90. 迷子の迷子の(後)
■ 補足とお知らせ
ネージュは【男性】です。感想をいただいて気づいたのですが、女性だと思っている方が多いようです。紛らわしい書き方で混乱させてしまい、すみません……!
・真白き予知の巫→真白き予知の覡に修正しました
・巫女→女性、覡→男性
・「巫」だと「巫女」と勘違いを招くので、「覡」に統一しました
・そもそも「巫」を男性とみなすかどうかも、諸説あるようでした
・あわせて、前話と「ep.83の78. 真白き次代」を加筆修正しています
「な、なんでこんなところに……」
真白き予知の覡……確か、名前はネージュ様だったはずだ。
不審者のまさかの正体に、あたふたとチボーが手を貸して助け起こす。
突然座り込んだので何事かと思ったけれど、怪我をしたわけではないようだ。ネージュ様は多少ふらつきつつも、しっかりと立ち上がった。
その様子にほっとするとともに、疑問が浮かんでくる。
こんな人が溢れ返る町中で、覡がたった一人でふらふらと出歩いて良いとは到底思えない。
けれど、ざっと辺りを見渡す限り、お付きの神職の姿はどこにも見つけられなかった。
「えっと、ネージュ、様。僕はルイ・ヴァレーと言います。この子は弟のリュカです。僕たち、ヴァレー家当主の孫です。あの、ネージュ様は一人ですか? お付きは?」
「……」
ネージュ様はただ首を振るだけで、要領を得ない。僕とチボーは顔を見合わせてしまった。
「ルイ坊っちゃん、どうするっすか。さすがに、オレの手には負えないっすよ」
「そうだよね……」
チボーが壁になって僕たちを庇いつつ、困った顔で言った。
実質、護衛対象が二人から三人に増えてしまったのだ。チボーでは荷が重いだろう。
それに、人の波がすごい。こんな場所で、いつまでも立ち往生できそうになかった。
(リュカにはかわいそうだけど、見なかったふりをして、このままお祭りを楽しむ訳にはいかないしなあ……。かといって、一緒に連れて行く訳にも行かないし)
十中八九、神職たちが泡を食って探しているのではないかと思う。
ここでもし覡に何かあれば、寝覚めが悪い。なら、速やかに信用の置ける保護者に送り届けた方が、良いだろう。
「はあ〜。しょうがない。一度、中央広場に戻ろっか。あそこなら、おじいちゃんも騎士もいるし。きっと誰か神職も見つかると思う」
「そうっすね。それがいいと思うっす」
「? にいに〜、ぶどうじゅーす……」
「ごめん、リュカ。あともうちょっとだけ待ってくれる?」
「やー!」
リュカは、ほっぺたをぷくーと膨らませて、駄々をこねる。それでも言いつけ通り手を離さない、そのいじらしさに、僕はただ謝るしかない。
(そうだよね……あんなにお祭りを楽しみにしてたのに……)
僕が困った顔をしていると、リュカのほっぺたからだんだんと空気が抜けていき、口が見事なへの字になる。
かわいい顔がくしゃりと歪んで、目には大粒の涙が迫り上がっていた。
「ひっく……ひっく……う”う”ぅ”〜、に”い”に”〜」
ついに泣き出してしまったリュカが、空いている手を上げ、抱っこをねだる。
僕が抱き上げると、リュカは涙と鼻水で濡れた顔をジャケットに押し付けて、ぐりぐりと拭いた。
こうなると、もう五歳に近いリュカを抱っこして、この人混みの中、中央広場まで戻るのは無理だ。
唯一の望みであるチボーをちらっと見ると、それだけで手をぶんぶんと振って拒否されてしまった。
「オレはだめっすよ! 護衛は対象から離れない、目を離さない、両手は常に空けておく、は基本っす! 団長にバレたら大目玉っすよ!」
(詰んだ……)
無意識にリュカの背中をとんとんしつつ、僕は空を見上げる。なんとか、誰かに中央広場から人を呼んで来てもらおうかと迷っていると、ネージュ様がジャケットの裾を引っ張ってきた。
「? なんですか?」
「……ボク……帰らない……」
「え? 帰らない? なんで?」
「……お願い……ボク……初めてなんだ……お祭り……」
訥々と、男性にしては高い声でネージュ様が小さく訴える。顔は一切見えないけれど、切実な声だった。
(お祭りが初めてって……)
どういうことかわからないけれど、問い詰めている暇もない。
こんな人混みで留まっているより、もう目と鼻の先の広場で、落ち着いて助けを待った方が遥かにましだ。
「……はあ。仕方ない。チボー、予定を変更しよう。ひとまず、この先の広場に行くよ」
「了解っす!」
すちゃっと調子良く敬礼したチボーが、僕たちの背後につく。ネージュ様は、なぜか僕のジャケットの裾を掴んだままだ。まあ、手を離した途端、迷子になりそうだから良いかと自分を納得させる。
(「初めてのお祭り」って言葉に、絆されたわけじゃないけど……)
そんな言い訳を胸に、僕たちはカルガモの親子みたいに、また歩き出した。
♢
「えええー! 一人で神殿を抜けてきた!?」
ネージュ様がこくりと頷く。
(お付きを撒いてきちゃったのかなと思ったけれど、まさか抜け出してきてたとは……)
物静かで神秘的という印象しかなかったけれど、行動は意外と破天荒だったことに、頭を抱えてしまった。想定より、事態は悪いかもしれない。
僕たちは人通りの多い路地を抜け、脇道に入ってすぐの広場にたどり着いていた。
ここも人は多いけれど、子どもばかりで和気藹々としている。ちょうど小さな噴水の縁が二人分空いたので、やっと腰を落ち着けることができた。
チボーは知り合いを見つけたのか、手招きして耳打ちしたあと、お金を握らせたのが目の端に映る。きっと広場まで人を呼びに行ってもらうようお願いしたのだろう。
「多分、今頃神殿はてんやわんやだと思うよ。いると思ってたネージュ様の姿が消えたんだから。家出か失踪か誘拐かって、必死で探してるはず」
「……」
力が抜けてしまった僕がいつもの口調でそう言うと、しゅんとネージュ様は肩を落とした。フードで顔は見えないけれど、一応反省しているらしい。
背後の噴水を覗き込むと、湧水を汲み上げているのか、水は澄み切って綺麗なものだ。胸のハンカチを濡らして、膝に座っているリュカの顔を拭く。ついでに鼻もちーんすると、さっぱりしたのか、リュカはやっと笑顔を見せてくれた。
「にいに、りゅー、おのど、からから〜」
泣いて喉が渇いたらしいリュカが、水を欲しがる。隣に座っていた少年がそれを聞いて、「若さま、のどかわいたのか? おれがぶどうジュースもってきてやるよ!」と、屋台に取りに行ってくれた。
ジュースや菓子を子どもたちに渡しているご婦人たちに話しかけて、こちらを指さしている。
少年はジュースを三つ持ってきたと思ったら、すぐさま戻って菓子も持ってきてくれた。ご婦人たちも、こちらを見て手を振り、にこにことしている。
(若さまって……なんていうVIP対応だ)
面映いけれど、正直今は助かる。少年に礼を言って、少し多めにお駄賃を弾むと、「へへっ。ラッキー!」と鼻を擦って喜んでいた。
「はい。リュカ。あのお兄ちゃんが持ってきてくれたよ。お礼を言って飲もうね」
「あい! ありがとー! いたっきまーす」
リュカは乾杯をすることも忘れて、ごくっごくっと喉を鳴らして飲み始めた。
仕事終わりに、最初の一杯のビールを飲む、サラリーマンみたいな良い飲みっぷりだ。念願の黒葡萄ジュースをたっぷり堪能して出た、大きな「ぷっはあ〜〜〜」には笑ってしまった。
ネージュ様にも、ジョッキを手渡す。そして、つい僕はいつもリュカにするように、乾杯しようとした。
「はい、ネージュ様も。乾杯」
「? 乾、杯……」
ネージュ様は首を傾げたあと、恐る恐る僕のジョッキに自分のジョッキをこつんと当てる。
そして、ちびちびと黒葡萄ジュースを飲むと、「おいしい……」と明るい声で呟いた。
「! にいに、りゅーも! りゅーも、かんぱい!」
「はい、乾杯」
「かんぱーい!」
好物の黒葡萄ジュースを飲んで、乾杯もしたリュカは、にっこにこのご機嫌だ。足がぷらぷらと揺れている。
リュカはまた少し飲むと、僕だけではなく、隣のネージュ様にもにぱあと笑い掛けた。
「ねえね、かんぱーい!」
「……かんぱい」
ネージュ様はリュカの言葉を訂正することなく、素直にジョッキを合わせている。
(いやいやいや、ねえねって)
確かにネージュ様は、ローブの上からでも線が細く、華奢なのがわかる。男性にしては声も高いし、フードで顔が隠れてしまうと、女性と見間違うけれど……。
「リュカ、ねえねじゃなくて、にいにだよ。この人は、お兄さんだよ……だよね?」
「う?」
ネージュ様はこくんと頷いたけど、あんまり気にしていないみたいだ。
リュカは首を傾げたあと、そーっと隣のネージュ様のフードを下から覗き込んだ。
「ほぅ〜。ねえね、きりぇ〜ね〜」
「わあ、リュカ。何してるの。ネージュ様、リュカが、ごめんなさい」
「……ううん……いい弟……だね……」
ネージュ様は微かに首を振ると、手袋を嵌めていても細長いことがわかる指で、リュカの頭をちょいちょいと撫でた。
「……好きなように……呼んで……きみ、ルイも……ネージュでいい…………」
「へっ、はぁ」
言われたことが一瞬わからなくて、僕は生返事をしてしまった。
そんな僕に構わず、ネージュ様とリュカはきゃっきゃっと戯れている。
(えっと。もしかして、ネージュって呼び捨てにしていいよって言われた?)
そうだとしても、すぐに呼び捨てにできるほど、僕は慣れてない。でも、そう申し出てくれたからには、呼び捨てにした方がいいのだろうか。僕はぐるぐると悩んでしまった。




