第36話 地下の異変と深まる謎
ミリティアの圧倒的な戦力による魔獣の殲滅後、支援要請を受けた第一・第四部隊の面々により、順次階下から負傷兵が運び出されていく。
地下浄水跡地から運び出された負傷兵たちが、螺旋階段の階下の広場で寝かされている光景は昔で言う野戦病院のようでもあった。
負傷者は総勢で12名。
軽度ではあるが、眩暈や頭痛が残っている者も含めると、30名を超えているほどの被害であった。数だけで言えば被害は小さく感じるが、第二部隊の総勢は40名を少し超える程度。割合で言えば、7割以上が何かしらの負傷を負ったということになる。ただの警備巡回のはずが、とんだ大騒動となってしまった。
「はぁー、散々な景色だね・・・」
「いや待て、何故ここにいる?」
広場の端でその様子を眺めていたルケニアに、すかさずミリティアが突っ込む。
「別にこちが何処にいてもいいじゃない」
「部屋に鍵をかけて籠っていろと言ったはずだが?」
「あー、そういうこと言うー? ふーん、もし魔獣と地下で戦ってたら、アンタたちだけじゃ的確な処置も出来ないだろうから来てあげたのに、そんなこと言うんだぁー」
「あ、こら! 待て、ルケニア!」
ミリティアが腕を組んで彼女を説教しようと意を決めたのを察し、ルケニアは後ろ手の格好で負傷者の一人のところへ走っていく。慌ててミリティアもその後をついて行く形となった。
「ル、ルケニア、様・・・!?」
「あー、いい、いい! そのまま楽な姿勢でいて」
すぐ横でルケニアがしゃがんだことで負傷兵は慌てて起き上がろうとしたが、額を人差し指で抑えられ、ルケニアに無理やり寝かしつけられる。
「何点か聞くけど、無理に話す必要はないから」
ルケニアは彼の手を包むように持ち上げ、自分の掌に乗っける。
まだ若い兵士のせいか、その行為だけですら極度の緊張をしたようだ。青ざめた表情なのにも関わらず、照れている様子が見て取れた。しまいには後ろからミリティアも駆けつけ、こちらの様子を窺ってくるものだから、彼としては嬉しいやら緊張しすぎて辛いやらと大変忙しい様子であった。
「今から質問をするけど、肯定だったら指を一回叩く。否定だったら二回叩くって感じで答えてもらえればいいから。いけそう?」
戸惑いながらも指を一回、ルケニアの掌に叩く。
彼女は満足そうに一度頷き、質問を開始した。
後ろでミリティアは何か言いたげにしたが、ルケニアの質問を途中で遮るのも気が引けて、仕方なく終わるまで待つ姿勢でいるようだ。
「ありがと。それじゃ聞くね? まず君の症状についてなんだけど、頭痛はある?」
指の叩く感触が一回。肯定の証だ。
「吐き気はある?」
肯定。
「眩暈は?」
肯定。
「地下で出た魔獣が麻痺みたいな攻撃をしてきたみたいだけど・・・君はその攻撃を受けた?」
否定。
「それじゃ・・・痙攣みたいな症状はある?」
否定。
「痛みはある? 見たところ、出血や打撲の類も少なさそうだけど・・・我慢できる痛みかそうでないか教えて」
否定――我慢できる程度の痛みではあるようだ。
「ふむふむ。外傷も少なさそうだし・・・意識障害も今の受け答えなら、そこまで酷くはなさそうね」
ルケニアは彼の手を静かに床に下ろし、おもむろに腰のポーチから複数の色の紙束を取り出した。
「実験用の染色紙だけど、ちょうどいっかなー。はい、君は『黄色』ね~」
黄色の紙を一枚、束から引き抜いて彼の胸元に置く。
彼もミリティアもその行為の意味が分からず、ただ困惑の表情を浮かべた。
「あー、時間に対してやることが多すぎるから、適材適所で振り分けないと・・・あ、そこの君!」
何やらブツブツと呟いていると思えば、突然、横を通ろうとした第四部隊の兵士を呼び止めた。
「医務室の先生二人とも、ここに引っ張ってきてくれない? 君の手が空いてなかったら、他の人にそう伝えて。あと医務室にある搬送用の車輪付き寝台もあるだけ持ってくるようにお願いできるかな」
「え、え? ええっと・・・は、はい!」
「あとね、黒・赤・黄色・緑の優先順位で診ることって先生に伝えておいて。どの患者がどの色かは、こちが紙を患者の胸元に置いて行くから、それで判断して」
「え、く、黒・・・き、黄色?」
「黒・赤・黄色・緑! あーもう・・・」
いきなり話しかけられ、意味も分からない内容を覚えろと言わんばかりに投げられ、兵士は非常に焦った表情でわたわたと落ち着きを無くす。
ルケニアは素早く、四色の紙を束から抜き取り、それを黒が一番上に、赤、黄色、緑の順に重ねた。
「ほら、この順番。上の黒から治療に入るように伝えて。やる気のない藪医者だけど『一酸化炭素中毒』の症状と対処法ぐらいは分かるだろうから、その症状名だけ伝えてもらえる?」
「い、いっさんかたんそちゅうどく・・・ですね?」
「そそ! 頼んだぞ~!」
「ハ、ハッ!」
ルケニアから紙の束を受け取り、敬礼をしてから兵士は駆け足で去っていく。
その光景を見送り、ミリティアは丁度立ち上がった彼女に話しかける。
「私も手伝いに行こうか?」
「こらぁー・・・アンタはアンタのやることがあるでしょーに。それはこちにはできないこと。分かってるんでしょ?」
「・・・・・・しかし」
「アンタの悪い癖! やるべきことを分かってるのに、目の前に忙しい人がいると手伝いたい衝動に駆られるとこ! それ、隊長職として欠点って言っていい性格だからね? 一々こちに気を遣わないの! ほら、今すべきことは?」
「地下の魔獣の侵入経路の割り出しと、その対策・・・だ」
「分かってるんじゃん。あ、でも一点だけ注意。地下は今、長い時間閉鎖されていたことと・・・蠟燭や魔法による燃焼作用で極端に一酸化炭素濃度が高くなってるの・・・そういう場所に長時間滞在することで頭痛や吐き気――最悪、意識障害を引き起こすのが一酸化炭素中毒なの。だから換気口を全開にして空気の通り道を作る必要があるかな。地下に潜ったら、まずは換気口を開くことに専念して」
「分かった」
「換気口が塞がってる理由までは分からないけど、そこは上手いことやってくれると助かる。アンタも・・・具合が悪くなったりしたら、すぐに上がってきてね?」
「ああ」
「あ、ごめん・・・あともう一点。後で魔獣の――なるべく原形を留めているやつだけ確保しておいて。ちょっと・・・今日は偶然が重なったにしちゃ、色々とありすぎるからねぇー。何もないと良いんだけど・・・、はぁ・・・」
「分かった。螺旋階段の脇にでも置いておこう」
「ん、助かるー」
「お互い様だ」
互いに笑みを交わし、それぞれがそれぞれの為すべきことをするために動き出す。
ミリティアは地下の安全の確保と原因究明に、ルケニアは負傷者たちのトリアージと簡易治療。
動ける人数が制限される中、彼女たちは効率よく自分の得意分野に合わせて力を発揮していった。
ミリティアは再び螺旋階段を降り、地下浄水跡地に足を踏み入れる。
相も変わらず、ここは空気が悪い。
おそらく、この息苦しい瘴気とも言える空気がルケニアの言う「一酸化炭素」なのだと思う。
加えて魔獣の亡骸から漂う血臭や焦げた臭い等も混じり、すぐにでもUターンしたい気持ちにかられる。
出来れば風の魔法で充満した一酸化炭素を避けながら進みたいところだが、魔法回数もあと僅か。魔獣は一掃したと思われるが、侵入経路が分からない以上、まだ見えないところに潜んでいる可能性だってある。魔獣の生態が不明な以上、魔法の無駄打ちは自分の命を失う切っ掛けになり得るため、ここは引き続き慎重に動くべきであろう。
「・・・・・・誰だ?」
螺旋階段から数歩歩いたところで、ミリティアは足を止め、背後に声をかける。
背後に感じた気配はおどけたように「うわっ」と声を上げ、肩を竦めながらこちらに歩いてきた。
その顔にはミリティアも覚えがある。
「――・・・クラシス、か」
「そんな怖い顔しないでくださいよっと」
「何故、水牽き役の貴方がここにいる?」
長身だが決して痩躯ではない、無駄のない筋肉を携えた男、クラシスは右手を上げて軽い挨拶をする。
「いやぁたまたまこの近くを通ったら、凄い騒ぎじゃないですかぁ。何事かと思って顔を出したら、負傷者がたくさん・・・しかもあの屈強な第二部隊の面々だっていうんだから驚きましたよ~」
「・・・」
「で、通りかかった時にルケニアさんに貴女の手伝いを頼まれたんですよ~。ほら、俺って一応、風の魔法使えるんで」
クラシスは右手を差し出すように掲げ、そこに風の魔法陣を浮かび上がらせる。
魔法陣が砕け散り、その粒子が二人を囲むドーム状に広がっていった。
「これは・・・」
「そ、風魔法の応用ってヤツですね~。風の防護壁ですよ」
どうやら風の魔法を用いて、周囲の空気を断絶する不可視の壁を造ったようだ。しかもご丁寧に正常な空気をこのドーム内に取り入れ、一酸化炭素等の不純物はドーム外へ放出したらしい。呼吸が明らかに楽になったことがその証明だろう。
魔法は持続力がない。二人を囲むほどの風のドームを造るとなると、それを一回の魔法の発動で持続するのも数秒程度だろう。持続を求められるこの魔法の使用方法は燃費が悪いため、悪手とも呼べるものだが・・・。それを補うほどの魔法回数を彼は持っている、ということだろうか。
「ね? 役に立つでしょう」
「・・・ルケニアが手伝え、と言ったのだな?」
「でなきゃ、ここにいないですよ~。明らかに負傷者の治療が優先の場の中で、こんなとこに降りてきませんって」
「わかった。まずは換気口を開放する。手伝ってくれ」
「りょーかいっと」
ミリティアは背後にクラシスを引き連れ、明るくなった地下を歩く。
宜しくないことだと理解しつつも、ミリティアは態度が固くなるのを止められなかった。自然と口調もぶっきらぼうなものになってしまう。
正直、この男は苦手だ。
飄々とした態度で、何を考えているか全く分からない。そういう意味で行けばヒザキも何を考えているか全く分からないのだが、嫌悪感を感じるのはどちらかと問われればクラシスの方を迷いなく上げる。
(どこか観察されている・・・そんな感覚なんだろうな)
嫌悪感の正体は把握しているが、だからと言って相手にそれを言うのも失礼な話であるし、何か嫌がらせのような行為をされたわけでもないので、一方的に嫌うのも道理に反している気がする。
そういった葛藤が集合して「苦手」なわけだ。
だがこれは丁度いい機会だ。
ミリティアは彼に聞くことがあったのを思い出し、この場で尋ねることにした。
「クラシス、貴方は街の酒場によく出向くと聞くが?」
「ええ、良く行きますけどー、それが?」
「そこで国の子供たちと話をしたことがあったはずだ」
「子供? んー・・・そうですねぇ、子供は好きなんで良く遊んだりもしますっけど・・・いつの話ですかね~?」
「二、三日前だ。場所は酒場の中と聞いている」
「・・・あのぅ~、もしかしてコレって尋問ですかね? 俺ってもしかして・・・酔っぱらった勢いで変なこと言っちゃったとか・・・?」
ミリティアの尋問口調に、クラシスは気まずそうに視線を逸らして喉を掻いた。
「それを確認したい。覚えていないのか?」
「ええっとー、確かにここ二日間は酒場に通ってますけどね~・・・正直、飲み過ぎて覚えていないっていう感じでして・・・」
と、ミリティアは足を止めて背後を振り返る。
クラシスを見定める、その蒼い双眸は全てを見透かそうとする大空のように澄んでいた。
思わず気圧され、クラシスは腰を引いて苦笑しつつ両手を挙げた。
「え・・・結構まずい内容を話しちゃったってー・・・感じっすかね? はは・・・」
「なら質問を変えよう。ここ近日中に我が国に行商の類がくる、という情報を得たことはあるか?」
「あー、それなら・・・前々回の配給日の時にライル帝国の人から聞いた覚えはありますねぇー。『え、うちに何しにくんの?』って思った記憶があるんで、間違いないと思いますわ~。確か昨日か一昨日あたり? だったと思うけど・・・」
「・・・そうか」
頭痛を堪えるようにこめかみに指を当てて、ミリティアは大きく嘆息した。
クラシスは改めて苦笑し「あー、それを子供たちに話しちゃった・・・とか?」と恐る恐る確認し、彼女が強い視線で肯定を返した。
「す、すんません・・・猛省しやす」
「まぁいい、詳しい話は後で聞くことにするから、時間を空けておいてくれ」
「らじゃーっす」
「らじゃ? どういう意味だ?」
「了解ってことですよー。気にしないでください」
「ふむ・・・とりあえず、換気口を探そう。足を止めてすまなかったな」
「いえいえー」
あまり反省している風な口調に感じないのが、生真面目なミリティアとしては気になるところであるが、自分の裁量で優先すべきことを遅延するのは愚行だ。彼女はすぐに頭を切り替え、今は地下浄水跡地の調査を進めることを優先する。
水を貯めていたであろう槽を避けるように歩き、やがて壁にたどり着く。
換気口、というのだから壁や天井にありそうなものだが、壁を沿うように見てもそれらしい物は見当たらなかった。
「この床にあるヤツじゃないですよねー」
「それはおそらく排水溝だろう。元々は水棲生物を生きたまま貯蔵するための施設だったらしいからな」
「じゃ、やっぱり壁か天井に・・・お?」
と、周囲を見渡していたクラシスは何かに気づいたように勝手に小走りで移動してしまう。
何かを見つけたことは反応で分かり切っているため、ミリティアは勝手に動いたことを特に言及せずにその後を黙ってついていった。
彼が向かったのは壁際に並んでいる支柱の一つだ。
支柱の天井に近い部分に、網で塞がれた空洞のようなものがあった。
「これか?」
「んー、おそらく、じゃないですかねー」
確認の会話を交わし、ミリティアは一つ頷いて、その空洞を確認することにした。
彼女やクラシスの身長では到底覗き見ることすらできない高さだ。仕方なく風の魔法を使用して、自身を浮かせようと思ったが、そこでクラシスが「待った」をかけた。
「あー、ミリティアさんはもう魔法の使用回数も少ないんでしょ? 俺が使いますんでそのままでいてください」
「そうか? それは助かるが・・・」
先ほどから風のドームを維持しているのはクラシスだ。そちらの魔法回数は大丈夫か? と聞きそうになったが、魔法師が魔法回数を他人に知られるのは自らの弱点を晒すのと同義であるため、たとえ具体的な回数を訪ねなくても聞かれて気分の良い内容ではない。ミリティアは続く言葉を飲み込み、少し迷った後に「宜しく頼む」とお願いすることにした。
「はいよっと」
クラシスがミリティアの足元に魔法陣を展開させ、そこから発生する浮力により彼女はその体をゆっくりと持ち上げられた。
視点が徐々に上にあがっていき、数秒もたたないうちに問題の換気口と思われる場所と同じ目の高さとなった。
「すぐに終わらせる」
あまり長引かせてクラシスの魔法回数を徒に費やすわけにもいかない。
そう言って、彼女は網を強引にはずし、内部で何か詰まっていないかを確認するために迷いなく手を奥まで入れた。手から伝わってくる感触は視認できないことも手伝って、あまり気分の良いものではない。凸凹があったり、砂のような細かい粒のような感触もある。が、依然として何かがこの換気口を塞いでいるという感触は無かった。手が届く範囲では何もないだけかもしれないが、人一人すら入ることができない大きさの換気口のため、確かめることができない。
ミリティアは即断で、風の魔法を発動することにした。
深く入れた右手に魔法陣を展開し、攻撃時などに使用する「点」に集中した風ではなく、「面」として広範囲に風を押し込むイメージで魔法を発動させた。威力はやや強めに、換気口含め施設を破壊しない程度に抑えて放つ。
ズン、と僅かな振動が起きた直後、
「わぷっ――!」
換気口から大量に流れ込んできた砂に顔面を覆われ、彼女らしからぬ声と共に後方に砂ごと流されていった。ちょうど風魔法の浮力も切れたことで、彼女は砂と共に床に埋もれていった。すぐに砂の山から顔を出したミリティアは、水場から上がった犬のように頭を左右に振って、髪にまとわりつく砂をほろった。
「いやぁ・・・驚きましたわー。これ、全部詰まってた砂ですかねぇ~」
「・・・全部だといいんだが」
念のため周囲の気配を探るが、今の音で魔獣がこちらに来ている、ということはなさそうだ。というより、二人以外の生物の気配も感じられなかった。最も距離があればさすがに気配だけで探ることは不可能なので、絶対とは言えないが・・・。
クラシスが手を差し伸ばしてきたので、遠慮なく借りることにする。
起き上がったミリティアの鎧から、ザァーッと砂が零れ落ちてくる。少し体を動かすと、服の内部まで入り込んだ砂がジャリジャリとした感覚を返してきて、非常に気持ち悪い。そんな気持ちをグッと堪えて、クラシスとの会話を続ける。
「外気は・・・流れ込んできているだろうか」
「どうでしょうね? この位置からでは風圧を感じることはできませんが・・・もう一度、魔法で飛んでみましょっかね~?」
「いや・・・魔法は換気口の中を掃除する際に使用したい。それ以外は節約すべきだろう。肩車で届かないだろうか」
「え、肩車? もしかして俺が下、って感じ?」
「私が下になっても良いが・・・さすがに貴方を持ち上げることは厳しい、というのが正直なところなのだが・・・」
「あーいや、そういうことじゃなくて・・・これってすんげー役得に感じんの、俺だけ?」
「役得? どういう意味だ?」
「いや・・・まぁ、ミリティアさんがいーなら、いいのか・・・? よーし、ドンと来い!」
胸をドンと叩き、鼻から息を漏らすクラシスにミリティアは怪訝に眉をひそめる。
彼の態度を吟味し、一つの結論に至ったミリティアは「なるほど」と一人で納得してクラシスに再び向かい合う。
「安心していい。鎧を着ていると言っても、それを含めて60キロ程度の重さだ。貴方なら難なく持ち上げられるはずだ。何なら鎧を外しても良いのだが・・・まだ魔獣が潜んでいる危険性も考慮すると、得策とは言えないからな・・・」
「いやぁ、ビックリするほど純粋培養ですねー、相変わらず。鎧を外すのは確かに得策じゃないね。ていうか、鎧含めて60キロって・・・軽すぎやしません?」
「言うな。これでも鍛錬は欠かさず行っているはずなのだが・・・あまり筋肉がつかない体質で、気にはしているんだ・・・」
「いや、そのままでいてくださいよ。比較的本気で。そんじゃー、なんか気持ちもほぐれたところで行きますか。まさか会話で和んで、煩悩が退散するとは夢にも思いませんでしたわー」
「? 言っている意味は分からないが、頼む」
女性と密着するという下心も、今の会話でほぼ霧散してしまったクラシスの肩に軽くジャンプして飛び乗るミリティア。
180センチメートルを超えるかどうかの身長のクラシスに、女性としては背が高い162センチメートルのミリティアが乗っかって、掌が換気口にようやく届かせることができた。
「風は・・・、ん、僅かに――流れてはいるな」
「お、そいじゃ、このパターンで進めても大丈夫ってことですかね」
「元々どの程度の換気が行われているか分からないから、これが正常かどうか判断しかねるな。だが空気の通り道は確保したのは確かな筈だ。このまま進めよう」
「りょーかい、と言いたいとこだけど、風魔法でぶっ放さないと奥に詰まった砂を除けられないなら、換気口の方はまだ魔法に余裕がある俺がやりましょうかね? 代わりにミリティアさんには魔獣の侵入経路を調べてもらう、ってことで」
「ふむ・・・」
クラシスの有り難い提案に頷くものの、さすがに無計画で進めるわけにも行かない。
「クラシス一人でこの広い場所全ての換気口を開くのは無理だろう。範囲を絞ろう」
「ですね、さすがに俺も全部は無理っすわー。見た感じ、支柱全てに換気口があるわけでもないですし、支柱の数の分だけ対応しなくて済むのはありがてぇー話ですけど。範囲とかは俺の方で決めちゃっていいですかね?」
「そうだな・・・頼む」
本来であれば、どの範囲をどのように処理していくか、詳しく詰めるべき場面なのだろうが、如何せんミリティアにクラシスの魔法の使用限界数は分からないし、確認することも道理的にできないため計画を立てるための情報が少ない。同じ国に仕える者なのだから魔法回数ぐらい教えても、という考えもあるかもしれないが、それはどちらかと言うと魔法の素質がない者たちの声であり、実際に魔法師たる者であれば、魔法回数は他者には絶対に漏らさない者が圧倒的に多いのが実情である。
ミリティアもご多分に漏れず、本当に親しい者以外には魔法回数は教えてない。
「――?」
ミリティアは何かが頭に引っ掛かり、考え込む。
それが何だったのか頭の中で明確になる前にクラシスに「んじゃ行ってます」と声をかけられ、ミリティアは思考を現実に戻される。
「あ、ああ・・・」
歯切れの悪い返事を返しつつもミリティアも魔獣の侵入経路等の確認に向かうことにした。
クラシスは彼女に背を向けて歩き出そうとしたが「あ」と声を出して、すぐに立ち止まって振り返る。
「そーいや風の壁、どうしましょ? 俺が離れるとミリティアさんも壁の外に出ちゃうことになっちゃいますけど・・・」
「それは構わない。元々風の加護無しで行うつもりだったしな」
「そうですか・・・? んー、まぁ、具合悪くなったら上で休んでくださいよ?」
「わかった、ありがとう」
少し心配そうに声をかけてくれたクラシスだが、ミリティアの返事を聞いて僅かに悩む素振りを見せるも、最終的には合意してそのまま彼女から離れていった。
クラシスが遠ざかる動きに合わせて、風の膜がミリティアの体をすり抜けていく感覚。完全に風の加護外へと出た瞬間にハッキリと分かる程、空気の澱みを感じた。同時に風の壁の恩恵がどれほど素晴らしいものかを体感した。
ミリティアは口を手で覆いつつ、その場を離れた。
戦闘後、第二部隊のメンバーから魔獣に襲われた時の状況を聞けるだけ聞いている。
方角は東、魔獣発生の直前に何かが崩落したような音がしたこと。手がかりはたったのこれだけではあるが、方角と現象の概要が分かっているだけ助かる。
クラシスと共に進んだこの場所も東方面のため、問題の場所はそう離れていないだろう。
床に散らばる魔獣の亡骸がより多い範囲を探せば、そう時間もかからずに見つけることができるかもしれない。
しかし、
「・・・・・・」
ミリティアは鞘で目前の壁を軽く叩く。
金属と金属がぶつかる音が響き、その反動が手を伝わってくる。
(壁の材質は鉄製・・・天井も支柱もそうだ。おそらくこの施設を造った時にサリー・ウィーパ等の魔獣対策も兼ねていたのだろう。そんな壁や天井を破って魔獣が侵入できるものだろうか・・・? 床は堅い材質だが・・・土に近い材質のようだ。経路としては下から、か?)
状況を判断する材料が少なすぎる。
不審な点をあげればキリがないが、疑問だけを列挙したところで事態が進展するわけでもない。ミリティアは疑念を頭の隅に保留しつつ、歩を進めて行く。
遠くで鈍い空気音と砂が流れる音が聞こえてくる。
おそらくクラシスがまた一つ、換気口を解放したのだろう。
ミリティアは魔獣の亡骸を踏まないよう、跨いで先へと歩み、地面の表面が焦げた場所へとたどり着いた。
予想されるのはテッドの火による焦げ跡だろう。
先ほど「堅い材質の土」と見た床だが、魔法の力で抉られたようで、所々に浅い穴が開いていた。穴を覗いてみると、どうやら土の下にも壁や天井と同じく、鉄製の床が敷き詰められているようだった。
これで地中からの侵入に対しても、鉄の壁が待ち受けていることが分かった。
地面の熱は既に冷めており、鉄を変色させるだけの火力はあったものの、変形や溶解などはしていないようだ。試しに変色した部分を強めに鎧の踵で踏み鳴らしてみたが、鉄で舗装された床は依然として頑丈な強度を保持したままのようだ。
その場所を通り過ぎ、何本もの支柱を通り過ぎて数十分ほど地下を探索する。
戦闘の傷跡があちらこちらに残っているものの、それ以外の目ぼしい痕跡は見当たらない。
左右を見渡しつつ、左方にあった支柱に手をかけてその先を確認すると、今までに無い痕跡を見つけることが出来た。
――血痕、というより血の足跡だ。
足跡を模る血の量は少ないが、これは確かに足跡であった。
ミリティアはその足跡が来たであろう方向に視線を向ける。
どうやら今見ている足跡は足の裏に付着した血液が凝固したか拭われたかで、ちょうど途切れてしまったタイミングのものであったらしい。その一歩前、さらに一歩前の足跡を遡っていくと、より濃い血の色の跡が残っているのが分かる。
視野を広げて周囲の地面を注視すると、他にも足跡は幾つかあるのが確認できた。
「・・・・・・」
足跡を踏まないように気を付けながら、その道を辿っていく。
辿れば辿る程、より明瞭とした足跡が残されている。指の形まではっきりと残っていることから、これは例の魔獣の足跡と判断して問題ないだろう。人であれば靴底の跡が残るだろうし、足跡も人の物とは異なり、細く歪である。
嫌な予感だけが積もってくる。
第二部隊にこれだけの出血を含む怪我をした者がいるとは聞いていないし、全員が階上に退避したことはリカルドが確認している。
ではこの血は誰のものか?
慎重に歩を進めて行くと、十分に濃いと思っていた血痕が更に濃度を増していく。
赤黒い足跡はそこら中に重なり合い、絵の具をまき散らしたかのような光景だ。
「・・・・・・」
それから更に数分経ったころだろうか。
ミリティアはついに「血痕の主」の元へたどり着いてしまった。
「っ・・・!?」
息を呑んだ。
ミリティアが今見ているのは、支柱と支柱の間に幾つも並んでいる、貯水槽の一つだ。
その中には夥しい量の血溜まりと、小指サイズほどまで砕け散った無数の肉片が無造作に散らばっていた。
小型の貯水槽であるが、それでも大人が6~7人寝れるほどの広さだ。
そこを赤黒く染め上げ、所々に見受けられる臓物の欠片が吐き気を促進させてくる。
胃液が逆流し、喉奥からこみ上げる不快感を我慢し、槽の縁で膝を折り、口元を抑えながら中の様子を確認する。
「・・・・・・」
魔獣のものか、人間のものか。
ミリティアは医学に長けているわけではない。その血の持ち主を確定する術を持ち合わせているわけではないが、何かヒントがないか確認するために目を背けたい光景を真っ向から観察する。ヒント――そう、この血の主が「人」でないことを証明するヒントが欲しい。魔獣か人かと言われれば、魔獣であった方が心情的に楽だからだ。それにここは王城内。もし人であるのならば・・・城の関係者の可能性が高くなってしまう。できれば魔獣の痕跡などが見つかってほしい。
そう説に願いつつ細部を観察していった結果、早くも持ち主を確信付けるモノが視界に入ってきてしまった。
彼女は下唇を悲痛に噛みしめた。
「そんな・・・」
ここまで細かく肉片が散らばっているというのに、何故その部分だけ辛うじて原型を留めてしまったのか。鑑識をする人間からすれば、この血の主を確定する決定的な証拠物になるため、喜ばしいことかもしれないが・・・、ミリティアとしては「その人」がバラバラになる前はどんな人だったのか想像する切っ掛けになってしまい、より一層の負荷が心に圧し掛かってしまった。
「・・・っ」
虚ろな瞳は何処を映しているのだろうか。
対光反射も無く、開いた瞳孔は何処までも沈んでしまいそうなほど暗かった。
頭部の半分は破裂でもしたのか、おそらく血の海に細かく砕かれて沈んでいるのだろう。頭蓋の断片近くには崩れた脳漿が漏れ出し、血と混ざりあうようにして浮いている。
その半分だけになってしまった頭を「持っていた人物」には見覚えがあった。
名前は思い出せない。
ただ城内で何度かすれ違った記憶はある。
ミリティアには死体を鑑識する知識も能力もない。
詳しい死亡原因などを確認するには専門の人間を連れてくる必要があるが――この国にはそもそも鑑識を職とする人間はいない。他国から興味も持たれず、閉鎖的に外壁の中に籠る国民性が強いアイリ王国において「殺人」という行為はほぼ無かったからだ。当然、それに人工を割く余裕がないのも事実だが、そういった専門職の人間を育成する気もないところが、まさに「国として必要としていない」という意志表示なのだろう。
そうなると専門職でなくとも、膨大な知識から本職までと行かずともそれに近い行為を可能とする人間が必要になってくるが・・・。
ミリティアは脳裏に一人の眼鏡をかけた女性の姿が浮かんだが、すぐにその案を却下した。
眼下にあるこの光景。
戦闘経験が豊富であり、魔獣だけでなく人と剣を交えることもあるミリティアだからこそ、この異常に耐えられるのだ。知識はあれど、非戦闘員である彼女に「ここで誰が死んで、死因は何か」と調査させるのは酷というレベルを遥かに通り越している。無論、最終的にルケニアの力を借りねばどうにもならない状況になれば、彼女を巻き込んでの調査も余儀なくされるが――ミリティアとしては可能な限り、今以上の負担を彼女に強いるのは避けたいのが本音であった。
ミリティアは自分だけで調べられるだけ調べようと決意し、凄惨な現場を気持ちを強く持って視認する。
言うまでも無く、事故等に巻き込まれたわけもなく、これは完全な他殺だ。
次にこの血の海から察するに、殺害された場所はここである可能性が高いが、如何せん肉体の原型すら留めていない状態だ。別の場所で殺害され、ここに運び込まれた後に何かしらの手法でこのような惨状を演出している可能性もある。これについては判断がつかないため、殺害場所は考えないことにした。
だが、この場所に現れた魔獣との関連性は――あると見るのが妥当と考えられる。でなければ、魔獣の血の足跡など残るはずもないからだ。
誰がこの惨状を招いたのか、という点については普通に考えれば魔獣が第一候補に挙がる。
が、これも魔法を使えば人間にも可能であるため、魔獣の仕業と決定するには根拠が少ない。
周囲の血飛沫を見る。
貯水槽の中は血溜まりとなっているが、その周辺――槽の周りには槽を中心として多くの血液が付着している。血痕の付き方から、何らかの方法で貯水槽にいる被害者を爆発でもさせて、そこを中心に全方位に血液が飛んでいったようだ。施設自体に損傷が見られないことから、もしかしたら人体の内部から破裂させるかのように爆破した可能性が高い。眩暈のするような残虐な殺し方だ。もしその瞬間まで被害者に意識があったらと思うと、背筋がゾッとする話だ。
周囲の血痕をなぞらえていたところで、ミリティアは違和感に気付く。
これだけ広範囲に血痕が刻まれているというのに、一部だけ、まるでその空間だけくりぬいたかのように綺麗な場所があった。否、実際にはこの場所にも多くの血液が付着し、赤黒く染め上げている。しかし他の場所とは異なり「綺麗な場所をカモフラージュするかのように血を塗りたくっている」ような感覚を受けたのだ。
全体的に貯水槽から放射線状に血痕が飛び散っているのに対して、問題の場所には「上から血液を被せた」かのようにぶちまけられている。物理的に違和感を覚える構図だ。
「誰かが・・・ここにいた? 魔獣にしては知的なやり方だ・・・人間なのか」
少し視線をずらすと、近くの換気口から砂が漏れ出しているのが見えた。
先ほどの自分の時と同様で、何かしらの外的衝撃によって中に詰まっていた砂が出てきたのだろう。砂上に血痕が見られないことから、砂が流れ出てきたのは周囲に血が飛び散った後だと分かる。
報告のあった破砕音と砂の音はここが原因かもしれない。
(では・・・魔獣は一体どこから侵入したというのだ? ここの鉄の壁を破壊して侵入してくるほど強靭な相手とも思えない・・・。換気口から侵入? いや大きさに無理がある・・・どういうことなんだ)
そもそも先ほど自分が倒した魔獣らでは、この惨状を作り出すことすら難しいのでは、と思えてくる。奴らと時間をかけて戦ったわけではないが、少なくともあの両手による攻撃と麻痺毒でこの状況は作れないだろう。
だが足跡は例の魔獣のものであるのも確かだと思われる。これも後で魔獣の亡骸の足と一致するか確認するつもりではあるが、ミリティアが目で見た範囲では一致していると言っても過言ではないほど酷似している。
(何が、起きている・・・?)
不意に眩暈を感じた。
どうやら風魔法なしでここに留まるのも限界のようだ。
一酸化炭素に加え、この血臭塗れた光景は想像以上にミリティアの心身に負担をかけていたようだ。
目頭を押さえ、頭を振る。
ミリティアは深く息を吐き、一度階上に戻ることにした。
クラシスとも合流し、一度上で情報を整理する必要もあるだろう。換気口も開放してから空気の循環が始まるまでに時間もかかるはずだ。
収穫と言えば、この地下浄水跡地は四方全てを「鉄」で囲った強固な造りになっていることだろうか。
厚さにもよるだろうが、鉄を自力で破壊してその先に進める魔獣は限りなく少ない。それこそ巨大なワームのような存在でない限り、ほぼ外からの侵入は無いと見て良いと判断できる。当初は侵入経路を発見し次第、それに対する対策と地下への警備を配置することを考えていたが、鉄を破壊するほどの巨大魔獣が力押しで進撃してくるほどの事態であれば、対策や警備以前に国に近づいてくる時点で気づける。そういった意味で「外敵の侵入」という点ではそこまで心配をしなくても良いと考えられる。
(鉄を破壊できるほどの小型の魔獣の存在も地方では耳にするが・・・ここは柔らかい砂を居城とする魔獣が多い。ワーム以外ではここを突破して城内に侵入してこれるような魔獣はいないと見ていいだろう。・・・・・・念のため、ルケニアには確認しておくか)
自分の中では確信に近い根拠を得たつもりだったが、如何せん魔獣の生態に関しては知識不足な面も否めない。思い込みで判断して何かあってはいけない。ミリティアは心の中で本件をルケニアへの確認事項の一つとして追加した。
魔獣に関して残る問題は、外からの侵入経路が無かった場合、奴らは何処から「湧いた」かだ。
この地下浄水跡地のどこかに巣を作っているのか、もしくは卵が換気口の隙間から流れ込んで此処で孵化したのか。そもそもあの魔獣の元は卵生動物なのか胎生動物なのか。こればっかりは地下をくまなく調査しなければ安全の有無は確認できないだろう。調査以外の時間は螺旋階段上の扉を封鎖し、外の広場に警備を数名置いておく必要がありそうだ。
そして何よりの問題は、この場所。
まずは被害者の身元を明確にし、その人物が今日どこで何をしていたかを捜査する必要がある。
一度、顔が広いギリシアに確認してもらうのが最善かもしれない。
ミリティアは凄惨な最期を迎えてしまった遺体に黙祷する。
「申し訳ありません・・・もう少しだけこのままにすることをお許しください。すぐに――弔いに戻ります。そして、貴方をこのような姿にした輩に相応の報いを受けさせます」
深く一礼。
間違いなく。
そう、間違いなく王城内部に殺人を物ともしない異常者が紛れ込んでいる。
国外から侵入したのか、考えたくはないが国の者なのか・・・いずれにせよ魔獣以外の何者かが関与している可能性はほぼ間違いないと見ていいだろう。
ミリティアは一瞬、最近入国した余所者――ヒザキの顔を思い浮かべた。
しかし即座に否定する。
彼は東門に向かっているし、少なくとも魔獣との戦闘があった時には自分と共に行動をしていた。
完全に容疑を外すわけではないが、犯人としては可能性は低いと判断する。
まだ外からの侵入の方が対策も立てやすいし、何より行動に迷いを持たなくて済んだ。
それが内部、それも人間が絡んでくると非常に厄介だ。
動機や目的も分からないため、重点的に守る対象も決められない。国の要人の守りを固めることが精々の対処法だろう。
狙う対象は人なのか、物なのか、場所なのか・・・それとも想像もつかない何かなのか。
(早急に・・・動かなくてはな)
一人で考え込んでも答えは見つからないだろう。
素直に戻って、ギリシアやルケニアから意見を仰ごう。
ミリティアは物言わぬ血塊の溜まり場に背を向け、沈んだ感情を押し殺したまま螺旋階段の方へと戻っていった。




