75. 時間薬
その日も、僕はいつも通り2階の事務室で、机に向かっていた。
黙々と執務をしていると、控えめに扉を叩く音が響く。
「失礼します」
執事のティエリーが、茶器の乗ったワゴンを押しながら、部屋に入ってきた。
事務員が一気に倍になったことにより、机が増えて、部屋は少し手狭になってしまった。
けれど、ティエリーはそんなことも微塵も感じさせず、悠々と歩を進める。
そして、部屋の隅に一度ワゴンを置くと、僕の元に来て、恭しく手紙を差し出した。
「ルイ様。手紙が届いておりました」
「ありがとう」
(誰からだろう?)
テオドアさまかダミアンさんか。それとも、父さんの古い友人の誰かからだろうか。
僕は手紙を受け取って、表に返し、何気なく差出人を確かめた。
……のだけど、そこに書かれていた名前が信じられなくて、一瞬思考が止まる。
裏、表、裏、表と何度か読み返して、やっと見間違えじゃないと理解すると、嬉しさと、ほんの少しの恐怖で胸がいっぱいになった。
「母さん……」
その手紙の差出人はサラ……母さんの名前が、確かに書かれていた。
♢
夕食後、早めに自室に戻り、リュカと二人でベッドに並んで座っていた。
収納から、大切にしまっていた手紙を取り出す。
母さんからの初めての手紙は、リュカと二人きりで読もうと、この時間まで封を開けずに待っていたのだ。
「リュカ。母さん……ママから、お手紙が届いたんだよ」
「う? まんま?」
「クククー?」
「そうだよ」
メロディアを肩に乗せたリュカは、くまの人形をぎゅっと抱きしめながら、きょとんとしている。
多分、よくわかってない。それでも、手紙を読み聞かせてあげたいと言うのは、僕のわがままだ。
いつか、リュカが子ども時代を振り返った時に、「そういえば、母から手紙をもらったことがあった」と。内容は覚えていなくても、もらっていた事実だけは、思い出に残ってくれることを願って。
取り出した母さんからの手紙は、四角く、僕の手のひらに収まるサイズに折りたたまれている。
今世は、まだまだ紙が高価だ。だから封筒はなく、A4程度の手紙を縦三つ、さらに横三つに折って、開かないように封蝋を押すのが普通だった。
ペーパーナイフの刃先を封蝋に少し差し込んで、壊さないように慎重に剥がしていく。
緊張で、指が少し震えた。
(何が書かれているんだろう)
もし、もう二度と手紙を送って来ないで欲しいと、書かれていたら。
お別れや、絶縁の言葉が並んでいたら。
嫌な想像が頭を巡る。最後の、文面が読める一歩手前で、手紙を開く手が止まった。
(こんなに、手紙を読むのが怖いと思ったのは、初めてだ)
「にいに?」
「……大丈夫。なんでもないよ」
隣にちょこんと座るリュカが、不思議そうに僕を見ている。
安心させるようにリュカの頭を撫で、深呼吸すると、僕はゆっくりと手紙を開く。
手紙の四隅は少し茶色に変色していて、インクの匂いと、懐かしい母さんの香りがした。
ーーーーー
あいするルイとリュカへ
げんきにしていますか。みどりゆたかなヴァレーで、のびのびくらせているときいて、おかあさんはあんしんしました。でも、ふゆはとてもさむいのでしょう。かぜをひいてはいないでしょうか。
ルイ、おてがみをありがとう。まいにち、なんどもよみかえしています。
へんじをかくのが、おそくてごめんなさい。
ひどいおかあさんでした。二人に、とてもかなしいおもいをさせてしまった。
今は、どうしてあんなことができたのか、わかりません。
もう、ルイとリュカにおかあさんは必ようないかもしれない。
でも、ただただあやまりたい。その思いで、お手がみをかきます。
本当にごめんなさい。ごめんなさい。
ルイ。もう十五さいですね。ますますお父さんに、にてきたのかしら。
たよりになるお兄ちゃん。リュカをまもってくれて、本当にありがとう。
リュカ。小さな赤ちゃんだったあなたが、もう四さい。
たくさんたべて、どれだけ大きくなったのかしら。どんな声でおしゃべりして、わらうのかしら。
わたしのこどもたち。もっとたくさん名まえをよんで、だきしめれば良かった。
なぜわたしは、たいせつなものを、たいせつにできなかったのか。
毎日、ゆめにみます。
ぜんぶなかったことにして、ゆるしてもらえるとは思っていません。
でも、もし、もし二人がまだ、少しでも、おかあさんとよんでくれるのなら。
また、お手がみをかいても良いですか。
ルイとリュカのしあわせを、ずっといのっています。
おかあさんより
ーーーーー
始まりの文章はひどくたどたどしくて、文字の形も歪んでいた。
書いては途中で手が止まったのか、途切れたインクからまた書き出したような跡がいくつもある。
そうして、後になるにつれて少しずつ文字は滑らかになっていった。
(母さん……)
今思えば。家族だった時、母さんが読み書きをしているところを、あまり見たことがなかった。
今世の庶民は、最低限の読み書きしかできないと、わかっていたはずだ。
でも、父さんやダミアン商会、ヴァレー家の人たちがごく普通に読み書きできるので、僕は母さんを思い至ることができていなかった。
母さんとの別れ際に、「手紙をちょうだいね」と言ったのを、覚えている。言われた母さんは、どんな思いだっただろう。
僕から送られてきた手紙を受け取って、どう思ったのだろう。
それでも。手紙を読んで、こうして、精一杯の返事を書いてくれたのだ。
(読むのも書くのも、どれだけ、時間がかかったんだろう……)
そのことに気づくと、もうだめだった。
目が熱い。胸の奥が勝手に震えて、嗚咽が漏れた。
「っく……」
「にいにぃ……ふぇっ」
最後の理性で、手紙を汚さないように収納にしまう。
気がつくと、リュカを抱きしめて涙が枯れるまで、泣いていた。
リュカは、僕が泣いているのにつられて泣いて、今は疲れて眠ってしまっている。
(はあ……。初めてこんなに泣いたなぁ)
目が重いし、頬がかぴかぴに乾燥している。でも、なんだか清々しかった。
特にベルナールと会ってからの母さんは、「良いお母さん」だったとは思わない。
なんで母さんなのに、なんで大人なのに、と責める気持ちが、確かに僕の中にあった。
(でも、僕とリュカの、たった一人の母さんなんだ)
親だろうと、大人だろうと、間違うこともある。
僕が母さんを思い至れなかったように、母さんにはきっと見えていなかったことも、知らなかった悲しみや苦悩もたくさんあったのだろう。
それに、この手紙からは、母さんの後悔がひしひしと伝わってきた。
僕たちのことをどうでも良いと思っていたら、きっとこんな手紙を書いて、送ってはこない。
(今の母さんとなら、きっとやり直せる)
遠く離れてしまったけれど、繋がりは消えていなかったのだ。
やり直したいという気持ちと、許したいという気持ちがぴったり合うのなら、またここから、始めればいい。
一度は壊れてしまったものを、また積み上げていくのは時間がかかるだろう。
それでも。それこそ時間が経てば、いつか。
──また笑って、会える日が来るかもしれない。
母さんからの初めての手紙は、そんな期待を感じさせるものだった。
公開時間が変更となり、申し訳ありません。
お母さんの手紙を書いては消し、書いては消しで時間がかかってしまいました。




