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テトラ・ワールド  作者: シンG
第1章 建国~砂漠の国~
48/96

第48話 世界でもっとも小さな産声

充分に体が温まり、もうそろそろ上がろうかと上半身を湯から出すと、下がってきた気温がその肢体をじんわりと冷ましてくる。ああ寒い、と再び湯船に体をつけるわけだが、数分経てば体は温まり、やっぱり充分かなと体を上げれば寒気に体を震わせる。


なんという風呂の魔力。

出たくても出られない無限ループを繰り返すこと数回、その様子をまだ湯に浸かっていたミリティアがクスクスと笑っていたことに気づき、リーテシアは顔を真っ赤にした。


(あぅ、恥ずかしい・・・。あ、でも今なら出られるかも)


恥ずかしさで一時的に顔の体温が上がったためか、今なら多少の外気の寒さにも耐えられそうだ。

リーテシアは湯船から出ようとして、体を拭くものが無いことに今更ながら気づく。


「リーテシアさん、私の荷物にタオルが何枚かあります。それで体を拭いてください」


「あ、ありがとうございますっ」


何から何まで抜けている自分に内心落胆しつつ、ミリティアが指さした革袋の中を拝見する。

タオルは上の方にあったため、すぐに取り出すことが出来た。


「すみません・・・借ります」


「どうぞ」


一つ断ってから、タオルで髪から爪先まで全身を拭き、着ていた服を着こむ。

もう一つタオルが入っていたので、リーテシアはそれを持ってミリティアの方へ歩いて行った。


「ミリティアさんももう出ますか?」


「そうですね。長居しすぎてヒザキ様と鉢合わせするのは避けたいので・・・」


苦笑しつつリーテシアからタオルを受け取り、彼女も湯船から上がる。

彼女が体を拭いている間、冷え込んできた空洞内の気温に二の腕をさする。ヒザキが残していった窯の火はいつの間にか消えており、それが周囲の気温の低下にも繋がっていたようだ。やはり薪も何もない状態で地面を燃やしたところで、燃焼が持続するわけがないという現実を窯は結果で体現してくれていた。


周囲を見回すが、ヒザキはまだ帰ってきていないようだ。


後ろで服を着こむ音が聞こえる。

ミリティアも拭き終わり、元の服を着ているのだろう。


と、水をかき分ける音が離れたところから聞こえてくる。

何かと思い、リーテシアはオアシスの湖の方へ視線を向けた。


「あ」


音の正体は言わずもがなヒザキだった。

空の麻袋に不幸にもヒザキの魔法によって死んでしまった魚を詰めて、それを片手にオアシスを泳いでいたようだ。


気温の低下に伴って、水中温度も下がっているはずだ。

リーテシアはヒザキが体を冷やしているだろうと、慌てて湖畔まで駆け寄った。両手をお椀の形にし、その上に魔法陣を発動させる。


火の魔法だ。

小さな火球が魔法陣が砕けると同時に発生し、周囲を少しだけ暖かくする。


衣類に大量の水を含んだまま陸地へ上がってきたヒザキの傍まで行き、早く暖かくなるように火球を浮かび上がらせた両手を近くに持って行く。


「ん? ・・・ああ、すまないな」


最初はリーテシアの行動に怪訝な顔をするヒザキだが、すぐにその意図に気づいたのか、軽く礼を彼女に送ってから一緒にミリティアの元へと歩いた。

礼を言われただけで上機嫌なリーテシアは「いえいえ」と返事をし、ヒザキに火球が当たらないように注意しながら彼の衣類が乾くように周囲を暖かくした。


ポン、と小さな破裂音を立てて火球が宙に消える。


「あっ」


慌てて次の魔法を出そうとするが、さすがに勿体ないと判断したヒザキが「大丈夫だ、ありがとう」とリーテシアを止める。


「どの道これから食事の時間だ。火も使うから、その時についでに温まることにするさ」


「・・・はい」


服が乾く最後まで力になれなかったことに少しだけ落ち込んだが、気を取り直して食事の手伝いをすることにした。


「お風呂、ありがとうございました。温めた水の中に入るだけで、ああも世界が違うものなのですね」


「悪くないだろ? アイリ王国じゃ王族と宰相ぐらいしか入れないんじゃないか?」


「いえ・・・宰相は以前、乾燥が原因で禿げたと嘆いていたことがありましたので、おそらく充分な水分は摂取できていないのではないかと」


「・・・そういうことはあまり他人に言わない方がいいと思うぞ」


「え? ・・・良く分かりませんが、気を付けます」


さり気に宰相の頭の具合を暴露したミリティアは、頭の上に「?」マークを浮かべつつも素直に頷いた。

まあ、おそらく、きっと――またやらかすだろう。

こうして本人の知らぬところで「宰相は禿げ」という噂が蔓延していくのだろう。


(まあ実際、禿げているのは事実だから・・・いいか)


そして物事を深く考えないいい加減な性格のヒザキもまた、ミリティアに真意を説明することもなく、悪循環の一助を担うこととなった。


「焼き魚にするつもりだが・・・食べられない、とかはないよな?」


「好き嫌いはありません」


「私もですっ」


健康優良児たちの模範解答に満足し、ヒザキは袋から出した魚を手ごろな平たい岩の上に並べる。

六匹の魚が陳列されていき、その横に大量の濡れた草木を置いた。


「これは・・・?」


ヒザキの背中から覗き込むようにして、ミリティアが尋ねてくる。

この空洞に植物が存在しているとは思っていなかったのだろう。予想外な物を見たような顔をしていた。


「オアシスの底に生えていた。太陽光が無くても自生していたのは驚きだが・・・乾かせば薪代わりになるだろう」


「南方にあるローズ・エンデスかいでは食べられる草が水中に生えている、と聞いたことがありますが・・・」


「海藻のことか? これも食べられないこともないだろうが・・・」


ヒザキが拾ってきた草木は色が茶色のものばかりだ。

植物の代表的な色である緑色をでないのは、陽の光が届かないこの場所に適応するために、葉緑体による光合成以外の方法で生息できるように進化した結果なのかもしれない。

正直どういう風に変化していったのか分からない植物のため、気軽に胃に通す気にはなれない存在だ。


「海で採れる海藻はもっと青々しいものだ。これは何とも不味そうな土気色をしているだろう?」


「なるほど、確かに不味そうですね」


「ま、海藻を食べてみたいんだったら、連盟塔に行く用事でもできたら立ち寄ってみるんだな」


連盟塔、とは連国連盟に加盟している各国が一堂に集まる必要性がある際に使用される要塞の名だ。

主要国であるローファン、ライル、ルドラ、ホンスの中間地点に位置しており、アイリ王国から見ればライル帝国を挟んで更に南西に向かった位置にある。

その連盟塔の更に南に向かえば、この世界に二つしかない海の一つ――南ローズ・エンデス海が広がっている。もっともライル帝国が未だ膠着状態を続けている魔獣との戦いが起こっているのも、この海のすぐ東のウォーリル森である。魔獣ひしめき合う最悪の森と隣接しているため、気軽に観光しましょうと言えない場所でもあった。


そのことはミリティアも重々知っている話だ。

「ご冗談を」と肩を竦めて苦笑した。


ヒザキは草木の中でも串として使えそうなものを六本選別し、無造作に魚に刺していく。


「何か手伝えること、ありますか?」


手伝おうと意気込んだものの、何をしていいか分からなかったリーテシアは手持無沙汰にヒザキの行動を眺めていたが、そろそろ何かできることがあるんじゃないかと思い、声をかけてみた。


「そうだな・・・・・・特にない」


彼女が何か手伝いたいという気持ちは痛いほど伝わっていたが、上手い返し方が思いつかず、結果的に少しそっけない言い方で返すことになった。


「そう、ですか・・・」


「リーテシアさん、先人の言葉にこういったものがあります。『男の家事に口出しすべからず』と。ここはヒザキ様の調理を座して待ちましょう」


「は、はいっ」


手伝いたい思いが溢れ出るリーテシアが空回りした結果に肩を落とす姿を見て、励まそうとした言葉なのだろうが・・・。


(そんなことわざ、聞いたことがないぞ。男が率先して家事をとる風潮の国でもあるのか・・・?)


出任せなのか、ヒザキが知らないだけで実在する言葉なのか。

確認してみたい気もしたが、リーテシアが納得して待ってくれるのであれば、それで良しとすることにした。


薪代わりに拾ってきた草木だが、水底から抜き取ってきたばかりのため当然、水で濡れている。

乾かさないと燃焼作用も起こらず、火をつけても鎮火するか溶けるかのどちらかだろう。


背後の二人をバレない様に何気なく観察すると、若干だが体の一部が震えているように見えた。ミリティアは注意深く観察しなければ気づかないほどの震えだが、リーテシアは顕著にその様子が窺えた。


(早く火をつけないと凍えてしまいそうだな。特に風呂に入った後だけに冷えやすいか。かといって・・・草木を乾かすにも時間はかかるな。乾燥魔法とか、便利なものがあればいいのだが――いや全然、便利じゃないか。なんだ、その局地的にしか使えなん魔法は・・・)


そこでヒザキは旅に出る前に武器庫で持ち出した存在を思い出した。


「少し待っていてくれ」


『?』


巨大砂蟹の方に向かう前に、今は魚を入れている麻袋の中に詰め込んであったベルモンドの物と思われる品の数々。その中に国の武器庫で見つけた「ある物」が混ざっていた。

ヒザキは自分が適当に散らかした品の場所まで歩いて行き、それを手に取ると、改めてもともと「麻袋に入っていた物」を確認する。


(・・・よく見れば、価値の高い物が多くないか? ベルモンドの奴、こんなものが入った袋をリーテシアに渡して、何を考えている・・・?)


実際にはベルモンドも予想外な事態なわけだが、そんな事情はヒザキの届くわけもなく、彼は小さくため息をついて二人の元へ戻る。


リーテシアがヒザキの手に持つ物を見て「あっ」と声を漏らす。


「それは・・・鎧の繋ぎに使用する縄ですか?」


見覚えのある縄にミリティアがすぐに解答を言い当てる。


「ああ、随分とボロボロになっていたからな。使っても構わないと思ったんだが・・・やはりマズかったか?」


「・・・今は鎧を補修することも少なくなりましたので、大量に放置されているのが実情です。その程度でしたら使用しても問題はありません・・・ですが、武器庫にあったものでしたら、私に一言仰ってからお持ちいただければ良かったと思うのですが・・・」


「いや・・・聞いたら理由を聞くだろ?」


「ええ勿論。用途に問題でも?」


ミリティアの疑問にリーテシアも同意だったのか、二人揃ってこちらの回答待ちの姿勢になる。


「・・・こいつは砂蟹を獲るために持ってきたんだ。もっとも、こんな場所を見つけてしまっては無意味になってしまったがな」


細長い縄をヒュンヒュンと回す。その行為に意味はないが、二人が縄の動きに合わせて視線を追ってくれる仕草が何故だか面白く感じたので、予定よりちょっとだけ長めに回してみる。鎧の固定や繋ぎ目に使用するために使うもので細くしなりのあるものだが、細い縄を数百と編み込んだ強靭な縄でもある。


回すのを止めて、手に持っている数本の縄を見せる。


「あの時に『砂蟹を獲るため』なんて言っても、信じられなかっただろう?」


「う・・・そ、そうですね。確かに、あの場で言われてもその理由では縄の持ち出しを認めなかった・・・と思います」


ミリティアは横目でオアシスを見つめつつ、少し気まずげに頷く。


「ま、そんな訳で勝手に持ち出してしまったわけだが・・・、すまんな」


「いえ・・・先ほども言った通り、持ち出し自体は問題ありません。その縄は使用頻度も少なく、このまま行けば耐久性の低下から焼却処分になっていたでしょう。それに、私も今回の件で自分の中にある知識だけが全てでない、ということを学ばせていただきましたので・・・」


「授業料がわりに戴いても?」


「ふふ、ええ・・・そんなところで構いません」


口元に手を当て、微笑むミリティアを見て、ヒザキとリーテシアは彼女が所々で顔を出す「女性らしさ」に目を丸くする。戦闘時や仕事に就く際は凛々しくも厳しい口調と態度が目立つが、今のミリティアは誰が見ても可憐な女性以外の何者でもなかった。


今は外向けの姿勢、というのも手伝っているのかもしれないが、彼女自身の中でも何か変化が起こっているのかもしれない。


「本当はこの縄を幾つも繋ぎ合わせて、オアシスの直上にある流砂に流すつもりだったんだ。流砂から垂れ落ちた縄がオアシスに到達すると、水面近くにいた砂蟹が引き寄せられて釣れるっていう仕組みだ。砂蟹の好物である『レイト』に似ているからか、餌が無くても釣れるんだ。難しいのは流砂による抵抗が大きいため、砂蟹が縄を引っ張っているかどうかの判断がしにくいところかな」


「はぁ~、縄だけで獲れちゃうんですね。オアシスの上って必ず、その・・・『りゅーさ』があるんですか?」


リーテシアの口調から察するに「流砂」がどんなものかは想像がついていないようだ。


「そうだな、流砂というのは・・・地下に水源がある場合に起こりやすい自然現象だ。砂や土で構成された地盤が水を含んでいくと長い時間をかけて、ゆっくりと崩れていくんだ。その崩壊に伴って地盤はどんどん沈み、やがては地上部分にも影響が出てくる。そうすると渦状に地下へと流れ込んでいく砂の渦ができるわけだな」


「な、何だかちょっと怖い場所ですね・・・」


リーテシアの言葉に頷き、言葉を続ける。


「規模がデカければ街や国を飲み込むほどの災害を生むことだってあるからな。地盤そのものが沈んでいくから、その上にある建物や人は為す術もなく崩壊に巻き込まれることもある。ただ、ここから東にある場所は規模も人一人分あるかないか程度の小さいものだし、深さもそれほどない場所だ。だから俺もそこを砂蟹の捕獲ポイントとしていたわけだ」


「そこの場所は正確に覚えていらっしゃるのですか?」


「大まかな場所なら何とか。そこも国に報告するつもりなのか?」


「いえ・・・そこは報告いたしません」


「ん?」


少し迷った後に「報告しない」と告げたミリティアに、不審げにヒザキが眉をひそめる。

彼女の性格なら国益となるもの全ては包み隠さず告げるものとばかり思っていたため、その返事はヒザキに疑問を持たせるに十分だった。裏にある考えに心当たりがあるリーテシアは、心配そうに金髪の女性を見上げる。


(リーテシアは何か知っていそうだが・・・深くは追求しないほうがいいか?)


よくよく考えれば国外の人間が、国の内情に口を挟むこと自体が間違っていることだ。

ヒザキはそう思い直し、気を取り直して話を戻した。

そもそもだんを取るために草木やら縄やらを取り出したのに、この凍える空間の中で火もつけずに話を続けることはナンセンスだ。


「これを燃やして火を点けよう。草木は周辺で乾かして、使えるようになり次第そっちを使っていこう」


「はいっ」


「お願いします」


ヒザキの魔法により灯された炎が窯の中に丸めて置かれた縄を触媒に、見る見るうちに火力を上げていく。


「暖かい・・・」


ホッとしたようにリーテシアが呟く。


「湯冷めしてしまったか? もう少し火が持つかと思っていたんだが・・・せっかくの風呂だったのに、すまなかったな」


「い、いえいえっ! お風呂、とても気持ち良かったです!」


「ええ、久しぶりに心から休めました。ヒザキ様、感謝いたします」


「そうか。それは良かった」


ヒザキは羽織っていた外套を脱ぎ、リーテシアに渡す。


「リーテシアはこれで体を包んで寝てくれ。ミリティアは自分のもので大丈夫か?」


「ええ、私は問題ありません」


「あ、でも・・・そうするとヒザキさんが」


外套を受け取るも、リーテシアは羽織る物が無くなってしまったヒザキの姿を見て、素直に受け入れられない様子だ。まったくまだ子供なのだから、無用な気遣いなどせずに受け取れば良いのに。しかしそれが彼女の長所でもあるのだろう。彼女の過度な遠慮癖は時として短所とも長所ともなるものだが、ヒザキからすればその遠慮が原因で物事が円滑に進まなくても、それほど嫌な気分にはならなかった。

相性なのか、それともヒザキ自身がリーテシアのことを気に入っているのか。

ヒザキの奥底にある乾いた理性では、それが何なのかを紐解くことはできなかった。

どちらにせよ悪くない気分なのだ。今はそれで良しとしよう。


「俺は問題ない。風邪とは無縁の体だからな」


「あぅ・・・す、すみ――」


ません、と言おうとしてリーテシアはふるふると頭を横に振る。


「あ、ありがとうございますっ」


外套を胸に抱きしめ、勢いよくお辞儀。

あまりに勢いが良かったため危うく返事をするのを忘れそうになったが、寸でのところで「気にするな」と言葉をかけてあげられた。謝罪ではなく礼を言えたのは、リーテシアにもどこか心境の変化があったせいだろうか。どうやら砂蟹とサリー・ウィーパ、双方の戦闘の間から今に至るまでの短い時間で、二人の中には何かしらの想いが生まれたようだ。それが何なのかは見当もつかないが、二人の様子を見ていると悪いものでないことは分かる。


ヒザキはさっそく外套に包まってミリティアと談笑するリーテシアの姿を見て、小さく息を吐いた。


ヒザキは細い木で刺した魚を火にべる。

火が直接当たらない位置に調整して、火を囲うように六匹の串刺しの魚が身を焦がしていく。


縄は可燃性が低いようで、最初こそ勢いよく火がついたように見えたが、すぐにその力を弱めてきていた。

縄が燃え尽きたわけではないので、純粋に燃えにくい素材なのだろう。


さり気に魔法の追加を放ち、火力を底上げしておく。

念のため周囲に魔獣の気配がないか気を巡らせたが、特に心配はなさそうだ。


数分後。


徐々に魚の皮が黄金色へと変わっていき、焼けた香ばしい匂いが辺りに充満していく。

思わず全員が喉を鳴らしてしまった。


「みょ、妙ですね・・・」


「何がだ。寄生虫の類でも魚から出てきたか?」


「・・・食欲が無くなるような例えを出さないでください。私が妙と言ったのは・・・この単純ともいえる調理のことです」


「ほぅ?」


ミリティアの言葉にヒザキが耳を傾ける。リーテシアも倣って静かに次の言葉を待った。


「私は一応、国王陛下をお守りする身として国外にお供させていただくことが何度かあります。その際に偶にではありますが、会食に参加させていただくことがありました」


「会食に?」


「ええ、立食形式のものでしたので・・・多くの人が陛下に近づかれる状況としましては私も傍にいざるを得ない環境でした」


(ああ・・・なるほどな。立食の場合、会場の周囲を警備する人間のほかに、信頼のおける騎士などを傍に置くことが多いとは聞いていたが、それのことか。まさかミリティアの奴・・・警護中に食事をつまんだわけじゃないよな?)


「そこで色々と並べられた食事を頂きましたが、どれも美味で・・・思わず舌鼓を打ってしまったものです」


「・・・」


「? 何かありましたか?」


ヒザキの視線に気づいたミリティアが首を傾げたが、ヒザキは頭を横に振って「すまん、続けてくれ」と促した。


「そうですか? では話を続けますが・・・その時の料理の匂い、それはとても食欲をそそるものでして、今でもあれほどの料理は目にしたことがありません」


(そりゃアイリ王国じゃ無理だろうな・・・)


「ですが妙と言ったのは、この焼き魚の匂いです。この匂い・・・あの時の料理よりも、はしたない話ですが・・・食欲を刺激されるのです。調理方法はほとんど原始的と言ってもいいほど単純だというのに・・・これでは一国の料理人の立つ瀬がありません」


「一国の料理人の行く末は知らんが、今、ミリティアがこの匂いに惹かれているのは色々な要因があるからだろう。その会食の会場には無かった要因がな」


「要因、ですか?」


「考えてもみろ。国王の警護をしながら・・・本来なら食事などしている場合でもないのだが、まあミリティアは食事をしていたわけだ。その場はゆっくりと腰を据えて料理を味わえる環境だったか?」


「・・・いえ、常に警戒はしていましたので、正直味わう時間はありませんでした」


「そうだな。今こうして世間話をする相手もいない場だ。緊張感もある上に食事に集中することもできない。そんな中でも記憶に残るほどの美味さを引き立てた料理人は大したものだと思うよ」


「なるほど。かの国の料理人は大した者だったのですね」


「ちょっと理解の方向に違和感を感じるが、まあいい。で、今の君は言うほど緊張をしているか?」


「・・・周囲への警戒を怠ったつもりはないのですが、そうですね。確かに普段に比べれば体はリラックスしていると思います」


「そう、そしてこの場には気軽、と表現していいかは微妙な線だが・・・今みたいな世間話をできる程度の仲の人間しかいない。後は食事を済ませて明日に備えて寝るだけ。辺りへの警戒だって自分だけでこなすわけでもなく、俺も一緒に行える。そういう環境だ」


「それが・・・この感覚の正体と?」


「つまり、君は今、食事をとることに集中できている、ということだ。だから焼き魚の匂い一つでも胃袋が刺激されているということさ。後は魚の鮮度だな。魔法で死んでしまったとは言え、まだ魚の鮮度は落ちていない。それを焼いているのだから、時間を置いて作り置きした料理よりは美味しく感じるだろうさ」


ふむふむ、とミリティアは顎に手を置いてから頷き、謎が解けたかのようにスッキリとした表情で笑みを浮かべた。


「環境と鮮度。それは料理に欠かせない調味料なのですね」


「どちらも今のアイリ王国では荷が重い調味料だがな」


「ヒザキ様はいつも一言多すぎます」


「ふふっ」


ヒザキの相変わらずの発言にミリティアが少し拗ねたように返し、リーテシアがそのやり取りを見て笑った。自然と精神と肉体が和らいでいくような感覚が通った気がした。


久しく無かった他者との邂逅を経て、どうやら懐かしい感覚が深い水底から引き揚げられてきたようだ。


(そうか。俺は今・・・安らぎを覚えたのか)


一瞬、底の見えない思考に没頭しかけたが、パチンと火の粉が飛んだ音が現実へ引き戻してくれた。

その刹那に昏い昏い深淵の底に灯された一つの炎がこちらを手招いているのを感じたが、ヒザキは目もくれずに漆黒の窯に蓋を閉じた。


「おっと、そろそろ頃合いだな」


「わぁ~」


「お待ちしておりました」


両手を合わせて喜びを露わにする少女に、火傷をしないように火元にあった串を手に取り、それを手渡しする。受け取ったリーテシアは傍から見て分かりやすいほど嬉しさを表情に出す。


「ありがとうございますっ」


「ああ」


そして自分の分の串を手に取ろうとして、ふと気づく。


「どうした、食べないのか?」


こちらを見て――いや正確にはリーテシアとのやり取りを見ていたミリティアが、一度は串に伸ばそうとした手を引っ込めて、こちらを意味あり気に見ていた。


「あ、いえ・・・食べたいです。非常に食べたいのですが・・・」


「珍しくハッキリとしない物言いだな。何かあったのか?」


「ええと・・・」


魚、串、自分の手、ヒザキ、ヒザキの手、リーテシア、リーテシアの持つ魚。

それらのピースに視線を泳がせ、最終的に彼女は諦めたように小さくため息をついた。


「ヒザキさん、ヒザキさん・・・」


「なんだ?」


「あの、きっとなんですけど・・・ミリティアさんも取って欲しかったんじゃないかと」


「何を?」


「何をって、これです、これ」


小声で話してくるリーテシアがずいっと焼き魚を見せてくる。


「いや、しかし・・・・・・・・・、そういうものか?」


「そ、そういうもの、だと思います。少なくとも私は嬉しかったです・・・」


もじもじと赤らみながら魚を小さい口でついばみ、その味に「美味しい!」と目を光らせた。


「ふむ」


ヒザキは言われた通りに一本の焼き魚の串を手に取り、それをミリティアに差し出した。


「・・・え?」


「ほら、熱いから火傷するなよ」


「あ、・・・ありが、とうございます・・・」


両手で慎重に串の部分を持ち、数秒だけ焼き魚を見つめてから、静かに尾から口に運んでいく。


何故だろうか。

焼き魚を手渡ししただけだというのに、受け取ったミリティアのその時の表情をひとえに「美しい」と思ってしまった。



*************************************



寝静まった女性二人の気配を常に感じ取れる範囲にあった岩場の上にヒザキは座っていた。


火の魔法による篝火の持続と、周囲への警戒役を買ったからだ。

ミリティアは間違いなく「私も一緒にやります」と言ってくるだろうと思っていたが、不思議なことに食事の最中から少しだけ様子がおかしく、先ほども素直に「すみません、宜しくお願いします」と言って床についてしまった。

それならそれで楽だから良いのだが、気になるのも正直なところだ。

しかし気になることすべてを聞き出しては人間関係は崩壊してしまうもの。深堀りするほどの内容でもないだろうと判断し、ヒザキは日中のように明るい空洞内の夜間警備に専念することにした。


ここは空洞ではあるが風の通り道が無いせいか、ほぼ無風の地と言っても良い。

サリー・ウィーパのコロニーが複雑に縦横に絡み合っている構造が幸いして、地上の風がここまで迷い込んでこないのだろう。


空洞に大穴を開けた砂蟹は倒したし、サリー・ウィーパの女王もミリティアが倒した。

サリー・ウィーパも頭が死んだことによって統率がとれなくなり、生き残った個体は散り散りになったのだろう。コロニーのすぐ傍だというのに一匹も姿を見せないのが確たる証拠だった。


だが油断は禁物だ。

いつ新たな脅威が横穴を通って顔を出すか分からない。


「――」


と、不意にヒザキの気配網に引っかかる存在がいた。

ヒザキは特に警戒心を見せるわけもなく、「ふむ」と小さく息をついてから気配の先へ視線を動かした。


「どうした、眠れないのか?」


「あっ・・・や、やっぱり気づかれちゃってました・・・?」


黒い髪をうなじの後ろにけて、リーテシアが「近くに行ってもいいですか?」と遠慮がちに尋ねてきた。


「ああ、構わない」


「ありがとうございます」


決して低くはないが、斜面が緩やかな岩の高台だったため、リーテシアの小柄な体でも登ってくることができた。ヒザキの隣までたどり着き、少しだけ考えた後にヒザキの横に座り込んだ。その手には布に包まれた筒状の物を持っていた。


「それで? 何か用があるんだろう」


「・・・はい、ミリティアさんには申し訳ないのですが・・・黙って抜けてきちゃいました」


「そうか」


ヒザキはリーテシアに察せられない程度に、背後の篝火の方に一瞬だけ視線を向けた。

膝を抱えるようにしてリーテシアは口を開いた。


「実は・・・このオアシスについて、なんですけど」


「ああ」


眼前に広がる地底湖を眺め、続きを聞く。


「あ、やっぱり・・・違います」


「・・・」


一瞬、肩透かしを食らったが、気を取り直して若干考え込むリーテシアの次の言葉を待つ。


「すみません、そうですね・・・どちらかと言うと『国』について、になります」


「国・・・」


最初に彼女に出会った際も「国が嫌い」と言っていたことを思い出す。


「あの、前にも言ったことなんですけど・・・私、今の追い詰められた国の雰囲気に嫌気が差していました。何もしていなくても・・・ただ生きているだけで追い詰められていく。ゆっくりと首を絞められている感覚がずっと離れなかったんです」


「でも国の人間自体は特に嫌いではないんだろう?」


「はい。だから色んな本を読んで、勉強して・・・いつか私がこの国を変えられるような――そんな素敵なことが出来たら、と思って・・・生きてきました。ううん、そんな自分の心に気付いたのもついさっきでした。今までは漠然と・・・『何かしないと落ち着かない』っていう気持ちでいたので・・・国を離れたいと思った時もあったし、何をしたらいいのか本当に分からなかったんです。でも今はハッキリと心に答えが出ました。私は――変わらないといけないところまで来ているのに、変わろうとしない国の姿勢が『嫌い』です」


「ハッキリと口にしたな」


少し嬉しそうにヒザキが返す。


「ふふ、ヒザキさんやミリティアさんを見ていると・・・意志が弱い私はなんてちっぽけなんだろーって思いました。それでようやく・・・少しだけですけど、前向きに頑張ってみようかなって」


「弱いものか。普通の人間ならこんなとこまで付いてこようとすら思わないさ」


「ありがとうございます。何だかくすぐったいですね」


くすくすと笑うリーテシアは今は無き向日葵のような明るさを感じさせた。

何処か昔にも――こんな風に笑う子供たちに囲まれていた記憶が――いや、そんな昔のことは必要ない。それを思い出してしまえば、必然的に「あの瞬間」のことも思い出してしまう。


ヒザキは首のあたりに一滴の脂汗をかいたが、それはリーテシアに気づかれることなく自然と消えて行った。


「このままミリティアさんが国に報告しちゃうと、このオアシスは一時の幸せと引き換えに、無くなっちゃうのでしょうか・・・」


「未来がどうなるかは誰にも分からないがな・・・俺はそうなると思う。ま、このオアシスが何処の水脈と繋がって、どの程度の規模なのかによっては、リーテシアが一生を全うする間に枯れない可能性だってある。そう過度に悲観することも無いかもな」


「でも、その後の人達は今の私たちみたいな苦しみを負うかもしれないんですよね?」


「次の世代のことを考える奴なんて早々いないけどな。人間、誰しも今が大事なもんだ」


「はい・・・でも、私は・・・何だか嫌です」


膝に顔を埋めて、ふくれっ面を浮かべる。


「そうか。だとしたら君はどうする? その答えを見つけたんだろう?」


「えっ?」


ヒザキは悩みを打ち明けつつも、既に心は決まっている――一種の覚悟を持った表情をしている少女に対し、この後に彼女が行うであろう「答え」を確認する。

驚いて目を開いたリーテシアだが、すぐに笑みを浮かべて「やっぱり大人って凄いなぁ」と呟いた。


手に持っていた筒袋を抱きかかえ、真っ白に輝く空洞のそらを見上げる。


「ミリティアさんも覚悟していたんです。あの人もヒザキさんと同じで・・・国は水を使い果たすだろう、と言ってました」


「ほう?」


「でも・・・ミリティアさんは次のことも考えていて、ひとまず国に潤いを与えてから、次のオアシスで水を効率的に長く使えるような仕組みを考えるって・・・。次のオアシスは自分で探してみせるって・・・」


「そうか」


食事前にミリティアは此処から東にある地底オアシスに対して「報告しない」と言っていた。

彼女の性格からして、この場所のオアシスが枯れる原因は報告した自分にあると判断するだろう。その責任と重圧を枷として、彼女は彼女自身の力でまだ見ぬオアシスを見つけ出そうとするに違いない。だからこそ既にヒザキが知っていた彼の地については、彼女は目を伏せて見過ごそうという腹積もりなのだろう。


何とも損な性格だ。

無理をせずともわかっているオアシスがあるのであれば、最大限に利用すべきなのだ。きっかけはミリティアの報告だったとしても、判断し、決行するのは国なのだ。責任も国に在るのが妥当である。

もっとも彼女もそんなことは分かっているのだろう。

分かっている上で、そういう行動を取ってしまうからこそ「損な性格」なのだ。


(やれやれ・・・この国の人間はどうにも極端な性格が多いな。選択肢の狭い人生を送らされてきた証明なのかもしれないが・・・)


「私はミリティアさんが負わなくてもいいモノを背負うのは嫌です」


「随分と打ち解けたな」


迷いなくミリティアの未来がかげることを「嫌」だと言えたリーテシアに、自然と笑みが出てしまう。自分が上手く笑えているかはさておき、先日までは口ごもることが多かった彼女が言葉を言い切る姿は見ていて清々しい気分にさせてくれる。


「はいっ、まだまだ話したりないし・・・もっと色々な話をしたいって思うことは、本当なら身分違いもいいところなんですけど・・・、何だかお姉ちゃんがいるみたいで、その・・・とっても楽しいです!」


「そうか、良かったな」


「あ、ヒザキさんはお兄ちゃんです!」


「お、俺がか?」


「ふふ、あんまり気持ちを表に出してくれないから分かりにくいですけど、ヒザキさんの優しさは何となく分かるようになってきました」


随分とくすぐったい言葉をかけてくるものだ。

特別優しく接したつもりもなかったのだが、彼女が本心からこう言ってくれているのだ。

有り難くその言葉を頂戴することにしよう。


「すまんな。仏頂面の兄はこういうときにどういう顔をすればいいのか、さっぱり分からん」


「それがヒザキさんですもん。大丈夫です、分かってます!」


「そ、そうか」


グッと右手を握り、自信あり気にリーテシアはこちらを見上げてくる。

本来はこの明るさが彼女のスタンダードなのかもしれない。孤児院での姿を見ていると、最年長というわけではないが、彼女は院の中で「お姉さん」的なポジションに立っていた。年少の世話をしつつ家事を手伝い、同年代の子供からは一定の信頼を得ている。そういう立ち位置が以前の遠慮がちなリーテシアを作り上げたのかもしれない。またサスラ砂漠を挟んで西側では珍しい「黒髪」という特徴も拍車をかけていたのだろう。


「すごく烏滸おこがましいとは思いますけど、私は――今の皆さんを変えずに、国を変えたいんです。そのためにはオアシスの存在というのは・・・水という潤いを苦労もなしに手に入れちゃったら駄目な気がするんです」


「悪くない考えだ」


リーテシアの年齢で人が織りなす「社会」というものの一つの側面を見極めていること自体が称賛すべきことなのだが、そんな考えを持つことに満足するわけでもなく、彼女はその考えがこれからの第一歩と言わんばかりの勢いで話し続けた。


この年齢において政治家向きな性格だ、と感じさせる感性に素直に感嘆した。


「だから・・・その、あの・・・」


「ん?」


ひっきりなしに称賛の鐘を頭の中で叩いていた最中に、突然、以前の遠慮がちな姿勢が顔を出していた。


「あの、ヒザキさんはうちの国とは関係ないですし、確か・・・旅をされているんですよね?」


「ああ」


「何か・・・目的があるんですか・・・?」


「いや特にない。強いて言うなれば――」


ヒザキは視線をリーテシアから放し、彼方へと向ける。


(強いて言うなれば――そうだな)


旅を始めたきっかけは何だったか。

今となっては風化した記憶の道の始まり――霞んだ過去の始まりを思い出す。


友人がいた。

戦友がいた。

自分を慕ってくれる人がいた。


名を残す者もいれば、無名でこの世を去る者もいた。


そんな者たちの姿がヒザキの瞼に映し出される。

ああ、そうだった。

友人たちが次々にいなくなっていくことに・・・幾度の別れを告げ終え、記憶と思い出のみが残された事実を認識し、歩くべき道しるべの方角を見失った際に、自分はこう思ったのだ。



「居場所を――探すため、だな」



リーテシアが驚いたように目を見開いた。


「ヒザキさん、その・・・」


そっと手を伸ばし、ヒザキの頬を伝っていた涙をぬぐった。


「・・・なんだと」


ヒザキ自身も驚いていたようで、自身の目尻から流れ出た一滴の水に表情を固まらせた。


「・・・」


「・・・」


数秒、無言の時間が流れた後、リーテシアが「ヒザキさん」と声を漏らした。


「もし・・・これから起きることに、これから始まる未来にヒザキさんが――居場所を、ここに居てもいいなって思えてくれるのでしたら・・・それほど嬉しいことはありません」


「・・・リーテシア」


「すみません、これは私の願いであって我儘です。院長先生には・・・他人に迷惑をかけることはしちゃいけないって言われてたのに・・・。私はこれが迷惑をかけることだって理解しているのに、それでも・・・この道を歩んでみたいんです」


彼女が何を言わんとしているのか。

目的は明確に語られていない。

彼女が言う「未来」とは何なのかも語られていない。


だがヒザキは大よその見当はついていた。

予想が当たっていれば、彼女はとんでもない荒業を行おうとしている。止めることはできる。が、止める気は起きなかった。


「ミリティアさんの決意を聞いていたのに・・・それを裏切ってしまう行為です。それは・・・とても悲しいし胸が痛いです。でも私はミリティアさんが責任を負うような未来には進みたくないんです」


「・・・」


リーテシアはゆっくりと立ち上がり、手に持っていた筒状の物を包んでいた布を外していく。


姿を現したのは――この世界では有名な魔導機械の一つである「国有旗」だった。


それがリーテシアが入っていた麻袋に入っていたのは、巨大砂蟹の死体に向かう前に袋の中身を全て取り出したヒザキも知っていた。

細かい溝と装飾が織りなされた銀色の筒。

土の魔法を媒介に発動する、国のシンボルだ。


「本気か?」


今更な質問だ、と自嘲する。

この展開は予想していたし、止めようとするならこの言葉ではなく説得の言葉を吐くべきだ。

決意を胸にしたリーテシアに、この質問を投げかけることは愚問にも等しいことだった。


リーテシアは困ったように眉を下げて、少しだけ微笑んだ。


「勝手に使っちゃったら、ベルモンドさん、怒っちゃいますかね?」


「需要が無くなった物とはいえ、未だに法外な値がつく魔導機械だからな。怒るどころか、請求にかこつけて何を要求されるか分かったものじゃないな」


悪戯気味に脅かせる言葉をあえて投げかけた。


「あぅ・・・ちょっと後ろ向きになってきました」


「く、くくっ・・・面白いな、君は」


「わ、笑わないでくださいっ・・・」


「ああ、すまない」


右手を挙げて「悪かった」のサイン。

リーテシアはやや頬を膨らませたが、やがて噴き出したように笑った。


「あの・・・ヒザキさん」


「なんだ?」


「私とヒザキさんってまだ出会って数日じゃないですか」


「そうだな」


「でも私の無茶なお願いを聞いてくれましたし、今だって信じられないことをしようとしているのに、馬鹿にしないで聞いてくれています」


「ああ」


「たぶん・・・己惚れが過ぎますけど・・・私がどうしてもってお願いしたら・・・ヒザキさん、聞いてくれちゃいそうな、・・・気がします」


「どうだかな? こう見えて俺は結構ドライな性分のつもりなんだが」


ヒザキの茶化すような言葉に返事がなく、リーテシアは次の言葉を出そうとして飲み込み、口の中で整理しなおし、再び口を開けた。


「私――とっても卑怯です」


「・・・これで『卑怯』なんて言っていたら、その未来の先は絶望しかないぞ?」


「はい」


国有旗を強く握りしめ、リーテシアは背筋を伸ばしてヒザキに宣言した。



「ヒザキさん、頼ってもいいですか?」



その言葉に彼らしからぬ挑戦的な笑みを浮かべた。


「面白そうだ。君が初心を貫く限り――付き合おう、女王殿」


リーテシアは「女王」という言葉に「やめてくださいっ」と小さく笑う。



そして一つ大きな深呼吸をして――、国有旗を地面に突き刺した。



此処に少女の小さな手によって、世界から見れば些事とも言える小さな目的を果たすために、小さな国が静かに産声を上げた。

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