役目の境界線
「さぁ、真なる自由を勝ち取れハンサム・ボルト!」
ハンサム・ボルトは呼応した。うぉんっと稼動音を鳴らして肘が曲がる。緩慢な動作で片腕が持ち上げられた。最初は開戦前の間抜けな挨拶かと思ったが、ギン係長目がけて振り下ろされたときは先ほどの鈍重さが嘘のように高速だった。鉄骨が結んで叩き落としたような圧砕音。巨斧は地面をくり抜き、四方八方にヒビを作って石片を弾き飛ばした。
いきなりギン係長の姿が消失して唖然としたが、円状にへこんだ底でギン係長は両腕をクロスさせて怪腕を受けて止めていた。一瞬にしてコスチュームは土煙で汚れ、細腕も血がにじんでいた。
それでも、怯むどころか眼光は鋭く険しい。ぺろりっと、自らのしたたった血を舐める。
「思い出した。こいつ、兵隊さんと戦ってたやつでしょ。そうなの、こいつも出てきたの。締めくくりにはいいわね。最初で最後の真剣勝負よ」
腕をすり抜けてダダダッと勢い良く駆け抜ける。地面ではなく鋼鉄の腕を登りつめた。顎の手前でぴょんっと飛び跳ねて猫のような軽業で宙返り、驚いたハンサム・ボルトが見上げたが遅い。肩を通し越して背面に回って落下しながらもステッキを構える。
「トリステス・ソナーレ」
青色破壊光線が背中に直射される――が。
ぶち当たったものの体躯から数センチ向こうで薄膜のような光波が遮り、波紋を広げって消えて散った。
眩しい閃光の先にはパチパチと紫電が鳴る無傷の背中があるのみ。
ギン係長は青色破壊光線を放った余波で後ろに飛ばされつつスタッと華麗に着地。手応えのなさに驚いている。
「あれ?」
「フハハハハッ、ハンサム・ボルトは実は電気だけでなく魔力も食べてしまうのだ。魔法攻撃は効かないぞ。物理攻撃で倒すしかないな!」
ふわふわんはわざわざ戦い方を説明してくれた。やはり、いい怪人なのかもしれない。ギン係長も「そうなの、ありがとう」と礼を述べる。
並んだ取り巻きの怪人たちも困ったような、慈しむような微笑ましい眼差しを向けている。
「ちっ、違うぞ! 決して倒し方を教えたわけではない! ええい、ハンサム・ボルト。一気にカタをつけろ!」
残像が見えるほど猛回転するU字の手が突き出される。掘削機を押し当てられたかのように黄土色の砂煙を溢れさせて削られる岩盤。ギン係長は半円を描くように腕の下もぐりこんでいた。
足許に運動靴の装飾品――花車が回転している。突風そのものになって前へと。
地を蹴って跳躍し、ハンサム・ボルトの向う脛に飛び蹴りをかました。カァンッと快音。ダメージはなし。二撃目も空中に留まったままの身体をきりもみにひねって膝に上段飛び蹴りをぶつけた。激突の音は響くものの、これも効果は見られない。
ハンサム・ボルトも再び腕を振り上げて落とした。読んでいたギン係長は脛のでっぱりをつかんで自らの身体を引っ張って迫る拳を寸でで避け、鋼板の薄い膝裏を魔法を上乗せした輝く拳で思いっきり殴りつけた。
関節部を叩かれ、自然と膝が曲がる。
ギン係長は丸くなった背中にしがみつき、腕の力だけで登っていく。ハンサム・ボルトの一部である六角ボルトを引っこ抜こうと両手に力を入れて踏ん張った。およそ百本の内の一本がすぽんと抜ける。体液らしきものがぶしゅっと噴出した。
飛散したどす黒い粘液にギン係長は危険を察知して避けようとしたが飛沫がかかった。
じゅうっと衣装が溶ける。強酸性の液体なのかコスチュームの革ジャケットがただれた。左胸から腰元までシャツが露出してしまっている。
「ギン係長! 脱衣してください! 早く! 急がないと間に合わなくなる!」
「あんたねえ……こんなときにもう……脱ぐからその上着を貸しなさい」
興奮した俺に呆れながらも「しょうがないわね」みたいな感じ。腕をクロスさせて革ジャケットを脱ぎ、俺に向けて飛ばされた。綿のシャツの下にあるスポーツブラが惜しげもなく晒しされる。腰に両手を当てて堂々としているが頬が僅かに染まっている。スマートフォンで激写したい衝動をこらえ、俺は急いで背広を脱いだが、不満なのかくぃっと顎で示された。えっ、ワイシャツですか?
「早く」
「はい」
五月の寒空の中、俺は上半身を裸体にした。ワイシャツをギン係長は身に着ける。俺は少しいやらしい気持ちになった。なんだろう。こう、だらしなく着た男物のワイシャツを穢れない少女が身に着けるのは俺の心のどこかにくるものがある。おかげで全然寒さを感じない。
ハンサム・ボルトはしきりに背中を擦っていた。身体の一部が欠けたことに違和感を覚えたのか、妙に人間味のある動きだった。欠損を悟り、怒りを表すように咆哮すると、両腕を胸に持ってきて拳を顎先付近へ。何らかのタメに見える。六角ボルトの出入りがしゅぽんしゅぽんと激しくなった。
「ヘタルカイネ・イメラッライ(でたらめな雷光で死ね)」
初めての発声――電子音に似た甲高い声。
バチバチッと火花が散る音がして、絶えず放電していた電撃の勢いが突然強くなり、閃光と共に膨れ上がり、直角に曲がりながら拡散していった。超高温のためか墜落したところは黒炭ができあがる。四方八方に雨飛沫のように飛ぶ光速の稲妻は誰もかれもに平等に襲い掛かった。観戦していた怪人はいうまでもなく。
――俺にも。
「ぉおお!」
「っ!」
加速したギン係長が俺の前に回り込み、手を翻して魔法のシールドを張ってくれた。カーテンのようにさざ波を起こす光の壁。電撃が獲物を見失って地面に吸い込まれる。
「おおぉ、ハンサム・ボルト! 味方を撃つな!」
「ゴチャゴチャ、ウルセェー」
「えっ」
くぃいいんと機械音を鳴らしてハンサム・ボルトは下方に顔を向けた。ふわふわんは鳩が豆鉄砲食らった顔。
「メンドクセェー、ンダヨ。コノチビママ、ウゼー。モウイイダロ、ホットコウゼ」
「ふっ、ふざけるな! そいつを倒さなければ我々に未来はない! シルバーバレットにごめんなさいをさせて、永遠に安定した魔力を奪い取らなければならないのだ!」
「ごめんなさい」
「止めろぉおおおおおおシルバーバレットっ! 我々の大願をいきなり砕こうとするなっ! ステップがあるだろーがっ!」
狙いすました謝罪は当然悪意がある。ギン係長は底意地の悪さを発揮した。ふわふわん総帥の計画は悲しいほどずさんで幼稚で――もろかった。
ハンサム・ボルトは後頭をごしごしと掻く。
「ミライナンテ、イラネーヨ。クダラネェ」
がしりっと雷撃を受けて倒れ伏し、焦げ気味の怪人をつかみ、口の中に入れてバリバリと砕いていく「ぐあああっ!」という怪人の断末魔。スナック菓子のように咀嚼され、飲み下される。恐慌を起こして逃げ惑う怪人たちは次々にハンサム・ボルトの胃の中に収められていく。
「ちょ、仲間を食うな! 何をしてる!?」
「ハラヘッタンダヨ。ズット、ハラヘッテル。オレハ、クウ。ソレダケ。ソレダケデ、イイ」
怪人には役割が与えられる者がいる。ふわふわんはきっとギン係長のライバルとしてのポジションを与えられたのだろう。同じようにハンサム・ボルトも食事のみに特化された存在かもしれない。
のそりと動き、手が伸ばされた。近場の怪人をあらかた食い終わり、佇んでいるふわふわんを食おうとしているのがわかったので――俺は。
「うぉおおおおっ!」
「ちょ、直介」
無我夢中での決死のスラィディング。一気に距離を詰めてふわふわんの細腰に手を回した。後ろ髪に空振りの風圧があった。ギン係長がフォローしてくれたのか、ハンサム・ボルトの顔面に蹴りが入っている。効果はなくても注意を引いてくれたようだ。
ふわふわんは呆気を取られて俺の腕の中にいながらも、正気を取り戻すと大声で怒鳴ってきた。
「なっ、なぜ助ける!」
「……怪人は別にゴミみたいに死んでもいい。だけど、可愛い女の子の怪人は助けるべきじゃないか?」
俺の真剣な顔での口説き文句にふわふわんは一瞬で白い目つきになった。ギン係長の視線も心なしか絡まったイバラのように遠慮なく突き刺してくる。
「同意見だ新木君!」
空からも威勢のいい同意がきた。けたたましい爆音を立てるヘリコプターから縄梯子が垂れ下がっており、クモマン(初期)が片手でつかまっていて、誇らしげに複腕で腕組みしていた。
変態に同調されて初めて俺は自分の間違いを悟った。この論理は世間の一般常識ではなかったのか。
「確かに私も可愛い女の子を地下室に監禁したくなる衝動に駆られることもある! いや、毎日そんな妄想をしている! 拳を交えた友として同じ考えの人間が居て嬉しい思うぞ!」
あいつ、撃墜されてくれねえかな。
と。思ったがヘリコプターの搭乗口から水原部長が顔を出してきた。きちんとヘルメットを被って迷彩色の服を着ている。
「新木さん! 停止スイッチをクモマンに持たせました! これでハンサム・ボルトを起動停止させられるはずです! 前もそうして止めたのです!」
「おぉ、助かります」
「とぉっ!」
クモマンは勇ましいかけ声を上げて縄梯子から『ムーン・パワーボール』降り立った。頼りがいのある男の演出なのかキラッと歯を見せる。
自信満々で装置をハンサム・ボルトに向け、赤ボタンに指をかける。
カチッと押した。ハンサム・ボルトはごく自然にのしのしとクモマンに近づいていく。
よっぽど焦っているのか巨体の影の下のクモマンは連打をしている。哀れなほど必死だった。剛腕がクマモンを捉えた。バシッとハエでも叩いたような音がした。
クモマンは水面を飛ぶ浮石のように滑空していった。途中で頭を岩にぶつけ、目を回して気絶した。
ハンサム・ボルトにも生理的な感傷はあるようだ。汚い物を触ってしまったかのように手を地面でふいている。
「水原部長ー! どういうことですか!」
「すいません! 電磁シールドで防がれたっぽいですー! そういえばそういう機能もありましたーっ! 不意打ちでやらないとダメみたいですねー!」
「あいつら何しに来たのよ……」
ギン係長の呟きは虚しさを多分に含んでいた。
戦闘意欲が薄いハンサム・ボルトはぼんやりと下界を眺めている。思索にふけるように。目的地を定めるように。
考えを定め、再びギン係長と対峙したときは肩を押し出した前傾姿勢になっていた。
「エタラカ・カニムカル(めちゃくちゃな鉄斧)」
「ぬっわっ!」
ラクビーのタックルと同じ型の突進には重量感があった。ギン係長は避けようとしたがハンサム・ボルトの膝頭をかすめてしまった。弾かれ、ふっ飛ばされながらも態勢を立て直そうと身体をひねり、天使の羽を出現させる。
羽を広げて崖の手前にふわりと留まる。戦闘態勢を崩さないまま地面に手をつき、前を睨む。
「逃げた……いっ、つ!」
忽然と消えたハンサム・ボルト。崖を飛び下りたらしかった。
戦いの緊張から解き放たれて気が抜けたのか、ギン係長は顔をしかめた。俺は駆け寄り、しゃがんで声をかける。
「大丈夫ですか?」
「不覚ね……多分、あんまり大丈夫じゃない。変な形してるけどアレは強いわね」
酸で溶けて地肌が晒されている横腹をいたわるようにさする。つい昨日まで入院していたのだ。戦わせるのはあまりにも無茶だった。つい、普段の楽勝なイメージばかりが先行していたが、彼女も無敵というわけでもない。
「シルバーちゃん。大丈夫?」
ヘリコプターが着陸すると水原部長も駆け寄ってくる。心配げな言葉だったが、俺はイラ立ちながら問う。
「水原部長、なんであんなのがいるんですか。処分すべきでしょう」
「ハンサム・ボルトは特別公務員の研究者の皆さんで製作したものです。つまり、秘密裡とはいえ税金で造られた公共物なんですよ。つまり、きちんと何があろうと額面上の耐用期間まで廃棄できないんです。お役所の面目上の決まり事ですよ」
「なんで裏の仕事までそんな杓子定規な決まり守ってるんですか」
「世の中そういうものなんですよ」
「そのお役所の決まりで東京が壊滅するかもしれませんよ」
「世の中そういうものなんですよ」
他人事のように水原部長は繰り返した。いや、単に現実逃避してるだけだこれ。頭にお花が咲いているしね。
☆ ★
街から黒煙が数えきれないほど昇っている。
テレビモニターに映し出されたハンサム・ボルトは電線を食いちぎって電力を補給していた。限りがあるのか、単なる憂さ晴らしか貯蔵した電力を稲妻として吐き出している。落ちたところに火災が起こり、火の手が巡る。
エネルギーを無尽蔵に補給しているせいか心なしか挙動がパワフルになり、子供が積み木を扱うように無邪気にビル群を倒壊させている。
自衛隊が囲い込み作戦に出たらしく道路をバリケードで封鎖して後、戦車隊が出てきていた。三年前と同じ状況。メガホンで形式的な警告が告げられ、主砲から砲弾がぶっ放された。ハンサム・ボルトは横薙ぎに腕を振るって弾き飛ばした。隊員は職務に忠実に諦めずに何発も放つ。
億劫になってきたのかハンサム・ボルトは無防備に佇立した。
紫色の淡い色彩――防御円が砲弾を跳ね返す――魔法の力で守護されている。
戦車がわしづかみされた。興味深そうに眺めた後、気に入らない玩具に接したようにぽいっと捨てられた。バリケードを踏み散らかして別の場所に移動していく。
高層ビルのヘリポート。窮屈な座席でモニターを見ていた俺は肩越しに後ろを振り向く。ギン係長は医者の問診に受け答えしていた。容態は芳しくない。顔は白みがかって血の気を失っているし、肩はくったりして疲労感を漂わせている。
「自衛隊が空からのミサイル爆撃に踏み切るみたいですね。水原部長。効くんですか?」
「うーん……通常兵器では厳しいでしょうね。仕方ありません。気化熱爆弾とか使っちゃいましょうかー」
「それって核爆弾の次にやばい爆弾じゃなかったでしたっけ?」
「そうですね。でも、被害拡大される方がやばいですしー」
連絡のためかポケットからスマートフォンを取り出して水原部長は髪をかき上げた。香水の強い匂いが鼻腔をかすめる。最大の攻撃を持って後顧の憂いを絶つ。悪くはないが……街が焦土になってしまう。
「お水。最後にもう一回やらせて」
「シルバーちゃん。もう子供たちの時間は終わったの。これから先は大人たちの時間よ。もうこっちに全部任せて、ゆっくりしてて構わないのよ」
「何よそれ。元はあんたらが始めたことでしょう。あたしがこのまま引っ込むと思ってるの?」
「でも、死にたくないでしょ?」
「あの鉄クズ野郎はあたしをチビママと呼んだわ。あたしから奪い取った物で造ったんでしょ。だからこそ、あたしが始末しないといけないのよ」
「否定はしないけど、どうやって倒すの?」
「あたしの全力の魔法でぶっ飛ばす」
かつて、ビルの半分を消し飛ばした極・青色破壊光線――ハンサム・ボルトとて無尽蔵に魔力を食えるわけでもない。確かに膨大な量の魔法を受ければ胃袋が破裂して倒れる。
「そうね……うまくいくかもしれないわね。でも、失敗したらその分だけ時間をロスするから街の被害が進行しちゃうわね。そうなると、とってもお金がかかるのよ?」
「責任は持つわ。もう逃げ出さないで実験動物でもなんでもやってやるわよ。それで稼げるんでしょ?」
「まあ、それならいいかな」
水原部長は口許を手で隠したが、きっとほくそ笑んでいる。大人は汚い――こんなときにまで利害を勘定しようとする。
「ギン係長。いいんですか?」
「直介、あたしはテレビの中ではヒーローだったのよ。それが私の役割よ。逃げ出したらもう誰にも顔を向けられないわ」
「しかし」
「いいから、行くわよ」
半ば強引に手を引かれ、ヘリコプターから降りる。ギン係長はつま先をかんかんとつけ、羽を広げた。今度は手を差し伸べてくれた。足許に不思議な浮遊感。単純な羽の動きによる揚力で飛んでいるわけでもなく、なんらかの作用が働いていることがわかった。水の中をたゆたうような感触。
なんだか、まんじゅうに包まれてるイチゴの気分。
空を駆けながらも崩壊した街の惨状を見下ろす。ハンサム・ボルトの爪痕はとんでもない。爆撃でもあったかのようにオフィスビルは原型を留めておらず、アスファルトが削られて鉄骨がむき出しになり、近場には瓦礫の山積している。
オシャレなカフェは燃えて黒ずみ。整備されていた道路は穴だらけ。地面に転がった信号は不規則に明滅し、自動車は無意味に積み重なれて今にも崩れ落ちそうな砂山のようになっている。
「ギンちゃーん!」
「あっ、ギンちゃんだーっ!」
子供の元気なはしゃぎ声。親子連れの避難者がこっちを見つけて顔を上げた。五歳くらいの男の子と女の子がぴょんぴょんと飛び跳ねて必死に手を振っている。ギン係長も僅かに頬を緩ませて適当に手を振る。
「頑張ってー!」
「変なの倒してーっ!」
ギン係長はぐっと親指まで立てるサービス。最近気付いたがファンが小さな子供の場合はわりと笑みを浮かべることが多い。俺がギンちゃんと呼んだときは蹴っ飛ばされたが。
「直介、今度の魔法は少し時間がかかるわ。完璧に準備しないといけないし」
「はい」
「だからさ」
守ってね――そんな、はにかみながらの少女の恥じらいを夢想した。ギン係長はいいにくそうに口ごもっている。大丈夫。俺の心は既に決まっている。命に賭けても君を守ろう。そう、勇猛果敢な騎士のようにね。
「エサになってね」
――現実は思ったよりも厳しい。手酷く痛感した。
☆ ★
『新木さん。自ら囮を買って出るなんて凄いですね。自衛隊の人に任せればよかったのでは?』
「あっ、いや、その、変わってくれるならそれでお願いできますか?」
何一つ動いていない閉鎖された静寂に中の区画。
人気がなく、無人の車が放置されたままの国道で俺はスマートフォンを耳に当てながらどうにかして自分の役割から逃げようと考えていた。
会社から運び出した魔力がフルチャージされたバッテリーを積み重ねた大変重量のある木製のカゴを背負い、ハンサム・ボルトを引きつけて首都高速湾岸線にいるギン係長まで導くなど、いちサラリーマンの俺には荷が重すぎる。
一応の計画として。
常に食い続けるハンサム・ボルトを自然と電気の通っている道を辿る習性がある。そこを利用して一帯を停電させるが、一つのルートだけ電力を通す。そして徐々に電気の供給量を減らしていき、餓えさせて消耗させたところで極・青色破壊光線で打ち抜く。
そして、残骸を荒川に不法投棄しなければならない。自然に優しくないが被害を最小に抑えるためだ。
『あ、ちょうど陸将さんをつかまえたので代わりの人員を用意できるか聞いてみますね……はいはい。うん、そうですか。あっ、はい』
「どうですか?」
どきどきしながら水原部長の返答を待つ。
『よかったですね新木さんっ! 今日から自衛隊の一員にしてくれるそうですっ! 安定した公務員になれましたね!』
「ちげぇーよっ! いつ俺が仲間に入れてくれっていったんだよ! ふっざっけんなっ!俺は国家に奉職する気なんてこれっぽっちもねーからなっ! ここで死んだら来世はテロリストになって復活してやっからなっ! 真っ先にテメエと将軍の首を獲りに行ってやっからな!」
『新木さん。素が出てますよ。社会人らしく落ち着いてください。いくら魔法の力があるとはいえ新木さんを復活させることはできません。死んだら終わりです』
「追い打ちをかけようとしてんじゃねーよっ! 楽しいかっ! ああ、楽しいだろうよっ! ちっくしょうっ! 生きて帰ったらエステルちゃん覚悟しとけよっ! 年上の上司だから我慢してたけど荒々しく押し倒してやっからな!」
『うふふ……それはそれで、とても楽しみにしています。さて、そろそろ来ますよ』
染み込むように薄い闇が世界の中に混ざり始めていた。夕暮れの太陽は赤々と燃えている。
遠方からびりびりと大地を揺らす音響。ハンサム・ボルトはずしんずしんと歩いて来ていた。時折、電線を手にまきつけて電力を吸収している。
目玉の焦点が俺に合わさる。
「うげっ」
「オマエ、スゴク、ウマソウ」
俺は用意しておいたオフロードバイクにまたがった。キックペダルを踏み下ろしてエンジンをスタートさせる。
ハンサム・ボルトは走りは予想外に速い。ギアチェンジしてアクセルを握りこんだ。ウィリーをしながら急スタート。間髪入れずに俺の立っていたところに何かが砕け散る破滅の音。
手前にあった赤い車をボンネットを乗り越え、大空へとジャンプして引き寄せ作戦は開始された。
とうとう、俺だけのデスレースが火蓋を切られてしまった。




