第39話 女王蟻討伐へ出発
すみません、投稿に間が空いてしまいましたm( _ _ )m
リーテシアを麻袋に収めたまま、王城へ訪れると想定よりもすんなりと中へ通してもらうことができた。
門兵の様子から察するに、ギリシアか誰かから何かしらの通知が出されたのだろう。
門兵は昨日とは違う兵士が立っていたが「ああ昨日の」と頷き、特に身体検査や荷物検査などに時間を取られることもなく、中へ通されることになった。ヒザキが来たら「一般兵舎に来てもらうように」との伝言も持っていたらしく、その旨を通る際に門兵から貰う形となる。
城門をくぐると、道中に昨日自分が踏み壊した礼拝堂に続く道もあった。
どうやら瓦礫の撤去などの作業が行われているらしく、作業を行う者以外は通さないよう兵士が何人か道を塞ぐように仁王立ちしていた。
犯人が自分ということも手伝い、申し訳なさから一度頭を下げて礼拝堂への道を通りすぎる。
背中からもぞもぞと小さな動きを感じる。
紐を肩にかけて背負っている麻袋の中にいるリーテシアが身動ぎした振動のようだ。
小さな体に大きめの麻袋とはいえ、正直入り心地は劣悪だろう。
しかし彼女のことを今日同行する予定のミリティアに説明するのも難しい。というより正当な理由はないので、正論で「孤児院に戻りなさい」と言われれば頷くほか無い。そのため一度砂漠に出てしまい、引き返しようのない状況を作ってから事情を説明しよう、という流れを予め城に着くまでの道のりでリーテシアと打ち合わせしていた。リーテシアはミリティアへの遠慮から最後まで迷いを見せていたが、リーテシアが決意するまで待っていては時間がいくらあっても足りないため、そこはヒザキが押し通した。
「大丈夫か?」
声の届く範囲に人の気配がないことを確認してから、背後に声をかける。
「あ、はい! だ、大丈夫です、あだっ!」
麻袋の中から籠った声がする。
無駄にベルモンドが袋に物を入れていたため、中の物とリーテシアがヒザキが歩く際に起こる振動で小さくシェークされ、たびたび痛みを発する小さな声が漏れだす。
「何か鋭利なものでも入っているのか?」
「いえ・・・でも、ちょっと尖がっているものがあったりして・・・すみません」
「謝る必要はない。なるべく・・・揺れないように歩こう」
「あ、ありがとうございます・・・」
ここに来るまでも一応は意識していたが、より慎重に振動が背中に伝わらないようヒザキは静かに王城の中を歩いていく。
歩く先々はどこも喧噪に溢れていた。どれも切迫した声調から見て、その会話の内容が良いもので無いことは分かる。サリー・ウィーパの件があったからだろうか。
それとも何か別の――。
やがて兵舎にたどり着き、そこで待機していた一般兵の案内によって、以前ギリシアやリカルドと対談をした応接室へと通される。
リーテシア入り袋をゆっくり床に降ろし、多少中で動いてもいいように椅子の影に隠れるような位置に置いた。紐通し部分も緩め、空気の通り道を大きくしてやるとリーテシアも袋の中でホッとしたように息をついたようだ。
やがて数十分経ったあたりだろうか。
扉が開き、室内に目的の人物が入ってくる。
ミリティアだ。
こちらと目が合うや否や少しだけ首を傾げる。
「ヒザキ様。まさか丸腰で行かれるつもりですか・・・?」
そう言いつつ、訝しげにヒザキの傍まで寄って、椅子の奥に置かれた麻袋に目が留まる。
「ああ、もしかしてその中に何か武具の類が――」
「いや残念ながら、この中は着替えと備蓄だけだ」
「え・・・最初にお会いした時にお持ちだった大剣はどうされたのですか?」
「溶けた」
「溶けた!?」
「あ、いや・・・鞘の方がな。さすがに抜き身のまま持ち歩くわけにもいかないだろう? 常に剣で右手が塞がっていては荷物すら持てないからな。そういう事情があって、こちらで鞘付の武器を貸してもらいたくてな」
大剣が溶けた様子を想像し、思わず驚きの声を上げたミリティアだったが、溶けたのは鞘だと理解し、徐々に落ち着きを取り戻して「ああ、そういうことでしたか・・・」と息を吐いた。
「武具をお貸しすることはやぶさかではありませんが・・・使い慣れない武器で構わないのですか?」
「問題ない」
ヒザキの迷いない言葉にふっと笑いを漏らし、ミリティアは「ではご用意いたします」と返した。
「では兵舎近くの武器庫で調達し、その足で女王蟻の討伐に向かいます。それで問題ありませんか?」
「ああ」
ヒザキは一つ頷き、リーテシアもとい麻袋を持ち上げて肩に紐をかけた。
お持ちしましょうか、とミリティアが気を使ってきたので「そこまでヤワじゃない」と丁重にお断りを入れた。しかし彼女はいつまで自分を客人扱いしているのだろうか、とヒザキは心中で嘆息した。
応接室を出て、兵舎内の通路を進む。
砂漠に出れば呑気に会話をすることもないかもしれない。
気になることは今聞いておくべきか、とヒザキは城内が騒がしい件について尋ねることにした。
「随分と城内が騒がしいが、やはりサリー・ウィーパの件か?」
「いえ、どちらかと言うと・・・・・・。申し訳ありません・・・ヒザキ様は国外の御方。詳しい事情に関しましては、国の情勢に関わる内容の可能性があるため、気軽にお教えすることができないものなのです。ご容赦ください」
「それは・・・構わないが、既に最大級の機密を昨日見た気がしたんだが」
「・・・それは可能な限り忘れてください」
それは無理だ、とは続けなかった。
案内したのはルケニアであり、彼女ではない。
もし仮に彼女がアヴェールガーデンの管理者や関係者であれば、絶対に部外者に開示などしなかっただろう。彼女の気質を考慮すれば、ここでこの会話を続けるのは彼女にとって拷問に他ならないため、ヒザキもそれ以上は続けようとしなかった。それならそもそも言わなければ良かったのだが、言ってから気づいたのだから仕方ない、と言い訳も付け加えておく。
「ですが本日の討伐に影響が出る話ではありませんので、その点はご安心ください」
「そうか」
「また、お伝えできることもあります。朗報とも言えることなのですが、昨日、ルケニアが倉庫から設計図を見つけ出しまして」
「設計図?」
「はい。古いもので文字は掠れ、だいぶ色褪せていましたが・・・管理体制が杜撰なわりには奇跡的に欠損も無く見つけることができたようです」
「城の設計図なのか?」
「それもありますが・・・ルケニアが一番見たかったのは『国土設計図面』と呼ばれる、云わば国そのものの設計図ですね」
「国土・・・」
「はい。正確には初版ではないようで、ちょうど我が国でオアシスを軸にした興行が盛んに行われていた時期の改築記録と設計図のようです。大規模な土地の構造変革があったようですね」
オアシスを餌に他国からの招来を収入源としていた時代に、大規模な変革。
そのキーワードだけで何が行われていたかは予想がついた。
「莫大な資金を手にしたことで、魔獣や災害対策の強化を行ったのか」
「ええ、その通りです。砂漠には地中に住まう魔獣も複数いることから、地下の防衛線の強化を行ったようですね。当時は今とは比べ物にならないほどの国力を保持していたため、地上での防衛力も相当なものだったそうですが、地下の強化を行ったことで観光客の安全を保障し、より一層の利益を上げていたみたいですね」
「地下か。つまり?」
「この国の地下は強固な鉄の壁で囲まれています。ルケニアが言うにはワームレベルの魔獣が攻めてきたとしても数日は耐えれるほどの厚さだそうです。その地中壁の管理こそ廃れてしまったものの、物自体は生きていますのでサリー・ウィーパ程度の侵攻は防げる、ということですね」
「なるほど、それが消耗したアイリ王国が未だ魔獣の大きな被害にあっていない最大の理由か」
「おかげでサリー・ウィーパの地中からの侵入は心配しなくても済むことになりました」
心配事の一つが完全に消滅したようだ。
ミリティアはホッと一つ息を吐いた。
「では女王蟻討伐は中止か? と、武器を取りに来ている時点でそれはないか」
「はい。無論そういった意見も出ましたが、国内への強襲の心配が無くなったと言っても脅威が消えるわけではありませんので。討伐自体はそのまま続行となります」
「では討伐には何人か追加で参加させるのか?」
「いえ・・・そこも当初の予定通り、私と貴方の二人だけです」
その言葉に引っ掛かりを覚える。
「妙だな。君は元々は万全を期してこの討伐をすべきと思っていたはず。人員の空きが出たなら、それを最大限活用しそうな性格だと思ったのだが」
「・・・元々一人で行かれようとした貴方のことです。私が同行することも嫌がっておりましたが、一人で討伐に向かうことは国としても看過できません。ですので、貴方の意志を最大限に尊重したうえで、軍の配置に余裕ができたとしても私と二人で討伐に向かう、という方針を変えなかったのです。それではご不満ですか?」
「不満ではない。ただ気掛かりなだけだ」
「裏がある、とでも?」
「そうだな」
会話内の口調や表情からは相変わらず読めにくいものの、ヒザキは彼女の行動に「裏」があることに確信を持っていた。
悪意は感じられない。
どこか義務的な印象も感じる。
(・・・命令、か?)
おそらく彼女の上層。近衛兵のトップである彼女の立場から考えれば、おそらくは宰相クラスか国王からの命令、というのが妥当だろう。
彼女と出会って数日。彼女が取り乱すシーンも何度かまみえる機会があったが、今の彼女は何を言ったところで取り乱すことは無いだろう。
強固な閉塞感。彼女の意志にかぶせるようにもう一枚、大きな膜をかぶせているイメージだ。彼女自身に揺さぶりをかけて、仮に動揺を誘ったとしても、もう一枚外を覆う膜がその動揺を包み隠すだろう。その膜こそが彼女自身の意志とは異なる、別の意志。つまり「命令」だ。
人間は自分で考えて行動するより、誰かの指示で行動する方が楽だと言う説もある。
結果的に罪悪感を感じる行為でも「これは命令だから」と、自分以外の意志を正当化することで、罪悪感を感じる自分の意志を弱める効果があるからだ。罪悪感に囚われずに、他の感情でも同じことは言えるだろう。
彼女は気が強いが、真っ直ぐすぎる節もある。
規律や運用にはまることを是とする彼女は、命令という殻に包まれやすい性格なのかもしれない。
そんなことを考えていると、ミリティアはこちらを見上げて少しだけ笑う。
「ご安心ください。この討伐については貴方にとって不利益となることは一切ありません」
その言葉に少し驚く。
ついさきほどまで、彼女は型に囚われやすいと判断していたヒザキだが、この台詞は違う。
明らかにメッセージをヒザキに対して投げかけていた。
――この討伐に関しては不利益にならない。
つまり、
この討伐に関しては気兼ねなく行動していい、という意味を表し、
――討伐以外に関しては不利益になり得る話がある、という側面も含んでいる。
「そうか。討伐から帰って一般兵も無事任期を終えれたら、次の旅に出ようかとも思っている」
「そうでしたか。私たちも全力で『そうなるように』後押しいたします」
「わかった」
どうやら彼女には何かしらの命令は下っているようで、それはヒザキにも関連があるようだ。
そして彼女を含め、彼女が言う「私たち」に該当する面々は、それを良しとは考えておらず、何かしらの対応に動いてくれている。
ミリティアは言葉尻に含めたメッセージでそう言っていた。
気づけば兵舎敷地内の武器庫の前までたどり着いていた。
ミリティアが軋む扉を開け、その中に入っていく。ヒザキもその後ろをついて入っていった。
「ではヒザキ様、こちらにある武具から好きなものをお一つ、お持ちになってください」
「そうしよう」
リーテシア袋を壁際にゆっくりと置き、四方に立てかけられている剣や槍、斧を順繰りに見て回る。
もっとも槍や斧に関しては得意な獲物ではないため、剣を重点的に見ることになる。
管理体制がさほど良くないためか、錆が刀身に残っていたり、刃こぼれがあるものもある。
正直、質は悪い、と言わざるを得ない。
(どこぞの鍛冶屋が見れば、発狂でもしかねん状態だな)
古い知己の顔を思い浮かべる。
彼がこの場にもし居たら、ここにある全ての武器を打ち直す暴挙に出かねない。
それほど武具を愛し、大切に向き合っていた男であった。
「どうしましたか?」
どうやら足が止まっていたようだ。
ミリティアに声をかけられ、ヒザキはすぐに現実に意識を戻して、再び物色の時間に戻る。
「ん」
ふと目に留まった物を見て、自分の背嚢を持ってくることを忘れていたことに気づく。
リーテシアのインパクトが大きいことと、彼女が入った麻袋を持ってしまったことで「荷物を持った気になっていた」らしい。もしリーテシアが徒歩で一緒についてくるような事態であれば、手ぶらであることに気づいて自分の背嚢を取りに行く意識を持ったのだろうが、リーテシア袋を持ってしまったことでその意識が吹っ飛んでいたようだ。
「これを幾つか貰ってもいいか?」
「? ええ、構いませんが・・・何に使うのですか?」
「使う機会があれば説明する」
「はあ・・・」
武器庫の一角にあった物は、本来であれば自分が持ってくる予定だった物の「代用品」として扱えそうだ。
武器ではないため、ヒザキはミリティアに許可を貰ってから幾つか拝借することにした。
武器を探しに来たのに、全く関係のない物を欲しがる姿にミリティアは怪訝そうに傾げた。
ヒザキはそれを麻袋に詰め込むため、袋の紐通しを緩めて中を覗いた。
言うまでもなくミリティアには中が見えないよう、背中を向けて隠す姿勢だ。
「リーテシア、これも中にしまっておいてくれ」
「あ、はいっ」
小声でそう伝えると、リーテシアは窮屈そうに手を伸ばし、ヒザキの手に持っていた物をスルスルと袋の中に引き込む。
「ん?」
と、背後で腕を組んでいたミリティアが反応を示す。
「今、なにか人の気配が・・・」
「兵士が外を通ったんじゃないか?」
「いえ・・・壁を通しての気配には感じなかったのですが・・・」
そう言ってこちらを凝視する彼女に肩をすくめる。
「昨日ちゃんと寝たのか?」
「いえ、寝るよりも優先すべきことが多いので。仮眠はとりましたので、戦闘行為で足手まといにはなりません。ご安心ください」
「そうか」
ぐっすりと睡眠をとった身としては非常に返しにくい流れだが、彼女自身、責任から来ている行動のようで、特に気にした風は感じない。幾ばくかの自己嫌悪は横に置いておいて、睡眠の話題を振った目的を果たすとしよう。
仮眠をとったぐらいで万全を期しているかのような彼女の物言いは、この際だからスルーすることにした。
「疲れが取れきっていないんじゃないか? 睡眠不足は感覚を鈍らせるぞ」
「そんなはずは・・・でも、そうですね。いま意識を集中しても特に気配を感じません。気のせいだったのかもしれませんね」
「そうだな」
上手く誤魔化せたようだ。
(だが・・・どういうことだ?)
ヒザキは彼女のやり取りで疑問を感じた。
ミリティアほどの人物がただ麻袋の中に隠れているリーテシアの気配を捉えきれないものだろうか。
(いや、待て――)
ヒザキは再び袋の中を覗く。
ビクッとリーテシアが何事かとこちらを見上げてくる。
瞬きしながら見上げてくる彼女は、確かにそこに存在している。しかし妙に希薄に感じた。
ふと袋の中から漂う粒子にヒザキは目を開いた。
(これは、魔素・・・微量だが、確かに魔法の流れを感じる。だが魔法を使った形跡は感じなかった。どういうことだ?)
あまりに微弱な魔法だったために気づかなかったのか。
それともこの魔素は魔法を発動させた後の欠片ではない、ということだろうか。
「あ、あのっ、何かまずいことでもしてしまいましたでしょうか・・・?」
小声で聞いてくる彼女の様子から、魔法を使ったようには見えない。
不意にルケニアがアヴェールガーデンで見せた、ヘンリクスを持たない魔導機械を思い出す。
(魔法ではなく、魔素そのものを操作・・・なるほどな)
ヒザキはリーテシアに「なんでもない」と答え、多少の隙間が残るように静かに紐を閉じた。
「ヒザキ様?」
「ああ、何でもないんだ。それより剣だが――」
「はい」
「これを借りるとしようか」
話をそらすように適当に目を付けたロングソードを鞘ごと手に取り、ミリティアに向ける。
「分かりました。ではそろそろ参りましょうか」
その言葉に頷き返し、二人は武器庫を後にした。
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・・・・・・・・・・。
・・・・・・。
・・・。
「そういえば」
「・・・」
「ルケニアは大丈夫と言っていたが、本当に王から許可が下りたのだな」
「・・・」
「と、その辺りも俺に話せない部分が混ざっているのか? 言えない内容であれば無視してくれ」
「・・・」
「しかし今日は晴天だな。太陽光と地熱の板挟みは悪い意味で砂漠の醍醐味と言えるな」
「・・・」
「ここまでサリー・ウィーパの強襲もないところを見ると、ここら一帯に潜んでいた奴らはすべて第三部隊の戦闘で消えたようだな。歩くたびに襲われていては面倒だから助かったな」
「・・」
「女王蟻の位置だが、ルケニアから大まかな場所は聞いているのか?」
「・・」
「おい?」
「・」
後ろを振り返る。
「砂漠を移動した経験は?」
「ぬ、抜かり・・・あり、ません」
アヴェールガーデンでした質問に、同様の回答を返そうとするミリティアだが、その呂律は朦朧としたものだった。
国を出て、砂漠の中を移動すること二時間。
既にアイリ王国の姿は見えなくなり、全方位、砂で埋め尽くされた世界が広がっていた。
最初はミリティアからちょくちょく話しかけてきていたが、次第に彼女の口数が少なくなり、最後には沈黙だけとなっていたため、仕方なく話題を振ろうと思った現状なのだが、思いのほか彼女は砂漠慣れしていないことが理解できた。
深々と被った外套の隙間から元気なく金髪が垂れ下がっている。
うなだれているため、その表情は見えないが、相当参っていることは姿勢で分かる。
「こ、こんなはずでは・・・!」
自分でも想定外だったのか、肩を震わせて自身の不甲斐なさを嘆いている。
「とりあえず水でも飲んでおいた方がいい」
「え?」
「水だ。脱水症状が体力を大きく奪う要因でもある。こまめに水は摂取すべきだろう。国を出てから一度も口にしていないだろう? 節約しているつもりかもしれんが、いい加減飲むべきだ」
「・・・」
何故だろうか。
顔を上げた彼女はひどく絶望的な表情だった。
「さ、砂漠を移動した経験は・・・?」
「・・・申し訳、ございません」
どうやらアヴェールガーデンで聞いた自信に満ちた言葉は虚勢だったようだ。
「君は冷静な人間だと思っていたんだがな・・・」
「その・・・あの時の私は『貴方を一人で砂漠に行かせない』ことばかりを考えていたようで・・・申し訳ありません」
「仮にそうであっても、後で最低限の知識は入れるべきだったな。水は確かにこの国では貴重で節約すべき物資だが、この場では必需品でもある。必要か不要かの比重を見誤りすぎだ」
ヒザキはため息を吐きつつ、腰に巻き付けた水筒を外し、肩を落とすミリティアに渡す。
「う、受け取れません!」
「その意地は何の意味も生まないことは理解しているだろう? いいから足手まといになりたくなければ何も言わずに受け取れ」
「ぅ・・・」
おずおずと水筒を受け取り、一口だけ水を含む。
喉を僅かな水分が潤し、少しだけ頬に生気が戻った。
「な、情けない限りです・・・」
「砂漠は初めてだったのか?」
「いえ・・・以前一度だけありました。その時はここまで体力を奪われた記憶もありませんでしたし、国内で長時間出歩くことも多々あったので、問題ないと高を括っていました・・・。昨日マイアーにも話を聞いたら、外での戦闘時に水分補給しなくても余裕と胸を張っていたので鵜呑みにしていましたが・・・今思えばそう言っていた彼女の顔はかなり瘦せ我慢をしていたようにも思えてきました。言い訳がましいですね・・・。猛省してもぬぐい切れないほどの恥をお見せしました」
「ちょっと水を飲んだだけで、それだけ喋れるようになるんだ。水の重要性はもう分かったな?」
「はい」
「過去のことは分からないが、国の外壁の中と外を一緒に考えるのは危険だ。人が造った環境と自然では世界が違いすぎるからな。後はこの景色だな」
「景色、ですか」
「一周回っても同じ景色が広がっているだろう? 人間は変化のない世界に長時間いるだけで気づかないうちに疲弊する生き物だ。気温や歩きにくい砂場も大きな要因だが、この景色も体力を奪っていく原因だな。自分で思っている以上に人間は視覚からの情報に影響されやすい」
「べ、勉強になります」
真顔で頷く彼女を見ていると、少し笑ってしまいそうになる。
もっとも笑い方などとうに忘れてしまったわけだが、昔持っていたそういう「感情」を微かながら思い出す、暖かい感覚を覚える。
真っ直ぐに自他共に厳しく生きるミリティア=アークライトという女性の本当の顔は、こっちのほうなのかもしれない。
曲がるどころか、歪みさえない真っ直ぐな芯は、良くも悪くも融通が利かない。事情聴取の時は何故か食ってかかられるシーンもあったが、それは何かしら彼女の琴線に触れるものがあった所為なのかもしれない。
真っ直ぐしか見ていないから、道脇にある小さな「常識」も見落としてしまい、何度も転んでしまう。
こういうタイプは天然とも馬鹿とも言えるが、決して物覚えは悪くないのが多い。
何度も転んで、しかし反省して立ち上がる。
その繰り返しを何度も経験して、愚直に非効率ではあるが、徐々に芯を強固なものにしていくのだろう。だから余所者のヒザキに厳しい言葉をかけられても、否定せずに理解して吸収しようとする。
故に狭い「アイリ王国」の中では転ぶ路石すらもなくなるほど失敗を繰り返した結果、今の完璧な近衛兵隊長が生まれ出たのかもしれない。ルケニアという友人の存在も大きな相乗効果の一因なのだろう。
だからこそ踏み均したアイリ王国の外へ出ると、この様である。
王国内ではルケニアのフォローもあり、彼女自身も他者の目に触れない部分で何度も経験を積んできたのだろう。この砂漠にはルケニアもいなければ、他者から隠れて練習する場所もない。そんな場所で他者に不甲斐ない失敗を見られる。彼女にとって積み上げてきた矜持が瓦解するほどの出来事と思われる。先ほど自分で口にした「猛省してもぬぐい切れないほどの恥」とはまさにその心境を形にしたものなのだろう。
だが、それでも彼女は立ち上がって進む。
目に見えて落ち込んでいるが、その恥を受け止めて次に繋げようという姿勢が見える。
彼女は失敗もするし、周りが見えなくなる悪癖もあるが、その経験を決して忘れない。忘れずに次の行動へ生かして進む。それがミリティアの「強さ」なのだと思う。
(嫌いでないが・・・危ういな)
いつか数多の経験を経て、あらゆる死角を埋め尽くして、ミリティア=アークライトが完成された時、彼女は無欠の存在になるのだろう。が、その道中がいつまでもエラー&トライが可能な優しい道だけで構成されているはずがない。
どこかで大きな挫折が待ち受けているかもしれない。
彼女の芯そのものをへし折るような挫折が。
ルケニアもそこを心配しているのだろう。
ルケニアは彼女を「危なっかしい」と言った。確かにとヒザキも今なら思う。それでもルケニアがミリティアに外を――ヒザキと共に砂漠に出ることを勧めたのは、おそらくミリティアが夢に、憧れの人物とやらに近づくために必要なことだと判断したからだろうか。
アイリ王国内という枠の中のミリティアはほぼ完成していた。
だがその完成は、あくまでもアイリ王国という狭い枠の中の話だ。砂漠に出ればどうなるかはルケニアも想像がついていたはず。必要だと判断したとしても、ミリティアは彼女にとって大切な友人のはずだ。万が一にも命を失うリスクは避けたいと思うのが必然である。
では何故、ルケニアは多少強引にでもミリティアを砂漠に出ることを勧めたのか。
(・・・レジン院長に続き、ルケニアもか。俺は教育係でもなんでもないぞ・・・)
レジンやルケニアに対し、自分を多く語った記憶はない。信頼関係を結べるほど長く接しているわけでもなければ、信用に値するかどうかの判断材料も少ないはずだ。
大事な娘や友人の命を、そんな人間に託す気がヒザキには知れなかった。
仮にそうまでしてでも「変化」を必要とする場面であったとしても、もう少し石橋を叩くべきだろう。
(理解できないな)
今まで出会ってきた人達の中でも一際、無警戒な部類と言える。
(理解はできないが・・・)
だが常に一所に留まらない旅人たる自分に声をかけるのは、何時だってこういった人種だった。
そしてその多くが後に友人となる者たちだ。
(懐かしく・・・、やってやろうという気になるものだ)
その者たちは既に現世にはいない。
短い一生を太く生きる者もいれば、細く長く生きる者もいた。
その誰もがヒザキにとっては尊い存在だ。
前を向いて歩く者は温かくも眩い光を放つ。その光の道先案内人を一時でも担うことは、慢性的に乾いた人生を歩くヒザキにとって潤いとなる。彼らと共にいる時間は彩りのあるものに感じるのだ。
ある鍛冶職人は「柄じゃねぇな」と笑い飛ばした。
ある医師は「仏頂面で言うことじゃないわね」と苦笑した。
ある詩人は「ああ、君も人の子だね」とほほ笑んだ。
ある■■は「その道を歩むのも一興だね」と寂しく笑った。
数年前はまだ小さな子だった彼女はどんな光を放つのか。
そして黒髪の少女はこの短い旅を期に、何を想うのか。
(不謹慎ではあるが、見物だな)
先ほどヒザキは「理解できない」と思った。
それは紛れもなく彼の本心である。が、果たして理解できないものに対して興味を持ったり、尊く思う気持ちが生じるものだろうか。何故レジンの「信じる」と言う言葉に自然と笑みを浮かべたのか。その答えはヒザキ自身も持ち合わせていないし、疑問も抱いていないがために自問することもない。
いつしか、彼にも己を顧みる機会が訪れ、本当の自分と向き合う時が来るのかもしれない。
「水は君がそのまま持っているといい」
「ですが、ヒザキ様は・・・」
「俺は低燃費だからな。多少は我慢が効く」
ミリティアは何か言いたげにこちらを見上げたが、目を閉じて思い直し、深々と頭を下げた。
「この失態は――この剣で取り戻すと誓います」
刺剣の柄に触れる彼女は、顔を上げた時にはすでに剣士の顔だった。
どうやらいつもの調子を取り戻したようだ。
「まあそれに――」
ヒザキは進行方向を見て、呟いた。
「水は運が良ければ・・・砂漠でも手に入るさ」
その言葉にミリティアは真意を測れず、瞬きで返すほかなかった。




