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テトラ・ワールド  作者: シンG
第1章 建国~砂漠の国~
28/96

第28話 東門前砂上 第三部隊布陣

「嘆かわしや・・・」


「え?」


独り言に近い言葉だったが故に聞き逃してもおかしくなかったものだったが、何故だか自分に向けられた言葉のように感じて、思わずマイアーは聞き返してしまった。


「あ、いえいえ・・・お構いなく」


そんなマイアーを手で制し、苦々しい表情でかぶりを振る壮齢の兵士。

思えば他の兵士もどこかマイアーに一瞥を送りつつ、はぁ、と眉を下げながらため息をついている姿がチラホラと見受けられた。


「・・・え、なに?」


一度気になると、どこまでも気になってくる。


場所は西門。

第三部隊がちょうど全員集合し、今から今日の巡回および訓練の説明を行うところだった。

のだが、マイアーを見るや否や、似たような反応が男の兵士から見られたため、マイアー的にはそちらが気になって説明どころの気分ではなくなっていた。


「そーいや、こないだしょっ引かれた衛兵って、どーなったんですかねー? 代役って立ったのかな?」


そんな言葉を言いつつ、こちらに歩み寄ってきたパリアーに尋ねてみる。


「ねぇねぇパリっち、なんだかおかしくないさね?」


「え? 隊長がですか? そんなのいつものことじゃないッスか」


「え、どゆこと? 気になることが増えたんだけどねぇ・・・」


首を傾げるマイアーを無視して、パリアーは周囲を眺めまわした。

そして「んー」と口元に指を当てて、合点がいったかのように「ああ」と頷いた。


「わかった! 隊長の匂いが原因ッスね! ねっ、あんたもそう思うッスよね?」


その言葉に男性兵士全員がビクッと肩を動かす。

言いにくい事をはっきり言うなよ、と暗に示しているかのように全員が目を微妙に逸らす。

そして突然話を振られたカリーは「ええっ!?」と驚き、ジト目でこちらを見ているマイアーをなるべく見ないようにして「さ、さあ・・・、どうなんでしょう?」と誤魔化すことにした。


「隊長、やっぱり臭いッスよ。外に出ても全然薄まらなかったッスね」


「パ、パリっち・・・もう少し言葉を選んでもらえると助かるんだけどねぇ・・・」


「えー? 世間体を気にするなら、ちゃんと日ごろから気を付けていりゃいーんすよ。いー加減な生活ばっかしてるから、たまにはこーいう面前の場で身に染みるといいと思うッス」


「むぅ・・・辛辣」


正論が故にマイアーは頬を膨らませることでしか異議を表現できず、それ以上は何も言い返せなかった。


「そんなに・・・匂う?」


スンスンと鼻をならして、控室の時と同様に自身の腕や髪を嗅いでみるが、自分の匂いは慣れてしまっているせいか、臭いはするものの許容範囲なのではないかと思える程度だった。


「別にハエとかたかってないのにねぇ」


「隊長の匂いのヤバさラインはそこッスか・・・」


げんなりした表情で肩を落とすパリアーと、その女子力の欠落に残念そうにため息をつく男性陣。

新人のカリーはさすがに初めて会った隊長に対して、そこまでの非礼とも見える行為はできずに、苦笑を浮かべたまま固まっていた。


「んー、やっぱあの香水がイケなかったッス。あれとブレンドしちゃったために隊長の臭さが異臭へと進化しちゃったのは否めないッスね」


「異臭って・・・」


(あ、ちょっと泣きそう・・・?)


パリアーの容赦のない言葉が、さすがにマイアーも心に刺さったのか、その端正な顔が少しだけ歪んだのを見て、さすがにカリーも居た堪れない気持ちになってしまう。


カリーがパリアーにそんな心情を含んだ視線を送ると、「むっ」と彼女も気まずそうに口をつむんだ。


「ま、まあ? 隊長もせっかくの美人なんですから! これに懲りたら、今後はきちんと清潔にしてください!」


「うん・・・」


しょんぼりと頷く隊長の姿を見ていると、どちらかと言うとパリアーの方が隊長なのではないかと思えてくる光景であった。


(マイアー隊長は大人しい人なのかな・・・? いやでも・・・噂だと第二と第三は戦闘狂集団って聞いてたんだけどなぁ。何だか調子が狂うというか何というか・・・)


「と、とりあえず・・・気を取り直して行くさねぇ」


心なしかはねた髪を整えつつ、マイアーは咳払いを挟みながら隊員たちを見渡した。


「えー、これから砂漠の巡回に向かいます。以上」


短っ!?

という言葉が思わず出そうになったが、先ほどのパリアーの件もある。

カリーは慌てて言葉を飲み込んで、他の隊員の雰囲気を確かめるために周囲を見渡した。


「はっはっは、隊長らしいですな」


「まあ巡回程度に詳しい作戦もクソもありませんな」


「よっし! サクッと行ってビシッと終わらせていきましょう!」


どうやら、いつものことのようだ。

マイアーもそんな隊員の反応に、満足そうにほっこりと微笑んでいる。

危うくここで変なツッコミでも入れようものなら、今度は全員から指導を受けていたかもしれない。

危ない危ない・・・・・・いや、ダメだろう。


「ちょっとパリアーさん、こんなテキトーな指示でいいんですか?」


すぐ隣にいた小柄な女性に耳打ちをすると、彼女も「わかってるッスよ・・・」と諦めにも似た表情でため息をついた。


「えーっ、とりあえず! 今回の巡回は塀の外回りに異常がないかを確認するための任務ッス! 範囲はおおよそ塀から50メートル圏内、距離の目安は塀を遠目に見た時、んー・・・大体こんぐらぁーいに感じるあたりが目安ッス!」


と、パリアーが声を張り上げ、両手を伸ばして50メートル離れた際の肉眼で感じる塀の高さを表現する。

実際には人が感じる物の大きさとは、実際の距離ではなく角度で感じるため、パリアーの感覚が全員と一緒かどうかと言えば違うわけだが、小さい体を目一杯に伸ばして塀の高さを表現する彼女に、男性兵士らは「うんうん」と笑みを浮かべながら頷くのみだった。


まさにその目は子供を見る親の目。

むろん、そんなことを口走れば先ほどよりも酷い目に合うのは火を見るよりも明らかなため、カリーは内心苦笑しつつ口を開かないようにしたが。


「ま、50メートルってのは砂嵐が起きても塀を見失わない距離の指標ッスからね! よーは砂嵐で迷子にならないような範囲での巡回ってことッス! 言うまでもないと思うッスが、今日は新人もいるんで念のために言うけど、フールまで行かずとも小さな砂嵐でも簡単に方角を見失うッス! 国の中と同じ感覚でナメてると、二度と帰ってこれないかもしれないので気を付けるッス! と言っても、あたしも経験したわけじゃなく、どっかのロリの癖に巨乳で眼鏡かけて天然入った奴の忠告だけど、まー・・・一応、天才ってやつだから信用に値はするッス」


ロリは貴女もでしょう。

と、またしても口を滑らしそうになったが、口に手をあてて我慢する。

もっとも――胸の方は・・・残念ながらパリアーの圧倒的敗北のようだ。もしかしたら彼女の執拗に代名詞で表現する心情には、胸の大きさへのコンプレックスもあるのかもしれない。


彼女の言うロリ・巨乳・眼鏡・天然の四拍子が揃った人物は誰なのか。是非会ってみたい、とカリーは腕を組んで、そのパーツを組み合わせて妄想してみると、不意に面接時の女性を思い出した。

あの時は緊張しており、あまり面接官の姿を見る余裕はなかったが――、思い返せば確かにパリアーの言う符号が一致している気もする。しかし、国における重役とも言われていた方に対し、一介の兵士が侮辱ともとれる発言をするものだろうか。


そんなどうでもよいことを考えているうちに、パリアーは全く説明を行わない隊長の代わりに説明を続ける。


「で! 巡回経路は主に東側の砂漠方面! 班分けしてバラバラに巡回してもいいッスけど――」


と、パリアーは一瞬だけカリーを見て、


「今日は第三部隊、全員で一緒に巡回する形にするッス! 帰りは東門を通って帰りたいとこッスけど、知っての通り、あそこは老朽化が激しくて開かずの門になってんで、ここまで戻ってくる必要があるッス。てことで、夜になって腹ぁ冷やす前に戻ってくるッスよ! そーいうペース配分でよろしく!」


と締めくくった。


詳細な指示ではないものの、今日どういった行動をすべきかの指針ははっきりと伝わった。

後の微調整はおそらく、動きながら調整していくのが、この第三部隊の特徴なのかもしれない。


パリアーが「以上ッス!」と言うや否や、各々が装備の最終確認やストレッチを開始し始める。

ここに来るまでにもこなしてきてはいるのだろうが、念のための準備なのだろう。

パリアーも言い終わるや否や、胴当てや鞘の調子を確かめつつ、こちらの方に向かって歩いてきた。


「ふふ」


そんなパリアーに不意にマイアーが小さく笑みをこぼした。

その様子に若干不機嫌そうに、パリアーはジト目でマイアーを見上げる。


「なぁーんすか、隊長・・・」


「いーやぁ、パリっちも頼もしくなってきたなぁと思ってねぇ」


「あたしは最初っから頼もしいッスよ!」


「いやいやぁ、ちょいと昔なんて他人のことなんか考えられないぐらいのジャジャ馬だったのにねぇ」


「・・・」


マイアーが横目で新人のカリーをチラリと見て、再び彼女に視線を戻す。

その行為が何を物語っているのか克明に受け止めたパリアーは、特に取り乱すこともなく姿勢を斜に構えて「新人のことを考慮することぐらい、誰だってする事ッスよ」と言い、そのままマイペースに屈伸などの準備運動を始めた。

しかし、準備運動中にマイアーやカリーの方を一切見なかったのは、やはり取り乱していないわけでもなく、若干の照れはあったのかもしれない。


(昔のパリっちは、そんなことも考えられないほど荒れていたさ。いやほんと・・・人間、変わるものさねぇ)


本来の第三部隊であれば、全員で行動する、などという手法は取らずに戦力を分配して、散開して巡回を終えていただろう。

それは自分たちの力に自信がある現れでもあり、何よりその方法の方が最も効率が良いことを経験で知っているからだ。


しかし今回はカリーのことを思ってか、パリアーは全員で行動することを指示し、隊員はそれを何も言わずに承諾した。一人のためにここまで隊列を変えるのは過保護と言う人もいるだろうが、この第三部隊にとっては何ら疑問を感じることでもなく、当たり前のことであった。


一般兵において戦闘を得意とする、第二部隊と第三部隊。


効率とバランスを重視し、最小の戦力で最大の成果を上げる策をとる事が多い第二部隊。

仲間の生死を何よりの判断基準とし、万全と安全を重視する第三部隊。


おそらくはそれぞれの歴然の隊長格と現隊長の特性が、この部隊の習性を造り上げたのだろう。


こうして言葉を並べれば、どちらも優秀かつ信頼における部隊のように聞こえる。

しかし彼らは周囲から「戦闘狂」などと揶揄される戦闘集団。



血を見れば、豹変する者が少なくないことを――この第三部隊の温もりの部分しか体験していない今のカリーは知る由もなかった。



*************************************



「あたたたたたたっ!」


容赦なく横っ面を叩き付ける砂の雨。

パチパチという音と一緒にカリーの悲鳴が混ざり合う。

と言っても、カリーだけでなく、他の面々も「うおっ!?」や「どわぁぁ!」という悲鳴を各々上げているので、カリー一人が情けなく打ちのめされている、というわけではないようだ。


不思議なもので、それほどの強風が吹いているわけでもないのに、地を埋め尽くす砂は自身を舞い上げ、砂上を歩く異物たちに体当たりをかましてくる。


「おお、これは結構、なかなか・・・うん、シンドイねぇ」


マイアーも俯き気味にフードを深くかぶり、さりげなくカリーの陰に隠れながら感慨深く呟いた。


西門から外に出て、砂漠側に足を踏み入れた瞬間のことだった。


全員が外套のフードを頭に被っているのも何のその。あらゆる隙間から砂が入り込んできて、それを払おうとすれば、更に大きく出来た隙間から砂が入り込んでくる。


仕方なく既に入り込んだ砂は我慢して、両手でフードを抑える。


これで砂の雨に対応できたかと思えば、今度は柔らかくも重い砂に足を捕られ始める。

沈む時は何と柔らかいものかと思えば、足を持ち上げる際は何キロもの重石を乗せられているかのような抵抗感が襲い掛かってくる。

しかも長靴装備の上、キツく紐を縛っていたにもかかわらず、砂は容赦なく靴の中に侵入し、その歩みの制限を徐々に厳しいものへとしていった。


「よし! 撤退! てぇーーーったい!」


突然、撤退の号令。

声の出所はパリアーだった。

まさに何の迷いもない、潔い撤退命令。


慌ててマイアーが彼女を止めに入る。


「いやいや、パリっち、待って待って。まだ全然進んでないよ? これから壁をつたって東門のところまで行かないといけないんだからさ」


「いや、これ無理ッス。間違いないッス。あたしの余りある経験が警鐘を激しく鳴らしたッス」


「まあまあ、そう我儘を言わずにねぇ」


「だってだって! 痛いし、重いし、辛いし、暑いし、鬱陶しいし! どれを取ってもいいこと無いッスよ、これ! あだっ! 口の中に砂入った! ぺっぺ!」


「それが仕事ってヤツさねぇ。大人になったってことだよ、パリっち。ぺっぺ・・・あ、歯に砂挟まっちゃった・・・どうしよう?」


「帰りましょう!」


そんなやり取りを可能な限り風と反対方向に顔を向けつつも眺める隊員たち。


「そ、外はこんな感じ、なんですね・・・こ、これは・・・正直、結構キツイですね・・・」


このまま無言で彼女たちのやり取りを見ているのも勿体ない気がしたので、カリーは近くの隊員に話しかけてみることにした。

先ほどの控室で孤児院のことなど聞いてくれていた隊員の一人だ。そういう経緯もあって、多少の緊張はあるものの、話しかけることへの抵抗は少なかった。


「おー、そうだなぁ・・・こいつぁ予想外ってヤツだな。いやぁ、俺たちって随分とコイツの世話になってたんだぁって気づかされたわ」


そう言って隊員は砂を唾と一緒に吐いて、すぐ横にそびえたつ「壁」に手を置く。


国を取り囲む、巨大な塀。

この存在がどれほど砂漠からの脅威を防いでいたのか、実態を以って感じさせられた。


カリーは頷き、「本当に経験って大事ッスね・・・」と返した。

思わず「ッス」と言ってしまったことにハッとしたが、パリアーは未だにマイアーとの交渉に夢中なので、気づかれてはいないようだ。危ない危ないと胸を撫で下ろす。


「だなぁ、ぺっぺ、経験して初めて共感できる、ってなぁ。昔はぁこの辺もひっくるめて観光地だった時代もあるそうだが・・・こりゃとてもじゃねーけど、想像もできんわな・・・だぁー、ペッペ!」


「で、ですね・・・しかし、平時で・・・こんなんじゃ、フールの時に壁外にいたら――」


「間違いなく、死ぬな」


「ですよねー」


「お、あっちの話も済みそうだな。パリアーも分かってて愚痴ってるだけだから、まあ撤退はないだろうよ」


「あ、そうなんですね・・・」


あっちの話、というのはマイアーとパリアーのことだ。

実を言うと、パリアーが「撤退」を言葉にしたとき、「よぉっしゃ!!」と心の内でガッツポーズをあげていたのだが、どうやら空喜びになりそうだった。


「ほらほら、パリっち、風が止んできたよ。ようやく進めそうだねぇ」


「うー、こんなん第二の脳筋集団に任せればいいのにぃー・・・にゅペッペッ!」


「子供じゃないんだから、駄々こねないのさ。もぅ、せっかく成長したなぁーって思った矢先にこれじゃ困ったものさねぇ」


「うぐ・・・」


城内でカリーに兵とは何たるかを説き、出発前に全員に指示していた姿を考えれば、実に子供染みた態度である。いかな環境下においても、命が下ればそれに従い、完遂する。それがいち兵士としての当然であり、常道である。それはパリアーも理解し、ここは我慢を通して職務を果たす(てい)でいたのだが、あまりの環境にそんな綺麗事の理性は跡形もなく吹っ飛び、先ほどまでの不平不満を漏らす姿を露呈してしまっていた。


しかし何故だろうか。

彼女がそんな子供じみた行動をとろうが、不快感はおろか、むしろ似合っていると思うのは。

年相応ならぬ、姿相応の態度だったが故にあまり違和感がなかったため、カリーも今頃になって「そういえば、城の中では兵士としての姿を色々と言われていたのに・・・」なんて感想が出てくるほどだ。


「さ、風が止んでいるうちに進もうかねぇ。パリっちも元気よく行こうさ」


「あの、堂々と鼻をほじりながら明るく言わないでもらえます?」


「だって・・・鼻の中に砂が・・・」


「気持ちはわかるけど! もっと女らしくしてくださいッス! 隠しながらするとか! あんた、どんだけ落っこちていくつもりッスか! 婚期逃したとかそういう次元じゃなく、もう自分からブン投げてますッスよね!?」


「あ、鼻血が・・・」


「あーもう、強く引っ掻くから! こらっ、袖で拭かないでください! それ、一応支給品ッスよ!? あ、ちょ、あたしの外套も支給品、って――、っ、どっちが子供だ、ゴラァァァァァァッ!」


女三人寄れば姦しい、なんて言葉が古来よりあったと聞くが、二人でも十二分に姦しいようだ。

三人でなければ成し得なかった偉業を、この二人は成し遂げたのだ。

ああ、なんて素晴らしいことだろうか。


そんなことを感慨深く思っていると、カリーの肩に手が置かれた。

先ほど話をしていた兵士である。


兵士はどこか優しい笑顔で一つ頷き、こう言った。



「ま、こういう隊だけど、ひとつ宜しくな」


(ああ、日常茶飯事なんですね、これ)



カリーも笑顔で頷き返し、口内にひしめき合う砂の味を噛みしめた。

砂の味は苦い。

これも経験がなせる感覚だな、とまた一つ経験値を積んだカリーであった。



*************************************



西門を出発して一時間ほど。

道中の砂による障害を乗り越えて、ようやく東門の外側まで一行はたどり着いた。


「そういえば・・・なんですけど」


先のマイアーとの一件で隊全員の足を止めてしまったことへの反省の意もあり、ここに至るまで無言でいたパリアーだが、目的地に着いたことで再びその口を開いて疑問を投げかけた。


「なにさねぇ?」


振り返るマイアーは実に歴戦の戦士たる風貌であった。

彼女の着る外套のいたるところに血痕が染みをつくり、その表情は幾夜もの重圧まみれた戦場を生き残った猛者のような鋭ささえ見られる。


実態は、彼女の鼻血が思いのほか止まらなく、外套のいたるところを汚し、かつ多くの血を流したことに対しての疲弊、という実にどうでも良いものなのだが、今の彼女を始めて見る者が「彼女は第三部隊の隊長です」と紹介されれば、「こ、これが・・・!」と彼女の雄姿が自動設定されて慄かれることだろう。


そんな第三部隊隊長は、固まった袖の血痕を指でぺりぺりと弄りながら、パリアーに視線を送った。


「この巡回任務って、今日だけなんッスか? まさか明日からもしばらく続く――なんて展開じゃないッスよね?」


その言葉に周囲の雰囲気が少し重くなる。

誰もが脳裏を過ぎっていたことなのかもしれない。

マイアーの回答に誰もが注目している中、マイアーは「んー」と首を傾げて目を閉じる。


数秒だけ、その姿勢で固まった後、


「そーいや聞いてないねぇ」


と答えた。


「マイルール上『聞いてない』は『やらない』に等しいという方程式があるッス! つまり休みッスね!」


「そんな即席の紙方程式は置いておいて、仮に明日以降に巡回が無くても休みにはならないから安心してねぇ」


「えぇー・・・」


「まぁ今日の任務が終わったらリカルドに聞いてみるさね」


「はぁーい・・・」


すごすごと下がるパリアーと入れ替わるように、一人の兵士が手を挙げた。


「あの隊長、一つ宜しいでしょうか?」


「んんー? なにさねぇ」


隊長の意識が兵士に向かったと同時に、彼は背筋を伸ばして姿勢を正す。


「此度の巡回は、国周辺に異常がないかを確認すると伺っておりますが、その異常の定義について確認させていただいても宜しいでしょうか? 魔獣がいれば、当然それは『異常』の一言しかありませんが、魔獣がいなかった際に何を以って『問題なし』と判断して良いのか、計り兼ねている部分がありまして・・・」


久しぶりに、というか初めてかもしれない兵としての真面目な会話に若干の感動を覚えつつあるカリーを他所に、マイアーはうんうんと頷き返していた。


「そうさねぇ、問題の有無における判断基準は大事だよねぇ」


むしろ、この東門に来るまでに話し合うべき内容であった気もするが、ここも口をつぐむべきケースだと判断したカリーは、この短期間で得た経験からくる自分自身の予測能力に充足した気持ちをいただきつつ、無言で流れを見守った。


「異常、っていうのは勿論、魔獣が一番わかりやすく、真っ先に上がる要因さねぇ。そのほかで言えば、例えば門や塀に老朽化が見られるとか」


全員の背後にそびえ立つ東門を指さすと、全員が振り向いてその存在を見上げた。

確かに吹き荒れる砂と風に長年さらされることにより、所々にヒビなどは見られるが、すぐに修繕が必要と思われるほどの被害はなさそうに見えた。


「ま、その辺りはここに来るまでに私が見てきたから、西門から北、そしてこの東門に至るまでは問題なさそうさねぇ」


いつの間に、というのは見習いのカリーだけが思った感想ではなかった。

パリアーですら、ここに来るまでには「移動すること」に集中していたため、塀に問題がないかという視点には至っていなかった様子が、その驚きの表情から見て取れる。


「あとは『不自然さ』かねぇ・・・例えばこの地平線の彼方まで大小の砂丘が並ぶ光景の中、ポツンと穴が開いていたり、とか」


その言葉に釣られて、反射的に足元を確認してしまう。


「人工的、というよりは魔獣が作った痕跡かねぇ? 穴もそうだし、砂で固めた塔みたいなのを造る魔獣もいるよ。八年前に起こった大討伐――砂漠を横行する巨大芋虫『ワーム』の討伐時も見られたさねぇ。ワームはエサが逃げられないように、自前の粘着性の唾液で砂ごと餌を固めて、一気に咀嚼する習性があるさねぇ。いかんせん、その巨体が一気に咀嚼するだけの大きさだから、結構な高さの歪な塔みたいなものができるのさ」


「うへぇ」


今度はパリアーが舌を出して、嫌悪感を露わにした。

その気持ちは良くわかる。

カリーも図書館でワームの図解を見たことがあるが、あれは『芋虫』という表現に当てはまらない、規格外の化け物であった。


個体差はあるものの、その全長は50~200メートルに達し、円状の口とその内部に何層にも並べられた牙。体表はゴムのような弾力性と鉄のような硬さを持ち、その体毛からは痺れ・痛み・痒み・幻覚などを引き起こす毒素も含んでいると言う。


まさに砂漠の暴君にして、最悪の魔獣である。


八年前はなんでも強力な助っ人が参入したおかげで倒すまでには至らなくても、撃退に成功したという歴史があるそうだが、図書館の本を読み漁っても、その辺りの詳しい記録は見つからなかった。比較的最近の出来事でもあるので周囲の大人に聞いてもみたが、結果は皆同様で「分からない」という返事しか帰ってこなかった。撃退に失敗していたら、国ごと喰われていたかもしれないという話なのだから、ゾッとする話である。


カリーからしてみれば、当時は子供だったが故に「大人たちが騒いでるなぁー」ぐらいにしか思っていなかったが、現に立ち向かっていった兵士や大人たちがどんな心境だったのか、見習いとはいえ兵士になった今であれば、いかに笑い話にすらならないほど緊迫していたかぐらいは想像できた。


そんな魔獣が襲い掛かってきたとき、自分は戦えるのだろうか。

尻をつかずに、足を地につけていられるだろうか。

逃げずに――立ち向かっていられるのだろうか。


そんなことを考えると、今日言われたばかりのパリアーの言葉が思い出された。


(自信を持て、かぁ・・・俺は自信がないから、否定的なイメージばっかりが思い浮かぶのかなぁ)


内心ため息をついていると、マイアーが次の話に移るところだった。

置いていかれまいと、気を引き締めなおして耳を澄ます。


「最後にこういうものもあれば、報告してほしいねぇ」


マイアーは言い終わる前に歩き始め、東門の淵に溜まった砂場に近寄っていく。

他の場所よりも若干、砂が多く積もっているように見える。

良く見れば、その砂の山から黒い何かがはみ出していた。

それが何なのか。

目を凝らす前に、マイアーがそれを手でつかみ、砂の中から引き揚げた。


「っ!」


「これは――」


「砂漠でこの形状の魔獣――サリー・ウィーパッスね・・・」


マイアーがつかんだのはサリー・ウィーパの鎌状の腕部であり、そこから引き揚げられた魔獣の全容は、ここにいる全員に「魔獣」という存在を再認識させるだけの存在感があった。


「し、死んでいる・・・のですか?」


「そのようだねぇ」


兵士の疑問に、淡々とした口調で答えるマイアー。

マイアーが引き揚げた魔獣は、ピクリとも動かないにしろ、その全身の損傷は少ないと言っていい。ほぼ原形を留めている以上、本当に死んでいるかどうかも疑わしいものだ。


(ほ、本当に・・・死んで、いるのか・・・!?)


カリーは全身の産毛が逆立ち、鳥肌がジワジワと広がっていく感覚を味わいつつ、その光景を息を飲んで見続ける。

今にも動き出しそうな、魔獣の死骸と思われるモノ。

そう意識してしまった以上、悪い方へ悪い方へと思考が傾いていく。


突然、魔獣が動き出してマイアーの首を刈り取り、

パリアーや他の兵士たちをなぎ倒し、

自分に死を与えるべく、その鋭い鎌を振り下ろすのではないかと。


「大丈夫だよ」


はっきりと、そんな言葉が鼓膜を震わせた。


慌てて顔を上げると――と、そこで自分がいつの間にか俯いていたことに気づいた。

確かに魔獣の姿を凝視していたはずなのに、自分でも気づかないうちに視線は外れ、無機質な砂にたたずむ自分の足を見ていたのだ。それだけ思考に没頭していたことになる。

そんなカリーの思考を無理やり引き戻すだけの力が、その声にはあったのだろうか。


カリーは無意識に荒くなっていた呼吸を整えつつ、その声の主――マイアーを見る。

マイアーはふっと小さく微笑んで、カリーに正面から向き直った。


「大丈夫、これは死んでいるよ。ほら、これ見て」


マイアーはクルッと魔獣の死骸を回して、その頭部がカリーに見えるようにした。


サリー・ウィーパの見るからに固そうな頭部は、見事に陥没しており、その凹凸に入り込んでいた砂がサラサラと零れ落ちていた。

生物の死に様に慣れていない者ならば、その光景はちょっとしたトラウマになりそうな代物だった。


「どんな衝撃でこうなったのやらねぇ、いやまったく、サリー・ウィーパだってヤワな体しているわけでもないのに、恐ろしいもんさねぇ。綺麗に前足も一本、ちぎれちゃってるし・・・」


「うぇ~・・・」


嫌々そうにその惨状に声を漏らすパリアー。


はと、気づけばマイアーの口調はもとに戻っていた。

そして、自分の中を駆けずり回ってた動悸もいつの間にか落ち着きを取り戻していた。


(俺は・・・今、安心、したのか・・・? たった一言だけ、で・・・?)


何が起きたのか、カリー自身さっぱり理解が追い付かなかった。


サリー・ウィーパの死骸を見て、心がざわつき、周囲も自分も見えなくなるほど視野が狭くなっていった。

そして、思考はぐるぐる、ぐるぐると終わらない回転を始め、起きてもいない悪夢を見始めた。

そんな状態だったはずなのに、一言で現実に引き戻されたのだ。


――それも何か中身のある言葉ではない。


ただ「大丈夫」と言われただけだ。


(ああ・・・これが――)


パリアーが言っていた自信。

それは当然、その部隊の隊長であるマイアーも持っているわけで。

そのマイアーの自信に満ちた、絶対的な安心感を感じさせる言葉が、カリーの沸き立つ焦燥感を振り払ったのだろう。


パリアーは経験しないと共感できない、と言った。

その答えの一端を今、全身で感じたような気がした。


自然とカリーはマイアーに向かって小さく、頭を下げた。


その様子に気づいたマイアーは小さく笑い、そして――カッと目を見開いた。


「えっ!?」


その表情の変化の意図が理解できずに驚くカリーだが、それに意識を割く余裕がないのか、マイアーは手に持っていた魔獣を砂の上に置き、静かに肩を震わせた。


「・・・どうしましたッスか?」


「手ぇ切っちゃった・・・痛い・・・」


『・・・・・・・・・』


目尻に涙を浮かべる隊長に、全員が言葉を失った。


(ああ・・・さっき感じた安心感が遠のいていく・・・)


徐々に評価が下がっていくマイアーは、そんな悲しい視線に気づくこともなく、しくしくと外套の裾で傷口を巻こうとするが、これ以上、外套を血まみれにするわけにもいかないため、その行動はパリアーに叩かれることで止められた。


「もう、もう! ほんっとに仕方ないッスね、隊長は!」


文句を言いながらも彼女は救護箱を隊員の一人から借り、箱の中から包帯を取り出して、傷口をいい加減に巻いていく。その様子から本当に怒っている、というよりは――もちろん怒ってはいるのだが、それよりも心配している感情のほうが少しだけ強いように見えた。


(安心感は薄れていったけど・・・でも、何だかなぁ・・・)


何故だろうか。

理性が感じる「安心感」は薄れていくが、その奥底にある無意識からくる「安心感」は強くなった気がした。

今、この砂漠という環境に身を置いても、彼女たちの行動に思わず笑みを浮かべてしまうほどの余裕が出てきたのが、その証拠なのかもしれない。


(この部隊、好きになれそうッスね)


そんな感想を抱きつつ、息を軽く吐いた瞬間だった。



パリアーに和んだ顔で手当てを受けていたマイアーの姿が消えた。


否、消えたように見えただけで、実態は素早く動いただけに過ぎない。


素早く動いた。


それは何故?


「――全員、戦闘体制!!! 見習いをすぐに隊列の最後尾に! 剣を取れッス!!」


パリアーの言葉で理解する。


ゆっくりと後ろを振り返る。


そこには消えたと錯覚したマイアーの背中と、その更に向こう側にいる――黒い物体が在った。

ああ、その姿は先ほど見たことがあった。



――サリー・ウィーパ。



実際に動くと、これほどの威圧感があるのか。

既に抜刀していたマイアーの短刀とサリー・ウィーパの鎌状の前足が、金属音ともとれる音を出しながら押し合いを続けていた。


「ひ――」


ようやく。

脳が過剰分泌した脳内物質の流れが緩やかになり、理解した。


ここは既に戦場へと化したことを。


「大丈夫ッスよ」


今度は背後から優しい声が聞こえた。

マイアーとは別の種類の、しかし心に安らぎを与えてくれる声に感じた。


「あたしたちが、こんな蟻っころに後れを取るわけがないッス! あんたは後ろの方で戦いってやつを見て、勉強してろッス!」


振り返ると同時に、パリアーが脇をすり抜けてマイアーの方へと駆けていく。


視界が追い付かない。

あっちを見れば既に誰かが行動し、こっちを見ればそこにいたはずの人間がいない。

明らかにこの場において、自分だけが一つどころか幾つもテンポが遅れているようだった。


不意に肩に手が置かれ、振り返った先に「手を置いた人物」が視界に収まることでカリーはホッと一息つくことができた。


「ほれ、パリアーが言った通りだぜ、カリー。こいつぁ地中を移動する魔獣だからな。あんまし俺たちから離れてもまずい。俺のちょい後ろあたりが護るにも丁度いい塩梅だから、その辺で見てな」


「は、はは、はいっ!」


兵士は腰から支給用の剣を抜き、静かに構えた。

どうやら彼は積極的に戦線に加わるのではなく、前線を超えて侵略してきた敵のみを相手取る役目のようだ。よく見れば、周囲には五人ほど、同様の構えで待機している兵士がいた。


護ってくれている、という事実を認識した途端、カリーは再び暴れ回る動悸を少しだけ抑えることができた。


どれだけ周囲におんぶに抱っこなのか。

自分でも情けなく感じるのだが、それを責めるものは誰一人いなかった。純粋にそんな暇がないだけなのかもしれないが、少なくともそういう雰囲気すら感じないようにカリーには思えた。


駆け出しの人間はみな、この道を通るのだろうか。

何もできずに、怯えながら護ってくれる人間にすがるだけの存在。

実に情けない以外の言葉が思い当たらない。


「気持ちは分かるぜ。特にうちの隊は前線に女二人っつー、男としちゃ何かしねーと収まらない環境だからなぁ。でも我慢だ。見習いであり、今日が初陣のお前さんは我慢して学ばないといけねー。そして学ぶためには死んじまっては意味がない。だから今日のとこは生きることだけ考えてな」


視線だけこちらに向けて話してくる兵士に、カリーはただ頷く他なかった。


可能な限り、無駄な思考は省く。

ただ、周囲の状況に集中し、自分に迫る脅威だけに対応するよう心掛ける。

心掛けたところで何ができる、という話になりそうだが、そういう「心構え」が必要なのだと。この短い期間で、それが大事だということをカリーは学んだ。

それは勘違いでも間違いでもないはずだ。

口を一文字につぐみ、カリーはただ狭い視野を全力で広げ、周囲に意識を配った。


その様子を見て、兵士は「へえ」と声を漏らした。



「なかなか見どころあんね、今日びの見習いは」



それが褒め言葉であることも理解する余裕すら無いカリーであったが、少しだけ――あるかないか分からない程度の自身の中に潜む「自信」というものが強まった気がした。


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