第49話 小さなさざ波は大きな波紋へと
此処に一つの国が誕生する。
この世界において、国とは民、城、土地、金、文化、資源――そういったものの集合体を指すのではなく、の国有旗を突き立てたその行為が国の発祥であり、国有旗が指し示す波動そのものが国と成すのだ。
リーテシアが発動させた土の魔法が国有旗の溝を辿り、ヘンリクスに到達する。
ヘンリクスを経由することで異なるエネルギーに変換された魔法の力は、地面に突き刺さった先端部分より「国の証」たるエネルギーの波動を放射線状に流し始める。
もう後戻りはできない。
国有旗を発動させる、ということは――ここに「国を成す」という意志表示なのだ。
間違えました、という一言で片づけられる些事ではない。
全身の肌が沸き立つような膨大な魔法の波動が地中を駆け巡る。
ヒザキとリーテシアは足元が波打つのを感じ、踏鞴を踏みつつも空洞の地を倒れないように踏みしめる。
「――これが」
国有旗が放つエネルギー。
空洞内の魔素と結合した光る土も干渉を受け、先ほどまで安定した灯りを与えてくれていた時とは逆に、明滅を繰り返していた。
国有旗と大地との接点を軸に、無数の波が周囲に向かって際限なく走る続ける。
魔法師である二人にはその動きが明確に見て取れた。
「あわわっ」
経験したことのない膨大な素粒子の鳴動に、リーテシアは落ち着きなく周囲を見回した。
国有旗の溝を沿うように薄緑色の光が走り、大地との接触部付近の装置が解放される。
脚立のように細い脚が筒の側面から出現し、次々に地面へ突き刺さっていく。やがて六本の脚が大地への接触を完了すると、国有旗を固定するように国有旗と地面に沿うように脚が密着し、そこで動きを止めた。
リーテシアがその様子を見て、少しだけ国有旗を横に動かそうと思ったが、ビクともしなかった。
どうやら土の魔法を放った後、簡単に外れないように固定するための装置が自動で動く仕組みになっているようだ。
周囲の光の明滅も徐々に緩やかなものになっていき、二人は薄めていた目をようやく開くことが出来た。
「こ、これで・・・成功なのでしょうか?」
「さあな。俺も実際に立ち会ったのはこれが初めてだ」
と、息をつくのも束の間。
空洞内に振動が走ったかと思うと、その揺れ幅が徐々に大きくなってきた。
「え、えっ!?」
「・・・! 馬鹿な、この振動――ここが崩れるとでも言うのか!?」
突然の地震にリーテシア、ヒザキは反射的に周囲を見渡す。
最悪、国有旗は放っておいて、ここを離脱する必要がある。
「ミリティア!」
ヒザキの声に返事をするように、背後の岩陰からミリティアが姿を現した。
不測の事態に応じてか、既に右手には愛剣であるエストックが握られていた。
「・・・ここにいます」
「ミ、ミリティアさん・・・」
国有旗にしがみつくようにしているリーテシアと、ミリティアの目が合う。
リーテシアは気まずそうに口をつむんだが、そんな少女にミリティアはフッと笑みをこぼした。
「リーテシアさん。自分を信じて進んだ道なのであれば、俯かないでください。下を見ては石に躓くことはなくても、木に頭をぶつけてしまいますよ」
「えっ?」
てっきり国を裏切った反逆者のように扱われるかと覚悟をしていたのだが、耳に届いたのは先ほどまでと変わらぬ優しい言葉だった。
「二人とも、お喋りはそれまでにしよう。どうもこの振動・・・様子がおかしい」
「・・・確かに。これほどの揺れ、っ・・・だというのに、一切壁が崩れる気配がありませんね」
すぐに意識を切り替えたヒザキとミリティアが周囲を注意深く観察する。
(通常なら一も二もなく退散する場面だが・・・なんだ、この違和感は?)
リーテシアは既に立っていられない状態で、膝をつきながら国有旗を支えに振動に耐えている。ミリティアですらバランスを保つのに意識を割かれるほどの揺れだ。だというのに、この揺れは何かが崩壊していることが原因ではないように感じた。
崩壊、というより構築、というべきか。
元ある「物」を分解し、組みたて、再構築しているような感覚だ。
目に見える範囲での崩落はなく、視界に入らない別のどこかで蠢いている気配を感じる。
「こいつは・・・」
空洞を揺るがす地震に、未だに波動を流し続ける国有旗。
この現象に国有旗が無関係とはいえない。明らかに因果は国有旗にあるはずだ。
しかし国有旗に何かを破壊する、というプログラムは設けられていない。建国の際に国土の一部が崩壊したという話は歴史上、一度も聞いたことがないのだ。
では何が起こっているのか。
通常の国有旗を用いた建国時と異なる環境と言えば――ここが閉塞された地下空間ということ。
だがヒザキにはそれがこの振動とどう結びつくかまでは想像がつかなかった。
ここにいる誰に聞いてもそれは同じだろう。
そして、変化はついにヒザキたちがいる空洞内にも起き始めた。
『――なっ!?』
三人が揃って空洞の変化に声を出す。
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「なっ、な・・・何が一体・・・!?」
アイリ王国の執務室。
宰相であるベルゴーは壁にかけられた世界地図を見て、その様子に動揺し、机の上の書類を床に落としてしまう。
時刻は深夜。
既に国王を始め、皆が寝静まってしまった時間だが、今回の魔獣騒動における他国との協定依頼等の執務に追われていた。
そんな中、ふと目を上げた時に世界地図を目にしたわけだが・・・その変化には二度見してしまうほど驚かされた。
ずり落ちそうになる眼鏡を震える左手で調整し、ベルゴーはゆっくりと地図に近づく。
「ば、馬鹿な・・・サスラ砂漠に――新たな国土だと・・・!? あ、あり得ん・・・! こんな場所で一体誰がっ!?」
国有旗と連動する、かの天才魔術師が造り上げた唯一無二の紙状の魔導機械。
国有旗と対になる存在、「譜天鏡図」と呼ばれる世界地図に新しい色が生まれ出ようとしていた。
薄い緑色の光がにじみ出るように浮かび上がってくる。
場所はサスラ砂漠の中央部。
とても人が住みつけるような場所ではないはずだ。
「旧国土にあった国有旗で回収されなかったものがあり、それが何かの衝撃で偶然刺さり・・・? いや、どのみち土魔法を使わなければただの棒と変わらないのだ・・・誰かがここに国有旗を刺し、起動させたのは間違いない。では一体誰が何のために・・・?」
床に落ちた資料を踏みつけるも、そんなことに気を取られている暇はない。
ベルゴーは衣文掛けにかけてあった上着を着こみ、ネクタイを締めなおす。
「すぐに――国王様に報せなければ」
執務机の燭台の火を消し、ベルゴーは想定外の出来事に混乱しつつも部屋を後にした。
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アイリ王国より西南。
魔がひしめき合う、世界最大にして最悪の森と称されるウォーリル森林。
一度足を踏み入れれば魔獣の餌食となり、肉片はおろか骨や血痕すらも残らない。一部の魔獣は体内で生成された濃霧を吐き出し、自身の領域に入る獲物の視覚を奪って捕食するものもおり、その魔獣が吐き出す霧が今日も木々の隙間を埋め尽くすように立ち込めていた。
森という環境に適した魔獣が生存戦争に生き残り、今では根城としてウォーリル森林を侵す存在に牙を剥く日々を送っていた。
人外魔境ともいえる、そんな森林に人間が好き好んで足を運ぶことは本来であれば無いのだが、残念ながら「そうせねばならない」事情がこの世界には存在していた。
ウォーリル森林には常に縄張りを守ろうとする魔獣と、新たにウォーリル森林に進出してくる魔獣の争いが毎日のように起こっている。前者はウォーリル森林を生息地として腰を据えている魔獣だが、後者は「壁の向こう」から流れてくる新種の魔獣が多い。
この世界はとある事情により、世界を覆うように巨大な壁がそびえ立っている。
壁は「ウィリスの壁」と呼ばれ、高さ100メートル、幅が30メートルという――世界最大の壁である。
数百年前、土魔法の究極形の一つと言われる「錬金術」を身に着けたウィリスという女性がこの壁を作ったとされているが、文献等の資料も残されておらず、結局は誰も知ることのない伝説の一つとなっている。
――壁の向こう側へは決して行ってはいけない。
童話のモチーフに良くされるほど世界的に有名な言葉であり、今でも人類はその掟を守り続けていた。
何故、正体も発祥も由来も分からぬ壁の向こう側への進出を、根拠もなく守っているのか。人間とは欲の塊であり、目に見える謎は解きたくて仕方がない好奇心旺盛な生物でもある。当然、過去に「掟なぞ知ったことか」と壁を風の魔法を駆使して壁の向こうに渡った人間もいた。
そしてその結果が人類が「壁の向こうに行ってはいけない」という掟に強く縛られる切っ掛けにもなった。
後に「溶人」と名付けられる存在が初めて生まれ、人類がそれと相対することとなる事件でもある。
壁を渡った人間が帰ってこないまま数週間が経ち、家族らも生存を諦めかけていた時期に一人の男が壁の先から帰ってきたのだ。しかし体の損傷が酷く、意識も朦朧としていたとされている。
ジークマール帝国が最も近い国であったことから、ジークマール帝国の病院で治療を受ける形となったが、悲劇はそこから起こった。
命からがら戻った男の意識が戻り、壁の向こう側がどんな世界だったか聞きこもうと研究者たちも殺到したその日。一体の溶人がゆっくりと目を覚ましたのだ。男だった「それ」は体中からマグマのような液体を垂れ流し、従来の彼では使えなかった火の魔法を駆使して、病院ごと焼き払ったのだ。
人語こそ喋ってはいたが、支離滅裂の上に喜怒哀楽が壊れたように激しく切り替わる様子だったそうだ。
突然の事態に対応が遅れ、後のジークマール帝国の史上における最悪の事件とも呼ばれ、死者は三万人を超える規模だった。
連国連盟の各国の戦力を集結して、ようやく溶人の命を絶つことはできたが、その代償ともいえる犠牲は各国にも甚大な被害を出した。単純な死傷者の数だけで言えば、どんな魔獣よりも凶悪で最強の存在であったと今でも語られている。
連国連盟はこの件を受け、壁の向こうに原因があると決断し、以降の「壁渡り」を強く禁止することとなった。それからは数十年に一度程度の頻度で溶人の存在が確認され、都度討伐を行っていたが、どれも壁の向こうに興味を示していた研究者だったと報告が上がっていた。
連国連盟は各国に「壁を渡った者の末路」として溶人の屍を公開し、人々の心の奥に深く「禁忌とは何か」を埋めつけることで、近年は溶人の発生もなくなり、安定した世界が回っているわけである。
しかし人は防げても、動物は防ぎようがない。
特に空を飛ぶ鳥類等はどうしようもないものだ。
壁の向こうでどんな生態系が生まれているのかは謎だが、たまに新種の魔獣が壁の上を通り起こし、人の世界へと足を踏み入れてくるのだ。
そして魔獣たちが進出する先の一つが、ここウォーリル森林でもある。
ウォーリル森林の北に位置するライル帝国は連国連盟から膨大な軍事資金を援助してもらう代わりに、ウォーリル森林に入ってくる魔獣の撃退を義務付けられている、人類の盾の役割も担っていた。他にもローファン王国など、ウィリスの壁に近い国家は魔獣の過度な進出を防ぐための責務を背負っていた。
奴らは人が「魔獣」と一括りにしているだけで、魔獣同士に仲間意識は殆ど存在しない。
在るのは生きるためにどちらが勝つかの生存競争のみ。
森の魔獣は縄張りを荒らされれば当然抵抗するし、外から来た魔獣は安住の地に森が適したと判断すれば無理やりにでもそこに住まおうとする。両者が対峙すれば言うまでもなく衝突は発生する。そして戦いにより、血の気が沸き立つように荒れ狂った魔獣たちは、普段よりも凶悪な面を見せ、時には人間の住む土地にまで破壊の限りを尽くさんと攻め入ってくることがある。一度そうなると籠城戦を構えても、無差別に暴れる魔獣との戦いは厳しいものへとなる。加減を忘れた魔獣は種族にもよるが、城壁を破壊する力を発揮するものもいるからだ。そういう経緯から、可能であれば魔獣同士の争いが発生した際は、放置せずに火急的速やかに両者を黙らせるのが最善という結論に至っていたのだ。当然、城壁という強固な盾がない状態なので、危険も比例して上がるのは目に見えているが、城壁を万が一にでも破壊され、国土内に魔獣の進行を許すよりは幾分かマシという苦慮の末の結果だった。
ウォーリル森林は食用の植物や動物も多く生息しているため、魔獣の数も年々増しているのが現状だ。
そういう環境だからこそ、脅威となる芽はあらかじめ摘む必要がある。
だからこそ人間も嫌々ながらもウォーリル森林に足を運び、国の脅威となる可能性を刈り取る日々が今も続いているのだ。
ウォーリル森林の中腹から魔獣の咆哮と思われる野太い遠吠えが響き渡る。
「くそっ・・・また暴れ始めたのか、糞ったれ共め」
その声に目を覚まし、一人の兵が後ろ頭を掻きながら、苛立ちを表に出した。
周囲を見渡せば、自分と同じように億劫そうに半身を起き上がらせる同僚たちの姿。
壁際に寄せて寝かせていた負傷者たちも無理に起き上がろうとしたため、彼らに「おめーらは寝とけ」と命じ、布団を畳んで腰を伸ばす。
「ぶ、部隊長! また奴らが活性化し始めまして――!」
「あんだけデケェ声でアピールされちゃ誰だって気づくっつーの。距離はどんぐれぇだ?」
「は、ハッ! 声の発生源からして南南東に3000ほどかと!」
「3キロも離れてんのに、この大音量かよ。やってらんねぇ・・・近接担当の俺とか、間近で戦ったら鼓膜吹っ飛んじまうよ」
「き、昨日の戦闘で魔法師部隊は八割ほど壊滅してはいますが・・・な、何とか出陣できるよう発破をかけてまいります!」
「あ、ああー、いい! いいって! 今のは冗談。行きます、行きますよ・・・んな死人に鞭打ってまで戦えとかそこまで残虐じゃないから、俺。てか、え、なに? 今の発言って・・・俺ってそういう人間だって思われているってこと?」
「い、いえ・・・」
タジタジと一歩後ろに下がる兵士に、大きく男はため息をついた。
頭を思いっきり掻くと、何日も風呂に入っていないせいかフケがポロポロと眼前を落ちていき、その光景がさらに男の精神を暗く落とし込んでいった。
「あー、悪い悪い。いかんね、どーも。こういう、なんていうの? 神経尖らせっぱなしの閉鎖的な環境。これが人を苛立たせる。というわけで、早速苛立ちの原因を討伐しに行くとしようか。動けるのは何人だ?」
「は、ハッ! すぐに招集するよう号令します! 動けるのは昨日の時点で・・・130人と言ったところでしょうか」
「討伐っつったけど、相手をみねーことには判断つかねーし、最初は少人数でいーわ。偵察ってやつね。軽症者や疲労が濃い奴は休ませとけ。ただし、大規模な戦闘が必要になった時にゃ遠慮なく参加してもらうから、そのつもりでな」
「ハッ!」
敬礼後、すぐに兵士は背を向けて号令をかけに出ていった。
何となく男は袖口のあたりを嗅いでみて、すぐに顔をしかめた。
「くっせー! さすが一週間も洗濯してねぇ男臭の沁みついた服はクセェわ。あー、早く家に帰りてぇ・・・交代はまだ帝国からこねーのかよ、ったく・・・」
「その臭いも『勲章』だと思って諦めましょう、ヨルン部隊長」
後ろを振り返ると、苦笑した兵士が何人か。
その先頭にいた青年に近づき、ヨルンは自分の服にしたように匂いを嗅いだ。
「ふっ・・・貴様の服も大概な感じだな」
「く、勲章、ですから・・・」
「勲章か! ふははっ、そうか! では貴様は本国に戻っても、しばらくはその勲章を脱がずに生活せよ! 誉れを胸に堂々たる姿をさらせ!」
「ちょ、機嫌悪いからって無駄に八つ当たりしないでください!」
「ふん、幼馴染のよしみだ! 少しぐらいは付き合え、ディラン!」
ディランは長い髪をかきあげ、眉を下げて頭を振った。
「私の八つ当たり先が見当たらないので、ご免被ります。その憤りは安眠すらも妨害した魔獣にでもぶつけてやってください」
「・・・ふん、元よりそのつもりよ」
ヨルンは踵をかえし、部屋を出る。
既にディランの背後では動ける兵士すべてが腰を上げているのを確認した。
後は他の仮設兵舎から号令で集まった兵士たちの中から、先遣隊として数名を選び、遠くで声を上げる魔獣がどんな輩なのかを確認するだけだ。無論、討伐可能と判断すれば、少人数だろうが踏み込むつもりだ。
夜が明け、森の向こうから朝日が顔を出し始めていた。
時刻は早朝、おおかた六時ぐらいだろうか。
「帝国に支援と交代要員の依頼をしてもう二週間もたちやがる・・・。どうやら伝令に出した奴は道中で襲われたらしいな」
二週間前に資源の状態を予測して、余裕を持って送り出したはずの伝令。
順調にいけば、とうに支援物資や増援は到着しており、少しはまともな身なりや食事を送れたはずだった。
しかし今現在に至っても音沙汰なし。
伝令は道中で魔獣に襲われ、命を落としたか、どこかに身をひそめる必要が出てしまったか。そんなところだろう。
二階建ての兵舎の階段の上から、森の向こうを見つめる。
此処はウォーリル森林の人間側の最前線、第一防衛線「カロリア」。
その部隊長の一人を務めるヨルンは、終わりなき魔獣の動向に舌打ちをした。
ウォーリル森林の魔獣と幾度なき戦いを続けるライル帝国。
帝国からは等間隔で防衛線が三つ張られ、ここがその最も森の深い場所にある拠点だ。本国であるライル帝国からの物資や兵士は、第三、第二防衛線を経て、最後にここにたどり着くことになる。
また、第一防衛線に常に同じ兵士が在中することは無く、一か月ごとに交代する手筈になっていた。交代は三部隊で回すことになっており、一度国に戻れば二か月の休養を得られることができた。
次に交代する部隊は一週間前から第二防衛線で待機することになっており、交代部隊が期日になってもカロリアに姿を見せない、という事態は本来はあり得ないものだった。
しかし、三週間前にカロリアの真上を鳥型の魔獣が飛び越えていき、ヨルンたちが対応する前に第二防衛線の拠点が襲撃され、交代部隊として待機していた部隊が応戦。多くの死傷者がその戦いで出てしまったらしい。鳥型魔獣は魔獣の中でも強い部類だったようで、空中を自由に飛び回るハンデもあったことから、第二防衛線にいた部隊長が重傷を負う結果と引き換えに、魔獣を仕留めたらしい。
おかげで交代部隊は帰国を余儀なくされ、ヨルンは今でも前線に取り残された日々を送っていた。
ヨルンが交代でここについてから既に一か月半が経つ。
本来であればとっくに実家で美味い飯を食い、風呂を満喫し、夜の街を楽しく歩き回っているはずだというのに、この現状はいったいどういうことか。
「特別手当でも出ねぇとやってらんねーぞ、こいつはぁ・・・」
「致し方ない状況とは言え、せめて物資だけでも補給したかったところですね」
ディランが横に並び、小さく息をついた。
「もう一度、伝令を出すわ。もう食料も底をつきそうだし、何より負傷者の衛生状態がかなり悪ぃ・・・新しい包帯に変えてやらねぇと、すぐに悪くすんぜ・・・」
「ええ」
二人して固い表情を曇らせる。
と、下から一人の兵士が慌ててこちらに走ってくるのが見えた。
「ぶ、部隊長!」
「んあ? もう集まったのか?」
「いえ! そ、っそ、それが! 本国から交代の部隊が到着したのです!」
「え?」
その報告に危うく寄りかかっていた手すりから滑り落ちそうになる。
想像していなかった朗報にヨルンとディラン、他の兵士たちは顔を見合わせて驚きを露わにした。
「お、おまっ・・・それ誤報じゃねーよな? ぬか喜びとかさせたら、おま、後でおっかねーぞ?」
「えっ? あ、いや・・・だ、大丈夫なはずです」
「そこで弱気になるなよ! 不安になんだろーがぁ!」
「まあまあ。実際に交代部隊の姿は確認したのですよね?」
怒鳴るヨルンの肩に手を置いて、ディランが代わりに兵士に尋ねた。
「ハッ、確かにこの目で! ハイデンファクス卿が部隊長を務める隊です!」
「ハイデン・・・ペル坊かよ。てか、あいつ・・・どっちかっつーと、外交向けの護衛につく任務が主じゃなかったっけ?」
「実力は折り紙付きですからね。もしかしたら今の状況を鑑みて、将軍が手配してくれたのかもしれません」
「シグンのおっさんがそこまでやってくれっかねぇ?」
「しょ、将軍を呼び捨ては・・・さすがにマズイですよ」
「いーじゃねぇか。どーせ誰も聞いちゃいねーんだからよ」
手すりに圧し掛かり、口の端を上げてディランにそう言葉を投げる彼だが、不意に視線を感じて階段の下を向いた。
「あまり関心しない発言ですね。耳にしたのが私で良かったですね、ヨルン殿」
「げっ・・・ペル坊。いつの間に・・・」
「その呼び方はお止めください、と何度もお伝えしたはずですが。私にはペラーバ=ゴッズカール=ハイデンファクスという名前があるのですから、それに則った呼び名にしていただかないと」
「則ってんだろ、ペラーバ・・・あー何たらルって名前なんだからペル坊だろうよ。てか本名なげーし、言いにくいんだよ。ぜってぇーこっちの方が呼び易いぜ」
「まったく人の名を何だと・・・私も貴方に剣を教わっていた頃から成長したのです。それなりに敬意を込めた呼び名にしていただきたいものですな」
とは言いつつも半ば諦めているのか、ペラーバはため息を盛大について階段を登っていった。
190を超える長身のペラーバが同じ段差に並ぶと、175センチメートルのヨルンは子供のような身長差に見えてしまう。
「あ、こらっ! 横に並ぶなっていつも言ってんだろーが!」
「ふふ、私が成長という事実をご理解いただいたようで何よりです」
「身長だけだろーが! 剣じゃ俺を超えてねーだろ!」
「魔法を使える私の方が戦い方には幅があります」
「それ剣じゃねーし! 魔法なんざ邪道だよ、邪道!」
「・・・魔法を使えない者の妬みに聞こえるので、頼みますから発言には気を付けてください」
子供と大人の喧嘩のような雰囲気に、ディランがヨルンの後ろから覗き込むようにして「いつもすみません」と謝った。ペラーバもそれに笑顔で対応し、大人二人に挟まれた大人は尚更不機嫌になっていく。
「けっ、んな話はどうだっていーのよ! で、ペル坊が交代に来てくれたって見解でいーのかい?」
「はい、シグン将軍の命により私が馳せ参じた次第です。つきましてはヨルン殿の部隊は本国に撤収。ここの管理は我々が引き継ぐ形となります」
「そうか! よしっ、これで帰れるぞ!」
ガッツポーズをとって喜びを露わにするヨルンに、ペラーバは頬をかき、少し言いにくそうに苦笑する。
「ああ、お喜びのところ水を差すようで言いにくいのですが・・・ヨルン殿。貴方には将軍より別命が下りました」
「・・・・・・・・・は?」
ペラーバは一拍置き、ヨルンに将軍からの新たな命令を伝えることとなった。
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「さて、どう思うかね?」
「・・・」
場所はライル帝国の中枢にある軍事要塞と称される城の一画。
後ろ手に白髪と銀髪が入り混じった風貌の壮年の男が、向かいに座してこちらを見ている男に問いかけた。
「閣下。どう思うと問われましても、見たままのことをお伝えするしかありませんな。寂れた砂漠の国でどこぞの阿呆が国を語ろうとしていると」
閣下と呼ばれた壮年の男。
ライル帝国、第二十三代目皇帝――ゼネル=ライル=クロード。
対して、彼の正面に座っているのは世界有数の軍事国家であるライル帝国の将軍、シグン=レキュリーである。
シグンは齢六十を超える老体とは思えない巨体を鎧で包み込み、見る者すべてを凍り付かせるほどの鋭い眼光で、正面の壁にかけられた世界地図を見ていた。
「フッ、どこぞの阿呆、か。真っ先に脳裏に浮かぶのは、フスが老衰で倒れた後を継いだあの王子のことだが・・・彼に何かを変える気概があるとは思えないねぇ」
「ですが国有旗を所有している国は少ない。アイリ王国は過去の何本か国有旗を未だ所持していたと記憶しております。目的は不明ですが、何かしらの理由でそこに刺したのではないかと」
「連国連盟に無断で、かい? もしそうだとしたら、連盟規約のれっきとした違反だよ、これは。加盟国が新たに領土を広げる際は議会で各国の七割の賛同を得てからでないと認められない。もし仮に――アイリ王国が建てた国有旗だとするのであれば、連盟に対しての立派な反逆でもあるね」
「どちらにせよ――憶測で測ろうとしたところで徒労に終わるでしょう。なに、座して待てばすぐに連盟側から招集勧告が来るでしょう」
「ああ、そうだねぇ」
シグンはため息交じりに椅子を立ち、鎧の位置を直してから部屋の出口に向かう。
そんな彼の背中にゼネル皇帝は話しかける。
「ああ、そうだ。実はヨルン君を森から引き揚げさせていてね。ハイデンファクスの倅の部隊を交代に向かわせたんだ。数日後にはこちらに戻ってくると思うよ」
扉のノブに手をかけた状態でシグンは顔だけ振り返り、
「そうでしたか。新たな交代部隊の派遣、感謝いたします」
と感謝を述べる。
「いいや、それは当然のことだからいいんだ。君に伝えたいのは次のことさ」
「次?」
「彼には――遠方派遣に行ってもらうと思っていてね」
「遠方、ですと・・・まさか」
僅かに目を開いてシグンは体の向きを皇帝に変え、口を紡いだ。
「ああ、アイリ王国だよ。正確にはココ――新しい領土なのか新しい国なのか分からないが、彼に調査をしに出てもらう予定だ」
「・・・お言葉ですが、連盟側による議会の開催は時間の問題です。その際にアイリ王国側に問えば良いのではないかと思うのですが・・・」
「それは正論だな。だけど議会の開催には時間もかかる。各国の首脳が一堂に会するんだから、まあ当然だね。それだと遅いと思わないかね?」
「遅い・・・はて、一体何を以って『遅い』とされるのか私には計り兼ねますが」
クックックとゼネルは笑いを漏らし、腕を組みなおしてシグンを見つめた。
「地下資源だよ」
「・・・」
「君も知っての通り、サスラ砂漠の地下には未だ眠れる膨大な資源がある。勿論、オアシスの元となった水脈も多数生き残っているだろう」
シグンは深く息を吐き、ゆっくりと扉から離れ、先ほど自分が座っていた椅子に戻った。
ゼネルは面白い物を見つけたかのように笑っていた。
その様子に「ふむ」と呟き、椅子に深々と腰を沈める。
「砂漠には過去何度かの調査に出向かせましたが、見つけたのは三つの水脈と一種の鉱物のみ。砂漠特有の魔獣がいる中、あまり深入りもできないことから我々で把握している資源はそれだけとなります。特に地図に浮き出た光の位置――砂漠の奥に当たります。気軽に部下を送り込む、と言うには聊かメリットが薄いように感じますが?」
「尤もだ。また我々も資源を把握したところで、活用する手立てが無かったのだしな。仮に公に資源の存在を公言し、国有旗を建てようとすれば当然、議会での承認が必要となる。そうなればアイリ王国側も黙ってはいないだろう。『元は我々の物だ!』だの何だのとゴネるのは目に見えているからね」
一見、シグンの言葉とは外れた返答のように聞こえたが、シグンは彼の言葉の中に思惑を感じ取り、眉を上げた。
「まさか――」
「フフッ、君は察しが早やいから話しやすいね。結構なことだよ」
ゼネルは譜天鏡図に浮かぶ薄緑色の光に指の背を当て、言葉を続ける。
「まず第一に――我が帝国の物資は潤沢にあると連盟側も考えているようだが、実際はそうでもない。度重なる森での戦闘に兵たちは疲弊し、医療や食料の費用は年々嵩んできておる。兵士の人材不足も目に見えて増えてきている。近いうちに不良人材のアイリへの供給も絶たざるを得ない日が来るのかもしれぬな」
不良人材、という表現にシグンは眉を動かしたが、それ以上は何も言わなかった。
「それを大前提とし、我々は独自に物資の補給先を増やす必要がある」
「連盟に提案を上げてみては?」
「無駄だろう。壁を越えて入り込む魔獣に対応しなくてはならないのは、我々だけではないのだ。そんな要望を通せば、他国も当然同じ要望を上げてくることは火を見るよりも明らかだよ。だから連盟は今の調整を崩す方針は認めんだろう」
「確かに仰るとおりですな」
「だからこそ今回の件だ。もしこの光が新しい国だとしたら? アイリ王国でもなく、連盟にも属さない新たな国家の誕生だとしたら? それはとても素晴らしいことだ。我々にとってね」
シグンは過去の火傷の傷跡が酷く残っている頭を掻きながら「つまり今のうちから唾をつけておく、ということですね」と返した。
「言い方が美しくないねぇ。支援だよ支援。新たな国を作るなど、仮に数十万の民が寄り添ったところでそう上手く行くものではない。必ず他国からの支援が必要になるはずだ」
「・・・連国連盟の収集はその新国家にも当然出されるでしょう。名目は『連盟に加入するか否か』で。その前にライル帝国の隷属的な国に仕立て上げる、ということですか」
「そうなるね。もっともヨルン君を送り出して結果、この光の場所はアイリ王国の属国でした、という結論であればこの話は無かったことになるがね。加盟国同士で争いを起こすわけには行かないからね」
「その場合はアイリ王国に対し、連盟規約の違反による処罰として『アイリ王国に最も近いライル帝国が監視下に置く』などと何かしらの提案をなさるおつもりですかな?」
「フフッ、フハハ! ああ、まるで心を読まれているかのようで驚いたよ。その通りだ。監視下とするか、他の妙案にするかは考えている途中だがね。概ねそういう方向に持って行くつもりさ。誰もが納得するような物言いを考えておかないと、保留案件にされてしまう可能性もあるからね。理由付けはしっかりと熟慮しておくよ」
「フッ・・・随分とあくどいやり方ですな。アイリ王国にだって地下水脈の件を話しておけば、あそこまで寂れた国にはならなかったでしょうに」
30年前の会議の光景をシグンは思い出す。
当時は本当に資源は枯渇したものだと場の誰もが思っていたのだが、そのあとの内密な調査によって地下に資源が残っていた事実を聞かされた時は本当に驚いたものだった。
「物事はすべて天秤なのだよ、将軍。アイリ王国に恩を売る目的で資源の情報を話すか、利用価値が出るまで我々の胸の内に温めておくか。一国に対しての評価としては無礼に当たるのだろうが、私としてはあの国には一切の期待はしていないのだよ。生産性も独創性もない、ただただ終焉に向かって体を丸めているだけの愚か者に対して、天秤がどちらに傾くかなど、愚問もいいとこだろう?」
「はい、私も同じ意見です」
あの国にも「できる奴はいる」とシグンは頭の中で数名の人間を思い浮かべたが、気分を良くしている皇帝閣下にわざわざ言うことでもないので、黙って話の続きを待った。
「ああ、そうだとも。であれば資源を有効的に活用できる我々がもらい受けるのが道理。本来はアイリ王国が倒れるまで待つ計画であったが、今回はまさに天からの恵みだな。連国連盟の加盟国になる前に抑え込み、情報を封じさせる。後はアイリ王国に情報が漏れないように資源を回収し、我が国に搬送させる方向で進む」
「ハッ・・・しかし、その調査に何故ヨルンを? 言っては何ですが、彼は交渉事には向いていない性格です」
「ああ、彼の部隊には私が厳選した交渉役も帯同させるつもりだ」
「交渉役、ですか」
「ああ、文官としても優秀な人材だ。ある程度の人間は丸め込ませることができるだろう。ヨルン君はその護衛が主な任務になるだろうね」
「そうですか・・・」
交渉役となる文官。
気になるワードだが、この場で考え込むのは宜しくない。
「将軍。君と一部の人間にだけこの話を通している。極秘事項である故、注意して行動するように頼むよ」
「もちろんです」
「ああ、あとヨルン君の部隊に向けた指示書は発行済みだ。君の名前で出しているので、後の詳しい指示については君に任せても構わないかな?」
「ええ、確かに承りました」
満足そうに頷く皇帝の姿を見て、話は今度こそ終わったものと判断し、シグンは再度席を立った。
(少し性急に過ぎる話の気もするが・・・何か他に目的があるのかもしれんな。やれやれ・・・閣下は政治については言う事はないのだが、良くも悪くも謀を好まれる性質が玉に傷だな。ヨルンも災難だったな・・・)
ゼネルの執務室の扉を開け、部屋の外で待機していた衛兵に話が終わった旨を伝えて、その場を後にする。
どうも不思議な感覚だ。
動いているようで停滞していた世界が軽く揺れ動いているかのような――そんな途方もない感覚を何故だかシグンは実感したまま、軍の滞留所へと戻っていくのだった。
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「殿下、ご就寝中だというのに誠に申し訳ありません・・・」
「いや構わないよ」
恭しく頭を下げる秘書官に手を挙げて答える。
時刻は深夜帯であり、窓の外には月明かりが幻想的に辺りを薄く照らしていた。
長い廊下を歩き、やがて警備兵が四名配備されている一室へとたどり着く。
鉄製の強固な扉だ。
周囲の壁も鉄で覆われており、この城を吹き飛ばすほどの威力の攻撃でも受けない限り、ここが破壊されることはないだろう。
「遅くまでお疲れ様。いつも済まないね」
男は警備に当たっている四名に軽く言葉をかけた。
此処の警備にあたっている四名はこの国における指折りの実力者だ。
こと白兵戦においては彼ら四名が揃っている以上、その先へ突破できる者はそうそういないだろう。
「有難きお言葉です」
深々と頭を下げる兵士に苦笑しつつ、この国――ローファン王国の王たるジール=ワゼリンは鉄の扉を見上げた。
「ここに連れてきた、ということは領土問題かな?」
「ハッ・・・百聞は一見に如かず、ともありますし、直接ご確認いただくのが一番早いかと思いまして」
「そうだね。少なくとも私が王として国政を任されて40年弱――領土に関する問題は起きなかったからね。言葉だけで伝えられても理解が遅れていたことだろう。・・・しかし、領土か。30年前のアイリ王国の一件を思い出すね」
「・・・今回も彼の国が関わっている、と申し上げますと驚かれますか?」
少し悪戯気味に上目で見上げてくる秘書官――自身の従姪にあたるサラ=チルファーにジールは口を半開きにして見返す形となる。
「殿下、口が開いております」
「あ、ああ・・・済まない。しかしサラ・・・それは本当かい?」
「ハッ、正確にはまだアイリ王国が関わっているかは分かりませんが、場所的には無関係とはいいがたいものかと・・・」
「・・・確認しよう」
ジールが頷いたのを見て、サラは鉄の扉の横にあるヘンリクスに右手を触れさせる。
そして間をおかずに魔法を発動。
形成されるはずの魔法陣はヘンリクスによって吸収され、別の動力としてエネルギー変換が行われる。
扉の周辺の溝に光が走り、鉄の扉の内部で何かしらのギミックが動く音が聞こえてくる。
やがて小さな地響きを発しながら、重々しく鉄の扉が両サイドに開いていく。
完全に扉が開いたのを確認して、ジールは周囲の兵士に「頼むよ」と一言告げ、その言葉に兵士たちは無言で敬礼し、開いた扉の周囲を警戒するように警備に当たった。
「この扉は中から鍵をかけられないのが欠点ですね・・・」
「仕方ないさ。万が一部屋に入られた場合に、逃げられないようにするための措置だからね。それに入り口は我が国自慢の兵が護ってくれているんだ。彼らを信じて私たちは自分の仕事を全うしよう」
「ハッ」
足を踏み入れた鉄の部屋はさほど広くはない。
濃い赤の絨毯が敷き詰められた部屋の奥には、彼らにとっての「宝」であり「要」でもある国有旗が。そのすぐ後ろの壁には一際大きな地図、譜天鏡図がかけられていた。
異変はすぐにジールにも理解できるものだった。
「これは・・・驚いたな」
「はい、今まで不動のものと認識していたものが・・・ふとした時に変化を目の当たりにすると、こうも違和感が強いものなのですね」
「ああ、しかし・・・一体なぜ? アイリ王国からは連盟に領土拡大の話は来ていない・・・そもそも相談すらも無かったはずだ」
「予兆、というものも特に感じませんでした。国政は変わらず、生活水準も加盟国の中では断トツで最下位です。最も・・・そういう背景からしばらくは監査員を派遣することもなかったので、内政で何かしらの変化が起こった可能性も否定できませんが・・・」
「・・・だが彼がそこまで大それた行為をするだろうか。間違いなくベルゴー宰相が止めに入るだろうし、ルケニア君も黙ってはいないだろう」
ジールが「彼」と称するのはアイリ王国のフス王が倒れた際に、王位継承の儀も無く後を継ぐ形となった息子であるケルヴィン=アイリにのことである。
ジールは彼の周囲にいる人間、ベルゴーやルケニアには一定の評価を持っていたが、ろくに帝王学の何たるかも学ばずに王位に付いたケルヴィンのことは「早計だった」と今でも思っている。
フス王が倒れたとしても、ケルヴィンが政治の「せ」の字すらも知らずに権力だけ与えるのは危険だと判断していたからである。しかし連国連盟の代表国を長年つとめるローファン王国と言えど、他所の国の政治にまでは口を出せないこともあり、何とも歯がゆい結果になってしまったと今でも感じている。
即位命令は床に伏したフス王の言葉に従って行われたらしく、当時もベルゴーなどが再考を願い出たらしいが、認められることもなく、ケルヴィンが王の座につくことが決定したらしい。
聞いた話なので、どこまでが事実かはジールにも把握できていないが、ケルヴィンが王となったことは曲がりようのない事実である。
正直、この一件でアイリ王国の再建は難しい、とジールは決定づけた。
「話を聞くところによりますと、今の王は我儘を尽くすばかりで政の全てを宰相に押し付けていると・・・。今回も思いつきや一時の感情に流されての行為ではないかと、私は思います」
「・・・確かに彼が『王としての命令』をすればベルゴー宰相に止める術はない。しかし、そうだとしたら残念だね・・・。加盟国が連盟の決議なしに領土を広げることは法に反してる。情状酌量の余地があれば良いのだが・・・もし無ければ、アイリ王国はこの世界から名を消すことになる」
「・・・残念、でしょうか? 厳しい言葉になりますが、あの国は世界資源を食いつぶしてしまう危険性を孕んだ国です。連盟の資金援助、ライル帝国からの物資援助もタダではないのです。アイリ王国を国として維持させるために、他国が多少なりとも身を削って援助していたのです。加盟国だから、という名目で連盟が支えていたにも関わらず、今回のこの結末です。私としては良い機会なので、このまま――」
「そこまでだよ、サラ。国家間の話に私情は禁物だ。思うのは自由だし、考えることは必要だが、それを言葉にする必要はないよ」
「っ! ハ、ハッ・・・も、申し訳ありませんでした・・・! す、過ぎた口を・・・」
「ローファン王国は連盟の舵取りを任されている責任もある。その役目を背負った上で来る君の想いはちゃんと理解している。それは心から感謝していんだ・・・ありがとう。ただ、まだ・・・アイリ王国による領土拡大なのかどうかの事実確認も済んでいないんだ。糾弾するか否かはその後に考えるとしよう」
「はい・・・」
しゅんと俯くサラに一瞬だけ厳しい顔を見せたジールはすぐに破顔し、その頭を優しく撫でた。
「なに、反省すれば引きずる必要はないさ。次に生かしてくれればいいんだ」
「も、もったいないお言葉、です・・・」
自分の言葉を受けたサラが少しだけ笑ってくれたことに安心し、ジールは話を元に戻した。
「そう・・・事実を確認しないことには動きようもないからね」
「では――」
「ああ、すぐに連盟の議会を開くよう準備しよう。各国への通達も明日――っと、今日だね。今日の早朝には伝令を向かわせるよう手配してくれ」
「ハッ!」
ジールは考える。
何処となく胸に広がる、この靄は一体なんなのか。
言葉にしたように「事実を確認しなくては」何をすべきかも分からない。それは間違いない。
国有旗が刺さり、起動されたのは揺るぎあい事実だが、その理由は謎だ。確かに一番分かりやすい憶測は「領土拡大」なのだろうが、連盟各国にすぐにバレてしまうような愚行を犯すものだろうか。
さすがのケルヴィンも連盟を敵に回すことはしないと信じたい。
それとも敵に回しても余りある何かを手にしたのか。
(っと、いけないいけない。見えないものを想像すると、どうしても悪い方向へ考えが向かってしまうね。悪い癖だ・・・いい年になっても変わらないのは、私もまだまだ未熟という証かな)
サラに促されるまま、部屋を後にする。
背後で鉄の扉が閉まる音が響き、その間、ジールは窓から見える月を眺めていた。
これから先、起こりうる可能性の中で最も最悪なパターンが「戦争」だ。
これだけは絶対に起こしてはいけない。
加盟国も今頃は誰もがこの異変に思考を巡らせている頃だろう。
全てはアイリ王国の話を聞いてからになるが、その内容が如何なるものであっても平和的に誰もが納得する未来をこの手でつかまねばならない。
でなければ連国連盟の代表国の議長として、国の民に見せる顔がない。
「月はいいね。君はいつだって変わらない輝きを私たちに見せてくれる」
変わらない、ということは裏切らない、ということ。
アイリ王国には変革が必要だとは常々思っていたが、それは連盟への「加盟国としての立場」を変えずに、というのが前提の話だ。そこまで変わってしまうことは連盟への裏切りに等しい。
どうかこの変化が世界を悪い方向へ連れて行かないことを――ジールはそう祈りつつ、月を見上げ続けた。




