77. 雨の決断
ヴァレーの秋は晴天が続き、日中は暖かく穏やかだ……基本的には。
今年はどうも稀な外れ年で、晴れたと思ったら曇り、時々にわか雨が降っていた。不安定な気候だ。
そんな気候のせいで、葡萄の収穫時期の判断が難しいらしい。
ヌーヌおばさんから相談を持ちかけられたおじいちゃんは、これから葡萄畑に行くそうだ。出掛けに、「ルイも一緒に来なさい」と言われたので、僕も急遽お供することになった。
葡萄畑には、すでにレオンさんもいて、ヌーヌおばさんと真面目な顔で話をしていた。
畑の葡萄はたわわに実り、重たそうに枝に垂れ下がっている。久しぶりの畑は、甘くて良い匂いに満ちていた。
「ああ。旦那様。ルイも。ご足労いただいてすまないねえっ」
「構わん。ことが葡萄の収穫時期についてだ。畑を見ないことには、話ができんからな」
「ええ。ええ。まずは晴れてるうちに、葡萄を食べてってくださいよっ」
僕たちは、広い葡萄畑を歩きながら、区画ごとに味を確かめる。葡萄の房から実をもいで、種ごと食べるのだ。
食べれば、収穫の頃合いかどうかはわかる。良いワインは良い葡萄から。まずは食べないと、正しい判断ができなかった。
「もぐ……ぐしゅっ……」
(うーん、去年食べた葡萄より、なんだか酸っぱいような。それに、ちょっと水っぽい? 雨が降ったからかな……)
「ふむ。甘さが上がりきってないな。皮も硬く、種もまだ柔らかい」
「まったく。困ったことですよっ。本当なら、収穫を遅らせて、熟すのを待つんですがねっ。このお天気じゃあ、熟す前に傷んでカビが生えちまいますよ!そうなる前に、あたしはもう収穫した方がいいと思うんですがねえ」
「へっ。この葡萄でワインを作っても、酸が強くなるのが目に見えてらあ。まだ雨が降るとは限らねえんだ。うまいワインを作るためなら、もう少しぎりぎりまで粘るところだろうよ!」
ヌーヌおばさんとレオンさんが、ばちばちに火花を飛ばして睨み合い、言い争っている。
僕がぐるっと広い畑を見ると、あちこちで小作人たちが葡萄の世話をしていた。
収穫前なのに、房から葡萄の実を丁寧に摘んで、籠に入れている。きっとあれは、傷んでしまった実なのだろう。
僕は目の前の畑から、葡萄をいくつか手にとって改めてまじまじと見る。すると、確かにいくつか実が裂けて、茶色く変色している粒があった。
「その……収穫を遅らせて、もし雨が降っちゃったら?」
「収穫間際の葡萄は、雨の後、本当に病気になりやすい。最悪、全滅だ」
「そうさねえ。万が一無事でも、今度は熟しすぎちまう。……むずかしい問題だよっ」
一年間、たくさんの小作人たちが手塩にかけて育てた葡萄が、全滅する。ということは、今年のワインは作れない。無収入だ。
かといって、完熟するのを待たずに収穫してワインを作っても、例年より質は数段落ちるだろう。しかも、この畑の様子を見るに、量も危うそうだ。そうまでしても、値がどうなるかは誰にもわからない。
(わあ……。そりゃあ、そんな判断、ヌーヌおばさんとレオンさんができるはずない。おじいちゃんを呼ぶわけだ)
天気は、人にはどうすることもできない。あるがままを受け入れるしかないのだ。
そのうえでの「たられば」だからこそ、判断に伴った後悔も責任も、誰かが……おじいちゃんが背負わねばならないものだった。
(重いなあ……)
ここのところどんよりしていた雲間から、久しぶりに光がのぞいた気持ちの良い空なのに、この辺りだけ重力が増したようだった。
おじいちゃんは、眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
僕たちは固唾を飲んで、その決断を待つしかなかった。
「はぁ。仕方あるまい……。収穫は――」
重苦しい雰囲気の中、やっと口を開いたおじいちゃんがそう言いかけた時。
儀式で何度か見かけたことがある壮年の神職が、おじいちゃんの後ろから、急足でやって来るのが見えた。
畑に来ることなんて、まずない人だ。裾の長いチュニックに、フード付きマントという神職独特の衣装は、ひどく目立つ。案の定、小作人たちからの注目を集めていた。
(珍しい……。どうしたんだろう。何かあったのかな?)
つい僕たちの意識もそちらに向くと、おじいちゃんも気がついたようで、話すのをやめて振り向いた。
「ふぅ。みなさん。お揃いのようで」
「どうされた。なにやら、急ぎのようだが」
こちらにやってきた神職に、おじいちゃんが訝しげに尋ねる。
広い葡萄畑の傾斜を歩いてきたその人は、しばし息を整えてから話し出した。
「実は今代の巫女の体調が芳しくなく、臥せております。ご年齢を鑑みると、これ以上ご無理をさせることもできませんので、この度代替わりすることとなりました」
「ほう……。噂に聞くあの次代か」
「……つきましては、収穫の儀式は、お披露目を兼ねて次代が執り行います」
「相分かった。……それで、そのためだけに、このような場所にまで来た訳ではなかろう」
(あの巫女が……。確かにもう随分とお年だったからな)
巫女の体調が心配なところではあるが、おじいちゃんの言い分も気になる。
確かに、巫女の世代交代だけであれば、ヴァレー家の方に遣いを出せば良い話だ。
「……次代が、この時間、この場所であれば話が早かろうと」
柔らかい微笑みを浮かべたまま、神職が告げる。
「今日から十日後に長雨が降る、と次代から言付かりました。どうか、そのうえで最良のご判断を、と」
※昨日のお話を修正しています。筋は変わってませんが、読みやすく改稿しました。




