第53話 殲滅の炎
さて気づけば53話まで書いているのですが・・・いつ第一章が終わるのだろう、と自分でも言いたくなるほど長くなっています(´Д` ;)
書き始める前は30話前後で終わる予定だったのに、何故だぁー・・・(単純に文章能力がないだけですが、、、)
もうしばし第一章続きます。お付き合いいただければ幸いですm( _ _ )m
ヒザキ、リーテシア、ミリティアは記憶を頼りに、自分たちが入ってきたと思われる場所へと足を運ぶ。
サリー・ウィーパの女王蟻討伐が主目的であった短い旅だったが、予想以上に色々な出来事を見せてくれた空洞内を改めて見渡す。
何処を見ても、オアシスを除いて殺風景なタイル状の世界に、やはり現実離れした印象を拭えない。
この異質な空間から一時でもオサラバできると思うと若干の安寧を感じるのだから、ここを国として建ててしまったリーテシアとしては、今後どう付き合っていくかが不安でしかないというのが本音だった。
女王蟻討伐の証として爪の一本を切り取り、それはヒザキが背中に括りつけることで持って帰ることとした。
巨大砂蟹については想定外の存在であったし、既に壁の向こう側で火葬してしまったため、何かしらの証を立てることは難しい。これについてはオアシスともども、アイリ王国側には口頭での報告しかないだろう。
リーテシアは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
そして無機質な壁に両手を当て、
「え、えっと・・・階段をイメージするんですよね?」
と、不安が残っていたのか、何かをするわけでもなく、顔だけ振り返ってヒザキに最終確認を取る。
「ああ構わない。この場所の中では君の魔法は国有旗の力によって増幅されていると見て間違いない、ということが昨日の実験結果から分かった。土魔法だけに限って、という話にはなるだろうがな。国有旗を通せばもっと強力な魔法に増幅されるだろうが、それは有事の際以外には使用しない方がいいだろう」
「は、はい・・・」
「逆に国有旗を通さなくてもある程度まで土魔法は強化された形で発動されるはずだ。国有旗、周辺の魔素と融合した特殊な地層、そして君の自動魔法付与オートメイジンという条件が集まって、初めて成り立つものだ」
壮大なことを言われている気がして、思わずリーテシアは唾を飲んだ。
「つまり、国有旗に触れずに土魔法で外への出入り口を造る、ということですね」
ミリティアの言葉にヒザキは頷いた。
「で、ついでだから行き来のしやすい階段形式の地上までの通路を造ってもらいたいわけだ。またサリー・ウィーパのコロニーを通って戻るのは面倒だし、そもそも正確な道は覚えていないからな。土砂で崩れたということもあるし、来た道を正確に戻ることは不可能だろうな」
「そ、それは分かるんですけど・・・何だか想像できない範囲と言いますか・・・そもそも地下から地上への階段って、どういう感じなのでしょうか?」
言われてみれば、常に地上での生活を過ごしていたリーテシアに急に地下から地上への道を造れ、などという課題は難しすぎたかもしれない。
ではどう説明すれば分かりやすいだろうか。
「・・・」
顎に手を当てて考えてみる。
「リーテシア、階段は分かるな?」
「は、はい・・・さすがに」
孤児院が一階建ての建造物だからと言って、国中に階段が一つも無いわけではない。彼女が好んで足を運ぶ図書館にだって階段はあるだろうし、街中にも土で作られた階段は何度か見かけた。しかし彼女の生活にともにある「階段」というのは数段程度のむき出しのものばかりだ。まだ12の子供に、そんな日常風景から「地上への長い階段」を想像しながら造ろうと言っても無理な話だろう。
王城の中には比較的、地下への階段も見受けられたため、その光景を見ていれば説明も連想も早かっただろうが、当然リーテシアは王城なんて場所に行ったこともないだろうから、その手は使えないだろう。唯一城に入ったと言ってもいい昨日の朝については、常に麻袋の中に入っていたため論外だ。
「階段ぐらい分かりますよー」と少しだけ頬を膨らませるリーテシアを他所に、その光景を連想できる場所を頭の中に列挙していく。が、良く考えれば、自分自身もこの国にそこまで詳しわけではないので、該当件数はおろか母数自体が少ないことに気づいた。何度か滞在経験はあるものの、大体が大通り等の開けた場所ばかりの景色しか思い浮かばず、早々に自分の経験値は当てにならないと判断した。
「ミリティア、何か・・・そうだな、別に螺旋でなくてもいいんだが、一昨日に見た地下への螺旋階段みたいなものは街中にないのか?」
ヒザキの言う螺旋階段が地下浄水跡地への階段だということを理解したうえで、ミリティアは「そうですね・・・」と腕を組んだ。
「砂漠地域ということもあり、元々地盤が強い土地ではありませんので、我が国ではあまり地下施設を作るという風習がないのです。またフール等の災害から可能な限り被害を抑えるため、二階建ての建物も少ないのが実情で・・・階段を設置する必要性があまり無いのが仇となりましたね・・・」
ふむ、と二人して頭を悩ませる。
そんな雰囲気に居たたまれなくなったのか、リーテシアは慌てて口を開く。
「あ、あのっ・・・ちょっと想像が難しいなぁ~って思ってるだけなのでっ! こう、あれですよね? 階段が幾つもあって・・・ずーっと地上まで伸びているのを想像すればいいんですよねっ?」
「まあそれはそうなんだが・・・大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですっ! こう見えて、色々な本を読んでいるので想像力は豊かだと思うんです・・・たぶん・・・」
最後の方は小さな声になってしまっていて聞き取れにくかった。自信が無いのも分かるし、今まで扱ったことのない規模の魔法を前提とした話なのだ。不安も相当なものだと思われる。しかし今はそんな彼女の頑張ろうとする気持ちに頼る他なかった。
「わかった。情けない話だが、この三人で土魔法を使えるのは君だけだ・・・頼む」
「ま、まま任せてください! いちおう・・・この国? みたいなとこの責任者ですし・・・」
「・・・期待しよう」
緊張を隠せない様子のリーテシア。
そんな彼女にあえてヒザキは慰めや励ましの言葉は出さずに、期待という圧力を持つ言葉を選んだ。
彼女はヒザキから見ても、責任感が強い人間だ。
まだ子供ではあるが、自分のことよりも他人を立て、何より他人への迷惑や損害を強く嫌う性格に見える。つまり自分の行動に自分なりの価値観を置いた上で、責任を持っているということだ。更に言えば、今回は他人への迷惑に繋がるであろう国有旗の起動を、信念を曲げて自分の目的のために行った経緯もある。その要素は彼女に今まで以上に強い重圧をかけているだろう。一時とはいえ誰かに迷惑をかけた上で、最終的に全員が幸せになれる方法を取る――その過程に立っている。終わり良ければ全て良し、とあるが、終わるまでは常に責任とプレッシャーが付きまとうのだ。それが彼女に一段と「責任」という枷を強く結び付けさせている理由でもあった。
責任感の強い人間は、同情よりも信頼の方が利くことが多い。
一緒に慣れ合うよりも、背中を押してくれる方が動きやすいのだ。
信頼も過度になれば、受ける側を押しつぶす結果になるものだが、ヒザキは「彼女はまだ大丈夫」と判断し、ここは背中を押すことにした。
リーテシアは少しだけヒザキと視線を合わせ、やがて微笑を浮かべて「はいっ!」と鮮明に答えた。
いつの間にか外れている壁にかけていた両手を戻す。
そして再び深呼吸。
「・・・・・・」
目を閉じてリーテシアは想像する。
魔法は想像を間違えば上手く発動しないと決めつけていたが、この場所ではそれが通じない。過剰に使い手の意志に反応するこの場所では、曖昧な想像一つで天変地異の引き金に成りかねない。
だからイメージは間違いないように。
正確に、明確に、鮮明に、的確に。
「――」
背中に感じていた二人の気配が遠のいて行くのが分かる。
両手から伝わる魔素の反応。
これは魔法ではなく、自動魔法付与オートメイジンによる魔素の干渉だろう。リーテシアと手を繋いでくるかのように、優しく両手を包み込むように触れてきているのが分かる。
魔素に生物のような意志はないと聞いているが、両手から伝わってくる感覚はまるで「じゃれ合っている子供」のようだ。無邪気にリーテシアに纏わりつき、リーテシアの意志に沿って動こうと飛び交っている。
陽の光が届かない土の世界を、一つまた一つと斜めに切り開いていき、そこに階段を敷くイメージを思い浮かべる。
『――・・・――』
「――っ?」
誰かの声が聞こえた。
そんな気がした。
ヒザキやミリティアでもなく、何処か遠い――遥か深い彼の地からの声。
『――・・・、――・・・――』
空気を伝わる音でもなく、脳に直接響くような干渉波でもない。
じんわりと両手に纏っていた魔素を通して、何かが何かを伝えようと懸命に話しかけてきている。そんな感覚をリーテシアは全神経を通して感じた。
(なに・・・? 何て言っているの? き、聞こえないよ・・・)
言葉にはせずに心の中で答える。
何故そうしたのかは彼女自身も分からないが、そうすべきと感じたからそうした。
『・・・・・・』
何層もの膜に阻害されているような歯がゆさに、リーテシアは居心地の悪さを感じた。
(だれ、なの・・・?)
問いに返る言葉は無く、逆にただでさえ遠く感じた距離が、さらに離れていく感覚に襲われる。
向こうも離れたくて離れようとしているわけではないようで、未だに何かを訴えかけようとする意志を感じた。その存在とリーテシアを結ぶ糸は脆弱なものなのか、もしくは邪魔をする何かが間にあるのか、意に反して不可視のフィルターに遮られていき、気配も希薄なものになっていく。
(ま、待って――)
慌てて手を伸ばそうとして、
「――きゃっ!?」
先ほどまで両手をつけていた壁が消失していることに気づかず、リーテシアは思いっきり前方につんのめってしまった。
完全に重心が前に行ってしまっていたため、そのまま行けば顔面強打は免れなかったが、そこは背後にいた戦闘に長けた二人が当然のごとくカバーしてくれた。
ヒザキがリーテシアの首根っこを掴み、後ろに引き戻されたところをミリティアが抱えてくれる。
後ろに倒れこむ勢いのまま上を見る態勢になったリーテシアは、ちょうど下を見ていたミリティアと目が合った。
「あ、ありがとうございますっ・・・」
「いいえ、お気になさらず。それよりお疲れさまでした。お見事ですよ、リーテシアさん」
「え?」
言葉の意味が分からず、無意識に聞き返してしまう。
「ああ、大したものだな。俺の想定では、地層に穴を空けて、階段の形にするだけのつもりだったんだが・・・どうしたもんか、大層な『入口』が出来上がってしまったな」
ヒザキの言葉を追うように、リーテシアは先ほどまで自分が両手をかざしていた先を見た。
そして言葉を失った。
「・・・・・・え、こ、これ・・・私がやったんですか?」
引いた笑みを浮かべながら、彼女は前方を指さす。
リーテシアが両手で触れていた壁は大きな正方形型に切り取られており、その先には――この空洞内と同じ材質で出来ているのか、人工物としか思えない灰色の整理された階段が延々と地上まで伸びていた。地上の光は遠くてここからでは確認できないが、肌を撫でるように外気が流れ込んできたことから、間違いなく地上へとつながっていることを三人は確信した。
「国の入口としては上等なんじゃないのか?」
ヒザキが冗談めいた口調で言う。
「え、えと・・・あはは、何といいますか、もう何がなんだか・・・」
考えすぎても無駄なことだと理解しているが、どうしても考えてしまう。
知恵熱を出してしまいそうだ。
ただ階段を想像しただけだというのに、何故この空洞の延長線上のように高質化された謎の素材で統一されたのか。国有旗の増幅が関係しているとはいえ、使い手を置いてけぼりにして勝手に走り出してしまう現実に苦笑する他無かった。
ヒザキはしゃがんで階段を構成している物質を拳で軽く叩いて確認する。
「確信はないが・・・空洞内と同じ材質、の可能性は高いだろうな」
「魔法すらも通さない鉄壁の階段、ですか・・・」
「つまり、地上からここに至るまで道中で何かが侵入してくることは無い、ということだな」
「入口は一つ、地上からこの階段を降りて、ここに来るしかないということですね。・・・何とも不思議な構成ですね」
「なに、少し頑丈な地下室程度に思っておけばいい」
マイペースに話し込む二人にリーテシアはついていけず、思わずその場でへたり込んでしまった。
「大丈夫か?」
「は、はい・・・すみません」
ヒザキはリーテシアに手を差し伸ばして、立ち上がらせた。
「・・・・・・」
子供というのは感情の浮き沈みが大きい。
物心ついたばかりの年齢であれば、その感情の起伏に「考える」ことが少ないため、喜怒哀楽がはっきりしているものの、心象には然程残っていないことが多い。しかしリーテシアの年齢層、思春期ぐらいになると自分の意志、自分の価値観というものが形成され始め、早い子であれば大人に近しい考え方をする者もいる。そうなると、外的事象に対して感情の起伏が大きい上に、それに対して過度な思考を繰り返し、オーバーヒートすることがある。
リーテシアも大人に近い思考を持つ賢い子であるがために、目まぐるしく移り変わる「常識」に振り回され、思考が処理落ちしかけているように見えた。
砂漠に出て延べ二日。
砂漠を歩いている間は彼女は風の魔素に守られていたことから麻袋の中で熟睡していたため、砂漠という環境に対して何かしらの負荷は無いのだろうが、サリー・ウィーパと巨大砂蟹の衝突、不可思議な空洞、オアシス、国を取り巻く情勢、国有旗による建国、そしてこの地における自身の魔法の増幅――それらは何十倍速にも速められた映画を見ているかのように、内容と結果の帰結が交互に襲い掛かってくる感覚なのだろう。
リーテシアが物事を深く考えず、自分に有益・無益を取捨選択できる性格なら良かったのだが、あいにく彼女は一つ一つの物事を丁寧に考え込む性格のようだから実に難しい。
彼女なりに理解しきれなくても、どこかで線引きをして気持ちを入れ替えようとする意志は伝わってくる。
この短い二日間の中で、幾度と困惑と焦燥を浮かべた機会はあったが、その都度、彼女は次に顔を合わせる時は明るく努めようとしていた。それはきっと――ヒザキやミリティアに心配をかけたくない心と、国有旗を立てたことに対する責任から来る「努力」なのだろう。
普通の子供なら卒倒してもおかしくないシーンは多々あったのだから、なかなかの胆力だと言える。
(そろそろ・・・限界か)
ヒザキは俯く少女を見て、目を閉じた。
起床してまだ数時間。
体力は余力を大きく残した状態のため、リーテシアとしても「全然大丈夫」と思っているだろうが、精神状態から来る疲労というのは肉体以上に重く、深い。
ここで無理をするのは得策とは言えないだろう。
リーテシアには一度「住み慣れた端っこ孤児院」という環境で張りつめた緊張と疲労をリセットする必要がある。そのためには彼女に、砂漠の過酷な岐路という新たな負担を負わせることは避けたい。
「ふむ」
ヒザキは一つ頷いてから、ベルモンドの商品が幾つか収まった麻袋を床に起き、おもむろに口を広げる。
てっきり袋から何かを取り出すのかと思っていたリーテシアとミリティア。
そんな予想に反して、ヒザキはリーテシアの首根っこを掴んで持ち上げた。
「へ?」
為すがままに持ち上げられ、横に少しだけスライドさせられたかと思うと、ゆっくりと下に降ろされる。
そこは口を開けた麻袋の中だった。
「あ、あのっ・・・ヒザキさん?」
「こらこら、顔を出すな」
「え? あ、えと、すみません・・・、じゃなくてです! こ、これは一体・・・?」
袋口を締めようとしたヒザキだが、すぐに顔を出したリーテシアの首を絞めないように紐を握る手を緩める。しばし二人は視線を合わせる。
「・・・知っているか、リーテシア。国を治める者、すなわち王とは・・・国外を出歩く際は必ず護衛をつける」
「そ、そのぐらいは常識だと思いますけど・・・」
「そうか。まあ、そうなんだが・・・護衛をつけると同時に、王は自らの足で移動することはない」
「えと・・・つまり、馬車とかのことを言っているんですか? おっきな国だと、魔導機械の乗り物とかもあるみたいですけど・・・」
「そういうことだ」
どういうことか分からず、リーテシアは難しい顔で首を傾げる。何故かヒザキも難しい顔で次の言葉を考える。
「・・・王とは国を導くことも重要だが、護られる努力も怠ってはいけない。言いたいこと、分かるな?」
「わ、分かりません・・・」
「そうか・・・」
「・・・」
「・・・」
互いに言葉が消え、何とも言えない微妙な空気が充満する。
この空気は何なのか。
反応に困ったリーテシアはヒザキに「あ、あの・・・げ、元気出してください」と言葉をかけた。
「・・・なぜ俺が励まされるんだ?」
ヒザキは正面のリーテシアではなく、斜め後ろにいたミリティアに問いかける。
「わ、私に言われましても・・・」
そんなことを言われても当然返しようがないのだが、ミリティアは素直に狼狽して首を振った。
分かっている。
今のは頭を整理するための、ただの時間稼ぎだ。
ミリティアをダシに使ったことは後で謝っておくこととしよう。
「・・・眠くないか?」
「はい、起きたばかりなので・・・」
「体調が悪ければ遠慮なく言うんだぞ」
「いえ、大丈夫です・・・」
「長旅でさぞかし足も痛かろう。時には足を休めるのも必要だ」
「あの・・・ここまでずっとこの袋の中にいたので、正直お二人に比べると負担は少ないといいますか・・・全然痛くないです」
「・・・」
「・・・」
両者、会話が噛みあわないまま再び無言で見つめ合う。
やがて静寂を破ったのは、リーテシアの「ぷっ」と笑った声だった。
「ふ、ふふ・・・あははっ」
堪え切れずに噴き出す笑い声に、ヒザキはおろかミリティアすらも目を開けて驚く。
「ヒ、ヒザキさんっ・・・もしかして、嘘をつくのが苦手だったりします?」
何がそこまで可笑しかったのか、リーテシアは目尻に浮かぶ涙を指で拭い取りながらそう尋ねた。
「・・・いや、むしろ得意なほうだったはずなんだが」
真顔で返すヒザキに「ふふっ」と笑う少女。
「それじゃきっと・・・『優しい噓』が苦手なんですねっ」
「は・・・?」
あまりに虚を突かれた単語に、ヒザキが素で間の抜けた声を出した。
「自惚れだったら、その・・・恥ずかしいんですけど。きっと・・・ヒザキさんは私のためを思って、ここに入れてくれたのかなって。私が落ち込んだり、不安がっているのを見て・・・帰りは袋の中で休むようにって意味だと思ったんですけど・・・」
自分で言っているのが恥ずかしくなってきたのか、最後の方は小さな声になっていたが、きちんと内容は聞き取れた。
「でも・・・自分で言うのも何ですけど、私って・・・融通が利かないから。普通に言っても意地を張るって思って、今みたいに遠まわしに言ってくれたんですよね・・・?」
「なんだ人が悪いな。分かっているなら、そう言ってくれ」
安心したように息を吐くヒザキに、袋の中から顔だけを出すリーテシアは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「多分・・・ヒザキさんって容赦なく相手を騙そうと思った時は、本当に凄いなぁって思うほどの嘘をつきそうな気がします」
「何故そこで急に下げる」
まるで極悪人みたいだなと肩を竦めるヒザキに、慌ててリーテシアが訂正を加える。
「あっ・・・す、すみません! そ、そういう意味じゃなくて・・・その・・・私の勝手な思い込みかもしれないんですけど、ヒザキさんってそのぅ・・・敵だと判断したら一切の加減が無くなりそうな、そんなイメージがあります」
少しだけ敵と対峙した際の自分を思い返し、
「ああ、加減はしないな」
とヒザキは自信を持って断言した。
「でも、その反面・・・味方には甘々な気がします」
「甘々・・・」
聞きなれない言葉にヒザキは目を細める。
別に言葉の意味が分からないのではなく、自分を評する際にそんな言葉を使われたのが初めてだからである。
「他人の評価を否定する気はないが・・・俺を今まで評価した奴らは口々に『不愛想』だの『鉄面皮』だの好き放題言っていたぞ」
決して甘くない。
むしろ色や形を持たない、のっぺりとした無機物のような評価ばかりだ。どちらかと言うと自評もそちらに近い。
しかしリーテシアはまたしても「ふふ」と小さく笑った。
「けど、ヒザキさんってそういう人たちのところに長く滞在したりしたんじゃないですか?」
「・・・」
表情には出さないが、軽く驚いた。
確かに――今自分で上げた言葉を口にした者とは長い付き合いになった者が多い。
中には理由あっての短い期間だけの者もいたが、いずれも人付き合いの上手でないヒザキとそれなりに打ち解けていた連中だ。
その連中との思い出をまるで共有してきたかのように、リーテシアが言い当ててきたことにヒザキは純粋に心を揺らされたのを感じた。
「なぜ・・・」
「はい?」
「なぜ分かった?」
それは頭で考えて組み立てた言葉ではなく、心からの疑問であった。
「ふふ・・・ヒザキさんと仲が良くなければ、そんな言葉――言えないですよ」
にっこりと笑う少女が口にした、思いのほかアッサリした回答にヒザキは「そういうものか?」と首を傾げた。
「男の人だったら気さくな友情の表現、女の人だったら照れ隠しとかだと思います! わ、私、図書館で恋愛ものとか友情ものとか、こよなく嗜んでいるので自信ありますっ」
何故かテンションが上昇傾向にあるリーテシア。
自分の自信のある分野の会話だからか、今までそういう会話を出来る人間がいなかったのか、今まで抑圧されていた想いが溢れてきそうな危険を感じたため、ヒザキは「わ、わかった」と釘を刺すことにした。
「そ、そうですか・・・」
しゅんと麻袋の中に縮んでいくリーテシア。
いつか遠慮なく自分の趣向を話し合える友と出会えることを祈りつつ、ヒザキはリーテシアの頭を撫でた。
「わぷっ」
「何はともあれ、袋の中に入れた理由は分かったんだな?」
「さ、最初は本当に分からなかったですけど・・・ヒザキさんの態度を見ていて、だんだんと分かりました。えへへ・・・」
自慢げに、しかしまだ遠慮がちに笑う少女に、先ほどまでの昏さは影を潜めていた。
そのことにヒザキはホッとし、黒い髪を優しく撫でる。
「その・・・」
袋口をキュッと指で掴み、リーテシアは呟く。
「なんだ?」
「い、ぃい、いえ・・・なんでも、ないです・・・」
そう言うと、シュッとリーテシアは麻袋の中に頭を引っ込めてしまった。
何か言いかけていたように見えたが、ヒザキはそれ以上問わずに「持ち上げるぞ」と声をかけて、リーテシア入りの袋を肩にかけた。同じく肩にかけているサリー・ウィーパの女王蟻の爪が当たらないよう、ミリティアに頼んで、刃部分を外側に向けた形で紐を強く固定してもらう。
外界から閉ざされた麻袋の中でリーテシアは丸まって目を閉じる。
(期待、していなかったわけじゃないんです)
口は開かず、心の中で続きを呟く。
(色んな本を読んで・・・色んな物語を見ていると、こういうのは定番なんでしょうか。たくさん見かけましたし、たくさん・・・想像しました)
両手で体を抱きかかえて、リーテシアは小さく笑う。
(女王様でもお姫様でも、それこそ街中にいる普通の女の子でも・・・やっぱり護ってくれる騎士との物語は憧れるものでした。女の子を護る騎士は格好いいし、その背中を見守る女の子は不安も一杯だと思うけど・・・それでも羨ましいなぁって)
過去に読んだ史実ではなく、創作物の本を思い出す。
最期に読んだのは、一国の姫と国を代表する騎士の物語だったか。
ありきたりな物語だし、登場人物や世界観を変えれば似たような話は何度も見たが、それでもリーテシアには飽きを感じさせない魅力があった。
(今は袋の中だったり、子供扱いされてて・・・あんまり雰囲気ないけですけど、でも・・・何だろうなぁ。何だか胸がドキドキするし・・・心があったかくなる気がする)
本で読んだ物語の姫に自分を、騎士にヒザキを重ねて想像してみると、とたんに顔が熱くなってくるのを感じた。
(いつか・・・私も大人になって、この小さな国をちゃんと支えられるような人間になったら、ヒザキさんもちゃんと私のことを見てくれるのかな・・・)
物語終盤の姫と騎士のキスシーンを思い返し、そこでリーテシアの妄想力の限界が訪れた。
恥ずかしさのあまり「キャーッ」と暴れてしまう。そしてその拍子に一緒に入っていたベルモンドの商品の角が手に食い込み「ギャーッ」とさらにもがいてしまった。
その後、心配したヒザキとミリティアの二人に袋の中を覗かれたが、ヒザキの顔をまともに見れなくなっていたリーテシアは顔を背けながら「物が当たっただけ・・・」と弁明するのであった。
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階段を上っていくと、徐々に視界の先が明るくなるのを感じる。
正直、外から砂が入り込み、入り口が塞がってしまうのではないかと不安視していたが、光が漏れているということは少なくとも現状は大丈夫と見て良さそうだ。
階段を上っていく二人+袋。
石壁による断熱効果も、外が近くなるにつれて効果が薄れていき、肌を焼くような暑さがつきまとってきた。
「そろそろですね」
「ああ」
ミリティアの言葉に頷き返し、地下の明るさとは異なる太陽の光に二人は目を細めた。
眩しい。
やはり日中の太陽の光量は、地下の魔素の放つ光とは格が違うようだ。
一歩一歩、長い階段を上り、ようやく砂漠に囲まれた外へと足を踏み出した。
夢から現実へ。
急激に世界が変わったかのような錯覚に襲われるが、これが「本来の現実」として認識し直して、思考を切り替える。
「さて、帰り道ですが」
ミリティアは自分の荷物から方位磁石を取り出し、方角を確認する。
方位磁石に目を落としながら、少しずつ回転する。
やがて目的の方角になったのかミリティアは足を止めて、顔を上げた。
「こちら側が西ですね」
「了解。しかし問題が一つあるな」
「・・・そうですね、実のところ私もどうしたものかとは思ってました」
二人が視線を送るのは、今自分たちが上がってきた地下への階段だ。
「何かで囲っておかないと、砂で埋もれてどこに入り口があるかすら分からなくなるな」
「ええ・・・しかし、簡易的な障害物を作ったところで一帯の砂を遮れるとは思えませんし、砂嵐が吹けば砂丘の地形すらも変わってしまうので・・・終わりですね」
二人の悩みに対して、麻袋の中からリーテシアが声を出す。
『あ、あの・・・私がもう一回・・・』
「それはダメだ。後日頼むことはあるかもしれないが、今日のところは魔法を忘れて休んでくれ」
『あ、はい・・・』
すごすごと声が袋の中に消えていく。
気遣いは有り難いが、彼女に負担をかけないために袋の中に入ってもらっているのだ。ここで精神的負担の最大要因である魔法を使わせる選択肢はヒザキたちには存在しなかった。
とはいえ、困りごとなのも確かである。
「・・・?」
ミリティアがしきりに足元を気にする。
「――」
同時にヒザキも異変を察し、周囲に警戒を配った。
「ヒザキ様・・・」
「ああ」
ミリティアはまだこの違和感の元に気づいていないようだが、ヒザキの反応を見て、腰の剣を引き抜いた。
足の裏から感じる微かな振動。
近くの砂丘を注意深く見ると、砂が振動によって動かされているのか、砂の流れが確認できた。
幸い、風は殆ど無い。
ヒザキは振動の元に覚えがあるようで、普段と変わらない態度で周囲に目を配り続けた。
「ミリティア」
「はい」
「今回の相手は・・・正直、君では荷が重い」
「――・・・それは」
「勘違いしないで欲しいが、君の実力云々ではなく・・・君の魔導剣技とは相性が悪い相手、ということだ」
一瞬、自分の実力不足を指摘されていると思ったミリティアが目を伏せたが、続くヒザキの言葉に突剣の柄を握り直す。
「・・・どちらにせよ引くわけには行きませんね。王を護る身として、相手がどんなものであれ背中を見せるわけにはいきません」
「ここに護る王はいないだろ?」
「護りたい王はいますよ。他国の方ではありますが」
ミリティアはヒザキの背中の麻袋を見て微笑んだ。
「そうか。そうだな」
少しだけ嬉しそうにヒザキが言葉を返した。
そんな最中にも揺れは強さを増していき、周囲の砂丘が音を立てて形を変えていく。
(この感じ・・・どこかで)
地下で感じた地震とは異なる――地中で生物が流動する際に起こるような、不気味な地揺れ。
地中を住処とする魔獣や生物は多いにしても、広範囲に揺れを引き起こすようなモノはそうそういない。
そんなことが可能な生物がサスラ砂漠にいるとすれば、それは――。
「まさか・・・」
「そのまさか、だな」
ミリティアの脳裏に、8年前の光景が浮かぶ。
国の猛者を集め、陣形から戦略まで、知恵と力の限りを尽くして対峙した大討伐対象。
砂漠を揺らす振動はもはや人が立っていられないほどのものになっていた。
揺れによってあっという間に足元に流れ込んできた砂に身動きが取れなくなり、片足を抜け出そうとすればもう一方の足に痛みが走るほどの圧力に襲われた。
「ぐっ・・・!」
「ミリティア!」
下手をすれば靭帯ごと千切れそうな砂の圧に眉を歪めるミリティア。
ヒザキはすぐにミリティアの体を掴み、女王蟻の爪に触れないように気を付けながら、ミリティアを自分の背後に移動させた。移動する最中も常に流れ込んでくる砂に体が軋みを上げるのを感じた。
ヒザキの背後にいるからと言って、砂から逃げ切れるわけではない。
辛うじてヒザキが壁になって圧力が弱まる程度だが、どの道最後には砂に埋もれて身動きが取れなくなるだろう。
生命の危険を感じたミリティアは声を上げる。
「ヒザキ様! 魔法を使って周囲の砂を吹き飛ばします! ――っ!?」
宣言後に前方を見て、ミリティアは息を飲んだ。
――砂波。
サスラ砂漠に潜むある魔獣が引き起こす、魔獣災害と呼ばれる現象の一つ。
膨大な質量に押し出された砂漠の砂が、津波のように地上を突き進む姿からそう名付けられたそうだ。
地鳴りを伴って、砂飛沫が水平線を彩る。
砂波は肌色の津波のように全てを飲み込もうとこちらに迫ってきていた。
既に背後にあった階段は砂で埋め尽くされてしまった。
風魔法を全力で叩きこめば、階段の奥に砂を押し出し、階下に逃げ込むことは可能かもしれない。
「ヒザキ様! 私が階段に向かって風魔法を放ちますので、下に退避しましょう! 回避するにはそれしかありません!」
「――いや」
「!?」
肯定の言葉だけが返ってくると決めつけていたミリティアは、予想だにしない否定の言葉に覆わず目を見開いた。
そうこうしているうちに砂波の向こう側に巨大な物体が顔を出した。
砂漠の暴君、サスラ砂漠最強とも呼ばれる魔獣――サンドワームだ。
幼体であるサンドワームが成体になると、ドラングケイルと呼ばれる連国連盟討伐指定に該当する凶悪な魔獣へとなるのだが、幼体は幼体で節操なく暴食することで有名で、幼体・成体共に最大級に危険と認知されている稀有な魔獣の一つである。
ドラングケイルは巨大な蛾の魔獣だが、砂漠から生活環境を変えて、食糧が豊富な森や山に住み着くことが多い。砂漠という人間が戦闘行為を行いづらい環境から移動する、という面ではまだドラングケイルの方が討伐自体はやりやすいという評価もある。
サンドワームが砂漠において最強と呼ばれる所以は、ただ砂漠を移動するだけで砂波などの二次災害を巻き起こすところだろう。その上、弾力性のある皮膚に凶悪な牙を何千も揃えた巨大な口。さらには粘着性のある唾液から、飲み込んだ全てを溶かす強力な胃液を兼ねそろえている。
砂漠で会えば最期。
死を受け入れよ、というのが昔の砂漠に住む人たちの伝承でもあったそうだ。
死の伝承など聞き入れたくもないが、目の前の光景を見れば納得せざるを得なかった。
蠢く小さな牙を剥きながら、巨大な口が砂波の向こうに見え隠れしている。
あれに飲まれれば終わり。
その前の砂波に飲み込まれても終わり。
獲物を捕らえる際は粘着性の液で獲物を固め、ゆっくりと咀嚼する性質を持つ魔獣だが、今のワームにその気配は無かった。つまり純粋に、ただ移動しているだけなのだろう。移動するだけで砂漠上にこれだけの被害をもたらすところ、暴君の名に恥じない迷惑度合である。
「ヒザキ様っ!?」
ミリティアの焦りを顕したかのように、声が半分裏返ったような叫びになる。
その声が緊迫した状況だということを物語り、それを袋越しに聞いていたリーテシアが落ち着きなく体を動かした。
「そうだな」
「で、ではっ――!」
ミリティアは砂の中に埋まった右手で急いで魔法陣を形成し、背後の階段があったであろう場所に向けて放とうとする。砂の中に両腕が沈んでしまった為に狙いがつけにくいが、何とか階段方向に手を向けられた感覚がある。
しかし、その行為はヒザキの言葉で止まることになってしまった。
「いや、そうじゃない」
「えっ――?」
気付けば胸元まで砂に埋まっていた。
一秒たりとも無駄にできない状況だ。
このまま周囲の砂の嵩が増していくと、最悪、風魔法でも階段内に入り込んだ砂を押し出すことが出来ない状況に陥りかねない。
だというのに、ヒザキは何を言っているのか。
ミリティアは理解できずに表情を苦悶に歪めた。
そんな彼女とは対照的に、いつもと変わらない様子でヒザキは指示を送る。
「この周囲の砂だけどかしてもくれればいい」
「そ、そんなことに何の意味がっ――!? どかしてもすぐに砂に埋もれますよ!?」
「一瞬だけでいいさ。それで十分だ」
「ですが――!」
「ミリティア」
ヒザキはミリティアの方に顔だけを向けて、静かに言った。
「俺を信じろ」
その言葉は何処か聞き覚えがあった。
いや、疑う必要も思い出す必要もない。
思い出は既にサリー・ウィーパのコロニーに潜入した際に引き上げた。
だから確信を以ってミリティアはその言葉が「真実」だと思えた。
何故ならその言葉は、8年前にも耳にしたのだから。
状況は依然、死と隣り合わせの状態だ。
だというのに、ミリティアからは恐怖心や焦燥感といった負の感情が消えていた。
不思議なものだ。
8年前と同じ言葉を言われ、照らし合わせるだけで安心してしまうのだから。
我ながら単純なものだとミリティアは思わず笑みを浮かべてしまった。
そして間髪置かずに、意識を右手に集中させ、魔法陣を形成させる。
「――放ちます!」
「ああ」
ミリティアの合図に頷き、ヒザキは前方を見据えた。
直後、ミリティアの風魔法が発動し、二人を覆っていた砂の波が四方に吹き飛ぶ。
風の中心にいる二人に風圧が及ばないよう、上手く風の流れを調整する。
今の今まで体の自由を奪っていた砂が離れていく解放感は、中々に気持ちの良いものだった。
「さて」
ミリティアの魔法によって散った砂が再び押し寄せるには、数秒もかからないだろう。
だからそれまでに勝負をつける必要がある。
「前回は魔法ではなく剣メインで戦っていたからな。不服にも取り逃がす羽目になってしまったが――」
右手をかざす。
「その非礼も込めて、今度は『今の俺』が出せる全力を叩きこんでやろう」
そして巨大な魔法陣がヒザキの眼前に展開される。
その大きさにミリティアは信じられないものを見るように目を開いた。
ヒザキが用いる火の魔法。
いつもと異なる点と言えば、魔法陣の大きさと――何より魔法陣の六芒星の各属性を現す三角形の型。
本来であれば属性に合わせた一角だけが生成されるはずなのだが――薄らと、目を凝らさなくては見えない程度の本当に薄い光が、炎以外のもう一角に輝いていた。
「そんな・・・これは・・・」
突然、ヒザキの右腕の数か所から血が噴き出す。
まるで見えない何かに右腕が押し潰されたかのようだ。
「ヒザキ様っ!?」
「問題ない。気にするな」
ミリティアの心配を制し、ヒザキは「やはりここまでか」と淡々と呟いた。
そして、魔法陣は細かい粒子へと砕け散り、
「――殲滅系火炎魔法」
ヒザキの宣言を合図に、全てを焼き尽くす赤い光が世界を覆った。
ミリティアは思わず、腕で視界を塞いだ。
ミリティアの風魔法も、
辺りを覆い尽くしていた砂も、
向かってきていた砂波も、
その奥にいたサンドワームも、
紅蓮の光が進む道にいる、その全てがまるで存在することを許されないかのように、悉くを焼き尽くされていく。いや「焼かれる」という表現すら相応しくなく、文字通り消し飛んでいった。
時間にして数秒の出来事である。
世界が元の色を取り戻した時には、地上を揺らしていた地震は既に収まっており、三人を埋め尽くそうとした砂の動きも停止していた。
ミリティアは恐る恐る腕をどかし、前方の景色を見て腰を抜かしそうになった。
地に腰をつけなかったのはミリティアの騎士としての誇りだろう。
振るえる両足に鞭を打って、ミリティアはその光景を目に焼き付けた。
おおよそ直径2メートル程度だろうか。
円状の光が通った先には、その形そのもので抉られたかのように地表が削られていた。
砂漠の景色に似つかわしくない、赤黒い熱を発した跡なので、実に分かりやすい「通り道」だった。
そしてその通り道の過程にいたサンドワームも、口腔内から胴体にかけて小さな穴を開けており、その活動を停止していた。
遠目だから分かりにくいが、サンドワームは100メートルを超える巨大な魔獣だ。
2メートル程度の穴を開けられた程度で絶命するとは思えないが、前方に見えるワームは完全に命を刈り取られていた姿に見えた。
「こ・・・ぅっ」
言葉が出ない。
魔法、という次元を超えた圧倒的な力を前に、ミリティアは上手く呼吸ができない自分にもどかしさを覚えた。
「こいつに焼かれたら最期、触れた者は全て細胞の端まで焼かれる」
「っ・・・!」
ヒザキの変わらない口調に、ミリティアは金縛りから解かれたかのように膝に手をついた。
ヒザキの言葉が正しいなら、おそらくサンドワームはあの魔法に貫通されたと同時に内部から焼かれたのだろう。あの巨体が一瞬で絶命するほどの高熱と、伝熱性の高さ。
(あれは・・・魔法、なのか?)
その問いは、ヒザキがアイリ王国近辺の山岳地帯で放った、赤い光を見た時も思ったことだ。
しかし今度はその比ではない。
この威力はあり得ない威力だ。
少なくとも個人が持っていていいはずがない、世界観すらも歪ませる禁断の域のものだ。
「・・・すまないな」
冷静さを失っているミリティアにヒザキはそう声をかけた。
「・・・・・・え?」
呆けたような返事にヒザキは気まずそうに頭を掻いた。
「いや、君には刺激が強すぎる光景だったな・・・そこはもう少し配慮すべきだったと思う」
「・・・」
ミリティアは一度ヒザキから視線を外し、俯いて目を閉じた。
何度か深呼吸を行い、一分ほど繰り返したあたりで彼女は思いっきり自分の両頬を叩いた。
バチィンと音が響く。
実に痛そうな音だ。
「だ、大丈夫か」
ヒザキも想定外な行動に若干、言葉に詰まっていた。
「――・・・・・・はい、ご迷惑をおかけしました」
頬を少し赤くしたミリティアは、先ほどまでの混乱した姿は跡形もなくなっており、空洞から出てきた時と同様の彼女の表情をしていた。
ヒザキは何か言おうとして、思いとどまったのか口を閉じた。
(ああ、冷静に考えてみれば・・・)
ミリティアは目を薄めて考える。
彼は何故、この力をこの場で行使したのか。
ワームを倒すためだというのは分かっている。だが倒さず、階段の下にあるリーテシアの国たる空洞に逃げ込む選択肢もあったのだ。仮に風魔法でどうにもならない結果になったとしても、試す価値はあったはずだ。
それを試さずに、彼は倒す方を選んだ。
(私は・・・自分で思っていた以上に信頼されていたのだな)
彼の魔法は危険だ。
赤子でも分かる。生物であるなら誰もが目にしただけで命の危険を感じるだろう。
何処かの国がこれを目撃すれば、連国連盟総出で討伐対象になることだってある。
それだけ世界を揺るがすに値する力なのだ。
それは彼自身も理解している。
ヒザキの態度を見ていれば、ミリティアが「この魔法に恐怖を感じる」ことを織り込んだ上での行動だったことが如実に伝わってくる。
その上で行使した理由は「信頼」だ。
彼は恐怖の対象に陥ると理解した上で、それでも受け入れてくれると信じて、あの魔法を放ったのだ。
突然のワーム襲撃で彼も熟考する時間がなかったのも関係しているかもしれない。思えば彼にしては「軽率すぎる」行為にも思えるからだ。それでも時間のない中、ヒザキはミリティアを信じた上で、この状況を最も効率よく打開できる方法を選択した。
ミリティアはそう解釈した。
「恐れないのか?」
一度冷静さを取り戻したミリティアにとっては予想できた問いだ。
「・・・恐れました。この魔法が自分に、我が国に向けられれば・・・抗う術はおそらく無いでしょう」
「・・・ああ」
「それを考えずとも直観で理解した瞬間、私は・・・恐怖で膝を折りそうになりました」
「・・・」
苦虫を噛んだようにヒザキは口をつむんだ。
「ですが・・・」
「・・・?」
「落ち着いて考えてみれば、貴方はそんな戦い方をする人ではない。と思ったら、自然と恐怖は消えていきました。・・・平静を取り戻すために頬を叩いてはみましたが、存外に痛いものですね」
あれだけ強く叩いたらな、という軽口をヒザキは口に出来なかった。
「君と共に行動する時間はそう多くないと思うのだが・・・何故そう思ったのか聞いてもいいか?」
「ふふ・・・疑り深いですね。そうですね――」
と言いつつ、笑う余裕が出てきたことにミリティアは心中ホッとする。
そしてミリティアは理屈や理論などは無視した回答をヒザキに投げつけるのであった。
「それは、女の勘です」
思わずヒザキが噴き出す。
彼にとってもそれなりに緊張していたのだろう。
彼にしては珍しい、というよりミリティアとしては初めて見た、彼の自然な笑みだった。
「参ったな。どうも女性陣の心情は俺には難易度が高すぎるらしい」
「説明しろと言われても、私自身、説明できないほど難解ですからね」
「そうか・・・ありがとう」
リーテシアにしろ、ミリティアにしろ。
ヒザキには理解できない次元で「彼という一人の人間」を理解しているのだ。
言葉で説明はできないが、そのことを感覚で認識した瞬間、ヒザキは自然と笑っていた。
「あ、あのぅ・・・」
すると置いてけぼりにされていたリーテシアが、麻袋の口から顔を出して二人に声をかけてきた。
「な、何があったんでしょうか・・・」
外の様子が分からず、ただ只事ではない何かが起こったのであろうことしか分からない少女は不安そうにヒザキとミリティアを見上げた。二人の不穏なやり取りも聞こえていたのだろう。喧嘩をしている間に入り込むかのような不安を抱えながら、リーテシアは二人の機嫌を伺った。
「どうします?」
ミリティアの投げかけにヒザキは「そうだな・・・」と息を吐く。
「信頼していないわけではないが、リーテシアにはまだ早いだろう」
「え、何が!?」という表情を浮かべるリーテシアに、ミリティアは苦笑した。
「期を見て・・・話す日が来るだろうさ。今回の件で俺も少し・・・安心したからな」
「え、ぇえ・・・?」
意味が分からず、予想以上に和やかなムードにリーテシアはひたすら混乱した。
「とにかく、今は国に戻ることを優先しましょう」
「そうだな」
「ぅぅ・・・後で教えてくださいねっ」
ようやく長いようで短い、砂漠の旅の折り返しを三人は切り返したのであった。
因みにワームの亡骸については「ちょうどいい目印になるな」という結論にいたり、有効活用させていただくこととなった。
どちらにせよリーテシアの国に戻るには砂に埋まった階段を見つける必要があるわけだが、ワームという目印ができたことで、だいたいの位置は把握できるようになったので、また帰る際に風魔法などで辺りを捜索するという妥協案で結論付けることとなった。
そうすると帰りもミリティアが同行する前提に聞こえるが、彼女自身が何も否定しなかったので、ヒザキもそのまま聞き流すことにした。
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砂漠の道中。
ヒザキはリーテシア入り袋を背負いながら、ミリティアと帰路を共にして思う。
(何故・・・俺はあの時『メギド』を撃ったんだろうな)
ミリティアの目を恐怖に曇らせ、その双眸に自分が映し出されることは十二分に判っていたことだ。
今こそ彼女が受け入れてくれたから良かったものの、もし彼女が相反し、アイリ王国に報告でもされたら大事になっていた。おそらくアイリ王国含め、複数の国と事を構える未来になっていただろう。
そう考えると軽率もいいところだ。
だがそんな自問自答には既に答えが出ていた。
(ま、信じたんだろうな・・・彼女は俺を信じてくれる、と)
短期間の間柄ながら、彼女は信に値する人間だということはヒザキの心に刻まれていた。
それは彼の長い人生観、様々な人との過去の関係から結び付けられる、一種の確信とも言えていた。
(今回の旅では・・・色々と昔を思い出させられた)
その度に心を揺らされ、ヒザキは過去幾つかの拠り所にいた時期を思い出すことになった。
(それが・・・関係しているんだろうな。フン・・・我ながら随分な寂しがり屋なもんだ。人との繋がりなど、とうに切り捨てられ、興味すらも無くなっていたと思っていたんだがな)
乾ききったと思っていた心は、あの地下のオアシス同様、深いところでは未だ潤いを持っていたようだ。
(拠り所、か)
リーテシアが国有旗を刺した時の記憶を思い出す。
彼女は自身が言っていたように、支えが必要だ。
その支えに自分を選んでくれたと言うのであれば――この意味のない慢性的な人生にも多少の色がつくのかもしれない。
人の人生は短い。
だからこそ人はその一生を可能な限り輝かせようとするのだ。
リーテシアが進む未来は険しいだろう。
12歳の子供が散歩気分で歩けるほどの道でもなければ、獣道や砂利道のような可愛い道でもない。
一歩踏む場所を間違えれば、命を落とすかもしれない茨の道だ。
故にその先にあるゴールにたどり着いた彼女は、誰よりも輝く存在になるだろう。
(そのためにこの力が必要なら・・・ああ、使うさ。最も・・・戦火の火種にするつもりはないがな)
戦争を始めるために力を使うのではなく、最小限の力で主を護るために行使する。
でなければ自分の力が国を亡ぼす引き金なりかねない。それだけはしてはいけない未来だ。
(感謝する、ミリティア。君のおかげで・・・今一度、誰かと一緒に歩く決意がついた)
リーテシアと共に行動する決意は建国時に彼女自身に伝えていたが、ヒザキ自身の中に未だ残っていた「しこり」のような不安はミリティアによって払拭された。
(彼女とリーテシアも相性は良さそうに見える。可能であれば彼女にもリーテシアを支える一助になってもらいたいところだが・・・それは無理か)
表からは分かりにくいが、この旅はヒザキにとっても非常に意味のあるものだった。
リーテシアやミリティアがそうであるように、彼もまた心情新たにしてアイリ王国への帰路を一歩ずつ踏みしめていくのだった。




