第20話 小さなすれ違い
さて、どうしたものか。
本来は考える必要もないことなのだが、こうしてせっかく門を上って砂漠に出たのだ。
すぐにとんぼ返り、というのも寂しいので、とりあえず考えてみることにした。
そんなヒザキに、チャンスと思ったのか、地中を徘徊する巨大蟻は彼の足元まで移動し、その鎌のような前足を鋭く地上へ振り上げた。
当然、ヒザキもその存在に気づいているので、軽く横にずれることで難なくかわす。
しかし、こう何度も相手の攻撃をかわすばかりでは、おちおち思考をめぐらすこともできない。
ヒザキはかわす動作の流れから右手で地中から伸びてきた黒足をつかみ、力任せにそのまま本体を引きずり出した。
「――っ!?」
サリー・ウィーパからすれば何が起きたか全く分からなかっただろう。
容易い獲物と思っていたところを、いきなり足をつかまれ、そのまま地上に引きずり出されたのだろうから。
「ギィ!」
短い金切音を口から漏らし、地上から頭を出したサリー・ウィーパは敵意を相手にぶつける。
「寝ていろ」
ヒザキはそんな魔獣の威嚇に気圧されることもなく、振りかぶった右足でサリー・ウィーパの頭部を蹴りぬいた。
その蹴りの威力がどれほどのものだったのか。
右足は根元から千切れ、頭部から紫色の体液を噴き出しながらアイリ王国の外壁に全身をぶつけるサリー・ウィーパ。
殺すつもりはなかったのか、ヒザキも若干気まずそうに、痙攣を起こしたまま動きを止めた魔獣を見下ろしていたが、一つ息を吐いて、まるで何も見てませんといった無表情に戻った。
右手に持っていた黒い鎌のような前足を放り投げ、掌を見てみるとそこには切り傷が何本もあった。
サリー・ウィーパの前足。
黒い鎌、とも揶揄されるその前足は何本もの細い刃のような突起が縦に生えている。
このように素手でその足を掴もうことなら、ヒザキのように怪我を負うか、下手をすれば簡単に手を切断されることもある。
切り傷から血がにじみ出てきたが、特に気にすることなくヒザキは先ほどまでの思考に戻ることにした。
(本当であれば、今日は北東の方を見てみたかったが・・・)
足元から微かな揺れを感じる。
地中をゴソゴソと掘り返す音。
どこかくぐもった音が、常人では気付かないほどの微量の振動としてヒザキに報せてくる。
(・・・今日は国に戻り、事態を報せた方が良いかもな)
何気に今日は目的であった『蟹』を見つけるべく、少しだけ息巻いていただけに残念な気持ちがため息として出てしまう。
しかしこのサリー・ウィーパの動きは看過できないものだ。
楽しみは後日に取っておこう、と割り切り、ヒザキは来た時と似たように猿のように門をよじ登り、再びアイリ王国の中へと戻っていった。
*************************************
塀の内側に戻り、王城へ向かう道中で国の内情を目にする。
この国に足を運ぶ機会がそう多くないため、比較するのは無意味かもしれないが、それでも以前よりも生気――生きる気力というものが国全体から薄れているような印象を受けた。
ミリティアという、この国における最高峰の武人はそういった印象を受けないし、端っこ孤児院はレジンの貢献もあってか、それほど悲観した雰囲気を出していない。
それでも街に足を運べば、この国の現状を肌で感じることができる。
死んではいないが、生きることに疲れた者が漂わせる、諦観の空気。
実に息苦しいことこの上ないものだ。
この光景こそが――この国の実情を正確に顕しているのかもしれない。
大通りを進んでいくと、子供たちがせっせと道にうっすらと積もる砂を掃いている姿が見受けられた。おそらく孤児なのだろう、監督役の男性が子供らを先導しつつ、砂掃除を着々と進めている。
アイリ王国の四方を囲む巨大な塀は、フールと呼ばれる強力な砂嵐も含め、日常的に吹く砂風が運ぶ砂の被害を防ぐ役割も持っていた。
当然、巨大な魔獣による進攻を阻止することが一番の目的ではあるが、砂による被害も馬鹿にできないものだ。この外壁が無ければ、四六時中飛んでくる砂によって一夜で埋め尽くされるだろう。また壁のいたるところに風の抜け道を造り、その全てに『砂窓』と呼ばれる砂を通さない細かい隙間で構成された網戸が何重にも設置されているため、剥離流として強烈な風が舞い込むことも少ない。この国を建てた先人たちは様々な被害を乗り越えて、今のこの国の形まで仕上げてきたのが分かる仕組みであった。
しかし、それでも風に舞う砂全てを防ぐことは理論上、不可能に近い。
それこそドーム状に覆ってしまわない限り、砂の侵入は防げないだろう。
だからこそ定期的に『砂掃除』が必要となり、特段子供たちでも賄える仕事内容の為、孤児院の子たちが借り出される、というわけだ。
そこから更に進めば、今度は家屋の屋根の補修を子供らが行っている姿もあった。
一人が木製の板を持ち、もう二人で足元に何かを打ち付けている。
何かしらの事情で崩れた屋根を補修しているのだろう。
どこかしこも子供、子供、子供。
大人の姿はまばらなもので、たまに見かけても下を俯きながら何をするでもなく歩く幽鬼のような者が目につくだけだ。
「・・・・・・」
気配は感じる。
たった今、通り過ぎる家屋の中からも複数人の人の気配もある。
しかし誰も外へ出ようとしない。
まるでそれすらも億劫に感じているかのような――そんな境地が空気を伝って肌に突き刺してくる。
「まるで生きた屍、は言い過ぎかもしれないが・・・とても一国の大通りを歩いている気はしないな」
どの国でも、王城や主要施設を繋ぐ大通りは活気に溢れている、というイメージがある。
特に景気が良好な国においては、固定店舗と商人が所せましとごった返し、またその品を求める客で道は埋まるものだ。
そういった光景を目にしてきただけに、この眼前に広がるものは中々に違和感が強い。
大通りを進むと、国の中心部に位置する大広場に着いた。
おそらくは過去、オアシスから引いた水が贅沢に使用されていたのだろうが、今となっては風化したと言っても過言ではない干からびた噴水跡が寂しそうに中央を陣取っていた。
この広場から南に向かえば王城である。
その方角に体を向けば、その大きな建造物が奥にそびえ立っている。
アイリ王国の王族が住まう城。
いかに寂れた国とはいえ、さすがと言うべき威圧感を感じた。
国の誇り。
国の象徴。
国の威信。
国という大きな荷を一心に背負う、その巨大な建造物を一度見上げ、ヒザキはその方角へと足を向ける。
そしてふと思う。
(・・・何となしに道すがら見物しながら歩いてきてしまった。急ぐべきと考えていたはずなのに、何をしているのか・・・)
よくよく考えれば、今、自分が王城に向かっている目的を考えれば急いだほうがいいのは自明の理だった。
自戒すべき悪い面が出てしまった。
感情がないわけではない。
ただ感情が薄いのだ。
サリー・ウィーパがこの国の地下までコロニーを拡大してきているとすれば、それは国の存続にも影響する大事となる。当然、ここに住まう民にも被害が出るのは必至だ。
だというのに、それに対する危機感が理解はしているのに、心に反映されない。
響かない。
感情が揺れない。
だから、少しでも気を抜くと今回のように、のんびり国の内情を観察しながら歩くような真似をしてしまう。
当然、ヒザキとしても『そうしようとして、そうした』というつもりもないし、国に戻ることを決めた際は『急ごう』と思っていたのだが、気づけばこのありさまだ。
気を抜いたつもりはなくとも、いつの間にか抜いてしまい、こうして後で気づいたときに軽い自己嫌悪を覚える。
――悪い癖だ。
普段は旅人として一人で行動しているため、それが誰かに何かしらの害を及ぼすことはないが、今はこうして国に影響を及ぼす事案を胸に抱えている状況だ。
いつもと同じスタンスで、のんびり構えて良いはずがない。
「――――」
誰が責めるわけでもないが、どこか自分自身に気まずさを抱え、ヒザキは強く地を蹴り、風を切る速さで大通りを駆け抜けた。
*************************************
王城正門。
それはこの巨大な建造物に相応しい、巨大な門である。
細かい芸術的な文様が描かれ、部外者を強く拒む圧力さえ感じる。
高さは20メートルほどだろうか。
昔は王族によるパレード開催時や、他国の首脳を迎える際に開かれたアイリ王国の正門だが、もはや国に訪れる権力者たちもいなくなった今では、ただのオブジェと化しているのも、また一つの事実であった。
門を開けるだけでも大の男10人は要すると言われている石造りの重たい門。
当然、そんなものを開けるために人員を割く余裕は皆無のため、この正門も外壁の東門と同じくして『開かずの門』となっていた。
この門を懸命にデザインし、汗水たらして造り上げた職人たちは、この末路に涙することだろう。
そして現在、王城の門の役割を果たしているのは、その正門の右下にある使用人専用の小さな扉だった。
検問用の小さな小屋が隣接しており、今まさに数人の人が検問を通過するために順番待ちをしているようだった。
ヒザキも彼らに見習い、その後ろにつくことにした。
そういえば許可証のような、何かしらの手形が必要なのだろうか。
王城に来ることだけ考えて、中に入るために何が必要かなどを全く考慮していなかったことに気づいた。
(まあ何とか・・・なると信じよう)
今更、端っこ孤児院に出戻って、レジンに知恵を拝借するのも面倒だ。
もし追い返されるのであれば、そうせざるを得ないかもしれないが、せっかくここまで来たのだ。幸い並んでいるのは三人だけのようだ。自分の順番まで来るのも、そう時間はかからないだろうから、要件だけを伝えることで検問を通れるかどうかだけ確認することにした。
が、
(よく考えれば、ここの検問所の兵士に事情を伝えるだけでもいいか)
と、確認しようと思った矢先に、最終的にはそういう結論になり、王城に無理に入る必要もないという方向性に至った。
順番が来たら事情を説明し、砂漠の探索に戻ろう。
そう決意した時だった。
「はい! えー、では皆さん! 準備が整いましたので私の後ろに付いてきてください!」
突然、目の前の扉が開き、そこから顔を出した兵と思われる男が大きめの声でそう言った。
何事かと思ったが、前の三人はそれに返事を返し、特に疑問も抱かず動き始める。
もしかしたらこの検問ではあからさまに怪しい人物だけをチェックするだけで、詳しい要件などはこの先で確認するのかもしれない。
そんな簡易検問で城の敷地に人を入れるとは防衛意識の欠如も甚だしいことだが、ヒザキは特に深く考えずについて行くことにした。
「あれ? 確か三人って聞いてたような・・・ま、いいか」
そんな独り言が前を歩く兵から聞こえた。
何の話か当然分からないし、独り言に反応するのも野暮な話だ。
ヒザキは前の三人についていき、小さな扉をくぐる。
検問所にいた兵が後ろの扉を閉じ、その扉の前に新たな兵が仁王立ちで待機した。
どうやら外と内でそれぞれ兵を一人ずつ配置しているらしい。
用心深いのか、そうでないのか。
いまいち良くわからない運用な気がした。
正門をくぐると、一段と王城に近づいたせいか、一層上から押しつぶされるような圧迫感を感じる。
おそらくは逆行による城の影が自分たちを飲み込むように覆っているからだろう。
前の三人――男二名と女一名も感嘆の声をあげながら城を見上げたりしている。
「私語は慎むように」
前の兵からそう注意され、三人はビシッと背筋を正し、続く言葉を飲み込んだ。
前の三人は仲良し組なのだろうか。
やけに息が合っている。
まるでそれぞれが同じ目的を共有し、行動を共にしているかのような雰囲気だ。
石の階段を昇っていき、ようやく城の入り口にたどり着く。
ここにも小さな門がある、がさすがに城への入り口たる門は『開かずの門』ではないらしい。
道案内役の兵と異なる雰囲気を持った兵が、この城門の両側に待機している。おそらく近衛兵と言われる王の側近部隊だろう。
道案内兵が両脇の兵らに頭を下げ、扉を開く。
その様子を見るからに、道案内兵よりこの両脇の兵のほうが身分が上なのだろう。
「こちらへ」
短く案内を促す言葉。
それに従い四人は彼の背中を追いかけて進む。
枯れていても、さすがは王城。
床に敷かれる赤絨毯は勿論、天井からぶら下がるシャンデリア、細かい装飾で彩られた壁や床。その全てがこの道中で見てきた国民の住まいと格が異なっていた。
他三人も圧倒されたように周囲を見回している。
女性なんて口元に両手を当て、感涙を浮かべてすらいる。
思わず「すっげー」だの「感動した」などの小声が漏れているが、それに気づいている道案内兵も王城の偉大さを理解してもらった嬉しさか、特に注意をすることはなかった。
「・・・・・・」
ヒザキ的には少し居心地が悪い。
こういう常に緊張感に包まれている空間はどうにも苦手だった。
もはや意識は「早く要件を伝えて、ここを出たい」という方向にシフト済である。
できれば大空の下、誰の邪魔も入ることのない広大な砂漠で自由に散歩をしたい。
一行は城に入ってすぐ右手の細い通路へ案内される。
左右に何の用途に使用されているのか分からない部屋の扉が羅列されており、その扉を6つほど進んだあたりで前方を歩く兵が足を止めた。
「こちらが面接室です」
兵の案内を聞き、前の三人が息を飲む。
「と言っても安心してください。我が国は周知のとおり人手不足。既に各孤児院の院長からお墨付きをいただいている以上、ここまで来て働き口を用意せずにお帰りいただくようなことはありません」
安心させるように兵が笑いかける。
その表情に安堵の空気が広がる。
ただ一人を除いて。
「・・・・・・・・・ん?」
面接?
孤児院の院長?
お墨付き?
働き口?
このキーワードから連想される未来は、ヒザキには無縁なものに感じてならない。
よくよく見返してみれば、他の三人。やけに服装が決まっている。
正装、とまではいかないが、まさに卸したてです! と言わんばかりのパリッとした服装だ。
ここまで気合の入った服装をしている人間など、この国では見かけた記憶がない。
つまり特別な用事のためにあつらえた服装、ということだ。
「おい――」
兵に確認のため声をかけようとしたが、同時に兵も次の動作に移っており、その声は彼に届く前にキャンセルされた。
「では、部屋の中にどうぞ。採用担当としてルケニア様がお会いになられます。城の中でも重役に就かれる方ですので、失礼のないようお願いします」
『は、はいっ!』
「・・・」
兵に話をしようと挙げかけた手は行きつくところを無くし、空を切る。
仕方ない。
そのルケニアとやらに事情を説明し、サリー・ウィーパの件を伝えて帰ることにしよう。
さすがに部屋のドアを開け、中へ案内する姿勢を示している彼に想定外の話を持ち掛けるのは気が引けた。
前の三人がドアを開けている兵に頭をさげて部屋の中に入っていく。
ヒザキもそれに倣って、彼に頭を下げて室内に足を踏み入れた。
背後のドアが閉まった音を耳に残しつつ、前方の執務机に肘をのせてこちらを見ている女性を視界に入れる。
面接、という言葉にある通り、執務机と向かい合うように三つの椅子が並べられていた。
そう三つの椅子だ。
「あれ?」
こちらの様子を見て、素っ頓狂な声を上げる女性。
彼女がおそらくルケニア、と呼ばれた女性のだろう。
体調が悪いのか、顔色が悪く、全身も気怠そうに肩を落とした姿勢でいる。
「あれれ? っかしーなぁー、三人って聞いてたのに、四人いるよ? なんで? なんかの手違い?」
眼鏡の位置を直しつつ、こちらの人数を捉えてハテナマークを頭上に掲げるルケニア。
手元の資料と、こちらを交互に見比べて「あっれー」と抜けた声を出す。
「その件だが――」
「ま、いっか。どーせ資料用意した奴がミスったんでしょ。こちのせいじゃないから、どーでもいーや」
ヒザキは「ここで言うべきだ」と思ったタイミングは彼女の言葉によってかき消された。
元々ヒザキの声は大きくもなく、低いため、正直他者からは聞こえにくい部類だ。正面にいるルケニアのように女性の声、増してや大きめの声量でかぶせられたら、当然のごとく力負けしてかき消される。
現にヒザキが何かを言おうとしたことには、ルケニアはもちろん、前の三人は誰も気づいていない。
ため息をつきつつ、次のタイミングを見計らうことにした。
「あーでもでも、どうっしよーかなー。椅子がこれだと足りないよねー。あーもー、三人って聞いてたから三人分しか用意しなかったのにー。うーん、つめて座るにしてもちょっと小さいよね。よし、ちょいと待ってて。新しい椅子を持ってくるわー」
「別に立ったままで構わないが」
「だめだめーだっめー。こーいうのは『形』が大事なの。遠慮せずにお姉さんの言うこと聞くこと!」
「そうか」
そう言い残し、ルケニアはバタバタと控室だろうか後ろのドアを開いて、その奥へと姿を消す。
そんな後姿を眺めながら、何故いま会話が成立したタイミングで話を切り出さなかったのか、軽く後悔した。
*************************************
「えー、改めまして、こちの名前はルケニア=オリヴェルっていいます。今ね、ひっじょーに眠い! もう、二日間ぶっ通しで働いてるんだからぁー・・・。だから、なんかクマとかデキて暗そうだなとか、髪ボサボサで肌が荒れてて超カサカサやん! みたいな感想を抱いたら、それね、もう全部、こちに大量の仕事を置いてった悪女のせいだから! 誤解なきよーにね! こち、普段はもっと明るく清らかな・・・そんなイメージだと思うの!」
「は、はい!」
「わ、分かりました!」
「・・・・・・」
第一印象、よく喋る。
その常人から少し外れたテンションに当てられたせいか、他三人は雰囲気に呑まれ、背筋を伸ばして彼女の言葉に相槌を返す。
ルケニアが隣室から持ってきた椅子を含め、四つの椅子にヒザキたちは腰かけている状態だ。
「あぁーっ!」
『!?』
いきなりお奇声に三人が肩を震わせる。
「ぁー・・・いいねー、なんか若いオーラっていうの? うん、にじみ出てるよね。こう旨味? 若さの旨味っていうのかな? まぁガチガチに緊張しなさんなー、こち、こういう性格だから別に緊張しなくてもいーよー」
どうやら奇声にはあまり意味は込められていないようだ。
彼女は一人称に「こち」という言葉を使うようだ。それがどの国の方言なのかは不明だが、文脈からそう見て間違いないだろう。
「ていうかね、もう皆、採用決定だから。だから、こっから落ちるとかないから、安心してー。ここに通してもらったのはねー、いちおー、こちの目を通すことと、最終的に問題がないかを確認するだけだから」
先ほどの兵も言っていたことだ。
改めて採用を受け持つ彼女の言を得ることにより、面談を臨んだ三人は安堵の息を漏らす。
「んぁ!?」
『っ!?』
と、またもや大きな声に再び三人は肩を震わす。
なんと素直な子たちだろうかと、その様子をヒザキは何となく暖かく見守る。
「・・・ったー、頭が痛い・・・。痛いよぉー、もう眠りたいよぉー、寝たいよぉー・・・」
しなしなと執務机に上半身を預ける。
国の一端を担う人物には、とうてい見えない。
しくしくと額を机に当てて伏せる彼女に、面談を受けに来た彼らもどう接して良いか分からないようだ。
仕方ないので助け舟をだすことにした。
「採用決定なら、この後はどうしたらいい?」
堂々と告げるその言葉に、どこか他三人から称賛の視線を感じる。
心の声が「おーっ」と漏らしているような、そんな眼差しだ。
その言葉にルケニアも顔をあげ「そだね、ごめんごめん」と謝った。
「うんうん、とりあえず、こちの見立てでは四人とも気力・体力ともに大丈夫だと思うから、これからはそれぞれの配属先に行ってもらって、そこで改めて今後の説明を受ける感じかなー」
ルケニアはそういって、順繰りに椅子に座る者たちを見渡す。
「まずはー、カリー=ラッセルン君ー」
「は、はいっ!」
「あとその横のミリガン=ファクサルズ君ー」
「はい!」
「君たちはぁ兵舎に行ってー。これからは兵士見習い、って感じかな? 詳しい場所は、部屋の外に待ってるヘインク四等兵――あ、ここまで案内してくれた人ねー。その人に案内してもらってー。話は通してるから、この面談が終わったら勝手に案内してくれるよー」
『はい――りょ、了解です!』
「あー、こちは別に軍規とかそーいうの興味ないから、別にそれっぽく言い直さなくてもいいよー。あ、でも一般部隊の隊長さんはけっこー厳しい人だから、やっぱり気にはした方がいいかも? あと、あんまし一般部隊とは接点ないかもだけど、近衛兵部隊にいる金髪の悪魔には気を付けてねー。あいつねー、もう本当に容赦ないから。バッタリ会ったら、一目散に逃げた方がいいよー。融通は利かないし、頭でっかちだし、脳筋だし。あ、全部同じ内容か。ともかく、色々と大変なことも多いと思うけど頑張ってー」
「あ、ありがとうございます!」
「これからも宜しくお願いします!」
カリーとミリガンが固い表情で頭を下げる。
彼らはどうやらこれから兵舎で、一般兵になるべく努めていくようだ。
いまいちルケニアの城内における立ち位置、役職が不明だが、カリーたちは彼女がおそらくは遥か上役であろうと感じ、誠心誠意の感情を隠すことなく、その行動で表しているようだ。
「んでんで、次はサリエル=フォーファンちゃん!」
「はいっ!」
前二人の緊張感につられ、サリエルと呼ばれた女性も背筋を伸ばして返事をする。
「君はぁー給仕関連のお仕事に就いてもらいますー。給仕、と一言で言っても色々とあるからねー。あ、君は孤児院では家事が得意で、その中でも特に調理全般が突出しているって院長から聞いてるけど・・・ごめんね。たぶんだけど、最初は調理場にすら入れてもらえないと思う。皿洗いか、掃除か、何かしらの雑用から入ると思うけど・・・調理長に認められれば、幅も広がってくと思うから、諦めずに地道に続けて、いつか才能を生かしてね!」
「あ、はい! あ、ありがとうございます! 私・・・頑張ります!」
「おー、その意気だー。あ、こちね、三時のおやつとか大好物だから、おやつを横流ししてくれても全然かまわないよー」
「そ、そこは・・・その、調理長に相談してみます」
「ごめんごめん、ほんの冗談。そんなこと、いきなり調理長に言ったら、あの人、本気で怒りかねないから、今のは忘れて」
「あ、はい」
なるほど、表面だけ聞いていれば口からテキトーなことばかり漏れているように見えるルケニアだが、前三人への対応を見ているかぎり、決して無下に扱うような真似はしまいとしているようだ。
それを察したのか、サリエルも少し照れた笑いを浮かべていた。
そこでルケニアとヒザキの目が合う。
当然だ。
この流れでくれば最後は自分の番になるのだろうから。
「えっとー、ごめんね。なんかの手違いで君の資料がこちの手元にこなかったんよぉー。名前聞いてもいーかなー?」
「ヒザキだ」
「ヒザキ君ねー。変わった名前だねー。あ、ごめん・・・悪気があって言ったわけじゃないよー? うんうん、よし、覚えた。なんか君、やけに貫禄あるよねー。こう・・・他の三人にないオーラ的なやつ? なんだろ・・・この雰囲気、金髪の悪魔にも感じるような・・・気のせいかな、うん、気のせいだ」
後半は何か自分に言い聞かせるように小さい呟きとなったため、上手く聞き取れなかったが、そんなことより今がこちらの要件を伝えるチャンスだ。
そう思い、ヒザキが口を開きかけたが、
「よし! なんかガタイもいいし、つよそーだから君も兵舎行きにけってーっい!」
ルケニアの元気な声にまたもやかき消されてしまった。
「待て、俺は――」
「ぉおっとー!」
「――」
このままでは何故か兵舎行きになってしまう。
そう思って食い下がろうとしたが、そうはさせまいとルケニアがさらにかぶせてくる。
「だめだめ、一度勤め先を決めたら、もう変えちゃ駄目なのがルケニアルール! あ、でも・・・もし本当に辛くなったら言ってね? 他の場所とかも検討するから。でもー! いきなり諦めるのは駄目! 何事も経験ありき。まずは兵舎で一般兵を目指すところから始めて、そこでまずは一か月は頑張ること! がんばれ―がんばれー」
「いやだから、俺は・・・」
「もー、ヒザキ君、駄目だぞー。前の三人を見習わなきゃ。そりゃー資料がないから、こちの見た目で判断しちゃうって経緯もあるから不満もあるだろうけどー・・・うーん、あれ? 情状酌量の余地ありそーだなぁー・・・いやいや、もう決めた! 決めたからには頑張ってもらう!」
「おい・・・」
駄目だ。
こちらの言葉が届かない。
どこか早めに終わらせようとする勢いでルケニアは「おーい、ヘインクー」と外にいる兵を呼んでしまう。
「はい、終わりましたか、ルケニア様」
すぐにヘインクと呼ばれた四等兵が入室する。
「男の子三人を兵舎に案内したってー」
「了解しました」
『宜しくお願いします!』
「はい、それではついてきてください」
『はい!』
もはや止められない自然な流れ。
ヒザキは思いのほか、自身が優柔不断の性質を持っていたことに内心で舌打ちをしてしまう。
さて、どこで引き返すべきか。
正直、このルケニアに何かを言うのが面倒な状況に感じる。
というか既にルケニアの姿がいない。
「・・・・・・」
どうやらルケニアは残った女性を調理場の責任者のところへ案内しているようだ。
開け放たれた廊下の奥で女性二人の会話が遠ざかっていくのが辛うじて耳に届いた。
「どうしたものか・・・」
いっそのことヘインクの肩を掴んで、無理にでも話を聞いてもらうか。
当然、彼は何事かと強く出てくる可能性もあるし、こちらの話を聞いてもらうまでに多少強引なやり取りに発展する危険性もある。
しかしそうすると、今日から晴れて働くカリーとミリガンにとっては苦々しい思い出として、心にしこりを残してしまうかもしれない。
それは感情の薄いヒザキにも『できればやりたくない』という結論を結ばせた。
「仕方ない」
流れに身を任せる。
もはや今日何をしようとしていたのか、どうしてこんなことになったのか、顧みることも面倒になってきたヒザキは、とりあえず兵舎についてから考えよう、と問題を先延ばしにすることにした。
ああ、実に悪い癖だ。
他人との接点を得ることで初めて見えてくる欠点。
今日はそんな新しい欠点に出会えたことに感謝、ではなく怨嗟をぶつけつつ、結局のところ改善するまでの強い気持ちも芽生えず、小さなすれ違いの流れに乗っていくのだった。




