038_婚約破棄の王子様
「この僕が踊ってやるって言ってるんだ。光栄に思いたまえ」
どうやら貴族の男性と、令嬢が揉めているようだ。
「あの人……」
シャルロッテがその男性を見て、怯えではなくむっとした表情になる。
それでエリザベスは感づいた。
あの鼻につく言い方は、きっと昔、シャルロッテに声をかけてきた傲慢な貴族だろう。
そして、話しかけられた女性の方もよく見たら、彼女の悪口を言っていた二人の令嬢だった。
シャルロッテにフッと一蹴された時と同じように怯えている。
断ることも、どちらかが進み出ることもできず、おろおろすることしかできない。
「どっちでもいいから来いっ」
二人の態度にいらついた傲慢な貴族が声を荒げた。
どうやら以前よりも、さらに傲慢さは増しているみたい。
令嬢達はびくっと身体を揺らし、おずおずと口を開いた。
「……き、気分が悪くて」
「……っ、わたくし、足をくじいておりますの」
「嘘をつくなっ! 僕に恥をかかせる気か」
そんなあからさまな言い訳は、火に油を注ぐことにしかならなかった。
掴みかかろうかという勢いで令嬢達に詰め寄る。
そんなとても紳士と呼べない態度でも、周りは誰も止めようとしなかった。
貴族社会で未婚の女性の立場は、驚くほどに弱い。
家の都合で振り回され、本人達もそれをおかしいとは思わないぐらいだから。
「あの子達も壁の花をしていたのね。しつこそうなのに、目をつけられて……」
シャルロッテのトラウマの原因を作った令嬢二人だから、最初は自業自得だと思っていたけれど、次第に彼女達も貴族社会の被害者に思えてきてしまう。
――――見ていて、気持ちの良いものでもないし。
「シャルロッテ、助けてもい……い――――?」
割り切って、シャルロッテに一応声を掛けてからと思ったのだけれど……。
その当人がズンズンと渦中へ飛び込んでいった。
――――根っからのいい子なのよね。
とりあえず見守ることにする。
「あなた達、人酔い止めの薬と靴の底用の布を持ってきたわ。というわけで、どいてくださいな」
シャルロッテはわざと傲慢な貴族の後ろから近寄ると、声を掛けた。
令嬢達はほっとして、次に助けてくれた意外な人に小さく驚く。
一方、傲慢な貴族は割り込んできたシャルロッテを見て、さらに逆上した。
「っ、君は木登り男爵令嬢! 邪魔をするなっ」
血管を浮き上がらせ、怒る傲慢な貴族に、今のシャルロッテは怯まなかった。
教えたとおりの笑みを湛えたまま、ゆっくりと、あくまで優雅に告げる。
「こんなところで、猿の男爵令嬢を口説いて断られたなんて噂になるほうが、よっぽど恥だと思いますけれど。違いまして?」
最後に、追い打ちのように首を少し傾けてニコリとする。
エリザベスから見ても、完璧なあしらい方だった。
「お、おぅ……そうだな」
毒気を抜かれた傲慢な貴族が、シャルロッテに道を譲った。
そのまま「今日は調子が……あんなやつだったか……」などとぼやきながら、遠ざかっていく。
「まったく、都会の貴族は短気なんだから。栄養と休養がまったく足りないんじゃないかしら」
去って行く傲慢な貴族の背中を見送りながら、シャルロッテが呟く。
内容も口調もまるでエリザベスみたい……。
客観的に見ると、ちょっと複雑。
「あ、あの……助けてくれて、ありがとう」
「一年半前は、ごめんなさい。シャルロッテさん」
絡まれていた男性が完全に去ったところで、助けられた令嬢がお礼と謝罪に近づいてきた。
きっと、素直に二人から感謝されるとは思っていなかったのだろう。
シャルロッテは少し驚いたように目を開き、そしてすぐにいつもの調子に戻った。
「べ……別にいいわよ。あなた達のためにやったんじゃないから。それに……」
少しもったいぶってから、シャルロッテが二人の令嬢に告げる。
「女神ヘレヴェーラは、過去のことすべてを許しますわ」
――――な、なにそれ……。
エリザベスは笑いを堪えるのに必死だった。
「貴女の指導、鞭撻が自信になったようですが、あまり真似しすぎると……悪い影響が出そうですね」
「あ、うん……それとなく、後で言っておきます」
横に並んだロクサーヌに小言を言われてしまう。
でも、すっかり自信を取り戻したシャルロッテを見るのは悪い気がしなかった。
「くすっ、面白いお方」
「な、なんか変わりましたわ。シャルロッテさん……」
シャルロッテの言葉に、今度は令嬢が親しげな笑みを浮かべる。
「いやあ、スカッとしたよ、勇敢なレディ」
「あの人には本当に困っていたのよ」
さらにシャルロッテのところへ、貴族達が集まってきた。
あの華麗な撃退を見て、興味が湧いたのだろう。
「その所作、どうやって身に付けたのです?」
一人の令嬢が尋ねる。シャルロッテのようになりたいようだ。
「周りの教えと環境がいいから、自然と身に付いたのですわ」
「環境と教え……付き人<シャペロン>がやり手なのですね」
シャルロッテの答えまではよかったけれど……。
「君がドリーナ男爵令嬢の付き人だね? 給金はいくらかね。倍出そう! ぜひ、うちの娘にも教育を!」
「えっ……? あ……っ」」
今度はエリザベスのもとにまで人が集まってきてしまう。
「さっき噂を聞きました、隣国の元公爵令嬢なんですって、全然落ちぶれた感じがしていないから誤解なのでしょう」
「生き生き、溌溂としてらっしゃる。貴族からシスターへの転身はそれほどに素晴らしいものなのですか! わたくしも検討しようかしら」
「いやいや……落ち着いて、そんなことないから」
逃げ腰になりつつも、悪い気はしなかった。
――――舞踏会で好意的に見られるなんて、以前はなかったから。
ずっと遠巻きに見られるだけの、嫌われ者だった
「お姉様、私にも指導していただけませんか?」
「今度、お姉様の教会に行ってもいいですか? もちろん寄付しますので」
シャルロッテに助けられた令嬢二人がエリザベスに懇願してくる。
「寄付は助かるけど……えーっと……どうしよう……」
まさかの元悪役令嬢ブーム到来?
――――もしかして……ストーリーの縛りがないせい?
「……!?」
などと考えていると、急にフロアの空気が変わった。
舞踏会の雰囲気を一瞬で変えることができるのは、エリザベスの考える限り一つだけ。
サプライズゲストの登場。
時の人や、偉い人が急遽現れたに違いない。
――――誰だろう? 公爵か侯爵の息子辺り? だったら二人を売り込まないと。
「ごめん、道を空けてくれるかな?」
微かに大物ゲストの優しげな声が聞こえてくる。
「王子よ!」
「まさか、ここへいらっしゃるなんて」
――――王子!? やっぱり、この舞踏会が本命だった……んっ?
自分の勘を褒めつつも、なぜか今度は悪い予感がする。
本能に従って逃げようとしたけれど……その前に視界が開けた。
王子の言葉で、出席者達が道を譲ったのだ。
「なんて幸運な日なのかしら。ミッシェル王子は婚約者もいないの、ただ一人と恋をするのを待ってらっしゃるのね」
「強い意志で“誰とも婚約しません”って。もしかして、身分差もありなのかしら。ねぇ、エリザベスさん。私になにかアドバイスをください!」
――――えっ!? ミッシェル王子!
参加者からもれきこえてきた王子の名前に、エリザベスは目を瞠って驚いた。
道が開けた先を見ると、一人の童顔の青年が立っている。
そよ風にも揺れるさらさらのミディアムヘア、人形と見間違う大きな瞳、そして、ふわっとした天使の笑顔。
――――見間違えるはず……ない。知りすぎた顔。
エリザベス・フォンティーニの婚約者となっている予定<、、、、、、、>だった、リマイザ王国の第一王子ミッシェルだった。
※※※
それはまだ、エリザベスが運命に抗っていた頃――――。
フォンティーニ公爵の庭園に、五歳のエリザベスとミッシェルは二人で花冠を作って遊んでいた。
「まずはこいつをどうにかしないと……」
「えりざべす、なんていったの?」
「な、なんでもない、なんでもない」
誤魔化しながら手を動かす。
エリザベスは、身体は子供でもすでに前世の記憶を持っていたので、花冠は大人顔負けの上手さに出来上がる。
一方、ミッシェルは子供らしいぐちゃぐちゃな完成度だった。
彼は花冠を交互に見比べて、エリザベスに向かって手を出す。
「えりざべすのおはな、ちょうだい」
「いいよー、あげる。でも、それには条件があるの」
瞬時に名案を思いついて、エリザベスはミッシェルに言い聞かせた。
「うんっ? じょう、けん?」
「そう、条件。これをあげるかわりに、私のいうことを一つきくの」
「いいよー」
二つ返事で頷く。
よしよしと五歳のエリザベスはほくそ笑んだ。
「これから、おとなから婚約するよって話があるから、“だれともこんやくしません”っていうの。ずーっといいつづけること」
条件を明示しながら、エリザベスは花冠を高く上げた。
頑張っても、まだ背が伸びていないミッシェルは届かない。
「あっ、あーっ、ちょうだい」
「はいじゃあ言って“だれともこんやくしません”リピートアフターミー!」
「だれとも、こんやくしませんー!」
十八歳の断罪直前に、ミッシェルから派手に婚約破棄されるのが嫌で、婚約そのものをなくそうとしたのだけれど……。
他のことは失敗続きだったのに、なぜかこの時はストーリーの改変に成功してしまった。
※※※
「…………えっ? 誰とも婚約してない?」
幼い頃のミッシェルとの約束を思い出して、エリザベスはサッと青くなった。
――――まさか、ね……ロゼッタ姫がコラード王子と結ばれたから、余っちゃってるだけだよね。
きっとエリザベスのことなんて憶えてさえいないに決まっている。
首を横に振って、ふっと浮かんだ考えを否定する。
すると、コツコツとゆっくりミッシェルがエリザベスの前まで歩いてきた。
――――なんかこっち来てるし!
「やあ、エリザベス」
まずは愛くるしい微笑みをエリザベスに向け、ミッシェルが口を開く。
思わず、周りにいた令嬢達が王子の可愛らしさに当てられて「キャー」と黄色い声を上げた。中にはさっそく卒倒する者まで現れる。
――――私のこと、覚えてるー!
逃げ出したいところだけれど、舞踏会に逃げ場はない。
今逃げたら、不敬罪とかに問われそう。
ミッシェルがやっかいなのは、この誰もが愛らしく思う容姿であり、逆らうと万民を敵に回しかねないことだ。
「ぼくの国に来てくれたきみを迎えに来たよ。こんなに近くにいたのに、なかなか見つけられなくてごめん」
「いえ……おかまいなく」
さすがのエリザベスも、腰が引ける。
ぐいぐい来るタイプは元々苦手なのに、子供の頃に騙して約束させたという後ろめたさがあるので、強く出られない。
「エリザベスに言われたことを守って、誰とも婚約しないで待ってた」
こちらの返答など、まったく聞いていないかのようにミッシェルは続けた。
「大人になってぼく考えたんだ。あの時のきみは素直になれなくて、いつか私を探してって照れ隠しで、婚約しないように言ったんだよね? 親が決めたんじゃなくて、恋してからきちんと結ばれたいって」
「え、いや、あれは……そ、そう!」
ミッシェルの笑みが、天使からヤンデレ悪魔に変化する。
たじろぎながらも、エリザベスは必死に回避ルートを模索していた。
ふっと影のある顔を作ってみる。
「私はあの時とは違うの。隣国の公爵令嬢じゃない、追放の身。貴方とは相応しくないわ」
「エリザベスに爵位なんかなくても、ぼくは国中に好かれている王子様だから大丈夫!」
――――ですよねー。
小手先の言い訳など通じるレベルのキャラではなかった。
正真正銘の、エリザベスの婚約者になるはずだった、主役級の王子様なのだから。
「エリザベス、捕まえた」
ミッシェルが手を伸ばし、エリザベスの手を取る。
ゆっくりとした動きだったけれど、搦め捕られるかのようで、避けることはできなかった。
※※※
その頃、クリストハルトはレオニードと共に、自らの屋敷にいた。
「いいかい、レディが困っていたら紳士的に僕のパートナーですとか言って、スマートにその場から連れ出すんだよ」
「…………」
クリストハルトは執事ダニエルの手を借りながら、燕尾服に着替えていく。
一方のレオニードも、自ら盛装に着替えていた。
「僕の体面もあるんだから、悪目立ちしないでくれよ。君も貴族のガルドヘルム卿として相応しい振る舞いをして……って、聞いてる?」
黙々と着替えをするレオニードは返事をしない。
クリストハルトはため息をつきながらも続けた。
「このパゾリーノ子爵家からの招待状、僕と友人貴族の二人分」
招待状をわざとらしくレオニードに見せる。
「とてもとても苦労して手に入れたんだから、今日の舞踏会では友人っぽく僕のこともクリスと呼んでくれよ、レオ」
実際には子爵家の舞踏会の招待状など、それほど苦労せずに手に入れることができた。
けれど、こうでも言わないとレオニードは、手配してあげたことをまったく気にしないだろう。
「クリストハルト、早く行くぞ」
こちらの言葉にはまったく返事をしないのに、急かしてくる。
――――どうせ、エリザベス嬢のことを考えて、僕の言葉なんて聞いていなかったんだろうけど
「いいかい? もう一度言うけど、舞踏会の場での振る舞いはきちんとしてよ」
やはり答えなかったけれど、レオニードは頷いた。
――――こうやって釘を刺しても、何か騒動を巻き起こすんだろうな。
もう一度盛大にため息をつく。その騒動をフォローする損な役回りの自分にも。
楽しくないのかと聞かれれば、楽しいのだけれど。
クリストハルトは、レオニードと共に馬車へと乗り込み、先を急いだ。
もう舞踏会は始まっている。
★2021/4/2 新作の投稿を開始しました。よろしければこちらもお読みください。
【悪役令嬢に転生失敗して勝ちヒロインになってしまいました ~悪役令嬢の兄との家族エンドを諦めて恋人エンドを目指します~】
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