第19話 砂漠からの警鐘
暇つぶし、とレジンに言った。
そのことは嘘ではないし、出会ったばかりの孤児院の面々に過度な世話を焼くのは違和感を感じるため、その心情に間違いはないだろう。
だが、それはあくまでも今の自分自身の心情だ。
過去の自分はこう呟く。
「ああ、懐かしいな」と。
やれやれ、と嘆息する。
一体どのくらい過去のことを未練がましく、その胸の内にみっともなく絡みつかせているのか。
もう戻れない時代。もう触れることのできない世界。
どれほど想おうが、どれほど後悔しようが、どれほど理不尽に憤怒の炎を滾らせようが。
その過去は確定したものであり、取り返すことはできない。
考えるだけ無駄なのだ。
過去とは向き合い、折り合いをつけ、明日へ進むための道しるべでしかない。たとえ道を誤ったとしても、戻ることはできないが、軌道修正することは叶う。それを判断するための材料でしかない。
後悔や葛藤など、その判断を鈍らせる負の要素に他ならない。
だが胸の内にあるセピア色の記憶が、心の中に並べられた小さな蝋燭に火を灯す。
とっくに溶けきって、その存在を無に帰したと思っていた蝋燭の群れ。そう思っていたのは、自身の意識下の話であって、おそらく蝋燭自体はずっと其処に存在し続けていたのだろう。「消えた」のではなく「目を逸らしていた」蝋燭たちが、その蝋燭が蝋燭たる所以に抵触する感情に揺さぶられるかのように、温かく光を放ち、その存在を主張してくる。
過去、それらをどんな心境で眺め、何度も「消えてくれ」と乞い願ったか。今となっては、当時の激情すら他人事のようにも感じる。が、その姿を見て、やはり胸が苦しくなるのは、その他人事に感じる感情すらも「目を逸らしている」結果なのかもしれない。
その火から流れ込んでくる温もりが、どこか暖かくて、どこか悲しい。
忌々しいと感じつつも懐かしさを感じ、突き放したくとも、それに徹底しきれない曖昧かつ形容しがたい優柔不断な感情の奔流を感じた。
左腕がうずく。
存在しないはずの左腕に確かな熱を感じた。
(俺は・・・重ねているのか?)
自問に対し、自答は沈黙を通す。
まあいい、と答えを返さない自分自身に質問を打ち切る。
過去に引きずられ、現在にそれを投影し、重ねて陶酔する。
そんな行為は単なるエゴでしかない。
しかし人間とは、エゴの塊と言っても過言ではない存在だ。エゴなくして文明を築き、その中で生を謳歌する人間はいない。
その人間という生物の根幹ともいえる遺伝子に組み込まれた本能が何度も囁きかけてくる。
――お前は過去をやり直して、過去を清算したいのだ。
――お前はあの暖かい時代をもう一度感じたいのだ。
――お前は・・・
(くだらない感情だな。まだ俺にこんなものが残っていたとは・・・驚きだな)
右手を左腕のあるであろう空間に持ってくる。
既にその存在を失っている左肩から火の粉が舞っていく。肩付近の筋線維が赤く明滅し、その隙間から赤い火の粉が漏れだしてくる。
(燻りは消えない・・・か)
不意に辺りが明るくなってくる。
どうやら目が覚めるときらしい。
夢にしては、実につまらないものだったな、とヒザキはため息をついた。
それはやはり達観や割り切りなどではなく――ただただ認めたくない本心から、目を逸らしているだけなのかもしれないことを、ヒザキは最後まで気づかなかった。
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リーテシア曰く「端っこ孤児院」で二度目の夜を明かした。
ヒザキは孤児院の活動として、アイリ王国の中央広場の砂掃除に向かったレジンやリーテシアたちを見送り、残ったベルモンドたちに「また外に出てくる」と言って、彼は一人、国の中を歩いていた。
広大なサスラ砂漠と、荒廃した山脈に囲まれたアイリ王国。
世界すべての国を列挙しても、この国ほど疲弊し、それを打開する術もなく朽ちていく国はないだろう。
ヒザキが歩いている道は決して脇道ではなく、横に並べば20人は歩けるであろう広い道にいる。
おそらくは行商用の荷車も通れるよう配慮された国内を繋ぐ主要道路の一つなのだと想像される。
しかし、そんな道に人通りは乏しく、たまに見かける国民も生気を抜かれたかのような無気力さを感じる。少なくとも胸を張って活力に満ちた人間は誰一人として見かけなかった。
そう考えると、あの孤児院の住民はこの国の中でも「生きようとする力」が強い部類なのかもしれない。その中に昨日、話の流れで怒らせてしまったミリティアの顔も脳裏に浮かんだ。彼女もこの国の現状の中を足掻き、諦めずに国の再建を目指す人間の一人なのだろう。彼女の国を想う気持ちは本物だ。だからこそ国を守るため、先日の魔獣の件で情報を収集し、国や民へ被害がでないよう予防措置を取ろうとしている。昨日の聴取もその一環だろう。最も――彼女の能力はあくまでも防衛・戦闘に向いている。国を守る意味ではその能力は発揮されるだろうが・・・、国を再建する意味でいけばどうなのか。
ヒザキは「自分が考えることでもないな」と息を軽く吐き、思考を切り替えることにした。
「さて」
孤児院から外壁に沿って歩いて40分程度。
たどり着いた先は――門だ。
巨大な扉が目の前にそびえたつ。
アイリ王国の東門だ。通称「開かずの門」。砂漠に面したアイリ王国の二つしかない門の片割れである。
砂漠は百害あって一利なし。そう判断を下したアイリ王国が最後にこの東門を開けたのは何年前か。そんな記憶を持っている人物を探すのが困難なほど、この門はしばらく開けられていない。
手荷物はベルモンドから貸してもらった、麻縄で編まれた背嚢が一つ。
ベルモンドが実際に商品を詰め込んだものよりも小さく、造りも弱いものだが、必要なものを詰め込む用途としては十二分なものだった。
背嚢には万が一、遭難したことを考慮し、乾物を幾つかと元々持っていた替えの服をテキトーに押し込んでいる。
背嚢を肩にかけ、門を見上げる。
もはや門としての機能は果たされておらず、国を覆い囲う外壁の一部と化しているその門は、何処か寂しげな表情をしているようにも見えた。むろん、無機物にそんな感情などあるわけもないのだが。所々、風に晒されて崩れ落ちている門の表面を見ると、本当に長いこと放置され、今や国民の誰からも関心を向けられていないことがヒシヒシと伝わってくる。
「これを門として開けるのは、もう難しいだろうな」
門の扉に右手をつける。
軽く擦っただけでボロボロと表面が剥がれ落ちてくる。
外壁含め、素材は土で構成されているように見えるが、土だけで構成された塀が長期間持つわけもない。ついてはここはフールと言う凶悪な砂嵐が舞う地域なのだ。おそらく外装を固めているのは土に近い物質なのだろうが、根幹となる部分は何らかの強固な素材で構成されているのだろう。
と、別に外壁調査に来たわけではなかったことを思い出し、再び思考を切り替える。
愛用の大剣は孤児院に置いてきている。
さすがに鞘無しの抜身の剣を片手に公道を歩くほど世間知らずではないつもりだ。
今日あたりにでも適当な店に向かい、新調するか新たに購入するつもりだったが、その前にベルモンドから声をかけられた時に鞘の話題が出て、結果的にはベルモンドに調達をお願いする形になった。「物」に関しては彼の方が経験も知識も圧倒的に上だ。任せるのが最適と考え、ヒザキも特に考えずに彼に任せたが・・・。
「・・・剣を売られていないといいが」
良く考えれば、ベルモンドはかの名工サルヴァが打った剣の価値をよく知る男だ。
彼が本気を出せば、剣にあることないこと英雄譚も付け加えて、付加価値を最大限に高めた後に限界以上の額で売り飛ばすことも可能かもしれない。
とはいっても、ここは金より食糧の方が需要がある国。国民一人あたりの私有財産は勿論のこと、点在する商店ですら国の補助を受けないと品すら揃えられないほど資本が枯渇しているのだ。
そんな買い手がいない市場で、現地で売り飛ばされる可能性は無いと断言しても良いだろう。
ベルモンドという人物を信用していないわけでもなく、そういう人間だとも思ってはいないが、物的状況からの安心感はあって損はないものだ。
そんなことを考えつつ、若干、剣を包んでいた鞘が腰にないことに物足りなさを感じた。
砂が一陣、舞い上がる。
風が出てきたかと思ったが、そうでもないらしい。
刹那だけの一陣の風が通り過ぎただけだったのか、以降は特段風が吹く気配もない。
門を見上げたヒザキは背嚢を改めて肩にかけなおし、少しだけ腰をかがめた。
そして、
「ふっ――」
意図して漏れたのか、その行為によって口内の空気が漏れたのか、短く息を吐いたヒザキは門に刻まれた紋様の凹凸に足をかけジャンプする。そして次の突起物に反対の足をかけ、さらに上へ、上へ。
何十回か同じ動作をしたヒザキが最後に足をかけたのは――門の上、外壁の上だった。
同時に視界が広がる。
地平線の彼方まで広がる砂の世界。
それは圧巻と表現するほかない、人の住まわざるべきでない別世界。
サスラ砂漠。
世界最大の砂漠がヒザキを歓迎するかのように、静かに、しかし壮大に景色を埋め尽くしていた。
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魔獣という生物がこの世界には存在する。
魔獣、という響きから禍々しさを印象を受けてしまうものだが、実際は魔獣の「魔」とは魔法や魔素というワードが由来となっている。この世界に存在する魔法を具現するための要素は、まだその実態が明かされておらず、その存在は証明できるがその実態は証明できない――いわゆるブラックボックス的な存在であることから、「魔素」と呼ばれたり「魔法回路」と呼ばれたり呼称が定着しないのが現状であった。おそらくは将来的にその存在を解き明かし、確立した学者が決定づけたものが真の呼称となるのだろう。
仮にこの要素のことを「魔素」という呼び方としよう。
この「魔素」は大気中に存在する無味無臭無色の酸素のような存在である。酸素が人間に絶対的に必要な要素であり、濃度が高ければ猛毒になったり、可燃性が高くなったりするように、この「魔素」も同様に待機中に漂う分に関しては人体に害はない。ただし、何らかの理由で「魔素」の濃度が高くなった場合、それを生物が体内に取り込むと遺伝子異常を起こす。
遺伝子異常、とあるが、基本的にそれで生物が死ぬことはない。
死ぬことはないのだが、その主としては終焉を迎えることになるのだ。
濃度の高い「魔素」を取り込んだ生物は変異する。それは肉体だけではなく精神も蝕み、まったく別の形へと変質するのだ。ただ、元の遺伝子に依存しているのか、同じ動物が変異した際は、大体決まったパターンへと変異することが長年の研究の成果として認められていた。
そういった犬や猫などの動物が「魔素」を取り込み、変異したなれの果てを「魔獣」と呼び、人間の場合は「溶人」や「魔人」と呼ばれる。
魔獣は今や約400種に上ると言われ、その数は世界中の人口の半分を占めるほど数を増やしていた。それに比較し、魔獣にはなっていない動物たちの数が減少傾向にあるため、自国の領土に繁殖場を設け、食糧難に陥らないための予防線を張る国も増え、今ではそういった対策を取っていない国の方が珍しいほどだ。その珍しいグループにアイリ王国も含まれている。土地があっても餌を用意することすら厳しい国のため、仕方ないと言えば仕方が無かった。
また魔獣はその空腹を満たすため、自然界に住む動物は勿論、人間も見境なく襲ってくる性質が濃いため、約400種の中の9割以上が討伐対象に指定されているほど凶悪な存在でもあった。
では人が成り代わる「溶人」や「魔人」とは何なのか。
前者は過去にもいくつかの目撃例がある。
溶人とは別称「魔人の成り損ない」とされている。
形状は個体差があるものの、一貫して言えることは「狂っている」ことだ。
理性あっての文明、文明あっての人間。それが人が人である矜持ともいえる。それが何もない。否、あるのかもしれないが、それが見て取れない。何を考えているのか、何か目的があるのか、何も見えてこない存在なのだ。
ある溶人は――立ち尽くす。雨に晒され、雪に埋もれ、風に削られ、その原型が塵に還るまで永遠に、ただ何もしないでその場に立ち尽くす。
ある溶人は――喰らい尽くす。ただその空腹を満たそうと対象が生物であろうと無機物であろうと、その胃に収めようと暴虐の限りを尽くす。
ある溶人は――暴れ尽くす。破壊破壊破壊。壊れた人形のように、何も学習せず、何も感じず、同じ動作を繰り返し、その過程で破壊尽くす。
それが溶人となった以前の人間性が関連しているのかは、未だ不明だ。
一貫性のないその狂い様を見た者が、その様子をまるで「脳が溶けたかのように狂っている」と呟いたところから「溶人」という呼称へ繋がっていったと言われている。
その姿は人を構成する要素――頭、手足、胴の構成こそ崩れないにしろ、その様子は人ならざるものとなるらしい。筋肉が膨張して胞状の瘤を体中に生やした者もいれば、ドロドロに皮膚が溶けたまさに「溶人」と呼べる様の者もいたそうだ。
最近は「魔素」に対しての対策も取られており、よほどの想定外の事態でも起きない限り、新たな「溶人」は生まれていない。ただ既に生まれた「溶人」が全て滅んでいるかどうかの確証もないため、各国は今だ「溶人」を国の脅威として認識し、警戒心こそ薄れてきているものの、その存在定義は今だ国の骨幹に根付いている。
溶人は「魔人の成り損ない」である。
では「魔人」は完成系なのか。
何を以って完成と言うのか。
一体どのような存在を「魔人」と指すのか。
正確に言えば、この世界に生きる人間の中でそれを証明できる者はいなかった。
「魔人」とは「伝説上の存在」「架空の存在」とも考えられている。その理由は単純明快、誰も見たことがないからだ。過去の文献や詩等でその存在は謳われることがあるが、実際にその存在を目の当たりにした人間は、今、生きている中にはいない。
もしかしたら「魔人」とは、「溶人」の醜さから目を逸らすために、「魔素」に侵された先にも希望はある、という妄想から生み出されたものなのかもしれない。「魔素」に侵されても、必ずしも狂うわけではなく、人としての精神を保ち、人としての形を維持できる可能性がある、のだと。
曰く、魔人は人と変わらない姿をしている。
曰く、魔人は神の如く、限りない力を振るう者である。
曰く、魔人は失われた六つ目の属性を解き明かす者である。
よくよく考えれば、元は人なのだ。
それがもし意識を保ち、姿かたちも人と変わらないのであれば、それは人と何ら変わらない存在なのかもしれない。そんな存在が未だ解明されない魔法陣の「欠けた最後の属性」を解き明かせるわけもなく、突然大きな力を振るえるとも思えない。
現実を追い続け、解明せんとする研究者や学者たちの間では、「魔人」とは眉唾物以外の何者でもないのが悲しいかな、現実であった。
さて話は魔獣に戻る。
ヒザキは30メートルはあるであろう高い外壁の上から飛び降りる。
降りる先は当然、アイリ王国内ではなく砂漠の方だ。
ボフッと着地点から盛大に砂が舞い上がり、もっと静かに降りるべきだったかと思いつつ、体中に降りかかった砂を右手で落とし、ヒザキは改めて広大な砂漠を眺める。
並の人間であればこの高さから飛び降りれば、砂がクッションの役割を果たしたところで骨折してもおかしくない。しかし日々、旅人として世界を旅するヒザキにとっては日常の範疇に収まる程度のアクションなのか、特段その行為に疑問を呈することはなく、さも当然という表情だった。
そんな彼は一歩、二歩進んだところで足を止めた。
「・・・・・・」
靴底から伝わる微かな振動。
何も警戒せずに歩いていれば気づかないほどの微妙な振動だ。
膝を折り、掌を砂上に置く。何かが砂中を這いづりまわっている、そんな感触を受けた。
「降りてすぐ、か・・・。随分と好戦的なものだ」
しばらく、と言っても昨日もヒザキは同じ方法で砂漠に降り立っている。
その際も今と似たように、こちらの足音を聞きつけ、近づいてくるものがいた。おそらくは昨日と同じものが相手だろう、とため息をつきつつヒザキは立ち上がった。
そしてタイミングを見計らい、軽く前方にジャンプする。
瞬間、
先刻までヒザキがいた場所が裂けた。
裂けたのは砂漠を構成する砂の絨毯だ。その絨毯が鋭い風を切るような音と共に裂け、その空洞にサラサラと砂を落とし込んでいく。やがて空洞は砂で埋め尽くされ、元の状態に戻っていった。
「サリー・ウィーパか。昨日といい、獲物を狩ることに熱心なことだ」
サリー・ウィーパ。
砂漠地帯を生息地とする魔獣である。
魔素に侵される前は蟻であったとされているが、実際に蟻の中でもどの種が成ったのかまでは判明されていない。性格は肉食で獰猛。砂漠の地下50~100メートルほどに全長1キロメートル級のコロニーを形成し、1つのコロニーにおおよそ100~500匹程度のサリー・ウィーパが生息していると言われている。
形状は蟻のそれに酷似しているが、その手足には鎌のような鋭い刃が備わっており、今のように砂中から獲物に近づいていき、その手で切り殺してからコロニーに持ち帰る習性がある。
魔獣の中では小型に分類される魔獣だが、それでも小さいものでも1メートル近くある魔獣だ。戦闘経験のない人間であれば、すぐに殺されてしまい、餌としてお持ち返りされるのが見て取れる危険な生物である。
ヒザキは癖で腰に右手を回してしまうが、そこに愛剣は存在しない。
ああそうだった、と嘆息し、眉を顰めた。
正直、昨日に続き、今日も砂漠に降り立ってからすぐに襲われるとは思わなかった。昨日、サリー・ウィーパに遭遇した際はすぐにその場を離れることを優先し、その足で砂漠の先へと向かったものだ。別に昨日それが出来て、今日出来ない話ではないし、当然ヒザキはそうするつもりだった。
しかし二日連続でサリー・ウィーパに襲われることで、一つの懸念が浮かんだのだ。
「まさか・・・コロニーが近いのか?」
サリー・ウィーパの狩場は砂漠ではあるが、必ずしも砂漠でないといけない、という理由はない。
過去には砂漠から500メートル以上離れた位置までコロニーを拡大され、砂漠ではなく陸地でも人が襲われるという事件も起きている。
つまり、この魔獣は活動領域こそ砂漠を中心としているが、地中に住処として建設するコロニーにおいては砂漠でなくとも構わないのだ。
ヒザキは少し右にずれて、再びサリー・ウィーパの攻撃をかわし、背後の塀を見上げる。
さて、徒手による対応でも数匹は相手取る自信はあるが、今はそれを推してまで前に進む必要があるかと言われれば微妙なところだ。
サリー・ウィーパは地中を本拠とする魔獣。
そして、人が魔獣から身を守るための盾である塀は、地中には存在しない。
少々面白くない展開になりそうな予感がした。
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厳密にいうと、砂漠に面したアイリ王国が地中からの魔獣の進行に対して、何らかの対応策も持っていない、ということはなかった。
特にまだオアシスという水源に満たされ、砂漠を渡る際の拠点による旅人や行商からの収益と、地域性を生かしたリゾートによる収益で潤っていた時代においては、魔獣による被害は死活問題であった。
その被害は何としても抑えなくてはならない。
特に観光などを名目にするのであれば、尚更だ。一度でも魔獣による被害など出ては、一気に信頼が堕ち、リゾートとしての価値は無と帰すだろう。
それを回避するため、砂漠を横行するゴム質の弾力性の強い皮膚を持つワームという魔獣であったり、人の視覚の外から攻め込んでくるサリー・ウィーパ等の魔獣に対しての対応策も、練って練りこみすぎるほどの対策を立てていたのだ。
しかし、それも対応できるための人の数と資金あってこそ。
今のアイリ王国にそれがあるかと言われれば、厳しいというのが現実だろう。
結論を言うと、当時、魔獣対策として働いていた防衛機能の9割が停止しているのが今のアイリ王国であった。
30年前より、アイリ王国はライル帝国の提案を皮切りに、孤児などの受け入れを継続して行っている。
孤児たちは幼いころから『奉仕活動』という名目の――いわば国に浸透させるための簡単な仕事を義務付けられている。
時には風に舞われて降り注ぐ砂を掃除したり、
配給日には城門前で配給の手伝いなどを行ったりする。
奉仕活動は多岐にわたり、その内容も固定はされておらず、国がその時その時に必要だと判断したものを重点的に行わせるよう、各孤児院の院長に指示が出される。それに沿って、それぞれの役割を全うするのが習わしだ。
その孤児たちも時間がたてば成長する。
子供を満足させられる食糧もないため、あまり健康的な育ち方をする子は少ない。だが、その中でも突出して才能を開花させる子供もいる。そういった者が城に使えたり、水牽き役に就いたり、国を支える役職に就くことが多かった。
要は人員不足を補うとしたら、真っ先に補充されるのは国を示す王城ということだ。
それでも人は不足していた。
元々、人口の平均年齢が高かったこともあり、孤児が成長し、一部の子供たちが国を支えるために城に仕えたとしても、サイクルが間に合わないのだ。減る人のスピードの方が速い、というのが現状であった。
そして、その人員不足という実情は、あらゆるところで軋轢や不安を増幅させる。
「あぁーーっ! もう!! いや! すべてを投げ出して逃げ出したい!!」
「ほぅ、私を目の前にして大胆不敵な発言だな」
「やかましぃーわ! 誰の依頼のせいだと思ってん!?」
目の前の書類を感情に委ねて思いっきりまき散らす。
その光景に眉をしかめ、仏頂面を浮かべるのはアイリ王国の近衛兵筆頭部隊の隊長を務めるミリティアだった。
「もう、やってらんないわー! やってらんないわ!」
「子供じゃないんだ。衣食住まかなってもらっている身で贅沢をぬかすな」
「おーおー、うら美しい女隊長様は愛国心に満ち溢れてますねー」
「当然だ。私たちはこの国に育てられ、今こうして生を実感しているのだ。感謝こそすれ、そこに疑いを持つ余地などあるはずもない」
「うっわー、真面目に返されると、こちも返す言葉もないわー」
「納得したのであれば早く仕事を再開しろ、ルケニア」
ルケニアと呼ばれた女性は、眼鏡の位置を手で直しつつ、眼前で仁王立ちするミリティアを恨めしそうに見上げる。
「こち、もう限界。もう寝たい。ね? いいでしょ? だってもう2日ぐらいぶっ通しで働いているよ?」
ちょっと懇願風味に頼んでみるが、相手はこの王城の中でも堅物ランキングのベスト3に位置する人間だ。全く期待はしていなかったが、その通りの返答が返ってきた。
「安心しろ。私も2日前にお前に会ってから睡眠はとっていない」
「それ安心できる要素じゃないからね!? アンタとこちを一緒にするな! こちは一般人、アンタは脳筋! アンタが2日寝なくてよくても、こちは1日に12時間は寝ないとダメな繊細な体なの!」
「鍛え方が足りないから、そんな弱音が出てくるんだ。そんなことより、例の魔獣はやはり新種だったのか?」
「くっそー、くそくっそー・・・、もう本当にこの女、嫌やわー。女として大事なもの全部持ってる癖に、それを捨てて、かつ『それが何か?』ってお高くとまってるのが尚更ムカつくわー」
男から見れば誰もが目を惹かせる美貌を持つミリティア。それだけの容姿を持っていながら、そのことには目もくれずに近衛兵として邁進する姿は美しいのかもしれないが、同じ女性として何か欠点の一つでもないと悔しいのが正直なところだった。
ルケニアはまたずれた眼鏡を直し、嘆息する。
「あー、あの魔獣ねー。あの黒ッコゲな魔獣。一応、焼け残った部位を持ち帰って検証したけど、少なくともアイリ王国では見ない種だったわ」
冷静さを取り戻したルケニアの様子を見て、ミリティアは一つ息を吐いて、
「最初からその報告を言え」
と冷たく言い放った。
「やっかましいわ! なんなの!? こちが真面目モードに入るの気に入らないわけ!? あー、それならこの高揚感溢れる状態で話を続けてやろーかしら! あー、頭が痛い・・・鼻血でそう・・・」
「それで新しくサルマン孤児院から王城に就くことになった子らは使えそうか?」
「鼻血でそー」
鼻頭を抑えてチラチラと見上げるルケニアにミリティアは一瞥し、おもむろに腰のエストックの柄に右手が滑っていく。
「私も忙しいのだが?」
「おっけー、もう完全におっけー! はいはい、あの子らねー。3人採用ってことになったけど、2人は兵士見習い。1人は給仕の方かねー。こちのいる研究班に適性のある子が一向にいないっていうのが不満点かなー。てか、なんで研究班のこちが採用担当まで担ってるの? あれ? これ、おかしくない!?」
「一人が複数の役職をこなすのは素晴らしい才覚だと思っている。私は剣の道しか歩むことのできない猪のようなものだからな。いつも感謝しているさ」
「・・・・・・そ。ま、まあ・・・頑張るけどさ」
ルケニアは堅物が苦手である。
冗談は通じないし、駄々をこね過ぎると本気で怒ってくる。
しかし何よりも苦手なのは、こうしてちょっとしたことでも真面目に感謝を述べてくる真っ直ぐさなのかもしれない。
「頑張るついでにお願いしたいことが・・・」
「分かってたけどね! アンタがこの部屋に来たのが、単に報告を聞きにきただけじゃないって分かってたけどね!」
ルケニアはさらに増える仕事に絶望を感じながらも、結局は断れないミリティアの依頼を受けることとなった。
ルケニアは切実に思う。
早く新人が欲しい、と。
採用を担当しているのは彼女なので、どうとでも都合をつけられそうなのだが、中々彼女の目に留まる人間がいないのも確かだった。
人は欲しい。
だけど中途半端な人間はいらない。
アイリ王国を支える王城研究室の班長、ルケニア=オリヴェル。
彼女の睡眠時間は今日も無常に削られていった。




