6.忌々しき命
《ソラノア嬢。《夢迷脈路座》の術者を全滅させた。あとは任せた》
「分かりました」
ザイスグリッツの報告を、ソラノアは用意していた五メートル四方ある巨大な布――星隷擬体の儀式用複合魔偽甲〔メガレ・シンタクシス〕を展開しながら聞いていた。
ソラノアと対角線上で作業しているのはテッジエッタであり、杯や見立て塔、燭台などを並べて儀式準備の手伝いをしている。
(〔ウゥルカヌス〕が発射されたってことは、ソウタさんと合流してあっちも準備ができたってことだよね)
真正面に落雷でもしたのかと思うほどの発光と爆音は、ソラノア達の視界を奪った。それをすぐに回復させたのは、仕組みは分からないが〝魔眼〟の力であった。
聴覚こそまだ違和感があるものの、至近距離の会話には支障はない。
強光も晴れて視界が戻ったものの、〔ウゥルカヌス〕の連鎖爆破の影響で爆炎が立ち込め、月星隷の現状が伺えない。
それでも、致命にまでは至っていないことは容易に想像できる。
(早く準備しないと、ソウタさんの負担が大きくなる)
星隷擬体は人間と星隷を強引に繋ぎ合わせ、支配する術法だ。
身体の主の負担は大きく、術そのものに成功しても持ち主が耐え切れず死してしまう危険もある。
そして、この〔メガレ・シンタクシス〕という儀式に使用する魔偽甲は、星隷の構成を改竄し、望むままに変質させることができる。
元は星隷擬体の道具ではなく、災厄であり兵器でもあった星隷に対する武器であった。
(でも、これは月星隷撃退には使えない)
対星隷用の武器とはいえ、相手は膨大な力を持つ怪物だ。
万全の星隷に行使すれば〔メガレ・シンタクシス〕を介し、力の奔流が術責任者ないしは術対象者に逆流してしまう。
当然、人間の肉体にその力の流れが受け止められない。
(そもそも……攻撃用の構成を組んだ後に、星隷擬体用の術図式を再構成する時間もない……)
望んだ通りに変質してしまう故に、間違いなども当然再現する。それはつまり、些細な間違いが致命的な破綻を生む危険性もあるということ。
結果として望んだものと近いものが形を成したとしても、その些細な齟齬が何を齎すか分からない。
(できないことを考えても仕方ない。今はこれに集中しないと……)
ソラノアは今、星隷擬体の術図式を鱗星隷キレスアルカではなく、月星隷シンナバグハク用に組み替えなくてはいけない。しかも突貫で。手持ちの資料などなく、だ。
不幸中の幸いだったのは、〝万変の悪魔〟などと呼ばれる強力な星隷だったということ。
かつて数度【凶星王の末裔】は召喚を検討したことがあった故に、最低限必要な術図式はソラノアの頭の中に入っていた。
とはいえ……
「なんで、もっと早く言ってくれなかったの? テッジが気を遣ってくれたのは分かってるけど……」
術図式の組み立ての焦りを、隣で手伝うテッジエッタにぶつけてしまうソラノア。それが八つ当たりだと自覚しているが、謝ることはできなかった。
それに対してテッジエッタもまた気づいていたが、何も言える立場ではなかった。
それから黙々と、何一つ言葉を交わさないまま作業を二人。気持ち悪い、不快な雰囲気が二人を包む。
《おーい。今にもキャットファイトでも始める空気は後にして、早急にさぎょーを終わらせてくれー。無観客試合はつまらんぞーいぞい》
それをぶち壊したのは、なんでもかんでも壊したがる暴走娘リーリーカットだ。
「別に殴り合いなんてしないよ……」
《しないの? ハンド禁止? 詳しいルール説明はやる時でいいから、さっさと準備してくれる?》
リーリカネットは相も変わらないふざけた発言をしているものの、余裕はまるで感じられない。
現に〔オレイアス〕越しから、ソウタの詠唱と怒号が耳に入る。月星隷の残滓の処理をしているのだろう。
《ほんと。マジで早く来て。トム吉、結構ヤバ目だよ? トム吉グッバイしたら、あたしらもこいつと心中だよ? あたしメリット無くね?》
「分かったから。こっちもなるべく早く完成させる――だから、テッジ。予定通り私がやるから。それが最も成功率が高い」
その忠告はテッジエッタに邪魔をさせないという釘を刺す意味以上に、ソラノアにまだ残る不安と恐怖を踏み越えて覚悟を決めるものでもあった。
ソラノアは一息吸い、負の感情が抜け出さぬよう完全に蓋をするかのように、その言葉を意吐き出す。
「私がみんなを救う」
◇◆◇◆◇◆
『それ』は静かに、ランゲルハンス島で起きている動乱を見つめている。慌てふためく愚者達には到底届かぬ場所で。
「憎いんだろうね。酷く。酷く……」
暴れ狂う怪物を、『それ』は憐れむように見つめる。
すると、同調でもするかのように、どす黒い感情が『それ』の中で膨らんでいく。
眼鏡の奥の瞳。そのさらに奥には醜悪で邪悪な灯が灯っている。
「僕らも同じさ。憎い。この偽りの世界で生きる全てが」
黒い感情を吐き出すように呟きながら、自然と視線はある者へと移る。ランゲルハンス島で真っ直ぐ走るそのものを。
怨嗟よりも深い闇が伴った双眸で睨み、続ける。
「本当に憎いよ。お前が。何もかもを奪った挙句、偽りながら生きているんだから」
突然として自分の全てを奪ったこの世界。
そして、その奪い続ける張本人を見るだけで、表情が変化するのが自分でも分かる。抑え切れない怒りに、顔が塗り潰されていくのが。
《そう急ぐことはないさ。直に君達の願いも叶う》
前触れも気配なく、『それ』の耳に声が届く。
それが仲間のどれでもないことは、すぐに理解できる。
何もかも分かったかのような口振りが、『それ』の神経を逆撫でた。
「どの口が言う? 他ならぬ元凶だろう!? 『天使』!」
《それは違う。元凶は『魔法使い』だ。私は世界の延命をした。結果として君達が犠牲となったまでだ――それに責任は取っているつもりだよ? でなければ、ここに君達はいない》
正当化どころか、恩着せがましいことまで口にする『天使』にますます感情が荒ぶる。
が、言い争ったところで、怨嗟をぶつけたところで、暖簾に腕押しでしかない。
《利害関係は一致しているはずだ。そう邪険にしてくれるな》
「なら、さっさとお前達の下僕を使ってこの事態を収束したらどうだ? せっかく現れたって言う〔天命の石版〕を見失うことになるぞ?」
《だから、そう急ぐなと言っている。この好機を利用する手はないだろう? 全てが整い次第、『魔法遣い』は使う》
告げると、『天使』の気配がなくなった。
その違和感に『それ』は思案する。ただそれだけを言うために、わざわざ姿を現したのか、という疑問に。
(まさか、僕が感情に任せてやつらを殺しに行くとでも思ったのか?)
だというのなら、『天使』は存外と焦っていたのかもしれない。
計画がある以上、自分達はできるだけアルトリエ大陸の人間達との接触を避けなければいけないのだから。
場合によっては、秘匿していた世界の真実を露呈しかねないのだから。
「天の使用者などと自称する割には、小間使いのように走り回ってるな」
届きはしない皮肉を口にし、『それ』は改めてランゲルハンス島の出来事を伺う。
果たして、『天使』が口にした『この機会』とは、一体どのことを言っているのか?
◇◆◇◆◇◆
「欠片だけでも本当に厄介だな!」
視界を遮る爆煙と蒸気の中から、銀黄色の怪物達が宗太とリーリカネットを襲う。
だいたいはドーム状に形成した防御璧に阻まれているが、それでも数体は突き破って侵攻する。
障壁を突破する際に消耗しているようで、欠片は宗太の衝撃波の一撃で片づけられている。ものの、時間が経てば宗太が形成した防御璧は消滅してしまう。
地に墜ちた月星隷の欠片が猛威を振るってくるということは、本体も生きているということだろうか。それとも本体の生命活動が消えてもなお、切れ端には残っているのか。
(もしくは、本体が小さくなったか……)
宗太は胸中で呟く。が、希望的観測――というよりは願望か――であることは自覚している。
月星隷の姿はまだ見えぬものの、隣に立ち込めていた不法投棄現場から発せられた水蒸気は薄れてきた。
まず真っ先に見えたのが、天頂部に伸びていた珊瑚のようなパーツ……だけが、地面に着突き刺さっていた。
「――って、それが残るのかよ!?」
「当ったりめーじゃん。じゃあなんのために、あんなわけ分かんないパーツついてたんだっつーの」
もはや反論しても勝ち目がないことは分かっているので。宗太は何も返さず月星隷がどうなったかを見届けることにした。
「まぁ、大してダメージを与えてるとは思えないけど、捨てるにはちょうどよかったよ。どうせ計画戦争が始まる頃には大陸条約で使用禁止されるから」
不法投棄現場を不法投棄するリーリカネットは、何かのメモを取っていた。
宗太は視線を空に移す。
煙の隙間から姿を徐々に現す月星隷。
「――っ!?」
宗太は思わず目を見張った。
「おぉ。五分の二くらいは削れた? リーリカネットちゃん、トム吉より全然優良じゃん」
不法投棄現場の一撃は、月星隷を大きく穿った。
それに加え、再生に尽力を尽くしているのか、本体は宙に漂うだけで攻撃を仕掛けてくる気配はない。
(まぁやっぱ、この小さな欠片が本体じゃねぇよな!)
願望こそ消えたものの、目に見えたダメージを与えたのはダメージ以上の功績を与えた。
はっきり言ってしまえば、一刻も早くこの状況を終わらせたい。気力がいつまで持つか、宗太の自信は徐々に崩れ始めていた。
故に、この攻撃は宗太に気力を沸かせる。
「という訳で、作戦開始の狼煙は勝手に上げさせてもらったから、さっさとゴリゴリ削っちゃって、トム吉」
「勝手にやったのかよ!?」
「どーせ、あっちは喧嘩してんだから、そんな暇ないこと痛感させなくちゃ――で、この合図。トム吉の準備も万全ってことだから」
「――っ!? お前……」
「時間を費やしてる暇なんてないよ。刻一刻とあたし達は消耗してるんだから。持久戦なんかになったら全滅必至じゃん」
思わず詰め寄りそうになるが、リーリカネットの答えは最もだった。
ひとまず、シンナバグハクが動いていないこの好機を逃す手はない。宗太は徹底的に衝撃波を撃って削っていく。
「といったって、〔ウゥルカヌス〕は使えないんだろ!? このままだと再生が追いついちまう! なんか弱点とか倒し方とかないわけ!? 伝説とかにはいたんだろ!?」
「そういうのはソラノアの方が詳しいけど……確か……『勇者』が倒したんじゃなったけな……?」
「どうやって!?」
「……光の剣だが聖なる術だかなんだとか……?」
「くそ! なんか勇者っぽいけど、なんの役にも立ちやしねぇな!」
穿たれた傷を再生する月星隷に、宗太の魔偽術が次々突き刺さる。衝撃はシンナバグハクの体表面を抉るが、〔ウゥルカヌス〕に比べれば擦り傷程度だ。
堂々巡りで実りのない自らの力に、宗太は念のため先の伝説が正しいかオルクエンデに訊く。
(なぁ、聖属性的な魔偽術とかねぇのか?)
《そもそも、属性ってなんだよって話になるぞ》
(あん?)
思ってもなかった返答に、宗太は胸中で妙な声を上げる。
《お前が言いたいのは、火とか水とかの類だろ? 理論上だけなら魔偽術は万能だ。なんでもできるのに、わざわざ区分する必要があるか? それにあったとしても、聖属性ってことは聖なる力ってことだろ? そもそも線引きは誰基準の話だ? その正邪の判断は?》
理屈で固められた全否定に、宗太はおもわずげんなりする。
僅かな光も、オルクエンデの正論で潰えた。
(もうちょっと言い方ってもんがあるだろ?)
《この状況で下手な希望は死に直結する》
(じゃあ、どうするんだよ、この状況!?)
《このまま力づく。しか、今のところいい策がないな》
(かといって、俺の術でさえ碌にダメージを与えられていないのが現状だろ?)
宗太が使っている魔偽術では、月星隷にまるで歯が立っていない。
かといって、より強力な魔偽術には緻密な構成を必要とする。
抽象的で曖昧な想像では、まともな術にならないことは雷星隷との戦いで把握している。
(それこそ、オルクエンデが俺の身体を乗っ取った時に使ったっていう、人智を超えた構成を……)
途中で宗太はふと気づく。
そして、思いついたことが可能なのか、オルクエンデに問う。
(なあ? もしかしてこれ、アイロギィの時みたいにオルクエンデが俺の身体を使った方がいいんじゃないか?)
《戻れる保証はないだろ?》
(何? 乗っ取る気はないのか?)
《俺はソラノアに嫌われているからな》
思ってもいなかった返答に、宗太は小さく噴き出した。
《それは冗談だが――》
(そうだな。そうしとこうな)
《――冗談として。本来はあの時、支配できたはずなんだ。が、何かの力によって、俺の力が抑制された。その『何か』が分からない以上、避けるべきだ》
(お前、俺の肉体乗っ取る気、本当にないんだな)
《お前は俺が信用しているくらいには、俺のことを信用しているんじゃなかったのか?》
オルクエンデが皮肉を口にするのは、余裕があるからというわけでもないのは伝わって来る。
梨の礫であろうと、今できる最良は月星隷を攻撃し続けるしかない。オルクエンデはそう思っている。
オルクエンデは。
宗太はもう一つの可能性を口にする。
(なら、さっきの〔足玉〕みたいに、お前が構成する魔偽術を俺が使うってのは?)
《さっきの簡易魔偽術ならともかく、俺が扱う魔偽術は複雑な構成だ。お前が脳内でトレースし切れるとは思えない》
(さっきも結構、複雑だったぞ?)
《あんなもの児戯に等しい》
《だが……》
オルクエンデが扱う真なる魔偽術と、彼が称す簡易魔偽術の差がどれだけ差か、宗太には想像できない。ソラノアでさえ、途方に暮れていたほどだ。
しかし、オルクエンデは即否定するわけはなく、しばし逡巡していた。
つまり、完全に不可能というわけではないということか。
宗太はあと一押しするための言葉を口する。
(それに今思い返してみりゃ、アルトリエ大陸に召喚されて早々に絡んで来た星将のロヒアン・マーチアント。あいつを倒した魔偽術は、割と複雑なものだったはずだよな? なのにできたのは、さっきみたいにお前が構成してくれていたんだろ?)
あの時使った『攻撃性の魔偽術に感応して自爆させる』など、思い出せば随分無茶なものだった。
だが、オルクエンデは単に面白がったのか、意図があったのかは分からないが、その手助けをしていたのだ。
《……どうなるか分からないんだぞ?》
(このまま無為に時を過ごす方が、よっぽどどうなるか分からないぞ?)
《だが……》
渋るのは、よっぽど危険ということか――同時に、『天秤にかけることはできる』ということでもあると理解する。
オルクエンデと『天使』の『星約』。それと宗太の肉体がどこまでいじられているのか。
それらは宗太には分からない。限度も限界もオルクエンデの方が遥かに熟知しているはずだ。
だからこそ、宗太は背中を押す。
(そんな複雑に考えなくてもいいんじゃないか? 要はお前の願いを俺が叶える――そんなとこだろ?)




