第46話 ヒザキVS巨大砂蟹 そしてオアシスへ
もう10日ですが(笑) 明けましておめでとうございます!
今年も宜しくお願いいたしますm( _ _ )m
ここからは詳しい様子が見えないが、離れた位置の丘の向こうからミリティアのものと思われる魔法の余波が確認できた。どうやら戦闘行為に及ぶ何かしらの問題が発生したらしい。もっとも可能性があるとすればサリー・ウィーパとの遭遇。魔法を使用している現状を鑑みれば、女王蟻と対峙した可能性が高い。
気にはなるが、ここはミリティアを信頼して任せるとしよう。
ヒザキは足元の岩場を軽々と粉砕する親爪を跳んで躱し、右の掌に魔法陣を展開する。
あまり威力を持たせては、この空洞を埋め尽くす崩落を起こしかねない。
このぐらいか、と感じる出力を想定して炎の魔法を放つも、どうにも手応えが微妙だった。
今はなったのは単純に広範囲に炎を巻き散らす程度のものだ。
巨大砂蟹を包み込むほどの範囲を誇る炎だが、その甲羅に焦げ目をつける程度しかダメージを与えられず、すぐに相手の口腔から漏れ出す大量の泡に消火されてしまった。
以前より砂蟹を獲る際に、口から吐き出す泡で全身を包み込む習性があったのは知っていたが、それが耐熱効果を生むものだとは知らなかった。何の意味があるのか、と思っていたものだが、今思えば砂漠の熱に耐えるために全身を泡で覆う習性が身に着いたであろう背景が伺えた。
砂蟹は基本はオアシスの底で暮らす生物だが、彼らの好物は水の中にはいない。
好んで食するのは砂漠の砂の中に紛れているレイトと呼ばれるミミズの亜種だ。レイトは通常のミミズと異なり水を嫌う性質があり、砂を食べて吐き出すという循環摂取を繰り返すだけの無害虫である。その生態は未だ謎が多く、どこで生きるための栄養を摂取しているのかが解明されていない。砂に潜んでいる微生物を食べているのではないかという説もあったが、結局は証明するに至っていない。
レイトを捕食するために陸路を上がる。
そのためには砂漠の気候に耐える必要がある。
そこから泡による耐熱習性を覚えたのだろう。
もっとも目の前にいる砂蟹の規模になると、レイト程度の小さな餌で満足するとは思えないのだが、本当にこいつは何を食料として今まで生きながらえてきたのだろうか。
「ブジャァァァァァァァァッ!」
泡を噴き出しながら、こちらを飽きもせず襲い掛かろうとする。
「単調だな」
捻りもない単純な爪を振り下ろすだけの攻撃に、ヒザキは小さく呟いて躱す。
しかしヒザキの言葉が伝わったのか、攻撃パターンが変化した。
地面に突き刺さった親爪をそのまま擦るようにして、ヒザキに向かって迫ってくる。硬い地盤をものともせず、地を削りながら親爪が目前へと迫り、ヒザキは「ほぅ」と小さく声を発しながら真横に跳躍してその攻撃も躱し切った。
「次だ」
再び魔法陣を展開し、先よりも強い威力を想定する。
広範囲攻撃による炎は泡によって相殺されることは理解した。であれば面ではなく線による攻撃に切り替えるまで。
アイリ王国付近の山岳地帯でも見せた、炎の光線。
ヒザキが攻撃手段としても多用する、一点集中型の炎魔法だ。
空洞の高さからして、地表と天井との距離は数十メートルだろう。
天へ向かって魔法を放つと地表まで貫通し、そこから砂が大量の流れ込んでくる危険性が高い。
ヒザキは射線を水平になるように注意しつつ、魔法を巨大砂蟹に照準を当てて放つ。
「!?」
同じように炎が包んでくると思っていたのか、さっそく泡を噴き出し始めたようだが、想像と違う熱線が向かってきたため、驚愕に全身を震わせる砂蟹。
五十メートルはあるだろう巨体で躱せるはずもなく、宙を横切る一筋の線が固い甲羅を貫き、背後の壁へと消えていった。
「ブシュ、ジュゥゥゥゥゥオオオオオォッ!?」
口腔内に溜まった泡がまるで叫びのような音を奏で、何が起こったのか理解できない様子でのたうち回る。
「これは有効か、っと――」
暴れる脚に吹っ飛ばされそうになったため、身を屈めて接触を避ける。
「魔法陣が炎を放つと理解する知能はありそうだが――、知識は皆無のようだな。俺からの攻撃に対して、全て受け身になっている」
魔法陣を見て泡による防御を展開しようとした様子から、ヒザキはこの砂蟹に「知能」があると決定づける。しかし知能があっても「知識」がなければ、当然、初見の事象に対しては対応できない。学習することは可能だろうが、どうしても「事象を理解する」ために体験する必要があるのだ。だから砂蟹はヒザキの攻撃に対して最初は何の対策も打てずに直撃を食らってしまう。
「このまま単純に同じ攻撃を繰り返せば学習して対処してくるかもしれないが、そんな暇を与えるつもりは一切ない。早々に終わらせてもらおうか」
ヒザキは何度目かになる魔法陣を右手に浮かび上がらせ、この攻撃で終わりにするつもりで威力を調整する。その光景を目にした砂蟹は暴れるのを中断し、こちらに向かって大量の泡を吐き出してきた。
「む」
視界が泡一面となり、ヒザキは魔法の精製を中断し、後ろへとバックステップで下がっていき、降りかかろうとする泡を回避しようと試みる。
しかし、さらに被せるように上空から泡の第二波が降ってくるのを仰ぎ見て、ヒザキは小さく舌打ちした。
「避けきれないか――」
ここから全力で走ったとしても泡の範囲外に逃げ切ることは不可能な量だ。
回避を諦めたヒザキは魔法による火球を泡に向かって放ち、泡の壁に風穴を開けることにした。
穴が開いた部分がちょうどヒザキの場所に重なり、ヒザキを囲うように前方縦横で泡が地面に叩きつけられる音と共に地面を埋めていった。
一つ一つの気泡がヒザキの身長を上回る大きさだ。
分裂と破裂を繰り返す気泡の山が邪魔で、あの巨体すらも視界に納めることができない。
(来るか?)
視界を泡で塞ぎ、その隙に乗じて攻撃を仕掛ける。
相手に知能があるのであれば、それぐらいはやってきそうなものだ。
「――?」
いつ来てもいいように身構えていたヒザキだが、空洞内を圧迫するような気配を発していた巨大砂蟹の挙動に眉をひそめた。
(気配が遠くに・・・? まさか――)
遠くで水飛沫が上がる音が聞こえる。
巨大な質量が水をかき分けて進む音もだ。
「逃げる、気か――!」
オアシスの先には確か・・・あの巨大砂蟹も通れる大きな横穴があったはずだ。
この行動は想定外だった。
まさか戦闘を放棄して逃げに専念するとはヒザキも考えていなかったんだ。
思いのほか臆病なのか。
それとも冷静に自身と相手の戦力を分析する頭脳があるのか。
どちらにせよこのまま奴を逃がすわけにはいかない。
好きに地中を移動できる厄介さに加え、今回の件に根を持って人間に対しどんな行動に出るかが読めないからだ。一度戦闘を行った以上、明確なケリをつけなくてはやがて大きな災害をもたらすかもしれない。
「ちっ」
素早く魔法を展開し、広範囲に炎をまき散らす。
高熱に焼かれ、周囲の泡が次々と蒸発していく。
ようやく辺りの光景を視界におさめる頃には、砂蟹は既に横穴に脚をかけている状態だった。
たかだか数秒でオアシスを渡り、横穴に姿を消しそうな位置まで移動している。
図体に騙されそうになるが、移動速度は人間とは比べ物にならないほど速い。
「手加減している暇はないな」
追うという選択肢は端から除外し、ヒザキは狙いを定めて魔法陣を右手の先に展開する。
火の粉のような魔素が魔法陣に集約するように集まり、ヒザキの周囲が高温に赤く染まる。
人差し指と中指を立て、銃に見立てて砂蟹の背部に向ける。
魔法陣が砕け、構成していた魔素は赤い光となり、集約された魔素は膨大な熱量を発する熱線へと変化する。
「・・・行け」
小さい呟きを号令に、赤いレーザーが砂蟹を追うように一直線に伸びていく。
瞬きする刹那ほどの速度で空を横切り、標的の背部に到達する。
「・・・っ、・・・・・・・・・・・・っ!?」
何が起きたのか。
そう考える暇もなかっただろう。
巨大砂蟹の背部から前頭部にかけて熱戦が貫通し、その巨体はゆっくりと傾いて完全に静止した。
遅れて倒れこむ振動が足元を伝わってくる。
熱戦が通った後のオアシスも水温が上がったせいか、水蒸気が水面から立ち込めていた。
湯気の先に倒れた獲物の姿を確認し、ヒザキは静かに右手を下ろす。
頭部を破壊されて生き延びる生物はいないこともいないが、相手が砂蟹が異常成長したものだと考えれば、完全に死んでいることだろう。だが常識だけで物事を決めつけて、確認を怠ることは愚かなことだ。
ヒザキは熱線の通った焦げた道を駆け抜けて、オアシスを迂回し、横穴の先に向かう。
「・・・・・・」
こうして間近で見上げると大した巨躯だ。
焦げた匂いが立ち込める中、それを気にした風もなくヒザキは畳むように曲がった脚を登っていき、砂蟹の頭頂部から前を見下ろす。
リーテシア辺りだと刺激が強いかもしれない光景があった。
ヒザキの魔法により開いた穴が砂蟹の前頭部の代わりに在った。
そこからは熱に燻られて煙が立ち込め、表層は赤く燃えている。
この様子から即死であったことは間違いないだろう。
砂蟹の進行方向を見ると、ヒザキの魔法は奥深くまで貫通していったらしい。その道程を主張するかのように炎の通り道が視認できないほど遠くまで続いていた。横穴は途中から右に曲がっているようだから、直線に空いている小さめの穴は間違いなくヒザキが原因だろう。
(地盤に影響が出なければいいが・・・)
悩んでも仕方がない。
ここよりも更に下にあるプレートに影響を及ぼすならまだしも、地上から100メートル程度の地層に横穴を開けただけだから問題はないだろう、と半ば希望的観測で納得することにした。
砂蟹がもっとデカい大穴を開けているのだから、この程度でどうにかなるほど柔らかい地層ではないと信じたいものだ。
沈黙した巨体から滑り降り、ヒザキは横穴から出てミリティアたちと合流することにした。
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「これが・・・オアシス・・・」
目前に広がるオアシスの畔にしゃがみ込み、リーテシアは光を反射する水面をその両目に映していた。
本来であれば陽の差さない空洞内だ。このように水面の反射が起こるなど、本来は無い場所でもある。魔素が土の属性を持ち、発光現象を引き起こし、その光が水面に反射して幻想的な雰囲気を作り出している。そんな光景に目を奪われる女性陣二人を尻目にヒザキは発光し続ける周囲の土を右手で少しだけ掘り起し、人差し指と親指でこすりつける。
「・・・」
ヒザキの指に押しつぶされた土は粉々になり、同時に光も失われていった。
土から滲み出るように魔素が浮遊していき、宙に消えていくのを目で追っていく。
(光る、土か。電光のような一時的な灯りというより――陽光に近いかもしれないな。確かアレも土魔法の応用を組み込んだ魔導機械だったはず。その機構が自然に出来上がった、ということなのか?)
陽光というのは電光と同じく魔導機械の一つで、時間が経てば自動的に消灯する電光と異なり、陽光は半永久的に淡い光を放つものである。
この世界において照明の役割を持つ魔導機械は三つある。
一つ目は電光。
アイリ王国の地下浄水跡地にもあった、雷の魔法をスイッチとする低コストの魔導機械である。
強い光を放つ代わりに持続性は短く、数時間で自動的に灯りが消えてしまう特徴がある。
一度灯りを点けると自然に消えるまで消す方法はなく、使い勝手も悪いことで有名だ。また希少な雷の魔法師が必須であることから、需要はどんどん下がっていき、今では低コストでの購入が可能な魔導機械でもあった。
二つ目は陽光。
価格は個人で買えるものではなく、国や裕福な貴族でなければ手が出せない高級な魔導機械である。
土魔法がスイッチとなっており、一度点けると魔法師が再度、土魔法を流すか破壊するまで半永久的に灯りが点き続ける代物だ。
透明な薄いガラスの中に「ガダス鋼」という特殊な鉱石が入っており、複雑に絡み合った回路と鉱石が土魔法により反応して輝きを放つ仕組みと聞く。原理は魔術師の資格を持った者でさえ「難解」と言ってしまうほど高難度な仕組みを持った魔導機械らしい。作り手となる魔術師が少ない事と、ガダス鋼自体も高価な鉱石であることから、一般人では買うことも考えないほどの価格になっているのが現状だ。
比較的数の多い土系統の魔法と、一度点ければ消す必要がないことから国内の要所に設置されることが多い。アイリ王国の王城内でも多く設置されている照明が陽光でもあった。
電光の強い灯りとは異なり、こちらは淡い光を放つため、広い空間では少しだけ暗く感じるデメリットもある。
三つ目はメイリア・クラリス。
魔術師メイリアが発明した比較的新しい照明用の魔導機械だ。
電光も陽光も一般家庭向けではないと発言し、大衆向けに「安く、質も良く」を掲げて発明されたものだ。
今までは蝋燭の灯りだけで暮らしてきた一般家庭においては「奇跡」とも呼べるほどの衝撃的な発明だったようで、価格も安いことから今では多くの家庭で導入されているそうだ。
掌サイズの小さな電球の形を成しているが、そこから発せられる灯りは馬鹿にできないほど明るい。
メイリアとその弟子しか製造を行っておらず、市場を独占していることから詳しい構造などは発表されていないらしい。不可能とされていた小型化もされており、購入後に分解して構造を解き明かそうとする魔術師も後が絶えないとのこと。
明度は電光よりやや弱い程度。コストは低価格。陽光と同じく土の魔法を使って灯りを点けるもので、平均1~2日灯りを保つことができる。魔法師がいない家庭でも、手軽な月額設定で毎日土魔法を流すことを生業にする者も出てくるほど、世界に浸透し始めていた。
メイリア・クラリスは製造ラインがメイリアのところしかないため、未だに予約待ちが続く日々だとのこと。
因みにアイリ王国では、国民にメイリア・クラリスを配給する甲斐性も余裕もないため、未だに一般家庭や孤児院は蝋燭頼りの生活であった。
ヒザキはこの空間の土に、何処か魔導機械に通じるものがありそうな気がした。
(後でルケニアに聞いてみるか)
興味本位で国の要人を捕まえるのもどうかとは思うが、彼女の人柄ならむしろ喜んで話に乗ってくれそうだ。
意識をオアシスに戻すと、ミリティアもリーテシアに並んで水面を眺めていた。
そっと手を水面に伸ばすも、すぐに手を引っ込める。
まるで初めて水を見る生き物のようだ。オアシスは初めてとはいえ、セーレンス川や他国の河川は目にしたことがあるだろうに。
おずおずと顔だけこちらに向けてミリティアが尋ねてくる。
「こ、この水は・・・飲めるのですか?」
「ん? 俺もあまり詳しくはないが・・・砂蟹がいるのであれば飲めると思うぞ。あいつらは基本、綺麗な水場にしか住み着かないからな」
「砂蟹・・・」
ミリティアは数日前にルケニアが話した、砂蟹の歴史の一端を思い返す。
『何でもその身にはオアシスに含まれる栄養分が凝縮されていたらしく、その食感は強い弾性があるにも関わらず、噛み切ると繊維に染み込んだ旨味がブシャ~って弾け出たんだって!』
「・・・ぅ」
脳内でルケニアの台詞が再生され、思わず涎が垂れそうになって慌ててミリティアは口元を拭った。
食べ物を想像して涎を垂らすなど、卑しい感情のように思えて嫌な気持ちになる。
「水溜りのような場所であれば様々な物質が底に沈下し、それが毒素となって人が飲めるものでなくなってしまうことがある、とは聞いたことがあるが・・・。砂蟹は一定の水を常に消費する生き物だ。このオアシスに住んでいるのであれば、何処かの水脈と繋がってるんだろう。でなければ水が飲み干されて枯れるだけだからな。水脈と繋がっていれば水流が発生し、水も循環する。つまり、中の水も常に入れ替えが発生するわけだ」
水を飲むことに躊躇しているのかと思ったヒザキは、そう言って彼女たちの横に座り、右手で水を掬った。
そして一気に口内に流し込む。
「ふぅ・・・久しぶりの水だから少し沁みるな」
その様子を見ていたリーテシアが小さく「うんっ」と意気込み、両手でオアシスの水を掬い、ゆっくりと飲み干していった。小さい喉が水を通すたびに動き、やがて全てが食道を通った後、リーテシアが「ぷはっ」と水と一緒に飲み込んだ空気を吐き出す。
「お、美味しい・・・」
彼女はまじまじと水を掬った両手を見つめながら、呆けたように呟いた。
その様子を見ていたミリティアがごくりと喉を鳴らし、ヒザキがそんな彼女に「どうぞ」と水辺に手を向ける。
「し、しかし・・・民の皆が水に喘いでいる中、私だけが摂取するわけには・・・」
「ここの水が飲めるものかどうか、報告義務のある君としては必要な情報じゃないのか? 水質調査でも行う研究者をわざわざ呼ぶ余裕も無いだろうしな、この国」
「・・・」
顎に手を当て、難しい表情をするミリティア。
律儀すぎる考えは反って国の為にならないことだってあることは、聡明な彼女のことだ。理解はしていると思う。しかし同時に自分だけ先に「いい想い」をすることにも罪悪感を覚えているのだろう。その考えは嫌いではないが、自分や周囲全員が結果的に割り切れない気持ちになる結末に繋がる、面倒な性分でもある。このままズルズルと引きずるのであれば「優柔不断」の烙印がつくものだが・・・、
「そうですね。不明瞭な期待や希望は、場合によっては皆を不幸にします。飲み水としても問題ないかを明確にするために私も一つ、いただきたいと思います」
と、優先順位をはっきりと見据えた回答が返ってきた。仮にも一国の近衛を任せる身だ。当然と言えば当然だが、判断に迷った際の「落とし所」はきちんと持っているようだ。
ミリティアは静かに膝を折り、手甲を外して両手で水を掬う。
そのまま口に運び、リーテシアと同じようにゆっくりと喉に通していった。
「・・・ん、美味しいです。セーレンス川の水とは違う・・・何と言いますか、飲みやすい――そういう印象を受けました」
「そうか。砂蟹もオアシスの水でしか生きられないとも言うし、何かしらの成分に違いがあるのかもな」
「ええ・・・、これで国は・・・国は救われますっ。この水さえあれば・・・水不足は解消され、食物の栽培なども可能になってくるかもしれません・・・! ここは国の未来を繋ぐ『希望』です・・・!」
ミリティアは肩を震わせ、少しだけ目を潤ませながら水面に映った自分の顔を見つめた。
「ミリティアさん・・・」
リーテシアも胸の前で手を合わせ、その様子に目尻に涙を浮かべた。
彼女は今の国を憂い、嫌いと言っていたが、ただ老衰していくのを静かに待つだけの国の姿勢に反感を抱いていたに過ぎない。国を救うための一手となる「水」が発見できたことにより、彼女の心にも一つ、何かしらの心境の変化は起きるかもしれない。
さて。
こんな場面で言いにくいことこの上ないが、言っておかないといけないことがあった。
「それはどうかな」
ヒザキの淡々とした言葉に二人は「えっ?」と声を揃える。
「なあミリティア。君は何故オアシスが地上から消えたのだと思う?」
ヒザキの問いかけにミリティアは思わず息を飲んだ。
わざわざ問いかけをしてくる、ということはオアシスを前にして喜びを露わにした自分たちに、何かしらの言及があることを意味している。そこまでは理解できるが、その先が読めない。彼は何を言わんとしているのか。
「自然、現象でしょうか? 砂嵐による被害や、地盤沈下などが起こった可能性もあるかと・・・」
「それも無くはないな。地下水脈が途切れてオアシスが枯渇したものも確かにあった」
自分の言葉が真っ向から否定されなかったことに、少しだけホッと胸を撫で下ろす。
「だが最も大きい要因は、人間だよ」
「え?」
「・・・人、間?」
背後の岩を背もたれ代わりに寄りかかり、ヒザキは何処か思い出すように話を続ける。
「代々オアシスを中心に栄えてきたアイリ王国の王家だが、彼らはオアシスを金に換えることは上手かったが、その結果何が起こるかを予測することはできなかった」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
どうやら二人は、こちらの話に聞き入ってくれるみたいだ。
ヒザキはそんな様子を確認しつつ続けた。
「当たり前の話だが・・・資源は生まれる前に食いつぶせば無くなるものだ。オアシスが枯渇した半世紀前、前王であるフス王の代までオアシスで黄金時代を築いてきた一族は、雨や雪から地下水脈を通って供給されるオアシスの水量を上回る水を使用したのさ」
「なっ・・・、それは・・・」
「言うまでもなく地表に湧き出る水は枯れ、地上からオアシスは姿を消したかのように見える。最も水量が目に見えて少なくなれば気づかないわけもないからな。各地にあるオアシスを管轄する都市から本国に報告は行っていたらしい。ま、その時には既に遅くてな。砂蟹飼育のためだの何だので水の売り出しまでしてしまうもんだから、受注が溜まっていてな。顧客の注文を断ることもできず、自国の富裕層からの圧力もあって都市からの水の供給を止めることができなかった背景もある」
(ヒザキさん・・・なんでそんな昔のことまで知ってるんだろう・・・)
リーテシアはヒザキの言葉の内容にも驚きを隠せなかったが、何よりそれを「見てきた」かのように喋る彼の様子に驚いていた。
ミリティアに至っては、オアシスが枯れた理由が自国の管理不足と指摘され、愕然としていた。
「今、ここの存在を知れば言うまでもなく、国はここに『国有旗』を立て、水を牽くための道を造るだろうな。かつて見た繁栄を夢見て、な。フス王は現在、床に伏している。故に旗印を掲げるのは暫定的に国王に位置する王子になるな」
「・・・」
「・・・」
「ではミリティア、質問だ」
僅かにミリティアの方が動く。
おそらく彼女の中でどのような内容が来るか、ある程度まで予想がついたのだろう。
彼女の「立場」を考えれば、答えるのが憚れる質問が。
「ヒ、ヒザキ様――」
先に言葉を発して、彼の質問を遮ろうとしたが――被せてヒザキは質問を投じた。
「あの自己管理も覚束ないアホ王子に、オアシスを上手く管理する能があるかな?」
脊髄反射の如くミリティアの右手が腰のエストックの柄にかかり、リーテシアが「ひゃっ!」と怯えた声を漏らすほどの剣気が漏れ出す。
そのまま抜剣しなかったのは、ミリティアがある程度ヒザキに信頼を置いているためだろう。
国の象徴とも言える王家への侮辱発言に、本来であればミリティアは剣を振りぬいていてもおかしくない。しかし今回は彼女の理性がその行為を止めていた。
「ヒザキ様、お言葉が過ぎますよ」
「これを『国辱』と取るか『警告』と取るかは任せる」
ヒザキは右手を上に上げ、片手だけの「降参ポーズ」を取る。
敵意は無い、という意志表示だ。
いつの間にかヒザキの後ろに隠れながら、こちらを恐る恐る見ているリーテシアが視界に入り、ミリティアは静かに目を閉じて息を吐いた。
「斬られるかと思ったぞ」
「斬られてもおかしくありません! あぁ・・・まったく、もう!」
珍しく前髪を手でくしゃくしゃにしながら、今度は盛大にため息をついた。
「すみません、少し熱くなりました」
どちらかと言うとリーテシアに向けた言葉だったが、ヒザキとリーテシア二人が小さく頷いた。
「言いたいことは分かりますが、もう少し言葉を選んでください」
「言葉を選ぶと曲解されることもあるからな。はっきりと言う方が楽だ」
「楽だとか辛いだとかで自由にできるほど、人の世は優しくないですよ・・・」
「そうだな。で、質問の答えについてだが・・・」
「それを見越して・・・戦いの前に『立場から仕方が無い』と私に言ったのではないですか?」
ミリティアの返しに、少しだけ目を丸くしてヒザキは頭を掻いた。
「そんな言葉のはし、よく覚えていたな」
「あの時は何のことか分かりませんでしたが、今は充分に理解しましたよ」
先ほどまでの威圧は何処にいったのやら、ミリティアは柔らかい笑みを浮かべてヒザキは見た。
「ではやはり?」
「はい、オアシスの存在を国に報告いたします」
「それは君の答えか?」
「いえ――アイリ王国近衛兵隊長、ミリティア=アークライトとして為すべきことと判断したまでです」
「そうか」
少し残念そうに息をつくヒザキだが、表情は変わらず「わかったよ」と言葉を返した。
ヒザキの「君の答えか?」という質問に対し、否と挟んでから回答したことから、彼女自身の考えはまた別のところに在るのだろう。彼女は自分の考えよりも国に仕える者としての「義務」を優先した。これ以上何を言っても、彼女の考えを変えることは難しいだろう。
「あ、あの・・・」
会話が一旦途切れたタイミングを見計らって、リーテシアが話しかけてくる。まだミリティアの剣気に充てられているのか、ヒザキの服の裾を掴んだままだった。
「どうした?」
「その・・・聞きにくいんですけど、このまま国に此処のことが伝わったら、此処はどうなるんでしょうか?」
「どうなるか、は分からないが・・・間違いなく軍を派遣して、この水源と国とを繋ぐ給水管を設けるんじゃないかと思っている。もっとも此処の方が低い位置にあるからな・・・上方へ吸い出す何かしらの工夫は必要だろうが」
ルケニアの姿を思い浮かべ、彼女なら何かしらのアイデアを打ち立てそうだな、と思った。
「さっき・・・此処に『国有旗』を立てるっていうのは・・・?」
「ん? ああ・・・君が道中で感じた三つの気配にもつながる話になるがな・・・おそらくこの場所は誰のものでもない『中立地域』だ。君が読み取った三つの波。鋭利なものは女王蟻で、膜に覆われたような巨大なものは砂蟹だろう。最後の・・・弱い波はおそらくアイリ王国の『国有旗』の波動だ。国として認識されるほどの強さでない余波をたまたま読み取ったんだろう」
「な、なるほどです」
「言われてみれば、そういう説が一番しっくり来ますね」
二人が頷く。
「つまり、ここは『国』として認識されていない場所なんだ。まあ半世紀前はアイリ王国の所有地だったんだろうが、今は返上しているからな」
「それでまずは『国有旗』を立てる、ということなんですね!」
「そうなるな」
なるほどーっと両手をグッと握りながら、笑顔になるリーテシア。
話し込むことでミリティアの剣気による緊張は消えたようだ。
「そうなると・・・その、やっぱり国は此処も『使い果たしちゃう』ことになるんでしょうか・・・?」
一転してミリティアを気にしながら、慎重に問いかけてくる。
「十中八九」
「ヒ、ヒザキ様・・・我が国は長年に渡って貧困に悩まされてきました。その苦労、その辛さがある以上、裕福だった頃と同じ過ちを繰り返すことは――」
「無いと思うか?」
「うっ・・・」
「正直だな」
言葉に詰まる様子に、若干の含み笑いを向ける。
「・・・無表情で口の端だけ無理に笑っても不気味なだけです」
ミリティアの精一杯の皮肉。
上手く笑ったと思っていたヒザキは、内心「そんな馬鹿な」と驚愕していたが、当然そんな感情は表に出さず。
「とりあえず、だ」
ヒザキはちょっとした湖のようなオアシスの沖の方を指さした。
そこに目を向けると、何かが浮いているのが分かった。
さらに目を凝らすと、それが魚のような形をしているのが見えた。
先ほどまでは眼前の水に気を取られて気づかなかったが、魚が浮いている場所は水面から蒸気が立ち込めていた。
「俺の魔法がオアシスの上を通ってしまったからな・・・。熱しられて水面近くの魚が犠牲になってしまったらしい。奥にデカい蟹もいることだし、ここいらで飯にしよう」
その一言で、ヒザキ一行はこの空洞内で一晩を過ごすことになった。




