第57話 愚王謁見
アイリ王国、最奥の間。
門外不出のアヴェールガーデンと違い、ミリティア自身も何度か足を運んだことのある場ではあるが、荘厳な装飾と一際広い空間で形成された、この広間は足を踏み入れる者に圧迫感を与える迫力があった。
昔はここも賑わいを見せ、王族や他国の賓客を招いて盛大にパーティーなどが催されていたのだろう。
しかし今となってはただ広いだけの寂しい広間となっていた。
広間の使用が決まったことで予め給仕役が蝋燭を用意していたのだろう。
壁や柱に設置された燭台に灯された光が、中心を走る赤絨毯を鈍く照らしていた。
見る者が見れば幻想的と表現するかもしれないが、かつての栄光を知る者が見れば変わり果てた姿に無念千万の想いに耽ることだろう。
国の主要施設の一つでもあるため、最低限の整備や清掃はされているものの、建造物の老朽化までは修繕しようがないらしく、所々にヒビが走っていた。
大勢の人間が立ち並ぶことを前提に設計された最奥の間に、ポツンと現国王たるケルヴィンと、ミリティア、ベルゴー宰相が列席している様子は何とも奇妙なものだった。
「討伐任務、ご苦労だった」
数段高い玉座に座るケルヴィンから労いの言葉が投げかけられ、頭を下げて膝をついていたミリティアが「ありがとうございます」と礼を述べた。
空気を遮る存在がいない閑散とした広間のため、声が反響して鼓膜に届く。
「女王蟻討伐の証については、研究室に鑑定させて本物であることを確認した。一日二日で砂中に潜む魔獣の主を討伐したその功績、私は非常に誇らしく思う。他国にも同じことを成せる猛者はそういないだろう」
「恐縮です」
証とは、女王蟻の脚のことだろう。
研究室、となれば立証したのはルケニアなのだろうが、彼女自身もサリー・ウィーパの女王蟻なんて見たことがないだろう。根拠も実績も薄い中、知識だけで王を納得させるだけの口上を立てるあたり、流石だと言える。
「その功績を讃え、何か褒美を取らせたいところだが・・・今のわが国の情勢は知っての通り。物流や生産に余裕があれば、望みの物を与えることも叶ったのだが・・・私が与えられるのは形なき勲章と名声ぐらいだ」
「いえ、とんでもございません。私にとってこれ以上ない誉れであります」
ミリティアの澄んだ声が、最奥の間に涼風のように通り抜ける。
今まで目を閉じて控えていたベルゴーは、片目だけ薄く開き、王前に跪くミリティアの様子を観察した。
(・・・何か雰囲気が先日と異なったような? どこか晴れ晴れとした――透き通ったような印象を受けたが、気のせいだろうか)
ベルゴーは違和感の正体を心中で明確に言葉に出来なかったことにもどかしさを覚えたが、謁見の場であることも踏まえ、すぐにケルヴィンとミリティアのやり取りに意識を戻した。
「それは助かる。勲章に関してはあー・・・昔に用途別に造られていた在庫があるから、後日担当の者から選別した上で相応しいものを贈ろう」
開始してまだ十分も経っていないのだが、そろそろ真面目モードに飽きてきたのか、語調が砕けてきた感が否めない。
玉座上での姿勢も斜めに崩れ、足も開いてきたことから彼の王としての資質も伺えるところだった。
三人だけの少人数謁見とはいえ、公的な場なのだ。王としては状況がいかなる場合であっても、国の代表たる王として対応すべき時には、決して懈怠と判断される態度を取ってはいけない。それが徹頭徹尾できないあたり、王として――責務ある存在としての最低限の育成をも受けていないことが良く分かるシーンでもあった。
因みに王が口にした「担当の者」もルケニアを指している。
代名詞を別々に使い分けるだけで、まるで複数の人間がそれぞれの仕事を請け負っているように聞こえるのだから言葉と言うのは面白い。
しかし勲章授与に対して、在庫だの他者から贈るだの言っている時点で、ケルヴィンの本件に対する誠意さが知れたものとなる。
もっとも慣れも含めて、そんなことで腹を立てることもなく淡々とミリティアは謁見を進めて行った。
「ありがとうございます」
恭しく礼を返す。
「今回の件について過程は宰相から聞き及んでいる。下手をすれば私の命にもかかわる危機だったそうだな。それを未然に防いだとあれば、式典でも開き、盛大にその働きを讃えてやりたいところだが・・・先も言った通り、余裕がなくてな」
「はい、存じております」
「そうかそうか。ま、国のために働くのが先兵たる勤め。その役目を存分に果たすことは当然のことではあるが、きちんとした自覚を持っていることに私は安心したぞ」
「ありがたきお言葉です」
ミリティアは姿勢を変えずに静かに言葉を返す。
その二人の様子を見ているベルゴーも態度は変えずとも、内心で頭痛を堪えるように苦心していた。
「・・・」
ケルヴィンの言葉の節々に利己的な内容が幾つかあった。
王政において国王が国の象徴であり、要であることは間違いない。故に王の身を一番に考えるのは、王自身も側近や兵も国民も同様だ。
しかし人間とは建前や正論だけでは真っ直ぐに歩けない生物だ。その集合体でもある「国」ともなれば、そのブレ幅は比例して大きくなる。
ミリティアは自制と献身の心が強いため、特に問題なく会話は進行するのだが――もしこれが全ての民草の前で発言された内容だったとしたら・・・不信感を募らせる者を多く生み出すことになる。
過去、王政や君主制の国が傾き、倒れる際の大きな要因は「不信」である。そういう意味ではアイリ王国は傾いてはいるものの、不思議なほどギリギリのところで踏ん張り続けている。反旗を翻すほどの気力も残っていないのか、まだこの国に何かしらの期待を抱いているのか――それは定かではないが、国と民がそれほど密接に関わりが無いことが逆に功を奏しているのかもしれない。
いずれにせよ、ケルヴィンの発言は民から「不信」を買う危険性のあるものが多い。
自分のことばかりを考える国主は裏を返せば「いざという時、国や民を切り捨てることを厭わない」という印象を持たせるからだ。
ベルゴーはケルヴィンを表舞台にあまり出さずに国政をコントロールしようと努めてきたが、その根回しに忙殺され、ついぞ今に至るまで彼の国への姿勢を正す切っ掛けを持つことはできなかった。
それに対する「後悔」と、アイリ王国に残された数少ない有望な人材であるミリティアに敬意の欠片も感じられない口調に「焦燥」を覚えてしまうのは仕方がない事だろう。
ベルゴーは胃がキリキリと痛むのを堪えつつ、ケルヴィンが以降、相手の不信を買う言動を滑らせないよう祈ることと、ミリティアの反応を注視していった。
(ミリティアが出向いた討伐と、かの無名の国家た誕生したタイミングは偶然とは捨てきれぬほど一致している・・・。さらにルケニアの魔導機械で確認したところ、場所の方角も近しいものと想定されている。彼女に謀反の兆しは見られなかったが・・・警戒するに越したことはない、か)
ミリティアの様子はベルゴーから見て、特に不審なようには見えない。
挙動も落ち着いているし、迷いや戸惑いも一切感じられない。
だが逆にそれが怪しくもある。
少なくとも数日前に地下浄水跡地で謎の魔獣の襲来、そして同時期にサリー・ウィーパの問題や未知の魔獣が近郊に出現した件。ましては女王蟻討伐もあり、この数日は近代稀に見る慌ただしい日々だった。そしてその渦中はまだ続いているにも関わらず、彼女はやけに落ち着いているように見える。
(もしや・・・彼女の中で何かしらの結論が出て――迷いが無くなった? それが国への忠誠の翻意だとしたら? 彼女が敵となった場合、我々に打つ手があるのか・・・。ギリシアら隊長格、一般兵や近衛兵、最悪は水牽き役も全て集めたとしても、白兵戦で彼女を止められる人間はいないだろう。可能性があるとすれば、魔力切れへ縺れ込ませる持久戦ぐらいだが・・・)
考えれば考えるほど、悪い方へと思考が落ちていく。
ベルゴーは眉間に皺を寄せつつも、願わくば彼女が敵になる展開だけにはならないよう祈った。
そんなベルゴーとは異なり、自分が国の支配者であるという事実が絶対的な盾になると思い込んでいるケルヴィンは何ら焦燥感も見せずに、話を続けた。
「さて余談もここまでにして、だ」
「――」
話の内容を変えようとするケルヴィンの言葉に、ようやく「本題」に入ると踏んだベルゴーが身を僅かに固くさせた。
「実はだな・・・今、我が国ではちょっとした混乱が生じておる」
「は・・・付近で新たに発生した国家のことでしょうか?」
「っ・・・」
すんなりと核心を口にしたミリティアをベルゴーが驚いたように目を開いて見つめた。
「ほぅ、知っていたか」
「はい、副隊長のモグワイより聞き及んでおります」
「そうか。なら話は早いな」
スッとケルヴィンの視線が細くなり、疑念を隠そうともせずに金髪の女性を見下ろした。
「アレはお前がやったのか?」
「いえ、違います」
即答。
透き通った言葉に嘘は感じられない。
「・・・証拠は?」
「ありません」
保身のために言い訳を言える質問をケルヴィンがしたが、ミリティアは短く正直に回答を返した。
面白くなさそうにケルヴィンは舌打ちし、苛立ちを見せた。
「・・・質問を変えましょう。ミリティア、貴女はこの話をモグワイから聞いたと言いましたね?」
感情的になりかけた王を諫めるように、ベルゴーが質問役を買って出る。
「はい」
「・・・その話を『知った』のはその時ですか?」
「・・・」
――初めて。
初めてミリティアが少しだけ言葉を選ぶように口を結んだ。
だがその逡巡も一瞬。彼女はすぐに言葉を口にした。
「いえ、討伐の際に知った――というより、その場で目にいたしました」
『――っ!?』
あまりの回答に二人は言葉を喉に詰まらせた。
「ハッ、ハハッ! つまり何か? お前が・・・我が国を裏切って独立を目論んだと! そういうことか!?」
沸点が低いケルヴィンは一気に感情的になり、まくし立てるようにミリティアに言葉を投げかけた。
「陛下、お待ちください・・・!」
感情をむき出しにする話し合いほど、時間の浪費は無い。
ベルゴーは長い人生の中でその不毛なやり取りを何度も経験していたため、即座にケルヴィンを抑えるよう動いた。
前傾姿勢になりかけたケルヴィンだが、その出鼻を早々に宰相に砕かれたことで、力の入れ方が分からなくなり、何か言おうとしても言葉が思いつかず、結局は歯がゆい表情を浮かべつつも玉座に背中を預けた。
その様子に安堵しつつもベルゴーはミリティアに質問を続けた。
「その場で目にした、と言いましたが・・・貴女はその国が誰のものなのか知っているのですね?」
「――はい。国主はリーテシア=アロンソ。彼女と共に国に属した人物は、ヒザキと言う者です」
「リーテシア? 誰だそれは」
聞きなれない人物名にケルヴィンが不愉快そうに返す。
「リーテシア・・・という人物は記憶にありませんが、ヒザキという名には覚えがありますな。数日前、山岳側で魔獣に襲われた子供たちを救った異国の旅人ですな」
「はい。そしてリーテシアはその際に救出された子供の一人です」
「こ、子供・・・!? 子供が国有旗を所持し、新たな国を建てたというのですかっ・・・?」
全く予想だにしなかった事実にベルゴーは思わずこめかみに指をあてた。
「なんだ・・・全然意味が分からないぞ」
「ミリティア、リーテシアという子は何処で国有旗を手に入れ、何故国家を誕生させたのか。教えてはくれませんか?」
ケルヴィンの言う通り、まだ情報が欠如しているため、ベルゴーが整理するための情報を追及する。
ミリティアも一つ頷き、続けた。
リーテシアの新国家。
ヒザキの立ち位置。
ベルモンドらが持ち運んでいた国有旗の存在。
新たに発見されたオアシス。
絶滅したと思われていた「砂蟹」の発見。
――そして小さな女の子が今の国を憂い、未来と現実を苦慮した上での決意。
ミリティアがあの場で見て、感じて、心に重く受け取ったその全てを事細かく、王と宰相に伝えた。
先ほどまで質問されたことに対して回答するだけのスタンスだった彼女が、自分から次々と伝えたい言葉を並べていく。
その国は敵対すべき存在ではないと。
共存し、協力し、共に手を取り合って歩むべき存在であると。
ミリティアはリーテシアの想いが無碍に扱われないよう、誤解が生じないように語順に気を払いつつも、丁寧かつ真摯に語った。
「・・・」
「・・・」
ケルヴィンもベルゴーも無言で聞き入る。
最初こそオアシスや砂蟹の存在に驚きや追及が止まなかったものの、徐々に頭の整理がついていき、今は冷静にミリティアの言葉の一つ一つを情報として受け止めていた。
話はいつの間にか数十分にも及んだ。
この窮地に立たされた国に、そんな想いを抱いた子供がいたことに感銘を受けたのか、ベルゴーはやや目尻を潤ませながら話を心にとどめていた。
しかしどんな場所にも心が渇いた人間はいるものだ。
人の感情などは二の次で、まずは自分とその周囲に益が無いと我慢ならない愚者。
それが国のトップに居座っているのだから、中々に手に負えないものだ。
ケルヴィンはミリティアが話す最中に手を上げ「あぁ待て待て」と中断させた。
ミリティアは途中であったにも関わらず、王の言葉に従い、従順に口を閉ざした。
「先に結論を決めておきたいんだが・・・要するにその場所は我が国の物になる、ということでいいのか?」
「・・・」
「は?」
ミリティアは無言、ベルゴーは心を動かされていた反動か、思わずその台詞に素の返答をしてしまった。
「へ、陛下・・・? 今の話を聞いておられたのですか?」
「ん? ああ・・・だからうちの国の人間がオアシスのあるとことに国有旗を立てて、陣地取りをしてくれたわけなんだろ? 他国に先に見つかっていたら危なかったところだ。そういう意味では素晴らしい働きと称賛をくれてやってもいいな」
「で、ですから・・・あくまでもう一つの国として確立させ、我が国と条約を結ぶことで調整役として――」
「お前は何を言っているんだ?」
「なっ・・・」
まるで馬鹿を見るような冷たい視線で宰相を見下す王。
「そこに我々が手にすべき物資が存在するんだ。であれば我が物にするのは当然のことだろう?」
彼が言う「物資」とはオアシスの水や砂蟹のことだろう。
「っ・・・」
その考えは間違いではないのだろう。
国が苦しんでいるのであれば、救うための手立てを考えるのが王たる勤めでもある。
その手法が仮に「奪う」ものであっても、民を救うためなら正義の旗を振りかざして実行すべきなのだ。
それが戦争の火種になるのであれば、慎重に事を構えるべきなのだろうが――今回の相手は子供と大人の二人だけの領土だ。そこらの村よりも制圧は容易いと踏んでのことだろう。
「ミリティア、早速だがその子供をここに呼べ。話がつき次第、オアシスの水を輸送する段取りをつけ、実行に移せ」
「・・・」
王の考えは既に「その場所はわが物」という軸からブレないようだ。
ミリティアは下唇を下で湿らせてから、意を決して彼女にしては珍しい上への「意見」を述べた。
「陛下、リーテシアはそれを望んではおりません」
「私が望んでいる。それで十分ではないか?」
「彼女は国有旗を地に突き立てた瞬間から、我が国の人間ではなくなりました。今は一国の主。その発言や想いを無下にしてはいけない存在です」
「はぁ? たかが餓鬼の思いつきだろ? なぜそんな相手に敬意を払わなくちゃいけない」
「・・・連国連盟の法令の一節に『国として成立したと見做された国家は、その規模に関わらず全て対等のものとする』とあります」
「オイオイ、そりゃ連国連盟に加盟している国だけの話だろ? 俺に連盟から何の連絡もなしにこんな事態になってるってことは、当然無許可ってわけだ。無加盟の扱いなんて数世紀も前例がない話だが、ま、連盟の後ろ盾が無いってことは裏を返せば・・・好きに対処していいってことだろ」
「ですが国有旗による建国は、連盟への加盟とは別に国としては成立しています。一国に対してあまり過度な干渉を行うのは・・・」
「別に国として扱わないとは言っていない。あくまで対等な存在として交渉するだけの話だ。だから言っただろ? 『話がつき次第』ってな」
「・・・」
「・・・」
何故こんな時に頭が回ってしまうのか、という感想がベルゴーの脳裏に浮かんだが、口に出さずにそっと胸の内に納めておいた。
既に一人称も「俺」に変わっているケルヴィンは、どうやら王という猫の皮を被るのを止めたご様子だ。
言葉の勢いに乗せられて、気づけば玉座から立ち上がっているケルヴィンは両手を大きく広げて、ミリティアに言を飛ばす。
「元々サスラ砂漠は我が一族の庭。庭の管理が面倒だったから一度は自然に返しただけであり、俺が治めるべき土地である事実は何ら変わらん。国有旗だの領土だの、連盟が間に入った為に仕組みや形に囚われがちだが・・・その事実だけは何人たりとも歪ませることは叶わんのだ。話し合いはする。だが結論はもう話し合いの前から決まっている。それを肝に銘じておけ」
「・・・」
こうなることは分かっていた。
分かっていたが正直なところ、一縷の望みを持っていたのも確か。
それが砕かれ、想定通りの道へと進んでいったのは残念だが、王の意向が揺るがないのであれば国が進む道は決まったも同然だ。
ミリティアは小さく呼吸を整えてから、静かに顔を上げた。
「もし――もし、リーテシアが・・・彼の国が陛下の提案を飲めない場合は?」
「是非もないだろう? 結論は変わらないと言ったはずだ。であれば結論から逆算して必要なことはなんだ?」
「・・・武力行使、ですか」
「その通りだ。たかが二人だけの国なんぞ大国たる我が国が踏みつぶせば粉々になるのが道理。蟻と象の戦いなど戦いとは呼べぬが・・・曲がりなりにも相手も国を名乗る輩だ。抗うのであれば蹂躙という末路を刻むことになろうと、避けられない衝突になるだろうな」
「そう、ですか」
「なんだ、向こうに肩入れする気か?」
ミリティアの態度が気に食わなかったのだろう。
ケルヴィンは一歩近づき、つまらなさそうな表情で跪く彼女を見下ろす。
「いえ滅相もございません」
王の不機嫌を肌で感じてもミリティアは微塵も揺るがず、真っ直ぐにその視線を見つめ返した。
「・・・ふん、まあよい。そうならないために話し合いの場を設けようと言うのだ。慈悲だよ慈悲。その施しを受けるかどうかは勝手だがな」
「畏まりました。では代表であるリーテシア様、その従者であるヒザキ様に、その旨のお伺いを立てようと思います」
「ああ」
「ハッ」
ケルヴィンの意向を受け取り、ミリティアが肯定の意を表する。
(リーテシアさんの想いとはやはり逆に行ってしまいましたか・・・)
横目でベルゴーに視線を送ると、それに気づいたベルゴーが困ったように肩を竦めていた。
少なくとも彼の考え方は、自分やリーテシアに近しいものであるようだ。
元々「そうなるだろう」という予想は立っていたので驚きこそないが、それでも悪意の無い相手と敵対の意志を示さなくてはならないのは心情的に辛いものだ。
ミリティアはそのチクリとする痛みを表情に出さずに、一礼の後に立ち上がった。
「それでは早速行動に移りたいと思います」
「いや待て」
ケルヴィンの言動から察するに、早々に行動すべきと判断した上での言葉だったが、ケルヴィンはそれに待ったをかけた。
何事かと思い、ミリティアは次の言葉を待つ。
数秒、考える素振りをした後、その口が開いた。
「よくよく考えれば、なんで俺がわざわざ話を聞いてやる必要があるんだ?」
「・・・はい?」
意味を理解する前に、迂闊にも疑問が声となって出てしまった。
「気が変わった。相手はたったの二人で一方は元国民だ。そんな少数派のために俺が時間を割く意義が見いだせない。その国の主が元我が民なら、俺の意見を尊重し、付き従うのが世の摂理ではないのか?」
「へ、陛下・・・?」
ミリティアとベルゴーは汗を浮かべながら、暴論とも呼べる結論を導き出した国王陛下を見た。
「そうだ・・・その考えの方がしっくり来るな」
一人でうんうんと頷きながら、自分の中での正解に納得する。
「ミリティア、話し合いは無しだ。すぐに俺のオアシスの場所に軍を向け、占拠しろ。必要な人材は任せる。水牽き役も連れて行って、帰路につく際には可能な限り水を持ちかえる様にも指示しろ。あとは・・・そのリー・・・、あー子供だったか? 本来あってはならないことだが・・・特別に我が国に再び属すことを許そう。それを条件に話をつけておけ。国を出た者が再び国に戻ることを無償で許すのだ。それ以上の喜びはあるまいて」
「・・・・・・・・・」
オアシスは既に自分のもの。
そしてアイリ王国という自分の領土が全てという考えが全面的に出た台詞であった。
ミリティアは先ほど、リーテシアの考えや想いを言葉にして伝えたというのに、既に忘却の彼方にあるようだ。自分に都合の良い展開ばかりを優先した結果の矛盾だろう。
「陛下! それはいくらなんでも勝手がすぎますぞ!」
さすがに宰相も声を大きくして異論を唱える。
「はぁ? 勝手もなにも俺の国を勝手にして何が悪いんだ? むしろ待ち望んだ水が手に入るんだぞ。俺の采配に感謝こそあれ、異を挟む余地など微塵もないだろう」
「で、ですが・・・それではあまりに人権を蔑ろにしすぎでは・・・!」
「だーかーっら! 人権っつーのは連国連盟が設けたもんだろうが。連盟が作ったもんは全部適用されないんだから、人権も糞もないだろう」
イラついて語気を荒げるケルヴィン。
彼の言うことは確かに正論ではある。が、机上だけの話では国が持たないことを危惧しているベルゴーとしては、その正論は素直に受け取れないものであった。
民とは人であり、人とは感情で動く生き物だ。理論や根拠は人が感情を抑制するためのルールであって、決して心と直結しているわけではない。ルールに則ることで人は統制を計ろうとするが、過度な締め付けは人の負の感情を焚き付けることになる。結果、ルールの枠そのものを破壊しようとする暴挙へと発展し、内紛などの争いを招いてしまう可能性もあるのだ。
とはいえ、そんなことを今の王に説いたところで逆効果になるだけだろう。
ベルゴーが正論と現実のジレンマに悩む間にも、ケルヴィンは話を続けていった。
「本来であれば淘汰されても文句は言えんのだぞ。それを再び国に向かい入れてやろうという優しさを見せてやっているのだ。それで文句の一つでも出るのであれば、もはや反逆以外の何物でもない。俺の民への慈愛を踏みにじったことになるのだからな」
彼にとっては譲歩とも言える待遇なのだろうが、相手の思惑を踏みにじった一方的な待遇はむしろ苦痛でしかない。そのイメージが彼には想像できないのだろう。王としての教育を受けず、父であるフス王が床に臥せたことによる成り上がりで進んできてしまった弊害とも言えるだろう。
彼は生まれてこの方、不自由しかない国で唯一「自由」に生きてきた人物なのだ。
微々たる物資の大部分は彼によって浪費され、その余波を全ての国民が節制することで耐えてきた。
それが当然であり、常識である。
それが王の特権であり、王の役目である。
故に自身に益のある事象は国にも益となり、自身に都合の悪い事象は国にとって不利益となる。そういう思考が凝り固まってしまっているのだ。
その傾向は彼と接点がある人間は皆、知るところではあったが――オアシスや新国家などの爆弾が落ちた時にここまで過剰反応するとは思わなかっただろう。
ミリティアもベルゴーもあまりの発言に、互いに目配せするも何も言えずにいた。
「ふん・・・王の決定は絶対だ。何を躊躇しているのか知らんが、決定したからには速やかに従ってもらうぞ。俺への報告は今後、最善の結果だけで良い」
話は終わったと言わんばかりに、ケルヴィンはミリティアの横を通り過ぎ、最奥の間の出口へと足を向ける。しかしまだ言い足りない部分があったのか「ああそうだ」と再び歩みを止めて振り返る。
「お前は白兵戦においては無類の強さを誇るらしいな」
「そ、そう――評価を頂くこともございます」
「そうか。ふむ・・・そうだな。ただ像が蟻を踏みつぶすだけの見世物など、つまらないことこの上ないからな。此度の件は非常に稀有な事態でもある。人生において一度あるかないかの珍事だろう。さすれば趣向を凝らして余興を設けるのも一興よな」
(また・・・話を変えるおつもりか!?)
ベルゴーが愕然と口を開けて、王の一転二転しようとする考えに絶望感に等しい感情を抱く。
「相手は二人・・・それも片方は子供だ。もう一人は魔獣を撃退する程度には強いのだろう?」
ミリティアにとって彼は「強い」という表現で推し量れる存在ではなかったが、それを言葉で説明するのも難しいため、ここは「はい」とだけ答えるにとどめた。
「大方そいつがいるから、子供も背伸びをして勘違いしたのだろうよ。であれば、だ・・・そいつを正式な場で痛めつければ、子供も泡沫から目が覚めるというものよ」
ケルヴィンは嫌らしい笑みを浮かべながら、自身の計画に満足そうに頷く。
彼が何を言いたいのか、ミリティアは若干予想がついてきた。
「ミリティアよ、オアシスを占領する前にその男、だったか? そいつと一戦を交え、我が国の砂の味をたっぷりと堪能してもらえ」
「・・・正式な場で、ですか?」
「その通りだ。場所はそうだな・・・お前が戦いやすい場所であれば城内でも構わん。観客は興味のある者であれば誰でも構わん。その辺りの調整は全て宰相に任せよう」
『・・・』
何度目かになるミリティアとベルゴーの視線の交錯。
今度は驚きや焦燥というより、一筋の光が見えたという希望の表情だった。
「陛下。正式な場、ということでしたら・・・体面的には『国と国』との出来事、という位置づけになりますが・・・」
ベルゴーの言葉にケルヴィンは少し考え、
「まあ、そうだな」
と安易に答えた。
「先ほどは私も取り乱したりしてしまい、申し訳ありませんでした・・・。今は私も陛下のお考えに賛同しておりまして、その上で一つご提案を。完膚無きまでに彼の国を無力化するのであれば、連盟側も巻き込んだ上で『正式』な国家間の契約の元、ねじ伏せるのが妥当かと存じます」
「ほぅ、それはどういう意味だ?」
ベルゴーが「わざと」物騒な物言いでケルヴィンの興味を引いたことは本人も露知らず、彼は興味を示して話に乗ってきた。
「いえ・・・さほど深い話でもありませんが、連国連盟は事実上この世界全てを統制する国際機関です。連盟で結ばれた条約を反故することは世界中の国を敵に回すも同じとも言えます。此度の件、連盟側にも認知させることができれば、誰であってもその結果に文句をつけることはできないでしょう」
「なるほどな。しかし連盟側にこれから一国に攻め入る旨を認可させようと思ったところで、議会の開催から決議に至るまで時間がかかりすぎるぞ? それに他国に情報が行き渡ることで、先手を打って出る国もあるだろう。そうなっては我が国の損失は計り切れないことは分かっているな?」
「ご尤もです。ですので連盟の議会を通すのではなく、あくまでも『認知』させるのです」
「・・・続けてみよ」
ベルゴーの言葉の一つ一つにケルヴィンは惹きこまれるようにのめり込んでいく。
表情は平静を装うとしているも、その端々から漏れる興味心は隠しきれていない。
「はい。幸い連盟の条約においても『国』とは国有旗の魔力の波動が届く範囲を差し、予め連盟の承認を得た人間が国有旗を使用しなくてはならない、という制限はございません。返せば国有旗さえあれば誰でも国を造れ、誰でも王や君主として降臨することができる、ということになります」
「そんなことは分かってる。だから相手を国として扱うと言っているのだろう」
「はい、その『国として成立している』というのが大事でして――連国連盟への加盟の有無に関わらず、議会で討議にかけられた事案を除けば、国家間同士で結ばれた約束事は当事者同士の約定として成立します。そこに連盟が介入することは現状、特に定められてはいません。となれば先に我が国と彼の国、双方で約定を締結し、その契約に基づいたやり取りを行った後に連盟に報告しては如何でしょう」
「――ほぅ、つまり形として残しておけば、事後の報告であったとしても今回の件は連盟も知る正式な出来事として認知されるわけだな」
「その通りです。結果がどうあれ・・・互いに同意を示す約定の存在が最大の証人になるわけですな」
ベルゴーの言葉にケルヴィンがプッと吹き出し、次第に腹を抱えて笑い出した。
「くっくっく・・・ハハハハッ! なんだ宰相。お前もとんだ知恵が回るじゃないか!」
「いえ・・・」
控えめに頭を下げるベルゴーに、ケルヴィンはなおも笑い声を浴びせた。
やがて笑いが収まると、ケルヴィンは目尻の涙を親指で払いながらミリティアを見た。
「では早速約定を結ぶための書面を用意しろ。内容は――さっき俺が言ったことに準じていたら良い。準備が済んだら王印を押すから俺の元に持って来い。こちらの署名が済んだら、後はあっち側の署名だけだな・・・その辺りは上手くやれよ」
「・・・・・・ハッ」
ミリティアの返事に満足げに笑みを浮かべる。
そこでベルゴーが補足を挟めた。
「陛下、最後の確認事項ですが・・・国家同士の約定ともなれば双方に偏向の無い条件提示が必要となります」
「ん?」
「こちらの要求は言うまでもなく領土の譲渡となりますが――向こうの要求はまだ分かりませぬ。それを確認した後に互いに署名を記すかどうかの判断に入る形になるかと思いますが・・・」
「あちらの要求? 子供を無償で我が国に向かい入れる、というのでは駄目なのか?」
「お言葉ですが・・・公平を尊ぶ、連盟議長の思想に引っかかるかと」
「ぅ・・・アイツか。別に無碍に扱うわけでもないというのに面倒な・・・!」
「陛下、まずは要求を互いに埋めた上で書面をご用意いたします。その内容を確認の上、署名を記していただければと思います」
「分かった分かった。それじゃさっさと用意してこい」
「畏まりました」
深いお辞儀。
ケルヴィンも面倒そうにするものの、この方針で概ね異論はないようだ。
先に人権の話をしたばかりだというのに、多少別の要素を織り交ぜて同じ話をすれば、すぐに結論が揺らいで話に流される。ケルヴィンの王としての資質は、その性格もたるや自身の思想に一貫性がないことも大きな要因と言えるだろう。
「ああ、あと――ミリティアよ、お前には今回の褒美として勲章を与えると言ったが、此度の件を無事片づけたら、もっと大きな褒美をくれてやろう」
「・・・?」
今度こそ終わったかと思ったが、まだケルヴィンは話が残っているようだった。
同時にケルヴィンの視線がミリティアの目ではなく、胸部から腹部、下肢へと纏わりつくように見ていることに気づく。
思わず後ずさりしてしまいそうになる不快感をミリティアはグッと堪えた。
「ああ喜べ。失敗することはないだろうが、この件が片付いたらお前を俺の女にしてやる」
「・・・・・・・・・はい?」
聞き間違いかと思い、素で聞き返す。
「だから俺の愛人にしてやるって言ってやってんだよ。正妻は・・・まぁどこぞの王族になるだろうからな。だが安心しろ・・・俺は愛人も等しく愛してやれる自信があるぞ? 王の傍で余生を暮せるなど、凡人には想像すらも許されない贅沢だ。もっと喜べ、ハッハッハ!」
謎の人生プランを叩きつけられ、さすがのミリティアも上手く笑みを浮かべられなかった。
ベルゴーに至っては無表情で固まったままだ。
この国の現状を理解していないのか、目先のことしか頭にないのか、まだバラ色の人生を歩めると慢心しているようだ。
「は、はぁ・・・」
何とか絞り出した声もケルヴィンの笑い声に掻き消され、ミリティアの端正な顔に曇りが差す。
「さて・・・俺は部屋に戻る。約定の書面が出来たら早々に持って来い、いいな」
「は、はい」
辛うじてベルゴーが放心からいち早く戻るものの、歯切れの悪い返事となってしまった。
何とも言えない空気を残したまま、王は最終的には満足げに最奥の間を後にした。
「・・・」
「・・・」
ベルゴーとしては彼女の弁を信じるのならば、ミリティアが敵勢力でないという事実を確保できたことを喜ぶべきだろう。アイリ王国の最高戦力を失うことは国を大きく傾かせる要素として申し分ない。裏付けが取れていないことは不安要素だが、まずは彼女自身の言葉で否定の意を得たことは大きい。
だが、そのことを喜ぶ前にケルヴィン国王陛下の予想を斜め上に行く考えに、未だ整理が追い付かない。今まで内政に関しては我関せずの姿勢だったため、王としての資質は疑問視されていたが――あくまでもそれだけの話で留まっていた。形や経緯はどうあれ、今回のように他国との強い干渉を持たなくてはならない状況になった時、彼が想像以上に攻撃的な思考になることは本当に予想外だったと言える。
そして、最後にはあの発言だ。
ベルゴーはチラリと横目で隣の女性を見る。
失礼な物言いになってしまうが、この国の人間はほぼ全員が栄養失調を抱えている。その度合いは人によって疎らにしろ、総じて痩せ細った人間が多い。加えて砂漠に隣しているという環境から、肌は乾燥し、髪は枝毛ばかりになり、皮膚がひび割れて服に血をにじませる者も少なくは無い。
ライル帝国へ軟膏などの配給を申し入れたこともあるが、向こうの魔獣との戦時中であるため、こと薬剤に関してはシビアな面もある。そういった背景から乾燥や食糧不足については一向に改善する手立てが見つからない状況だった。
そんな中で、ミリティアという女性は良い意味で異彩を放っていた。
他国の男からも注目されるほどの美貌と、健康体を維持しているというのが大きな要因だろう。
体が資本である兵士たちには国民よりもやや多めの食事を配布している事実はある。だが、あくまでも国民に比較すればというレベルで、一般的な食事に比べれば圧倒的に少ない量だ。
初老のベルゴーでさえも「少ない」と感じさせる量だというのに、同等の食事で激務に励むミリティアは常に健康を保っているのだ。その秘訣は全く持って不明だが・・・もしかしたら彼女のデュア・マギアスとしての才能が何かしら関係しているのかもしれない。
何はともあれ、彼女は自国・他国からも美貌とその戦闘力に大きな評価を得ている。
ケルヴィンが目を引くのも分からなくもないが――あまりにも唐突すぎた。
またミリティアという女性は、華よ蝶よと愛でられることを夢見る少女と異なり、自分の理想を堅実に持っている心の強い女性だ。あのような下賤な誘い方をされれば気を大きく悪くしてもおかしくはない。
(先ほどの陛下の言葉が原因で彼女の反感を買い、彼の国側についてしまうようなことにはなるまいな・・・)
一筋の汗を頬に流していると、不意にミリティアが口を開いた。
「ベルゴー様、先ほどはありがとうございました」
「むっ――、あ、いや・・・何のことでしょうか?」
色々と頭を回していたため、突然話しかけられて思わず狼狽してしまう。
「陛下のお考えを誘導していただいた件です」
こちらを見上げる彼女の瞳には既に動揺の色は見えなかった。
割り切ったのか、気にしていないのか。
真意は分からないが、少なくとも今の彼女は陛下の愛人になるか否かは、思考の外に置いているように見えた。それを察したベルゴーは咄嗟に思考を切り替えて対応する。
「ああ・・・、約定についてでしょうか?」
「はい、お陰様で一筋の光明が見えました」
「・・・咄嗟ではありましたが、私の判断が正しかったのかどうか――正直分かりかねておりますな。途中、貴女の目を見て・・・貴女の中に光があるのを見て判断した結果ではありますが、あれで宜しかったのでしょうか?」
「はい。国家間同士の約定の上に成り立った出来事ならば、結果がどうであれ――覆すのは自身の顔に泥を塗るのも同じ事です。つまり双方の署名さえいただければ、リーテシアさんの想い・・・そして我が国にも長い未来を築くための一歩が踏み出せるはずです」
「・・・その子の想いは尊きものでしょう。ですがたったの二人では何が出来るのか――正直、私には不安しかありません。想いだけで国を変えられるほど、国とは軽くないのですから・・・。そもそも最初の壁からして高すぎると思っておりますぞ。貴女に一対一の戦いを挑んで勝てる者がいるとは思えない」
約定を交わすということは、ミリティアとヒザキが戦うということ。
そして勝利した方の条件を呑むという誓約だ。
ベルゴーからすれば、彼の国に「可能性」こそ残したものの、結局はこの判断の先に待つのは変わらない未来でしかない。
だからこそ、その判断に意味があったのか。
彼の国がアイリ王国に飲み込まれることは避けられないにしろ、オアシスを発見した二人にも良い待遇を載せた上で平和裏に収められなかったのか。
そういった想いが巡り巡って疑念として浮かんでは消えていくのだ。
そんなベルゴーにミリティアは迷いのない口調で、何処か嬉しそうに言った。
「問題ありません。むしろ――壁を高く感じるのは私の方ですから」
「それは一体――」
どういうことか、と聞こうと思ったが、ミリティアの微笑みがあまりにも清々しかったため、ベルゴーは理屈抜きで「問題ない」と思わせられてしまった。
宰相がそんなことで丸め込まれては話にならないのだが、不思議とこの時、後のことは彼女に一任しても大丈夫だと確信に近い感覚を持ってしまった。
(少し・・・委ねてみるのも、良いのかもしれぬな)
自身の経験からでは導き出されない何かが、彼女にはあるのかもしれない。
そう考えたベルゴーは「分かりました」と答えた。
「約定に関しましては私に任せてください。お二人も国内に戻られているのですか?」
「はい。リーテシアさんの孤児院にいらっしゃるかと思います」
「孤児院・・・なるほど。では、事情の説明と約定の取り付けに関しては私が進めておきたいと思います。貴女は討伐から戻られたばかり。お疲れでしょう? 少しばかり休まれるといい」
「――・・・ありがとうございます」
一瞬、断ろうかという仕草を見せたが、彼女は言葉を飲んで感謝を述べた。
「ではこの場は解散といたします。戻って早々申し訳なかったね」
少しだけ崩した口調に、小さくお辞儀をするミリティア。
そのまま踵を返す彼女だが、その横顔が一瞬だけ沈んだように見えた。
「――」
ミリティアはそのまま最奥の間を背にし、近衛兵の宿舎へと戻っていった。
ベルゴーは腕を組んで、その表情を思い返す。
(・・・気丈に振る舞っても年頃の女性なことには変わりない、か。陛下のあの言葉は私が思う以上に、彼女に大きな傷を負わせているのかもしれないな・・・)
彼女に思い人がいる噂は聞いたことがないが、政略結婚でもなんでもない愛人扱いの命は彼女にとって酷なもの以外何者でもないと思われる。
王の命令は絶対に近い。
それを覆す手は、ケルヴィンを説得する他ない。
そして彼が自分に不利益が生じることを認めることはないだろう。
「・・・報告によると、ヒザキ殿は単身で複数の魔獣を相手に無傷だったと・・・」
ミリティアが語ったリーテシアの思想は、正直なところベルゴーも賛成だった。
ミリティアは多少言葉を選んで話していたが、要はオアシスなんて資源を欲望のまま使っていればすぐに枯渇するのは目に見えているから、新国家という名の調整役を入れて生産・消費をコントロールしようというものだ。
ケルヴィンの指示のまま資源を食いつぶせば、早ければ自分たちが人生を終えるよりも早く資源が枯渇する危険性だってある。後世のことも考慮すれば、それは是非とも避けたいところだった。
であれば。
リーテシアの思想を残すことは命題でもある。
そして可能であれば、まだ若い芽を潰したくないというのも本心だ。
「ヒザキ殿の実力に・・・賭けてみるか」
さて私は今、何に味方しているのか――とベルゴーは自問する。
国の未来のために国王陛下に背くのか。
国の現在のために有望な若い光を摘むのか。
どちらかを選べと言われれば――。
「考えるまでもない、ですな」
ベルゴーは肩を竦めて静かに笑った。




