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035_レッスンの特別講師

 朝一番で生活態度と食事改善の指示をした後も、エリザベスはドリーナ男爵家でシャルロッテに舞踏会に関するレッスンをそのまま続けていた。

 場所はシャルロッテの私室の机。

 手前にエリザベスが立つ。手には指示棒。


 ――――こういうのは、形が大事だから!


「では侯爵家の名前を順に言ってみて」

「ユハント、メリエン、リトルフ……」


 シャルロッテが考えながら、一個ずつ口にする。


「惜しい。コルネが抜けた」

「あっ、そうだった……うーん、無理。名前全部覚えるとか」

「こんなのすぐに全部覚える方が変だから、気にしないで」


 せっかくだから、簡単な記憶術をシャルロッテに教えてみる。


「名前順にリズムに乗せて、身体を叩くと記憶しやすいのよ」

「叩く? そんなことで?」

「騙されたと思って、私に続けてやってみて……コルネ、メリエン、ユハント、リトルフ」


 リズムをつけて言いながら、左肩、右肩、左腕、右腕と叩いていく。


「恥ずかしがらずに!」

「は、はい! コルネ、メリエン、ユハント、リトルフ」


 戸惑いながらもシャルロッテが続けて、同じ動作をする。


「慣れていけば、もっと長いのもこれで覚えられるから。忘れたら身体を触ってみると、思い出したりするの」

「……へぇ、公爵令嬢ってこんなことして覚えているのね」

「え、ええ……まあ……」


 きっとシャルロッテは、男爵令嬢だから知らない上級貴族の知識、みたいに思っているのだろう。

 説明できないので、適当にそういうことにしておく。


 ちなみにエリザベスは元公爵令嬢、シャルロッテは男爵令嬢。

 公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵で階級が低くなっていく。

 階級差は持っている爵位の差で明確になっていて、特に男爵は一代限りのことが多く、家の格としては貴族の中では低い。

 下級貴族、なんて呼ばれることもあるぐらい。


「座学はこんなところかしら。お昼休憩にしましょう」

「やっとおわりー? 疲れた……」


 机の上に、シャルロッテがつっぷす。

 普段あまりしていないことだから、疲れを感じるのだろう。


「午後はお待ちかねの実技に移りまーす!」

「でもその前に……昼寝させて……もう眠くて、眠くて……」


 初日だから仕方ない。

 たっぷり休憩をあげて、昼過ぎに次のレッスンに移った。




※※※




 エリザベスは、ドリーナ男爵家の庭を使って実技のレッスンを始めた。


「さあ、やってみて」

「わ、わかったわ」


 シャルロッテがぴょこっとカーテシーをする。

 カーテシーとは、片足を斜め後ろの内側に引いてから、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋をピンと伸ばしたままする、挨拶のこと。

 貴族の所作の中で、基本中の基本だ。


「そのまま挨拶の言葉を」

「パゾリーノ子爵、ほっ、本日は、お招きありがとうございます」


 観客はバネサとセニアしかいないのに、やはり緊張してしまっている。


「ストッープ、頭は下げずに、背筋は伸ばしたまま、堂々と気持ちを込めて」

「えっ? えっ? あっ……」


 シャルロッテが困惑して、ぐらりと身体が揺れる。


「お嬢様!」


 バネサが倒れそうになる。しかし、それよりも先に素早く彼女の身体を支えた人がいた。


「大丈夫かい?」

「……ええっ! 伯爵? どうしてここに!?」


 いきなり現れて彼女を助けたのは、クリストハルトだった。


「立っているものは親でも使えって言うでしょう?」


 エリザベスはこちらを見たシャルロッテにウィンクする。

 ――――私が男役をやってもいいけど、やっぱり男の人の方が練習になるものね。


「クローレラス領の困りごとは放っておけないよ」


 にっこりと微笑むと、彼女から離れる。


「まずはこれを落とさないように訓練をいたしましょう。自然に背筋は伸びます」


 クリストハルトの執事ダニエルが、シャルロッテの頭の上に本を二冊乗せる。

 本人は見本とばかりに本を五冊乗せて、楽々と動いている。


「緊張しながらでも、お招きありがとうって、心の中で同じことを思うんだよ。動きなんて少し間違えてもいいから、相手へ敬意の気持ちが伝わればいい」

「わかりました。あ、ありがとう……」


 焦りながらも、シャルロッテはクリストハルトのアドバイスもあって徐々に緊張を解いていく。

 数回繰り返したら、すっかり様になってきた。


「はい、止めて。いい感じよ」


 パンパンと手を叩くと、シャルロッテを褒める。

 クリストハルトに慣れてきたということもあるんだろう。


「パゾリーノ子爵は背の高い方らしいから、視線はこれぐらいにして」


 シャルロッテの視線を誘導しつつ、クリストハルトに合図を送って退いてもらう。

 そして、レオニードを前に置いた。

 彼は、実技レッスンが始まってしばらくしてから、何をしているのかと見に来ていたのだ。


「…………」


 置物みたいに、いきなりシャルロッテの前に置かれても、何も言わない。

 さすが、聖獅子の大剣。


「本日はお招……ひっ!?」


 相手が代わっていることに気づいたシャルロッテが驚き、本がばさばさと落ちる。


「はい、やり直し」

「えー、今のはずるい!」


 ぷくっと頬を膨らませるも、エリザベスは気にせず続ける。


「気の利いた一言もあるとベストね。純粋な感想でいいから、優しそうなお顔で安心とか、この場に来ることができて光栄です、どうか今後のご指導をお願いしますとかね」

「……や、無理でしょう。できるわけな……」


 レオニードの怖い顔を間近に見て、シャルロッテが口をパクパクさせる。


「簡単よ。お世辞じゃないの、本心から言えば、何だって相手の心に響くのよ」


 お手本を見せようとエリザベスは、レオニードに正面に立って完璧なカーテシーを見せた。

 ふっと妖艶に笑ってみせる。


「お招きありがとうございます。素敵な夜が楽しみですわ」

「……っ!?」


 なぜかレオニードの顔がさらに怖くなる。

 ――――どうして? すっごく瞳孔開いてる!?


「も、もうやればいいんでしょう! 退いて!」


 なぜかやる気になったシャルロッテが、ぐっとレオニードの前に躍り出る。


「……このままだとさすがに見ていられないわ」

「んっ? 何か言った?」

「小声で練習してただけ」


 その後、シャルロッテは獅子の睨みの試練にも耐え、挨拶を完璧にマスターした。




※※※




 舞踏会がいよいよ近づいてきた夕方のドリーナ男爵邸――――。


「シスターエリザベス、どんなのがいいの? 着たことないのばかりだけど」


 パニエにコルセット姿のシャルロッテを、エリザベス、バネサ、セニアの三人が囲んでいた。

 メイド二人の腕には、沢山のドレスが掛けられている。

 舞踏会へ向けてのドレス選びの最中だった。


「清楚かつ、華やかで嫌みのないものがいいでしょう」

「おまかせください」

「がんばります!」


 バネサとセニアが答えると、さっそくドレスを一つ選んでシャルロッテに着せた。

 首の詰まったドレス。まだ幼さの残る彼女には合うけれど……。


「貞淑さはいいけど、イブニングドレスとしては役目をはたしていないわ。もっと、鎖骨で攻めないと!」


 やっぱりデコルテは重要。

 すると、今度は胸が大きく開いたドレスをメイド達が着せた。


「脱げる……」

「コルセットで胸をもっとぐっとすれば――――まだ、早いわね……」


 諦めて次のドレスを探してもらう。

 すると、シャルロッテが意地悪そうな視線になった。


「人のことばっかり言ってないで、シスターエリザベスもドレスを着なさいよ」


 シャルロッテの合図を受けてバネサが一着のドレスを持ってくる。


「ひっ……! それは!? お、お別れしたはずの……」


 それは追放された時に着ていて、売り飛ばしたはずの、悪役令嬢エリザベスのドレスだった。


「うち、貿易の会社よ。お母さまがとある公爵令嬢が身に着けていた最高級の品で、いつか、そうなれるようになりなさいって、一緒に送ってきたの」

「私に? なるの?」

「な、ら、な、い! お母様が勝手に言ってただけ!」


 バネサとセニアも苦笑いする。


 ――――シャルロッテのお母様、めざといけれどツメが甘いです……その後を調べてから……。


 さすがに追放された悪役令嬢のドレスは駄目でしょう。

 もう呪いのアイテムっぽいし。


「このサイズに合わせて、色々集めたけど……バネサ、セニア着せてあげて」

「畏まりました、お嬢様」

「いや、私は普通のドレスで……」


 拒否する暇もなく、バネサに剥かれて、間髪容れずセニアに、用意されたドレスの中から一着を着せられる。


「えっ……あれ……?」


 背中の包みボタンが閉まらなかった……。


「これ、本当に同じサイズのドレス?」

「…………」


 尋ねると、シャルロッテが冷たい視線を送ってくる。

 わりと鋭い目つきだ。視線で責められているみたいな。

 ――――ほんと、悪役令嬢にはならないでね。


「ご、ごめん……ここへ来て、胸のつかえも取れて、ご飯が美味しくて……ノルティアに水が合ったのかな? てへ」

「言い訳無用! コルセットで締めてあげて!」


 シャルロッテの怒りの指示によって、ぐいぐい締めつけられる。


「ううっ……!」


 淑女の自尊心は傷つけられたけれど、何とかドレスが入る。


「うーん、地味じゃない。元が派手過ぎだから合ってない」


 今度は、容赦ないシャルロッテのつっこみが入った。


「あの……もう少し、強そうなドレスのほうがいいのでは……?」


 するとセニアの提案で、今度は紺のドレスに眼鏡、髪をアップにされる。

 まるでこれって……。


「“お嬢様は誰とも踊りません!”」


 ――――教師風?

 なりきってみると、またもや冷ややかな視線を感じる。


「さ、最新のドレスもお揃いでありますよー」


 羽根がいっぱいのドレスに、頭にも羽根の帽子をかぶらせされる。

 なんだか鳥になれそうな気がする。


「斬新すぎるわ。却下!」


 シャルロッテが鳥の羽根を掴んで自分で脱いだ。

 今度は、薔薇がいっぱいのドレス。

 おどろおどろしくて、香ってきそうだ…………。


「こわっ、ほんと悪女っぽい」

「派手すぎて恐れられる壁の花になりそうね」


 エリザベスも同意して、次のドレスを探す。

 あれこれ数時間、二人でお互いのドレスを選ぶこととなり――――。


「まあ、こんなもんね」

「いいんじゃない、シスターエリザベスっぽい?」


 何とかシャルロッテもエリザベスも、満足いくドレス選びを終えた。




※※※




 舞踏会、当日――――。


 エリザベスとシャルロッテを乗せた馬車が、舞踏会の会場となるパゾリーノ子爵邸の玄関に近づき、ゆっくりと止まった。

 御者がステップを下ろし、馬車の扉を開ける。


「さーて、いっちょう懐かしの貴族やりますか」

 ――――付き人として、シャルロッテの舞踏会を成功させるために!


 久しぶりの社交界に、エリザベスは足を踏み入れた。

★2021/4/2 新作の投稿を開始しました。よろしければこちらもお読みください。


【悪役令嬢に転生失敗して勝ちヒロインになってしまいました ~悪役令嬢の兄との家族エンドを諦めて恋人エンドを目指します~】

https://book1.adouzi.eu.org/n7332gw/

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