第34話 想定からずれゆく現実
「こうしてここから全体を見ると中々に壮観ですね」
腰に手を当てながら螺旋階段の支柱に背中を預け、テッドは口の端を上げながら呟いた。
「結局、何も起こりませんでしたね。拍子抜け、と評するのは聊か不謹慎かもしれませんが・・・」
ラインもテッドのすぐ横に立ち、同じ光景を眺める。
視線の先には等間隔に並んだ燭光に照らされた、地下浄水跡地があった。
燭台の蝋燭程度の灯りで照らし切れる暗さではないので、正直明るくなったかと言われれば、以前暗いままである。しかし地下空間の暗さと蝋燭の明るさのコントラストが程よい塩梅となり、幻想的ともとれる光景を作り出していた。
「隊員は全員戻りましたか?」
テッドの言葉にラインは頷く。
「はい、作業が完了したチームから順次、上にあがって待機してもらています。ここに残られてもごった返すだけですので。もっとも完了と言ってもまだ西側だけです。東側および奥行きのある北側はこれからになりますね」
「そうですね。燭台や蝋燭の数はまだ足りそうですか?」
「ええ、東側を調査する分には足りるかと想定しています。すぐに再開しますか?」
「時間も勿体ないですからね。西側で一連の作業工程は全員が経験しているので、東側はもっと効率的に進むでしょう。同じように随時始めてください」
「了解しました」
ラインは一礼し、螺旋階段を昇って行った。
テッドはその背中を見送ってから、再び西側に扇状に整列された燭台に視線を戻す。
結果として、地下浄水跡地の西への距離は大したものではなかった。
正確な計測はしていないものの、燭台の数から計算しておおよそ1200メートル、といったところか。国国土の広さを考えれば微々たるもの。王城の範囲を少し超えるあたりまで広がっているという認識が妥当だろう。
まだ不透明な北側についても、王城の範囲を目途にすればそこまでの距離はないだろうと予測できる。
この調子で行けば、そこまで時間もかからずに地下浄水跡地の全容を把握できるかもしれない、とテッドは少し残念かつ肩の力が抜ける想いで考えていた。
(どうやら君の出番はないかもしれないね)
腰に下げたロングソードを見下ろし、そんなことを思う。
リカルドからこの指示が来た時は、てっきりこの地下浄水跡地に不心得者か魔獣の類が潜んでいる可能性を示唆しているのかと勘繰ったが、今のところ何かが暗闇に潜み、蠢いている気配などは感じられない。特に魔獣は人間と異なって理性的ではないので、人がぞろぞろと足並み揃えて歩いていたり、蝋燭で明かりを灯されれば、何かしらの動きを見せるはずだ。
潜んでいるのが人間――それも手練れの類であれば、気配を感じ取られずに機を伺って潜んでいる可能性もあるが――。
(油断などして命を落とせば、弔砲すら上げてもらえなさそうですからね。リカルドさんの面子に泥も塗ってしまうし・・・事が終わるまでは集中を切らさないよう注意しますか)
自分に言い聞かせるように頷く。
階上から足音が聞こえてくる。
どうやらラインが東側調査のために随時、兵たちを降ろし始めているようだ。
「それでは引き続き、調査を行いますか」
気持ちを切り替えて、集中力を増すための独り言は地下浄水跡地の静寂の中に吸い込まれるようにして消えて行った。
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「この作業も慣れてきたなぁ」
そう呟くのはゲネルバウト。
大量に生やした無精髭がこの地下浄水跡地の暗さと同化し、非常に表情が読み取りづらい。
「こらこら油断しないの」
それに注意を促すのは同じ三等兵のミトだ。
第二部隊の数少ない女性であり、部隊内では女性の中で最も高い戦闘能力を持っている。
第三部隊のマイアーやパリアーに比較すれば見劣りするものの、兵として十分な素質を持っている女性だ。
「でもまぁ、こう何もないと荷物持ってもらったり、燭台置く作業してもらってるのを見てるだけってのが申し訳なく思えてくるよなぁ」
ちょうど前の燭台の位置から30メートルほど離れたため、ミリガンたちが麻袋から燭台と蝋燭をセッティングし、そこに火を灯している。その様子を見ながら、苦笑したバジルが肩を竦めて言った。
「それぞれ決まった役割をこなしているのです。気に病む必要はありませんよ。もっとも周囲への警戒を怠って立っているだけというのであれば問題ですが」
ラインの言葉に「わかってるよ、真面目だなぁ」とバジルが笑いながら返す。
「あ、あの・・・こうして作業している方が・・・気が休まるので、気にしないでください・・・」
ボソボソと遠慮がちにミリガンは上級兵士たちの顔を横目に呟いた。
実際こうして手を動かしていると余計なことを考えなくて済むので、環境に慣れていない身としては非常に助かるのが事実であった。
「もう、下の子に気を遣わせてどうするの!」
腰に手を当てたミトがゲネルバウトとバジルを叱る。
冗談を多分に含んだ言葉だったのだろうが、真面目気質なミトに怒られて、弁明の余地もなく二人は頭をかいて「悪ぃ悪ぃ」と誤った。
「ま、冗談はともかくとして・・・――、ん?」
不意にバジルの表情から笑顔が消える。
一呼吸遅れて、ミトとゲネルバウトも柔和さが消失し、その双眸に鋭さが光る。
「ライン」
「ええ、分かっています」
「・・・?」
真逆に変化する空気にミリガンは戸惑いを覚える。
緊迫する空気の息苦しさから逃れるように周囲を見渡すと、他のチーム内でも似たような様子のようで、一等兵を中心にチームの外を守る者たちが皆、周囲に警戒をしているように見えた。
静寂が戻る。
静寂が戻れば、雑音だけが主張するかのように空気を伝って鼓膜に届く。
誰かが息を飲む音。
同じ態勢が辛かったのか、姿勢を変える際に靴裏で砂利をこする音。
麻袋が地面と擦れる音。
――何かが崩れる音。
「天井か壁か――、いずれにせよ何かが崩れましたね。何十年も放置されたこの場所が、今日この日に限って崩れる可能性は言うまでもなく低いと思います。全員、外的要因に対する注意を」
ラインのチーム全員が無言で頷く。
ラインはミリガンが置いたばかりの燭台を持ち、そこから蝋燭を抜き取り、そのままの流れで蝋燭を持った手を掲げて十字を切るように動かす。
遠目だが他のチームの者たちも頷いたのが暗がりの中でうっすらと見えた。
「五等兵・四等兵・見習いにつきましては、指示があるまで私たちの近くから離れないようにしてください」
てっきりテッドのいる場所、螺旋階段まで戻るよう指示されるかと思ったが、違うようだ。
崩落の音――と思われる音はそれほど大きなものではなかった。
しかし重量のある物質が床に落ちる鈍い音、そして砂が流れる軽い音があったことは確か。
老朽化か外部からの衝撃かは不明だが、間違いなく天井か壁の一部が欠落し、外から砂がが流れ込んできたと見ていいだろう。
「・・・」
ラインは前方を瞬き一つせずに睨む。
腰の剣をいつでも抜けるよう、やや半身の姿勢だ。
他のメンバーも倣って、同様の姿勢を取る。
そのまま何秒経過したのか。
無言のまま待機するのがここまで息苦しいものとは思っていなかったミリガンは、呼吸を荒くしながらも身を縮めて状況が動くのを一心に待った。
そして静寂を破ったのは――、
「あ?」
という間の抜けた声だった。
その声を誰が発したのかは些末なことだ。
問題はなぜそんな声が上がったのか。
「っ!?」
ラインは手に持っていた蝋燭を前方に放り投げる。
蝋燭は床を点々として転がり、おぼろに床を照らす。
ちょうど貯水槽の縁に蝋燭は突き当り、その動きを止めた。
ラインの行動に合わせて、ミトが麻袋から素早い動きで蝋燭を抜き出して火を灯した。
縁の向こうは貯水するための槽があり、こちらからは死角になっている空間だ。
その空間から何かが這いずり、縁に異形の手がかかる。
異形と表現したのは見たままの通りだ。
暗い空間だからこそ、実際がどのような色をしているかは分からないが、蝋燭に照らし出された手は濃緑とも黒緑とも言える色をしていた。人のものではない。類似するものを挙げるなら、蛙に近いだろうか。小さな疣が皮膚上に浮かんでいる。
ラインは意識を前方から逸らさずに、隣のチームの様子を確認する。
そして先ほどの間の抜けた声の原因も理解する。
声の主は隣のチームの五等兵だったらしい。
床に力なく倒れており、近くにいた四等兵が介抱している様子が伺える。
同時に前方にあった気配が前触れもなく消えるのを感じ取った。
「総員、戦闘態勢! 敵は想像以上に速い! 懐に潜られる前に対処するように!」
ラインの声がフロア全体に響き渡るのと、各々が剣を抜く音が響くのはほぼ同時であった。
「やろぉ!」
バジルが大声を上げながら蹴りを繰り出す。剣を振るよりも予備動作が少ないための蹴りなのだろうが、予備動作が少ない手法を取ったということは、それだけ近い場所まで敵の侵入を許していたことに他ならない。
バジルの蹴りは相手に掠ることもなく、空を切る結果となった。その結果、相手も距離を取ったので、有効な行為であったとことは間違いないだろう。
(魔獣――!? ・・・暗がりで特徴が掴みにくいですね!)
「ライン!?」
「分かっています!」
ミトの声に呼応して、ラインはすぐ右横をロングソードで薙ぎ払う。
しかしその軌道を嘲笑うかのように、影はするりと躱し、再び暗がりの奥へと消えて行った。
猪突猛進で攻め込んでくる魔獣とは一線を画すようだ。
剣の軌道を認識したうえで正確に避けているところを見ると、相手は暗視に長けている可能性も出てきた。
「相手は暗闇の中でも自由に動けるようです! 相手の見ている景色が自分と同じだと錯覚しないよう注意してください!」
「了解!」
「おうよ!」
「分かりました!」
バジル、ミト、ゲネルバウトが各々肯定の意を返し、ミリガンたちを囲むように陣形を取る。
相手もこちらを敵として定めたのだろう。先までの静寂もどこ吹く風。周囲を駆け回る音がいくつも響いてくる。
「蝋燭に火を! 光を絶やさないようにしてください!」
「は、ははははっ、はぃ~!」
ミシガンを初めとして、五等兵にも混乱が見られるが、こうして明確な指示を送ってくれるのは有り難い。どんなに平常心を失いつつあっても「蝋燭に火をつける」という分かりやすい目的を与えられるから、間違った行動をとらずに済む。
と、その時であった。
各チームの背後から、人一人分ほどの火球が飛来してきた。
火球はラインたちの前方部分で地に激突し、四方に炎を巻き上げながら飛び散った。
瞬間的ではあるが周囲を蝋燭の火よりも明るく照らし、敵の数・容姿などを垣間見ることができた。と言っても、あくまでも火球が照らす範囲なので、それが全てと思い込まないように自戒する。
少なくとも敵の数は15。
人型に近い姿だったが、酷く猫背で、全身が疣に包まれていて何処に目や鼻などの部位があるかも分からないほど、気味の悪い濃緑の魔獣であった。まるで全身を皮膚性腫瘍に覆われたかのような姿だ。
石造りの地面のため、火球による火災は広がらずにすぐに霧散していった。
再び暗い世界が戻ってくる。
「テッド副隊長」
火球を投げつけた火の魔法師でもあるテッドが合流する。
「城内に入り込まないよう、螺旋階段の上は閉じてきました。と言っても・・・穴を開けられちゃ防ぎようがありませんからね。ここで殲滅するのが最善でしょう」
冷静にそう告げて、テッドはロングソードを抜く。
「ええ・・・しかしこの魔獣、私の知識には無いものでした。テッド副隊長はご存知でしょうか?」
「チラッと見えた限りじゃ、僕も見たことがない魔獣でしたね。生理的にちょっと苦手な外見をしていたので、できればすぐに焼却処分したいところです」
「そうですね、早々に立ち退いていただきましょう」
不敵な笑みを浮かべる二人の兵士。
その頼もしい背中をミリガンは仰ぎ見て――、ふと違和感を感じた。
チクリとこめかみを締め付けるような痛み。
極度の緊張のためか、全身が重い感じがした。
第二部隊と正体不明の魔獣との戦いは、リカルドが駆けつける二十分前に幕を開けたのであった。
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リカルドが地下浄水跡地の入り口に着き、その扉を解放した時に感じたのは違和感であった。
扉の向こうから流れ出てくる異質な空気。
思わずリカルドも口元を覆い、片目を瞑った。
「アァ? んだこの胸糞悪ぃ空気はよぉ!」
テッドやラインがいる部隊だ。
リカルドとしても過度な心配はしていなかったのだが、この不確定要素は彼の心中を揺するのに十分な材料であった。
螺旋階段を降りるにつれて戦いの音が聞こえてくる。
音、と言っても戦闘を行う者らの声だ。
どうやら既にサリー・ウィーパはここの地下にも侵入しているらしい、とリカルドはその足を早める。
既にクレイモアは抜身の状態だ。
階段を降り切り、戦場と化した地下浄水跡地に足を踏み入れる。
「・・・・・・!」
リカルドは反射的に左手で口を覆う。
同時に状況を確認する。
既に何人かが倒れているようで、生死については遠目のため判断がつかない。膝を地につけている兵士も多々見受けられるが、過半数には満たない数だ。
自分の目を疑う。
いかに魔獣との実践機会が少ないとしても、自身が剣を交えて実力を測ってきた第二部隊の面々だ。
生半可な相手で地に膝をつける程度の実力でないことは、己の剣を通して理解している。
相手が相応以上の力を持っていたのか?
地面に転がる幾つかの蝋燭の火に照らされて、濃緑の怪物と兵士が戦っている様子が見えた。
確かに素早い。
魔獣と思われる濃緑の影の攻撃手法は分からないが、中途半端な斬撃は簡単に躱せるほどの速度を維持して立ち回っているようだ。
「チッ、何してやがんだぁ、コラァ!」
苛立ちを隠さずにリカルドは戦場の真っただ中へと走っていく。
悪態をつくものの、本心では死人が出ていないかどうかの方が心配だ。
すぐにテッドかラインに合流し、魔獣の対処をしつつ現状を確認する必要があった。
こちらに気づいた魔獣が一体、ジグザグにステップを刻みながら近づいてくる。
「邪魔だぁ!」
一喝のもと、すれ違いざまに斬る棄てる。
が、手応えが感じられない。
寸前を見切られ、躱されたようだ。
リカルドは舌打ちと共に足を止め、背後から折り返して襲ってくる魔獣と対峙する。
「ゲェ・・・ゲッゲ・・・ゲェッ」
喉から絞り出すかのような濁った声が魔獣から漏れる。
嗤っているようにも聞こえるが、顔と思われる部位も疣で覆われている為、その真意は読み取れない。
「キメェな、オイ!」
たまたま火の消えていない蝋燭が近くに転がっていたため、その姿を見ることができたが、可能であれば見たくない醜悪な姿であった。
魔獣が地を蹴り、こちらに掌を伸ばしてくる。
受けるか避けるか迷ったが、リカルドは最終的に斬り伏せる方向で向かい討つことにした。
巨大な刀身が彼の剛腕によって振るわれる。
しかし、これも見切られていたのか、魔獣は背を仰け反らせて横薙ぎの一撃を躱し、リカルドの姿勢が流れたところで再び右手の掌をこちらに伸ばしてきた。
掌を観察する。
同時に吐き気を催す。
何とも醜い生態だ、と奥歯を噛みしめる。
魔獣の掌。
そこには無数の小さな口と思われる気管があり、それぞれが鋭利な牙をむき出しにしていた。
一応、人型をしているものの、奴らの摂食気管は掌なのかもしれない。常識というものを破壊するその存在にリカルドは「マジでキメェ!」と嫌悪感を露わにした。
掌がリカルドの顔面に接触する瞬間、魔獣の胴体が「く」の字に折れ曲がる。
魔獣の腹部にリカルドの丸太のような膝がめり込んだせいだ。
体中の疣から白濁とした体液を噴出させ、幾つか体に浴びてしまった。それがリカルドの機嫌を悪化させる。
「グゲェッ!?」
「汚ねぇゴミだなぁオイ。一刻も早く掃除しねぇと気が収まらねぇぞ!」
宙に全身が浮いた魔獣に回避する術は無く。
縦一線に振り下ろされたクレイモアの刃に、魔獣は真っ二つに切り裂かれて絶命した。
死後痙攣している二分された魔獣の亡骸を見下ろし、何度目かになる舌打ちをする。
「つかこいつ等なんなんだよ! サリー・ウィーパがいねぇで、何でんな趣味の悪ぃ奴が続々と沸いてんだぁ!? 意味わかんねぇぞ!」
悪態と共に、一際大きい音と光が背後を照らす。
振り返ると、少し離れた場所に炎が巻き上がっていた。魔獣も何体か巻き込まれたようで、炎上しながらも千鳥足でもがいている影が幾つかあった。
「テッドか!」
リカルドは炎の発生源である副隊長の位置を確認し、すぐさまそこに向けて走る。
道中で彼の姿に気づいた隊員が「隊長!」「隊長が来たぞ!」と声をかけてくる。
彼らに視線だけで返事し、リカルドはまっすぐ火の魔法師の元へたどり着いた。
「リカルドさん・・・」
リカルドの姿を確認し、こちらに顔を向けるテッド。
文句の一つでもぶつけてやろうかと思っていたリカルドだが、彼の疲労の濃い表情を見て、そんな感情は吹き飛んでしまう。
「何が、あった・・・!?」
「申し訳ありません・・・僕にも計り切れない、何かが起きているみたいです・・・」
側頭部を抑え、痛みに耐えるかのように顔を歪めるテッド。
彼は倒れてしまった兵士たちを守るように、後ろで蹲る多くの兵士の前に立ち、魔法を駆使して敵の進攻を食い止めているようだ。
「負傷者についてはライン君たちがフォローに回り、可能なら僕のところに連れてきてもらうよう指示しています・・・」
「オイオイオイ、こんな魔獣に後れを取るほど軟弱に育てた覚えはねぇぞ? 純粋な戦いで押されてるわけじゃねえな・・・何がそうさせた?」
「魔獣自体は確かに動きは速いものの、対応は可能なものでした・・・。しかし、ぐっ!」
膝を折り、倒れ込むテッドを慌てて支える。
「オイッ!?」
「どう、も・・・敵の、何らかの副次的、な力でしょうか? 毒の類かもしれませんが・・・、体調に異変を漏らす者が、続出しまして・・・」
「体調だぁ?」
「現在、把握しているのは・・・奴らの手に噛まれた者は、麻痺毒、のようなものを受けて、行動が不能になるようです・・・。しかし、それ以外にも・・・この頭痛や眩暈は、ぐっ――、厄介極まりないものです・・・」
リカルドの支えから、何とか自分の足で立ち、テッドは片目を苦しそうに閉じながら報告する。
確かに異常と言ってもいいほど、ここの空気は悪い。
息苦しさを覚え、呼吸を阻害する何かが蔓延しているとしか思えない感覚だ。
「・・・テメエはもう休んでな。ラインたちは俺が回収してくる。ついでにキメエ魔獣も全滅させてやらぁ」
リカルドに肩を押され、倒れそうに踏鞴を踏むも、テッドは「いえ・・・」と首を振った。
「僕も一応・・・副隊長ですので。こうして・・・リカルドさんの顔に泥を塗って、しまった以上・・・偉そうな口を利くのも、お恥ずかしいところですが・・・」
「ケッ、説教は後だ。仕方ねぇ・・・今は出来ることをやりな。――無理はすんなよ?」
言い方は非常に粗いが、その奥にある部下を想う優しさが見え、テッドは申し訳なさ半分、嬉しさ半分の気持ちで笑みを浮かべた。
「こういう時は・・・お礼をいうべきか、謝罪を述べるべきか、・・・いつも判断に迷います・・・」
「言わなくても伝わってらぁ。いいからもう余計な体力は使うな。最小限で切り抜けろ」
「・・・了解です」
目を閉じるテッドに背を向ける。
視界は暗澹たる闇の世界。呼吸をすれば澱みが肺を犯してくる。次いでは暗視気管を持っているだろう魔獣と原因不明の毒素。
麻痺毒については注意していれば対応はできようが、それ以外の空気を満たす瘴気については対応策が思い浮かばない。
しかしやらねば、やられるのは自分たちだ。
「――ぶっ潰す」
猛獣が咢を開き、開戦の笑みを携える。
何が起こっているのか、そんな論理めいた議論は後でいい。
今は目の前にいる敵を赴くままに叩き斬る。
それだけで十分だ。
「オオオオオオオオオオオオオォォォォォッ!」
咆哮を上げたリカルドは、思惑を超える事態となった地下浄水跡地という戦場に参戦した。




