第55話 孤児院裏の商談
――話はヒザキとミリティアの決闘が開始した時刻から、数時間程遡る。
行きはよいよい帰りは恐い、とは良く言ったもので、意外と現実でも起こり得る傾向を如実に表した言葉だと思う。往路の際も警戒はしていたものの、特に魔獣の襲撃もなく、ひたすら砂漠の過酷さに耐え忍んで歩くだけの道のりだったが、帰りは色々と酷かった。
砂漠の最大の敵であるサンドワームこそ出なかったにしろ、厄介な毒をもつサソリ型の魔獣など、中小サイズの魔獣に襲われることが多かった。
単体であればヒザキやミリティアの敵ではないのだが、足場の悪い砂漠の中で四方から群体で襲い掛かってきたため、対応に苦慮する羽目になった。最初は応戦して魔獣を撃退していた一行だが、徐々に物量で押され、不毛な対応へと戦況が変化していったことから、ヒザキたちは逃げの一手を打つことでその場を脱することに成功した。
ヒザキのサンドワームに対する魔法による影響か、サスラ砂漠を拠点とする魔獣たちも何処か落ち着きがなく、ヒザキたちを襲い掛かりたいのか、何処かに逃げこもうとしているのか、行動原理がイマイチ曖昧な動きが目立っていた。
瞬殺されたサンドワームの残骸が砂漠に横たわっているという光景も、また拍車をかけているのかもしれない。砂漠に住む魔獣の頂点にも位置するサンドワームが何者かに殺されたことで、彼らも恐慌状態に陥っているのかもしれない。
何はともあれ、苦労はしたものの目立った外傷もなく、無事にアイリ王国に帰還することが出来たのは、ひとえに二人の実力を物語っている結果だった。
城壁をぐるっと回り、西門を潜り抜ける。
数日前の開きっ放しな門と違い、西門は外敵から国を守るように閉ざされており、西門の横に設置された連絡窓を通じて中から開いてもらう形となった。
門を通り抜ける際に、門を開けた衛兵がミリティアに対して敬礼を行った姿が見え、それを見たリーテシアが「あ、衛兵さん変わったんだ」と呟いたのを耳にした。おそらく数日前の不祥事を理由に担当を変更したのだろう。
門をくぐり、三人は自然と気を抜くかのように息を吐いた。
ミリティアはヒザキから受け取ったサリー・ウィーパの女王蟻の爪を背負い、少し重そうに身を傾けながらこちらに視線を向けた。
「では・・・私は王へ今回の討伐遠征における報告をして参ります」
「ああ」
「ミリティアさん、色々とありがとうございました」
小さく頷くヒザキと、深々と頭を下げて礼をするリーテシアに微笑んだ彼女は、一礼の後にそのまま踵を返した。
ミリティアが街角を曲がり、その背中が見えなくなるまで見送った後、ヒザキとリーテシアは互いに向き直った。
「えと、それじゃ・・・皆のところに帰りましょうか」
「ああ、そうだな」
短く帰ってくる返事にリーテシアは笑顔で頷き、レジンたちのいる孤児院へと爪先を向け、帰路についた。
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「よっ」
孤児院に戻るなり、ヒザキの肩に手を置いて声をかけてくる者がいた。
ベルモンドだ。
ちょうどヒザキとしても鞘の件があったので、丁度良かった。
「戻って早々で悪いんだが、ちょいとだけいいかい?」
と彼が親指で差した先は、孤児院の外だった。
「ああ」
彼がこちらに用があるとすれば、鞘の件か、リーテシアが誤って持ってきてしまった麻袋の「中身」についてだろう。
ヒザキは特段、要件を確認せずにベルモンドについていく形で、入ったばかりの孤児院を出る。
一緒に帰ってきたリーテシアがそれに気づき、「あっ」と小さく声を漏らして、ついて行っていいかどうか迷う素振りを見せているのが目の端に映った。
「あ、リーテシアちゃん、お帰りなさい」
そんな彼女に、簾の向こうから顔を出したセルフィが声をかける。
そしてその足元からヒョコッと顔を出したのはリーテシアの親友でもあるシーフェだった。
「リーちゃん、お帰りなさい~」
一晩日をまたいだだけの短い時間しか孤児院を離れていなかったというのに、シーフェの姿がやけに懐かしく感じた。それだけ砂漠での経験が濃かったという証明でもあった。
リーテシアは何処かホッとしたように顔をほころばせ、自然と彼女たちの方に歩み寄っていった。
その後姿を見送って、ヒザキはベルモンドに一瞥を送り、共に孤児院の外へと出ていく。
本日も晴天。セーレンス川方面から小さな雲が断続的に流れてきており、たまに地上に出来上がる日陰が何とも心地よい。
風も無風に近いため、この国では最も過ごしやすい気候と言えるかもしれない。
「あー、言おうかどうか迷ったんだが、やっぱ言わせてくれ」
「? どうした?」
孤児院の外に出るや否や顔を青くしてベルモンドは、ヒザキの隻腕に指を差す。
「その赤黒い跡・・・なに?」
「血だ」
「やっぱりか! てか冷静に言ってるけど、大丈夫なのかよ、それ!」
ヒザキの右腕を中心として、右半身を夥しい血痕が赤黒く染め上げていた。
血を見慣れない常人なら、それが血と分かった瞬間に卒倒してしまいそうな状態である。
良く見ればコートの右腕部分も損傷が激しく、至るところにねじ切れたような跡が残っていた。
「お前・・・右腕、結構ヤバい状況なんじゃ・・・?」
本気で心配を浮かべるベルモンドにヒザキはどう答えようかと思考を巡らせた後、右腕のボロボロになった袖を口で引っ張って捲りあげ、その右腕を彼に見せた。
「おわっ」
袖の状況から腕の状況を想像していたのだろう、凄惨な肉塊を見せられると思ったベルモンドは慌てて目を閉じて、腕で視界に入ってこないようにガードする。
しかし人間の興味への追及に抗えず、自分の想像と実際の状態が一致するかどうか気になって、結局は腕を少しずつ降ろして、ヒザキの腕の状態を恐る恐る見ることとなった。
「・・・・・・――あり?」
彼の想像していた状態とは想定以上に良い方向へと外れていたため、ベルモンドは呆気にとられた表情を浮かべた。
そこには何処にも傷が無い、綺麗なままのヒザキの腕があったのだ。
「恐れすぎだ。これはただの返り血だ」
「か、返り血・・・? ・・・かぁーっ、んだよ驚かせやがってぇ~。てっきりグッチャグチャの見るに堪えない悍ましいもんが出てくるかと思ったじゃねーか」
「そんな状態ならさすがに俺も慌てる」
「まぁ・・・慌てる、っていうレベルじゃない気もするが・・・何だかお前だとあり得そうで逆に怖いな」
ベルモンドの言う「グッチャグチャ」の右腕を携えて、真顔で「ヤバいな」と呟くヒザキを姿を想像して、ベルモンドは苦笑を浮かべた。
「しっかし・・・確か蟻んこの親玉を倒しに行ったんだよな? あいつ等って赤い血なんか出したっけか? 一応、昆虫の部類だよな・・・」
「・・・帰り際、色々と魔獣に襲われてな。その中にいた哺乳類系の魔獣のものだろうよ」
「ハハッ、一端の兵士でも魔獣相手じゃ震え上がっちまうってーのに、お前と近衛兵の隊長さんが揃っちゃ、アイツらが路傍の石みてぇーに聞こえるもんだから大したもんだよなぁ」
「買いかぶりすぎだ」
再び二人は歩き出し、ベルモンドに案内されたのは孤児院の裏手にある、大人三人程度が座れるかどうかの狭いスペースだった。
「こんなところにサルヴァ製の剣を置いておくのもどうかとは思ったけど、中で作業するとチビたちが興味持って集まってきちまうからなぁ。悪いんだけど、ここに置かせてもらったわけだ」
裏手の孤児院の壁に立てかけられていたのは、鞘に収まった巨大な剣――ヒザキの持つ大剣だった。
壁のすぐ横には小窓があり、中を少し覗くとヒザキやベルモンドに宛がってもらった部屋が見えた。
(なるほど、誰かが此処に来たら分かるような場所をキッチリと選んでいたわけか)
鍛冶師サルヴァ=イルゴッドの作品の価値を知っているベルモンドだからこそ、室内からの監視と外からの死角となるこの場所を選んで置いていたのだろう。
顧客から預かった品を安く扱わない、商人としての矜持もあるかもしれない。
空き場所を軽く見渡すと、隅に砂が積み上がっているのが分かった。
元々積もっていた砂を端に避けたような跡だ。
「それは構わない。ここで何か作業をしていたのか?」
「ん? ああ・・・一応、俺は道具の修理屋も請け負っていてな。売買以外にも色々と手ぇ出してるわけさ。んで、コイツを仕上げるために此処を間借りしてたって感じだな」
コイツ、とはベルモンドが親指を向けた大剣の鞘のことだ。
「造ったのか? 大した技術だな・・・」
大剣に見合う鞘を短期間で用意していたことにも内心驚いていたが、それを更に造ったというのだから驚きも数倍に膨れ上がる。
実際に柄を手に、大剣を持ち上げる。
鞘は九割は革製で出来ているようだが、縁や繋ぎ目には鉄が用いられているようだ。
(・・・鉄、だと? この手狭な場所で鉄を加工する環境を用意できるとも思えないが・・・それにこの形状――これでは剣を抜くことができないのではないか?)
ベルモンドはこの鞘を造ったと言ったが、鉄を加工するための溶鉄場が無くては鞘に正確に合うように変形・型取りすることは不可能だろう。それこそ鉄すらも溶かす炎の魔法を使えるのであれば話は別だが、このスペース周囲に焦げた跡が無いことからも、その線は薄いと思われる。
そしてこの形状。
大剣の鍔から剣先まで鞘に収まっているわけだが、まるで封をするかのように鞘の一部が鍔の一部を覆っていた。
これでは鞘が邪魔で剣を抜くことができない。
日本刀には「鞘走り」と言って、鞘と刀のサイズが合わず、独りでに鞘が滑り落ちる現象があるが、これはその真逆で鞘がガッチリと剣を抑え込んでいるため、抜くことが叶わない。
「・・・・・・」
これは文句を言うべきか否か。
そんな悩みを走らせながら鞘を見ていると、もう一点気になる部分が目に入ってきた。
鞘の繋ぎに使われている鉄。
それが鞘の両刃部に走るように設けられているのだが、その鉄の線は鍔まで覆っている部分の先まで繋がっている。
(まさか・・・この鉄は)
ヒザキはベルモンドを「信じる」ことにし、鞘の先を軽く接地させ、思いっきり大剣を「引き抜く」のではなく「横方向に薙ぐ」ように振りぬいた。
「おっ」
その行動にベルモンドが感嘆の声を漏らす。
「良く気づいたな」と言わんばかりの反応だ。
そしてその理由はヒザキが引き抜いた大剣が物語っていた。
確かに収められていたはずの大剣だが、まるで鞘を通り抜けるように大剣は鞘から抜け出し、その輝く刀身を日光の元に照らし出されていた。大剣に内部から斬られたかのように見えた鞘は、先ほどと同じ姿をそのまま見せており、特段変化は見られない。
「この鞘に使われている鉄は・・・軟鉄か?」
「ご明察! ぜってぇ不良品だって怒ると思ってたのに、それに気づくとはやるねぇ!」
「その一歩手前だったがな。しかし・・・これは本当にベルモンドが造ったのか?」
軟鉄。
魔素に汚染された大樹、マクリアから採取される特殊金鉱の一つだ。
形状記憶に優れており、「鉄尾線」と呼ばれる木目のような細かい筋が何本も走っており、それをなぞる様に斬れば、液体のように軟化する珍しい金属である。逆に鉄尾線に反して斬ると、硬化して鉄本来の強度を発揮する。その強度の落差はその比ではないが、まさに木材を鋸で切る時の容量に似ている。
別名「柔らかい鉄」とも呼ばれ、その特殊性から「特殊加工金属」に指定されており、一部の限られた人間にしか加工技術が伝わっていないと聞いている。
形状記憶に強いということは、それだけ目的に沿った加工が難しいことを表している。
高温や低温による抵抗が強い金属で、通常の鉄と同様の加工は難しい素材である。そのため、軟鉄を加工する際は、小刀と職人の力加減だけで加工するらしいのだが・・・鉄尾線に沿って精密に小刀を這わせ、何度も何度も地道に形を整えていく作業を延々としなくてはならないらしい。
ヒザキの疑問は尤もで、その技術を有していたこともだが、何より昨日から今日にかけての短時間で加工作業を完了してしまった、その手腕は鞘の僅かな部分とはいえ、達人の為せるものであった。
出会って僅かな時間しか経っていない相手に言うのも失礼な話だが、どう見ても目の前の男が「達人」というイメージに似つかわしくないように感じてしまい、ついつい疑いの眼差しを向けてしまった。
「ま、昔にそういったツテと関わり合いがあった、ってとこだよ」
肩を竦めるその様子から、それ以上の詮索はしない方が良さそうに思えた。
陽気な男だが、彼自身も何かしらの重い過去を背負っているのかもしれない。
であれば、無理にそれを掘り下げる必要もないだろう。
「そうか」
それ以上、追随しなかったヒザキにベルモンドは笑みを溢す。
「しかし軟鉄は未加工の原材からして高価なものだろう? こんなものを使っても大丈夫なのか?」
言外に「法外な請求をするなよ」という意志も込みで疑問を投げつける。
金に対する嗅覚が鋭いベルモンドは、そのニュアンスを明確に受け取り「だーいじょうぶ、別にヒザキから巻き上げようなんて思ってないよ」とおどけて見せた。
「なに、たまたま掘り出しもんが見つかってね」
「掘り出し物?」
「あー、ヒザキは過去にも何度かこの国には来ているんだよな?」
「ん? まあそう多くはないがな。それがどうかしたのか?」
「そん時にこの国の商店には寄ったのかい?」
そう聞かれ、ヒザキは当時を思い出すように視線をさまよわせ、
「いや、ここで立ち寄ることは無かったな。寄るとしても宿ぐらいだろう」
と答えた。
「だよなぁ~。数店舗しか回ってないから断言はできないけど、正直、この国の経済事情は壊滅的と言っていいだろうからな。客も来なけりゃ、来たとしてもロクな商品も揃ってない。需要も供給もカラッカラの枯渇状態ってなわけだ。そんな場所に売買目的で足を運ぶ変わり者はそういないだろうなぁ。利益を一番とする商人なら猶更だな」
ベルモンドの含みのある物言いに、ヒザキは先ほどの「掘り出し物」というキーワードを紐付し、一つの仮定を立ててみた。
「つまり――店側からも客側からも見向きもされていない状態だからこそ、店にお宝が眠っていたとしても誰も気づかない・・・ということか?」
「へぇ、やっぱヒザキは頭の回転が速いねぇ」
「それはどうも」
ベルモンドの賛辞に軽く応え、話を続ける。
「・・・で、そのお宝がこの軟鉄、というわけか?」
「お察しの通り」
高価な軟鉄を、その価値が分からない店主より安価で仕入れたことが嬉しかったのか、ベルモンドは胸を張った。
「ま、国がいかに国土内の資産や財源を管理できてないかがハッキリと分かる結果だわな。商業組合もとうの昔に解体されたそうだから、物流を把握するのもまぁ無理なんだろうけど・・・。それでも希少品をゴミ同然に埃の餌にしてた時にゃ驚いたぜ」
その言葉から高価な軟鉄が店頭でどういう扱いを受けていたかが、何となくだが想像ができた。
「国や店に教えてやらないのか? 感謝状ぐらい貰えるんじゃないのか」
「まぁ秤にかけてそっちの方が有益ならそうすっけど、国勢を考えると・・・どー考えても感謝『だけ』で終わりそうなんだよなぁ。商人としちゃ利益にならん選択は避けたいってーのが本音だな」
ベルモンドの言うことは尤もで、国益になる情報を持って国に進言したところで、自分のことで精一杯なこの国では貰うだけ貰って、特に謝礼は返さないという未来を迎える可能性が正直高い。無論、ミリティアなど常識人も多々いるので、何かしらの動きは出るかもしれないが、現在の国のトップの性質を考えると、踏み消されるリスクの方が大きいと判断するのもやむを得ないだろう。
「というわけで、俺としては甘い汁だけ頂こうかなって算段なわけ。知識や経験ってのは裕福への先行投資ってね。停滞したままを善しとする人間に、必死に磨き上げてきたソレをタダ同然でばら撒く義理は無いからなぁ」
彼が言う「停滞したままを善しとする人間」というのは、ベルモンドが立ち寄った店の人間も含め、アイリ王国の多勢を差しているのだろう。
確かに資源も財源も底辺ギリギリとなり、滅びの序章を優雅に散歩中であるアイリ王国に住まう者としては、新しい知識を得るための余裕も時間も資金もないだろう。その気持ちも分からなくはないが、それでも仮に他者が見て引くような醜い欲望であっても、前に進む意志を持ち、そのために全力を尽くす姿勢が大事だとベルモンドは言いたいのだ。
精神的に余裕のない国民にそれを説いたところで「しょうがないじゃないか」や「アンタは国民じゃないから、そんなことを言えるんだ」などという言い訳しか返ってこないのは目に見えているため、ベルモンドもその考えを説法として広めたり、提案したりはしないだろう。
だから彼はこうして「何も言わずに」利害関係だけで行動するのだろう。
商人としては実に合理的で素晴らしいものだが、知識を持たない弱者から益だけを搾取するという彼の姿がやや寂しいものにも見えた。
(俺がどうこう言う話でもないな)
リーテシアやミリティアと短くも濃い時間を過ごした所為か、思わず互いに手を取って協力関係を築きつつ、共に歩む道がないかを模索してしまったが、それは「おせっかい」の域を逸脱してしまった偽善でもあると判断し、すぐに脳裏から振り払った。
「しかし・・・店側が知らなかったとはいえ、軟鉄なんてものがよく置いてあったな」
「ん? ああ・・・まぁその辺の事情についちゃ、あんまし店主に聞きすぎると変に勘繰られて買いにくくなるかもしれなかったから聞けなかったけど・・・俺の予想としちゃ、こいつは『過去の遺産』じゃないかなって思ってる」
「過去の遺産?」
「ま、全部想像の話だけどな。要はオアシス健在時代の栄華の名残じゃねっかなって。ほら、半世紀前――ここがまだ多くの国土を保有していた頃は金が湯水のように湧いていた時代だろ? 国は勿論、国民だって相当儲けてたみたいだしな。そういう時代背景の中には当然、鼻高々に天狗となった富裕層が金の無駄遣いをする流れも出来上がるってわけだ」
「なるほど。その過程で軟鉄も流れ込んできた、というわけか」
「物の価値を自分の鑑定眼で見極めたわけじゃなく、周囲からどうせ『これはいいモノですよ』とか絆されて、言われるがまま買い漁ったんだろうよ。んで、その価値も有効的な使い道も分からねぇもんだから、オアシス全滅後はただの骨董として埃の下に埋もれていったわけだな」
「となると、他にもそういう品が隠れている、と?」
ヒザキは孤児院から王城までの道のりを思い出す。
孤児を含めた子供たちが砂掃除などを行い、大人たちは寂れた家に閉じこもる光景。
とてもではないが、貴重な資源がそんな活気のない街並みに紛れ込んでいるとは思えないのだが・・・そう思わせる環境だからこそ、今まで浮き彫りにならずに潜んでいたのかもしれない。
「ま、その可能性はあるかなって思ってるぜ」
「そうか」
「ま、いずれにしても何かしらの加工品として眠っている、といった展開になるとは思うけどな」
「ん、どういうことだ?」
「さすがに未加工の軟鉄がありゃ、店主だってそれが何なのか調べるだろ? それが成されずに残ってるってこたぁ、別の形に変わってる、ってのが大きな理由さ。今回で言えば、それがオルゴールだったっつーとこかな」
ベルモンドは地面に落ちていた小さな木片を拾い上げ、ヒザキに見えるように掌に乗せた。
もはや原形を留めていない、ただの木片にしか見えないが、話の流れ的にはこれがオルゴールの破片なのかもしれない。
「オルゴールに軟鉄が使われているのは、どうしてわかったんだ?」
「ん? ああ・・・このオルゴール――だったやつにファルナン王国の紋章が彫ってあったんだよ。ファルナン御用達のオルゴールと言やぁ、軟鉄を使った鍵盤が織りなす柔らかい音で有名だからな。それで『もしかしたら』って思ったわけだな」
「王国の紋章・・・と言えば、王家の物だな。店主はそんな分かりやすい目印があったのに、その価値に気づいていなかったのか・・・」
半ば呆れ気味のヒザキの言葉に、ベルモンドも「まあなー」と苦笑した。
「昔は王族も頻繁に足を運ぶ機会もあったんだろうけど、店主の年齢的に当時の次の世代っぽいし、他国との関係が薄い現代ってことから、その紋章が何を表しているのか知らなかったんだろうなぁ」
「それは気の毒だな」
ヒザキはベルモンド作の鞘に付属しているベルトを肩にかけ、ベルトの長さを調整する。
軟鉄のおかげで、大剣を引き抜く動作が無くなり、剣を振るう動作の延長線上ないし始点として抜剣できるため、攻撃態勢を取る際にかなりのアドバンテージを持てるようになった。
これはベルモンドに感謝しなくてはならない。
大剣はその大きさから、鞘から抜く時間のロスがネックの一つとなっていたため、その時間を短縮できたのは正直有り難いに尽きる。
何度か大剣を鞘から抜き差しし、どういった力加減と方向で剣を薙げば軟鉄を抵抗なく通りぬけるかを確認し、満足の行く結果を得られたところでヒザキはベルモンドと向き直った。
「さて・・・もちろんタダというわけには行かないだろう」
「ああー、いや。そもそもヒザキが鞘を探しに行こうとしてたところで、俺から持ち掛けた話だしな。それに後出しで金にかかる条件を叩きつけたりはしないぜ? それをやっちまうと商人として落第もんだからな」
確かに鞘の調達の話題を持ち掛けられたときに、これといって資金や報酬の内容は無かった。
元々適当な皮を大剣のサイズに合わせて大雑把に加工する程度のものを想定していたヒザキなのだが、さすがに軟鉄を使用した鞘の新調に加え、実戦にも役立つ仕組みを付与してもらったのだ。さすがに無料というのは気が引ける話だった。
「いや、さすがに何かしらの手当は出させてくれないか?」
その提案は既に織り込み済みだったのか、ベルモンドは「そうだなぁ」と既に答えは出ている表情で、悩む素振りを見せる。
「・・・そういえばさっき、感謝の話をしたよな?」
「感謝?」
一瞬、何の話か分からなかったが、すぐに少し前に話した国や店主に事情を話すかどうかの話題を思い出し、ヒザキは「ああ」と頷いた。
「勘で行先を決めるのは、現実を知恵と根拠と計算で生き抜く商人としちゃあってはならないことだが・・・それじゃ『安定』っていうありきたりの結果しか生まない。『安定』こそ商人にとって重要な要素でもあるんだが・・・どうにも俺はそれ一辺倒は性に合わないんだよなぁ・・・」
「何の話だ?」
脈絡が無い、断片的な会話にヒザキは思わず尋ねた。
「なぁに、さっき俺はこの国には感謝されることをしても、感謝だけしか返ってこないって言ったけど――ヒザキ。お前にはその『感謝』を売るべきだと俺の勘が言っているのさ」
「・・・・・・それに見合う恩恵があるとでも?」
「何の根拠もないんだけどなぁ・・・何故だか本当にわっかんねーんだけど、そう思った」
本当に商人にあるまじき言葉に、思わず何か裏があるのではと思ってしまうが、正面に見据えるベルモンドは不思議と嘘を言っているようには見えなかった。それこそ根拠のない話なのだが、何故だかそう思えてしまったのだから仕方がない。
まさにお互い様、というわけだ。
「ここで金銭だけのやり取りをしちまうと、お前との足がかりは一旦途切れてしまう」
「目先の金より、もっと大きな商談を、か?」
「その通り! ま、今回の鞘の一件を一つの商談として終わらせちまったところで、別にその瞬間からヒザキとは名前も知らない他人になるわけでもないから、そこに拘る必要もないんだが・・・そこは俺の気分的な事情だな!」
「・・・」
「・・・そこで黙られると、何だか俺がアホ踏んだみたいな空気になるんだが・・・」
別にベルモンドに何か思って黙っていたわけではなかったのだが、一応「考え事をしていただけだ」と釈明しておき、ヒザキは言葉を選びつつ続けて口を開いた。
「そうだな・・・元々ベルモンドには協力を得ようと思っていたことがある。そういう意味ではベルモンドからこういった展開を持ち掛けてくれたのは助かるな」
「お? あっても切っ掛けぐらいかなって思ってたけど、思いのほかデカい獲物が釣れた感じか?」
期待に胸を膨らませた表情をするベルモンドを手で制す。
「・・・まず悪い報せがある」
「え、なにその不吉発言・・・。俺の期待溢れる前傾姿勢が前倒れになりそうなんだけど。よし、ちょっと待ってくれ。今、深呼吸をするから」
「国有旗を勝手に使ってしまった」
「すぅーはぁー・・・おし、いいぞ! ドンと来――・・・なんだって?」
「国有旗を勝手に使ってしまった。リーテシアが持っていた麻袋に入っていたヤツだ」
正直、この話はもう少し外堀を埋めてから切り出すつもりだったが、何故だかベルモンドは自分を好材料として判断していたのが一連の会話で分かったため、思い切ってここで話すことにした。
早いところ膿となる悪材料は吐き出しておきたかったという心情もあるが、さてどういった反応が返ってくるか・・・ヒザキはベルモンドの反応を注視した。
しかし返ってきたのは、ヒザキの予想外のものだった。
ベルモンドは「んー」と後頭部を掻きつつ、全く焦りのない表情を浮かべていたのだ。
「なるほどね・・・そうか。砂漠に行って、国有旗を使った、っと。とすると、ええと・・・何かね」
「ああ」
そして徐々にベルモンドは興奮気味に口の端を上げ、口早に言葉を繋げる。
「もしかして、なんだが・・・あー、見つかったのか?」
何か、とは言わなかった。
だが彼が言わんとしているところは読み取れたので、ヒザキは一つ頷き、
「ああ、オアシスが見つかった」
と答えた。
同時にベルモンドは思わずガッツポーズを極めていた。
まるで自分の勘が読み通り、もしくはそれ以上の収穫があったかのように喜びを体現する。
「おいおいおい、マジか! これ、おまっ・・・嘘だったら俺、今日は寝込むぞ!」
「大マジだ」
「いっよしゃぁぁ! 大穴引いた! あ、でもちょっと待て! この話って俺以外にももうしちゃった感じか!? 今の俺、ぬか喜びとかないよな!?」
「・・・大丈夫だ。当事者以外で言えばベルモンドが最初だな。というか帰ってきたばかりなんだから、当たり前だろう」
食い気味に顔を寄せてくるベルモンドに、ヒザキは押されつつ返答した。
拳を握りしめて小刻みに奇行なダンスを踊るベルモンドを待つこと数分。
運動不足から息切れした彼は少しだけ冷静さを取り戻し、再び会話を開始した。
「しっかし、旅人だって言ってたのに、思い切ったことしたよなぁ~!」
「なにがだ?」
「いやだって国有旗、使ったんだろ? つまりヒザキが建国しようと思ったってことだろ? しかも連盟の許可なしに衝動的に」
それを聞いてヒザキは「ああ確かに順当に考えれば、そう思うよな」と心中でつぶやいた。
リーテシアはまだ子供だし、ミリティアはこの国の近衛兵隊長である。消去法で言えば、ヒザキが国有旗を使ったと思われても不思議はない。むしろそれしか無いと思うのが妥当だろう。
「因みにだが、国有旗を使ったのはリーテシアだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・は?」
「だから――」
「いや待ってくれ・・・。聞こえてる。聞こえてはいるんだが・・・、そのなんだ。内容が上手く頭に入ってこないというか・・・え? リーテシアって、あのリーテシアちゃん?」
「ああ」
「そこの孤児院にお住いのリーテシアさん?」
「ああ」
「・・・」
「・・・」
「・・・冗談?」
「大マジだ」
ヒザキの変わらぬ回答に今度は反転、頭を抱えてベルモンドはしゃがみ込んで落ち込んだ。
きっと彼の脳内では目まぐるしく、情報の再整理が行われているのだろう。
「じゃあ・・・ヒザキは今回の建国とは無関係なんか?」
抑揚のない声でそう問われる。
「ああ、それを心配していたのか。リーテシア一人では国を持続するのは難しいと」
「当たり前だろ~! さすがにリーテシアちゃん一人だけの国だったら商談も何も、すぐに連盟に押しつぶされて消えてしまうわっ」
「そういう意味で言えば安心しろ。俺も今度は彼女と一緒に歩む約束をした。少なくとも国が安定するまでは彼女を見届けるつもりだ。他にやることもないしな」
「マジか!」
「大マジだ」
再びモチベーションを上げていくベルモンドに、やや疲れたようにヒザキが返す。
「もしかしてあの金髪碧眼の美女様も・・・?」
「ミリティアのことか? それはない」
何を期待したのか、想像に色をつけようとしていたベルモンドをバッサリ切る。
肩を落とす彼を無視し、ヒザキは話を続けた。
「とは言ってもまだ二人だけの国だ。弱小も弱小。村にも劣る規模の『集団』に過ぎない」
「そりゃあ、な。二人だけの国とか有史以来、聞いたことがねーもんな」
「戦うことは全て俺が請け負うつもりだが・・・まだまだ補わなければならない部分は多い」
「はは、そっちの方が多いよな」
あまりにも足りない部分が多すぎて、思わずベルモンドは笑ってしまう。
その気持ちはヒザキも良く分かった。現状、勢いだけで建国してしまっているが、笑ってしまうほど余りに国を形成する上での要素が足りなすぎる。当然と言えば当然なのだが、ではどうするか、という話になった時に何の案も出ずに呆然となってしまうほど何もかもが足りない。
だが何かを始める、ということは、そういうことなのだろう。
四方八方、埋めなくてはならない空白ばかりが周囲を満たしている中、何を優先して空白を埋めていけば、崩壊を避けて進めていけるのか。それを上手くやれる者が国の長となり、国家というものを築きあげていくのだろう。
おそらくゴールは存在しない道だ。あるとすれば国そのものが地図から消える時だろう。
進めば進むほど、新たな課題や問題は山積みとなっていき、それと折り合いも混ぜつつ解消していかなくてはならない。
まずは何にしても、地盤を埋める必要がある。
国という設計を組み立てる上で、まず必要となる「地盤」とは――経済を回す存在だ。
盗賊国家でも作るなら、戦闘を得意とする脳筋集団でも構成できなくはないが、言うまでもなくリーテシアの望む国はそんなものではない。
であれば、現存する国同様、国を運営する上で資産を増やしていかなくてはならない。
他にも国民を増やしたり、国土を開拓していったりと、すべきことは多々あるが、まずは資金繰りができないと話にならない。
だからリーテシアの国には、ベルモンドのような商人が必須なのだ。
ベルモンドも話の流れで予想はついているのだろう。
余計な確認は入れずに、ヒザキからの言葉を待っている。
「正直、国有旗にしろ鞘にしろ、我々がベルモンドに対して抱える負債の方が現状、圧倒的に大きい。その上で頼みごとをするのは気が引けるところではあるんだが――」
「おいおい、待ってくれよ。何か忘れてないかい?」
「・・・なんだ?」
ここで言葉を区切られるとは思っていなかった。
ベルモンドは何を忘れているというのだろうか。
ヒザキは他にベルモンドに対しての負債の可能性を探るが、その様子を見切ったベルモンドが「違う違う」と苦笑しながら否定の意を表した。
「はは、何ていうか・・・お前にとっちゃアレは『大したこと』にはなってないみたいだな」
「アレ?」
ベルモンドは頭を掻きつつ「参ったねぇ」と呟く。
「本当は商談において、自分に不利になる材料を自分から明かしていくのは商人的に失策もいいとこなんだけど・・・あまりにも重大なことをお忘れになっているようで我慢ならないから、あえて言わせてもらうぜ」
「あ、ああ・・・」
一つ咳払いを挟み、ベルモンドは先ほどまでの冗談めいた笑みを消し、真摯な面持ちでこちらを見た。
「俺は――俺たちはお前に『命』を救われてるんだぜ?」
ベルモンドの口調、態度で分かる。
彼がどれほど、数日前の魔獣の襲撃から救ってくれたことに感謝の念を抱いているかを。
思わずヒザキは息を飲んでしまった。
彼がそれほどまでに想っていることを、自分は何の感情も持たずに忘れてしまっていたことに。
魔獣に襲われていたのを目撃したから助けた。
ヒザキにとっては「それだけのこと」だったが、ベルモンドからすれば生涯の幕を閉じる最悪の危機を回避させてくれた事柄なのだ。命あっての物種。命失くして商談も何もない。故にその経緯は商談そのものを覆すほどの「好材料」でもあった。
ヒザキが国有旗や鞘の件――その先の新国家への協力についても、その好材料を盾に話せばベルモンドは飲まざる得ないほどの威力を持っている。
それをあえてベルモンドは自分から提示してきた。
その意図は――どこまでも純粋な感謝の気持ちなのだろう。
もしくはヒザキがそれを嵩にきる人間でない、という点も理由の一つにあるのかもしれない。
何にせよ、ベルモンドはヒザキに「それを使って交渉してこい」と言っている。
「ベルモンド」
「おう」
「感謝する」
「だーかーらっ! 感謝してんのは俺たちの方なの!」
「ああ・・・」
「うーん、お前本当に表情が硬いのな・・・今、自然に笑ったつもりだろうけど、めっちゃ引きつっているようにしか見えんわ」
「・・・・・・ああ」
ベルモンドは笑い、ヒザキも笑う(本人はそのつもり)。
「それじゃ改めて――商談と行こうじゃないですか」
端っこ孤児院裏の椅子も机も何もない狭いスペースで、リーテシアの国の未来を担う経済担当との話し合いが今、始まったのだった。




