エピローグ ソラノア・リスフルーバの可愛らしい(と思いたい)怒り
強化された肉体は人間の境地を超越し、宗太は最短ルート――屋根を飛び越え、ひたすら真っ直ぐ――でソラノアが待つ部屋へと辿り着く。
目の前にある扉は、なんらいつもとは変わらない。
だがどうしてか、その隙間から邪気か瘴気かよく分からない負のエネルギーが、漏れ出しているような気がしてならない。
鍵穴に鍵を差し、回す。
カチャリ、というなんてことはない音が、どうしてか宗太の心臓を撥ねさせた。
なるべく音がしないよう、そ~っと扉を開けて部屋の中を覗く。
明らかに不機嫌なソラノアがテーブルに座っている。部屋の明かりを消したまま。
これは本能か。宗太は一度、閉めようとした。が、ソラノアと目が合ってしまう。その狂おしいほど愛らしい薄紫色の瞳と。
彼女が何も言わず、柔らかく微笑む。
宗太は恐怖を覚えずにはいられない。
今すぐ逃げ出したくなったが、その方が恐ろしい結末が待っているとすぐに自らを制す。
(俺、別に浮気とかしたわけじゃないんだよな?)
考えてみれば、特段やましいことをしたわけではない。ただ少し遅くなっただけだ。
宗太は急に我に返り、普段通り振る舞えるまでに精神が回復した。
テーブル近くまで進んで、宗太はいつものように声をかける。
「ただいま、ソラノア」
「二時間十八分」
宗太の心が折れた。
「……えっ……と……?」
「料理ができてから現在に至るまでの経過時間です」
これでもかというほどに怒っていらっしゃる。
テーブルには豪華というわけではないが、カレーやとんかつ、味噌汁(よりにもよって、この前食べたいと言ったやつだ)など、丁寧に拵えられた料理が手つかずのまま並んでいる。
今この瞬間、昼間の自分を呪う。なんで、あんな悪ふざけをしてしまったのか。
――ただ、後悔はまるでない。
むしろ彼女の新たな一面が見られているので、後々は自らを褒め称えるだろう。
思い起こせば、暗がりの中でもよく見える鬼の形相も思い出補正により、愛らしいものに改竄されているだろうから。
(あとはどう、今という永遠を乗り越えるかだ)
なんと切り出せばいいか。いつにないほど慎重に、かつ迅速に言葉を探す。
ワードを。タイミングを間違えれば、命を落とす。
宗太が頭をフル回転させるが、ソラノアの追撃の方が早かった。
「なんなんですか? 一秒でも長くいたいとか、のたまっていたのはどこの誰ですか?」
反射的に『ソラノアも期待してくれいたの?』なんて言葉が出そうになるが、宗太は喉が裂かれても飛び出ぬよう、固い生唾とともに飲み込む。
「なんでしょうかね? ひっじょーに腹が立つのは?」
「なっ、なんなんでしょうかね?」
「なんなんでしょうかねぇ~?」
怒気が纏うソラノアの単語一つ一つが、立たされたままの宗太の心臓に次々に突き刺さる。
なんかもう、泣きたい。
「別に遅くなるのはいいんですよ。無断でも。べっっっつにっ! 同居人に配慮するとかっていう気が回らなくても」
〝魔炎〟と〝魔弾〟に絡まれるという不可抗力の結果、帰るのが遅れた。
だが、その前にソラノアに連絡をしておけばいいだけの話だった。いくら、予想だにしない出来事の最中だったとはいえ。
「あの……昼間のこと、相当怒っていらっしゃる?」
「全然そんなことありませんよ? ただお買い物中に『素敵な彼氏ができたわね』とか『夜を長く楽しむコツ、教えてあげましょうか?』とか『まだ若いんだから、せめて避妊はしておきなさいよ』とか散々、茶化され続けましたけど! で、帰ったら帰ったでノーグさんからは、『食事の際は向かい合って座るよりも、隣同士で同じものを見る方が関係が円滑になるぞ』とか、他の人にも『ラブラブっぷり実況して!』とか『裸エプロンとかどう? 彼に提案してみて?』とか! わざわざみんな〔オレイアス〕で通信して来ましたけど! 割と困りましたよ!? なんせ私、独りですから!」
ほとんど息継ぎなしにソラノアは捲し立て、喋り終える頃には肩で息をしていた。
そしてついに、ソラノアは背もたれに寄りかかって天を仰ぎ、足をぶらぶらさせ始める。
彼女らしくないその投げやりな姿は、可愛らしいと末恐ろしいが同居していた。
「あ~あ! 明日からのお仕事楽しみだなー! みんなになんて言われるんだろう!?」
「本当にすみませんでした!」
土下座する宗太にソラノアは下目で一度確認したのち、再び天井を見つめる。
「私に謝ったところで、みなさんの誤解が晴れるんですかねぇ~?」
(想像以上に怖ぇ~よ、この娘)
正直、根に持ち過ぎだろうと思い始める宗太だが、自分に非があるので何も言えない。
ゆっくりと顔を上げる宗太。
不貞腐れるソラノアはもはや、こちらを見ようとはしない。
「あの? そろそろ明かり点けてもよろしいでしょうか?」
「ど~ぞ~。今の私の顔、見る勇気があるんでしたら」
暗闇でさえ怖いというのに、一体どんな顔をしているんだろうか……
怖れに身震いするが、時を動かさなければ事態は改善すらされない。
意を決して立ち上がり、灯りをつける。
部屋は明るさを手にしたはずなのだが、宗太の目の前は真っ暗だ――無意識に自らの顔を手で覆っていたという意味もある。
指に隙間から、ソラノアを覗く。
ソラノアはちょうどヤンキーかと言いたくなるくらいの半眼で、こちらを向くところだった。
「――右腕!?」
ひゅっ、と息を呑むような声とともに、ソラノアの真っ赤だった顔は一瞬にして蒼褪める。
宗太は自らの失態を悔やむ。彼女の不安な顔を見るなら、まだ今のように怒られていた方がマシだ。本気ではないのだから。
「腕、直したはずじゃ……というか、壊れていませんか……?」
「あ~……」
宗太が迷うのは、きちんと説明すると彼女の性格上、心配するからだ。
理由や結果はどうであれ、『魔物』と戦ったのだから。
どう話をするべきか考えるが、ソラノアの不安に押し潰されそうな態度を見ると、一刻も早く安心させなければという焦燥が滲む。
「えっと、まずいい? これから説明するけど、ひとまず最後まで聞いてね。たとえどんな単語が出ても」
「……はい」
「まず義腕をつけたあと〝魔炎〟に出会った。そのあとに〝魔弾〟とも」
「――っ!?」
ソラノアは何かを言いかけるが、約束を守ろうと言葉を呑みこんだ。
「で、〝魔炎〟と戦った――といっても、訓練だったんだ。その『魔物』達は俺を初めとした『魔物』を仲間にして計画戦争っていうのを止めたいらしい」
早口になってしまったのは、ソラノアがますます険しくなるから。
きちんと向かい合って座り、事の経緯と顛末。さらには千星技術学院に向かう際、テッジエッタにお願いされていた任務の変更などを話した。
その間、食事は取らずに淡々と宗太が説明し、ソラノアが聞いていた。
話の半ばから終わる頃には、先程までの雰囲気とはもう違う。重いという点に於いては変わりはないものの、質は今の方が悪い。
ソラノアは情報を精査しながら、次の展開をどうするか組み替えていく。
「『無望の霧』……『亡霊達が棲む島』ですか……」
ぽつりと漏らしたソラノアの口調から、宗太は先の見えない過酷な状況に置かれるのだと察した。
ランゲルハンス島などという馬鹿げた名前ではあるが、『得体の知れないものの腹の中』に入るわけだから、ある意味では適しているのかもしれない。
宗太自身、喋る中で意味も分からず使っていた単語が多々あった。
それらを知りたいが、今全てを聞くわけにもいかない。
なので最も気になり、かつ意見を聞きたいこと一つだけを訊く。
「考えているところ悪いんだけど、ソラノアは星隷擬体って分かる?」
「どうして、それを?」
「〝魔炎〟の脚はそういったものらしいんだ。リーリカネットには悪いけど、魔偽甲よりも星隷を使った異能の方が有効な気がするんだ」
〝魔炎〟の何かしらの能力が付加した結果だろうが、できる全てを解き放った答えが、無様な大破だ。
この世界の技術を深く精通しているわけではないが、それでも【凶星王の末裔】の未来がかかった『魔物』に対する装備なのだ。最高級なのは間違いないはず。
それでも、太刀打ちできなかった。
「……そうかもしれませんけど、ただでさえ魔力の消費量が上がるのに加えて、拒絶反応――最悪、施術中に死んでしまうかもしれません」
「だけど、今のままだと結局俺は死ぬ」
敗戦は宗太の技能が未熟という点もあるが、それを補える装備をしなければ今後、生き残ることはできそうにない。
ソラノアが難しい顔をしたまま考え込む。
〝魔炎〟との戦況や目の前の結果を鑑みた上で、それでもハイリスクな武装を宗太に与えるべきか。
彼女がそう真剣に考えているが故に、宗太は静かにソラノアの結論を待つことにした。
「……分かりました。でもできれば、施術者や星隷の選別は私に任せてもらえませんか?……といっても、すぐには返答できませんかもしれませんが。星隷擬体を行うかどうかも含めて……」
「……分かった。任せるよ」
宗太としては星隷擬体が必須だと思うが、技術に精通するソラノを尊重すべきだろう。
彼女が感情だけで、答えを出さないと信頼できるから。
「じゃあさ、ひとまずこの話は一度ここで中断して。そろそろこの美味しそうなご飯、食べていい?」
「そうですね。すっかり冷めちゃいましたしね……まぁ、二時間半くらい前までは温かかったんですけど」
ソラノアの最後の一言に、宗太は凍りついた。




