69. 祖父の帰還
ヴァレー家二階の事務室でレミーと執務をしていると、外から馬の蹄が微かに聞こえてくる。
不思議に思っていると、しばらくして執事のティエリーがやってきた。
「先ほど伝令がありまして、旦那様が本日お帰りになられるとのことです」
「! おじいちゃんが!」
三ヶ月近く不在だった、おじいちゃんが王都からやっと帰ってくる。
元気だろうか。古樹の涙の取り扱いや、王家の対応はどうだっただろうか。
それからというもの、僕はそわそわと落ち着かない気持ちで、残りの執務を片付けることとなった。
そして、数時間後。
おばあちゃんや僕、リュカ、レミー、それに手の空いている使用人たちが、今か今かとおじいちゃんの帰りを待ち構えていた。
だんだんと、馬車や馬の蹄の音が近づいてくる。
……そして、僕たちの前に、自警団や見慣れぬ騎馬隊を引き連れた馬車が、ゆっくりと止まった。
真剣な面持ちのドニたちは顔色も良く、元気そうだった。
それにしても、自警団の装備とは異なる装備の、この騎馬隊は何なのだろうか。
足元の銀の金具が陽に反射して、きらきらと眩しかった。
従僕が扉を開けると、おじいちゃんが馬車から降りてくる。
長旅の疲れが多少見えるが、しっかりとした足取りだ。
「お帰りなさいませ、あなた。お帰りを待ち侘びておりました」
「イネス。ただいま、帰った」
おばあちゃんが、品良く貴婦人然とした様子で、おじいちゃんを出迎える。
僕たちも、おじいちゃんに声をかけた。
「おじいちゃん、お帰りなさい」
「じいじ、おかーりなしゃいっ」
「ルイ、リュカ、ただいま帰ったぞ」
僕の真似をして、リュカがお利口に「お帰りなさい」と言えたと思ったら、止める間もなくおじいちゃんに抱きついてしまった!
「じいじ、だっこー!」
「あっ、リュカ!おじいちゃんは疲れてるんだから、だめだって」
「ルイ、良い。どれ、久しぶりに抱っこさせておくれ」
四歳児のリュカは、小柄とは言え結構重い。
疲れているうえに、もうだいぶお年のおじいちゃんの腰が無事で済むのだろうか、と僕は内心はらはらする。
けれど、意外な力強さで、おじいちゃんはリュカを抱っこした。
「しばらく見ないうちに、また大きくなったな」
「じいじ、おうましゃん、いっぱい!」
「はは。そうだな」
おじいちゃんの目尻が、すっかり下がっている。
申し訳なさを感じながらも、これはこれで、おじいちゃんの緊張が緩んで良かったのかもしれない。
そんなほのぼのとした雰囲気の中、気を取り直すかのように、ティエリーが深々と頭を下げる。続いて、レミーや他の使用人も腰を折った。
「旦那様。お帰りなさいませ。ご無事のご帰還に、私ども使用人一同も安心致しました」
「ああ。ただいま帰った。出迎えご苦労」
おじいちゃんが、リュカを抱えたまま返す。
なんとも締まらないが、待ち望んだ、ヴァレー家当主の帰還だった。
♢
休息と夕食を摂ったおじいちゃんから、ヴァレー家が男爵位を授爵したと知らされた。
王妃殿下が異例の後見となったことや、正式な授爵式は来年、王都の社交シーズンに合わせて行われることも。
その知らせにヴァレー家がにわかに活気づく中、レミーと僕はおじいちゃんに書斎に来るよう呼ばれた。
きっと古樹の涙についてだろう。
「……今年採れた古樹の涙は、大方を王家が買い取る。来年以降についても、最低でも三割は買い取りたいそうだ。合わせて、王家の推薦や許可があるもの以外への販売は禁止。おそらく、主な商売相手は、王都の貴族や医療ギルドになるだろう。国外への販売はもってのほかだそうだ」
「三割もですか……」
「せいぜい、吹っかけてやれば良い」
「……わかりました」
レミーが、渋面のまま頷く。
貴重な古樹の涙は、やはり厳しい規制がかけられるそうだ。おじいちゃんが言うには、毒薬相当の厳しさだと言う。
「その金で、早急に騎士団を設立する。武具・馬・厩舎・騎士団の宿舎・訓練場……。どれだけの金が飛んでいくことか。だが、これからのヴァレーには、必ず必要になる」
「ええ。そうですね」
「……おじいちゃん。騎士団って、もしかしてあの騎馬隊のこと?」
「そうだ」
おじいちゃんが、ソファにもたれかかる。少し休息を取ったとは言え、疲れはまだ澱のように残っているのだろう。
「まず、自警団十数名を、これまでの功労への報奨として、騎士に取り立てる。加えて、王家から、身分や金銭の問題で騎士になれずにいた従騎士を譲り受けた。それが彼らだ」
「……密偵が紛れ込んでいそうですね」
「よほど怪しいものは弾いた。残ったのは、平民や貧乏騎士家の三男や四男ばかりだ。問題なかろう。両者を合わせて、やっと三十名弱。一地方が持つ騎士団の体裁としては、十分立つ。ああ、叙任式もせねばならん」
おじいちゃんが目頭を押さえる。あまりにも疲れた様子に、僕は手早く古樹の新芽茶を淹れて、みんなに手渡す。
これなら、カフェインは入っていないし、少しばかりは癒しになるだろう。
「うまいな……」
一口飲んで、おじいちゃんがぽつりと呟く。新芽茶については、一度王都に報告を届けていたけれど、実際におじいちゃんが飲むのは、これが初めてのことだ。
しばらく無言で一息入れると、さらに話は続いた。
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「……では、さっそく手配を致します。ヴァレーの人手だけでは、到底足りません。近隣からも、出稼ぎを募りませんと」
「頼む。それと、白の山脈の神々にもご報告もせねば……」
「そちらも、神職の方々と相談致します」
「任せた」
そうして、ひとまずの引き継ぎが終わったのは、だいぶ時間が経ってからのことだった。
(つ、疲れた……)
とにかく、やらないといけないことが目白押した。
いくらヴァレーの使用人たちが優秀でも、人手が足りない。かと言って、今から人を雇うことはそう易々とはできない。
しばらくは、僕も畑には出ずに、執務中心の生活を送ることになる。
男爵家当主となったおじいちゃんも手を組み、ぐったりとソファに沈み込みそうになっている。
けれど、その眼は誰よりも炯々としていた。
「……ここがヴァレーにとって、正念場となる。力を貸してくれ」
「「……はい!」」




