可能であれば自分もそこに加わり、共に外交の手伝いをしたかったところだが、それも無理そうだ。ケルヴィンの命は、この決闘の勝敗とは別のところにある。自分の未来は既に確定してしまったのだ。
だからこそ今が最後のチャンスだ。
近衛兵隊長としてのミリティア=アークライト。
子供の頃、憧れつづけた背中を全力で追いかけたミリティア=アークライト。
その二つを掲げられるのはこれが最後。
故に全力を以って、彼にぶつける。
その結果、少しでも触れることができたのなら――笑って王の膝元に仕えることが出来るかもしれない。
「・・・・・・」
真っ直ぐに青年を見つめる。
蒼い瞳に自分が映っていることに気づいたヒザキは、ミリティアと目を合わせた。
ミリティアの想いに呼応するかのように、空気が震える。
「・・・」
その感覚を受け、ヒザキは大剣を持つ右手に力を込めた。
今なら――リーテシアが感じたという魔素の意志が分かる様な気がする。
今まで共に戦場を駆けた風と雷の魔素。
彼ら、と表現していいものか悩みどころだが――ミリティアを応援するように柔らかい風が吹いたり、砂上が帯電したかのように音を立てたりと囃し立ててくる。彼らなりの発破なのかもしれない。
エストックを構える。
彼女のいつもの戦闘姿勢。
前傾姿勢からの刺突をメインにした、魔法との混合剣術――魔導剣技。
不思議と満ち足りた気分だ。
今なら更なる高みへと昇っていける錯覚すら覚える。
痛みは残っているが、気にならない程度まで収まってきている。
これなら短い時間ならば、全力に近いパフォーマンスは発揮できるはずだ。
「ヒザキ様――」
「ああ」
彼はまだ本気を出していない。
実力は未知数。魔法で本気を出されれば、この場の全員が消滅するほどの実力差があることも分かっている。殲滅戦となれば彼以上の火力を出せる者は軍単位であっても無いだろう、とミリティアは砂漠で見たあの光景を脳裏に浮かべながら断言する。
だが――彼は超人であって武人ではない、という確信もあった。
おそらく剣術という技術を会得していないのだろう。必要が無かったのか、興味が無かったのか。彼の身体能力のせいで隠れがちだが、彼の大剣を使用した立ち回りは、全て筋力と動体視力に任せたものだった。決して技術による捌きではなかったのだ。
そこに――付け込める隙があれば、勝負はまた面白くなるはず。
「私は――貴方に追いつきたい」
「・・・」
「その道は暗く、方角も距離も分からない・・・途方もない道ですが」
「・・・」
「今日この時を以って――切り拓いてみせます!」
その言葉と同時に二種の魔法陣が彼女の足とエストックを包み込む。
二種以上の魔法を使いこなす魔法師の総称――デュア・マギアス。
その中でも戦闘に特化した風雷の騎士、ミリティア=アークライトは空気を焼き切るほどの電流を刀身から放ち、透き通った両目で道の先にいる存在を捉えた。
周囲は暴風と雷が蜷局を巻きながら、彼女を護るように、そして敵を打ち倒すために暴れまわる。
「ああ」
短く答え、ヒザキは大剣の剣先を彼女に向ける。
「受けて立とう」
その台詞に心地よさを感じつつ、ミリティアは地を蹴り、再び決闘の火蓋は切って落とされた。
*************************************
ミリティアが膝をつく姿を見下ろす観客席は、その全員が唖然とする状態であった。
まるで目の前に行われている決闘は異次元での出来事のように感じた。
「ありゃー・・・ここまでだったとはねぇ」
「な、何がッスか?」
頬杖をかきながら苦笑する隊長の姿に、辛うじてパリアーが聞き返す。
「いーや・・・大したことじゃないんだけどねぇ。いつかデュア・マギアスの中でも名高い彼女に打ち克ってみたいと思ってたんだけど・・・これを見ると、まだまだだと感じてしまうさねぇ」
「うへぇ・・・こんなんと戦おうって思ってたッスか、隊長。もう人間業とは思えない戦いッスよ、これ・・・」
決闘が始まってまだ数分しか経っていないというのに、もう何時間もの戦いを見たかのような濃厚な時間だった。
「しっかし近衛の隊長さんもおっかないッスけど、あの人・・・何者なんでしょうね?」
「お、パリっち~、ついに男に興味が出たのさね?」
「ちがっ! 分かってる癖にそういう絡みしてくるの止めるッス!」
ちょっとした冗談のつもりだったが、思いのほか声を大きくするあたり、そっち方面に全く興味が無いわけでもないようだ。マイアーはそんなことを内心微笑ましく思いつつ、別の角度ではミリティア、そして余力を残すヒザキの姿に寂しさも感じていた。
(どうにも・・・私もそれなりの強さを自覚していたつもりだったけど、私が見ている世界だけの話だったみたいねぇ。まるで私の常識が崩壊していくような感覚――置き去りにされていくような焦燥感。ふふ、まさか今になってこんな感傷に浸ることになるなんてねぇ・・・)
それも感傷の先に同国で共に剣を振るう身近な存在もいることに、猶更マイアーは苦笑する。
井の中の蛙、と言うのであれば、せめて身近にいたミリティアの実力ぐらい見極められる――もしくは引き出せるほどの実力を備えてから達観すべきだ。だと言うのにそれすら気づかず、彼女とある程度渡り合えると踏んでいた彼女の自信は地盤から崩れ去り、その空いた穴に肌寒い風が吹き荒れていた。
(ま、そんなことで気落ちしてどうにかなるほど繊細でも無いけどねぇ)
「・・・隊長?」
急に会話が途切れ、物思いにふけり始めた彼女にパリアーが首を傾げて見てくる。
「あぁ、ごめんごめん。ちょっと考え事してたさ。因みにパリっちはあの二人と戦ったら、どのぐらいまで渡り合える?」
突然の返しにパリアーが「はぁっ?」と呆れたように返事をする。
「んな、瞬殺されるに決まってるじゃ無いッスか・・・。さっきの見ました? 目で追えない速度じゃないッスけど・・・それは遠くから見ている立場だからであって、あんなのに襲われたら剣で防御する前に首を落とされるッスよ・・・」
「でも目では追えたんだ?」
「うえ? ま、まぁ・・・あたしも一応、剣士の端くれッスから? あーいう他人の戦いとか見ていると、どうしても自分に重ねて見てしまうんですけど――幾つかの太刀筋は目で追えたッス。あ、さっきも言った通り、遠くから見ているからであって、実際に対峙したら手も足も出ないと思うッスけど・・・」
「そうさねぇ、ま、私も実際に戦ったら『あっという間に』どころか『あっという間もなく』斬り伏せられているだろうねぇ」
「ぅ・・・隊長でもそう思うッスか?」
自身が崇拝、とまでいかなくとも強者として仲間として信頼している隊長が、はっきりと弱気にも取れる発言をしたことに、パリアーは複雑な表情を浮かべた。
「まぁねぇ。でもパリっちも言う通り、彼女自身の速度は目で追えない速度ではないことは確かだよ。風の加護を受けて加速する彼女の移動法だけど、彼女自身の知覚を上回る速度を出したら彼女自身が戦いにならないからねぇ」
「? つまり、どういうことッスか?」
「いくら速く動けても使い手が知覚できなきゃ意味が無いってことさ。例えばパリっちが今から音速で動ける力を手に入れたところで・・・そうさねぇ、あそこにいる宰相の隣にピッタリと止まれる自信はある?」
「まぁ・・・いきなりそんなこと言われても、音速なんてどんな速さか全然分かんないッスけど・・・」
口に指を当て、体験したことのない――これからも体験することがないだろう、音速で走る自分を想像し、パリアーは目を閉じて「んー・・・」と眉をひそめた。
「・・・無理ッスかねぇ。何だかイメージだと、気づいたら壁に激突してた姿が見えたッス」
壁に突っ込んだパリアーを想像したのか、マイアーがプッと笑いを溢す。
「何がおっかしいんですかー」と口を膨らますパリアーの両頬を優しく潰して空気を出してから、マイアーは「その想像は正しいと思うよ」と返した。
「パリっちの想像は概ねその通りになると思うねぇ。ま、実際に音速なんかで壁に突っ込んだら肉片だけしか残らないと思うけど」
「・・・・・・想像でも、あたしが肉片だけになるような光景は止めてください・・・」
「ごめんごめん」
二日酔いも真っ青な暗い表情を浮かべるパリアーの頭を撫でて、彼女の機嫌を落ち着かせる。
恥ずかしさから手を退かさないで頭を撫でられるということは、本気で気落ちしているようだ。
「何を言いたいかっていうと、ミリティアも風魔法でのブーストに限界があるってことさね。つまり彼女自身が『戦闘行為』を行える範囲での最大速度しか出せない、ってことさ。だから人間離れした速度であっても目で追えるのさ」
「・・・そこに彼女に勝てるカギがあるってことッスか?」
ミリティアの動体視力がどれほどのものかは不明だが、それでも人の限界を超えるものではないだろう。
そこに勝利への抜け道がある、ということを言いたいのかと思いきや、マイアーは予想に反して頭を振った。
「いーや無理無理。遠くから弓矢で射ようとするなら、まだ可能性はあるかもだけど・・・近接戦であんな速度で来られちゃ、仮に目で追えたとしても体がついてこないだろうねぇ」
「え、じゃあこの話の意味は・・・?」
「ただの雑談」
「ちょ、ええっ!?」
ふふふーと笑うマイアーに、パリアーが「真剣に話して何だか損した気分ッス!」とまくしたてる。
そんな彼女に「まぁまぁ」と宥める一方、マイアーは心中で首を傾げていた。
(そう――あんな速度で迫られちゃ、ろくな反応も出来ずに彼女の剣の餌食になるはず・・・)
マイアーは横目でミリティアと対峙する青年を見下ろす。
(それを造作もなく軽々と――・・・しかもあんな大剣で捌くなんて人間業とは思えないさねぇ)
その感覚も「井の中の蛙」で片づけられるのか。
それとも自分ではたどり着けない、別次元の何かを見せつけられているのか。
「ほんと、何者なんだろうねぇ」
マイアーは久しぶりに「その人のことを知りたい」という純粋な欲求が沸き上がるのを感じ、何処となく自然に笑みを浮かべていた。
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マイアーとパリアーとの会話と同時刻。
ベルゴーも目の前の光景が信じられず、言葉を失っていた。
隣のルケニアなど、両者で何が行われていたのかすら分からず、目を回している状態だ。いや――それについては人のことを言えない。ベルゴー自身もミリティアとヒザキの間に走った剣戟が、あまりにも理解の範疇外であるため、本当に二人は剣を交えたのかどうかすらも分からないほど混乱していた。
辛うじて剣を交えたことが理解できたのは、立て続けに響いた金属音のおかげだ。
あれが剣同士がぶつかり合う音だということぐらいは彼にも分かる。
しかし目で追うことは叶わなかった。
「・・・」
約定を交わした時は正直、この戦いこそが最大の不安要素であった。
しかし目の前の光景が「ミリティアに勝てる者などいない」という固定観念を根底から破壊し、戦況が大きくリーテシア側に傾いたことを表していた。
(まさか・・・これほどの実力者が、何処の国にも属さずにいたなど・・・)
あり得ない話でもないが、限りなくあり得ない話でもある。
目立った戦果を出さなければ、国家の目に留まる可能性は低い。そういう意味ではヒザキは積極的な戦いをしてこなかったのかもしれない。傭兵などの職につかず、旅人として気ままに旅をしているのも頷ける。
(しかし戦いに身を置かずして、あれほどの実力を保持できるものなのだろうか・・・)
定期的に戦場の緊張感を感じ、強者との戦闘経験を積まなくては戦士は力を保持できない。
かつて諸国の有力な戦士と話を交わした際はそんなことを聞かされた記憶がある。
だがそれなりの戦いに身を投じていれば、自ずと噂というのは広がるものだ。
それが無いということは、人知れずの土地で魔獣と戦いを続けていたのか、それとも戦いから離れてもあれだけの力を出すことができるのか。
過去、剣を持っていた時期はあるものの、兵としては普通も普通だったベルゴーとしては、理解できない世界だ。そんな素人目ではあるが、それでも彼が常軌を逸しているのは感覚で伝わってくる。
視線を逸らせば、この国で強者と呼べるリカルドやマイアーですら、その心境が分かるほど驚きに表情を歪ませている。彼らも十中八九、ミリティアの圧勝だと踏んでいたのだろうが、その当てが外れたことに心が揺れているのだろう。
「――」
ヒザキに吹き飛ばさるも立ち上がるミリティアを見る。
凛とした姿しか記憶にない彼女が、痛みに耐える姿など誰が想像したことだろうか。
彼女が「壁を高く感じるのは私の方」と言った意味が良く分かった。
おそらく女王蟻討伐の際に、彼の実力を目の当たりにしたのだろう。
(彼の実力に期待するとは思ったものの、これは良い意味で大きな計算外だ。・・・実際に戦っているミリティアには申し訳ないが・・・今の一合で彼の勝利が現実的なものになったのは言うまでもない。だが――)
今回の約定に関しては、アイリ王国に全てを飲み込ませるより、調整役の国を挟む方が将来的には両者にとって良い方向に転がるだろう。
それはケルヴィンの様子を見ていても、ほぼ間違いないと見て構わない。
だが――だがしかし、だ。
(もし――リーテシアに心変わりが起こったら? いや、それ以前に彼自身、我が国に矛を向ける何かが起こったとしたら? 我が国の最強の騎士があれだけ劣勢を強いられているというのに、誰が勝てるというのだ・・・今はミリティアの言葉を信じることで、彼らを信じているわけだが・・・人の心は移り変わっていくもの。無事、約定が成された後もその不安は付きまとってしまう)
ベルゴーは言い知れぬ不安に胸を潰されそうになるが、歯を食いしばって前を向く。
(彼のことも良く知っていく必要がありそうだな・・・)
まだ勝負が決したわけではないが、もしヒザキが勝つのであれば、信を置くべき存在かどうかを知るために、踏み込む決心をベルゴーは抱いた。同時に「ああ、これが外交なのだな」と、久しく感じることのなかった他国とのやり取りに不思議と気持ちが昂るのも感じた。
と、その時だった。
周囲を埋め尽くす光。
バチバチと帯電音が響き渡り、視界の先に立つ女性から雷電が迸った。
どうやらミリティアはこの戦いにおいて、一切の妥協は無いらしい。
ベルゴーはその姿に目を細め、おそらくは初めてであろう、自身を凌ぐ強者に立ち向かう騎士を見た。
(・・・不思議なものですな)
この戦いはヒザキに勝ってもらうのが吉。
だと言うのに、本心は全力を絞り出す彼女に勝ってほしいと願ってしまう。
(私は戦士ではない・・・だから共感することは難しいが――)
願わくば、両者にとって勝敗に関係なく満足の行く戦いになりますように。
そんなことを宰相ではなく、この戦いを見届ける一人の人間として、心より願った。




