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テトラ・ワールド  作者: シンG
第1章 建国~砂漠の国~
47/96

第47話 初めての風呂と決意

ヒザキの食事の提案があり、元々2、3日の長丁場になる可能性も考慮していたため、ここで一晩を明かすことに異論は何一つ出なかった。戦闘や閉鎖された狭い穴の移動などもあり、自覚以上に疲れも溜まっていたことから、休むと決まると全員がため込んだ緊張をほぐすように息を吐いた。


体感でしか測れないが、気づけば気温も下がってきているようだ。

夜のとばりが下りてきたのだろう。

砂漠の夜は日中と真逆に、極寒である。

冷える外気が土の壁を伝って、空洞内にも広まっているようだ。


ヒザキは手ごろな石を組み立てて簡易的な窯を作る。中心の窪みにヒザキは炎を放ち、その近くで一行はだんを取ることになった。欲を言えば燃焼促進材や枯れ木等が欲しかったものだが・・・オアシスとはいえ地中に埋没しているため、陽の光が届かない地では植物は全く育っていなかった。まさに岩盤に囲まれた無機質な空間である。燃やすことのできる素材は一切なかったため、ヒザキの魔法の純粋な火力のみで三人は体を温めていった。


最初の数分こそ皆の中心にある窯の火を見ていたが、やがてリーテシアとミリティアは無意識にオアシスの水辺を眺めていた。


日照りの世界でしか生きたことのない女性陣が、使っても使い切れない水を目の当たりにした際に思うことは何か。


(いっぱいの水で体洗ってみたい・・・)


(水浴び・・・もう久しくしていないな)


今までは微量の水で濡らした布で体を拭く生活だった少女と、仕事に忙殺されて水浴びすら行けてなかった女性はそんなことを考え始める。


そして二人揃ってプルプルと頭を振った。


(いけないいけない! 無駄に水を使っちゃいけないって、ヒザキさんの話で聞いたばかりじゃない!)


(私だけ・・・至福に浸かるなど、申し訳が立たない!)


何かに葛藤するかのように頭を悩ませる女性二人を見ながら、ヒザキは飽きれた風に言った。


「・・・今更ながら思ったんだが、君たち少し臭うぞ。いい機会だから水浴びでもしてきたらどうだ」


『酷い!?』


ヒザキの言い回しにかなりの衝撃を受けた二人が身を寄せ合って崩れ落ちる。


(遠慮しているようだから焚き付けるように言ってみたが・・・難しいな)


大方リーテシアは先ほどの話を受け、ミリティアは自国に残っている仲間や国民を想っての遠慮だろう。

オアシスの水を使いすぎたために枯渇したのは事実だが、たかだか三人が水浴びや食事する程度に使用したところで、何の影響もないのが事実だ。ミリティアについても、せっかく時間が空いたのだから水浴びでもなんでもすればいいと思う。


そんなことを考えながら、一つ妙案を思いついた。

幸いここには土魔法の使い手がいる。

ヒザキは未だショックを受けている二人に近寄って提案してみた。


「ついでだ。風呂にでも入ってみたらどうだ?」


「ふろ?」


「ああ・・・水が豊富な国ではそのような洗体法もありましたね。しかし、どうやって?」


「リーテシアは想像がついていなさそうだが・・・そうだな。リーテシア、土の魔法でこう・・・木船のような形の容器を造ることは可能か? 大きさは――長さ二メートル程度で構わない」


「え? 木船、と言いますと・・・えと、こんな感じの?」


小さい体で身振り手振り。

その仕草が楕円形を描いていたのを見て、ヒザキは「ああ」と頷く。


「可能か?」


「だ、大丈夫だと思います・・・! が、頑張りますっ」


自分に何かしらの役割が回ってくるとは露にも思っていなかったのか、慌てて何度も頷くリーテシア。

何度も深呼吸してから、未だ光り続ける地面にしゃがみ込み、両手を当てて目を閉じる。


やがて静かに彼女の手の先に魔法陣が描かれていき、砕けると同時にやや前方の土が盛り上がっていく。

土や小さな岩が粘土をこねるように混ざっていき、徐々に、徐々にその姿を整えていった。

土製の湯船が作成される工程を見ながら、ミリティアは小さく笑いながらヒザキに話しかけた。


「自分が扱えない魔法の流れを見るのは、いつだって新鮮に感じますね」


「そういうものか?」


「ええ。自分ではどう足掻いても使うことのできない属性の魔法。だからこそ・・・その姿に憧憬を抱くのかもしれませんね」


「ふむ・・・」


リーテシアは一度の魔法の展開では湯船の構成に足りなかったようで、二度目の魔法を展開し、湯船生成を続行していた。

土の属性はヒザキにとっても手の届かないものだ。

ミリティアの言葉に従うなら、自分自身もリーテシアの魔法の流れに何かしらの心を動かされても良いものだが・・・やはりこの心は動くことは無かった。


彼女と同じ景色を見れず、共感できないのは少しばかり残念だが、これが自分なのだから仕方がない。

心中、嘆息しつつミリティアに並んでリーテシアの頑張りを見届けた。


「で、出来ました!」


やがて数分後に生成されたのは・・・多少の凹凸おうとつが目立つものの、大方ヒザキの想像通りの湯船であった。

中を覗き込むと、大人二人ぐらいは収まりそうな深さと広さがある。


「さすがだな、上出来だ」


「あっ、ありがとうございますっ!」


褒めたら花が咲いたように喜ぶものだから、思わずヒザキとミリティアは少女の頭を撫でてしまう。


「で、後はこの中に水を入れるわけだが」


「水を入れる容器が必要ですね。さすがに手で掬いながら、というのは時間がかかりすぎますし」


「そうだな。水筒でやってもいいが・・・これでも時間がかかるな。リーテシア、すまないが――」


「あ、あの!」


リーテシアに土製の容器を作れるか確認しようと思ったヒザキだが、彼女の声に遮られる形となった。

大人二人の注目を浴びると、自分でも無意識に声を大きくしていたことに気づき、見る見るうちに委縮していった。


「どうした?」


彼女が自分の意志を強く示そうとするのは、短期間ではあるが、ヒザキは見たことがあまり無い。

そういう節は何度かあったが、いつも一歩下がって自分の意見を胸の内に仕舞ってしまう印象が強い。あったとすれば、この旅に同行したいという意志表示を孤児院前でしていた時ぐらいだろうか。

だからこそ彼女が何を思ったのか、ヒザキも興味を惹かれた。


「あの、その・・・試してみたいことが、あるんです」


「試してみたいこと、ですか?」


ミリティアが少し屈んで少女と同じ目線になる。

小さく頷いてから、リーテシアはおずおずとオアシスの方へ視線を向け、静かに閉眼し、深呼吸をする。


「む?」


心なしか空気が変質したように感じた。

冷気が空洞内に僅かに吹いたような感覚。

ミリティアもそれを感じたようで、視線だけ周囲に向けていた。


(いっぱいの水・・・飲みきれないほどの水・・・。ひんやりとして、でも体を癒してくれる水)


目を閉じた先、暗闇の中に想像するは先に体感した「水」のイメージ。

生まれて初めて見た、広大な場所を埋め尽くす水の世界をリーテシアは認識する。

先ほど両手で掬った水の感触を思い出し、手に残る感覚を頼りに、今度は「もっと多くの水」を掬うイメージを暗闇の先に思い浮かべる。


「これは――」


「あ・・・」


ヒザキとミリティアの驚きを込めた声が耳に届くが、どこか遠くに聞こえた。

心が澄んでいくのが分かる。

人生で一番、落ち着きを持った時間を過ごしているような気持ちだ。


(お水さん、ちょっとだけ分けて欲しいの。いいかな?)


心の中で誰にかけるわけでもない問いかけをした瞬間だった。

眩い光が瞼の隙間から差し込んできたため、リーテシアは思わず閉じていた目を開いた。


「――あ」


初めて見る、魔法陣。

淡い水色の粒子が一つの図形を空に描かれる、光の軌跡。


「水の魔法、か」


「え、ええ・・・」


ヒザキとミリティアが交互に言葉を交わすと同時に魔法陣は砕け散り、光の粒子はオアシスのほとりの辺りに融けて消えていき、入れ替わるように水面から無数の水泡が宙へ舞っていく。

全員がその光景を見上げ、水泡の行く先を眺める。


水泡は次々と結合していき、やがて一つの巨大な水球となり、ふわふわとリーテシアの頭上を越えて進んでいく。


そして先ほど作った土製の湯船の真上に到達すると、水球が破裂し、大きな水音を立てて湯船の中を水で満たしていった。


『・・・・・・』


一部始終を三人が見終えた後、リーテシアが「で、できた・・・」と小さく呟いた。


「・・・水の魔法は扱いが難しく、それなりの知識と修練が必要だと聞いていたんだがな」


ヘインクたちに王城で話した通り、水魔法は魔法師本人の人体に悪影響を及ぼす危険性のある属性の一つで、魔法の専科がある学校で四年勉学を積み、幾度の実践を経てコントロールできるものと一般的には言われている。

今のは「元々存在する水」をベースにした魔法で、魔素を変換して水を生み出す魔法ではなく、存在する水を操作する系統にあたるものだ。無から有を生み出すことよりは確かに制御しやすい魔法ではあるものの・・・初めての発動でここまで成功させるのは正直レアケースだ。


「リーテシアさん、凄いですね・・・」


ミリティアがまだ驚きを隠せないものの、笑顔で小さな頭を撫でた。


「えへへ・・・お、お役に立てましたでしょうか?」


「勿論ですよ。リーテシアさんは魔法の才能が高いのですね」


「あ、ありがとうございます。ヒザキさんが自動魔法付与オートメイジンについて話してくれた時、全属性の魔法を使えるって言ってたので・・・いっぱいの水を見て、もしかしたらって思ったら出来ちゃいました・・・」


「大したものだな」


さすがに賞賛の言葉を二人から投げかけられて恥ずかしくなってきたのか、リーテシアは徐々に赤くなって俯いてしまった。


「なんにせよ水は入った。後は沸かすだけだな」


ヒザキの右手に小さな魔法陣が砕け散り、掌サイズの火球が生まれる。

そのまま放り込むように火球を湯船の中に放り込む。火球は水と接触すると蒸発したように消え、湯船の中の水に熱を広げていった。その様子を確認してヒザキは踵を返した。


「あと一分もすれば丁度いい温度になるだろう。俺は一時間ほど、向こうに転がっている砂蟹や魚を調達してくるから、その間はゆっくりと風呂に入っているといい」


「あ、わ、私も手伝いますっ」


「貴方が働いているのに私たちだけ休むことはできません」


予想通りというか何と言うか。

ヒザキは「やはりそう来るか」という表情で振り返り、真面目一辺倒コンビを見る。


「来たところで蟹や魚の解体や捌き方は分からんだろ。いいから俺に任せておいて、たまには休め」


「で、でも・・・」


「私はこう見えて器用と言われるんです。蟹や魚の扱いなど見て覚えてみせます」


リーテシアは遠慮がちに、ミリティアは何故か得意げに鼻を鳴らして食いつく。


(はぁ・・・やはりストレートに言わないとダメか)


ほぼ必ずといっていいほど思ったことをそのまま言うと、相手は怒るか呆れるかする。

現にこの国に来てからも、先の国王への発言含めて何度も経験した。

しかし気を遣って遠まわしに誘導しようとしても、これまた中々上手くいかない。

このまま遠まわし遠まわしに話を続けるのは不毛だと決断し、ヒザキは二人を見据えて口を開いた。


「俺が席を外している方が気兼ねなく風呂に入れるだろう? 一緒に行動するってことは、風呂に入る時も俺が近くにいるってことだ。その時に席を外してもいいが、どうせならやることがある今の時間を使う方が効率がいい。という俺の配慮も分かってくれると助かるな」


「・・・」


「・・・」


「ああ、あと安心しろ。俺は風呂を覗く趣味はないから、気兼ねなくくつろぐといい」


「・・・」


「・・・」


男女という関係、そして野外の即席風呂というシチュエーションを全然考えていなかったのか、言葉の意味を理解した二人は何故か身を寄せ合いながら顔を真っ赤にして言葉を失っていた。


そんなに刺激的かつ生々しい話をしたわけでもないはずだが、この二人にはまだ早かったらしい。



リーテシアが入っていた麻袋を手に取り、中身を適当な場所に置く。

空になった麻袋を肩にかけ、ヒザキは放心した二人に「じゃあ行ってくる」と手を上げて、そのまま自身が倒した砂蟹の方へと向かっていった。



*************************************



「偉そうにミリティアに解体だの捌き方だの言ったが・・・」


場所はオアシスの奥、横に大きく開いた穴の中である。

ヒザキは遥か頭上を見上げ、視界一杯に陣取る巨大砂蟹の亡骸にため息をついた。


「さすがにこれほどの巨大なものを捌くのは初めてだな」


この砂蟹一体で、何人分の食料になるのか。

少なくとも数百人分は用意できそうだ。

大の大人が4、5人手を繋いでようやく囲めるような太い脚の一本を右手で掴み、思いっきり引っ張ってみる。

ミシミシ・・・と脚の関節部が軋みをあげたが、千切ることは出来なかった。


「・・・大剣があれば細かく斬ることも出来たんだが、無い物をねだっても仕方が無いか」


ミリティアのエストックを借りようかとも思ったが、斬撃よりも刺突がメインの武器を使ったところで、この蟹を解体することは叶わないだろう。挙句の果てに無駄に刃こぼれを築き上げてしまい、ミリティアに殺されかねない状況になりそうだ。


掴んでいる右手に更に力を入れ、ヒザキは姿勢を低くし、しっかりと足の裏を地につける。


「ふっ――!」


右手と下半身に全力を注ぎ、砂蟹の脚を引き抜かんと踏ん張る。

筋がブチブチと切れる音が横穴の中に響き渡り、所々から砂蟹の体液が漏れ出していく。


「く、・・・ッオオオオオ!」


背負い投げのように肩に脚の一部をかけ、前方に投げ飛ばすように脚を引きちぎる。

辺り一面に体液が飛び散り、ヒザキが引きちぎった脚の一本は大きな音を立てて横穴の壁にぶつかった。


「・・・ふぅ、普通にシンドイな。・・・ん?」


額の汗を拭い、引きちぎった脚を見上げる。

そこで異変に気付く。


「これは・・・既に傷み始めているのか」


引きちぎった断面は濃緑に染まっており、臭いを嗅いでみれば若干の悪臭を感じた。

陸に揚がった砂蟹は水を摂取できない状況が続くと死に至るわけだが、死後の鮮度の低下がここまで早いとは思わなかった。


せっかくリーテシアたちに砂蟹を堪能してもらおうと思っていたのだが、これは食さないほうが無難に思える。もっとも本来のサイズの数千倍はあるだろう、この巨体に従来の砂蟹の味があるかどうかは定かではなかったので、仮に鮮度が保たれていたとしても食べるのは止めておいた方がいいかもしれない。


「仕方が無いか」


ヒザキは炎の魔法を発動させ、巨大砂蟹を覆うほどの膨大な炎を発生させる。

高熱を帯びた炎は砂蟹の外殻を溶かし、その中身をも炭化させていく。

炎に侵食された地面もひび割れていき、赤黒く熱を放っていく。


この砂蟹も生きるために必死にもがいていたのだろうか。

黒い炭に変わっていく中で親爪の表面などを見ると、いくつもの傷やげた跡が残っていた。おそらくは岩などに体を擦ったり、打ち付けたりした跡だろう。

砂蟹にオアシス間を移動する力はない。長期間、水を摂取しなければ死に至るためだ。しかしこの横穴の様子や巨大砂蟹の体に残った傷跡から、この蟹は強引に別の場所からこの空洞に辿り着いたという背景が見て取れた。

何らかの理由で元いたオアシスが枯渇したか、自身を包むほどの水量を下回ったか。いずれにせよ元の住処を移動せざるを得ない状況になったのだろう。

そんな中、あるかどうかも分からない別のオアシスを探すのは長時間陸地で活動できない砂蟹としては、死を覚悟した強行軍だったに違いない。


人も動物も魔獣も、知能の有無に関わらず、生きるために全力を尽くしている。

生き抜く過程で衝突があり、どちらかが命を失ったとしてもそれは仕方が無いことだと思っているが、直に引導を渡した身としては少々思うところがあった。


「・・・安らかに眠れ」


ヒザキは目を閉じて、静かに燃えていく亡骸に向かって一礼した。



*************************************



「ふわぁ~・・・」


「ふぅ・・・」


黒髪と金髪の女性二人は、湯気が立つ湯船の中に身を沈めながら、熱で弛緩する体をだらけさせる。

互いに風呂初体験ということもあり、最初こそ恐る恐る爪先から入ったり、落ち着かない様子を見せていたが、数分間湯に浸かるとそんな感情も溶けていき、今ではマッタリとしたふやけた表情を見せていた。


乾燥して枝毛ばかりだった二人の髪は、今や本来あるべき艶を取り戻していた。と言っても、一瞬で毛根から毛先まで水分が行き渡るわけもなく、一時的な潤いではある。リーテシアはその初めての感触が何となく楽しいと感じ、何度も自分の髪を湯に浸してはいていた。

しかしちょっと強めに髪を引っ張ると、予想以上に指に絡みついた髪が抜けてしまい、その様子にギョッとする。頭皮の乾燥による抜け毛なのだろうが、そんな理由を知る由もないリーテシアは、普段の濡れタオルで拭いていた時には無かった結果に慌てながら、ミリティアに見えないように湯船の外に抜け毛を流し、今度は慎重に優しく自分の髪を整えていく。


数分間ほど、互いに無言で湯船に浸かる。


ふと視線を前に向けると、肩口あたりを手でそそぐミリティアの姿が。

水気を含んだ髪が肩にかかり、湯気に照らされる彼女は、リーテシアぐらいの子供から見ても眉目秀麗という言葉が似合うほど美しく見えた。


「・・・」


視線を感じたのでミリティアが正面に目を向けると、リーテシアと目が合う。


「どうしましたか?」


垂れてきた髪の束を耳の後ろに回しながら、上目使いの少女に尋ねる。


「あ、いえ・・・その、綺麗だなぁって思って・・・」


「綺麗? わ、私がですか?」


「は、はい・・・同じ女性として憧れます」


「そ、そうですか・・・? 私としてはリーテシアさんの方が綺麗、といいますか可愛らしくて羨ましく思います」


「い、いえいえっ! 私なんかとても、そんな・・・髪だってボサボサだし・・・」


「綺麗な黒髪じゃないですか」


「あぅ・・・」


「・・・」


「・・・」


何故だか二人とも続きの言葉に詰まり、少しだけ気まずい時間が流れる。

互いに自分が褒められる経験が不足しているためか、むず痒いような、居心地が悪いような、気持ちが落ち着かない。

リーテシアは口元まで湯船に浸かりブクブクと小さな気泡を出し、ミリティアはそんな様子に困ったように微笑みを浮かべた。


「す、すみません・・・変なこと聞いてしまって」


「ふふ、気にしないでください」


先ほどヒザキの言葉に対し、刹那に見せた剣士としての威圧に比べて、今、目の前にいる女性は正反対と言えるほど優しい雰囲気だ。


(き、聞いても大丈夫かな・・・?)


リーテシアは湯に沈んだ口から空気を吐き出しながら、少し悩み、意を決して口元を湯の中から出した。


「あ、あの・・・」


「はい?」


「もし・・・不躾なことを聞いたら、すみません・・・」


こちらの顔色を窺うように言葉を選んでいる少女を見て、ミリティアは苦笑して「なんですか?」と優しく聞き返した。


「えと、このまま国にここのことを伝えると・・・やっぱり、ここの水って無くなっちゃう、んでしょうか・・・?」


「・・・先ほどのヒザキ様の言葉について、ですね」


「は、はい・・・」


怒られる可能性を持っていたリーテシアは、次のミリティアの言葉に恐々とする。しかし自分の中に渦巻く疑問を解消するためには、ミリティアの意見を聞いておきたかった。たとえその結果、怒られることになったとしても、そうすべきであると――理由は分からなかったが、リーテシアは何故だかそう思った。


ミリティアは顎に手を当て、数秒、思考を巡らせる。


「そうですね・・・いち個人として答えるなら――その可能性は高いかもしれません」


「えっ!?」


ヒザキに対しては近衛兵隊長として答えていた彼女だが、この問いかけに対しては彼女自身の答えが返ってきたことにリーテシアは思わず驚きの声を上げてしまった。

てっきり先と同様に客観的な回答で有無を言わさず切られるかと思っていたのだ。


「一応、弁明させていただきますが・・・私自身の意見が賛否どちらであれ、私が取る行動は変わりません。私は近衛の長に立つ人間であり、国のために成すべきことをするのみです。ですから・・・あの場では私がこの先どう行動するかをお話したのです」


「そ、その言い方ですと・・・」


リーテシアが上目遣いに確認してくる。

ミリティアは一つ頷いて、小さく笑った。


「私は国のために剣を振るってはいますが、妄信的な人間ではありませんよ。きちんと自分の考えも持っているつもりです。そして私の予想では、おそらくこのオアシスの枯渇に対する危機感は後回しにされ、目先の利益や資源の流通を最優先にされるかと思われます。ルケニアが・・・横槍を入れてくれるとは思いますが、それでも陛下の考えは曲がらないでしょう」


「そんな・・・」


ミリティアは顔を上げ、未だ光を放ち続ける不思議な空間を眺めた。


「半世紀・・・アイリ王国は渇きに苦しみ続けました。流す涙も枯れ、満足に体を洗うこともできない。抑圧されていた水への渇望は・・・きっと止めることのできない奔流となって動き出すでしょう。それほど――国にとって水とは大きな存在なのです」


「で、でも・・・それでここが枯れてしまったら、また・・・元に戻っちゃいます」


「そう、ですね・・・ですが、希望は残ります」


「希望、ですか?」


「ええ、オアシスは実在する、と。まだこの広大な砂漠の中に・・・オアシスという希望は眠っているのだと。私はこの一件が片付き、他の案件も一通り終わりましたら有志の者らと砂漠を巡ろうかと思います」


「えっ?」


「近い未来にここは枯れてしまう・・・私が陛下に報告をしたことを引き金となって。その行動に後悔はありませんし、国を救うためには正しいことだとも思っています。ですが、それで終わりにしてしまっては此処で見たオアシスの輝きは無意味なものになってしまう。だから私は次のオアシスを探しに行きたいと思うんです。第二、第三のオアシスが見つかるころには他国の水準に近い水の供給もされているでしょうし、国や民にも『余裕』が生まれ始めると思います。その時にオアシスを枯れさせない上で、慢性的に水の供給ができる体制を徐々に作っていければ・・・そう思っています」


そう長めの言葉を吐き出すミリティアの相貌には決意の色が宿っていた。

彼女はここのオアシスと引き換えに国に住まう者たちの心に「余裕」を持たせたいのだ。余裕がないから人間は視野が狭くなり、猪突猛進になってしまう。そうなってしまった人間は他者の言葉など耳に届かないだろう。だからこのオアシスで窮屈に萎んでしまった心に隙間をつくり、冷静に物事を話し合える時間を作るのだ。ゆとりが生まれれば、オアシスを枯れさせずに――過去の過ちを繰り返さない話し合いができるはずだ、と。


「でも・・・どこにあるかも分からないオアシスを探すなんて・・・危険です」


「ふふ、心配してくれるんですね」


「あ、当たり前ですっ」


砂漠は「安全」なんて言葉は砂粒一つないほど過酷な場所だ。

日中は焼けるように熱く、夜は凍るように寒い。

凶悪な砂嵐であるフールもいつ襲ってくるか分からないし、何よりこの地にはワームやサリー・ウィーパを始めとした凶悪な魔獣も横行している。

地表にオアシスが顔を出しているのであればまだマシな話だが・・・オアシス自体が地中に埋まっているのではどうしようもない。


旅の中継地に快適な宿があるわけでもなく、食糧も乏しいこの地において――人が地に沈んだ水の楽園を探し求めるなど、途方もない話なのだ。


リーテシアはミリティアの話を聞いて、彼女がオアシスを食いつぶすことを良しとしていない人間だと分かり、安心したし、その想いが美しいとも思った。だからこそ、その想いが無謀な旅に散ってしまうことに心が痛くなったのだ。


無論、彼女は強い。

おそらくアイリ王国の中でもトップクラスの実力者だろう。

だが悲しいかな、人間としての限界は彼女にも備わっている。

この延々と同じ景色が続く砂の海の中を歩き回り、無事に帰ってこれる可能性は高いとは言い切れない。


特に責任感の強い彼女の場合、オアシスが見つかるまで意地でも帰れない可能性だってある。


(・・・これで、いいの・・・かな)


リーテシアはミリティアの眼を見て考える。

彼女の決意はおそらく国王や彼女の上の人間が止めでもしない限り、変わることはないだろう。

今の国王がどんな人柄でどんな性格なのかは、あまり表舞台に出てこないため、リーテシアにも分からない。

でもヒザキやミリティアが「水を使い果たすだろう」と意見が一致しているところから見て、あまり大勢を見通す人ではないのかな、とリーテシアは思った。恐れ多い感想なので、当然口にはしないが。


(このまま・・・ここが国王様に知られて――枯れるまで水を取っちゃって・・・。そりゃ国の皆に水が行き渡るのは嬉しいし、私だって水を満足するまで飲みたいよ。でも・・・もし、想像したくないけど・・・ミリティアさんの旅が失敗に終わって、ここのオアシスが枯れちゃったら・・・繰り返しちゃうだけ、だよ。ううん、水の有難さを知ってしまった分、耐えられなくなるかもしれない・・・)


考え込むリーテシアの様子に、ミリティアは何か言葉をかけるべきだろうか、と悩みながらも結局はその黒髪を静かに撫でるだけにした。


「・・・ミリティアさん」


「大丈夫ですよ。難しいことは私たち大人に任せればいいのです。貴女は・・・そうですね、万事が上手く行くように祈っててください」


「・・・・・・」


リーテシアは優しい手の感触に身を委ねながら、湯の温もりに溶けるように思考を落ち着かせた。



道は。

道は本当に一つだけだろうか。


ミリティアの決意は変わらない。ヒザキも他国の決めたことに深くは首を突っ込まないだろう。

このまま何もせずに明日を迎えれば、間違いなく未来は想像通りに向かっていく。


今だけがチャンスだ。

ヒザキがいて、ミリティアがいて、自分がいる。

このオアシスの存在を知っているのはこの三名。この空洞の未来を決められるのも、明日を迎えるまではこの三名だけだ。


リーテシアの脳裏に一つの存在が掠める。



(怒られちゃうかな・・・怒られちゃうよね。・・・はぁ、これじゃラミーたちのこと悪く言えないや。私も結局は我儘で自分勝手にして・・・周りの大人に迷惑をかけちゃう)



湯船の中で膝を抱え、それを支える両手に力が入る。


数日前、あの銀色の魔獣に襲われた後にヒザキと話をした光景を思い出す。



『リーテシアは国が好きなのか?』


(いいえ、嫌いです・・・でも好きでもあるんです。私は孤児院の皆が大好きで、あの国で一生懸命に生きる皆も好きなんです。ミリティアさんだって・・・こうやって話すととても優しくて、とっても暖かい。こうやって頭を撫でてもらうのが気持ちよくて、思わず『お姉ちゃん』って言っちゃいそうになります)


『この国は長いこと時の流れに身を任せすぎた。抗うことも、変わることも諦めてな』


(私が嫌いに感じていたのは・・・変わろうとしない『国自身』だったんですね。ずっと答えは知っていたようで、ハッキリしなかった・・・でも、今――ヒザキさんやミリティアさんの言葉を聞いていて、やっと形になった気がします)


『お前は誰にも相談しないで一人で考え込むタイプだな。そういう人間はいつか精神に限界が来る。今のうちに他人に頼る癖をつけておいたほうがいい』


(すみません・・・ヒザキさん、ミリティアさん。ここまで連れて行ってもらうだけでも信じられないぐらいの我儘でしたけど・・・もっと大きな我儘、しちゃいます。頼らさせて、ください――)



このオアシスの存在は「変わろうとしなかった」アイリ王国の転換期だったのだ。

しかし国を良く知るミリティアでさえ、オアシスが消えた時と同じように「水を使い切る」未来を口にした。


やはり――国は変わらないし、今とは異なる未来へ――今という荒波に抗ってまで舵を切ることは無い。ただ降って湧いたお菓子をつまむだけなのだ。


では変えるためには――大好きな人たちが住まうあの国を変えるためにはどうしたら良いのか。

選択肢は、ある。

運命の悪戯か、神が指針を与えてくれたのか、状況をひっくり返す「引き金」はすぐ近くにあった。


それが「正解」なのかどうかは分からない。

もしかしたらより悪い未来を運んでくるかもしれない。

その責任は引き金を引いた者にある。


自分一人では無理だろう。

引き金は引けるが、引いた後の崩れた状況を整地することは叶わない。

助けがいる。

強力な助けが。


リーテシアはずっと撫でてくれていたミリティアに、狭い湯船の中で近づいていき、ギュッと小さく抱きついた。


「?」


首を傾げながらも撫でてくれる彼女の優しさを肌で感じながら、リーテシアも一つの決意を胸に――小さく「ありがとうございます」と呟き、心の中で「ごめんなさい」と謝った。

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