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テトラ・ワールド  作者: シンG
第1章 建国~砂漠の国~
25/96

第25話 蠢く不穏

「状況は理解しました」


そう短く、ミリティアが言う。


ヒザキの説明を聞き、ミリティアは神妙にうなずき、ルケニアは気まずそうに目を逸らす。


ルケニアが目を逸らす理由は言わずもがな、ミリティアの視線が怖いからだ。


今日、王城で新たに働くこととなった三人組。その情報は事前にルケニアも把握していたし、以前のミリティアとの会話の中でも話に出ていた内容だ。用意された書類もきちんと三人分。しかし、当日蓋を開けてみれば、彼女の目の前に現れたのは四人。そこに疑問を持ち、四人目として現れたヒザキの素性を確認し、的確な対応をすべきなのは、その面接の責任者とも言えるルケニアの責務であった。


その責務を軽んじて、その時々の思いで勝手に王城に招き入れたルケニアの軽率さに、生真面目が人の皮を被ったと言ってもいい女性――ミリティアは見過ごすことができない。


腕を組んで、ジト目でルケニアとヒザキを見る彼女の背後からは、地響きのような重厚な擬音が轟いてきそうな威圧感を感じる。


「しかし――ルケニアは論外として、ヒザキ様。貴方も貴方です。せめてもっと早い段階で事情を説明してくだされば、ここまでおかしな展開にはならなかったと思います」


「それは・・・そうだな。すまない」


実際、何度か事情を言おうとしたタイミングもあったのだが、遮られたりタイミングが合わなかったりで先延ばしになってしまった。

しかし、確かに多少強引にでも話を聞いてもらえる努力をすれば、ルケニアと本の整理をする等とおかしな展開になることは防げたのも事実。

ヒザキは今日何度目になるか分からない反省を自身に刻みつつ、頭を下げた。


「いえ、分かってくだされば良いのです。今回、王城に立ち入ったのが貴方だったのが不幸中の幸いと言えたかもしれません。これが賊の類であれば、場合によっては取り返しのつかない事態を招いていた可能性もありますので」


「ぅ・・・」


その言葉にルケニアが怯む。


「ルケニアは――後で話がある」


「・・・分かったわよぅ」


ガクッと大きく肩を落とし、力なく頷くルケニア。


後で説教が彼女に落ちるのは目に見えているが、ミリティアとの関係がイマイチ掴めないヒザキとしては、それがどれほど厳しいものになるのかまでは計れない。しかしルケニアの暗い表情を見る限り、生易しいレベルでは済みそうにないのも確かのようだ。


しかし、とヒザキは思う。


予想に反して、ミリティアはすんなり自分の言葉を信じてくれた。

賊、という言葉を彼女は発したが、彼女の視点からすればヒザキも賊になり得る存在であるのだ。

ミリティアとヒザキは親友でもなければ、家族でもない。ただ、ある事件をきっかけに知り合っただけの「知り合い」でしかない。しかもその接点は未だ薄いもので、相手を深く知っているわけでもないのだ。


だからこそ首をかしげてしまう。

何故、彼女は自分の言葉を信じたのか。

もしくは信じた素振りはしているものの、心中では警戒を続けているのか。

しかし彼女から感じる気配に殺気やむき出しの警戒心は感じない。上手く隠しているだけかもしれないが、以前の聴取の時には意外と内心が表に漏れていた様子もある。


「・・・・・・」


ジーッとミリティアを見ていると、その視線に気づいた彼女と目が合う。


「なんでしょう?」


「いや・・・何でもない」


疑わないのか? なんて本人に聞くのもどうかと思った為、ヒザキはそのまま押し黙った。ミリティアもそれ以上は特に踏み込んでくることもなく「では」と、仕切り直した。


「ともかく、そういう事情ならばサリー・ウィーパの方を気にかけるのが先決だ。直ちにギリシア殿と合流し、事態の確認に赴くべきだろう」


「そ、そうねぇ・・・」


先の説明時にサリー・ウィーパの件も当然説明してある。

ルケニアも本の整理の方に話が脱線してしまったため、魔獣の話をするのが今が初めてであり、それを聞いた際には驚きを隠せない様子であった。


「と、というかね! ヒザキ君、そーいうことは早く言ってよー! こちだって最初っから魔獣のことを言ってくれれば、そっちを最優先にしたんだからねっ!」


「ああ・・・どうにも誰かとこういう話をしたのが久しぶりだったのでな。すまなかった。俺も自分がここまで話下手とは思っていなかった」


「久しぶりって・・・そんなに話がしにくくなるほど一人でいたの? んー・・・ま、いいや! こちも話逸らして本の整理お願いしたり、そもそも外の魔獣の一件での報告書もちゃんと目を通してなかったしね! おあいこってことで手を打とうじゃないか!」


「そんなわけがないだろう、ルケニア。お前の場合は職務怠慢と状況判断の欠如だ」


「くっ・・・誤魔化せないかぁー」


ミリティアが身内に見せる態度を見ていると、随分と辛辣なものに見える。

しかし、そこに悪意や他意などが見られない以上、彼女としては誠意と本音からくる言葉なのだろうと窺えた。


「ここにいても仕方がありません。申し訳ありませんが、場所を移動しても宜しいですか? ヒザキ様には・・・お手数をおかけしますが、ギリシア殿と合流し、再度魔獣の脅威性がどの程度のものかの結論が出るまで一緒に行動していただけますと助かります」


「・・・わかった」


本心を言えば、先にミリティアたちに話した内容以上のものは持っていないため、一緒に行動したところで何か情報面で役に立てるとも思えない。このルケニアという女性が魔獣に博識であるというのであれば尚更だ。


しかし、ここでそれを理由に立ち去れるほど、自身が入り込んでしまった場所は浅くない。

十分に「関わって」しまった。

故にある程度の結末までは付き合う筋があるとヒザキは感じた。


そんなヒザキの内情を受け取ったのか、そうでないのか、それはミリティアの表情から読み取れなかったが、彼女は恭しく「ありがとうございます」と一礼し、身を翻す。


「では移動しましょう」


彼女の背についていき、扉をくぐって廊下に出る。

後ろではルケニアが空き部屋のカギを閉めた音がした。


とてとて、とルケニアが横に並んだため、丁度いいと先ほどの説明では言っていなかった「お願い」をすることにした。


「ルケニア」


「んー?」


「実は一般兵についてなのだが」


「一般兵?」


「ああ、さっきも言った通り、俺は別に国に務めたくてここに来たわけじゃない。だから、一般兵への入隊は取り消してほしいんだ」


「あぁ~、そうだねぇ・・・」


歯切れの悪い反応に若干の嫌な予感を覚えつつ、続きの言葉を待つ。


「うぅーん、あのねヒザキ君」


「ああ」


「非常に言いにくいんだけどぉ・・・ここの規則でね。部署の振り分けをする採用の入り口はこちが担当しているんだけど、その先――ヒザキ君で言えば一般兵部隊だね。一般兵部隊へ一度入隊してしまうと、もうその人の人事権限は一般兵の総隊長、ギリシアのおっちゃんになっちゃうの」


「つまり?」


もう答えは見えているのだが、聞き返さずにいられなかった。


「そ、もう一度入隊手続きをしちゃったヒザキ君の脱退を許可できるのはギリシアのおっちゃんだけってこと。そこに、こちが口出しすることは出来ないことになってるの・・・ごめんねー」


「そうか・・・やはり、あの人を説得するほかないか」


「でもでも、確か一般兵の方は自主脱退にも緩々だから、一週間の滞在さえクリアすれば抜けられるはずだよ?」


「まあ・・・それはそうなんだが。そもそも俺もこの国には長く滞在するつもりがなかっただけに、一週間でも長く感じてしまうのでな」


「そうなんだー。そいや、ヒザキ君は何でこの国に来たの? こちが言うのも何だけど、正直、この国に来る利点って無い気がするんだけど・・・。乾燥するし、枝毛は酷いし、朝起きればどっから入ったのか砂が口の中に入ってるし、外出れば砂塗れだし、食事も水も全然ないし。うちの国の子たちを護るために近くまで来ていたなんて、そんな都合のいい偶然は無いと思うから、何かしらの理由があって来たんでしょ?」


ルケニアの問いにヒザキは顎を引いて、どう答えようか悩む。

正直に話して、先日のミリティアのように怒らせるのもどうかと思う。

と、そんなことを考えていると、その当の本人であるミリティアから会話に混ざってきた。


「蟹を()りに来た、でしたでしょうか」


「・・・」


どこか針のあるような口調。

やはりミリティアはこの話題に明確な不満と疑惑を抱いているようだ。


「そうだな」


気の利いた台詞が思いつかなかったため、そう返すほか無かった。

困ったな、という内心が全く表にでない淡々とした表情で、前方を見やると、ミリティアと目が合った。


彼女は自分の言葉に何かしらの踏み込んだ回答が来ると期待していたのか、それが外されたことに対して半目でこちらを見ていた。

どこか年相応、というか幼い印象を受ける表情だ。

今までの張りつめた風船のような雰囲気とは真逆の、しかし違和感は受けない姿に思えた。


プイッという擬音がつきそうな動きで、また前を向く彼女の背中を眺めていると、ルケニアが不意に呟き始めた。


「蟹・・・、かに、カニねぇ・・・」


「どうした?」


腕を組み、歩きながら考え事をしている彼女は非常に危なっかしい。

そのうち蛇行して道中の柱に頭をぶつけそうな未来が見えてくる。


と、急に顔を上げてこちらを見上げてきたものだから、危うく驚きで声が漏れそうになった。


「・・・なんだ」


「蟹! あー、思い出した! 確か、オアシスがあった時代にアイリ王国の特産物で『砂蟹(すながに)』って言うのがあったって、国史で見たわ! でもオアシスの枯渇と共に、砂蟹も絶滅したって聞いてたんだけど・・・蟹って、それのこと?」


「・・・博識だな」


「ふふん、褒めてくれても構わないのよっ!」


笑顔で胸を張る彼女は童顔も相まってか、ちょっと頭を撫でたくなるような感情を湧き立たせたが、自分と彼女の立場を考慮すると、やや不謹慎な気がしたため我慢した。


しかし肌を露出しない服を着ているにも関わらず、胸を張ると――その胸の大きさが勝手に自己主張してくるものだから、困ったものだ。


「すな、がに・・・ルケニアは、それがどういうものなのか・・・知っているのか?」


いつの間にか先頭を歩いていたミリティアが、ルケニアの横まで下がっていた。

その声には戸惑いの色が強かった。

彼女は蟹という存在が、このような砂漠にあるとは思っていなかったのだから仕方が無い。


ミリティアの食いつきがルケニアとしても意外だったため、少し気おされがちに「ま、まぁね」と返し、一つ咳払い。


「砂蟹、っていうのはね・・・今から48年ぐらい前かな? オアシスが枯渇するその時までアイリ王国の特産物の中で最も国の利益を担っているものだったと聞くわ。何でもその身にはオアシスに含まれる栄養分が凝縮されていたらしく、その食感は強い弾性があるにも関わらず、噛み切ると繊維に染み込んだ旨味がブシャ~って弾け出たんだって! じゅる・・・」


「・・・・・・ごくっ」


僅かにミリティアの喉が鳴ったのを見逃さなかったルケニアが、その様子にニヤリと笑う。


「そんでね、なんでその砂蟹が最も利益を生んだかというと、まずは観光客ね。当時オアシスをリゾート地として観光客から入国料を貰っていたらしいけど、その入国理由の第一位が獲り立ての砂蟹を食べられる、ってことだったみたいよ。獲り立ての砂蟹を焼いたり、生で食したり――中には、その砂蟹を獲る過程を楽しむ体験狩猟みたいなこともやってたみたい」


その光景は容易に想像がつく。

海産物に限らず、食用の生物は何においても獲り立てが一番美味しい。

その味を求めて、わざわざこの砂の大地まで足を運ぶ者も少なくはなかったのだろう。


また、砂蟹を獲る体験をできるというのも、子供連れに大きな反響を及ぼすだろう。子供にとって自分の手で何かを成し遂げる、という行為は非常に喜ぶものだ。親としてもそうやって成長を遂げる子供を見ることが、何よりの喜びに違いない。その企画は実に安定した利益を生んでいたのではないかと想像できる。


「んで次に輸出。まあ、何で砂蟹を食べに観光客がわんさか来たのかって言うと、他国に特産物として輸出して、その味が各地に広まっていたかららしいね。一度茹でると時間が経っても味の劣化は少なくて、水が豊富な国でも好んで食べられていたみたい。当時からサスラ砂漠はアイリ王国が独占していたし、そこでしかないオアシスの成分を含んだ砂蟹は、まさに他国が真似したくともできない宝石並の価値があっただろうねぇー。市場を独占しているから、価格だって自由につけられるしね~」


競争相手がいない独占市場。

それはまさにアイリ王国にとって、湯水のように金が湧き出た至高の市場であっただろう。

多少値上がりしても、買い手はいなくならない。それほどの味を砂蟹は持っていた。


仮に輸出による売り上げが減少したとしても、オアシスに直接くれば安くするよ、みたいな触れ込みでも出せば、今度は入国料の方で大きな売り上げを見込める。

まさに笑いが止まらない状況と言えた。


「その二点だけでも普通に複数の国家を支えられるほどの資金を保持できたらしいよー。ただ、欲は尽きることがないからねぇ・・・それ以外にも生食のための砂蟹の養殖用としてオアシスの水を売り出したりとかしてたみたい。でも砂蟹は水分を定期的に取り込む習性もあったみたいで、数日も放っておくと、すぐに水が飲まれちゃって無くなるんだって。しかも普通の水だと体に合わないのか、全然水を飲まないで死んじゃうらしいし。だから砂蟹が繁殖するまで追加用の水を切らさないよう、定期的にオアシスの水もバカ売れしたみたいね。いやはや商売上手だこと」


「なるほど・・・まさに夢のような話、だな」


一通りルケニアの話を聞いて、今のアイリ王国とかけ離れた時代を思いはせたのか、複雑な面持ちでミリティアが呟いた。


「いやぁ一度思い出したら、ひっきりなしに思い出してきちゃった。この歴史を見た時、その時代に生まれたかったと何度思ったかねー」


「だろうな」


くぅーっと身をよじらせるルケニア。

そこで、はたと動きを止め、こちらを見上げてくる。


「・・・あれ? んで、ヒザキ君はその蟹を探しに来たってことー? 実は夢追い人的なキャラなの?」


「・・・」


参った。

なんて答えたものか。


この流れで「実は蟹はまだ実在する」なんて言ってしまえば、国を総出して「お供します」のような展開になりかねない。


やはり何事も正直に答えるのも考え物なのかもしれない。

ミリティアに既に聴取の時に言ってしまい、そこからルケニアに伝わってしまった時点で手遅れなのだが。


「まあ・・・そうだな」


結果として、非常に曖昧な返事を返すのがやっとであった。

ミリティアがそこでヒザキに対し、何かを口にしようと開けたが、そこでタイムアップとなった。


話し込めば、時間が過ぎるのも早く感じるものだ。

いつの間にか、三人は一般兵部隊の兵舎にたどり着いていた。


「ふふん、応援しているぞ、ヒザキ君! 見つかったら、こちにも分けてね!」


純粋な応援に苦笑で返し、ミリティアも何か言いたそうに口をムズムズとしていたが、優先順位を思い出したのだろう。諦めて視線を兵舎の方に向けた。


あまり追及されずに話が流れたことにホッと胸を撫で下ろし、三人は兵舎にいるだろうギリシアの元へ向かうのであった。



*************************************



ゴゴ、と鈍い振動が空間を揺るがす。



それは単なる地響きなのか、何かがうごめく音なのか。


地中に縦横無尽に掘り起こされた半径5メートルほどの横穴に、その振動は鳴り響く。

サリー・ウィーパは砂漠の中を住処とし、何千もの横穴を複雑に連結させた「コロニー」と呼ばれる居城を形成する。


本来、固まりづらい砂の中に穴を掘って巣とするのは無理がありそうな話だが、サリー・ウィーパの巣は多少の振動では崩れないほどの強度を持った穴を維持していた。


彼らは巣を作成、拡張する際に鎌のような前足で穴を掘り、体中の孔から分泌される樹脂のような粘着性のある体液で穴を固定する。


前足は地中から獲物を狩る際は鋭い刃のような「鎌」と名乗るに相応しい形状であり、今のように地中を掘り返す際は鎌の根本から六つの腱が水平に展開し、水かきのような形状へと変化する。環境に適応した姿と言えよう。


そして、その体液はかなりの粘度を持ち、一度空気に触れると数秒で硬化するものであった。


以前、その体液に興味を持った学者が、傭兵を雇ってサリー・ウィーパの死体を回収し、その体内を解剖して調べたらしいが、その体液は一向に見つからなかったと言う。


しかし学者は諦めきれなく、何度も研究を重ね、ある時に生きたまま捕獲したサリー・ウィーパを巨大な容器に入れ、そこに大量の砂を入れたところ、コロニーを形成しようとするサリー・ウィーパから例の物質が分泌されたことが分かった。


その学者曰く、巣穴を広げる際に何かしらの興奮物質が体内で構成され、そこからその体液が分泌されるのではないか、とのこと。


しかし、硬化した後の体液に価値はなく、何とかして掘っている最中に採取しようとしても、警戒心の強いサリー・ウィーパから体液を採取することは叶わなかった。


そんな希少価値のある体液をまき散らしながら、穴を掘り続けるサリー・ウィーパがいた。


前足を必死に動かし、前方の砂をかき分けて進んでいく。

ある程度の大きさの穴ができれば、体を震わせて全身の至るところにある孔から体液を吹き出し、周囲の壁を固定する。


「―――――ギィ」


頭部にある二本の触覚を動かし、地中の壁のあらゆるところに触れては放す。



ゴゴゴ・・・。



微かな振動。

サリー・ウィーパは触覚を慎重に動かし、振動の元の方角・距離を測ろうとする。


「ギィ・・・」


やがて方角を見極めたのか、自身の右側の壁に顔を向け、背部に収納されていた羽を震わせる。

彼らが警戒心を示す際の示威行為だ。


空洞内を羽音が木霊する。

人間がその音を聞けば、耳を塞ぎ、蹲ってしまうほどの不快な音がサリー・ウィーパの警戒度を表すかのように鳴り響く。



ゴ――、



不意に地響きが止み、


「ギィッ――ッ!」


その断末魔を最後に、サリー・ウィーパは崩れ落ちる天井に押しつぶされる。


砂の中を生きるこの魔獣にとって砂に埋もれることは、それほど恐れることではないのだが、この時ばかりは自身が体液で硬化させた堅い壁に押しつぶされることで、抗う暇もなく絶命してしまうこととなってしまった。



ゴ、ゴゴ・・・。



サリー・ウィーパがコロニーを形成する深度は約100メートル以上。

その砂の深海を何かが蹂躙を始めていた。



*************************************



「・・・?」


ふと、リーテシアは顔を上げた。


恒例の砂掃除も、ここ数日はフールが来なかったこともあり、さほど大変なことでもない。

今日は早目に終わりそうなこともあり「終わったら図書館にでも行こう」と意気込んでいた時であった。


風が頬を撫でる。


冷たい風だ。

この熱帯における風に「冷たい」と感じるは珍しい現象だ。

あるとすれば、数年に一度あるかないかの、天の恵み――雨の前触れの時ぐらいだろうか。


しかし、この風はそれと同じとは思えなかった。

現にそういった変化に敏感な他の子どもたちは特に変わった反応を示さない。

つまり、この冷たい風はリーテシアだけに感じているもので、ただの勘違いかもしれないということ。


――勘違い。


本当にそうだろうか。


「・・・・・・」


空を見上げる。

この風は「虫の知らせ」のような気がした。

何かが起こる前触れ。

それはこの国に対してなのか、それとも自分自身に対してなのか。


リーテシアは理由も根拠も分からない不安に、どうしたらよいか分からず胸の前で手を握り締める。


「リーちゃん、大丈夫?」


「えっ?」


説明できない想いに駆られていると、近くを箒で掃いていたシーフェが心配そうに声をかけてきた。


「あっ、ううん! 大丈夫だよ! ど、どうしたの?」


「そう? 何だか不安そうにしてたように見えたから・・・んー、リーちゃんはね。何だか悩みとか抱え込んじゃう気がするから心配なの」


「あはは・・・大丈夫だよ」


心配そうに口をへの字にするシーフェを撫でる。

彼女は頭を撫でられるのが好きだ。

撫でられると、とても嬉しそうに、くすぐったそうに笑うから、撫でるこちらも笑顔にさせてくれる。


「ありがと、シーフェ」


「えへへ~」


ふにゃふにゃした笑顔を見て、胸によぎった不安も温かい気持ちに塗り替えられる。


(そうだ、ヒザキさんが帰ってきたら相談してみようかな)


相談しても笑われる程度の話になるかもしれない。

風が吹いたから嫌な予感がする、なんて与太話もいいところだからだ。

それでも話すきっかけが出来たリーテシアは自然と微笑む。

その様子を見たシーフェも、安心したように微笑んだ。


「よし! 残りの掃除もがんばろ!」


「うんっ」


二人の意気込んだ声を他所に、風は吹き続ける。

まるでリーテシアに絶え間なく、何かを伝えるかのように。



*************************************



「実地訓練、ですか」


直立不動のままそう口にしたのはライン=ヴァルハルト一等兵だった。

それに対峙するように立っているのは、獣のような風貌を携えた男――リカルドであった。


「既にマイアーの奴にぁ伝えている。奴も俺らも基礎訓練自体を軽んじるつもりはねぇが、まぁどっかで思いっきり体を動かせねぇ不満も溜まっていたんだろうよ。大手振って喜んで飛んでいきやがったよ」


リカルドの言葉に苦笑する青年。


「マイアー様は正直なお方ですから。きっと心の内が体に出てしまったのでしょうね」


「けっ! いい年こいている癖に、スキップなんざしやがって。いつまでもガキっぽい女だぜ」


「リカルド様・・・ご年齢につきましては控えた方が」


「・・・・・・わぁってるよ。アイツ、マジでキレると見境ねぇからな」


リカルドは過去の経験を思い出してか、少し引き攣った笑みを浮かべる。


「では、直ちに各兵に通達し、兵を配置したいと思います。我々第二部隊は地下浄水跡地で宜しいのですね?」


「あぁ、外の方はマイアーに任せたから、それでいい」


「はっ! 布陣の方はいかがされますか?」


「そうだな・・・貝の陣でいい。ただし、適宜状況に合わせて変動できるよう、お前がしっかりと見といてやれ。今回の特殊訓練は、逃げ場の少ねぇ限られた閉鎖空間での警戒と――場合によっちゃ戦闘を想定している。きっちり、その想定に漏れねぇよう動けよ」


「はっ、了解しました!」


礼節正しく、腰を曲げ一礼。

ラインはそのまま部屋を後にした。


と、部屋を出たばかりのラインが慌てて扉の外で頭を下げる姿が一瞬だけ見えた。

それだけで扉をすぐ出た先で誰かと出会ったことがわかる。


あの青年が慌てて頭を下げる人物、そして彼が扉を開けて実際に出会うまで、その気配を感じさせないほどの人物だ。

この一般兵隊舎においては、そんなことができるのは数人しかいない。


「おいおい、爺さんよぉ! あんまりうちの若いモンの心臓を苛めるような悪戯してんじゃねえぞ!」


その怒声に悪びれも無く、初老の男が笑いながら入室してくる。


「いーやいや、ちょっとした茶目っ気じゃないかぁ」


「悪趣味にも気配なんざ消して隠れてやがって・・・爺さんの気配消しなんざ気づく奴ぁいねーだろうが」


部屋に入ってきたリカルドは顎鬚を指で遊びつつ「んー」と笑う。


「いただろぅ? お前さんの剣撃をいなしつつ、俺の意図も読み取った猛者がねぇ」


「――けっ、底知れねぇ分、マジで不気味な奴だよなぁアイツ。何者なんだよ、アイツぁよぉ」


「その何者かも知れないヒザキ君だけど、もう帰ってきちゃったよ」


「はぁ?」


目を丸くするリカルドに、親指で後ろの扉を差して「廊下にいるよ」と付け加えた。


「なんだよ、もうあのゴミ――本の山を片付けてぇきたってのか?」


「まあミリティア嬢とルケニアの嬢ちゃんが一緒だけどね」


「あぁ――なるほどな」


人物構成を聞いて、おおよその展開が読めたのか、リカルドはため息一つで納得した。


「本の後片付けは後回しになったってわけだ。どこまでも後々になっちまって、また忘れられちまうんじゃねーか、あの本部屋」


「いやぁー、一度開いちゃったからね~。さすがに片付けないと、研究もおちおち出来ないよー」


続いた声に、リカルドは新たに部屋に入ってきた三人に目を配らせる。

ルケニアにミリティア、そしてヒザキだった。


「随分と両手に花状態で帰ってきたじゃねーか。なんだぁ、置いてきた俺らへの当てつけかぁ?」


その花、毒を持っていなければいいのだが、と危うく言いかけて飲み込む。

そんなことを口走れば、横にいる女性のエストックが自分の腹部を貫きかねない。

ヒザキはどう答えるもなく、肩を竦めるだけにとどめておいた。


「ギリシア殿、リカルド殿。話はヒザキ様から聞きました。さっそくサリー・ウィーパについて調査を始める段取りをしたいのですが」


一歩前に出るミリティアに全員の目が向く。


「あー、それなんだがねぇ、ミリティア嬢」


「はい」


ギリシアの方をミリティアが見やると、彼はおどけたように「ごめんねぇ」と手を上げる。


「実はその話はさ、俺たちだけの間にとどめて欲しいんだよねぇ」


「それはどういう意味で?」


彼女はギリシアの意図に眉をひそめる。


「いや、まさか君が介入してきて、こんなに早くヒザキ君たちが帰ってくるとは思ってなかったから、ちょいと段取りが狂っちゃったけど・・・まあ、なんていうか今回の一件、兵士たちの適応能力の向上に利用したいんだよねぇ」


「適応能力?」


「ああ、サリー・ウィーパが実際に国土まで侵入してくるかどうかの是非は置いておいて、普段から基礎訓練の一本道しか経験していない兵士たちに臨場感というのを与えたくてね。刺激、というと悪くも聞こえるけど、今回の話はいい機会だと思ってるよ。普段は足を踏み入れない環境で、何が起こるか分からない臨場感を与えて、新しい適応能力を備えて欲しいんだ」


「ならば、なおさら情報の共有が必要でしょう」


「まあ、それは正論なんだけど――、それじゃいつまで経っても戦場を生き残る兵士は生まれないよ」


「・・・・・・」


ギリシアの言葉を噛みしめるように、ミリティアは口を紡ぐ。


「万全の設備、万全の情報、万全の態勢、万全の戦力、万全の戦略。そういったもんは言うまでも無く戦場には必要な要素だね。それは間違いない。戦の規模が大きくなればなるほど、その要素が勝敗の秤を傾けさせるってもんだ。だけど、そういった要素が綺麗に揃うことなんて間違いなくないと言っても過言ではないよね。言ってしまえば、今挙げたもののうち1割でも揃えばいい方だ。もしくは万全と思っていたものが、戦況によっては万全と言えないものに変化することだってある」


「・・・しかし、もし仮にサリー・ウィーパが攻め込んできたとしたら――」


「危険は承知。だけど俺もむざむざ部下を見殺しにするようなことはしないよ。だから俺やリカルドは状況や可能性を把握しておきたいんだ。いざ、その時が来たとして・・・部下たちが対応できない状況になり得るのであれば、俺たちが何とかするさ」


「・・・なるほど、それは確かに危険な環境の中でも最も安全な訓練になり得ますね」


「はは、理解はしても納得はしきれていない顔だねぇ」


「失礼しました」


軽く会釈を返したミリティアだが、若干憮然とした表情でもあった。


「すまんね、俺としては必要なことだと思うんだ。被害を最小限に抑えたい君の性格としては、いささか納得しにくい考えかもしれないけど」


「いえ、出過ぎた真似をしました。こちらこそ申し訳ありません」


もう一度頭を下げるミリティア。

そして顔を上げた時、既に先の憮然さは消えていた。

どうやら、この短い時間の中である程度の納得を自分自身にさせたのだろう。


「ていうかお前、こんなとこにいていいのかぁ? くだんの魔獣の一件、おめーらのとこで管轄することになってんだろ?」


リカルドの言う「おめーらのとこ」というのは近衛兵の部隊のことを指しているのだろう。


「問題ありません。私がいなくとも優秀な副官が代わりに動いてくれていますので」


「モグワイのやろーか。図体の割に小回りの利く奴だよなぁ」


「私には勿体ないほどの副官ですよ」


無意識にやや口元を緩めるミリティア。

その様子から、彼女がそのモグワイという人物をどれほど信頼しているかが伺えた。


「さて、立ったままってーのも何だから、皆座ろうか」


ギリシアの一言に全員が頷き、おもむろに室内に用意されていた椅子に腰かける。


「予定とはちょっと違ったけど、これでとりあえず役者は揃った感じかねぇ。それじゃ話を始めようか」



そうして、サリー・ウィーパに係る話し合いが始まった。


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