閑話1_クリストハルトの婚約者候補
その日、屋敷の執務室でクリストハルトは頭を悩ませていた。
エリザベスとレオニードがノルティア村に来てから気に病むことが多くなったけれど、今回ばかりは二人と関係ない。
それは貴族特有の悩みだった。
「クリストハルト様、そろそろご決断を」
しばらく黙っていたので、いつもはこちらの指示を待つ執事のダニエルもさすがに今回ばかりは促してくる。
先ほどから彼は手と腕とを使って器用に三枚の肖像画をクリストハルトに向けて持ち続けている。
その姿勢のまま、すでに半時は過ぎただろうにピクリとも動かないのはさすが伯爵家の執事だ。
いや、きっと自分を、今回こそは適当な言い訳で逃さないためだろう。
「わかった。決めた」
「本当でございますか!?」
観念して、クリストハルトは頷いた。
有能な執事のプレッシャーに耐えきれなくなった、のではなく、そろそろ決めなくてはならないと自分でも思っていたからだ。
――――結婚か。
肖像画に描かれていたのは着飾った貴族令嬢で、それぞれ熱の入った両親からの手紙つき。
クリストハルトの悩みとは、婚約者を決めることだった。
あまり積極的ではないのに、以前から縁談は幾つも届いていて、たまってしまっていた。
自分で言うのも何だが、客観的に見てクリストハルトは優良な相手だ。
伯爵家という家柄は申し分ないし、貴族としての評判にも問題はない。
領地経営に失敗して、逼迫する貴族が多い中、クリストハルトの手腕でクローレラス領は潤っているし、最近はレオニードのおかげもあって治安がとても良い。
――――昔なら即断っていたけれど、今は余裕もあるしね。
若くして伯爵位を継いだクリストハルトは、当初、周りに認められるため、必死に虚勢を張って、動いていた。しかし、それも今では過去のことだ。
あの時になかった経験と実績があり、大抵のことは簡単に処理できる。
急にやってきた隣国の元公爵令嬢と、それを追ってきた旧友の顔をちょくちょく見るぐらいには暇もできた。
今こそ、たまっていた縁談に向き合うべきだろう。
爵位を継いだ者の義務として、血筋を残さなくてはいけない。
今までは積極的ではなかったけれど、そう思ったのは――――やはり二人のせいだろう。
――――レオニードぐらい、僕は周りが見えないぐらいに一人の女性に一途になれるだろうか。 たぶん無理だろう。
けれど、彼を見ていると人生を謳歌しているようで、少し羨ましい。
――――いやいやいや、レオニードに感化されたら貴族としておかしいだろ!
一人の女性を追って、隣国に無理矢理やってくるなんて、貴族失格だ。
「……!?」
「それで? どの方になさいますか?」
また黙り込んだクリストハルトを、ダニエルがのぞき込んでいた。
「こちらの育ちの良い伯爵令嬢でしょうか? それとも麗しい子爵令嬢? 賢い男爵令嬢? どの方も僭越ながらわたくしが厳選させて頂いた、大変素晴らしい女性でございます」
ダニエルはまたまた器用に、三枚の肖像画を空中で順番に回しながら、一枚ずつ勧めてくる。
複数来ていた縁談はすでにダニエルが家柄や評判を加味して、三人に絞ってくれていた。
つまり誰を選んでもクローレラス伯爵家には、相応しい夫人ということだ。
伯爵令嬢でなくても、社交界での評判がよかったり、事業が上手くいっている資産家だ。
肖像画の印象で決めてしまえばいい。
もしくは何らかの基準で、絞ってしまえばいいのだけれど――――。
「いや、三人全員に会ってから一人に決める」
「……三人とも、ですか?」
さすがのダニエルもクリストハルトの答えは予想していなかったらしい。
意外そうな声が聞こえてきた。
「そうだ。彼女達にとっても結婚はとても重大なことだからね」
政略結婚ではあるけれど、相手に自身と領地を見てもらいたいとクリストハルトは考えていた。
道具として、会ったこともない相手といきなり婚約するのではなく、少しはお互いを知り合い、心を通わせ、短い期間でも恋愛をしてから妻として迎え入れたい。
――――これもあの二人の攻防を見ている影響なのか?
いや、違う。エリザベスは気づいていないみたいだから恋愛一歩手前だ。
レオニードは、口下手で、基本的には追いかけているだけだし。
エリザベスは、自分のことに関してはひどく鈍感な性格だ。
――――最近は彼女からまんざらでもない雰囲気を感じるようにはなった、気がするけれど。
「ふっ……」
思わず口元が緩んでしまう。
どうしてあの二人は、あんなに面白いのだろうか。
「ダニエル、彼女達がお互いに顔を合わせないよう、日付はずらし、ここへ招待する手筈を頼む。僕はお誘いの手紙を書くから」
「畏まりました」
クリストハルトの心変わりと貴族らしからぬ配慮に、ダニエルは何も尋ねない。
ただ、静かに下がっていった。
まず一人目の訪問者――――フィラナ子爵令嬢。
ダニエルの話では、とても美しく、心優しい女性ということだったけれど……。
結局、屋敷を訪れることはなかった。
代わりに翌朝、早馬で手紙を届けに来る。
何でも村の入り口に、大剣を持った怖い顔の男性がいたので入れなかったそうだ。
「あちゃー……」
間違いなく、自主的な巡回中のレオニードだろう。
――――こればかりは仕方ない。運がなかったとしか……。
丁寧にお詫びの手紙を書くことにした。
二人目――――レシャ男爵令嬢。
新しいことへ積極的に取り組んでいる男爵家の令嬢だそうで、本人も賢く活発で、話が合いそうだと思っていたのだけれど……。
――――会うには会えたんだけれどね。
まずはと、領地を見て回っていたところで、エリザベスを見かけたのがまずかったと思う。
舞踏会で面識があったそうで彼女は「お姉さま-!」とエリザベスのところへ飛んでいって、その後はシャルロッテも加わって、お茶会が始まってしまった。
クリストハルトは茶葉を差し入れて、そっとしておいたのだけれど。
後日、男爵から断りの手紙が来た。
エリザベスに会えて楽しかった彼女は、両親につい厨房に入って料理をしたことを話してしまったらしい。
令嬢として相応しくない振る舞いを覚えさせてしまったので、断ってきたのだ。
――――申し訳ない……。
こちらも丁寧にお詫びの手紙を書いておいた。
そして最後の一人、伯爵令嬢であるコルネリエが訪問する日――――。
「初めまして、コルネリエ嬢」
「こちらこそ、お会いできて光栄ですわ。クローレラス伯爵」
屋敷の玄関に着いた馬車から降りてきたのは、クリストハルトから見ても洗練された令嬢だった。落ち着いた雰囲気の美人で、年齢も近い。
「クリストハルトで構いませんよ」
「でしたら、わたくしのこともコルネリエとおよびください」
「では遠慮なくそうさせていただきます」
「爵位で呼ぶのは、どうも壁を感じますものね」
育ちがよいといっても、考えは柔軟のようだ。
「ささ、屋敷の中でゆっくり話しましょう。応接室は扉を開け放ってあります」
「はい。本日はご招待、ありがとうございます」
クリストハルトのエスコートに、慣れた仕草で手を添える。
自然な動作で、こちらとしてもしっくり来た。
――――やはり、僕には令嬢らしい令嬢が合うのかもね。
今度は上手くいきそうだと思いながら、応接間に移動したのだけれど……。
「クリストハルト様……」
二人で話していると、ダニエルが現れ、控えめに耳打ちする。
「レオニードが? 少し待っているように伝えて」
「畏まりました」
何か用事があったらしくレオニードが尋ねてきているらしい。
緊急ではないだろうから、ひとまず待ってもらい、彼女との話に区切りが付いたところで少し席を外せばいい。
「何かあったのですか?」
「たいしたことではありませんよ」
「クリストハルト様はお忙しい身。わたくしでしたら構いませんので、席を外してくださいませ。日を改めてでも」
気遣いもきちんとできる人のようだ。
あとで謝りつつも席を外せばいいだろう。
「本当にお気になさらずに。それよりも領地での産業についてですが」
「何でも珍しい食べ物を作っているとか」
「それが実はこちらへやってきた一人のシスターがですね……」
…………。
……。
話が盛り上がり過ぎてしまったのがまずかった。
すっかりレオニードのことを忘れて話し込んでしまう。
「レオニード様、お待ちください」
「……?」
――――しまった!
廊下からダニエルの声が聞こえてきたところで、過ちに気づく。
待ちきれなくなったレオニードが強引に応接室へ行こうとしているに違いない。
――――ほんの十分ぐらいなんだけれどね……。
「すみません。少し席を外しますね」
一人目のこともあるし、彼に会わせるのはあまり得策といえないだろう。
コルネリエに謝ると、レオニードのところへ行こうとする。
しかし、間に合わなかった。
「クリストハルト! クリストハルト、ここにいるな!」
バンと扉が開くと、ダニエルを振り払ったレオニードが姿を現す。
そして、じろりとコルネリエを一瞥だけすると、挨拶もせずにクリストハルトへと詰めよった。
「頼んでおいた件はどうなっている?」
「手配してあるけれど、明日ぐらいになりそうなんだ」
「わかった」
用件を済ますと、レオニードは何も言わずに出ていく。
さすがのコルネリエも呆気にとられていたようだった。
「ごめんね、古い友人なんだ」
「……友人といえども、突然の訪問に謝罪もなく、それにクリストハルト様にあんな口の利き方、どうかと思いますわ」
「そうだね。一応、隣国では伯爵級の騎士なんだけど、礼儀ってものを知らなくて。僕も口すっぱく言っているんだけど、全然聞かないんだ」
クリストハルトは、必死に作り笑いを浮かべた。
「ぶっきらぼうで、怖いお顔。きっと皆に恐れられていることも知らない、ある意味で可哀想な方なのかもしれませんわね」
――――レオニードの悪口はやめてほしいな。
思わず口に出しそうになるのを、咄嗟に抑えた。
コルネリエも悪気があって言っていることではない。レオニードの、クリストハルトへの無礼を怒ってくれているのだ。
そうわかっているけれど、彼女がレオニードの悪口を言っていると、なんだか気分が悪かった。
まさしく、彼女の言うことは全て正しいのだけれど……とにかく嫌だった。
――――でも、これが普通の反応なんだよな。
エリザベスが特別なのだと再確認する。
目の前の彼女よりも、エリザベスはずっと高い身分の出身なのに、なぜ自然と教会や村人、そしてレオニードともやりあっていられるのだろう。
――――どうやら、僕の理想が高くなってしまったのかな。
エリザベスのことをどうとかではなく、彼女ぐらい寛容でわけ隔てない女性が良いと思っている。
少なくともレオニード達を悪く言う人とは、一緒にいられない。
自分が気分よくいられない。
…………。
……。
それからコルネリエとは話が盛り上がらなくなってしまった。
気分の問題なのだろうか、理由はわからない。
もう自分は彼女を婚約対象として見ていないからかもしれない。
「本日はありがとうございました」
「あ、ああ。会えてよかった」
少し屋敷の敷地内を案内すると、馬車で令嬢を見送る。
その時、今度はエリザベスがシスター達とこちらへ来るのに気づいた。
「エリザベス、こんにちは。今日はどうしたの?」
「この間の茶葉のお礼にお菓子をと思って……あら、お客様? これは失礼しました、クローレラス伯爵様」
さすがのエリザベスは、馬車を見て客だと気づいて謝罪する。
「別にわたくしは構いませんよ。もしかして、あなたが例の料理の得意な教会のシスターさん?」
コルネリエがエリザベスに話しかける。
「はい、シスター見習いのエリザベスです。そうだ! よかったら作ったお菓子をどうですか?」
「ごめんなさい、父から貴族の屋敷の中以外では食べ物を口にしないように言われていて」
「そうですか、失礼しました。クローレラス伯爵様、お邪魔しました」
断られたエリザベスは、押しつけるでも、怒るでもなく、さっとお菓子をクリストハルトに渡し、二人から笑顔で離れていく。
色々気づいたうえで空気を読んでの行動だろう。
「……コルネリエ、会えてよかったのは本当だけれど、もう僕らが会うことはないと思う」
「そのようですね、残念です。父には価値観の違いとでも伝えておきます」
彼女も気づいていたらしい。
笑顔で馬車に乗り込むと、屋敷の敷地から去って行った。
一人残されたクリストハルトは、何となくエリザベスのくれたお菓子の袋に手を入れる。
口に入れると、甘いけれど、スパイスたっぷりのクッキー。
なかなかに挑戦的で、刺激的な味だった。
「食べなくて正解だね」
レオニードとエリザベスを理解できない者には、さすがにこれは理解できない。
――――あの二人のおかげで、婚約にも向き合おうと思ったけれど。
「貴族としても意識や価値観が変わって、逆に結婚が遠のいた気がする」
一人、クッキーを食べながら呟く。
「でも、まあいいか……」
悪い気はしない。
新作のクッキーは、楽しい味がした。
★2021/4/2 新作の投稿を開始しました。よろしければこちらもお読みください。
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