第40話 穴の中の一件
女王蟻の詳しい位置は分からないにしても、今回の騒動の発端と考えられるサリー・ウィーパの巣窟はアヴェールガーデンで見た魔導機械の魔素の渦に走った線上の先にある。
魔導機械で認識できる範囲の端に見えた、細い線が混線したかのように絡み合った部分。ルケニアが「コロニーの一部ではないか」と言った場所こそが、コロニーの先端だろうという予測の元、そこを目指してヒザキたちは砂漠を歩いていた。
数時間ほど歩き、ミリティアはヒザキから貰った水筒に口をつける。
水筒の重さから、残りの水量は半分を切ったところだろうか。慎重に慎重を重ねて、節約しながら飲んだつもりだったが、それでも目的地に着く前に半分を切るほど水を消費してしまった。
砂漠に面した国家――アイリ王国。
食物はおろか殆どの植物すら自生できず、水も不足。砂嵐の脅威に常にさらされ、乾燥した空気は人体を蝕んでいく。
その中で暮らしてきたミリティアは、ある程度の過酷な環境に対する耐性を持っている。一般的な兵士が必要とする食糧の半分以下で通常の動きを取ることもできるし、足場の悪い環境や強風の中でも運動量は落ちないで活動できる。
しかし砂漠は、その更に上の猛威を振るってきていた。
指先を見ると皮はかさつき、硬化した皮は裂けてひび割れていた。裂け目からは赤黒い肉が顔を覗かせていおり、多少の出血はあるものの乾燥して固まっているようだ。
手を開閉すると僅かな痛みが裂け目を通って走る。
痛みだけならまだしも、痒みも併発するところが乾燥の嫌なところだ。
ミリティアは首元など、衣類と接触する部分に過剰な痒みを覚え、思わず掻きたくなる衝動に襲い掛かられるが、我慢して軽く指の腹で擦る程度にした。我慢できずに掻き毟れば、自傷行為と掻痒行為の繰り返しという悪循環を招くことだろう。
砂漠の天候は変わらず晴天。
ただ晴れているだけならマシなのだが、気まぐれに強弱を変化させてくる風に躍らされる砂が、纏わりつくように視界を塞いでくる。
大小の砂丘の狭間の吹き溜まりは膝までに達し、歩きにくい等の次元を遥かに超えている。蟻地獄や底なし沼に沈んでいくような気分だ。膝まで埋まってしまうと足を前に出せなくなるため、沈む前に歩き続ける必要がある。つまり休む暇もない状態ということだ。
「ヒ、ヒザキ様」
「なんだ?」
前を歩く男性に声をかける。
何故彼は平然としているのか。ミリティアには習おうにも原理が理解できず、ただその背中を追うことしかできない。
「そろそろ・・・、風魔法を使って移動する、のは如何でしょうか? 国から大分移動しましたし、そろそろ国境も超える頃のはずです」
ここで言う国境、というのは国有旗の有効範囲の限界線を言う。
国有旗の放つ波動の範囲が国土である、というのが連国連盟の規定だからだ。そしてその境界はルケニアの魔導機械に映し出されたコロニーの一部と思わしき、魔素の渦の端の部分でもある。
つまり国境が近いということは、コロニーも近い、ということになる。
「君は魔法回数は多い方なのか? ・・・と、この聞き方は不作法か」
「いえ・・・お世辞にも多い方とは言えない、とだけ・・・」
「そうか」
喋りながらも足は止めない。
吹き溜まりから砂丘へと移動し、小さな丘の上に移動すると足場も少しだけ堅いものとなった。その分、風をさえぎるものが無いため、遠慮なく砂が体中を叩いてくる。立ち止まることはできたものの、劣悪な環境であることは変わりないようだ。
二人は外套を深く被り直し、風下を向くようにして横殴りの砂を凌ぐ。
念のためリーテシアの入った麻袋も胸元に抱え込んでおく。しかしここ数時間、やけに静かな上に気配も感じられないため、リーテシアがどうなっているか不安になってくる。この場で中を覗くわけにもいかないため、抱えるタイミングで中の状態を感触で確認すると、確かに人らしき存在は確認できた。その様子に内心ホッとしつつ、ヒザキは口を開く。
「そうだな・・・少し荒業で進むとしよう」
「では、私の魔法で――」
「いや」
ヒザキの言う「荒業」を風魔法と思ったミリティアが魔法を使おうとしたが、それを右手で制する。
「魔法を使うのは俺の方だ」
その言葉に、ミリティアの脳裏には山岳地帯で消し炭と化した魔獣の死骸が過った。
遠目に見た、あの赤い光。
火の魔法であることは間違いないが、火の魔法とは異質なるもの。
思わず固唾を飲んだ。
だが疑問はある。
この場面で風や土の魔法なら使用用途も想像がつくが、火の魔法は正直、役不足と言ってもいい。
ルケニアがこの場にいれば「砂は酸素と結合しない物質だから、火の魔法では燃えないよ?」と言っていたかもしれない。ミリティアも原子論は理解せずとも、砂が燃えない物質であることは知っている。
その視線に気づいたのか、ヒザキはミリティアを見て口を開く。
「見るが易し、というやつだ」
「っ――」
彼の言葉を皮切りに周囲の温度が上昇する。
これは気候によるものや、地熱によるものではない。
空に漂う魔素が赤く発行し、ヒザキやミリティアの周囲に集まり始めているのだ。
(魔法陣が形成される前に・・・火の影響を受けている? そんなことが・・・)
本来であれば魔法師による制御下の元、魔素が魔法陣を形成し、その術式に応じてそれぞれの属性の魔法が顕現するのが「魔法」というものだ。少なくともミリティアはそう教わったし、現に魔法を使う際もその工程に漏れることは無かった。
魔法陣となる前の魔素は無色と言ってもいい、無垢な存在だ。
どの系統の魔法にも染まり得る、可能性の塊。
だから魔法陣を構成する前に、魔素自体が属性を持つ道理はない――はずだった。
「な、何が・・・!」
次々と赤く発行した魔素がヒザキの目前に集まっていく。
その光景に思わず声が漏れてしまう。
ヒザキが右手を前に突き出す。
その掌に火の魔法陣が浮かび上がる。ミリティアの目には今まで見た魔法陣の中で最も強く、はっきりとした輪郭を持った物に見えた。
ジジジ、と魔素同士がこすれる音が響き渡る。
やがて宙を舞っていた赤い魔素が全て魔法陣に集約されたかと思った瞬間、
視界を埋め尽くすほどの「赤」が奔った。
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赤い光線は、もはや「火」という表現では生温い。
地平に並行に放たれたヒザキの火魔法は、一本の太い光線と化し、触れる砂丘や吹き溜まりを全て吹き飛ばす。砂漠に吹き荒れていたはずの風も押し負け、ヒザキの魔法に道を開けるかのように逃げていく。
圧縮された火の魔法は、風の魔法を凌ぐほどの質量を保ち、ミリティアは吹き飛ばされないように爪先に力を入れる。
信じられない。
これは本当に火の魔法なのだろうか。
テッドや他者の同系統の魔法を幾度と見たことはあるが、これはあまりに異質であった。
やがて数秒ほど経ち、徐々に光が収まっていく。
「・・・・・・」
砕けた魔法陣から解放された魔素が散り散りに霧散していく。
同時に先刻まで感じていた熱量も波が引くように消えていき、視界も良好になってくる。
その光景にミリティアは愕然とした。
ヒザキの魔法の通り道は、筒状に抉れていた。
砂丘も何もかもが強力な圧力に屈し、綺麗な道を開いていた。
「ゆ、夢でも見ている・・・のか」
敬語を使うことも忘れた彼女の独り言をヒザキが拾う。
「む・・・どうやら、運が悪い方に当たったようだ」
「え?」
「見ろ」
ヒザキが指さす方角にミリティアも視線を移す。
光線が通った道から南の方角。少し離れた位置に妙な動きの旋風が発生していた。
「あれは・・・?」
「言ってしまえば、砂嵐の子どもみたいなものだ」
「・・・・・・え?」
「原理は忘れたが、砂嵐の原因の一つとして『風』が挙げられる。要は強風吹けば砂嵐に発展することがある、ということだ」
「では、あれは――」
旋風は徐々に周囲の砂塵を巻き上げ、大きくなっていく。
遠目にもそれが分かる、ということは相当の速度で肥大化しているということになる。
ミリティアの表情が強張る。
もしあの旋風がサスラ砂漠で最も凶悪な砂嵐と言われる「フール」並になるとすれば、少なくとも自分の風魔法や雷魔法でどうにかできるレベルではない。対抗せずに遮蔽物に隠れることだけが生き延びる唯一の手段だ。
だが、この開けた砂漠の中で何処に隠れる場所がある?
高速で様々な算段を立てるが、どれも没。
精々足元の砂を掘ってその中に隠れるぐらいだが、言うまでも無く掘った穴に砂が流れ込んで生き埋めになるか、その穴ごと砂嵐に吹き飛ばされる未来しか想像できない。
「巻き込まれる前に進もうか」
動揺を隠しきれないミリティアを他所に、ヒザキは淡々とそう告げた。
冷静でない彼女は当然「何処に!?」と返してしまう。
「落ち着け。あそこを見るんだ」
ヒザキは再び、指をさす。
その先は旋風とは少し位置がずれた、光線の通り道の中だった。
目を凝らせば、幾つかの竪穴があり、周囲の砂がそこに流れ込んでいるのが見える。
「サリー・ウィーパの道だ。魔法で砂漠の表面を削ってようやく顔を出した、といったところだな」
「あ・・・」
視界の端では徐々に勢力を増していく砂を纏った旋風。
迷っている時間はなさそうだ。
「行くぞ!」
「は、はっ!」
ヒザキとミリティアは砂丘を下り、一番近くにある竪穴に向かって駆ける。
圧倒的な威力で削られた魔法の跡も、両サイドから流れ込んでくる砂によって徐々に元の砂漠の形へと戻ろうとする。同時に足場に柔らかい砂が溜まり、走りにくいことこの上無かった。
それでも砂を蹴り飛ばして強引に前へ進む。
「ぐっ!」
砂に足を取られて捻りそうになるが、もう片方の足で転ばないように踏ん張る。
反射的に風魔法で周囲の砂を吹き飛ばしたくなったが、本番はあの竪穴に入ってからだ。自分の身体能力で何とかできる場面では無駄遣いはしたくない。ミリティアはそう判断し、下半身に力を入れて前に進んだ。
遠い。
自分はただ前に進むだけで苦戦しているというのに、前を行くあの人は平然としている。
その背中がたまらなく遠く感じた。
(――?)
不意にその感覚が、どこか懐かしいものに思えた。
そうだ。
あの時も確か――。
「ミリティア!」
ヒザキの声に、一瞬だけ思い更けていた思考が現実に戻される。
気付けばすぐ横まで巨大な砂嵐が迫ってきていた。竜巻状ではなく、壁のような砂嵐が着々と周囲の砂を巻き上げて近づいてくる。
(速いっ!)
慌てて進もうとするが、思うように体が動かない。
下腹部を見下ろせば、いつの間にか大量の砂に下半身が埋まっていた。
どうやら砂嵐によって押し出された砂が一気に流れ込んできた所為のようだ。
(魔法を使うしかない!)
素早く風の魔法陣を展開しようとする。
が、その前に腕をヒザキに掴まれ、彼の胸元へ引き寄せられた。
「っ!?」
そのまま重力が無くなる。
竪穴だ。
ヒザキの背中を下に、二人は竪穴に落ちる格好となっていた。
ヒザキはリーテシアの入った麻袋とミリティアを右手で抱え、竪穴の中に落下する。
その数拍後。
轟音を竪穴に反響しながら、頭上を砂嵐が通り過ぎて行ったのが見えた。
穴の中を滑るように落ちていくと、何度かヒザキの背中を打ち付けた後、徐々に傾斜が緩やかになっていった。
竪穴と言っても、サリー・ウィーパが地上に顔を出す際の向きが縦になるだけであって、奥まで進めばコロニーへ続く横穴へと変化していく。傾斜が緩くなってきたのはそのためだろう。
地上付近は地上から流れ込んできた砂が大量にあったものの、奥へ行けば行くほど砂は減っていき、逆にサリー・ウィーパが分泌した鋼液によって固められた硬質な壁が目立ってきた。
どのくらい滑走しただろうか。
やがてヒザキの背中の摩擦で減速していき、最後にはピタリとその動きを止めた。
当然、周囲は一厘の光すら通さない暗闇だ。
ヒザキは人差し指を立てて、小さな火の魔法陣を造り上げる。直後、小さな火球が指の先に発生し、周囲を明るく照らした。
同時に目の前にミリティアの顔があって、少し驚く。
同様にミリティアも驚いたのか、ヒザキの胸元から離れて、慌てて壁際まで退いて行った。勢い余って鋼液で固められた壁に後頭部を打ち付け、声にならない呻きを上げていたが、下手に声をかけるのも慮れたため、彼女の痛みが引くまで黙って待つことにした。
数分後。
落ち着きを取り戻してきたミリティアと今後の話をすることにした。
「とりあえず、だが。松明か何か持っていないか?」
「あ、それでしたら・・・」
ミリティアは自分の背嚢から何本かの蝋燭と一つの燭台を取り出した。
地下浄水跡地で第二部隊が使用していたものと同じ物だ。
「蝋燭は何本か・・・落下の衝撃で折れてしまったようですが・・・小分けで使えると思います。燭台が破損していなかったのは助かりました」
「よし、そこに火を灯そう」
火球が徐々に小さくなり、消えてしまう前にヒザキは蝋燭の先端に指を近づけ、火を灯した。
持続した灯りを手に入れたことで、二人は一息つくことができた。
「さて、コロニーの末端だとは思うが・・・侵入は成功したな。討伐に向けて方針を練る必要があるわけだが」
「ええ」
頷く彼女に「その前に」とヒザキは話の腰を折った。
「ここからは三人で行動することにしたい」
「三人?」
「リーテシア、もう出てもいいぞ」
怪訝そうなミリティアを置いておいて、ヒザキは抱えた麻袋に向けてそう言葉をかけた。
「リ、リーテシアって・・・え!?」
驚くミリティア。
無理もない。
つい先日、事情聴取で対面した少女がこの場にいよう等、誰もが考えないことだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
しかし、ヒザキの呼びかけに反応する者はいなかった。
「リーテシア?」
少し不安になる気持ちを抑えて、もう一度呼びかける。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
何も起こらない。
「・・・何かの冗談でしょうか?」
ジト目でこちらを見るミリティアの視線が痛い。
もしや竪穴での落下で何処かぶつけたのか。
可能な限り、衝撃がいかないように庇ったつもりだったが、それでもリーテシアにダメージがあったのかもしれない。
恐る恐る紐を解いて、中を覗く。
ミリティアも合せて一緒に覗く。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
そこには確かにリーテシアがいた。
傷一つなく、綺麗なままのリーテシアだ。予想外なことがあるとすれば、それは――。
「すー、すー・・・」
静かな寝息を立てていることだろうか。
「あれだけの騒動があって寝ているとは・・・豪胆だな」
「そ、そういう次元ですか・・・?」
常識で物を図れば、あり得ない。
麻袋の中にいたとはいえ長時間にわたり砂漠という環境下におり、ヒザキの魔法や砂嵐の轟音や衝撃を身近に感じ、竪穴滑走というアトラクションも体験していたはずだ。
だというのに、寝ている。
「・・・」
何を思ったのか、ミリティアが指で優しくリーテシアの頬をつっつく。
「ん、・・・んー・・・」
指の感触にくすぐったそうに身じろぐものの、目を覚ますには至らないようで、再び小さく丸くなって夢の中に戻っていった。
その様子にミリティアは無意識に「可愛い・・・」と呟いた。
「母性本能に目覚めたのか?」
などと空気を読まずに言葉を発することはしない。
未婚の女性に対し、その台詞を投げかけることは必ずしも良い反応をしてくれると限らないからだ。
そのあたりの感情の機微はヒザキには理解しにくい部分だが、身を以って何度か経験しているため、パターンとして把握していた。
と、ミリティアがこちらを見ていることに気づく。
蝋燭の灯りのみなので分かりづらいが、目を凝らせば赤面しているのが分かった。
彼女の赤面は初めてかもしれない。珍しい現象だと思われるので、凝視して記憶することとしよう。いや、違う。そうじゃない。
「失敬。今のは心の声だ。聞かなかったことにしてくれ」
「できるかっ! わっ、私は盛ってなどいない!」
「母性本能と性行を結びつけるとは随分と突飛な考えだな。もしや君は・・・」
「せ、性こっ!? ち、ちがっ――そんなことは考えたこともないぞ! 誤解だ! 私は、わた、この剣に誓って! そんなふしだらなこと! 断じて、無いっ!」
よほど動転しているのか、近くにあるリーテシア入り麻袋を力いっぱい抱えて弁明をし始める。抱える圧力が思いのほか強かったためか、リーテシアから「うぎゅっ!?」という肺から空気が強制排出されたような声が漏れ出す。
「きゅ、きゅるしい・・・」
「あっ、す、すみません・・・!」
麻袋ごと鯖折りを喰らった恰好のリーテシアを慌てて介抱するミリティア。
細腕とはいえ、近衛兵をまとめる長だ。女性とはいえそれなりの筋力は持っているのだろう。そんな彼女が無意識に全力で締めあげれば、リーテシアのような小さな子からすれば十二分に驚異的な力に感じただろう。
あわわ、と涙目になるリーテシアを宥めるミリティアの姿は何処か年相応の姿に見えた。
「・・・・・・」
リーテシアが目を覚ましたからか、突然の圧迫に驚いたせいか、彼女が寝ていた間にその全身を包み込むように纏っていた無数の淡い緑色の魔素が宙に霧散していった。その様子をヒザキは座しながら見上げるように眺めていた。
一つ一つの単体の力が弱いせいか、宙に溶けゆく魔素はやけに希薄に見える。そのためか、リーテシアやミリティアはその粒子の存在に気づいていないようだ。
「起きたか」
短く声をかけると、現状を未だ把握しきれないリーテシアがこちらの姿に気づき、ホッと息をついたのが分かった。
「わ、私は寝ていたのでしょうか?」
「そのようだな。おはよう」
「お、おはようございます・・・」
寝起きを見られるのが恥ずかしかったのか、こんな状況で堂々と寝ていたことが恥ずかしかったのか。おそらくは両方の感情が混ざってのことだろうが、リーテシアは恥ずかしそうに俯いて、徐々に語尾が弱くなっていった。
「とりあえず袋から出ましょうか」
ミリティアがリーテシアの脇を抱えて持ち上げる。袋から出そうとしてくれているようだが、そこまでしてもらうほど小さくもないリーテシアは、顔を真っ赤にして首を横に振った。
「あわ、だ、大丈夫です! じ、自分で出られます」
「そうですか?」
何故か残念そうに返すミリティアは渋々手を放して、リーテシアが袋から出てくるのを待った。
どうもミリティアも国外へ出て、普段と異なる環境に身を置いた関係か、妙なテンションになっているように見える。
いそいそと袋から這い出て、おもむろにヒザキの横に座るリーテシア。
暗い世界を細く照らす燭台が一つ。朧な灯りに浮かぶのはサリー・ウィーパの鋼液によって固定された砂の壁。起きればそんな世界にいた。当然ながらリーテシアは不安半分興味半分の面持ちで暗がりの景色をキョロキョロと眺めていた。
「経緯を説明するから聞いてくれ」
そう告げると、女性陣二人がこちらに視線を向けて耳を傾けてくれた。
ミリティアにはリーテシアがここにいる理由、リーテシアには現状何が起こっているのかを説明する必要がある。
ヒザキは頭の中で話すべき内容をまとめつつ、ゆっくりと口を開いた。
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ヒザキが簡単に経緯を説明する事、十数分が経過。
「無謀、という言葉しか思い当たりませんが・・・ここまで来てしまっては仕方ありませんね」
リーテシアの動機を聞いたミリティアは困ったように眉を八の字にし、深いため息を吐いた。
彼女の態度に恐縮したリーテシアが小さく縮こまる。
「リーテシアに関しては許可したレジン院長や請け負った俺に責任がある。なに、その責任は十二分に果たすさ」
「そうでないと困ります。幸いこの討伐に厳密な制限時間はありませんので、極度に急く必要はありません。多少緩やかなペースになったとしても、彼女の身の安全を最優先に進みたいと思います」
「意外だな。君なら引き返す選択もしそうなものだが」
「・・・出来ればそうしたいというのが本音ですが」
こめかみに指を当てて、大きく息を吐く。
呆れている感情を隠す気も無いようだ。
「地上に吹き荒れる砂嵐の中を帰るか、サリー・ウィーパの巣窟の中を進んで女王蟻を討伐するか。どちらが安全を確保できる確率が高いかを想定した上での選択です。最善はここで砂嵐が収まるまで待った上で引き返すことですが・・・それまでに蝋燭がもつかどうかが不安視されます。地上に近い場所で穴から漏れる外の光を頼りに待つことも考えましたが、地上から流れ込んでくる砂に埋もれるのが関の山でしょうし・・・」
「なるほど。ならばさっさと女王蟻を討伐し、コロニー内の安全を確保した方が手っ取り早いというところか」
「僅差の判断ではありますが。結局のところ、どの道を歩もうが一定の危険はついて回ります」
「そうだな」
「そうだな、ではありません! ヒザキ様もリーテシアさんも浅慮が過ぎます。此処は遊戯の場ではないのですよ!?」
強めの口調にビクリとリーテシアが肩を震わせた。その様子を見てヒザキはどうしたものかと肩を竦める。リーテシアが委縮した状態では、仮にこのまま進んだとしても彼女は何も得ること無く、この旅を終えるだろう。リーテシアはミリティアの視線を常に意識し、罪悪感と後悔だけで頭を一杯にしてひたすら時間を浪費する結果となる。それでは連れてきた意味がない。
ミリティアの言葉は全てが真っ当なものだが、この場ではリーテシアの足枷になるばかりである。と言っても彼女が怒っているのは主に止めるべき大人であるヒザキに対してであって、まだ子供のリーテシアには言うほど怒っていないようにも感じる。かといってリーテシアにそれを説いたところで、彼女の罪悪感を払拭できるとも思えないので、言ったところで無駄だろう。
正しいかどうかで言えば、ヒザキには反論の余地もないほどミリティアが正しい。しかし人間とは善悪どちらかに属して生きていける種ではない。完全な善性の人間もいなければ、悪性の人間もいない。どんな善人も小さな罪は犯すし、どんな悪人も何かを想う心は持っている。その揺れ幅が大きい者が「聖人」だの「悪魔」だのと突出した呼称を大衆から貼られるものだ。そうやって善と悪の狭間を漂うように試行錯誤していって、初めて人間は「成長」できるのだ。
リーテシアはヒザキから見て「善性の人間」と言って間違いないだろう。
彼女からすれば今回の行いは、彼女を取り巻く周囲に迷惑をかけるという「悪」の行為と捉えているだろう。それでも、それは彼女にとって「必要悪」なのだ。成長への階段を一歩登るためには、此度の経験は必要な糧である。
故にこの旅を「悪い事」と認識することは構わないが、「後悔」だけはしないでほしい。そのためにはお怒り気味のミリティアと委縮してしまったリーテシアにどういった言葉を投げかけるべきか。
(仕方ない。黙っているつもりだったが・・・)
視線がミリティアと合う。
彼女はきゅっと口を結んで、言うべきことは言います、と主張しているようだ。
ヒザキは一度目を閉じて、それから隣の少女を見た。
「リーテシア」
「は、はいっ」
「実はな、このお姉ちゃんは幼少期、大層なじゃじゃ馬でな・・・君と同い年ぐらいには勝手に冒険に出たり、大人に混じって軍の訓練に許可なく参加したりと・・・色々と規格外な行動ばかりするものだから、こっ酷く大人たちに叱られることもあったぐらいだ」
「・・・え?」
「な!?」
リーテシアは一瞬何のことか分からず首を傾げ、ミリティアは極端に驚いた声を上げた。
「後で聞いた話だと、そのころデュア・マギアスとして覚醒したばかりの時期だったようで、ある魔獣との戦いに自分も戦力になると言って聞かなかったようでな。大人たちの静止を振り切って最前線へと躍り出たらしい」
「す、すごいです!」
「なっ、なっ・・・なっ?」
唖然と口を開けたままのミリティアと再び目が合う。
自分と同い年の少女が魔獣へと果敢に立ち向かった姿を想像したのか、感銘を受けたリーテシアの肩に手を置き、ヒザキはゆっくりと頭を振った。
「いや、それがな――勢いよく参戦したものの、初めての戦場だったのだろう。あまりの恐怖に漏ら――」
「わぁーっ!」
「きゃっ!」
ヒザキの言葉はミリティアらしからぬ大声に遮られた。
勢いあまって立ち上がってしまった彼女だが、その後の行動を全く予定していなかったせいか、所在なさげに手や足を小刻みに動かす。
話を区切るために、一度わざとらしく大きな咳ばらいをする。両頬はわずかな灯りの中でも分かりやすく紅潮していた。
「ご、ごほん! ・・・ヒザキ様」
「・・・ああ」
「い、色々と・・・聞きたいこと、確認したいことは多々あります。ですが、それは後にしたいと思います・・・」
「そうか」
口元に指をあて、少しだけ逡巡した後にミリティアは言葉を続ける。
「孤児院」
「ん?」
「孤児院で貴方は・・・『捻くれて育ったものだな』と仰っていました」
「よく覚えてるな・・・」
「やはり初対面ではなかったのですね」
「・・・面と向かって会話をしたという意味で言えば、初対面と言ってもおかしくないさ」
「・・・なるほど」
それから数秒してからミリティアはフッと笑いをこぼした。
「ああ、本当になるほど、です。私が何故、貴方と出会い、話をし、何かを指摘されれば熱くなり、貴方が一人で砂漠へ向かうと聞けば胸がざわついたのか・・・。無意識に私は貴方が誰なのか気づいていたのですね」
胸に手を当て、彼女は頭の中を整理するように目を閉じた。
「奇しくもリーテシアさんも貴方を分水嶺としたわけですね」
「も?」
リーテシアは頭の上に「?」マークを浮かばせて、ミリティアの言葉に首を傾げた。
そんな彼女の頭に手を乗せてミリティアは微笑む。
「確かに私が貴女の年の頃は・・・無鉄砲と言われても仕方がない、そんな性格でした。誰かに叱られても、私は大丈夫だと。そう信じて行動し、経験を積んできました」
「は、はい・・・」
「ですが行動をすれば危険も伴ってくるもの。それが国の外、ともなればその度合いは何倍にも膨れ上がります。ですので・・・先ほどの私自身の言葉を取り消すことはありません。無謀であり、浅慮。それは当時の私にも今の貴女にも言えることです」
「す、すみま――」
「謝らないでください」
謝罪の言葉を発しようとしたリーテシアの口元を、ミリティアの人差し指が塞ぐ。
ミリティアは怒っている様子は既になく、再び微笑みかけた。
「一歩間違えば死ぬことになります。当時の私はそれすらも理解できずに一人で駆け抜け、一人では切り抜けられない壁にぶつかりました。超えることもできなければ、逃げることもできない大きな壁です。壁に阻まれ、押しつぶされそうになった時、助けてくれる人がいなければ私の人生はそこで終わっていたでしょう」
「・・・」
「私は運よく助けられ、かけがえのない経験と人生の転機を得ました。その末に今の私がいます」
「・・・」
「無謀ではありますが――無駄ではありません。先は『常識』が先導してしまったため頭ごなしな言い方になってしまったかもしれません。そこは私も反省すべき点です。申し訳ありませんでした」
「あ、いえっ、そんな・・・!」
「私の時は運が良かった。だから自分だけではどうしようもない事態も・・・死を回避して経験することができた。そして貴女の場合は私とヒザキ様がいる。運に頼らずとも、私たちが貴女を守ることができる。貴女が今日という日をどう捉え、どう考えるかは分かりませんが・・・良くも悪くも大きな分岐点となるでしょう」
「あ・・・」
「上手く言葉にできませんが・・・今日という日を貴女の思うままに経験してください。降りかかる火の粉は我々が払います」
「い、いいんですか?」
「いいも悪いも今から貴女だけ引き返す選択肢はありません。勿論、国を出る前に貴女の事に気づいていれば、国に置いていく考えも変わっていません。ですがこの通り、貴女はここまで来てしまった。であれば肚を括って『最善』を尽くすのみです」
「それが――」
「そう、貴女の最善は『この経験を無駄にしないこと』です。私とヒザキ様は女王蟻討伐と貴女を守り抜くこと」
実に回りくどい言い方だな、と黙ってやり取りを聞いていたヒザキは思った。
だが、彼女の心中。その想いというのは十二分に伝わって来たとも感じた。
ただ機械的に要点だけをまとめた言葉を伝えられるより、よほど好感を覚えた。少なくともヒザキはそう感じていた。
リスクを潰せるのなら潰す。
リーテシアが国内でその存在を気づかれていたのであれば、彼女の言葉通り、力づくでも国に残るよう尽力したことだろう。
だが現在はリスクの真っただ中に入ってしまい、もう前に進むしかない。
だから彼女はその中で最善たる道を進もうと言っているのだ。
リーテシアぐらいの年齢の子であれば、難しく聞こえる言葉だろう。
しかし同年代の子らに比べて聡明な彼女は、ミリティアの言葉を何度も飲み込み、小さく頷く。
「あの」
ミリティアを見上げ、リーテシアは一度キュッと口をつむんでから、ゆっくりと開く。
「ご迷惑をおかけして・・・すみません。そして・・・私のために、私を守ってくれて、ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げる。
最初の謝罪の言葉の時はミリティアも困ったように眉を垂れさせたが、すぐ後の感謝の言葉を聞いて安心したように息を吐いた。
「宜しくお願いします」
ミリティアも倣って頭を下げ、顔を上げた二人は姉妹のように笑いあった。
どうやらシコリもなく、この先に進むことが出来そうだ。
(いや、そうもいかないか)
幾つかリーテシアと会話を交わした後、ミリティアはこちらを見て、
「先ほども言いましたが、後で色々と聞かせていただきますね」
と笑顔で言葉を投げかけてきた。
その笑顔は実に、背筋に嫌な汗を流れさせるほどの威圧感を携えていた。
もし可能であれば、この件が片付いた後、彼女と会わずしてどこかに逃げ出したいものだ。
切実にそう思った。




