第33話 再び東門へ
「しかし不用心だな」
「なにがー?」
アヴェールガーデンから上がり、通路で退屈そうに座り込んでいたリカルドを回収し、そのまま来た道を戻る中、ヒザキの呟きにルケニアが反応する。
「アヴェールガーデンに至るまでのこの道だ。見張りも扉も何もない。これではどうぞ入ってください、と言っているも同然じゃないのか?」
アヴェールガーデンの管理者、ウィートも国に悪さしようとする蛮族相手に無双できるような強さを持ち合わせているようには思えなかった。
おそらくは定期的に国有旗に土魔法を流し込む役目だけを担っているのだろう。
ではこの解放された道からアヴェールガーデンまで、誰が護っているのか。
その疑問にはルケニアが答えてくれた。
「ふっふー、そこには色々と秘密があるのだよー」
訂正。答えにならない答えを答えてくれた。
「・・・――」
また違和感を感じる。
ここに来る最中にも感じた気配だ。
視線のような感じだが、どうにも人の気配自体は感じない。そもそもその視線は人のものかと言われれば、違う気もしてくるほど曖昧な感覚だ。故に気味が悪い。
「何かいるのか?」
「・・・『いる』ねぇ。ヒザキ君ってさ、結構この短い期間で何度も『この人って何者!?』って思うことが多いんだけど、いやほんとに何者?」
「ヒザキだ」
「うわー、わざと言ってるよね、それー!」
「ほぅ、分かるのか?」
「あのさ、表情を一切変えずに言われても、本気か冗談かぜんっぜん分からないから、せめて何かしらの表情を浮かべようよー・・・まあ言いたくないことは聞かない主義だけど・・・」
「助かる」
「え? ここは『仕方ない。ならばルケニアだけに教えることにしよう』ってなる場面じゃないの!?」
「何を期待しているんだか・・・ん?」
そこでヒザキは一つ思いついたことを実践することにした。
この長い通路をただ歩くだけではつまらない。ルケニアが自分の思い描いている人間かどうか、一つ調査することとしよう。
「ルケニア」
「なーにーよー」
子供のように頬を膨らませる姿は、つい先刻、ミリティアに言葉をかけた時とは真逆のように見える。
どちらが本当の彼女なのか。
正解を言えば「どちらも」なのだろうが、予想しないことが起こった際に、どちらの顔が出るかを知るのは実に興味深いことだと思えた。
ヒザキは少しだけ気配を消し、そっとルケニアの耳元に口を近づける。
そして、
「仕方ない。ならばルケニアだけに教えることにしよう」
と囁いた。
「ぴゃあああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
返ってきたのは想像以上のリアクションであった。
どうやら、このテンションの方が彼女の「素の反応」であるらしい。
十分な検証結果を得られ、満足げに息を漏らすヒザキの背後から声をかけられる。
「ヒザキ様?」
口調は変わらず、しかし背中から感じる気配は――静かな怒りだった。
今にもエストックを抜きかねない気配に、ヒザキは両手を上げ、
「すまない、度が過ぎた」
と素直に謝った。
「ふぅ・・・、後でルケニアにも謝ってください」
「わかった」
驚きで遥か前方まで走り去っていった女性の姿を見て、どのタイミングで言おうかと考えていた時だ。
急にルケニアが何かにぶつかったように吹き飛ぶ。
どうやらこの通路の出口付近、曲がり角で誰かと衝突したようだ。吹き飛び方からして大事には至らないだろうが、このままのペースでゆっくりと歩いていく雰囲気でもないので、ヒザキたちは小走りでルケニアのところに向かうことにした。
近づくにつれ、ルケニアと衝突した相手の声が聞こえてきた。
「うおっ・・・ル、ルケニア様でしたか! そ、その申し訳ございません!」
「うぅ~・・・こちばっかりロクな目に会ってない気がするぅ~・・・」
相手は男のようだ。
体格はそれなりに大きい。筋骨隆々とまでいかずとも、適度に鍛えられた肉体を持っているように見受けた。
近づくにつれ、曲がり角に隠れていた人物の全容が見えてきた。
そこで相手が手にロングソードを持っている姿に気づく。
「――ルケニアッ!」
ミリティアはその男が武器を手にしていることを視認した瞬間、体中のギアを上げて駆け上がった。否、ヒザキは確かに僅かながらの魔素の存在を感知した。どうやら純粋な身体能力ではなく、風の魔法を使ってのブーストも用いたらしい。魔法陣が展開、砕け散る瞬間すらも見逃すほど、小さな魔法陣を展開したのだろう。傍から見れば突然加速したようにしか見えなかった。
速い。
このスピードに生身の人間が対応することは、ほぼ不可能だろう。
ものの数秒で男とルケニアの間に割り込み、素早く抜いたエストックの切っ先を男の首元に突きつける。
「うぇっ!?」
少し間をおいて、遅れてきた風圧がルケニアたちの髪をなびかせた。
剣先を喉元に突きつけられた男も驚愕の表情で声を漏らす。
「おいおい、マジか」
その光景を前方を走っていたリカルドが唖然とした声でつぶやいた。
それも当然のことだろう。
突然背後から疾風のごとく、影が飛んでいったかと思えば、既にルケニアの前に立っているのだから、とても信じられない光景だ。
「殺気は感じられないな」
相手からは戦意は感じられない。
気配は彼女らを除けば二人。
もう一人は事態についていけず狼狽している姿が見えた。
どちらも鎧を身につけているようだが・・・ロングソードを手に持つ男の方はどうにも奇妙な出で立ちに見えた。
「ありゃあ・・・たしか第三部隊の」
「ああ、ビッケル君だね」
よく見れば狼狽している自分と一緒に面接を受けた仲である――確かカリーと呼ばれていた青年であった。
彼女たちのところにたどり着くと同時に、ミリティアも相手に殺気がなく、様子がおかしいことに気づいたようだ。
「む・・・、貴方は」
「えー、ええっと・・・ミリティア様にお会いできるのは非常に光栄なんですが・・・。あー、出来れば剣を退いていただけると嬉しいですねぇ・・・」
「確か・・・マイアーの部隊の」
ミリティアはスッと剣を退き、鞘に納めた。
続いてルケニアがそろそろと立ち上がり、ずり落ちた眼鏡の位置を直す。
「失礼、賊の類かと勘違いを」
「い、いえいえ! そりゃまぁ抜身の剣を持ってりゃ誤解もしますよ! こちらこそ、すんません!」
「ビッケル君」
「ええっ!? ギリシア総隊長!? い、一体どこから・・・リカルド隊長まで」
ビッケルと呼ばれた男は声をかけたギリシアにひどく驚きを見せていた。
まるで、突然湧いて来たかのような反応だ。
ミリティアだけにその反応を見せるのならわかるが、普通に走ってきた彼らにその反応はおかしい。
(まさか・・・)
ヒザキはその反応に一つの懸念を覚えた。
背後を振り返る。
「・・・」
そこには壁があった。
先ほどまで自分たちが走ってきた通路は無く、壁があったのだ。
手で触れてみるが、実際に「壁がある」感覚が手から伝わってくる。幻影の類ではないようで、通り抜けることもできないようだ。
「あ、それも防衛策の一つね~」
ヒザキの様子に気づいたルケニアがいつの間にか横に来ていて、さり気に教えてくれる。
原理は分からないが、なるほどと思えた。
ビッケルの反応からするに、ここを通る際に壁が開閉したなどの動きもなかったのだろう。それだけの大きな仕組みが身近で動けば気付かない筈が無いからだ。つまり自分たちが壁を通り抜けたことは間違いない。ただし一方通行であり、何かしらの条件を揃えないとこちらからは通り抜けられない仕組みのようだ。
これは確かに――城そのものを解体でもしない限りはアヴェールガーデンにはたどり着けないかもしれない。
「興味深い、が・・・今はその話をしている場合ではないか」
「みたいだね。・・・あ~、というか、ね? さっきのは・・・ええっと・・・」
急にもじもじするルケニアを見下ろし、先ほどの検証を思い出す。
「すまん、冗談だったんだ」
「知ってたけどね!」
思いのほか怒られた。
あまり女性に対してやるものではないなと反省することとしよう。
ルケニアとの会話に区切りがついてしまったため、ビッケルたちの会話に耳を傾けることにした。
「おめぇ、その腕っていうか・・・なんだこりゃ?」
リカルドが拳で何回かビッケルの固まった部分を叩く。
コンコンと無機質な音が返ってくる感触に、リカルドは眉をひそめた。
「いてっ、あたっ・・・あ、あのーリカルド隊長・・・今、肩が外れてるんであんまし衝撃を与えないでもらえると・・・。先ほどルケニア様と衝突した際も言葉にできない激痛が走ったばかりでして・・・」
よく見れば彼は涙目だった。
リカルドもそれが本気だと察したため「悪かったな」と一言入れてから、手を引っ込めた。
「手甲から指にかけても固まっていますね・・・まるで蝋で固められたみたいに。なるほど、それで身動きできずに剣を持ったままだったのですね」
「そんな感じですわ。ああ・・・、そのことでギリシア総隊長にご報告が。この格好のままでいることをご了承いただけると助かります」
「ああいいよ、気にしないで。何があったんだい?」
「報告します!」
ビッケルが声を張り上げると同時に、後ろで控えていたカリーも慌てて姿勢を正した。
「我ら第三部隊は東門付近を巡回中、サリー・ウィーパと思われる魔獣と遭遇、これと戦闘を行いました! 私が戻ってきたのは、サリー・ウィーパが出現したことと、奴らの特殊な攻撃方法を総隊長および第二部隊に伝達するためであります!」
『――!!』
その報告に全員が目を見開く。
「ちょっ、え? それじゃこの固まってるのが――もしかして鋼液!?」
「こうえき・・・? その呼称は分かりませんが、奴らは妙な液体を噴出し、それに触れたものを硬貨させる性質を持っているようです」
「うわっ、それって鋼液まんまじゃん!」
「どういうことだ?」
ルケニアの言葉に隠れるようにミリティアが呟く。
ギリシアも同様に眉をひそめた。
「ということは伝令は間に合わなかった、ということかな?」
「伝令、ですか? いえ・・・特にそういったものは来ておりませんでしたが・・・」
「なんだと?」
ビッケルの回答に今度はリカルドが喉を鳴らしながら聞き返す。
その圧力にカリーが肩を震わせたのが分かる。
「おい爺さん、こいつぁ・・・」
リカルドにギリシアも頷き返し「ああ、嫌な予感しかしないねぇ」と返す。
「まずは第二部隊のところへ、リカルド。向かってくれるかな? 鋼液の情報も通っていない可能性もある。そこも共有しておいてくれ」
「ああ!」
言うや否や、リカルドはすぐに踵を返して走っていった。
第二部隊の配置された地下浄水跡地に向かったのだろう。
「女王蟻については明日決行にしよう。今は攻め入ってきたサリー・ウィーパの対策が先だ。ヒザキ君、非常に申し訳ないのだが・・・東門の方をお願いすることは可能だろうか?」
「俺に?」
「君は――東門を飛び越えたのだろう? だとすれば、君が一番早く現場に向かえると思ってね」
「・・・わかった」
「そういうことならば、私も――」
ヒザキが了承し、そこにミリティアも手を挙げてきたが、ギリシアは首を横に振る。
「ミリティア嬢、君はできればルケニア嬢ちゃんを安全な場所まで連れて行ってほしい。彼女の安全を確保できた後は君の判断に任せるよ」
「――了解しました」
その一言で全員が察した。
敵はサリー・ウィーパだけでない可能性を。
「お、俺たちは・・・っ」
「君たちはまず医師のもとに向かいなさい。カリー君、ビッケル君を頼むよ」
「あ、はっ、はい!」
カリーが慌てて返事を返し、ビッケルに肩を貸す。
ここまでそうやって歩いてきたのだろう。ビッケルも何も言わずに肩を借り、そのまま二人は医務室があるであろう方向へと歩き始める。
去り際にカリーがこちらの様子を伺うように見てきたが、何も言わずにそのまま去って行った。
「アンタはどうするんだ?」
ヒザキの問いにギリシアは一瞬だけ辛そうに眉を顰めたが、すぐに気持ちを切り替えた。
「俺は・・・ちょいと城内を調べてくるよ。この予感はハズレであってくれることを願うばかりだね・・・」
「・・・そうか。では行ってくる」
「ああ、頼む」
「気を付けてね、ヒザキ君」
「ああ」
短い会話の応酬をかわし、ヒザキも踵を返す。
どうにもサリー・ウィーパとは別に、国全体に良くない空気が流れている。
それがこの時に感じた、率直な想いであった。
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ギリシアらと別れ、数分ほど王城内の廊下を進んだあたりでヒザキは足を止めた。
良く考えれば今自分がいる場所が、王城のどのあたりであって、どちらの方角に行けば出口があるのか全く分からないことに気づく。記憶力は悪くない方だと自負しているが、如何せん、今日は初めて訪れる場所を転々とした経緯がある。さすがに面接を受けたあたりの場所まで順を追って遡れるほど覚えてはいなかった。
「・・・」
今さら戻って「出口を教えてくれ」とも聞きづらい状況だ。
ヒザキは「仕方ない」と言わんばかりに息を吐き、近くの窓を開ける。
しかし外の光景は荒廃した砂の庭ばかり。どうやらここも中庭の一つのようだ。
中庭と同じ高さであることから、ここが一階部分だと分かる。アヴェールガーデンが地下だったのだから、そこから上がった先が一階ということは間違いはないだろう。
その中庭に窓を飛び越えて着地し、上を見上げる。
王城は国の中でも高台に位置する。
つまり上に登れば、国の全容も見えてくるのは道理であるはず。
「・・・登るか」
幸い東門と同様で、城の外も足場となる部分は多い。
ヒザキは登る判断をするや否や、迷いなく足場に足をかけ、軽快に城の壁を昇って行った。
隻腕のため、腕の力だけで登る個所については、どうしても体のバランスが崩れて時間を要したが、それでも一般人からすれば「あり得ない」と呟いてしまうほどの速度で駆け上がっていった。
あと四手。
右足に力を入れて窓の淵に手をかける。
あと三手。
右手だけの力で全体重を持ち上げ、バルコニーと思わしき広場に降り立つ。
あと二手。
そこからジャンプし、円錐型の屋根に足をかける。
ラスト一手。
左足で屋根を蹴って、王城の比較的高い場所に到達。屋根の中心に立つ棒のオブジェを掴み、そこから景色を俯瞰する。
「ふむ」
180度見渡す、までも無く何処が正門側かを確認することができた。
幸いこの場所は、正門や城壁よりも高い位置にあるため、城のどのあたりに自分がいるのかが良く把握できる。
眼下には幾つかの建造物と舗装された道、その先に正門、その更に先にアイリ王国の街並みが広がっていた。
大まかな場所さえ分かれば後は移動するのみ。
ヒザキは進むべき方角を見定めて、一気に飛び降りた。
足場としては危険な円錐上の屋根を器用にかけ渡り、徐々に正門の姿が大きくなってくるのが分かった。
一度下に降りて、正式に門をくぐろうかとも思ったが、おそらく――いや間違いなく足止めを食らうだろう。先ほどの流れで自分が至急東門へ行かなくてはならない話が、既に門兵に通っているとは考えづらい。一般兵の見習いとして面接を受けた帰り、という理由で話せば時間はそこまで取られないとは思われるが、万が一、一般兵は兵舎で住み込み等の事情があった際は詳しく話を聞かれる可能性もある。
どの道、正門を正式に通るのは面倒事以外に他ならないだろう。
(飛び越えるか)
ヒザキは降りるルートから、再び現時点より高い建造物へと移動ポイントを変更する。
時折、窓側にいた人が外を横切る影に何事かと目を向けているのが気配で分かったが、目撃というレベルには至っていないと思われるため、気にしないことにした。
正門に一番近く、かつ城壁を飛び越えられる場所は正直少ない。
王城は正門からの距離に比例して、中心部に近くなるほど背の高い建造物が多くなる。必然、正門近くでは城壁より高い建造物は少ない――というより無い。
正門から城へと至る城門までの距離も離れている為、正直、何かしらの魔法の力でも借りなければ飛び越えるのは不可能と言っていい距離だ。
(ギリギリ、か? 失敗したら恥をかきそうだ)
一瞬、飛び越えられずに城壁に無様に全身を打ち付けるイメージが脳裏を過ったが、すぐに振り払う。
失敗をイメージしては到底成功には至らない。
ヒザキは城壁を飛び越える自身のイメージをしつつ、ジャンプする最後のポイントとなる屋根にたどり着く。今の移動速度による加速を失わないように、そのままの流れでヒザキは右足を全力で踏み込んだ。
――ドゴォォォン!
大きな破砕音。
何事かと理解する前に、目の前の景色が九十度回転する。前を見ていたはずなのに、今は空を見上げていた。
「むっ」
重力の慣性に従って落下していくのを感じ、何が起こったのかを理解した。
どうやら飛び越えるために力を込めた右足は、足場となる屋根を粉砕してしまったらしい。
ヒザキはそのまま床に激突し、上から少し遅れて振ってくる瓦礫に押しつぶされた。屋根だけでなく、屋根を支える外壁も若干壊れてしまったようだ。
さすがにちょっと痛かった。
場所は礼拝堂だろうか。
アイリ王国が何の神を信仰しているのかは知らないが、瓦礫の隙間から何かしらの女神を模ったステンドグラスが見えた。
周囲がざわつく。
誰もいなければ何食わぬ顔で出て行こうかと思ったが、そうも行かないらしい。結局、城壁に体を打ち付けるよりも派手に恥をかくことになりそうだ。
「お、おい! ひ、人が下敷きになっているぞ!」
「へ、兵を呼んで助けないと!」
「こ、これ・・・も、もう助からないんじゃ・・・」
自分を心配する声に悪気を感じてきたので、いい加減起き上がることにした。
右手で瓦礫をどかし、上半身を起き上がらせる。
「きゃぁっ!」
「うおっ!?」
その光景に驚く周囲。
服装を見るに牧師と思われる黒を基調とした服装に身を包んだ老人と、給仕係と思われる女性が数人、こちらを囲んでいる状態だった。ひどく驚かせてしまったようで、怯えた女性もいるみたいだ。
「失礼、少し足を滑らせた」
「は、はぁ・・・」
安心させるよう、出来るだけいつも通りの口調で言葉をかけてみたが、あまり効果がなさそうである。
よく考えれば、自分のいつもの口調で誰かが安心した試しもないので、無駄な試みでもあったかもしれない。
大きな音を立てて瓦礫を押しのける。
ゆっくりと立ち上がって、体中に乗っかっていた小さな石の破片を払い落とす。
良く見れば、礼拝堂の木製長椅子を幾つか巻き込んでいたらしく、粉々の木片へと化してしまった長椅子がそこかしこに散らばっている。
「あ、あのお怪我、は・・・? い、今・・・兵の方をお呼びしますので、医務室へ・・・」
勇気を振り絞って給仕係の女性が話しかけてくる。
不測の事態に対する不安より、他者を案じる感情の方が優位に立ったのだろう。
「いや大丈夫だ。騒がせてしまい申し訳ない」
最悪、サリー・ウィーパの件で兵一人すら惜しい状況になるかもしれないのだ。
ここで余分に負担をかける必要もないため、ヒザキは手で女性を制して断りを入れた。
「そ、そうです、・・・か?」
ヒザキの爪先から頭まで何度も見直す女性と、未だに状況を理解できないままでいる牧師たちに向かって、詫びの気持ちを含めた一礼をする。
「この惨状については・・・ギリシアかルケニアに『ヒザキが落ちた』とでも伝えてくれば・・・理解してくれると思う。・・・多分」
彼にしては珍しく曖昧な物言いだった。
歯切れの悪い言い方に不信感を持ってもおかしくないが、幸いにして口にした名前が効果覿面だったため、特に言及されることはなかった。
「ギリシア様とルケニア様!?」と声を裏返す給仕の女性。
「い、一体何が・・・起こっているのでしょう?」
恐る恐る牧師の老人も尋ねてくるが、上手く説明できる自信も無かったため「二人に聞いてくれ」とあしらった。
冷たい対応と思われても仕方が無いが、時間が惜しいのも事実。
どちらを優先かを天秤にかけるなら、言うまでも無くさっさと東門に向かうことであった。
まだ何か言いたそうにしている周囲の人間の間を押し通って、ヒザキは駆け出す。
背後から「あっ」と声が聞こえたが、心中詫びをいれながら無視した。
(・・・結局、正門を通ることは免れないようだな)
急がば回れ。
そんな諺を思い出す。
(こういう挑戦は時間に余裕がある時にしよう)
一人でいるときはそんな考えなど微塵も浮かばなかったというのに、この国に久しぶりに来てからは色々と考えさせられる。上手く事が運べず、歯がゆい感覚を味わうことが多いものの退屈はしない。退屈でない、ということは悪くないものだ。今こうして生の実感を踏みしめる感覚を与えてくれるからだ。
落ちた場所は把握しているので、正門へ向かうにはどちらへの道をたどれば良いかは想像ができる。
通路を駆け、城門を抜け、正門へたどり着く。
入った時と同様で、検問用の狭い小口を通る必要があるため、どうしても詰所にいる門兵と接触する必要がある。ヒザキは門兵と話をするために、詰所付近に近づくにつれて走る速度を緩めた。
が、ちょうど視線の先で検問用の扉が開くのが見える。
どうやら別件で誰かを通すために、門兵がその扉を開いたようだ。
ヒザキの脳内で天秤が傾く。
いちいち話をするのが面倒 > 門兵に事情を放して正式に出る
という式のように傾く。
我ながら傍迷惑かついい加減な性格なものだ。
理解しているならば治せば良いものの、特定の誰かと長く歩んだことが久しくないヒザキとしては、強行突破の末にかかる門兵への影響が「重い」とは認識できなかった。特に今は急ぎの案件を抱えているため、なおさら優先順位は低いものと判断する。
再び加速。
迷いなく検問用の入り口に向かって走る。
距離が縮まり、目と鼻の先までとなった段階で門兵がこちらに気づいたが、既に遅い。
ヒザキと門兵が交差する――その間際に跳躍して彼の頭上を越える。
門兵は当然ぶつかると思い込み、両手で顔を覆って防御姿勢に入ったままだ。そんな彼の頭上を見下ろしながら、ヒザキは扉の向こう側へ着地。
「悪いな、急いでいるんだ」
と何の免罪符にもならない置き言葉を残して、再び東門へ向かって走り出すのだった。




