第56話 かつての師と弟子
「討伐任務、ご苦労様でした」
「ああ、副隊長も不在の間、ご苦労だった」
王城に戻り、近衛部隊の作戦室に足を運ぶと、早々に副隊長であるモグワイが労いの言葉をかけてきた。
ミリティアは短く返事を返し、背負っていた戦利品を壁に立てかけ、小さく肩を鳴らした。
ミリティアは既に頭のスイッチを切り替え、普段の近衛兵隊長としての姿勢に変わっており、男勝りの厳しい口調になっていた。
「・・・やけに騒がしいが、何かあったのか?」
ミリティアは王城に戻り次第、城内の慌ただしい雰囲気を感じ取り、モグワイに事情を問いた。
「ハッ、それが――少々大事になっておりまして」
「説明を」
「実は昨日の夜、というより今日の深夜に譜天鏡図に新たな反応が出まして。情報収集を目的とした部隊編成や、未知の脅威から国を守るための警護強化を主とした動きがベルゴー宰相を先頭に行われている状況です。また、地図に示された点に最も近いのが我が国となりますので、連国連盟から何かしらの聴取、および連盟会議の開催の可能性もあるかと思われますので、その準備等も並行して進めております」
「・・・」
少し考えれば、予想がつく話だった。
国有旗が放つ波動は、各国の譜天鏡図に届く。であればリーテシアが旗を刺した時点で、今のような騒動に発展することは火を見るより明らかである。
(そんなことにも気が回らないとは・・・感覚以上に疲れがあるのかもしれないな)
だからと言って休めるほど時間的余裕はないので、ミリティアは心中で両頬を叩き、自身に喝を入れ直した。
「あまり――驚かれないのですね」
モグワイの言葉に、今度は神経を尖らせてミリティアは思考を走らせる。
「・・・その言い方、既に私が関係している可能性も上がっている、ということか」
「流石です。正直なところ、私としましては短慮も甚だしいと憤りを覚える限りな疑念でありますが・・・一部ではそういう声も上がっているのも事実です」
「構わない。タイミングを考えれば妥当な疑いだろう」
自身が国に叛意を以って独立を図ろうとしたわけではないが、どういう経緯を以って国有旗が起動したかを知っているのも確かな話だ。
(早急にベルゴー様、陛下に報告しに行かねばならないな)
正確な情報が無い状態で錯綜することは、あらぬ方向へ暴走する危険性もあるため非常に危険だ。
理性的な行動を理念とするベルゴーやルケニアは情報収集を先んじるだろうが、未知への過剰な恐怖があふれ出た際に正式な継承を受けずに国王の座についてしまった現国王陛下がどんな命令を下すかは予想がつかない。
ミリティアは小さく息を吐き、モグワイに視線を送った。
「報告に行かれるのですね」
流石は頼れる副隊長だ。
視線だけでこちらの思惑を察してくれる。
「ああ」
自分には勿体ないほど有能な部下たちが、指示せずとも既にサリー・ウィーパ女王蟻の脚を証拠品として謁見の間へ持っていったらしく、ミリティアの手間を省いてくれていた。
「今、部下に謁見可能か確認に行かせております。それまで僅かな時間かもしれませんが、少しでもお休みになられてください」
「・・・そうか、助かる」
モグワイが口にした内容をまさに今、指示しようとしていたところだけに思わず笑みを浮かべてしまった。
お言葉に甘えて、作戦時に座る隊長用の椅子に腰をかけることにした。
するとやはり相当に体に負荷が溜まっていたのか、立っていることで保っていた緊張が座ることで解れ、ミリティアは全身から力が抜け落ちるのを感じた。
「う・・・」
このままではズルズルと緊張が切れていきそうだと感じ、思わず立ち上がろうとする。
が、まるで脳と肉体が切り離されたように、体はろくな反応を返さず、そのまま背もたれに圧し掛かる恰好のままとなってしまった。
「お疲れのようですね」
モグワイが小さく笑みを浮かべていることに気づき、ミリティアは少しだけ恥ずかしそうに「そのようだ」と肯定した。
そのまま数分、無言の時間が過ぎていき、やがて口を開いたのはモグワイの方だった。
「少し――柔らかくなられましたね」
「?」
突然投げかけられた言葉の意味が分からず、ミリティアは「柔らかい」という現象が当てはまりそうな二の腕を手で確認する。
「・・・自分では分からないものだが、私の筋力がやや衰えた、という意味か?」
「いっ、いえ・・・」
全く意図が伝わらず、見当違いな返しが来たことに戸惑いつつ、咳払いをしたモグワイは気を改めて言い直した。
「そうではなく――表情が柔らかくなった、という意味です」
「表情が?」
「はい。心なしかお言葉遣いも数日前より角が減っているようにお見受けしております」
「・・・そんなに普段の私は角ばっていたか?」
「・・・・・・念のために申しあげますと、物理的に、という意味ではありませんよ?」
「わ、分かっている」
一瞬、自分の頬をつまもうと右手が動いたが、慌ててミリティアは椅子の脇に手を戻していった。
「・・・」
「・・・」
少し間を置いて、ミリティアは目を閉じて静かな呼吸を幾度か繰り返す。
モグワイの言葉を噛みしめて何か考えを巡らせた後に、どこか気まずそうにモグワイを見上げてミリティアは口を開いた。
「――今まで私は無意識に部下たちを・・・、その、虐げるような態度をしてきた、のか?」
「・・・・・・え?」
「いや、その問いかけは卑怯だな・・・。意識の有無など主観的なものでしかない。そんなものは都合のよい逃げ場でしかないな・・・」
自省の色を濃くしていくミリティアの様子に、モグワイはハッと自分の言葉から繋がる誤解に気づく。
「表情が柔らかくなり、言葉の角が減った」という言葉はミリティア的に負の意味で捉えてしまったようだ。
今まで部下にも自分にも厳しく律してきたつもりだったが、彼女自身、他者に不合理なことを押し付けているつもりは無かったし、そうすべきではないと気を付けてもいた。しかし部隊の中で最も信を置く副隊長に面と向かって形にされたことで、ミリティアは自分自身で気づかぬうちに、部下に圧政を強いてきてしまったのではないかと思ってしまったのだ。
無論、彼女の勘違いではあるのだが、モグワイも「通じる」と思って言葉足らずに伝えてしまったのが悪かった。
「ご、ゴホン! 失礼しました、隊長・・・。私が言いたかったことは隊長自身のことです」
「私自身だと?」
ミリティアがこちらの言葉に耳を傾けた様子を確認して、安心したようにモグワイは言葉を続ける。
「はい、以前までの隊長は何処か――不透明な何かを追いかけるように、常に全力で物事にあたっていたという印象が強くあります。貴女が近衛兵の隊長職に就任される以前からずっと・・・それは、一歩すらも踏み外せない細い道をただひたすらに駆けていくように見えました」
「・・・」
「私には貴女の追い続けるモノは『強さ』だと感じました。しかしその『強さ』の定義が曖昧なせいか、貴女は何処が通過点で何処が終着なのか分からないまま――それでも足を止めることを恐れ、懸命に走り続けていました。そのためか自分に必要以上に厳しく律されておられるようでした」
「そんなことは――」
ない、とミリティアは口を挟みそうになったが、モグワイの言葉が終わり切っていないことを察し、言いかけた言葉を飲み込んで続きを待った。
「自身を制約で縛っておくことこそが貴女が貴女であるための道標なのでしょう。だから貴女は自分に対して厳格に向き合うことで『自分』という存在を保っていた・・・。目標に向かうために自分を律していたのか、自分を律することで目標に向かうことができたのか――老輩としての意見ではありますが、正直、私はそのあたりを不安視しておりました」
モグワイの言葉は、ルケニアにも言われ、昨日の洞窟内でも感じたことだ。
目的と手段が入れ替わっている。
目的があって手段があるのか、手段があるから目的がついてくるのか。
ルケニアだけではなく、モグワイも同様の考えを持っていたということは、それだけ第三者にも見えてしまうほど迷走していたのだろう。ミリティアは今までの自分がどれだけ道化染みていたかを痛感し、少しだけ眉を下げた。
「思い返せば、今の貴女の喋り方も近衛兵部隊の隊長に就かれてからでしたね。部下を持つ、ということは負う責任も重くなるもの。貴女は形から入ることで自身に『隊長としての自覚』を刻まれたのでしょうが、元剣術の師としては・・・聊か寂しくもなるお姿でしたな」
先ほどまで隊長と副隊長という、上司と部下の会話だったはずは、最後のモグワイの言葉で空気が少しだけ変わった。
モグワイは過去の彼女を思い出すように笑みを浮かべ、ミリティアは気まずそうに口をつむぐ。
「・・・やはりこの口調は・・・皆に負担を強いていたのでしょうか?」
ヒザキたちと会話していた時のような他所向けの口調に戻るミリティア。
いや、おそらく彼女の素の口調はこちらなのだろう。どこかモグワイもホッとするように息を吐き、常にまとっていた緊張感の塊のような殻を少しだけ脱いだ女性を見た。
「私は・・・今回の討伐で色々なことを体験し、学びました。そして・・・何処かで安心感のようなものも感じたのです。気を抜いては駄目だと理解しているのに、意識するよりも早く・・・心が安堵してしまう、そんな感覚が何度かありました。それを思い返したとき、私は・・・『ああ、まだまだ未熟なのだな』と痛感したのです」
「はい」
「そんな未熟な私が・・・偶像にも等しい理想を描いて、それをなぞろうとしても――結局は誤った道を辿ってしまうのでは、と」
「・・・」
「おかしな話ですが、こういう『気づき』はまるで連鎖するように一気に押し寄せてくるものなのですね・・・。ここ数日で目まぐるしい変化に直面し、私は今まで『近衛兵隊長』という殻に閉じこもって――見て見ぬフリをしていた部分を直視することになりました」
自嘲気味な表情を浮かべる彼女は、今の自分を憂いているのか。
おそらく、そうであって――そうでないのだろう。
彼女の言葉通り、今までは彼女が思う『近衛兵隊長の姿』を徹することで、本来の歩むべき道から徐々に外れていっていることに深層では気づきつつも、目を逸らすことができていた。
しかし彼女を含む、国にも影響を及ぼす変化に巻き込まれた時、彼女はその事実に強制的に向き直させられることになった。その歪みに生み出された迷いが、今の彼女の言葉に表れていた。
強さを求めて近衛兵隊長まで上り詰めたのではない。
では何を以って強さを求めたのか。
モグワイも言った通り、その目的が曖昧――否、正確には目的は明確だが、どうしたらその域に到達できるかが分からないため、ミリティアは目指すべき終着点を見失い、『強くなる』という過程に執着した。その過程で副産物として手に入れたのが『近衛兵隊長』としての座でもあった。
副産物とはいえ、生来より生真面目な性格を持っていた彼女は、当然隊長という立場を無碍に扱うことはない。その立場を吸収した上で、更に強さを追い求めていった。舞台が変わるだけで、やることは変わらない。ただその舞台は他者を統括する役目も含まれていたため、立ち振る舞いを変えただけである。芯となる道は変わっていない。そう、変わっていない筈だった。
しかしその実――隊長職の膨大な職務、部下たちの命を預かるという責任、自身よりも年長の部下に対して見せねばならない威厳と態度。そういった要素に対応していくうちに、本人も気づかないうちに路線は逸れていき、職務に尽力する近衛兵の隊長ミリティアが完成されていた。
過程が肥大化し、目的を上塗りしたことで新たな殻ができたことで、無意識に目指す場所を見失った自分を視界に入れないように閉じこもることが出来た。近衛兵隊長として職務に没頭している間は、殻に守られているため気持ちは楽だった。職務自体は常人であれば体調を崩してもおかしくない程の激務であるが、ミリティアからすれば指針を見失った己を見るよりも、その激務に身を任せている方が安寧を得るという結果になっていた。
此度の討伐で、国外からの来訪者であるヒザキと国民であるリーテシアという奇妙な組み合わせで行動することにより、近衛兵隊長としてのミリティアは影が薄れ、本来のミリティアとしていつの間にか行動するようになっていた。
だからこそ彼女は目標を持って走り出した時から、何を得て今の自分に至るのかを再認識する機会を手に入れてしまったのだ。
それでもヒザキたちと一緒にいる時は、忘れることができていた。
戦闘時も休息時も、他愛のない会話をするときも。騎士としての自覚は常にあっても、どこかリラックスしてその輪に身を置くことができていた。理由は本人も分からないが、何故だか自然体でいられたのだ。
しかし、その裏で保留としていたモノが、再び近衛兵としての自分に戻る際に噴き出してきたのだ。
上手く切り替えたつもりだったが、モグワイの短い会話でいとも簡単に即席の衝立は音を立てて瓦解していった。
今の彼女は『あるべき隊長の姿』を維持できず、またそれを成そうとする自身の『現在』に疑問を感じていることに罪悪感を感じている。今の自分を否定することは、今までの自分に信を置いてくれた全ての部下に対して裏切りを働くことだ。
今までの自分への疑問と、それを悩む今の自分への呵責。
それが互いに混ざり合い、反発して、ミリティアは今までの自分の姿勢を否定すべきなのか、そんな考えを持っている今の自分を否定すべきなのか。その整理が上手くつかず、ミリティアは要点がまとめられないまま、しかし一度始まった会話を止めることができず、口を開く。
「あそこで見た『あの力』・・・私が昔見た背中を再度垣間見て――今の私は何をしているのだろう、と思ってしまったのです。目指していた場所は霞むほど遠い遠い彼の地ではありますが、確かにそこにあるもの・・・それをいつしか見失って諦めて・・・私は立ち止まっていたのかもしれません」
ヒザキたちと別れる寸前までは「近衛兵」の人間として、何の疑問も無くいられたというのに、いざ近衛兵の兵舎に戻り、部下たちと会った瞬間にこんなどうしようもない疑念ばかりがあふれ出てくる。モグワイがきっかけとなって、今は対話として形になって吐き出しているが、モグワイが何も言わずとも徐々にミリティアの中で疑念は広がっていっただろう。
抱え込んでいつか爆発するより、誰かに聞いてもらったほうが精神的には良いのだろうが、彼女としてはこのような感情がどうしても汚らわしいものに感じて仕方が無かった。
共に職務を全うしてきた同僚たちが引き金になったことも拍車をかけているのだろう。
彼女の言う代名詞が何を指しているのかは、その光景を見ていないモグワイには知り得ない。
加えて彼女が今口にしている言葉は他人からすれば、要領を得ないと言っても過言でないほど、内容が繋がっていない。ミリティアという人物を知っていれば、その姿は青天の霹靂と言えるだろう。
そんな中でどういった言葉を投げかけるべきか、モグワイは少し考えた後、かつての剣術の弟子を見た。
「・・・そうですな、確かに貴女はやや機械的に行動することで、感情を抑制し、そこに平穏を覚えていたのかもしれません」
「・・・」
ミリティアは静かに頷く。
常に凛と振る舞っていた彼女とは思えない様子で、俯いた表情は金髪に隠れて見えなかった。
「ですが、それは何か悪いことなのでしょうか?」
「・・・え?」
ふと彼女は顔を上げる。
「貴女が何に憧れ、何に向かって走り、何に葛藤しているかは深くは分かりませぬ。ですが貴女に最初に剣術を教え、騎士として独り立ちするまで共に切磋琢磨した者から言わせてもらえれば、今、貴女が仰った悩みはまさに『それが何か』と言わざるをえません」
「・・・それは、つまり――」
「違いますな」
ミリティアの表情を見て、モグワイは首を振った。
彼女の様子から、今の自身の言葉を彼女がどう受け取ったかを察したのだろう。
「貴女の苦悩がちっぽけだと言っているのではなく、貴女がそれに悩もうが悩まないが、貴女の下についた者に後悔している者は一人もいないということを言っているのです。仮に貴女が今までの隊長としての自分に疑念を抱こうが、その姿に全員が命を預けるに相応しいと判断し、自分の意志でついてきたのです」
「――」
「それは別に貴女が造りだした『隊長像』だからではなく、ミリティア=アークライト。貴女の強さに惹かれたからついてきたのです。どんなに外面を良く構えたところで、内面が伴っているかどうかなど、半年も共に職務に就けば見抜けますよ」
「・・・」
「水も食料も標準値を大きく下回るこの国で・・・未だに兵たちが二本の足で前を向いて歩いて行けるのは、貴女が先導していたからこそ、なのですよ」
「わ、私は・・・何も」
「毎日同じ時間に起床し、同じ時間に就寝する」
「・・・?」
突然の話題変更に、思わずミリティアは言葉が続かずに首を少しだけ傾げた。
「簡単なことですし、誰にだって出来ることです。しかし――それを毎日継続することは中々に難しいことです。人と言うのは同じ事を実直に繰り返すことを苦手とする生き物ですからね。体調管理を怠ったことで熱を出して寝込む一日もあれば、業務を捌ききる能力が無く徹夜で働き続けねばならない一日もあるかもしれない。一日ぐらい怠けたい日だってあるでしょう。無論、例外などいくらでもある話ですが・・・我々にとって隊長は『当たり前のことを当たり前にできる』人間なのですよ」
モグワイはいったん言葉を切る。
「これも誤解がありそうなので、先にお伝えしますが・・・決して隊長が隊長らしくしようとしている姿を指しているわけではありませんよ? 我々の思う貴女の姿はもっと大きな部分を指しています」
「大きな・・・?」
「ええ、一つの憧憬を追い続け、走り続ける一途なお姿です。だからこそ我々も信頼して貴女の元についていったのです」
「ち、違う・・・私は――」
「貴女は今を『立ち止まっている』と表現しましたが、私は単なる回り道だと思っています」
「・・・」
「近衛兵として、隊長として得た経験は決して無駄にはならないものでしょう。その経緯・過程・結果が貴女にとって理想通りでなかったとしても無駄にはなりませぬ。だから――立ち止まってはいないのですよ。あくまで『迂回』して目標へと向かっているのですから」
そう言って、モグワイは笑みを浮かべた。
ミリティアは数年前まで指南を受けていた時期、教わった剣術を上手く出来た時に、よくモグワイはこの笑みを浮かべてくれた。
何処か懐かしい感情が広がっていったが、ミリティアはここ数年で凝り固まった癖で、反射的に感情が表に出るのを我慢してしまった。
小さく口をつぐんでモグワイを見上げる。
「見つけたのでしょう?」
「・・・?」
「追い続けた『背中』を」
「――っ、ええ・・・」
「最初は憧れ、それから記憶の中にある背中を追い続け、兵として騎士として経験を積み、貴女は再び負うべき背中を確認した。昔の貴女であればまた道を見失ってしまうかもしれませんが、実力をつけた今の貴女であれば――進むべき道はもう見えているのではないでしょうか」
「・・・・・・ありがとう」
「いいえ」
二人は師弟だった時のように笑いあい、どこか憑き物が取れたように弛緩した。
「さて、軽い気持ちで口走った言葉がここまで重い内容に発展するとは思いませんでしたな。はっはっは」
「も、申し訳ありません・・・」
「私が『柔らかくなった』と言ったのは、どこか貴女から無駄な力みが消えたように見えたからです。もっともその理由について見当がついたのは、その後の話を聞いてからですが」
「それは・・・見て分かるものなのですか?」
ミリティアが純粋に質問をしてくる姿は、いつ以来だっただろうか。
モグワイは弟子時代の彼女と姿を重ねて懐かしさを感じ、また頼もしくなった弟子から再び頼られることに内心、喜びを感じつつ「そうですね」と返した。
「一日、二日の付き合いではありませんからな。私から言えることは、口調や体裁などに囚われずとも貴女は貴女らしくしていれば、黙っていても周りはついてくるということです。昔からの悪い癖ですが、貴女は何事も生真面目に考えすぎる上に、周囲を気にしすぎる嫌いがあります。もう少し周囲に頼ることと、自分に自信を持っていただけると私も部下も安心できるというものです」
「・・・善処いたします」
苦笑しつつミリティアは椅子から腰を上げ、大きく伸びをする。
人前でこういう姿を見せるのも、隊長職に入ってからは無かった。
何の迷いもなく、そういった姿を見せたのは彼女なりに何かしらの区切りがついたのだろう。
ほぼ同時に背後の扉をノックする音が室内に届く。
ノックは三回。
一回目のノックの後、一拍置いてから連続するように二回のノックをするのは、近衛兵の中にいつの間にか伝統のように受け継がれている、ノック方法だった。
つまり扉の向こうにいるのは隊員の誰かということが分かる。
「どうぞ」
モグワイが入室を許可すると、近衛兵の一人が扉を開け、一礼の後に部屋に入ってくる。
「失礼します! 隊長、ベルゴー宰相より謁見の許可をいただき、今より半時後に可能との回答をいただきました!」
「場所は?」
「最奥の間にて、とのことです!」
最奥の間。
その単語を聞き、ミリティアとモグワイは目を合わせた。
最奥の間とは、国王直々に謁見を受ける際に用いられるアイリ王国の最も奥地にある広間のことである。
つまり、今回の報告は王が直に話を聞くという意味も持っている。
ケルヴィン=アイリは、体裁を大事にするフス王と異なり、自由を優先する性格である。無論、ここで言う「自由」とは国全体の話ではなく、あくまでもケルヴィン自身がいかに自由であるかを意味している。
王族を護衛する立場である近衛兵としては、その自由奔放さに困らせられることが多かったが、そんな彼も場を弁えることはある。
王として判断をくだすべき場と見極めた際には、父がそうしていたように「最奥の間」で格式に則った対応を行う。彼に客観的に冷静な判断をくだせるかどうかは別の問題だが、彼なりに今回の報告は腰を据えて確認すべきと判断したという事実は十二分に伝わった。
おそらく国有旗に関しての疑念もあるのだろう。
「分かりました。では半時後に報告に伺います」
「ハッ! ・・・・・・・・・?」
ミリティアの返事に威勢よく返したものの、どこか違和感を感じて部下は眉をひそめた。
「副隊長。例の地下の件について、もし些細なことでも構いませんので進捗があれば戻り次第、聞かせてください」
「ハッ、了解しました」
モグワイは既に副隊長としてのモグワイに戻っており、従来通りの姿勢でミリティアの言葉に応えた。
ミリティアは一つ頷き、そのまま扉前に待機している部下の前を通りすぎようとして――足を止めた。
「?」
いつもなら颯爽と次の目的へ歩いていくはずの両足が自分の前で止まったことに、部下は戸惑いを覚えつつ、視線を上げるとミリティアと目が合った。
「謁見の許可を取っていただき、ありがとうございます」
そう言って、ぺこりとお辞儀。
思わず部下は彼女の仕草を目で追ってしまう。
そして顔を上げたミリティアは部下に対して微笑みかけて、そのまま扉をくぐって最奥の間へと向かっていった。
「・・・・・・・・・」
部下は口を大きく開いたまま、石化したかのように固まったままだ。
ミリティアより年上とはいえ、まだ二十代の若者。
端正な顔立ちの、さらに普段は隊長然としている姿に慣れていた部下は、見る見るうちに顔を赤くし、半分脱力したように扉近くの壁に背中を預けた。本来であれば副隊長の前でそんな姿勢は見せない近衛兵の人間だが、そんな彼が当たり前の礼節を失念してしまうほどの破壊力が、その笑顔にはあった。
当然と言えば当然だろう。
隊長になってまだ数年の彼女だが、既に部隊内はもちろん、城内はたまた国内において彼女の「隊長として」の姿は固定された概念となっていた。
凛々しくも厳しい姿に、彼女を女性としてではなく、屈強な戦士の一人として見る者も少なくはない。
彼女を間近で見て、その指揮の元で動いていた近衛兵の面々からすれば、その印象はより強いものとなる。
それが悪い意味でも良い意味でもなく、想定の遥か外から破壊された。
思わず反応もできずに茫然とするのもやむを得ないと言えるだろう。
加えて、女性らしい笑顔を見せられたことで年頃の男としては嬉しいような恥ずかしいような、何とも言えない感情に襲われる結果となってしまった。
その様子を少し離れた場所から眺めていたモグワイは、腕を組みながら苦笑した。
「なるほど・・・想定を超えた違いに直面した時、こうなるわけですか」
モグワイは過去のミリティアと接したことがあるため「元に戻った」という印象が強いが、魔導剣技を駆使し、アイリ王国内でもトップクラスに君臨する「ミリティア=アークライト」しか知らぬ者は、この強力な変化に大きな戸惑いを見せることだろう。
(貴女を戦士として見ている者は女性らしさを見せる貴女に落胆するかもしれない。貴女を少しでも女性として見ている者は喜ぶことでしょう。そして昔の貴女を知っている者は――殻を脱ぎ捨てたことに安堵するのかもしれません。他者の反応はそれこそ人の数ほどあるでしょうが・・・、貴女の本質は昔から変わらず、一途で前ばかりを見据えるもの。これからは本当のミリティア=アークライトとしての背中を見せてください)
感慨深くモグワイは心中で頷き、放心中の部下の背中を強めに叩き、正気に戻させた。
「さ、引き続き仕事に励みましょう」
「っぁ、は、ハッ!」
慌てて返事をする部下に笑みを向け、モグワイはかつての弟子の変化に何処か晴れ晴れとした心情を抱きながら、近衛兵としての日常に戻っていった。




