63. 神々の分け前
① 昨日メンテで18時に予約投稿できていなかった分は、本日のお昼12時に公開しています。まだの方は、前話からお読みください。
② 今回のお話は、クチャラー系のちょっと汚い表現があるので、好まれない方は飛ばしてください。また、お食事中に読まれるのは非推奨です。
醸造が落ち着いている時期は、畑で醸造家レオンさんの姿を見かけることも多い。
良いワインを作るには、良い葡萄から。
そう言って、畝と畝の間を通るのもやっとな大きな身体を小さく屈んで、葡萄の世話をしていた。
そんなレオンさんから、今日は醸造所で定期的に行っている作業をする日だと聞いて、僕は好奇心からついていくことにした。
地下の熟成室には、久しぶりに入る。
明るい屋外から、薄暗い地下に降りると、目が慣れなくてしぱしぱした。
何度か瞬きをして、やっと熟成室を見やる。
熟成室では相変わらず、樽に入ったワインたちが静かにまどろんでいるようだった。
(前回よりも、なんだか樽とワインの匂いを強く感じるような)
樽から立ち昇る芳醇な匂いで、酔わないか心配になった瞬間、そよっとした風が頬にあたった。
どうも、風の通り道があるようだ。そう気づくと、少し肌寒く感じた。
自分の腕をさすりながら、レオンさんの後をついていく。
レオンさんはずんずん進んで右手前、下段のワイン樽に近寄り、横になった樽の腹部分にある栓をきゅぽっと取る。
そのまま、赤紫に染まっている穴に顔を近づけ、目と耳と鼻を集中させているようだ。
そして、しばらくすると納得したのか、小さな柄杓でワインをそっと掬い上げ、グラスに注いだ。
「……レオンさん、それは?」
「こうやって、一週間に一度くらい、熟成具合をみてるんだ。色はどうか。鼻がツンとしないか、変な匂いがしないか。ぽこぽこと言っていた音や泡が、穏やかに鎮まっているか……そして、実際に飲んで味わう」
レオンさんはそう言って、グラスをくるくると回し、鼻を近づけ吸う。
そして、口に含むと少し下を向き、唇を窄め、じゅるるるじゅるるると細く長く息を吸い込んだのだ!
(僕はいま、何を見せられているんだろうか……)
その様子に、僕は呆気に取られる。
レオンさんが至極真剣にワインと向き合っているのは、表情を見ればわかる。
わかるが……何が悲しくて、筋肉だるまなおっさんの、ともすれば下品な顔を見なくてはいけないのか!
前世の知識や、今世でもたまに見かけたことはあったが、こんな近くでいきなり見る衝撃は強かった。
しかも、レオンさんは、近くの空樽の上に置かれた器に、ぴゅうっと曲線を描いてワインを吐き出したのだ!
(うへえええ)
これには我慢ができず、僕は顔を顰めてしまった。
そんな僕の様子に、さすがのレオンさんも気づいて、逆に呆れたような顔をした。
「なんだ、しゃあねえだろ。まだまだ、樽ごとに味を見ていかなきゃなんねえんだ。全部飲んでたら、酔っちまうし、舌がばかにならあ」
「それはわかるんですけど……」
「おめえだって、成人すりゃあいつかはやるようになるんだぜ?」
「えええ、そんなあ」
(僕も、あれをいつかやることになるのか……? ましてや、人前で?)
前世日本人の潔癖さが、ひょっこりと顔を出して、身震いする。
そんな間にも、レオンさんは味を見ていく。確かに、この種類・量の味を見ていくなら、全て飲んではいられないなと納得してしまうほどだった。
時間をかけ、一通り味を確認し終えると、レオンさんはじょうろのような道具で、慎重に樽の口いっぱいにワインを注いでいく。
なんとか気を取り直した僕も、それなら手伝えそうだと思って声をかけたのだが、断られてしまった。
「これを見てみろ」
レオンさんが、寝かされた樽の、本来は底にあたる部分を示す。
そこには、小さな釘に、木板が掛けられていた。
木板には、葡萄の収穫年、樽に入れた月、葡萄の品種といった情報が書かれている。
「ワインは長く樽で熟成させてっと、樽に染み込んじまったり、水が空に消えちまうんだ。神々が少しずつ飲んでるじゃないか、なんて俺たちは言ってる。まあ、祝福をいただいてるんだ。確かに、その見返りに分け前を寄越せっていうのは、道理ってもんだろう」
「それは……よっぽどワイン好きの神様たちだね」
「だから、こうして、俺たちは減っちまった分を足してやってるんだ。好きなだけ、飲んでくれてかまいませんって、神々に感謝しながらな」
(……前世の知識で言うなら、きっと水分やアルコールが自然と揮発しているからだと思うけど、『神々の分け前』か。ふふ。ヴァレーの人たちらしい、考えだな)
僕は素敵な考えにほっこりしていたが、レオンさんの説明はまだ続いていた。
「で、だ。足すのはいいんだが、この書き付けと違う中身を足さないように、気をつけなくちゃならねえんだ。違う品種や収穫年を、混ぜちゃならねえ。たまーにな、新人がやらかして大目玉をくらうんだ」
「ああ。だから手伝っちゃダメって」
「そういうこった」
ひょいっと肩をすくめて、レオンさんは書き付けを1つ1つ確認しながら、ワインを樽に注ぎ足している。
樽は二段積みされているので、踏み台をぎしぎしと軋ませながら、上段の樽も丁寧に。
薄暗くて気づかなかったが、同じように作業しているマッチョな職人が数名いた。
見ている分にはなんとも地味だが、大変な作業だ。
僕の顔以上に大きいじょうろに入ったワインは、いったいどれほどの重さだろうか。きっと僕じゃ、両手でも持ち上がらない。
(そりゃあ、ムキムキにもなるな)
「……レオンさんって、醸造家っていうより、武道家みたいな感じだよね」
「ん?なんだ?俺のこの素晴らしい筋肉が羨ましいってか」
つい僕が心の声を溢すと、レオンさんはじょうろをもったまま、ふんっと上腕二頭筋に力を入れて見せる。
そのぼこぼこして、血管が浮き出た太い腕に、僕はげんなりしてしまった。
「……まあ、なんだ。俺はスキルに格闘術があるしな。身体を鍛えるのも嫌いじゃねえし」
「えええ!そうなんだ!なら、尚更、醸造家をやってるのが不思議なんだけど……」
「そりゃあ、俺は長男で、親の後を継がなきゃならねえって周りがしつこくてな。良いのか悪いのか、『発酵』スキルも持ってたからなあ……」
「『発酵』スキル……」
(発酵ってことは、もしかして!味噌や醤油や納豆も、作れるかもしれないってこと!?……いやでも、あの麹菌?とか納豆菌?って、ちょっとでもワインに入っちゃうとダメにしちゃう菌なんだっけ!?)
思わぬ掘り出し物な人材、ならぬ人財に、一瞬で色々な考えが頭を巡り、一喜一憂する。
(待て待て。レオンさんが発酵スキルを使ってるところなんて、僕、全然見た覚えがないぞ……。もしかしたら、ワイン特化の可能性や、頻繁に使えるわけじゃないってこともあるのかも)
「その。ワイン作りってほとんど自然や時間任せだよね?『発酵』スキルの使い所って、そんなにないような……」
「ああ、そうだな。発酵し始めの時に、弱いのをちょっと促すくらいだな。あとは基本、葡萄任せだ。だから、ワインではスキルの持ち腐れなんだな」
「……ワインでは?それ以外にも何かあるの?」
「?あとは、チーズ農家の奴らがうるせえくらいだな」
「チーズ農家?ああ、チーズも発酵するから!」
「おうよ。わけえ頃に発酵の修行で手伝ったら、あいつら調子に乗りやがって。今でも『お前がいると味が安定してうめえから』なんて言って、こき使おうとしやがるんだぜ」
(この様子だと、レオンさんの発酵は結構色々使えそうだな。発酵……。そうだ。最近、もしかしたらと思ったことがあったような……。なんだっけ、思い出せ……)
レオンさんは作業をしながら、ぶつぶつ何か文句を言っていたけれど。
再び思考の海に潜ってしまった僕には、全く聞こえていなかった。
■ 豆知識
拙作では「神々の分け前」としていますが、現実では「天使の分け前」や「天使の取り分」と呼ばれているそうです。
樽熟成する中で、水分やアルコールが自然と蒸発したり、樽に染み込んでしまって、目減りすることを指します。
目減りしたまま放っておくと、空気と触れる液面が広くなりすぎて微生物が増えてしまうので、ワインを注ぎ足してあげる「補酒」という作業が必要です。
※また、流石に描写が描写なので弁明をすると、レオンさんのテイスティングの様子は誇張とかではなく、シャトー(ワイン生産者)やソムリエなどのプロは普通にこんな感じです。




