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テトラ・ワールド  作者: シンG
第1章 建国~砂漠の国~
35/96

第35話 風雷の戦乙女

――頭痛がすべての動作に遅延を呼び起こす。


一線、二線と彼の剣筋が暗闇に軌道を結ぶ。


――嘔吐感が込み上がり、頬を伝る冷や汗は全身から体温を奪っていく。


魔獣が避ける動作を三手先まで読み、避けた先で胴を分断する。


――眩暈は景色を歪め、耳鳴りは世界の音を遮るように主張する。


爪先に力を込め、続いて襲い掛かる魔獣と相対する。


――全身が体の異常を訴え、その活動を停止しようと重くする。


魔獣の掌を掻い潜り、その腹部にロングソードを突き刺す。

魔獣の体液を被りながらも、全身に喝を入れて立ち向かう。



・・・・・・。

・・・。



「あぐっ!」


何かが地面に叩き付けられる音がした。

音の正体はミトであり、彼女は歯を食いしばりながら両腕に力を入れて立とうとするが、足腰が上手く動かないようだった。

彼女の腕に歯型のようなものがあることから、麻痺毒が動きを制限しているのだろう。


絶好の獲物と言わんばかりに魔獣がかぶさりに来るが、ゲネルバウトが間に割り込むことで一難を逃れた。


「ライン、ミトが!」


「・・・!」


ゲネルバウトの声に、ラインは痛みに堪えるような表情で状況を把握する。

ある程度の想定外は常に対処できるようにしてきたつもりだったが、ここまで許容範囲を超えた想定外に陥るとは思っていなかった。


完全な落ち度だ。


ラインは奥歯が砕けん程に食いしばり、ミトを庇うように立つゲネルバウトに「すみませんが、そのまま持ち堪えてください!」と声をかける。

ゲネルバウトは頷き返し、周囲へ警戒網を広げた。


(情けない! 何をしているんだ、私は!)


その身を以って兵たちを先導すべき立場にも関わらず、事態に後手に回り、徐々に戦力を削られていく現状に自分を許せず、激しい怒りを覚えた。


全身を襲う体調不良は言い訳にできない。

命のやり取りである戦いの場において、言い訳など何の役にも立たないからだ。

移り行く状況に合わせて、常に最善の手を打てるかが求められる。しかしラインは負傷者の救出に手を取られ、今となっては救出チームであった仲間のミトすら倒れる羽目となっている。


どう考えても、魔獣に有利な状況であった。


脇には別チームの兵士が倒れている。

原因は魔獣の麻痺毒ではない。

原因不明の瘴気によるものだ。


「くっ――、・・・ミトと負傷者を一度、テッド副隊長の元へ連れて帰ります! バジル、ゲネルバウト、行けますか!?」


「ああ、まだ何とかな・・・」


「当然だ・・・!」


救援対象であった負傷者の数は四名。+ミトで五名となる。

対して動ける者は、ライン・バジル・ゲネルバウトの三名。一人で二人抱えて移動するにしても、とても魔獣と戦いながら移動できるとは思えない計算だ。だが今はやらなくてはならない状況なのも事実。


「ライン、一番軽いミトはお前が運べ! 他は二人ずつ俺とゲネルが運ぶ! 魔獣がきやがったら頼むぜ・・・!」


「分かりました」


バジルの言葉に深く頷き、倒れていたミトを背中に乗せる。


「す、すみませ、ん・・・」


「気にしないでください。私に掴むことはできますか?」


「ぅ・・・っ、ち、力が入らない、みたいです・・・」


「分かりました。少し待っていてください」


ラインは運ぶ足かせになるミトの鎧を外し、自身の鎧下に着込んでいた裾の長い服を脱ぐ。

そしてミトとラインの体を服で堅く結び留め、ラインは両手が自由の状態であることを確認した。


他の二人も同様に負傷者の鎧を外し、それぞれを両脇に抱え込んだ。


「キツくはありませんか?」


「は、はい・・・」


「しばしの我慢です。すぐに安全圏へ送りますので安心してください」


申し訳なさそうに目を閉じるミトに優しく声をかけ、ラインは立ち上がった。

魔獣の気配はまだ感じる。

が、こちらに警戒してか、姿を暗闇に紛れ込ませているようだ。


地面に置いた剣を拾い上げ、他の二人に目で合図する。

そして三人はテッドがいるであろう場所へと向かって、全力で駆け出す。


「ゲェ、ゲェッ!」


「ゲッゲッゲェ、ゲェェッ!」


周囲から魔獣の声が上がる。

相手が逃げ出すと見て、その背中から襲い掛かる算段なのだろう。


それは「想定内」である。


ラインは魔獣が「これ以上踏み込まれてはいけない」という防衛ラインを定め、そこから先に入ってこようとする魔獣に対してのみ、剣を振るった。

倒すことは後回しだ。

今は負傷者をテッドのところに預けることが先決であった。


「ふっ――!」


短く吐く息とともに、剣撃を繰り出す。

牽制に近い斬撃は、魔獣にとって躱すのは容易だろうが、今はそれで構わない。


まるで自分の体とは思えないほど、全身が重い。


「っ、はぁ――、はっ!」


少しでも過剰な運動をすると、心臓が破裂するのではないかと思うほど激しく鼓動する。


「ラ、ライン・・・私を置いて、――」


「無理な相談、と分かっていることを聞くものではありませんよ、ミト」


常態のラインからは想像もできない辛そうな様子に、ミトが懇願の言葉を言いかけたが、それははっきりと断られた。


右足を軸に半回転して、剣を薙ぐ。

暗闇に乗じて姿勢を低くして襲い掛かろうとした魔獣の一体が、驚いたように飛びのいて攻撃範囲の外へ逃げていく。


「――!」


不意に右膝から力が抜け、膝から下の感覚が遠のいていく。

何事かと右足を注視すると、原因はすぐに理解できた。


麻痺毒だ。

しかし噛まれたわけではなく、奴らの掌に多数存在する口腔。その中に並ぶ牙の一本が脛に突き刺さっていたのだ。


(麻痺毒を分泌している、のは・・・牙! まさか飛び道具としても使って、くるとは・・・)


いつ飛ばしてきたのかは分からないが、この攻撃方法は脅威だ。

視界が悪い、この暗闇の場を以ってすれば尚更な話だ。


「ライン!」


ミトの悲痛な声が聞こえる。

感覚が無いから見るまで気づかなかったが、既に自分は膝をついて立ち止まっていたらしい。


バジルとゲネルバウトも足を止め、こちらに駆け寄ろうとする。


「ぐっ!」


いけない。

このパターンは、まさに敵にとって格好の攻撃タイミングだ。


案の定、敵の気配もより一層、攻撃的なものとなり、一斉に襲い掛かってくる構図が浮かび上がってくる。


(せめてミトだけでも守らなくては――!)


背中に抱えた女性に傷を与えては、戦士として落第もいいところだ。自己満足に近い矜持に聞こえるかもしれないが、それはラインにとって妥協できない誇りでもあった。

仮に自身が死に陥ろうとも、ここにいる敵だけは道連れにしてやる――。

ラインの目に殺意が籠り、声をあげて立ち上がる。


麻痺した足は「元々無かったもの」として認識を入れ替え、ラインは右足を失ったという前提で「立ち上がる感覚」を再構築することで立つことに成功した。


常人では不可能とも呼べる戦闘センスの塊。

ライン=ヴァルハルトはロングソートを握る手に力を入れ、目に頼らずして敵の殺気を頼りに剣を振るった。


「ハァッ!」


バジルに襲い掛かろうとした魔獣を躱す暇も与えずに突き殺す。

そのまま体を回転させ、背後の敵に向かって突き殺した魔獣の死体を投げつける。

回避を得意とした魔獣だが、まさか仲間ごと飛んでくるとは想像していなかったようで、真正面に死体を受け止める形となった。その隙にもう一突き。死体を貫いた剣の切っ先は、その後ろにいる魔獣をも貫き、絶命に至らせた。


好機を逃すまいと、退くのではなく、次々と魔獣が襲い掛かってくる。


バジルやゲネルバウトが何かを言っている気がしたが、極限に集中を増したラインの耳には届かなかった。


三体目、四体目と剣の錆にした後の五体目だった。


「ゲェ!」


中間距離から魔獣が空に向かって右手を勢いよく振り下ろした。

その行為の意味に気づいたときには、もう遅かった。


「っ・・・!」


左の肩を中心に、徐々に力が抜けてくる。

金属音を立てて、ロングソードが零れ落ちた。

どうやら魔獣の牙が左肩に突き刺さったらしい。胸当ての隙間に入り込んだ牙がラインの筋肉に食い込み、麻痺毒が恐るべき速度で体中の自由を奪っていった。

不覚。戦って死にきることも成し遂げられないのか。ラインは己の未熟さを呪う気持ちで膝を折る。


「ゲネル! ここで一度立て直すぞ!」


「おう!」


バジルとゲネルバウトはラインの傍に負傷者を置き、その範囲を護るように背を向け、互いに剣を抜く。

明らかな劣勢。

ラインが麻痺に毒されたことで負傷者は六名に。六名を二人で運びながら魔獣の相手をするのは事実上、不可能になってしまったのが正直なところだろう。


「す、まない・・・」


ラインの呟きにも似た言葉に二人は肩を竦める。


「何言ってんだか・・・さっさと終わらせて帰るぜ?」


「だな」


強がりなのは誰が見ても分かる、この状況。

絶望的な現状を打破するためには、どうしたらよいか。


その答えの一つは、獣染みた咆哮を上げたながら突っ込んできた巨躯が導いた。


「オオオォォォラァ!」


大剣クレイモアが大気を裂いて、魔獣もろとも両断する。

刃で斬っているにも関わらず、鈍器で殴られたかのように二つに分かれた魔獣は数メートル吹き飛び、音を立てて転がっていった。


「たい、ちょう・・・」


正直、この情けない姿を見せたくはなかった。

目の前に立つ尊敬する隊長をラインは正視することができなかった。


「らしくねぇな、何を落ち込んでんだぁ、お前は?」


「ぅ・・・申し訳、ありません」


「詫びはいらねぇんだよ。次に生かせ」


「――、はい」


失格の烙印をも覚悟していたラインだが、リカルドから「次」という言葉を耳にし、自身の心に安堵感が滲みでたことに悔しさを覚えた。


「もう、このような失態は――いたしません」


「それでいい」


リカルドは口の端を上げて笑う。

次いでまだ動ける二人に視線を送り、「まだ行けるか?」と問いかける。


『ハッ!』


と揃った言葉が返ってきたことに満足そうにうなずき、リカルドはクレイモアを構える。


状況はリカルドの参入により、光は見えたものの打開には至らず。

依然として不利な状況は続く。

周囲を騒がせる戦いの音も徐々に少なくなっていくのが分かる。魔獣と戦える者が少なくなってきているのだ。このままでは負傷者ではなく死傷者も出てくるだろう。否、もう出ているかもしれない。


せめて「暗闇」か「瘴気」のいずれか払えば、勝機は跳ね上がるのだが――。



そんな考えが誰もが抱いた時であった。



凛とした声が地下を響かせたのは。



*************************************



元々は東門に向かう予定だった。


魔法の力を使えば、東門を飛び越えることは容易であるし、危険度を考えれば「外」である東門の方が援軍を要すると思っていたからだ。それに地下浄水跡地にはリカルドも向かっている。十分な戦力があると見込んでの計算だった。


ルケニアを安全な場所――研究室へ連れて行き、鍵をかけて籠るように伝えた時だった。


「ミリー、行くなら浄水跡地にして」


とルケニアが言ったのだ。


何故? と聞き返す。


「考えすぎ、ならいいんだけど・・・浄水跡地って多分、換気もされていない地下空間だと思うの。元々は換気設備だってあったんだろうけど、今じゃ砂が詰まって正常に動いてないだろうし・・・」


ルケニアが何を言いたいのか理解できず、首を傾げて続きを待つ。


「んで、第二部隊は灯りとして蝋燭を持っていったんでしょ? 確か副隊長のテッドも火の魔法師・・・」


ああ、と相槌を打つ。


「こちには嫌な符号が揃っているとしか思えないんだよね。何も出なけりゃ、大事にはならなさそうだけど・・・もし戦闘に入ったら、時間が経てば経つほど第二部隊は敗ける可能性が高くなると思う」


驚く。

あの強力な部隊が敗けることがあるというのか。

しかもルケニアは魔獣などを基準に「敗ける」とは言っていない。それ以外の要因が敗因と言っているのだ。


詳しく、と催促したが「今はそんな場合じゃないでしょー」と言われ、その通りだと引き下がる。


「あと・・・前に城の設備を見て回った時の記憶だからうろ覚えだけど・・・、確か浄水跡地には『電光でんこう』が設備としてあったと思う」


その魔導機械の名は聞き覚えがあった。

頷く自分にルケニアは嬉しそうに笑みを浮かべて、


「アンタの力、久しぶりに見せてやったらどう?」


と言った。


職務を全うするだけ、と答えたらルケニアは酷くつまらなさそうに口を尖らせる。

この子は一体、自分に何を期待しているのだが、と内心苦笑してしまう。


自分は国を守る矛の一つ。

自身の力を誇示する必要はなく、ただ国を外敵から守り、必要とあらば倒す。

だから「力を見せる」のではなく「力を行使して」職務を全うするのみ。国を守ったという結果だけを守り通せば良いのだ。

それだけの存在だ。


――それだけの存在?


思えば八年前はもっと別の目的があったような気がする。

浅慮で短絡的、ちょっと剣の才能があっただけで増長するような子供だった自分が、初めて憧れと言う感情を抱き、強くあろうと――あの人のように誰かを護れるような存在になろうと誓った、あの日。


慌てて雑念を払う。


今は兎にも角にも、東門か地下浄水跡地に向かって援護することを念頭に置くべきだ。

ルケニアが地下浄水跡地に向かうべき、と断言するのであれば向かうべきだろう。


行ってくる、と彼女に伝えると、なぜだろうか。


彼女は困ったような悲しいような、そんな表情でため息をついた。


「目的と手段、入れ替わってなければいいんだけどね」


その言葉の意味を理解することができなかった。

その他にいくつかルケニアから注意事項を受けて、結局は先の言葉の真意を聞くことができないまま部屋を後にした。



*************************************



「ハァ―――――――――――――ッ!」


気合の声を上げて、ミリティアは拳を「電光」の魔法陣ヘンリクスに叩き付ける。

そして普段は発揮することのない、全力の魔法を注ぎ込む。


雷の魔法。


ミリティアから発動された魔法は、本来であれば構築される魔法陣の光は発生せず、そのままヘンリクスに動力として吸収されていく。


どの程度の広さがあり、いくつの電光がここに配備されているかは不明だが、その全てに光を灯すつもりで魔法を放つ。

もともと魔法使用回数が少ない方のミリティアとしては、常に魔法の使用に細心の注意と調整を行っていたが、今は火急の事態であるため、一切の加減無く魔法をヘンリクスに叩きこんでいった。


ヘンリクスから発光機構への回路に魔法が流れ込んでいき、地下浄水跡地の天井に散りばめられた回路から視認できるほどの電流が漏れ出していく。


第二部隊が設置していた燭台は、侵入してきた魔獣によって荒らされている状態だ。

蝋燭の火は消えているのが殆どであり、テッドが放った火球の痕跡が所々を薄く照らしているだけの暗い空間。

その闇の上を青白い光が網目のように走っていく。


そして、ヘンリクスに近い場所から波紋のように電光が眩い光を放っていった。

長い期間を放置されていたためか、幾つかミリティアの魔法の波動に耐え切れず、電光が割れたり小さな爆発を起こすものもあったが、それを差し引いても十二分な明るさを提供してくれた。



暗闇に目が慣れていた人間、そして魔獣は突然の光に反射的に目を覆う。



この瞬間、現場を一望できたのは、まだ光に目が慣れているミリティアただ一人だ。

目を細め、魔獣と思しき存在を認識。

次に魔獣と対峙している兵士の中で、助けるべき優先順位を把握。


口を小さく開いて「風よ」と呟く。


ミリティアの足元に小さな魔法陣が浮かび上がり、砕け散る。宙を漂う光の粒子はやがて「風魔法」として顕現し、ミリティアの小さな体を浮かび上がらせる。

髪をたなびかせ、魔獣はまだ遠くにいるというのにミリティアはエストックを構える。


「――参る」


その言葉を引き金に、エストックの切っ先あたりに雷の魔法陣が光り輝き、砕けた粒子が刀身の全身を包み込み、電流を迸らせる。


そしてやや前傾姿勢になり、全身を包み込む風に命じる。



(はし)れ、と。



まず五体。

おそらくは負傷した隊員に追い打ちをかけようとしていたのだろう。振り上げた手は、しかし突然の光に目を潰され、振り下ろされることなく魔獣の頭上を所在なさげに固まったままだ。


距離は30メートルはあっただろうか。

一呼吸の間にミリティアは風の推進力と抵抗力軽減を用いて、その距離を詰め、電流を纏ったエストックを軽く振るった。


まるで何の抵抗も無く。

豆腐を切るかのようにエストックは魔獣の体を通り抜け、その軌跡には電流に細胞ごと焼かれている魔獣の姿があった。切断面の血管ごと焼かれたせいか、体液や血液も噴き出ることなく、焦げた臭いを発しながら一言も発することなく崩れ落ちていく。


光に慣れてきた魔獣や兵士たちがようやく金髪碧眼の存在に気付き始める。


彼女の姿を視界に収めた瞬間、再び離れた位置にいた魔獣の首から上が消し飛んだ。

何事かと思ってそちらを見れば、先刻まで視界に収めていたミリティアが既にそこにいた。首を斬った時に発生した電撃の余波で頭部が吹き飛んだのだろう。頭部を失った魔獣は背中から倒れ、切断面からうっすらと煙を発しながら絶命した。


「次」


再び彼女の姿が消える。

残るのは吹き荒れる風の波だけである。


十体。


縦横無尽に風が奔り、雷が舞う。


二十体。


いかに回避にすぐれた魔獣とはいえ、己の認識を超過した速度に対応できるはずもなく。

抵抗することも、逃げることも、何をすることも許可されずに次々と物言わぬ姿へと変貌していった。


三十体。


魔法は持続性が弱く、一過性の場合が多い。

ブースターとしての風魔法と、攻撃強化における雷魔法はわずか数秒でその効果が解けてしまう。

魔法の再装填と移動のタイミングを絶妙にはかり、ミリティアは万が一にも敵の目前で魔法が解けてしまわないよう考慮しながら立ち回っていった。


四十体。


第二部隊の面々は見ていることしかできなかった。

屈強な兵士が揃った第二部隊であっても、茫然と口を半開きにしてその光景を見守る事しかできない。

リカルドでさえ頭を掻きながら「こりゃどーにもならんな」とぼやき、クレイモアを鞘に納めて彼女の戦いを鑑賞する姿勢に入ってしまうほどだ。


気付けば魔獣の無残な亡骸が散乱する中、残りは三体だけとなっていた。


その前にミリティアが足を止めて対峙する。


「貴様らが最後だ」


「・・・ゲェ、グゲェ・・・ゲエゲェ!」


「仮に貴様らが人語を介せたとして、私に訴えかけたとしても聞く耳は持たん。国土をその汚れた足で踏み荒らしたこと、その命を以ってそそぎ落すが良い」


戦闘態勢に入った時のミリティアのキツイ口調が顔を出す。

目を見開き、剣先を魔獣に向ける。

彼女の感情に呼応するかのように電流が刀身から暴れだすかのように音を立てる。


「ゲ、ゲェ・・・グゲェ」


魔獣の一体は一歩下がり、左手を無造作にミリティアに向けて振り上げた。

距離は離れており、当然その手がミリティアに届くことは無い。しかし、その行為に遠くから見ていたラインは「いけない!」と思わず口走ってしまった。


麻痺毒を含んだ牙の投擲。


非常に小さい牙なので、目視で躱すのが難しい攻撃だ。


「ゲヘェ!」


それは歓喜の声か、少し上ずった声を上げる魔獣。

そんな様子をミリティアは表情を変えずに見下ろしていた。


「これが貴様らの奥の手か? 意地汚い愚物にはお似合いの手だな」


ミリティアが見つめる一点。

それは彼女のすぐ傍で滞空している魔獣の牙であった。

彼女を取り巻く風の防護壁が牙の接近を阻み、そのまま空中で捉えられた形となっていた。


魔獣たちが一歩、二歩と後退していく。

表情は疣で隠れて見えないにしろ、その態度が言い知れぬ「恐怖」を物語っていた。

猫背の魔獣たちを冷たく見下ろすミリティア。


「どうした、貴様らは女一人組み伏せられないほど脆弱なのか? それとも――闇に乗じなくては勇み足すら出せない臆病者か」


その言葉を理解したかどうかは分からない。

逃げの姿勢を見せていた魔獣たちは、挑発に乗るように奇声を上げながら一斉に彼女に飛び掛かっていった。


風が魔獣たちの隙間を縫って通り抜け、気づけばミリティアは魔獣たちの背後にいた。


「遅い」


魔獣たちが地面に足をつけるよりも早く、その体は電流に焼かれ、手足を切断された残骸だけが地面を転がっていった。


その様子を見て、ミリティアはため込んでいた息を吐き、エストックを鞘に納める。


「・・・ふぅ」


本来、ミリティアは対大勢の戦いは苦手とするところである。

一対一の短期決戦には無類の強さを誇るが、どうしても大勢を相手取るとジリ貧になってしまうからだ。

それは彼女の一日の魔法使用回数が関係していた。

おおよそ40回程度。調子が良ければもう少し行けるだろうが、平均的にはその程度だ。

既にこの一瞬とも呼べる戦闘だけで、彼女の魔法の残り回数は10を切るかどうかまで減少していた。


無事、切り抜けられたことに安堵する。

ミリティアは額を伝う汗を手の甲で拭い、周囲を見回した。


正直、この感覚は好きではなかった。

大衆の前でデュア・マギアスとしての圧倒的な力を見せた時に返ってくるのは、いつだって孤独な世界だ。

好奇の目、というより畏怖の目。

まるで異次元の何かを目撃したかのような視線を周囲から感じた。


一般人ならぬ戦いに特化した兵士ですら、ミリティアの常人離れした圧倒的な戦い方に腰が引けているのが分かった。


「・・・」


地下浄水跡地には多くの人間がいるにも関わらず、まるで遠い存在に感じてしまう。

歓声が沸くでもなく、感謝されるのでもなく、疎外感だけが締め付けてくる感覚にミリティアは唇を軽く噛んだ。


(なかなか、慣れないものだな・・・)


少しだけ、誰かに見られない角度で苦笑する。

次に顔をあげたときには既に「ミリティア=アークライト」の仮面を被りなおした姿であった。


誰も声を上げないシンとした空間で、倒れた魔獣の死骸を避けながら歩く。

視線だけは過剰なほど向けられているのを流しつつ、ミリティアはリカルドの方へと歩いていった。


リカルドはそんな彼女の様子を見て舌打ちする。


「チッ、こりゃ後で全員、説教部屋だな・・・」


その言葉は言うまでも無く、第二部隊全員に向けた言葉であった。

リカルドは胡坐を解き、立ち上がってミリティアを迎い入れる。


「悪ぃな・・・ケツの青い連中ばっかでよ。アンタの戦いを見るのが初めての奴らばっかなんだ・・・頭がついてきてねぇんだろうよ。代表して礼を言うぜ、ありがとな」


「構いません。それより早く全員をこの場から撤退させるべきです」


「ん? ああ、まぁな・・・負傷者も出てるし、早急に運び出す必要があるな」


「負傷者はもちろん優先的に運ぶ必要がありますが、まだ動ける健常者も同様です。無論リカルド殿も負傷者の運びだしが終わり次第、医師の診察を受けてください」


ミリティアの言葉に眉をひそめるリカルドだったが、やがて思い当たる節があったようで頭をかく。


「まさか・・・この地下に充満している空気のことか?」


「ご存知だったのですか?」


「いや・・・ただ息がしづれぇ、っつー感覚があるだけだが・・・」


「なるほど――私も詳しくは存じませんが『一酸化炭素中毒』と呼ばれる症状のようです。ルケニアがそう言ってました」


「嬢ちゃんか・・・てこたぁ何かしらの根拠があるんだろうな。てか奴らの仕業じゃなかったってことか・・・。さっさと此処をずらかっちまうか。悪ぃが手伝ってもらってもいいか?」


「ええ、勿論です」


リカルドの言葉にミリティアが強く頷き返した時だった。

まだ麻痺毒が残っているため、思うように体を動かせないはずのラインがふらつきながらも立ち上がった。

背負っていたミトは既にリカルドが床に寝かせている状態のため、重荷は無いにしろ、麻痺している状態でここまで体を動かせるのは信じられないことだった。


「おい、ライン――」


まだ寝とけ、とリカルドは言おうとしたが、その眼を見てそのまま押し黙る。

ラインはミリティアを見定めたまま、荒い息を漏らした。

表情が青いことに気づき、ミリティアが体を支えようと手を伸ばしかけたが、その行為はラインが左手を向けることで止めてしまう。行先を失った両手をミリティアは少し持て余し、最終的には体の前で掌を組む形となった。


「ミリティア様・・・」


「ライン殿、今は体を休めることを先決すべきで――」


「いえ・・・私の、我儘で申し訳ありません、が・・・ここで言わせてください」


「・・・・・・」


何度か踏鞴を踏みつつ態勢を整えて、ラインは正面からミリティアを見つめる。

リカルドはラインの気持ちに気づいていたようで、少し笑いながらその姿を見ている。

対するミリティアは困惑を隠しきれない。何故、彼が無理を押してまで立ち上がったのか。どう反応したらよいか迷いつつ、彼の次の言葉を待つ。


数秒、静寂が流れ、やがてラインは勢いよく頭を下げた。


「この度は――我々の窮地をお救いいただき、ありがとうございました!」


精一杯の、今出せる空気を声に変換して想いと共に吐き出す。

そしてラインのその姿が引き金となり、次々と周囲の兵士たちが頭を下げていく。

何とか足を地につけているものは両足を揃えて礼を、麻痺や負傷で動けない者たちは目を閉じて顎を引くことでミリティアに感謝の意を示す。


「・・・え」


その姿を、光景を見てミリティアは目を見開いて言葉を失う。


「あのなぁ」


そんな彼女にリカルドがため息交じりに声をかけた。


「外でどんな視線に会ってきたかは容易に想像できるがよぉ、俺たちぁ仲間だぜ? 同じ国の仲間だ。忌避なんてもってのほか、あんのは尊敬と敬意ぐれえだろうよ。今までの経験から、こいつらの『動揺』がアンタを敬遠しているように感じたかもしれねえが・・・、それが違うってことぁ今わかっただろ? ま、あまりの強さに動揺して感謝の一つもできねえなら後で死ぬほど『説教』かましてやるつもりだったが・・・ラインに免じて許してやるよ」


「あ・・・」


と、ラインの膝が砕けたのを見て、今度こそミリティアは彼を支える。


「も、申し訳・・・」


「いえ・・・私のほうこそ、申し訳ありません」


ゆっくりと彼を地面に座らせ、ミリティアは周囲を見渡す。

不思議なものだ。

先ほどまでは「自分は他者から化け物として見られている」という先入観ばかりが先立ち、周囲の兵士の視線を非常に居心地悪く感じていた。きっと現在の光景も先刻の光景もそう変わるものはないだろう。しかし気の持ちようでミリティアには先ほどまでの窮屈な感覚は払しょくされ、気が和らぐ雰囲気を全身で感じることができた。


現金なものだ。

気持ち一つであっという間に真逆の感情を抱く自身に苦笑する。


身内の一つである一般兵にデュア・マギアスとしての全力を見せることは今までになかった。リカルドやマイアーなどの一部の人間には遠征時に共闘することがあったため、その機会もあったが、こうして五等兵や見習いがいる中での戦闘は初めてだったのだ。


そのため武勇伝などは末端にも行き届いているだろうが、その伝説を目の当たりにしたときに彼らは現実と想像の乖離についていけなかったのが、先ほどまでの呆然とした姿だった。

ラインがいち早く、ミリティアにその誤解を示せねば、彼女はその誤解を持ったまま終わっていただろう。次に同じような機会があった際には昏い記憶が残ったまま、気まずい状況を作り出してしまう可能性だってあった。

もちろんリカルドは後でフォローするつもりではあったが、自分が後釜として期待を膨らませている青年が自分の判断で感謝と誤解を解いた姿は、リカルドの目にひと際喜ばしい姿として映った。


「感謝を」


小さく、本当に聞き取れないほど小さな声でミリティアはそう呟いた。


近くにいたラインはその言葉を拾い、安心したように笑みを浮かべた。


「さて! んじゃさっさとここを出るぞ! 負傷者を優先的に運び出す! 動ける奴は第一・第四部隊に支援を要請してこい!」



リカルドの太い低音の声がフロア中に響き渡り、地下浄水跡地からの撤退が始まった。


 



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