第13話 予想外な口論
「・・・・・・」
アイリ王国が誇る最大の武器にして、盾である近衛兵の部隊長であるミリティア=アークライトは、まだ熱気残る山岳地帯の中腹にいた。
つい数十分前には、ここにこの状況を作ったと思われる人物らがいたが、彼らは部下と一緒に下山しているところだ。
ミリティアは片膝をついて、軽く地面に指を触れようとするが、燻った火の粉が舞ってきたため、その手を引っ込める。地に接していた膝宛も熱を通してきたのか、その熱さにたまらずミリティアは立ち上がった。
「この焼け跡・・・まるで炭化したかのように高熱で黒ずんでいるな・・・」
ここ一帯の地表は、炭素を含んでいないため、炭化現象は起こり得ない。
しかし余程の高熱を浴びたのか、未だ地表は赤く燃えており、何本もの直線状にその跡は続いていた。
「ミリティア隊長!」
「なんだ?」
背後からかけられる部下の言葉に、ミリティアは言葉だけを返した。
熱気に当てられたのか、部下の頬には幾筋も汗が流れ落ちていた。
「例の・・・行商ですが、本日のところは東奥にある孤児院を宿として提供することとなりました」
「孤児院? ・・・ああ、一緒にいた子供たちが孤児だったのか」
「そのようです。魔獣から助けてもらった感謝の意、ということもあるのでしょう」
「・・・その提案は誰がしたものだ?」
「は、提案ですか? それは一報を受けた同孤児院のレジン院長ですが・・・」
「そうか。特にその流れを誘導する節もなかったか?」
「そ、そのような報告は聞いてはおりませぬが・・・如何されたのでしょう?」
「いや、気にするな」
部下の困惑を他所に、ミリティアはその提案が行商側から提案されたものかを疑った。
ようは姦計の類を疑ったのだ。
国民を助けてもらった身としては失礼極まりない考えだが、考えるだけなら自由だ。近衛兵として、まずは国に危機を及ぼさないかを優先して考えるべきと判断し、彼女は彼らに対しての敬意は一旦、心中のみ忘れることとした。
本来であれば、行商などの客人であればそれ相応の宿を紹介すべきだし、魔獣から国民を救ったのであれば国賓と同様の扱いをすることもあり得る。そういう希望を言えば、国も無碍にはできない。
しかし行商の者たちはそんな考えは見せずに、東奥に位置する孤児院を宿にするようだ。
(・・・裏の目的がある? いや、この情報量で何かを結論付けるのは危険だな。部下たちも深くは事情を確認していない段階でもある。まずは情報を集め、整理することが最優先だな)
部下に視線を移す。
「魔獣の件はどうだ? この辺に魔獣が出没するのは珍しいことだが、何か原因は掴めたのか?」
「いえ・・・魔獣がなぜここまで来たのか、明確な原因は掴めておりません。ただ、仮説はあります」
「言ってみろ」
「はっ。魔獣のだいたいは炎の魔法により原形を留めておりませんでしたが、一体だけ損傷が少ない個体がおりました。その姿を確認いたしましたが、我々の見たことのない魔獣でした」
「・・・」
ミリティアも現場検証をする際に、魔獣の遺体は目を通していたため、部下の発言は予想していた。
特に驚きも見せず、部下に続きを催促する。
「正確に裏付けるためには国の魔獣記録、および連国連盟の記録を参照する必要はありますが・・・、あのような銀の体毛に赤い縦毛をもった魔獣は初めてではないかと思われます。そして、それを前提として話せば、この魔獣らはこの近辺の天候をまだ知らなかったのではないかと思われます」
「つまり、フールの存在を知らずにここまで進んできた、ということか」
「は。フールの存在を知っている動物は、魔獣も含め、ここまで来ることはありません。また、植物も自生できない環境ですので、食糧問題も兼ねて、やはりここまで来るメリットがないので・・・」
「そうだな・・・お前は国の研究班にこの旨を伝え、魔獣の生態について過去に記録がないか調べろ。また、国民に外出を禁ずる指示を王室に申請。至急、防衛線の見直しを進めろ」
「は! 了解です!」
走り去る部下の背中を見送りながら、ミリティアは軽く息を吐く。
(魔獣は自分の意志で来たのか、それとも――行商らが連れてきたのか、可能性は数多に存在する。私自身も彼らに一度話を聞く必要があるかもしれないな。衛兵の件もあるし、やれやれ・・・対応しなくてはならないものが山積みだな)
新種の魔獣が現れ、それがフールにも怯えず、国に向かってくるのであれば、消耗している兵力に鞭を打ってでも戦わなくてはならない。
そんな状況で衛兵の職務怠慢と放棄。
水牽き役も戦力としては有力だが、彼らには何よりも優先すべき仕事があるため、あまり無理はかけられない。
最悪の未来を想定して、先手を打つには、アイリ王国の手札は少なすぎる。
こんな状況の中、不穏分子になり得る行商たちの入国。
「・・・・・・」
ミリティアは頭痛を少し感じたが、それを表には一切出さず、代わりに少し目を細めた。
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「このたびは貴重なお時間を割いていただき、誠に感謝いたします。また、王国国民の命を救っていただいたこと、国を代表して御礼申し上げます」
そう言って恭しく頭を下げたのは、ミリティア=アークライトだった。
彼女の来訪を全く想定していなかったのか、リーテシアを始め、誰もが唖然と口を開く。ヒザキのみが表情に一切の変化が見られなかったが、ミリティアに目が向いている彼らはそんなことに気づく余裕すらなかった。
「うっへぇ~、話は聞いてたし、遠目に見たこともあったけど、近くで見るとえっれぇー美人さんだなぁ・・・」
「ちょ、ちょちょっと、ベルモンドさん! し、失礼ですよ・・・!?」
思わず感想が漏れてしまったベルモンドに、慌ててセルフィが言葉を返す。
「おっと・・・」
ベルモンドも口を閉じ、ミリティアの反応を見る。
彼女は「何も聞こえておりません」と言った風に目を閉じ、そのまま会話を続けた。
「申し遅れましたが、私の名はミリティア=アークライトと申します。このたび、あなた方からお話をお伺いに参りました。以後お見知りおきを」
スッとお辞儀をする仕草は、どこかの令嬢と言っても過言でないほど、洗練されたものに見えた。
彼女が仮に軽鎧ではなく、ドレスを着ていたのであれば、姫や王妃と言われても誰も疑わないだろう。
リーテシアは「うわぁ・・・」と羨望の眼差しを向けた。
「近衛兵の・・・それもその頂点にいる君が、なぜこのような事情聴取に?」
羨望と憧憬の空気を読まずに、冷静に言葉を発したのはヒザキだった。
ベルモンドが「ええー・・・?」という表情をヒザキに返すが、それを無視してミリティアから視線を外さない。
「・・・当然の疑問ですね。あなた方もご存じのとおり、我が国は人手不足にあえいでおります。昨日の一件の事後処理と今後の対応については部下たちに指示をし、部下たちは懸命に働いてくれています。そうしますと、逆に手が空いてしまったのが、私ということになります。他に担当を配備できればよかったのですが、そうできる余剰すらいないのが現状なのです」
「指揮官とは『その場にいる』ことが重要だと思うのだがな」
「・・・私には優秀な副官もおりまして、もし指示に変更を余儀なくする際も彼にその役目を担わせています。あなたの仰ることも尤もですが、指揮系統に問題は起きないよう善処しておりますので、ご安心いただければ幸いです」
「それならば、その優秀な副官が来れば良かったのではないか?」
「・・・っ」
まだ会って数秒しか経たないうちに剣呑な空気が部屋を満たす。
そんな空気に見かねて、ベルモンドは慌てて「おいおい!」とヒザキを止めに入った。
「い、一体どうしたんだよ? なんでそんなに喧嘩腰なんだ!?」
ベルモンドに視線だけ向け、ヒザキはため息交じりに言葉を吐く。
「いや・・・随分と捻くれて育ったものだな、と思ってな」
「・・・いかにも私を昔から知っているかのような口ぶりですね」
「そう聞き取れたのであれば誤解だ。君とは昨日が初対面だからな。聞き流してくれ」
「・・・・・・」
二人の視線が交差する。
ヒザキは飄々と、ミリティアは彼女にしては珍しく睨むような目つきになる。
「おいおい・・・ちょっとちょっと、どうにかしてくんね、女性陣。これ無理だわー、俺には手に負えねーって感じだわ」
「わ、私に振らないでください・・・。そもそも何でヒザキさんはあんなに食って掛かっていったのか・・・原因も分からないんじゃ、仲裁にも入れませんよ・・・」
「お腹空いてるんじゃない? ほら、空腹ってイライラするだろ」
「そりゃ、おめーだけだよ・・・ヴェイン。普通の大人はもっと節度持って生きてんの」
「あんたに節度なんて大層なもんあったっけ?」
「おめーよりはあるわ!」
「ふ、二人ともお静かに!」
ベルモンド、セルフィ、ヴェインがひそひそと相談を始めるが、結局のところ、突然始まったこの状況を打開する術は思い当たらなかった。
リーテシアも何故ヒザキがこんなことを言い始めたのか、理解できずにオロオロと二人を交互に見やるのが精一杯だった。
「どうやら・・・何か私に気に障ることがあったようですね」
「ああ、気に障った」
「・・・っ?」
まさかストレートに返ってくるとは思わず、ミリティアがはっきりと息を飲むのを周囲の誰もが気づいた。
「そ、それは・・・一体どのようなことに、でしょうか?」
いつも自身と相対する者は、羨望か畏怖か、いずれにしろ大きな壁を挟んで喋りかけてくる感覚が常に付きまとっていた。ミリティアの実力や地位が要因に含まれているのを彼女自身も理解しているし、それを受け入れていたから、今まではそれについて何か思うことは無かった。
しかし、今までとは異なる種類の人間と相対し、ミリティアは戸惑いを隠せなかった。
初めて壁を作らず、対等に話す男。
別に地位や名声に固執しているわけではないが、ここまで遠慮なしに踏み込まれると、自分の人生を積み上げてきた『近衛兵としてのミリティア』を蔑ろにされたような錯覚さえ覚えた。
(な、なんなの・・・この男は。こんな奴は今まで・・・)
無意識に拳を作ってしまう。
どんな事態にも感情を表に出して、冷静さを欠くような真似はしない自信があった。
しかし彼女は、まさに今、冷静さを欠いていることにすら気づかないほど、気持ちが逸っていた。
こんな些細な言葉など、流してしまえばいいのだ。
冷静な彼女なら、何食わぬ顔でヒザキの言葉をかわし、自身の仕事を全うしただろう。
同じような経験など腐るほどしてきた。
それこそ近衛兵になる前、実績などない時代には、山のような嫌味・妬み・憎悪とも相対し、その全てをへし折ってきたのだ。
今更、こんな些事で踏鞴を踏むことなどあり得ない。
だと言うのに、今、ミリティアは焦っている。焦って、本来の彼女とは逸脱した問答を行っている。
(くっ・・・)
ミリティアは表情に出ない程度に奥歯を噛む。
やがてヒザキはそんな彼女の様子を見つめながら、淡々と言った。
「ミリティア=アークライト。君が俺たちに猜疑を向けるのは仕方がないことだ。それが君の仕事なのだからな。だが――」
ヒザキはリーテシアを少しだけ見て、続けた。
「そこのリーテシアにまで同じ視線を向けたことは許せない。彼女はこの国の民であり、命を落とす危険性のある今回の事件から無事帰ってきた存在だ。それを讃え、感謝することはあれど、疑いの目を向けることは許しがたいことではないか?」
「っ!?」
「う、疑い・・・?」
ヒザキの言葉にミリティアは絶句し、リーテシアは言葉の意味が読み取れず、困惑しながら首を傾げた。
ベルモンドたちも同様だ。
誰もがこのミリティアに抱かなかった言葉に唖然となる。
「お、おいおい、ヒザキよ・・・そ、そりゃいくら何でも失礼なん、じゃ・・・」
そう言いつつ、ミリティアの表情を見たベルモンドは、徐々に言葉尻が弱くなっていった。
ミリティアは返す言葉が思い当たらず、口をつぐんで少し俯いた。
彼女が無意識に冷静さを欠いた原因。
それはヒザキが彼女の内心を見抜いていたからだ。
それを無意識にミリティアも感じ取っていたがために、焦りが出てしまった。
確かに彼女は、国の近辺に現れた新種と思われる魔獣、そしてそこに立ち会っていた商人たちに疑いの目を持ってここにきた。国に害があるのかないのか分からない現状としては仕方のないことではあるが、曲がりなりにも国民を救った者でもあるため、礼節は欠かさないつもりだった。
直接のやり取りで情報を収集し、彼らが『白』だと分かれば、客人として心から歓迎するつもりだった。もし『黒』であればすぐに手は出さないにしろ、尻尾をつかむ算段を考えるつもりでもあった。その心積もりは決して表には出さない自信があった、はずだったのだ。
「ぁ・・・、あなたは・・・」
上手く言葉が出ない。
情けない。
何という醜態だ。
「君は」
ミリティアが何かを言う前に、ヒザキが先に言葉を発する。
情けなくも、ミリティアはそれだけで自分の言葉を飲み込んでしまった。
「少し頭だけで物事を考えすぎだな。立場上、そして環境上、仕方がなかったのだろうが・・・もう少し感情も交えて考えた方がいいだろう」
「・・・そ、そういうあなたも、あまり感情というものが見受けられませんが?」
「それもそうだな。俺自身の言葉としては説得力もないだろうが、俺が今まで見てきた人たちを成功と失敗に分けた時、成功に傾く割合が大きかったのが、そういう考えをする奴だった、というだけの客観的なアドバイスだ。深くは受け止める必要もないが、参考の一つとして聞いてもらえればいい」
「くっ・・・」
ああ駄目だ。
買い言葉に売り言葉。
相手にその気がなくとも、ミリティアにはもう全ての言葉が嫌味に聞こえてしまう。
「あなたが・・・あの火の魔法を放ったのですか?」
「昨日のか? ああそうだ。それがどうかしたのか?」
「っ・・・あれは普通の魔法ではない。あれほどの高出力の魔法など、聞いたことも見たこともない。あなたは一体何者なのですかっ」
「・・・随分と話が突飛したな。君が持っていた疑問がそのまま言葉に出ているぞ? 本当はもっと外堀を埋めてから聞く予定だったのだろうが・・・」
「~~~~・・・っ!」
子供みたいだ。
どこか今の自分をそう表現した。
図星を差されて、癇癪を起こす。
そんな隙はとうの昔に捨てているはずなのに、何故だか今はその感情に弄ばれている。
恥ずかしいと同時に屈辱を感じた。
なんでこんな目に、そんな子供じみた感想すら浮かんでくる。
(駄目だ・・・これは私ではない! こんな体たらくで兵をまとめられる訳がない! 何をやっているんだ! 情けない・・・思い出せ、私は――私という人間を!)
ミリティアは自分を慕う兵士と思い浮かべる。
彼らを指揮する、ということは彼らの信頼と命を預かるということ。
自分が不甲斐なければ、すなわち彼らの尊い命を失わせてしまう未来へ繋がる可能性が高くなる。
そんなことは許されない。
ヒザキたちを兵士に重ね、ミリティアは『近衛兵としての自分』という皮を被りなおす。
軽く息を吐く。
肩を数度揺らして、全身をリラックスさせた。
「・・・大変、失礼をいたしました。お見苦しいところをお見せいたしました。ヒザキ様が仰られました通り、私はあなた方に疑いの目を持って接しておりました。特にリーテシアさんは巻き込まれた側。そんな貴女にそのような目を向けてしまったことは私としても不本意たること・・・なにとぞご容赦いただけますと幸いでございます」
ミリティアは最初、孤児院に入ってきたときと同じ雰囲気を纏い直し、リーテシアに頭を下げた。
その変わりように誰もが驚く中、ハッとリーテシアは我に戻り、
「い、いえいえっ・・・そんな・・・き、気にしてないです!」
と手を振りながら、ミリティアに頭を上げるようお願いした。
「ありがとうございます。ヒザキ様も・・・此度の無礼、心からお詫びいたします」
「・・・そうは変われないものだな」
「ええ、これが『私』です」
「そうか」
ヒザキは目を閉じ、少し何かを考えた後、ミリティアに「俺も言い過ぎたところはある。すまない」と謝罪を述べた。続けてリーテシアやベルモンドたちに対しても「悪かったな」と言葉をかけた。
仕切り直し、と言わんばかりにミリティアは正面から全員を見据える。
「さて、ヒザキ様よりありました通り、私は国外からいらっしゃったあなた方に疑いを持ってここに参りました。その嫌疑を私自身も払いたく、お話を伺いたいと思います。お時間をいただき恐縮ですが、少しだけお付き合いいただければ助かります」
疑いを持っていることは、もう隠さない。
ミリティアは逆に情報を実直に聞きやすくなったと、今の展開をプラスに捉えることにした。
「それではお話を聞かせていただきます」
こうしてミリティアの情報聴取が始まった。




